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zoom RSS 箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政42【第8話「赤ちゃんはまだか」】

<<   作成日時 : 2017/02/28 11:56   >>

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@起・・・井伊直親と奥山しのは夫婦になって4年・・・、しのは
未だ懐妊の兆しがないことに苦悩していた。次郎法師は瀬名からの
手紙で近隣諸国の情勢を知っていた。
A承・・・廻りの者も「赤ちゃんはまだか」と心配する。★戦国〜
江戸時代、子宝、特に男の子の跡継ぎがなかなかできない女性は里
に帰されてもしたかなかったし、側室に生ませた男子に跡を継がせ
ることがよくあった。「しの」は苛立ち、逆恨み・八つ当たりをする。
B転・・・次郎法師は昊天に子作り妙薬の話を聞き、小野政次に子
を授かるための精力絶倫薬を駿府で買い求めてくるよう依頼した。
C結・・・駿府では、今川義元が家督を息子:今川氏真に譲り、
井伊直盛の井伊谷→松平元康の三河を通って、尾張の織田信長攻
めに向けて準備を進めていた。井伊直親は「初陣を飾りたい、」と
直盛に参陣を申し出るが、・・・・。
★女性の描くホームドラマからか?「次郎法師」・「瀬名」・「しの」
とキツい女性が登場している。政略結婚は当たり前であるが、「し
の」・「瀬名」の気持ちは無視され。かわいそう言えば、おやげねえ。
大河での「しの」の性格は井伊直親の嫁いで以降、次郎法師に嫉妬
を抱き、憎悪と敵意に満ちた危険人物として描かれている。「次郎」
の「しの」 も「瀬名」も井伊家の不運・不幸に振り回された人物
で、後、「しの」は「次郎」と「奥山朝利の妹」とともに井伊虎松
(井伊直政)を必死で守った重要な人物であった。
画像


【1】史実編

★史実では、井伊直親は12歳〜15歳の間に既に、井伊直政の
兄や娘の親になっている。
●井伊直親の伊那での息子
@『亀之丞と飯田井伊氏』:木村昌之著
 「亀之丞は島田村の代官:塩沢氏の女との間に一子:吉直を設け、
 帰国の際、一振りの短刀を託した。吉直はこの地に留まって、
 塩沢家で養育されたが、・・・数代後、飯田城下に出て、麹屋を
 創業した。旧井伊氏を名乗り、吉右衛門を世襲し、島田屋を屋号と
した。家紋が「丸○に橘」である。」
(『亀之丞と飯田井伊氏』:木村昌之著)

A「剣と紅」戦国の女領主・井伊直虎〜高殿円著 文春文庫
直親が信濃に逃げていた時にに、出会ったきぬも魅力的に表現され
ている。直親ときぬの間に息子ができた。

B「井伊直虎〜その謎と魅力」石田雅彦著
井伊直親の失踪
井伊直満の一子、直親は龍潭寺開山以来縁を結ぶ松岡家の庇護を受
け、長野県下伊那郡高森町の松源寺での10年にも及ぶ隠棲を余儀
無くされ、隠棲先の島田村の代官塩沢氏の娘との間に井伊直政の兄
や姉に当たる一男一女を儲けている。

C「この一冊でよくわかる おんな城主井伊直虎」楠戸義昭著P121
「亀之丞は島田村(現飯田市松尾)の代官:塩沢氏の娘との
 間に一子:吉直をもうけ、帰国時に一振りの短刀を託した。
 吉直はこの地に留まり、母の実家:塩沢家で養育された。
 数代後、飯田城下大横町に出て、麹屋を創業した。
  (推定、延享3年)・・・そこで、旧井伊姓を名乗り、
 吉右衛門を襲名、代々、島田屋を屋号として飯田藩御用達と
 して栄えた。明治初年に、当主井伊誠一郎氏は蘭医学を志し、
 麹屋を別家に委ねて今尚存続している。」
(『三遠南通信交流誌「Ami』別冊・・・)
楠戸義昭では「井伊直虎は20歳位になっていて、行かず後家
 状態であった。
 「私の許嫁は私を裏切った。でも、私は操を通す。」
 井伊直盛&妻:新野親矩の妹は井伊直親と娘の結婚を望んでいた。
姫(井伊直虎)は意地となって出家したと考えられる。
 井伊直平の弟として養子に入った南渓和尚は尼名ではなく、
 僧名「次郎法師」を考え、還俗の道を残した。
・天文24年・弘治元年?(1555)2月に井伊直親は帰国することが
 できた。
渋川村の東光院に逗留した。
 亀之丞は女の子を伴っていた。乳母に抱かれた娘は数え3〜4歳
 であろうか?井伊直盛の養子身分の井伊直親が生まれたばかりの
 息子・正妻でない妻を連れてくるわけにはいかなかった。
寺野神社に「青葉の笛」を奉納した。
 10年前に命を狙った右近次郎を探しだし、打ち首にした。
 3月3日 井伊谷に帰還した。
 井伊直盛は仕方ないと思っていたであろう。
 次郎法師は「還俗しない。」と言ったのであろう。
 井伊直親は井伊谷の龍たん寺の末寺:円通寺を借宿にしたので
 あろう。
 井伊直盛は「直親」の名を与え、養子とした。
 井伊直盛は奥山朝利の娘と結婚させた。
 井伊直虎のいる井伊館・龍たん寺にいられないので、祝田(ほうだ)
村に屋敷を構えさせた。
 井伊館から2、5km程の所である。正確な場所は不明である。

******************************** 
箕輪初心「★ちなみに、井伊直政の姉:高瀬姫は、旧山県昌景家臣
 :川手主水良則の正室となった。
川手主水は箕輪城に来た。高崎城の築城に貢献した。関ヶ原の戦い
では井伊直政の居城:高崎城を守った。彦根藩の家老となっている。
川手良則の死後、「春光院」として尼になった。
墓は彦根長純寺にある。
(★4〜5年前に寺が復興された。大雲寺の和尚様が中興開山した。
  箕輪長純寺の長野信道和尚様も供養に参加された。)
★井伊直親の結婚は、井伊直親の失踪を悲しんだ許嫁:井伊直虎が出
家をしたと言う知らせを聞いたからということのようであるが、史料
は違うようである。

******************************

・弘治元年(1555) 亀之丞は松源寺を離れ、井伊谷に戻り、
  15代(23代)井伊直盛の養子となり、井伊直親と名乗った。
  次郎法師の養子となった。「井伊直親」と名乗った。

●『井伊家遠州渋川村古跡事』 
「・天文二十三年((1554)寅年、小野和泉守病死。これにより
 直盛から信濃に使いをやろ、亀之丞は今村藤七郎同伴で、弘治
 元年二月に帰国することができた。その時、当寺(東光院)に
 滞在し、三月三日に寺を出て、井伊谷に到着した。しぐに、直盛
 の養子になることが決まり、井伊肥後守直親を名乗り、奥山因幡
 守朝利の娘(★本当は妹)と縁組みし、祝田(ほうだ)村に居住
 することになった。
★これだけを信じるわけにはいかない。
 武田晴信の伊那侵攻との関わりを考えるべきだと思っている。

●結論・・・
・『井伊家遠州渋川村古跡事』の天文14年(1545) 1月4日〜
 天文24年・弘治元年?(1555)2月に帰国することができた。
 前松岡城主:松岡貞正の実弟:文叔と松岡城主:松岡貞利が亀之丞
 (井伊直親)を12年間、庇護した。
(★『井伊家伝記』)
 と思っていたが、10年と1ヶ月のようでである。
@文叔の弟:正英和尚が松岡城主:松岡貞利が庇護した。
A今村藤七郎が10年間、養育した。

・天文23年(1554)小野和泉守が没した。
   龍泰寺(現龍潭寺)に埋葬した。
龍谷山正泉寺が開創された。開山は慧湛和尚である。
   跡は子:小野但馬守政次(道好)が継いだ。
  ※TV鶴丸:小野但馬守政次も井伊家筆頭家老になっている。
  ※江戸時代の資料「寛政重修諸家譜」では小野道好となっている。
   当時の資料では「但馬守」とだけ書かれている。

・天文23年(1554)武田晴信の伊那に侵攻した。
  松岡貞利は武田晴信の軍門に降った。
  松岡貞利は山県昌景の配下で50騎の軍役を課されていた。
  (★『甲陽軍鑑』)

 井伊家は小野政直の死によって井伊直盛は信濃国に逃れていた
 亀之丞(直親)を呼び戻すこととした。


・弘治元年(1555) 亀之丞は松源寺を離れ、井伊谷に戻り、
 15代(23代)井伊直盛の養子となり、井伊直親と名乗った。
  次郎法師の養子となった。
 井伊直親は家臣:奥山朝年の娘と結婚した。
 史実では「奥山ひよ」である。

★ 井伊直親の世話は今村籐七郎のほかに、最新情報を分かっている
 松下清景が担当した。

 井伊直親が今川義元に復帰した。
 井伊直盛は今川義元の許しを得て井伊直親を改めて嗣子として
 迎え入れた。

・弘治2年(1556)南渓禅師(龍潭寺2世)に相談し次郎法師
  を名乗った説もある。

・弘治元年(1555)
 「ひよ」=「TVしの」は信濃から戻ってきた井伊直親の妻となった。
 単純に、井伊直親には元許嫁の次郎法師(直虎)がいた。
 普通の女なら、「しの」は嫉妬心でいっぱいになり、次郎法師
 のことが気になって・・・。
 次郎法師との関係も敵対関係になっているはずである。
 それでいて、井伊直親の妻となった「ひよ」=「TVしの」には、
 井伊家の跡取りを望む声が聞かれるのが当然である。
 しかし、2人にはなかなか子供ができない。
1年・2年・・・・5年
  井伊直親と結婚したものの、夫の井伊直親は
 @井伊家のことで頭がいっぱいなのか?
 A出張で子作りの暇がなかったのか
 B井伊直親の根性が足りないのか
 C娘に原因があったのか?
・・・分からんが・・・
 奥山朝利の娘は井伊直親と結婚したもののなかなか子供に恵まれ
 なかった。
 奥山朝利の娘が子種を宿すまでに5〜6年間もかかった。
 ★奥山朝利の娘「ひよ」=「TVしの」は跡継ぎを望む周囲の
  プレッシャーと夫:井伊直親にかまってもらえない不満・子の
  できない悲しみから次郎法師にも八つ当たりしてしまうのは当
  然あろう。
「ひよ」=「TVしの」からすれば、次郎法師に気兼ねしている
 「井伊直親」より、女の「次郎法師」を恨むだろう。
韓国ドラマ「華政」などはもっと深刻で、朝鮮王朝の跡継ぎ争
いも足利の内紛・今川家の内紛・井伊家の内紛の支配体系と全
く同じである。


●永禄3年(1560) 
  南渓和尚に「世継千手観音立像」を作ってもらい、祈願した。
 法力か?偶然か? 男の子が生まれた。
 男の子は”虎松”と名づけられた。

・永禄3年(1560)  今川氏真が龍潭寺棟別諸役一切免除の朱印状
  を出した。

・永禄3年(1560) ▲桶狭間の戦い
   織田信長 VS 今川義元
  3月19日 (次郎法師父:)井伊直盛ら16人が今川側で戦死した。
  井伊直盛が桶狭間で討死のとき、「遺領は中野越後守に預ける」
  と遺言した。
 従って、井伊谷は中野中野越後守直由・(次郎法師)が預かった。
   (★『井伊家伝記』・『井伊直虎物語』浜松歴女隊編)

 ★徳川家康・関口氏経は大高城にいた。
箕輪初心★【織田信長@尾張の大うつけ→尾張統一】
http://53922401.at.webry.info/201206/article_1.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201206/article_1.html

箕輪初心★『織田信長A桶狭間前哨戦=家康の信長攻撃』
http://53922401.at.webry.info/201206/article_2.html

箕輪初心★【織田信長B桶狭間〜清洲同盟】
http://53922401.at.webry.info/201206/article_3.html

・永禄4年(1561)2月19日 井伊直親の長男:井伊虎松
  (直政)が祝田生まれた。


*************************
【2】『第8話「赤ちゃんはまだか」』のあらすじ
・永禄2年(1559)の話

◆ナレーター
「・・・井伊直親と「しの」が夫婦になって4年。・・・
 しのは未だに子に恵まれず、辛い思いをしていた」
子作り作戦@・・・薬草を片っ端から飲む。

●龍たん寺
子作り作戦A・・・龍潭寺で南渓禅師の祈祷を受けた。

瀬名からの手紙・・・★男の字に見えたが、・・・上手である。
「次郎法師様・・・瀬名の懐妊の話・・・」
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◆駿府回想・・・瀬名編


義元「白妙の 真砂における 初雪の・・・」
 連歌の会・・・★笑点の司会者:春風亭昇太さんがしゃべった。
松平元康も参加している。
寿桂尼「ゆず高き ・・・」

三河のぼんやりと結婚して2年、竹千代を授かり、・・・さらに
 2人目が・・・身ごもることはあな、」
瀬名は、祝言をあげてすぐにこどもを身ごもり、長男が生まれた後に
すぐにまたお腹に子がいる。辛いやら、嬉しいやら・・という手紙で
あった。
次郎法師は奮闘ぶりに笑う。
次郎法師は怪しい視線を感じた。
次郎は振り返ってみるとそこには、しのが・・・・
しのは、龍潭寺に法力による子宝祈願をしたばかりであった。

●龍たん寺
「しの」が笑っている次郎をみて、プッツン・・・
しの「今、わたしこと、お笑いになりましたか?」
「いえ」と答える。
しのは足早にさっていった。
★いやな女になっている。
次郎「しの殿はとうなさったのか?」
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〜〜〜ミュージックスタート〜〜〜〜〜〜字幕〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



●龍たん寺
南渓「子ができぬことを気に病んでいるようでのう。・・・
   はや、4年、・・・」
しのに法力の効果が現れない。
「お主を還俗させると言ってくるやもしれぬ。」
「冗談はおやめください。」
「今川が滅ぶかもしれん。」
「今川は2つの城を落とし、・・・織田は内紛の最中・・・」
「よくしっとるのう。」
「瀬名様の便りに時々書いてあります。」
「そういえば、松平元康様はどのようなお方なのか?
 雪斎様が利口な男と褒めておったぞ。」


◆駿府回想編
三河のぼんやり:松平元康様は何を考えているか分からず、
1人で延々と碁を打たれ、・・・
己が己に負けて癇癪を起こしたりするそうです。」
「面白い男ではないか。」

史実では「庵原一族の太源雪斎が城を奪い取った。」
 新野左馬助は奥山朝利の妹との間の次女を嫁がせている。
 娘A→庵原助右衛門朝昌の妻
 庵原家には今川義元に仕えた名軍師の太原雪斎もいた。
・永禄12年(1569)5月、今川氏滅亡に前後して庵原一族は
 離散した。庵原朝昌は武田勝頼に仕えた。
・天正18年(1590) 庵原朝昌は徳川家康命令で井伊直政に仕えた。
 箕輪城にも来た。
 庵原朝昌は井伊直政の第2家老になる。
 彦根藩家老bQの4500石→5000石。   

「昊天さんに・・・」



●祝田(ほうだ)井伊直親館
★井伊直盛館から2、5km


子作り作戦B・・・ドジョウ攻撃
井伊直親の膳
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1)ご飯・・・少し黄色っぽい。ビタミンB1付き。
2)ドジョウ・ワカメも味噌汁・・★ワカメ?コンブ?あるわけない。
江戸時代、コンブは北海道の日高の北かいき船で運ばれた。
  井伊直政も戦場で味噌と言って、馬鹿にされたという。
  味噌汁の中には、ドジョウが入っている。

3)巨大砂ドジョウの開き・・・大きすぎる
4)ドジョウの甘露煮・・★砂糖・みりんの貴重品はないはず。
5)京大根の漬け物・・・★オレンジ色の大根はこの時はなかった。
6)アブラナのおひたし・★これはある。
 ★この時代考証はかなりいい加減であると思われる。
「また、ドジョウか・・これでは井伊谷からドジョウがいなく
 なってしまうのう。」
と冗談を言う。
しのは拳を握って・・・・
「わたくしとて、毎夜ドジョウなど食べさせたくはあるません。
 子作りにはこれがいいと」
「すまなかった。」
「子ができないことを望んでいるのでしょう。」
「そんなことはないと言っておるだろう。・・・」
「このまま子はできなければ、私はお払い箱で、大手を振って、・・・
 別のお方と一緒になれますね。」
と皮肉たっぷりに次郎法師のことを遠回しに言う。
しの 激怒〜〜〜〜★キツい女

「できるとすれば、縁のゆかりもない若い女子じゃ。」
と井伊直虎は次郎法師を想定して切り返す。
「若い女子????」
直親がさらに「火に油」を注いてしまった。
しのは泣き出した。
直親は困り果てた。
慌てて、ドジョウに食いつく。
直親はもうやけくそになってドジョウをほおばるしかなかった。
「ドジョウは旨いぞ。」
※しのの心はますます不安定になっていった。
 ピリピリの激辛ムードになった。


●龍たん寺
次郎は良薬がないか昊天に聞いてみた。
すると、昊天は
「川芎(せんきゅう)、当帰(とうき)、淫羊藿(いんようかく)・・・
 既に使っているでしょうね。」
「ほかに何かあるか?」
「麝香(じゃこう・ジャコウ)がありますが、・・・
 井伊谷では手に入りません。」
「駿府なら、手にはいるかのう?」
「相当、値が張りますぞ。」
と昊天が言った。

一介の僧に金銭の余裕はない・・・。
次郎は全財産である「鼓」を抱え、小野の屋敷を訪れた。

●小野館
次郎は麝香(じゃこう)を手に入れようと、小野政次に箱を指し出した。
「鼓を売って麝香(じゃこう)を手に入れたいのじゃ。」
次郎は麝香(じゃこう)の話をした。
小野政次は、憮然とした顔で言った。
「何故、俺が鼓を売って麝香とやらを買うてこねばならぬの
 でしょうか。」
「和尚様は当分お出かけにならぬと言うし、新野の伯父上に頼めば、
 父上や母上に伝わろう。さすれば、いろいろ面倒な事に・・・」
本当に売ってしまって良いのですか?」
と聞いた。

◆鼓の回想
鼓は、井伊直親の父:井伊直満が亡くなる前に買ってくれたものだ。


次郎は一瞬の迷った。
が、明るく笑って。
「そもそも墨染めの身で、かようなものを持っておるのもおかしい
 のじゃ。本来、無一文だしの・・・・」

「いっそ、御自分で飲まれたら、如何かな・・・
 直親様のお子を授かるのではないか?」
政次がからかい半分?嫌みで言う。
★次郎をとりっぱぐれたし・・・こいつ、まだ直親に・・・
★何とおっしゃる兎さん・・・・
『薬は女のジャコウ=男の「バイヤグラ」みたいな物を使ってみれば
 あ?』だって
しかし、直親の子をはらめば、問答無用で奥方の座につけるのだ。
 そして、しのが敵意に満ちた目を次郎に向けている理由がわかった。
 そうなのか・・・・・。
 結構、次郎は鈍いのだ。

「はあ?」
「さようなざれ言がしの殿に我を睨ませるのではないか。いい迷惑
なのじゃ。」
「次郎様のお帰りじゃ?」
と箱を持つ。

なつ(直親の妻しのの妹)は小野政次の弟:玄蕃との間に子を
もうけていた。
「おう、驚かせてしまったか?」
「泣く子は育つといいます。」
小野政次の弟:玄蕃が登場する。

「子宝に恵まれる秘訣はなんなのであろうかのう」
玄蕃「愛です。」
とでんでん太鼓を持って・・・
しのの妹:なつ「子は授かりものですから、・・・
と子宝に恵まれる秘訣を聞いた。
「姉の所も早く・・・」
しのは神経質の直情型・・・
なつはおおらかな性格・・・・

次郎「授かりものかあ?」
とため息をついた。

◆ナレーター
「その頃、今川義元は家督を嫡男の氏真に譲り、自身は新たな領土と
した遠江・三河の経営に集中し、更に尾張への侵攻に力を注いでいた。」

●駿河今川館
氏真「あのお方のよく働くものよ。朝廷より三河守の称号を得ようと
 やっきになっている。の元康。」
松平元康が自分之領土なのにと複雑な気持ちで・・
新野「元康殿は三河の御出身では・・・」
「ええ。でも駿河の方が長くなってしまいました。」
「元康は戦上手でのう、父上に気に入られておる。」
「まだまだです。朝比奈様の足下まで及びません。」
と後ずさりしてしまう。

烏帽子をかぶった新野佐馬助と小野政次が命令を受けていた。
今川家臣:関口氏経「井伊は、槍を200本納める様お達しがあった。」
「春までにとの仰せじゃ・・・」
尾張侵略戦には大量の武具が必要となる。
★新野&関口は今川一族である。


●井伊館
「もう、4年になります。側女をおこうかと・・・」
「なれと、しの殿が・・・」

「武家の女子であれが、受け入れねばならぬこと。・・・」

小野は千賀に扇子を持ってきた。
小野は次郎に麝香「ジャコウ」を・・・
「今、渡さなくても・・・」


「母上から渡してください。」
「自分で渡しなさい。」

軍議が始まった。

「いよいよ、・・・」
新野左馬助と井伊直盛が今川と織田の戦いについて、話していた。
小野と直親が見守る。
直親は2人の話に身を乗り出して聞いていた。
直親「はずかしながら、初陣です。・・・・・」
ようやく井伊家の一員に加わることが出来ると思っていた。
「武勇を立てたいところで・・」
直盛は直親に
「留守居をしてもらいたいのじゃあ。」
と言った。
何ゆえにございますか。」
「お主は、大事な跡取りじゃ。戦にて、もしもの事があってはのう。」
「負けようがない戦さにございましょう。」
と言った。
「しかし、戦さは戦さ。何が起こるかは分からない。」

その時、小野政次が横から口を挟んだ。
「跡継ぎがおらぬ状態で戦に出すわけにはいかぬということです。
 直親様にもしものことがあれば、井伊の家中は、また混乱しま
 すので。』
直親は出陣を言い張る訳にもいかず・・・・、
直親はしかたなく
「承知致しました。」
と答えた。

●祝田の井伊直親館
次郎は政次が求めてきてくれた麝香を祝田屋敷まで届けた。
「子を授かりやすくなる薬でな。試されてみてはいかがかと。」
次郎はしのに薬を差し出した。
「お持ち帰りください。」
「よく効く薬じゃと」
「持ち帰りください。」
と次郎に背を向ける。
「今、飲んでいる薬もありましすし・・・」
「飲み合わせを見て進ぜよう。」
しのは泣く。・・・
「次郎様は、私が子を授からねば良いと思うてらっしゃる方では
 ないですか。さようなお方の薬など・・・・・。」
「」
と、しのは次郎を睨めつけた。
次郎「私が、4年間そなたと直親殿の邪魔をしたことが一度でもあるか。」
とあきれた。
「かように授からぬのは、子が出来ぬよう、すでに呪うておいで
ではないのですか!」
次郎は頭にきのこで言った。
「恥を知れ!」
「あまりにも情けないお言葉。」
「そなたは、それでも直親殿の、井伊の奥方様なのか!
 このことは、父上と母上に申しあげます。どうなることか?」
「それだけは・・・」
2人は掴みあいになった。
そこへ井伊直親が来た。
しのは直親に抱きつきながら・・・泣く。
「恐ろしいお方で・・・」
「次郎様、ご苦労であった。」
「えっ。」


●龍潭寺
その夜、直親が龍潭寺を訪ねて来た。
昼間の様子を家臣から聞かされたらしい。
「おとわ」
・・・・
「大事ないのか?」
・・・・
「すまなかったな」

「元々、涙もろいおなごではあったが、この頃は浮き沈みが
 激しゅうてな。」
と直盛はため息をついた。
「たいへんそうじゃのう。」
「側女を持とうかと思っている。井伊の皆様に申し明けないと
おもうておる。」
と次郎に話した。

次郎は疑問に思いながら・・・
「その通りなのであろうが・・・。でも今の、しの殿に受け入れられ
るかの。あの有様で・・・』
「お家のためじゃ。」
次郎は直親の態度や口ぶりに何か引っかかるものを感じた。


●井伊館
直盛「側女の件、やぶさかではないが、・・・」

翌日、直親が千賀・直盛に側女の件でやって来た。
千賀「・・・後家でもよろしいか?」
「年は・・・」
「気にしません。」
直親「・・できれば、・・・落ちついた女子を・・・」
直盛「しのは大丈夫かの?」
千賀「4年も待ったのですから、よろしいでしょう。」

◆ナレーター
「かくして、直親の側女捜しと戦支度が同時に進められたので
 あった。」

●井伊館
今村藤七郎が槍を振り回しながら、・・・
戦準備をしている。
直親はその姿に感動する。

次郎は千賀から「側女が見つかった。」

●奥山館
朝利「 なんとか、聞き分けてくれ。」
としのを諭す。
「そのお方は?」
「奥山の遠縁のも者じゃ。・・・若くして夫に死なれ、
 出戻った。」
「何故、そのお方は選ばれたのですか?」
「子を2人も産んだそうじゃ。」

「正室はそなたじゃ。・・・」
「あの女のせいじゃ」

●龍たん寺
それから数日後、
「・・・妙薬なのじゃが、・・・」
直親の側近、今村藤七郎が龍たん寺に駈け込んで来た。
次郎の姿を見るなり言った。
「しの様がが姿を消しました。かような書き置きを残されまして
・・・・。
●手紙
『次郎殿、お恨み申し上げます。』
と文字で描かれていた。
しのの文だった。
「頭にきた。死ぬ前に・・・」

私を恨んで死ぬつもりか。と次郎は思った。
もしかすると、死に様を見せつけるつもりか・・・・・
そこに傑山がしのを見つけたと知らせに来た。

●井戸
しのが井戸の端にひざまずき、首筋に懐剣を当てている。
次郎はしのの手首を強く掴んだ。懐剣が弾け飛んだ。
「いい加減になされよ!私はそなたに、ここまで恨まれる様なこと
は何もしておらぬ!」
「私が、おとわ様じゃったらと誰もが思うておる。口には出さねど、
殿もお方様も皆も、直親様も・・・・・・
と、震えながら言った。
次郎は、この怒りを利用してなんとかしなくては・・・と思い、
「分かった。そこまで言うならご自害なされよ。」
と言った。
「え?・・・」
「正室が亡くなり、他にふさわしい者がおらねば、私の還俗も認めて
 いただけるかもしれぬしの。そなたの後釜に座るゆえ。

しのはカッとなり、懐剣をつかんだ。
傑山がしのを羽交い締めにした。


「決して、そなたを還俗などさせませぬっ!」
しのは、泣きわめく。

直親が姿を見せた。
「籐七郎から聞いた。」
直親はしのをため息混じりに見やった。

「ため息をつくな!」
「何故、いつもさように他人事なのじゃ。子は2人で作るものじゃろ。
 何故、もっと共に悲しんでやらぬのだ。悩んでやらぬのじゃ。
 何故、しの殿は1人なのじゃあ。』

次郎が麝香の包みを直親に投げつけた。
「そなたの女房なのだから、そなたがなんとかせよ!」
次郎は立ち去った。

直親はしのを見つめる。
傑山がいる。

●井伊館
次郎「あの女は私を刺し殺そうとしました。側女は子を産めば、
    刺し殺すでしょう。でも、子が授かれば、我が子を守り、
   強い母親になるでしょう。夜分、ご無礼を申しました。」
と実父・実母に伝えた。
怒ったままで・・・・
千賀はびっくり、・・・
直盛は千賀を見てびっくり、・・・

直親「側女の件、あと1年、まっていただけませんか?」
しのも頭を下げる。
「子ができなければ、里に帰ることも考えています。」
直盛が承知した。
「一つお願いがあります。2度と私の娘を襲わないで、いただきたい。」
「あれは次郎様が、・・・ハイ。」
画像

●龍たん寺
永禄2年、年の瀬、・・・
南渓は直親の依頼により、「世継ぎ観音」を刻んでいた。

「・・・あの運慶・会計」

◆ナレーター
「明けて、永禄3年(1560)龍潭寺では子宝祈願が行われた。」

●井戸
「直親としのには礼に来させるからな。」

「おとわ、いつか、いつかもし、・・・いや、
 いい天気じゃのう。」

◆ナレーター
「(永禄3年:1560) 5月、今川義元から尾張への出陣の命
 が下った。」

●小野館
玄蕃「・・・手柄をたてて・・・」
政次「頼んだ。」
小野玄蕃の妻「なつ」と小野玄蕃の息子:亥之助(小野朝之)が
見守る。



●井伊館
「今川のために働くは、快く思わぬ者もおるじゃろうが、そのよう
 な者は、山のごとき褒美をもぎ取る心づもりで向かってもらいたい。」

井伊直親・小野政次・井伊直平、新野左馬助、中野直由・今村藤七郎
らの家臣が留守を預かる。
「戻ってきたら、期待しているぞ。」
井伊直盛率いる井伊軍は井伊谷を後にした。

●駿府松平屋敷
元康「あまりですきないようにする。」
瀬名「そのような了見でどうなさいます」
とはっぱをかけられる。
長男「ご武運を」

●龍たん寺
次郎が祈る。

◆ナレーター
「尾張の織田勢、わずかに3千。
今川総勢、2万5千。
今川方の勝利を誰もが信じて疑わなかった戦いの幕は開けようと
していた。」


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【3】
1)美保の松原

2)清見寺
雪斎が再建した。
山科言継「・・ここからの眺めが最高、・・・」

3)富士浅間神社
「稚児米」


★明日は・・・

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