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zoom RSS 箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政28『井伊一族:中野家』

<<   作成日時 : 2017/02/02 07:04   >>

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大河ドラマに、井伊家の重臣として、中野直由が登場した。
中野氏は、井伊直盛の曾祖父にあたる井伊直氏の弟:井伊直房が、
井伊谷の中野郷に住んで、「中野」と名乗ったのが始まりである。
@中野直房→A中野直村→B中野直由─C中野直之─D中野三孝
・・・と続く。3代:中野直由は井伊宗家とは近い関係の分家で、
井伊家の中でも血筋に誇りを持ち、井伊一族の一員としての自覚
が高かった。今川氏真の目付:小野家と対立した。井伊直盛亡き
あと井伊家を支えていくが、中野直由にも悲劇が待っていた。
中野一族は、以後もずっと井伊家を支え、井伊直政が徳川家康に
仕えた際には、中野直之が家老として箕輪城→高崎城にも従って
いる。井伊直孝の大坂の陣後、中野家は彦根藩の家老となった。
中野直之の次男:松下一定は安中藩第一家老・小野朝之は安中藩
第2家老であった。中野家は彦根藩主の庶子が養子となって継ぐこ
とが多く、藩主一門として家老の中でも独特の地位を持っていた。
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【0】鎌倉時代以降の井伊家分家
・鎌倉時代 
  井伊氏を惣領家として多くの庶子家を分出している。
 5代井伊盛直から井伊谷井伊氏(現浜松市井伊谷)・赤左井伊氏
 (浜松市北区)・貫名井伊氏(袋井市)の3家に分かれた。
@井伊谷7代(長野主膳作成系図では8代)井伊弥直の子からは
  田中氏・伊平氏・ 谷津氏・石岡氏に分流した。
  さらに田中氏からは田沢氏・松田氏らが分出した。
 A赤佐井伊氏からは井伊宗家を凌ぐ勢いを見せた奥山氏が分かれた。
 B貫名井伊氏からは日蓮宗の宗祖:日蓮が出ている。
 結果・・・宗家・分家の名字を地図と重ね会わせると、浜名湖の北部〜
 東部一帯・・・と言っても、袋井市までが井伊氏の勢力範囲であった
 ことが分かる。横地(菊川市)・勝間田(榛原郡)まで入れると遠江
 全体に近い。
★井伊直政の時代には奥山氏・貫名氏・横地氏の子孫も家老である。

・鎌倉時代末期
 井伊谷井伊氏は、井伊館に住み、詰め城を井伊谷城三岳城を築いた。
 庶流の渋川井伊氏も井伊谷に渋川城を持っていた。

・室町時代
 井伊家はたくさんの分家があった。
井伊家から分かれた家には奥山、井平など沢山の分家があった。
 地名を名字にしていた。
≪中野氏系図≫
井伊忠直→@中野直房→A中野直村→B中野直由→C中野直之→D中野三孝・・・
※松下一定
@「寛政重修諸家譜」によれば、井伊家第11代当主:井伊忠直の子
:直房が中野の始まりになっている。井伊谷中野郷(浜松市北区引
 佐町)を領地にしたことから中野姓を名乗るようになった。
 中野直房→中野直村→中野直由になる。
A「彦根藩の家系図:野田浩子著」では中野氏は、21代:井伊直氏の
 弟:井伊直房が初代である。
井伊直房が井伊谷の中野郷に住んで、「中野」と名乗ったのが始まり
 である。
≪井伊氏系図≫
※21代井伊直氏→22代:井伊直平→井伊直宗→23代・井伊直盛
と続く。

中野家は井伊家の分家筋にあたる家系である。
分家は家臣扱いであるが、井伊家の血筋をひく家柄としての自負があった
ようである。家臣団の中でも重要な地位であった。
その一方で独立姓があり、常に本家に従っていたわけではなかった。

【1】初代:中野直房 ?〜永正10年(1513)
  井伊直氏の弟:井伊忠直の嫡男であった。
  中野氏を興した。

・文明17年(1485) 井伊忠直は没した。

・明応3年(1494) 駿河守護今川氏親・北条早雲が遠州侵攻を開始した。
  井伊氏は元遠江守護:斯波義達、引間の大河内貞綱と連合して
  戦った。

・永正10年(1513)中野直房は5月1日没した。


【2】2代目:中野直村 (?〜?)
中野直房の嫡男。
・永正10年(1513)  今川勢の朝比奈十郎泰以が甥:朝比奈泰能
 の名代として朝比奈軍を率いて参戦した。
  斯波軍:井伊谷城主:井伊直平や曳馬城主:大河内貞綱らと
  戦った。井伊直平・大河内貞綱は敗れた。

※三岳城落城3説
@永正10年(1513) 今川勢:朝比奈十郎泰以が三岳城を攻略した。
  三岳城には今川配下:奥平貞昌が城番となった。
 20代:井伊直平(井伊直政曾祖父)は20余年、井伊領北部の
  伊平で過ごした。
  (★『遠江井伊氏物語』武藤全裕著)

A永正11年(1514) 今川氏親の遠州曳馬城攻めに呼応し、今川配下
 :奥平貞昌が井伊谷の三岳城を攻め落とした。三岳城の城番となった。
 今川傘下:奥平氏は戸田氏は松平氏や牧野氏と争っていた。
  (★ウィキペディア)
 奥平貞昌は現岡崎市の久保城・日近城(ひぢかじょう)主であった。
 ★奥平家は鎌倉時代〜戦国時代初期まで現群馬県高崎市吉井町奥平
  に住んでいた。奥平城・馬場城が残っている。
  ・・やがて、徳川家臣として長篠城主へ・・・

B永正11年(1514) 今川勢の朝比奈十郎泰以が三岳城を攻略した。
井伊直平は再び今川氏の騎下になった。
井伊次郎は遠江守護の命を受け三岳に番所に就いた。
 三岳に寶泉庵が建立され蔵王権現を祀った。
 水の弁財天琴神堂も建立された。
( ★引佐町歴史と文化を守る会井伊谷支部:歴史年表)


・天文4年(1535) 井伊直親(井伊直政の父)が生まれた。
・天文5年(1536) 井伊直虎(井伊直政の養母)が生まれた。
母:新野親矩の妹
(★天文5年頃説:小和田哲男著)
 
【3】3代目・中野直由(?〜1564)
・天文13年(1544) 12月 井伊直宗の弟直満・直義が小野和泉守
 の讒言により、今川義元のため生害(自害)された。
井伊直平の子:直満(井伊直政祖父)・直義が今川氏に殺害された。
 亀之丞(井伊直親:井伊直政父)にも追ってがかかり、井伊直満の
 家老:今村藤七郎正実は亀之丞を叺(かます)に隠した。
 追っての逃れ、渋川の東光院に逃れた。

・天文14年(1545) 亀之丞は東光院住持能仲の案内で信濃伊那郡
  市田村(現高森町)の松源寺へ逃れた。
 信濃伊那の松源寺は井伊直親の叔父:南渓禅師の師:文叔禅師のいる寺
 であった。
今村藤七郎が10年間、養育した。
 松岡城主:松岡貞利が亀之丞(井伊直親)を10年間、庇護した。

分家筋の家臣たちの中には、井伊家が今川家の支配を受けるよう
 になると今川家に反発する者もいた。
 奥山朝利・新野左馬助・中野直由達であった。
 中野家と小野家の対立は激しかった。

◆天文23年(1554)井伊家筆頭家老:小野和泉守政直が没した。
   龍泰寺(現龍潭寺)に埋葬した。

龍谷山正泉寺が開創された。開山は慧湛和尚である。
 跡は子の小野但馬守政次(道好)が継いだ。
※TV鶴丸:小野但馬守政次も井伊家筆頭家老になっている。
※江戸時代の資料「寛政重修諸家譜」では小野道好となっている。
 当時の資料では但馬守とだけ書かれている。

 小野政直の死によって井伊直盛は信濃国に逃れていた井伊直親を呼び
 戻すこととした。
(★NHK大河5回目)
・弘治元年(1555) 今川義元の許しを得て井伊直親を改めて嗣子
 として迎え入れた。

★ 井伊直親の世話は今村籐七郎のほかに、最新情報を分かっている
 松下清景が担当した。

・永禄3年(1560) ▲桶狭間の戦い
   織田信長 VS 今川義元
★徳川家康・関口氏経は大高城にいた。
箕輪初心★【織田信長@尾張の大うつけ→尾張統一】
http://53922401.at.webry.info/201206/article_1.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201206/article_1.html

箕輪初心★『織田信長A桶狭間前哨戦=家康の信長攻撃』
http://53922401.at.webry.info/201206/article_2.html

箕輪初心★【織田信長B桶狭間〜清洲同盟】
http://53922401.at.webry.info/201206/article_3.html

結果・・・今川義元が亡くなった。
3月19日 (次郎法師父:)井伊直盛ら16人が今川側で戦死した。
@井伊直盛(享年55:井伊家////享年35:寛政)
A奥山彦一郎・奥山太郎次郎親秀・奥山彦五郎
 ★奥山孫
B上野惣右衛門・上野源右衛門・上野彦市郎、上野孫四郎
C小野玄蕃・小野源吾
・・・約200人が討ち死に・殉死した。


井伊直盛が桶狭間で討死のとき、「遺領は中野越後守に預ける」
と遺言した。
●井伊直盛が奥山孫市郎に告げた遺言
「今度不慮の切腹不及是非に候。其方介錯仕候て死骸を国へ持参仕、
南渓和尚、焼香被成る候様に可申候。扨又、井伊谷は、小野但馬
の心入、無心元候故、中野越後守を留守に頼置候。此以後猶以小野
但馬と肥後守主従の間、無心元候間、中野越後守に井伊谷を預け候て、
時節を以、肥後守、引間え移替申候様に直平公に委細可申」
 (★『井伊家傳記』)
(★『この一冊でよくわかる! 女城主・井伊直虎』:楠戸義昭著P143)
「今度、思いもかけず切腹しなければならなくなりましたが、これは
致し方ないことです。その方は、(私を)介錯(私が腹を切ったら、
私の首を刎ねて)ください。死骸(なきがら=遺体)を井伊谷へ運んで
ください。南渓和尚に焼香を申しあげ、(埋葬を)頼んでください。
さてまた、井伊谷は、小野但馬(道好=政次)の心入り(悪計)が
気がかり=心配ですので、中野越後(直由)を井伊谷城の留守居役
(井伊谷城城代兼井伊直親の後見人)として置くように伝えてください。
これ以後、なおもって、小野但馬(道好)と井伊肥後(直親)との主従
関係が心配でありそうな期間は、(★中野越後守直由に井伊谷城を預け
ている間に)、時節=頃合いを見計らって、井伊肥後(直親)を引馬城
へ移すよう、井伊直平公に詳しく伝える旨をお伝えくださるようお願い
申しあげます。」
★自分の意味訳なので、会っているか不安であるが、・・・
井伊直親は成人したといっても井伊谷に戻って5年しかたっていない。
 中野直由に井伊直親の後ろ盾となって助けてほしいとの思いがあっ
 た。松下清景もいるが、井伊家の近い身内で頼れるのは、中野直由
 しかいなくなってしまったという状況であろう。

井伊直盛の遺言で、中野越後守直由は、井伊宗家が名乗る武家官位の
「信濃守」を用いて「中野信濃守直由」と名乗り、井伊領主となった
のである。そして、中野直由は井伊直親の後見人となり、井伊領主相
続に異を唱えた小野但馬守と戦うことになる。
中野氏に組した奥山氏宗家:奥山朝利が討たれる結果となった。

従って、井伊谷は中野中野越後守直由・(次郎法師)が預かった。
   (★『井伊家伝記』・『井伊直虎物語』浜松歴女隊編)
小野家でも小野政次(道好)の弟:朝直と小野源吾が討死している。


※@『この一冊でよくわかる! 女城主・井伊直虎』楠戸義昭
 では、小野但馬守政次の兄:小野朝直の妻が奥山朝利の
 娘としている。
 ATVでは、小野朝直の弟としている。

*永禄3年(1600)年 奥山朝利殺害説 
小野政次は井伊氏で勢力をもっていた奥山朝利を討ち、さらには
 今川氏真に「井伊家が謀反を起こそうとしている」と密告するなど、
 井伊家をじわりじわりと乗っ取ろうとしていた。
その後、和解したのか、
中野家は、最も新しい庶子家であるので、最も井伊家の血が濃く、
 発言権を持っていた。
 それまで庶子家の中では奥山氏が最も強大な勢力を持っていたが、
 奥山氏の主な人物は桶狭間の戦い・小野政次の惨殺等で死んで
 しまったので、小和田哲男先生のいう「井伊谷七人衆」には名を
 連ねていない。

・永禄4年(1561)2月19日 井伊直親の長男:井伊虎松
  (直政)が祝田生まれた。
小和田哲男説では永禄5年頃説である。

・永禄4年(1561)
 今川氏真は三河の徳川家康の領地に攻め込んで争うようになった。
 徳川家康や武田信玄は力の弱くなった今川氏の調略を行っていた。
 今川氏真は今川領各地で起きる反乱を鎮めたり、武田や徳川に抵抗
 していた。

・永禄5年(1562)
 亀之丞(井伊直親)は「鹿狩」と称して徳川家康の三河領に出かけるこ
 とがあった。小野政次から見れば、井伊直親が徳川家康に内通して
 いると思っても不思議ではないが、・・・・。
 小野政次は駿府城に出かけて
 「直親は徳川・織田に通じている。今川に対して挙兵するつもり
  です。」
 と今川氏真に訴えたといわれている。
今川家は今川氏真が当主となってからは弱体化しており、家臣の謀反が
相次いでいたので密告を信じ、井伊直親を討とうとした。

 今川氏真は井伊谷を攻める準備を始めた。
 しかし、新野左馬助が今川氏真に対して弁明した。 
  今川家の家臣である新野親矩に止められたため
 今川氏真は思いとどまり、挙兵を取りやめた。
 しかし、井伊直親が寝返るのではないかという噂は消えなかった。
 

 新野左馬助は妹が井伊直盛に嫁いでいる。
 新野左馬助の妻は奥山朝利の妹・・・・
 新野左馬助の妻の姪は井伊直親に嫁いでいる。
  新野左馬助の娘は木俣守勝・庵原朝昌・三浦元貞に
 嫁ぐことになる。(★この3人も後、井伊家家老で箕輪城・
 高崎城に来ている。)
 
 新野左馬助は今川氏真は今川家臣であったが、井伊家に同情的な
 新野左馬之助よりも、今川家に忠実な小野但馬守政次の言葉を
 信じた。
小野但馬守政次の密告の真偽を問うために井伊直親を駿府へ呼び
 つけた。

・永禄5年(1562)12月14日 井伊直政の父:井伊直親は
 小野の讒言「井伊直親が松平元康(徳川家康)に内通している。」
  の申し開きのため、駿府に向かった。
  井伊直政の父:井伊直親ら19名は今川家臣:朝比奈泰朝に
  懸川(掛川)で殺された。
 
★井伊直親が今川家を見限って徳川家康と接触していた可能性が
 あるが、・・・・。
井伊直親の殺害は今川氏真は家臣:朝比奈泰朝に駿府へむかって
いる道中の井伊直親を討たせた可能性が高い。
しかし、今川氏真が井伊直親の弁明を待たずに討った理由は明らか
になっていない。
多数説では小野政次は井伊直親を裏切った訳はないかもしれないが、
結果的には、父:小野政直が井伊直満・直義におこなったのと同じこ
とをしたことになったとしているようであるが、・・・。
想像の域を出ない話であるが、もしかしたら小野政次が勢力を伸ば
そうとしていたさらに進言したのかもしれないと疑えば疑える。
今川氏真は父に比べ、家臣からの信頼が薄れているのは感じている。
それ故、疑心暗鬼になっていることでことであろう。小野政直・政次
も真田幸綱・昌幸のように知略家ならば、あり得る。今川氏真が小野
政次に踊らされたのかもしれない。

井伊家分家:家老:新野左馬助親矩が虎松の命乞いをした。
  井伊家分家:新野左馬助親矩に保護され、養母:次郎法師に
  育てられた。
  ※井伊直政は2歳のため、次郎法師と名乗り井伊家を継いだ
  説もある。

小野政次が井伊虎松の命を執拗につけ狙ったため、虎松は龍潭寺
から一時的に鳳来寺(井伊家家老:松井家)に身を移した。
 ★井伊家乗っ取りを狙う「小野政次の野望」って感じである。
小野但馬守によって井伊直親が謀反を疑いをかけられ殺害された
 後は中野直之と新野左馬之助とともに井伊谷を治めていった。

12月下旬 小野但馬守政次の奥山朝利殺害説
 奥山朝利は井伊直親の母方の父でもあり、小野政次の弟小野玄蕃
 朝直の父でもある。
 奥山朝利は死亡した。(永禄3年説もある。) 



・永禄5年(1562) 清洲同盟
松平元康(徳川家康)は今川氏真を見限り織田氏と同盟を結んだ
 伯父:水野信元の仲介もあって、織田信長と同盟を結んだ。

・永禄6年(1562) 松平元康は今川義元からの偏諱である「元」の
  字を返上して元康から家康と名を改めた。

・永禄6年(1563)▲ 天野左衛門尉:八城(社)山攻め
井伊直平が途中の有玉旗屋で急死した。享年75。
★唯一生き残っていた井伊家の男だった。長老が無理した。
 ★小野玄蕃の妻は奥山朝利の娘。つまり、井伊直親の妻の妹であった。
  妻同士が姉妹だったのである。
★小野の子孫は浜松市尾野に残った。

  筆頭家老の兄:小野政次は井伊谷に残っていて無事であった。


・永禄7年(1564) 三河一向一揆
松平家康は一揆を鎮圧した。
 東三河の戸田氏や西郷氏といった土豪を抱き込みながら、軍勢を
 東進していった。


・永禄7年(1564))9月15日 ▲曳馬城攻め 
 今川氏真の命により、新野兄の親道・重臣:新野左馬助親矩と
 井伊一族で井伊谷城城代:中野越後守直由が出陣した。
井伊家では直系で戦を率いる男がいなくなり、中野直由と新野左
 馬助が井伊家の軍を率いて出陣したのだった。
 中野直由と新野左馬助は兵の数が少なかった。
 今川に援軍を求めると2000の兵が派遣されてきた。
 飯尾氏の守る引馬城を攻めた。
 最初は敵兵数百を討ち取ったという。
 しかし、引間城の東の天馬橋で中野直由と新野左馬助は 
 討ち死にしてしまった。
 ★中野直由・井伊家の血筋で本家を支える者が討ち死にした。
 
*「井伊家伝記」では家老飯尾豊前守夫妻から毒茶を盛られたとするが、
 飯尾氏は引馬城主で井伊直平の家老ではないので、信頼性に欠ける。

「新野左馬助、中野信濃守討死之後、次郎法師、地頭職御勤、
 祐椿尼公(直盛公内室也)、実母、御揃、直政公御養育申
 候得共、皆々女中斗故、但馬諸事取斗我儘斗致、何卒井伊谷
 押領可仕旨相巧申候」
(★『井伊家伝記』)
★意味・・・「新野左親矩と中野信濃守直由の討死の後、次郎
法師が地頭をお勤めになられ、祐椿尼(井伊直盛の妻)、井伊
直政の実母の3人が揃って直政公を養育したが、皆んな女性
であったので、小野但馬守道好が取り仕切って我が儘のし放
題であり、何とかして井伊谷領を巧みに横領しようと企んでいた
と言われています。」
@井伊宗家:次郎法師(井伊直虎)
A井伊家縁戚:新野親矩(今川重臣)の妹(娘説)で次郎法師の母
B井伊家庶流:奥山朝利の妹:虎松の実母

井伊宗家・新野家・奥山家の3人の女性が井伊虎松(直政)を守った。
つまり、3者の強力な連携があったので井伊虎松は生き延びた。
★南渓禅師(龍潭寺2世)がこの年に次郎法師を名乗らせたたのかも
しれない。

・永禄8年(1565) 龍潭寺2世:南渓禅師は次郎法師は還俗させ
 て、「女地頭」に立て、虎松の後見人とした。
  (★『遠江井伊氏物語』武藤全裕著)
 ★この時、「井伊直虎」と名を変えた説もある。
  小野政次は井伊直親が落とし入れて殺されていなければ、井伊
  直虎という女城主は誕生しなかった。

 井伊家や井伊一族には井伊家を率いる有力な男がいなくなってしま
 った。その結果、井伊直虎が井伊家を率いることになっていくので
 あった。

【4】4代目:中野直之(?〜?)
・永禄7年(1564))9月15日 ▲曳馬城攻め
中野直由が討ち死にした。
中野直由の子:直之が後を継いで、井伊家家老になった。


・永禄9年(1566) 松平家康は東三河・奥三河(三河国北部)を平定し、
 三河国を統一した。
 松平家康は、
 @西三河衆:旗頭石川家成(石川数正))
 C東三河衆:旗頭酒井忠次
 D旗本衆&旗本先手役
 の軍制改革を行った。

・永禄9年(1566) 松平家康は朝廷から従五位下三河守の叙任を
 受け、「徳川家康」に改姓した。
  ★源氏の新田系得川→徳川系図査証を公認させた。

・永禄11年(1568) 甲斐の武田信玄が今川氏真の駿河に侵攻した。
  今川氏真が小野正次(道好)は井伊虎松を殺害して井伊谷を掌
  握し、軍勢を率いて加勢するように命じられた。
・永禄11年(1568)11月9日 井伊直虎は関口氏経と連署で徳政令を出した。
 ★今川氏真の介入
 今川氏真は小野正次を使って井伊直虎を地頭職から解任させた。
 小野正次(道好)は井伊谷を井伊氏より横領した。
 井伊虎松や次郎法師、祐椿尼は井伊氏菩提寺の龍潭寺に避難した。
 12月 徳川家康は井伊谷に侵攻した。
  小野正次(道好)の横領に対し、近藤康用・鈴木重時・菅沼忠久の
  井伊谷三人衆を派遣し、井伊谷を奪還させた。
  小野正次(道好)は敗北して井伊谷から「龍ヶ淵」逃亡したが
   近藤康用に捕えられた。

・永禄12年(1569) 堀川城の攻撃
4月7日 小野正次(道好)は仕置きで、井伊谷「蟹淵」で
      処刑された。
 5月7日 小野正次(道好)の2人の男子も斬罪となった。
小野正次(道好)の弟:小野玄蕃の子:朝之が家督を継いだ。  

・永禄12年(1568)井伊直政実母は今川家臣:松下源太郎清景
  (浜松頭陀寺城)と再婚した。
 ★@松下清景の姉は松平元康(徳川家康)家老:松下之綱であった。
  井伊家が今川氏から独立した松平元康との関係を模索した。
と考えられる。
 
★A松下清景は井伊直政の養父となった。


・元亀3年(1572)
10月 武田信玄が遠江へ侵攻した。
12月 ▲三方原の戦い
    徳川家康は大敗。



・天正3年(1575) 2月井伊直虎に付き添われて井伊直政(15歳)は浜松
  の徳川家康に出仕した。
 ★実際は井伊直政の実母→養父:松下清景→従兄弟で義兄:松下之綱
  →松平元康(徳川家康)のラインであったであろう。
虎松(井伊直政)と 小野玄蕃の息子:亥之助(小野朝之)が徳川家康
 に会った。徳川家康から
 @井伊虎松は「万千代」の名前を貰った。
 A小野朝之は「万福」の名前を貰った。
井伊直政と小野朝之は従兄弟であった。
 2人の母は奥山朝利の娘で、姉妹であった。
 
 小野朝之は井伊直政とともに数々の戦に出た。

 同時に、松下清景は養子の井伊直政が当主となったので、中野
 直由の次男:一定を養子に迎えた。
 
 
※天正10年(1582) 8月26日(9月12日)養母:井伊直虎が死んだ。
(★『遠江井伊氏物語』:龍潭寺前住職:武藤全裕著)

◆井伊直虎の墓 (井伊谷龍潭寺)



◆中野初代:直房・2代直村・3代:直由・〜代直之の墓
 (井伊谷龍潭寺)

・天正18年(1590)井伊直政が箕輪城主になった。



【5】5代目・中野三孝(?〜?)
中野直之の子。
長男:中野三孝・・・井伊家家老。
後、元和元年(1515)中野三孝は彦根藩の井伊直孝家老1500石。
次男:松下一定・・・・
後、元和元年(1515)松下一定は安中藩の井伊直継第1家老。

【6】6代目:中野三宜 (?〜?)


【7】7代目・中野清三 (?〜?)



◆主な参考資料等

●▲■井伊直政シリーズのブログ一覧

●井伊直政シリーズ平成21年〜***************

◆◆ 箕輪初心●箕輪城「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201010/article_40.html
http://53922401.at.webry.info/201011/article_25.html

◆◆ 箕輪初心●井の国千年物語前編 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_3.html

◆◆ 箕輪初心●井の国後編:「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_4.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の箕輪城時代の家臣団 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_15.html

◆◆ 箕輪初心●静岡:井伊直政の井伊谷城 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_5.html

箕輪初心■静岡【龍潭寺】=井伊家の菩提寺
http://53922401.at.webry.info/201212/article_6.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の造った町:高崎&彦根 ◆◆
高崎高校 VS 近江高校
http://53922401.at.webry.info/201203/article_28.html

◆◆ 箕輪初心●中村達夫氏の「井伊軍志」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_14.html

◆◆ 箕輪初心●小和田哲夫氏の「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_13.html

箕輪初心●群馬の城「和田城→高崎城」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201012/article_16.html
  (★高崎城の畝堀:発掘調査)

箕輪初心★箕輪城140【秋本太郎先生の箕輪城→高崎城+城下町】
http://53922401.at.webry.info/201410/article_9.html

箕輪初心▲箕輪城153【長野氏の箕輪の寺社→井伊直政の
高崎移転の寺社】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_15.html

箕輪初心★箕輪城103川野辺寛「高崎誌」&井伊直政
http://53922401.at.webry.info/201310/article_8.html

箕輪初心★西田美英【高崎素奈子】&川野辺寛【高崎志】
http://53922401.at.webry.info/201410/article_14.html

箕輪初心:生方▲【長野堰を語り継ぐ会の絵図展】&
【高崎城の桜】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_5.html

箕輪初心:生方★高崎城【井伊直政&高崎城&彦根城の縄張り
担当:早川幸豊】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_9.html

箕輪初心:生方▲箕輪城165箕郷龍門寺→高崎竜広寺
【井伊直政供養塔&井伊直弼娘:ワカの墓】
http://53922401.at.webry.info/201507/article_28.html

箕輪初心:生方▲箕輪城174・井伊直政18『箕輪城→高崎城」復刻版
http://53922401.at.webry.info/201510/article_9.html

箕輪初心▲東京【豪徳寺】&「吉良家→井伊家15代」
http://53922401.at.webry.info/201411/article_6.html

箕輪初心●滋賀の城「箕輪城&彦根城の類似性」
http://53922401.at.webry.info/201101/article_10.html

箕輪初心●滋賀bS−1「彦根城2回目」
http://53922401.at.webry.info/201012/article_37.html

箕輪初心:生方▲箕輪城202【真田丸に登場しない井伊直政」
&郭馬出出撃門
http://53922401.at.webry.info/201608/article_25.html

箕輪初心:生方▲2016【高崎の用水路開発&長野堰の歴史】大修正版
http://53922401.at.webry.info/201607/article_1.html

箕輪初心:生方▲201610624~0628世界かんがい遺産候補:長野堰展準備完了
http://53922401.at.webry.info/201606/article_27.html

箕輪初心:生方▲世界灌漑遺産候補【長野堰展2016】6月24日〜28日
at高崎シティギャラリー
http://53922401.at.webry.info/201606/article_25.html

箕輪初心:生方「箕輪城159&【中嶋宏氏主催の長野堰を語りつぐ会
の絵図展】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_4.html

箕輪初心:生方▲【長野堰を語り継ぐ会の絵図展】&【高崎城の桜】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_5.html

●高崎市の用水路シリーズ:井伊直政関連〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心◆「群馬:高崎の稲作と用水路@」
http://53922401.at.webry.info/201103/article_34.html

箕輪初心◆群馬:高崎市の稲作と用水路A「長野氏の開発@」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201104/article_5.html

箕輪初心◆群馬:高崎の用水路B「長野氏の用水路編A」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_6.html

箕輪初心◆群馬:高崎の稲作と用水路C「江戸時代」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_7.html

箕輪初心★江原源左衛門&滝川用水20131010
http://53922401.at.webry.info/201310/article_11.html

箕輪初心◆高崎の長野堰=西新波堰の歴史
http://53922401.at.webry.info/201310/article_12.html

箕輪初心●箕輪城シリーズK「長野・井伊時代の用水路開発」と現在
http://53922401.at.webry.info/201010/article_17.html

箕輪初心:生方★高崎城&長野堰【井伊直政&秋元長朝&新井喜左衛門】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_10.html
★秋元長朝はおそらく高崎城の内堀・用水路・遠構え
 建築に貢献したのだ。

箕輪初心◆長野堰B「染色のまち高崎に流れる長野堰:高崎広報」
http://53922401.at.webry.info/201410/article_13.html

箕輪初心:生方▲主に群馬・長野の【戦国〜江戸の用水新田開発】
http://53922401.at.webry.info/201605/article_34.html


●井伊直虎・直政シリーズ平成29年(2017)〜*************
箕輪初心・生方▲2016井伊直虎・井伊直政bP
『高崎学ソシアス講演会原稿』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_1.html

箕輪初心:生方▲箕輪城238『長純寺・石上寺・東向八幡・字輪寺
&信玄家臣:塚越伴七調査』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_2.html

箕輪初心:生方▲箕輪城239『長野業政・井伊直政』&長野堰3碑&
世界かんがい施設遺産『長野堰』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_3.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bR【井伊家初代:井伊共保】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_9.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bS【井伊氏系図8】&
『鎌倉時代の井伊氏 』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_10.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bT【南北朝時代の井伊氏と宗長親王】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_11.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bU『戦国時代の井伊氏』修正版
http://53922401.at.webry.info/201701/article_12.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bV【第1話『井伊谷の少女』
&「井伊谷・彦根城」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_13.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bW【井伊谷の散策2回】と
『NHKのTV「井伊谷」』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_14.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bX【井伊谷城2回目】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_15.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政10【井伊氏館跡・井伊直満の墓】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_16.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政11【龍潭寺の『直虎の墓・
直政公の墓・位牌』】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_17.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政12【浜松の宿下吉庵で「梅酒:直虎」を飲んだ】http://53922401.at.webry.info/201701/article_18.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政13【許嫁:井伊直親&松源寺:文叔&松岡城:松岡貞利】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_19.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政14【第2話:崖っぷちの姫】
&「井殿の塚」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_23.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政15【井伊直親の逃走〜2人の子ども
〜井伊谷帰国】資料編
http://53922401.at.webry.info/201701/article_26.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政17『次郎法師&直政の書籍の所持数36』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_27.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政18「柴咲コウ・菅田将暉」と「群馬の新聞」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_28.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政19『広報はままつ2016年4月号特集
「井伊直虎」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_29.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎:直政20【第3話『おとわ危機一髪』】
&「臨済寺」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_31.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政21【歴史秘話ヒストリア「おんな城主
:井伊直虎」】http://53922401.at.webry.info/201701/article_32.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政22【井伊直虎って誰?&
「井伊家傳記」の信憑性諸説】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_33.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政23【井伊谷・歴史本・
小説・ゲームの中の井伊直虎】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_34.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政24『井伊直虎の家臣:井伊谷七人衆』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_35.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政25『小野妹子→小野和泉守政直(道高)』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_36.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政26『小野政次・小野朝之』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_37.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政:27第4話『女にこそあれ次郎法師』
&「龍潭寺」
http://53922401.at.webry.info/201702/article_1.html


★明日は「松下清景」&頭陀寺城かな?

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箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政28『井伊一族:中野家』  城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
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