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zoom RSS 箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政36【菅沼忠久→菅沼忠道】&【菅沼定盈&菅沼定利】

<<   作成日時 : 2017/02/13 09:05   >>

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菅沼氏の出自については明らかではないが、三河国設楽郡賀茂郷
菅沼(現愛知県新城市作手菅沼)に拠った菅沼氏を土岐氏が美濃
国から進入し菅沼氏と称したのが始まりだという。「奥三河」に
は「山家三方衆」:亀山城の奥平氏(出自は上野国吉井)・田峯城
の田峯菅沼氏宗家・長篠城の長篠菅沼氏(→都田城主の都田菅沼
氏)や野田城主の野田菅沼氏など菅沼庶子家は奥三河にいた。
「井伊谷三人衆」の1人はキ田城主の菅沼忠久である。菅沼忠久
は井伊直虎・直政の井伊谷7人衆の1人として、井伊家を助けた。
天正10年(1582) 菅沼忠久が死去とした。菅沼忠道が跡を継いだ。
天正18年(1590)井伊直政に従って箕輪に来た。関ヶ原の戦いで
活躍したが、慶長8年(1603 )10 月 20 日菅沼忠道が亡くなった。


(★菅沼忠久・忠道の供養塔・・・浜松市北区引佐町龍潭寺)



【1】系譜
≪長篠菅沼氏支流都田菅沼氏系図≫(寛政重修庶家譜))
@菅沼満成→A元成→B俊弘→C元景→D忠久→E忠道→F勝利
→G勝次・・・・
画像

 (★戦国の城下:学研より)

@菅沼満成
・菅沼伊賀守資長の次男としてうまれた。
 荒尾の岩古屋城(現設楽町田口)→長篠(現鳳来町長篠)に
 移住した。

A菅沼元成
・永正5年(1508) 菅沼元成が長篠城(現鳳来町長篠)を築城した。
 菅沼元成と子孫・長篠菅沼氏が居城とした。
今川氏親に誼を通じた

B菅沼俊弘
長男:菅沼俊則
  次男:菅沼俊弘
3男:菅沼貞吉(妻は奥平貞俊の娘)
長篠菅沼家の庶子家:菅沼俊弘:元景父子が都田に住して、
 「都田菅沼氏」と称した。
 奥三河に所領を拡げる菅沼一族の中で唯一遠江引佐郡都田に地盤
 を持っていた。
 都田(静岡県浜松市北区都田町)は遠江国引佐郡京田郷にあった。
 伊勢神宮の京田御厨があり、京田神明宮(内宮と外宮)があった。
(★『倭名類聚鈔』)
 キ田は上都田と下都田が分かれていた。
 都田川の川畔に平時の「都田王城(居館)」、山頂に「都田城(詰
 め城)」があったという。

 井伊直盛・直親に仕えた。

C菅沼元景
 井伊肥後守直親の家臣になった。
 奥三河の菅沼氏との連携を大事にしていたようであるが、井伊谷に
 居を構える井伊氏の被官になったと考えられている。




【2】菅沼次郎右衛門忠久 ≪?〜天正10年(1582)≫
 忠久・忠道親子は、井伊直虎・直政に仕えた。
 
 菅沼忠久は都田菅沼氏3代目を継いだ。
宗主の通称は「次郎右衛門尉」である。
 正室は鈴木重時の長女。
  (★山吉田鈴木家系図)
●菅沼忠久の妻は、鈴木重時の娘(重好の姉)である。
  ★菅沼忠久と鈴木重好は義兄弟である。
●鈴木重好の正室は奥山朝利の娘。


菅沼忠道は長男。

・永禄11年(1568)
?月 井伊家筆頭家老:小野但馬が井伊領を横領した。
龍潭寺2世:南渓瑞聞は 井伊虎松(井伊直政)を
 鳳来寺に移住させた。

 11月 井伊直虎は関口氏経と連署で徳政令を出した。
  ★今川氏真が介入してきたことを意味する。
「井伊直虎は今川氏家臣関口親永一族:関口氏経の息子
 (次郎法師の母方の従兄弟)を井伊次郎と名乗らせて
 当主とした説もある。
 『鉾前神社古文書』に唯一「井伊直虎の名がある。」
 井伊直盛嫡子「井伊直親養子」、妹に「女子」とあるだけである。
 (★『おんな城主井伊直虎と井伊家の歴史』井伊達夫著)
★関口親永の妻は今川義元の妹婿説・井伊直親の叔母説がある。
 
 関口親永の娘は徳川  家康の正室:築山殿の父である。
 関口氏一族は後、木俣守勝側近となった。

・永禄11年(1568)11月 徳川家康が遠江の平定に着手

  徳川家康に加担する菅沼一族の野田菅沼定盈
  から今川家の離反の誘いを受けると、承諾した。
  菅沼忠久が鈴木重時や近藤康用も誘った。


 野田菅沼3代目当主の定盈の計らいによって菅沼忠久や鈴木重時と
 共に家康に属し、所領を安堵された。
 遠州切り取りの第一歩、刑部城の攻略の先鋒は旧今川義元配下だっ
 た野田城の菅沼新八郎定盈(さだみつ)に井伊谷3人衆であった。

 近藤康用は子:近藤秀用を従軍させていた。
 老齢である上、長年の戦働きによる負傷で歩行困難となっていた
 からである。
 
▲刑部城攻め
 今川氏真から離反させて徳川方に流れた「井伊谷三人衆」:菅沼忠久
 ・鈴木重時・近藤康用に野田菅沼定盈と大将として、攻撃させた。

・永禄12年(1569)
▲武田信玄の第一次駿河侵攻
 武田信玄は駿河侵攻にあたって、徳川家康と今川領分割の密約を
 結び、大井川を境にして東部を武田氏が、西部を徳川氏がそれぞ
 れ攻め取ることにしたのである。

12月6日、武田信玄は1万2000の軍勢を率いて駿河侵攻を開始
 した。
 今川氏真は重臣の庵原忠胤に1万5000の軍勢を預けて迎撃させた。
 武田軍が進軍を開始すると、今川軍は退却し始めた。
 北条氏康は武田信玄との同盟破棄した。

今川氏真は井伊家に対して出兵の命令が出した。

 12月? 井伊家筆頭家老:小野但馬が井伊領を横領した。
龍潭寺2世:南渓瑞聞は 井伊虎松(井伊直政)を
 鳳来寺(松井家)に移住させた。

12月11日 小野但馬守政次(道好)は今川軍の一員として武田信玄
 として出陣した。

12月12日 ▲薩埵峠の戦い
 今川氏真は武田軍を迎撃するため、興津の清見寺に出陣した。
 武田信玄は今川氏の有力家臣である瀬名信輝、朝比奈政貞、三浦義鏡、
 葛山氏元らを調略した。
 結果として21人の武将が武田信玄に内通して裏切ったのである。
 北条氏政は駿河に援軍に向かった。伊豆三島に対陣するに留まった。

12月13日 武田軍は駿府に入った。
 今川氏真は駿府城を捨てて遠江掛川城の朝比奈泰朝を頼って落ち延びた。
小野但馬守政次(道好)は井伊谷城に戻ってきた。

12月13日、徳川家康も三河から遠江に侵攻した。
菅沼忠久は徳川家康に加担する菅沼一族の野田菅沼定盈
 から今川家の離反の誘いを受けると、承諾した。
 菅沼忠久は鈴木重時や近藤康用(&秀用)も誘った。

12月15日  徳川家康の井伊谷侵攻。
 徳川家康に内通した井伊谷三人衆(菅沼忠久・鈴木重時・近藤康用)
の道案内で徳川軍が井伊谷に攻めた。
井伊谷3人衆(近藤・鈴木・菅沼)は井伊谷城を先導した。
 井伊谷城は井伊谷三人衆の攻撃にさらされた。
ところが、代官:小野但馬守政次(道好)は攻撃が始まる前に
井伊谷城を捨てて逃げた。

徳川家康は小野政次(道好)の専横に対し、
  近藤康用・鈴木重時・菅沼忠久の井伊谷三人衆を派遣し、井伊谷
  を奪還させた。
徳川家康は井伊谷城を攻略した。
井伊谷は3人衆の支配下に置かれた。
  井伊谷3人衆は小野但馬守の探索を徳川家康に願い出た。
  @小野但馬守は菅沼忠久の兵に見つかって捕えられた。 
  D近隣の淵の「龍ヶ淵」洞窟に潜伏していたが近藤秀用に
   捕えられた説もある。
 井伊谷から曳間(引間)城攻めに案内した。

井伊谷3人衆(近藤・鈴木・菅沼)は井伊谷から曳間(引間)城攻めに
案内した。

井伊谷城や白須賀城→曳間城(浜松城の前身)を落とした。

12月27日 徳川家康は掛川城を包囲した。

・永禄12年(1569)
 4月7日 小野政次(道好)は偽りの密告をした罪で処刑された。
 5月 堀川城攻撃
  小野政次(道好)は獄門を言い渡され井伊谷で処刑された説もある。
 5月17日 今川氏真は家臣の助命と引き換えに掛川城を開城した。
 6月 小野政次(道好)の息子2人も斬罪となった。
 ※元亀元年(1570)説もある。
 井伊谷蟹渕・・・小野但馬守が処刑された。
小野政次の野望はこうして潰えたのである。

画像

・永禄12年(1568)井伊直政実母は今川家臣:松下源太郎清景
 (浜松頭陀寺城)と再婚した。

 ★松下清景の姉は松平元康(徳川家康)家老:松下之綱であった。
  井伊家が今川氏から独立した松平元康との関係を模索した。
と考えられる。
 井伊直虎が徳川家康の将来性を見抜き、養子の虎松(井伊直政)を
 徳川家康に出仕させるために仕組んだ結婚であったかもしれない。

・天正3年(1575) 2月井伊直虎に付き添われて井伊直政(15歳)は浜松
  の徳川家康に出仕した。
 

・近藤康用は度々の合戦で活躍して戦功を上げたが、戦傷が原因
 で歩行することが出来なくなったため、最後は井伊谷に閑居した。


 ・元亀元年(1569) 徳川家康は本拠を岡崎城から引間城に移した。
岡崎城には長男:徳川信康を置いた。

・元亀3年(1572)▲三方ヶ原の戦い 
  武田家臣:山県昌景が井伊谷を攻撃した。
  井伊谷3人衆は開城した。
  徳川家康は大敗を喫した。
12月22日〜正月始めまで 武田軍25000が井伊谷に滞在した。


・元亀4年(1573) 4月12日 武田信玄が駒場で死んだ。 
井伊谷は再び徳川家康の支配下になった。

・天正元年(1573)
8月21日 山県昌景は三河長篠城(愛知県新城市)への後詰の指揮を
 命じられている
 武田軍が宇利城に攻め寄せて来た。
 近藤康用はと籠城して撃退した。

  近藤庸用は戦功によって徳川家康から康の諱を賜り、名を康用と
 改めた。

・天正元年(1573 ) 武田軍が井伊谷に侵攻し、神社・仏閣・民家
  を焼き払った。

・天正2年(1574)▲高天神城の戦い 
  小笠原長忠が降伏。高天神城は武田軍の支配下。

井伊虎松(直政)は鳳来寺から井伊谷に戻った。
井伊虎松(直政)は:松下源太郎清景の養子となり、
「松下虎松」を名乗った。
★松下源太郎清景の従兄弟で、姉の夫:松下加兵衛之綱は徳川家康の
 家臣として引間城の東に屋敷を構えていた。徳川家康の重臣であった。


・天正3年(1575) 松下源太郎清景・(井伊直虎)に付き添われて
  井伊直政(15歳)は浜松に徳川家康に出仕した。
 井伊万千代の名で旧知行地の井伊谷を賜った。
 井伊直虎は井伊直政の出世を見守った。
(★『遠江井伊氏物語』武藤全裕著には井伊直虎は出ていない。)
(★遠江井伊氏考察録●その7:武藤全裕著には井伊直虎が出ている。)


・天正10年(1582) 井伊直政は山県昌景家臣75名・土屋昌恒家臣70
  名などを配下とした。
 ★井伊直政軍の特攻隊・武田流軍法家隊・築城名人隊を傘下にした。

 ★山県昌景の家臣:75名(兵総数は×4〜6)中、広瀬・三科
  ・孕石・石原・・・後、井伊直政の家老で、早川が侍大将となる。
★井伊谷7人衆家:鈴木・菅沼・鈴木&奥山家も井伊直政の家老と
  なる。

※天正10年(1582) 8月26日(9月12日)
養母:井伊直虎が死んだ。

・天正10年(1582) 菅沼忠久が死去とした。
 井伊直政への貢献度は少なかったと考えらる。
 遺骸は遠州の龍潭寺に葬られたという。
場所が確認できていない。
 (★『井伊谷三人衆』丸山著)
 ★供養塔がある。
 子の菅沼忠道が次郎右衛門尉の通称ともども家督を継いだ。

菅沼忠久の弟:新右衛門定重の子:作左衛門重吉は、菅沼定盈の子
・菅沼定仍に仕えたという。


【3】菅沼次郎右衛門忠道 (道秀) 〜慶長8年(1603 )10 月20 日
(★寛政重脩諸家譜)
・天正10年(1582) 菅沼忠久が死去とした。
 菅沼忠道が跡を継いだ。
井伊直政の附騎となった。

・天正12年(1584) 小牧・長久手合戦
井伊直政に付けられた。

・天正18年(1590)井伊直政に従って、家老として箕輪に来た。


・慶長3年(1598)10月高崎城が完成した。
 井伊直政38歳であった。

・慶長5年(1600)9月15日 関ヶ原の戦い
  菅沼忠道も活躍した。

・慶長5年(1600)10月、佐和山城に移るまで高崎の町の発展の基礎
 と造った。


・慶長7年(1602) 井伊直政が死去した。、

・慶長8年(1603 )10 月 20 日 菅沼忠道が亡くなった。享年38。
墓・・・井伊谷龍たん寺


【4】菅沼次郎右衛門勝利 (宗六:宗梧) 〜1630 年 8 月 28 日
・慶長19年(1614) 大坂冬の陣に参戦した。
・元和元年(1615) 大坂夏の陣に参戦した。
・元和4年(1618) 相模、下総に200石となった。
 
・寛永7年(1630) 8 月 28 日 菅沼勝利が死去した。享年37。
江戸高田の宝祥寺に葬られた。
 以後、子孫は代々、宝祥寺寺に葬られた。



*****************************

【●】野田の菅沼定盈(さだみつ)
・天文11年(1542) 菅沼定盈は野田に生まれた。
  徳川家康と同年である。

・弘治2年(1556) 父:菅沼定村の討ち死にした。
  菅沼定盈が家督を継いだ。

・永禄3年(1560)5月 桶狭間の戦い
 今川義元が戦死した。

・永禄4年(1561) 菅沼定盈は従兄弟の西郷清員と共に三河国
  の松平元康(徳川家康)に帰属した。
  菅沼定盈は本領の富田郷など21の郷村を安堵された。
  野田城を中心として、豊川流域から渥美湾口にわたっている。
 
・永禄4年(1561) 7月 今川氏真軍に野田城を攻囲された。
  菅沼定盈は開城し降伏した。
  菅沼定盈は八名郡の従兄弟の西郷清員の許へ逃れた。

・永禄5年(1562) 6月 菅沼定盈は野田城を夜襲した。
  城代稲垣氏俊を討ち果たした。
  野田城の修築した。

・永禄11年(1568) 11月 徳川家康の遠江侵攻
 菅沼定盈は今川方の懐柔工作に携わり、遠江引佐郡井伊谷の
 同族:菅沼忠久の調略した。菅沼忠久が鈴木重好・近藤康用
 を誘った。
 近藤康用は歩行困難で子:近藤秀用を従軍させた。

12月 菅沼定盈と井伊谷3人衆は遠江侵攻に従軍した。
  菅沼定盈は井伊谷の南:刑部城攻略で功を挙げた。

 菅沼定盈は同族の菅沼忠久、鈴木重時を誘致した。
 菅沼定盈は戦功により遠江国の本領と新地数ヵ所で1500貫文
 を与えられた。

・元亀2年(1571) 武田信玄の侵攻
  東三河の国衆は武田信玄に臣従したが、菅沼定盈は武田信玄の
  大軍に抗戦した。

・天正18年(1590) 徳川家康の関東入封
 菅沼定盈は上野国阿保(埼玉県神川村)で1万石を領した。

・慶長年間初期 菅沼定盈は息子:定仍に家督を譲って隠居した。

・慶長5年(1600) 関ヶ原の戦い
菅沼定盈は江戸城留守居役を務めた。
  菅沼定仍は駿河興国寺城や駿府城・美濃加納城などの守備に
  功を挙げた。

・慶長6年(1601) 6月  菅沼定仍は1万石を加増されて2万石で
  滝川一益のいた伊勢長島藩に移封された。
  上野国阿保藩は廃藩となった。

・慶長9年(1604) 7月18日 菅沼定盈が死去した。

・慶長11年(1606) 長島藩の初代藩主:菅沼定仍が死去した。
  菅沼定盈の長男:定仍が死去したため、6男:定芳は家督
  を継いだ。長島藩の第2代藩主となる。

・慶長19年(1614) 大坂冬の陣
  菅沼定芳は武功を挙げた。

・元和7年(1621) 近江膳所藩に31000石で加増移封された。

・寛永11年(1634) 1万石加増の41000石で丹波亀山藩へ移封された。

・寛永20年(1643) 1月17日 菅沼定芳に死去した。享年57。
  家督は庶長子の定昭が継いだ。
 やがて、7000石の旗本にとどまった。


【●】田峯菅沼氏宗家:菅沼定利
・????年 菅沼宗家:田峯菅沼氏に生まれた。
  菅沼定吉の子説
  菅沼定吉の叔父:定直の子説

・元亀2年(1571) 菅沼定吉が武田信玄に臣従した。
 菅沼定利は田峯宗家から離反し、野田菅沼氏の菅沼定盈を
 頼って徳川家康に仕えた。

・天正3年(1575) 長篠の戦い
  菅沼定利は徳川家康の配下として戦った。
菅沼定直は武節城を奪われて信濃伊那に落ち延びた。
 
・天正10年(1582) 織田信長の甲府侵攻
  3月11日 武田氏が滅亡した。
  宗家菅沼定吉は織田軍の追討を受けて殺された。
  菅沼定利が田峯菅沼氏の後継に任じられた。
  菅沼定利の官途名「小大膳」を使用した。
  菅沼定吉がいた伊那郡は知久氏・保科氏・下条氏・木曽氏に
  分割された。下条頼安が徳川家康の取り次ぐ役になった。
  保科正直は飯田城→大島城→高遠城→信濃→実弟:内藤昌明の
  いる箕輪城(高崎市)に逃げた。
  知久氏・下条氏は羽柴秀吉への内通や内紛で没落した。
・天正12年(1584) 菅沼定利は徳川家康に命じられ、伊那郡の
  田峯菅沼氏の勢力を継承した。
  菅沼定利は知久氏の知久平城に入った後、下条氏の飯田城に移っ
  て徳川方に残った国衆を統率した。

・天正14年(1584) 徳川家康と上杉景勝がともに豊臣秀吉の傘下
  に入った。飯田城にいた菅沼定利と上杉景勝の家臣:海津城将:
  須田満親と交渉をした。

・天正18年(1590)吉井2万石に任ぜられた。
井伊直政は箕輪12万石(秀吉命令)・・高崎・旧群馬郡部、
 安中、渋川金井など
  伊那の菅沼定利が吉井。
  諏訪の諏訪頼忠が惣社。
  佐久の依田康勝は藤岡。
  信濃勢は上野国に移封された。
  徳川氏の信濃方面に対する備えとしての役割を担っていた。
 
 @菅沼定利は玄太寺を開山した。
 (★高崎市吉井支所の近く)
 B菅沼定利は検地を実施した。
 B六斎市を催した。
 Cたばこなど産業の発展に努めた。

箕輪初心●群馬の城:高崎旧吉井38城@「吉井陣屋他」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_11.html

箕輪初心:生方▲2015高崎【旧吉井町の歴史散策】
http://53922401.at.webry.info/201509/article_23.html

箕輪初心★【奥平一族の歴史】上野(群馬)→三河→上野→
http://53922401.at.webry.info/201211/article_23.html

◆◆ 箕輪初心◎長篠の戦い前編 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201211/article_25.html

箕輪初心◎長篠の戦い後編:設楽原の激闘&上野国関係者
http://53922401.at.webry.info/201211/article_27.html

◆◆ 箕輪初心●愛知【長篠城】 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201211/article_24.html

◆◆ 箕輪初心★【奥平一族は群馬出身】 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201211/article_24.html





・慶長5年(1600)関ヶ原の戦い
徳川秀忠軍の一員として、上田城の真田昌幸攻めに参加した。

・慶長7年(1602) 10月22日 菅沼定利が死去した。
  戒名・・隆興院殿廣山玄太大居士
  吉井神保の仁叟寺に葬られた。
田峯菅沼氏の血統は断絶した。
  奥平信昌の3男:忠政を養嗣子迎えた。
  菅沼忠政が継いだ。
 墓所・・群馬県高崎市吉井町吉井の玄太寺
  約150年後に三河新城3代領主:菅沼定用により、墓石塔が
  吉井山隆興院玄太寺(げんたいじ)に移された。
 
・現在、墓石塔は吉井町史跡に指定されている。
菅沼定利の墓 −玄太寺−
菅沼定利墓碑 高崎市指定史跡
「隆興院玄太寺の本堂前にある。玄太寺の開基は菅沼定利である。
法名隆興院殿広山玄太大居士。定利は、奥三河に生まれ幼名小
太郎、清和源氏の名門源頼光の子孫である。定利の母は奥平氏
の出で(奥平信昌の叔母)天正18年(1590)、徳川家康が関東
領有の際、吉井領2万石に封ぜられる。定利に子がなく、奥平
信昌の三男忠政を養子とするが忠政は美濃加納10万石に移封、
定利は慶長7年10月22日(1602)没、故書に「大膳院亮様
御石塔従往古有之余、粗相成付再修補」とある。
墓碑銘「隆興院殿五位下前上 吉井領主広山玄太大居士。慶長
7年10月22日。菅沼織部正源定用(さだもち)再修補焉、宝
暦六丙子冬」とある。菅沼定用は徳川家譜代の臣である。
 (★高崎市文化財情報Hpより)
★写真は見つからない。

●▲■井伊直政シリーズのブログ一覧

●井伊直政シリーズ平成21年〜***************

◆◆ 箕輪初心●箕輪城「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201010/article_40.html
http://53922401.at.webry.info/201011/article_25.html

◆◆ 箕輪初心●井の国千年物語前編 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_3.html

◆◆ 箕輪初心●井の国後編:「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_4.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の箕輪城時代の家臣団 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_15.html

◆◆ 箕輪初心●静岡:井伊直政の井伊谷城 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_5.html

箕輪初心■静岡【龍潭寺】=井伊家の菩提寺
http://53922401.at.webry.info/201212/article_6.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の造った町:高崎&彦根 ◆◆
高崎高校 VS 近江高校
http://53922401.at.webry.info/201203/article_28.html

◆◆ 箕輪初心●中村達夫氏の「井伊軍志」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_14.html

◆◆ 箕輪初心●小和田哲夫氏の「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_13.html

箕輪初心●群馬の城「和田城→高崎城」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201012/article_16.html
  (★高崎城の畝堀:発掘調査)

箕輪初心★箕輪城140【秋本太郎先生の箕輪城→高崎城+城下町】
http://53922401.at.webry.info/201410/article_9.html

箕輪初心▲箕輪城153【長野氏の箕輪の寺社→井伊直政の
高崎移転の寺社】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_15.html

箕輪初心★箕輪城103川野辺寛「高崎誌」&井伊直政
http://53922401.at.webry.info/201310/article_8.html

箕輪初心★西田美英【高崎素奈子】&川野辺寛【高崎志】
http://53922401.at.webry.info/201410/article_14.html

箕輪初心:生方▲【長野堰を語り継ぐ会の絵図展】&
【高崎城の桜】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_5.html

箕輪初心:生方★高崎城【井伊直政&高崎城&彦根城の縄張り
担当:早川幸豊】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_9.html

箕輪初心:生方▲箕輪城165箕郷龍門寺→高崎竜広寺
【井伊直政供養塔&井伊直弼娘:ワカの墓】
http://53922401.at.webry.info/201507/article_28.html

箕輪初心:生方▲箕輪城174・井伊直政18『箕輪城→高崎城」復刻版
http://53922401.at.webry.info/201510/article_9.html

箕輪初心▲東京【豪徳寺】&「吉良家→井伊家15代」
http://53922401.at.webry.info/201411/article_6.html

箕輪初心●滋賀の城「箕輪城&彦根城の類似性」
http://53922401.at.webry.info/201101/article_10.html

箕輪初心●滋賀bS−1「彦根城2回目」
http://53922401.at.webry.info/201012/article_37.html

箕輪初心:生方▲箕輪城202【真田丸に登場しない井伊直政」
&郭馬出出撃門
http://53922401.at.webry.info/201608/article_25.html

箕輪初心:生方▲2016【高崎の用水路開発&長野堰の歴史】大修正版
http://53922401.at.webry.info/201607/article_1.html

箕輪初心:生方▲201610624~0628世界かんがい遺産候補:長野堰展準備完了
http://53922401.at.webry.info/201606/article_27.html

箕輪初心:生方▲世界灌漑遺産候補【長野堰展2016】6月24日〜28日
at高崎シティギャラリー
http://53922401.at.webry.info/201606/article_25.html

箕輪初心:生方「箕輪城159&【中嶋宏氏主催の長野堰を語りつぐ会
の絵図展】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_4.html

箕輪初心:生方▲【長野堰を語り継ぐ会の絵図展】&【高崎城の桜】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_5.html

●高崎市の用水路シリーズ:井伊直政関連〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心◆「群馬:高崎の稲作と用水路@」
http://53922401.at.webry.info/201103/article_34.html

箕輪初心◆群馬:高崎市の稲作と用水路A「長野氏の開発@」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201104/article_5.html

箕輪初心◆群馬:高崎の用水路B「長野氏の用水路編A」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_6.html

箕輪初心◆群馬:高崎の稲作と用水路C「江戸時代」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_7.html

箕輪初心★江原源左衛門&滝川用水20131010
http://53922401.at.webry.info/201310/article_11.html

箕輪初心◆高崎の長野堰=西新波堰の歴史
http://53922401.at.webry.info/201310/article_12.html

箕輪初心●箕輪城シリーズK「長野・井伊時代の用水路開発」と現在
http://53922401.at.webry.info/201010/article_17.html

箕輪初心:生方★高崎城&長野堰【井伊直政&秋元長朝&新井喜左衛門】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_10.html
★秋元長朝はおそらく高崎城の内堀・用水路・遠構え
 建築に貢献したのだ。

箕輪初心◆長野堰B「染色のまち高崎に流れる長野堰:高崎広報」
http://53922401.at.webry.info/201410/article_13.html

箕輪初心:生方▲主に群馬・長野の【戦国〜江戸の用水新田開発】
http://53922401.at.webry.info/201605/article_34.html


●井伊直虎・直政シリーズ平成29年(2017)〜*************
箕輪初心・生方▲2016井伊直虎・井伊直政bP
『高崎学ソシアス講演会原稿』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_1.html

箕輪初心:生方▲箕輪城238『長純寺・石上寺・東向八幡・字輪寺
&信玄家臣:塚越伴七調査』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_2.html

箕輪初心:生方▲箕輪城239『長野業政・井伊直政』&長野堰3碑&
世界かんがい施設遺産『長野堰』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_3.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bR【井伊家初代:井伊共保】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_9.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bS【井伊氏系図8】&
『鎌倉時代の井伊氏 』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_10.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bT【南北朝時代の井伊氏と宗長親王】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_11.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bU『戦国時代の井伊氏』修正版
http://53922401.at.webry.info/201701/article_12.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bV【第1話『井伊谷の少女』
&「井伊谷・彦根城」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_13.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bW【井伊谷の散策2回】と
『NHKのTV「井伊谷」』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_14.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bX【井伊谷城2回目】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_15.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政10【井伊氏館跡・井伊直満の墓】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_16.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政11【龍潭寺の『直虎の墓・
直政公の墓・位牌』】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_17.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政12【浜松の宿下吉庵で「梅酒:直虎」を飲んだ】http://53922401.at.webry.info/201701/article_18.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政13【許嫁:井伊直親&松源寺:文叔&松岡城:松岡貞利】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_19.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政14【第2話:崖っぷちの姫】
&「井殿の塚」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_23.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政15【井伊直親の逃走〜2人の子ども
〜井伊谷帰国】資料編
http://53922401.at.webry.info/201701/article_26.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政17『次郎法師&直政の書籍の所持数36』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_27.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政18「柴咲コウ・菅田将暉」と「群馬の新聞」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_28.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政19『広報はままつ2016年4月号特集
「井伊直虎」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_29.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎:直政20【第3話『おとわ危機一髪』】
&「臨済寺」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_31.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政21【歴史秘話ヒストリア「おんな城主
:井伊直虎」】http://53922401.at.webry.info/201701/article_32.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政22【井伊直虎って誰?&
「井伊家傳記」の信憑性諸説】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_33.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政23【井伊谷・歴史本・
小説・ゲームの中の井伊直虎】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_34.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政24『井伊直虎の家臣:井伊谷七人衆』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_35.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政25『小野妹子→小野和泉守政直(道高)』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_36.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政26『小野政次・小野朝之』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_37.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政:27第4話『女にこそあれ次郎法師』
&「龍潭寺」
http://53922401.at.webry.info/201702/article_1.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政28『井伊一族:中野家』
http://53922401.at.webry.info/201702/article_3.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政29【頭陀寺城】と松下之綱と徳川家康と豊臣秀吉
http://53922401.at.webry.info/201702/article_4.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政30【松下清景】前編
http://53922401.at.webry.info/201702/article_5.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政31『松下清景→松下一定子孫』後編
http://53922401.at.webry.info/201702/article_6.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政32『高崎文化協会:箕輪城
・井伊直虎ブース』
http://53922401.at.webry.info/201702/article_8.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政33【第5話『亀之丞帰る』】
&「高森町松源寺」
http://53922401.at.webry.info/201702/article_9.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政34【村の写真展:My井伊家シリーズ】
http://53922401.at.webry.info/201702/article_10.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政35【鈴木重勝→鈴木重時→鈴木重好】
http://53922401.at.webry.info/201702/article_13.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政36【近藤康用→近藤秀用→5近藤】
http://53922401.at.webry.info/201702/article_14.html






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箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政36【菅沼忠久→菅沼忠道】&【菅沼定盈&菅沼定利】 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
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