城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行

アクセスカウンタ

zoom RSS 箕輪初心:初心▲井伊直虎・直政43『井伊谷7人衆:遠江松井一族』

<<   作成日時 : 2017/03/01 08:15   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

「井伊谷7人衆」の1人:家老:松井家は松井宗能→松井貞宗→
長男:松井信薫→次男宗信─松井宗恒と二俣城主として続いた。
今川氏真時代の古文書には、松井相模守・松井又七郎・松井八
郎三郎(宗信の弟)・松井内膳などの名が見える。井伊直虎の
時代の「井伊谷7人衆の1人:松井家」であると考えられる。
※二俣では、北から南へ笹岡城(二俣古城)、蜷原城、二俣城、
鳥羽山城が一直線上に並んでいる。全て「二俣城」として登場
するが、不明な点が多い。
画像




【0】遠江松井氏の出自
・平安時代 山城国葛野郡西院松井(現京都市右京区西院町松井)が
 本貫地であった。
@清和源氏為義流説
 A橘流説

・鎌倉時代 鎌倉幕府の御家人として山城国に住んでいた(伝)。

≪遠江松井氏系図≫
松井宗能→松井貞宗→長男:松井信薫→次男:松井宗信
 →松井信薫の子:松井宗親→松井宗信の子:松井宗恒
 ※松井宗能の長男:松井信薫説もある

【1】松井山城守宗能
????年 堤城(静岡県菊川市下平川字堤)を築いて住んだ。


【2】松井山城守貞宗
・大永8年(1528) 父:松井宗能の所領である遠江国城東郡平川郷
 (現・菊川市下平川字堤)などの相続した。
  (★『松井八郎宛今川修理大夫氏輝の判物写』)

・永禄6年(1563)10月 松井貞宗は今川氏真より遠州堀越郷内に
  隠居料としての知行替地を受けた。
  隠居料は実子の松井因幡守某(★兵庫助助近?)への知行替
  地の内分とされ、貞宗の後は因幡守に譲渡すべきとされ、同族
  の松井相模守某の綺(いろい=争論)を防ぎ格別の奉公を遂
  げる事を定められた。
 (★『永禄6年10月21日付松井貞宗入道宛今川氏真判物』

  松井貞宗は長男:松井左衛門亮信薫に家督を継がせた。
  松井八郎?・松井兵庫助?が跡を受け継いだ。
  

【3】松井左衛門亮信薫
・永正11年(1514) 長男?:松井信薫が最初の遠江二俣城主
  になった(伝)。
・永正11年(1514) 松井左衛門亮信薫は今川氏親の命で
   米倉城に移った。
  二俣の笹岡城主になり、堤城は廃城となった。
@享禄元年(1528)2月3日 松井信薫は病死した。
A享禄2年(1529) 松井信薫が病死した。
*永禄2年(1559)2月 松井信薫の次男:宗信は遠江国知行分・
  代官職等の譲渡された。
(★『永禄2年2月22日付松井宗信宛今川氏真判物』)
★なんか変である。



【4】松井左衛門佐宗信
・享禄2年(1529) 松井信薫の跡を松井郷八郎宗信
    (「強八郎」・「五郎八郎」)が継いだ。
  松井宗信が家督および二俣城主を継いだ。
・????年 笹岡城を居館とし、詰め城:蜷原城を築城した。
・????年 松井宗信は今川義元の家臣として三河国で転戦した。

  駿府在番衆を務めた。
  今川氏の軍略に従い各地を転戦した。

・天文11年(1542)▲三河の田原城攻撃 
 井伊直虎の祖父:井伊直平の子:
 19代:井伊直宗(井伊直盛の父)が野伏により
 討死した。(★『寛政重修諸家譜』)
 ★戸田孫四郎堯光の田原城を落城させた説があるが、今川はまだ
 三河に進出していないので、擬説?偽説の可能性が高い。
 ▲三河の田原城攻撃の諸説
  @天文11年(1542)説 (★『寛政重修諸家譜』)
  A天文15年(1546)後半〜説  今川の三河攻めが始まった説。
  B天文16年(1547)説:大石泰史説。
  C天文20年(1551)1月説:『朝野旧聞裒藁』の「井家新譜」説。
  D天文23年(1554)説:「井伊氏系図」説
  
・天文16年(1547) 9月 今川氏が田原城を攻撃。
 ●松井宗信と天野安芸守景貫は田原城攻めの最前で「粉骨無比類」
 の働きをして今川氏から感状を受けた。
 天野安芸守景貫は田原城の今川氏の城代となった。

・永禄2年(1559) 2月 松井宗信は父:貞宗の知行・代官職を
  生前譲与される事について、今川氏真から領掌(了承)の旨
  の判物を与えられた。
(★ウィキペディア)
★織田信長のいる尾張攻めの一貫であろう。

・永禄3年(1560) 5月 ▲桶狭間の戦い
今川義元 VS 織田信長
★徳川家康・関口氏経は大高城にいた。
箕輪初心★【織田信長@尾張の大うつけ→尾張統一】
http://53922401.at.webry.info/201206/article_1.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201206/article_1.html

箕輪初心★『織田信長A桶狭間前哨戦=家康の信長攻撃』
http://53922401.at.webry.info/201206/article_2.html

箕輪初心★【織田信長B桶狭間〜清洲同盟】
http://53922401.at.webry.info/201206/article_3.html


 結果・・・今川義元が亡くなった。

5月19日 (次郎法師父:)井伊直盛ら16人が今川側で戦死した。
@井伊直盛(享年55:井伊家傳記・享年35:『寛政重修諸家譜』)
A奥山彦一郎・奥山太郎次郎親秀・奥山彦五郎
 ★嫡男:奥山朝宗が桶狭間で討ち死にした。
B上野惣右衛門・上野源右衛門・上野彦市郎・上野孫四郎
C小野玄蕃朝直・小野源吾
小野政次(道好)の弟:朝直と小野源吾が討死している。
※A『この一冊でよくわかる! 女城主・井伊直虎』楠戸義昭
 では、小野但馬守政次の兄:小野朝直の妻が奥山朝利の
 娘としている。
 ※B、TVでは、小野朝直の弟としている。
筆頭家老の兄:小野政次は井伊谷に残っていて無事であった。
D松井宗信も討死した。
松井宗信一党は今川本陣の前備えに配置されていた。
 織田軍が強襲した。
 松井宗信が本陣を守るため、手勢200名を率いて馳せ戻り、
 懸奮戦した。
 松井宗信以下ほとんどが討ち取られた(伝)。享年46。

1)通説・・・説@松井宗信は今川義元とともに討死した説。
「松井宗信は戦死直後に今川氏真側近:三浦正俊から三河国
  内の人質については秘密にしておくようにと書状にて指示
  を受けた。」ことが根拠になっている。


2)少数説・・説A松井宗信は生きていた説   
「松井郷八郎 居城、遠州二俣。老年、引佐郡瀬戸村ニ蟄居。
 法名、入道方久。
 井伊信濃守直盛、於尾州桶狭間戦死今川義元為于時、井ノ谷
 成空城、直盛ノ息次郎法師因為地頭職為後見従。
 家康公則瀬戸方久托預井伊領。」
   (★「彦根松居家文書」)
★松井宗信=瀬戸方久?・・・本当かな?


【5】松井宗親
●永禄3年(1560) 松井宗信の死後、信薫の子:松井宗親が二俣城主
となった
※今川氏から徳川氏に寝返った引馬城主:飯尾連龍と姻戚関係に
 あったので、今川氏真に叛意を疑われて駿府へ呼び出されて謀
 殺された。



【6】松井山城守宗恒
 松井宗親が、駿府で誘殺されると、松井宗信の長男:松井山城守
  宗恒が跡を継いだ。
 
●松井宗恒が今川氏真に3千貫を与えられた。
 
井伊直盛が桶狭間で討死のとき、「遺領は中野越後守に預ける」
  と遺言した。
 従って、井伊谷は中野中野越後守直由・(次郎法師)が預かった。
   (★『井伊家伝記』・『井伊直虎物語』浜松歴女隊編)

*永禄3年(1600)12月22日(1561年1月7日)奥山朝利殺害説@ 
小野政次は井伊氏で勢力をもっていた奥山朝利を討ち、さらには
 今川氏真に「井伊家が謀反を起こそうとしている」と密告するなど、
 井伊家をじわりじわりと乗っ取ろうとしていた。
永禄3年
(★『この一冊でよくわかる! 女城主・井伊直虎』 楠戸義昭著
  (★PHP文庫、2016年、148,149頁)

・永禄4年(1561)2月19日 井伊直親の長男:井伊虎松
  (直政)が祝田生まれた。
小和田哲男説では永禄5年頃説である。

・永禄4年(1561)
 今川氏真は三河の徳川家康の領地に攻め込んで争うようになった。
 徳川家康や武田信玄は力の弱くなった今川氏の調略を行っていた。
 今川氏真は今川領各地で起きる反乱を鎮めたり、武田や徳川に抵抗
 していた。

・永禄5年(1562)
 亀之丞(井伊直親)は「鹿狩」と称して徳川家康の三河領に出かけるこ
 とがあった。小野政次から見れば、井伊直親が徳川家康に内通して
 いると思っても不思議ではないが、・・・・。
 小野政次は駿府城に出かけて
 「直親は徳川・織田に通じている。今川に対して挙兵するつもり
  です。」
 と今川氏真に訴えたといわれている。
今川家は今川氏真が当主となってからは弱体化しており、家臣の謀反が
相次いでいたので密告を信じ、井伊直親を討とうとした。

 今川氏真は井伊谷を攻める準備を始めた。
 しかし、新野左馬助が今川氏真に対して弁明した。 
  今川家の家臣である新野親矩に止められたため
 今川氏真は思いとどまり、挙兵を取りやめた。
 しかし、井伊直親が寝返るのではないかという噂は消えなかった。
 

 新野左馬助は妹が井伊直盛に嫁いでいる。
 新野左馬助の妻は奥山朝利の妹・・・・
 新野左馬助の妻の姪は井伊直親に嫁いでいる。
  新野左馬助の娘は木俣守勝・庵原朝昌・三浦元貞に
 嫁ぐことになる。(★この3人も後、井伊家家老で箕輪城・
 高崎城に来ている。)
 
 新野左馬助は今川氏真は今川家臣であったが、井伊家に同情的な
 新野左馬之助よりも、今川家に忠実な小野但馬守政次の言葉を
 信じた。
小野但馬守政次の密告の真偽を問うために井伊直親を駿府へ呼び
 つけた。

・永禄5年(1562)12月14日 井伊直政の父:井伊直親は
 小野の讒言「井伊直親が松平元康(徳川家康)に内通している。」
  の申し開きのため、駿府に向かった。
  井伊直政の父:井伊直親ら19名は今川家臣:朝比奈泰朝に
  懸川(掛川)で殺された。



・永禄5年(1562) 飯尾連龍が松平家康を通じて織田・徳川方に
   通じた。
  今川氏真は曳馬城を攻めた。
今川氏真方の新野親矩や三浦正俊、中野直由らが討ち死にした。
  今川方は曳馬城を落すことができず、飯尾連龍と和睦した
   連龍に対する疑念を拭い去ることができなかった

・永禄6年(1563)10月 松井貞宗は今川氏真より遠州堀越郷内に
  隠居料としての知行替地を受けた。
  隠居料は実子の松井因幡守某(★兵庫助助近?)への知行替
  地の内分とされ、貞宗の後は因幡守に譲渡すべきとされ、同族
  の松井相模守某の綺(いろい=争論)を防ぎ格別の奉公を遂
  げる事を定められた。
 (★『永禄6年10月21日付松井貞宗入道宛今川氏真判物』
 松井貞宗は長男:松井左衛門亮信薫に家督を継がせ、
 さらに信薫の子とされる松井宗親が遠江松井氏惣領分は継いだ
 とされる。
 松井宗親は遠州曳馬城主:飯尾連竜への連座を疑われていた。
 今川氏真は松井貞宗の隠居料および遠州内3箇所の知行を松井
 因幡守分の替地として与え、松井氏の内紛の停めようとした。

・永禄8年(1565年)12月、今川氏真は飯尾連龍を駿府に呼び寄せた。
  飯尾連龍はわずかな供を連れて駿府に入った。
  飯尾連龍は駿府城内の一角で今川氏真によって謀殺された。
●松井宗恒も飯尾連龍と姻戚関係にあったので、今川氏真に駿府へ
  呼び出されて謀殺されたという。
  松井宗信の弟:松井因幡守助近の子孫が二俣を継いだ。
★この説は違っている可能性が高い。

・永禄11年(1568)
今川氏の支配力が衰えた。
@三河で独立した松平元康は松平徳川が遠江へ侵攻を開始した。
A甲斐の武田信玄が駿河へ侵攻を開始した。
●松井一族ははどちらの支持勢力となるかで家中の対立が生まれ、
 分裂することになった。

●12月 松井宗恒と松井惣左衛門尉宗保の子:宗直は、二俣城で
   徳川家康に降伏した。二俣城を退去した。

・元亀3年(1572)
10月3日 武田信玄は上洛を理由に徳川家康の
 所領となっていた遠江に侵攻した。
 武田信玄は遠江の徳川方の諸城を東西に分断するため3つの
 隊に分けた。
 @本隊2万2000
 A山県昌景5000
B馬場信春(信房)5000

B信濃国から南下する別働隊の山県昌景によって三河国八名郡に
 あった居城・柿本城を攻略された。
 鈴木重時は叔父:鈴木出雲守が守備する遠江井伊谷の小屋山城
  へ退いた。
  しかし、ここも山県勢に陥落させられた。
 鈴木重時が徳川氏の本拠であった浜松城に退いた。
 
10月13日 A馬場信春5000が只来城を落とさせた。
  C本隊2万2000は天方城・一宮城・飯田城・格和城・向笠城
  などを1日で全て落とした。
10月14日 一言坂の戦い
 徳川家康は武田信玄に大敗した。

10月15日 本隊は匂坂城を攻略した。
 徳川家康方の掛川城や高天神城は孤立した。
 徳川家康は浜松城にいる城兵だけで武田軍と戦うことになった
 を余儀なくされたのである。

10月16日 武田信玄は二俣城を包囲した。
  二俣城は浜松城と掛川城・高天神城の中間地点に位置している。
  城将は中根正照、副将は青木貞治であった。
  城兵の数は1200人ほどであった。

 武田本隊は馬場信春軍と合流して、2万7000人であった。
 中根正照は武田信玄の降伏勧告を拒否した。
10月18日 武田軍の攻撃が開始された。
 武田軍は二俣城の大手口は急坂で二俣城を攻めあぐんだ。

11月 山県昌景5000が本隊に合流した。
12月 武田信玄は「水の手を絶つ」方法を考えた。
   二俣城は天竜川沿いの断崖に井楼を設けて、釣瓶で水を汲
   み上げていた。
   武田信玄は大量の筏を作らせて天竜川の上流から流させ、
   筏を井楼の柱に激突させて破壊した。水の手は絶たれた。
   武田信玄は開城を迫った。
   中根正照は武田信玄に降伏・開城して浜松城に敗走した。

   二俣城は武田信玄の落ちた。
武田信玄の家臣:依田信蕃が城将になった。

  武田信玄の二俣城攻略により、どちらにつくか迷っていたが、・・・

飯尾氏・神尾氏・天野氏や井伊一族の奥山氏・貫名氏などの地侍の殆どが
 武田信玄に臣従した。
●遠江松井宗恒・松井宗直は依田信蕃の配下に偏入されたと考えられる。
 二俣城守備に再度ついたと推定されている。

12月22日 ▲三方ヶ原の戦い


・永禄12年(1569)7月 武田信玄は今川方の富士氏が籠城する
  大宮城は開城させた。
  原昌胤は市川昌房が富士郡支配に携わった。
  富士山本宮浅間大社や静岡浅間神社など寺社支配を行っていた
  大宮城の城代を務めていたと考えられている。
  朝比奈信置や松井宗恒も武田信玄への取次も務めている。

●▲■原昌胤は市川昌房の子孫の話
@原昌胤・・・後、原昌胤の家臣は井伊直政の家臣になった。
★母の妹の嫁ぎ先は原家であった。家紋が同じである。
気づかなかった。

A市川昌房・・井伊直政の高崎城築城に貢献したと思われるが、
  帰農した。徳川家康から2回も家臣の要請があった。
倅の市川五郎兵衛真親は大久保長安から、佐久の新田開発と
南牧の砥石生産を許可でされた。
★市川家・・・南牧村・箕郷町・佐久市に子孫がいる。

B松井宗恒・・上野国に来たか不明? 松井秀喜もいるし、・・・
 でも、高崎市箕郷町・旧榛名町には、松井姓が現存する。


・天正10年(1582) 3月11日 武田氏衰亡。
  徳川家康は依田信蕃に味方するよう勧告した。
 依田信蕃は一端、本貫地:信濃望月の春日城に戻った。
●依田配下にいたと思われる松井宗直系の遠江松井氏は
 再び徳川氏に帰参したと考えられる。

6月2日 本能寺の変 織田信長・信忠が死んだ。
8月  天正壬午の乱
 すぐに徳川家康の家臣として、信濃の国衆の取次に当たった。
  依田信蕃は上杉景勝側だった真田昌幸を味方に引き込んで
  上杉の補給路をたった。
  
・天正13年(1585)8月 第1次上田合戦

 徳川家康 VS 真田昌幸
 徳川勢は上田城攻撃で敗退・・・
   丸子河原合戦
 
徳川勢は丸子城を攻撃に変更した。
 丸子河原で真田勢と激しく戦ったが、丸子城を落とすことが
 できずに・・・・にらみ合い・小競り合いが続いた。
 両軍こう着状態・・・・
9月13日 徳川家康の命により井伊直政ら5000の軍勢が小諸城
 に着陣した。
11月 徳川家康の重臣の岡崎城代:石川数正が突如豊臣秀吉に
  寝返った.
11月11日、徳川勢は引き上げを開始した。
  小諸城には、真田の押さえとして大久保忠教を残した。
 第一次上田合戦は終結した。

 松井宗直一族は戦功をあげて徳川直参の旗本となった。

【7】松井因幡守助近
・永禄6年(1563)10月 松井貞宗は今川氏真より遠州堀越郷内に
  隠居料としての知行替地を受けた。
  隠居料は実子の松井因幡守某(★兵庫助助近?)への知行替
  地の内分とされ、貞宗の後は因幡守に譲渡すべきとされ、同族
  の松井相模守某の綺(いろい=争論)を防ぎ格別の奉公を遂
  げる事を定められた。
 (★『永禄6年10月21日付松井貞宗入道宛今川氏真判物』
  松井貞宗は長男:松井左衛門亮信薫に家督を継がせ、
 さらに信薫の子とされる松井宗親が遠江松井氏惣領分は継いだ
 とされる。
 松井宗親は遠州曳馬城主:飯尾連竜への連座を疑われていた。
 今川氏真は松井貞宗の隠居料および遠州内3箇所の知行を松井
 因幡守分の替地として与え、松井氏の内紛の停めようとした。

@松井貞宗の実子の松井因幡守は松井兵庫助助近?→松井因幡守
助近であろう。
 A松井相模守・・・詳細は不明。松井八郎?
今川氏真時代の古文書には、松井相模守・松井又七郎・松井八
郎三郎(宗信の弟)・松井内膳などの名が見える。井伊直虎の
時代の「井伊谷7人衆の1人:松井家」であると考えられる。


【8】遠州松井氏のその後
1)松井宗直一族は徳川直参の旗本となった。
松井宗直一族は『寛政重修諸家譜』では橘姓になった。

2)松井宗信の弟:松井因幡守助近(「兵庫助」とも)の子孫は
 二俣に土着した。

3)三河松井氏(松井忠次系)が後、譜代大名となった。
 清和源氏為義流を称した。


★明日は?

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
箕輪初心:初心▲井伊直虎・直政43『井伊谷7人衆:遠江松井一族』  城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる