城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行

アクセスカウンタ

zoom RSS 箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政26『小野政次・小野朝之』

<<   作成日時 : 2017/01/30 11:26   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

27)『小野但馬守政次』
◆天文23年(1554)井伊家筆頭家老:小野和泉守政直が没した。
   龍泰寺(現龍潭寺)に埋葬した。
龍谷山正泉寺が開創された。開山は慧湛和尚である。
 跡は子の小野但馬守政次(道好)が継いだ。
※TV鶴丸:小野但馬守政次も井伊家筆頭家老になっている。
※江戸時代の資料「寛政重修諸家譜」では小野道好となっている。
 当時の資料では但馬守とだけ書かれている。
画像



 小野政直の死によって井伊直盛は信濃国に逃れていた直親を呼び
 戻すこととした。

・弘治元年(1555) 今川義元の許しを得て井伊直親を改めて嗣子
 として迎え入れた。

・永禄3年(1560) ▲桶狭間の戦い
   織田信長 VS 今川義元
  今川義元が亡くなった。
  3月19日 (次郎法師父:)井伊直盛ら16人が今川側で戦死した。
  井伊直盛が桶狭間で討死のとき、「遺領は中野越後守に預ける」
  と遺言した。
 従って、井伊谷は中野中野越後守直由・(次郎法師)が預かった。
   (★『井伊家伝記』・『井伊直虎物語』浜松歴女隊編)
小野家でも小野政次(道好)の弟:朝直と小野源吾が討死している。

※@『この一冊でよくわかる! 女城主・井伊直虎』楠戸義昭
 では、小野但馬守政次の兄:小野朝直の妻が奥山朝利の
 娘としている。
 ATVでは、小野朝直の弟としている。

 ★徳川家康・関口氏経は大高城にいた。
箕輪初心★【織田信長@尾張の大うつけ→尾張統一】
http://53922401.at.webry.info/201206/article_1.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201206/article_1.html

箕輪初心★『織田信長A桶狭間前哨戦=家康の信長攻撃』
http://53922401.at.webry.info/201206/article_2.html

箕輪初心★【織田信長B桶狭間〜清洲同盟】
http://53922401.at.webry.info/201206/article_3.html


*永禄3年(1600)年 奥山朝利殺害説 
小野政次は井伊氏で勢力をもっていた奥山朝利を討ち、さらには
 今川氏真に「井伊家が謀反を起こそうとしている」と密告するなど、
 井伊家をじわりじわりと乗っ取ろうとしていた。


・永禄4年(1561)2月19日 井伊直親の長男:井伊虎松
  (直政)が祝田生まれた。
小和田哲男説では永禄5年頃説である。

・永禄4年(1561)
 今川氏真は三河の徳川家康の領地に攻め込んで争うようになった。
 徳川家康や武田信玄は力の弱くなった今川氏の調略を行っていた。
 今川氏真は今川領各地で起きる反乱を鎮めたり、武田や徳川に抵抗
 していた。

・永禄5年(1562)
 亀之丞(井伊直親)は「鹿狩」と称して徳川家康の三河領に出かけるこ
 とがあった。小野政次から見れば、井伊直親が徳川家康に内通して
 いると思っても不思議ではないが、・・・・。
 小野政次は駿府城に出かけて
 「直親は徳川・織田に通じている。今川に対して挙兵するつもり
  です。」
 と今川氏真に訴えたといわれている。
今川家は今川氏真が当主となってからは弱体化しており、家臣の謀反が
相次いでいたので密告を信じ、井伊直親を討とうとした。

 今川氏真は井伊谷を攻める準備を始めた。
 しかし、新野左馬助が今川氏真に対して弁明した。 
  今川家の家臣である新野親矩に止められたため
 今川氏真は思いとどまり、挙兵を取りやめた。
 しかし、井伊直親が寝返るのではないかという噂は消えなかった。
 

 新野左馬助は妹が井伊直盛に嫁いでいる。
 新野左馬助の妻は奥山朝利の妹・・・・
 新野左馬助の妻の姪は井伊直親に嫁いでいる。
  新野左馬助の娘は木俣守勝・庵原朝昌・三浦元貞に
 嫁ぐことになる。(★この3人も後、井伊家家老で箕輪城・
 高崎城に来ている。)
 
 新野左馬助は今川氏真は今川家臣であったが、井伊家に同情的な
 新野左馬之助よりも、今川家に忠実な小野但馬守政次の言葉を
 信じた。
小野但馬守政次の密告の真偽を問うために井伊直親を駿府へ呼び
 つけた。

・永禄5年(1562)12月14日 井伊直政の父:井伊直親は
 小野の讒言「井伊直親が松平元康(徳川家康)に内通している。」
  の申し開きのため、駿府に向かった。
  井伊直政の父:井伊直親ら19名は今川家臣:朝比奈泰朝に
  懸川(掛川)で殺された。
 
井伊直親が今川家を見限って徳川家康と接触していた可能性が
 あるが、・・・・。
井伊直親の殺害は今川氏真は家臣:朝比奈泰朝に駿府へむかって
いる道中の井伊直親を討たせた可能性が高い。
しかし、今川氏真が井伊直親の弁明を待たずに討った理由は明らか
になっていない。
多数説では小野政次は井伊直親を裏切った訳はないかもしれないが、
結果的には、父:小野政直が井伊直満・直義におこなったのと同じこ
とをしたことになったとしているようであるが、・・・。
想像の域を出ない話であるが、もしかしたら小野政次が勢力を伸ば
そうとしていたさらに進言したのかもしれないと疑えば疑える。
今川氏真は父に比べ、家臣からの信頼が薄れているのは感じている。
それ故、疑心暗鬼になっていることでことであろう。小野政直・政次
も真田幸綱・昌幸のように知略家ならば、あり得る。今川氏真が小野
政次に踊らされたのかもしれない。

井伊家分家:家老:新野左馬助親矩が虎松の命乞いをした。
  井伊家分家:新野左馬助親矩に保護され、養母:次郎法師に
  育てられた。
  ※井伊直政は2歳のため、次郎法師と名乗り井伊家を継いだ
  説もある。

小野政次が井伊虎松の命を執拗につけ狙ったため、虎松は龍潭寺
から一時的に鳳来寺(井伊家家老:松井家)に身を移した。
 ★井伊家乗っ取りを狙う「小野政次の野望」って感じである。

12月下旬 小野但馬守政次の奥山朝利殺害説
 奥山朝利は井伊直親の母方の父でもあり、小野政次の弟小野玄蕃
 朝直の父でもある。
 奥山朝利は死亡した。(永禄3年説もある。) 


・永禄6年(1563)▲ 天野左衛門尉:八城(社)山攻め
井伊直平が途中の有玉旗屋で急死した。享年75。
★唯一生き残っていた井伊家の男だった。長老が無理した。
 ★小野玄蕃の妻は奥山朝利の娘。つまり、井伊直親の妻の妹であった。
  妻同士が姉妹だったのである。
★小野の子孫は浜松市尾野に残った。

  筆頭家老の兄:小野政次は井伊谷に残っていて無事であった。

・永禄5年(1562) 清洲同盟
松平元康(徳川家康)は今川氏真を見限り織田氏と同盟を結んだ
 伯父:水野信元の仲介もあって、織田信長と同盟を結んだ。

・永禄6年(1562) 松平元康は今川義元からの偏諱である「元」の
  字を返上して元康から家康と名を改めた。

・永禄7年(1564) 三河一向一揆
松平家康は一揆を鎮圧した。
 東三河の戸田氏や西郷氏といった土豪を抱き込みながら、軍勢を
 東進していった。


・永禄7年(1564))▲曳馬城攻め 
 重臣:新野左馬助親矩と井伊一族で井伊谷城城代:中野越後守
 直由が討死した。
 
「新野左馬助、中野信濃守討死之後、次郎法師、地頭職御勤、
 祐椿尼公(直盛公内室也)、実母、御揃、直政公御養育申
 候得共、皆々女中斗故、但馬諸事取斗我儘斗致、何卒井伊谷
 押領可仕旨相巧申候」
(★『井伊家伝記』)
★意味・・・「新野左親矩と中野信濃守直由の討死の後、次郎
法師が地頭をお勤めになられ、祐椿尼(井伊直盛の妻)、井伊
直政の実母の3人が揃って直政公を養育したが、皆んな女性
であったので、小野但馬守道好が取り仕切って我が儘のし放
題であり、何とかして井伊谷領を巧みに横領しようと企んでいた
と言われています。」
@井伊宗家:次郎法師(井伊直虎)
A井伊家縁戚:新野親矩(今川重臣)の妹(娘説)で次郎法師の母
B井伊家庶流:奥山朝利の妹:虎松の実母

井伊宗家・新野家・奥山家の3人の女性が井伊虎松(直政)を守った。
つまり、3者の強力な連携があったので井伊虎松は生き延びた。
★南渓禅師(龍潭寺2世)がこの年に次郎法師を名乗らせたたのかも
しれない。

・永禄8年(1565) 龍潭寺2世:南渓禅師は次郎法師は還俗させ
 て、「女地頭」に立て、虎松の後見人とした。
  (★『遠江井伊氏物語』武藤全裕著)
 ★この時、「井伊直虎」と名を変えた説もある。
  小野政次は井伊直親が落とし入れて殺されていなければ、井伊
  直虎という女城主は誕生しなかった。
  

 井伊直虎は南渓和尚に徳政免除の黒印状を与えた。

 小野政次(道好)は井伊家当主となった井伊直虎と対立した。
小野政次(道好)は井伊直虎が井伊谷城の女城主となってからも、
 小野政次の企みは続く。
 小野政次は、今度は商人:祝田禰宜と手を組んで農民たちを煽って、
 今川氏真に対して徳政令を求める訴えを起こさせた。

・永禄9年(1566) 今川氏真は井伊谷に徳政令を出すように命令した。
  徳政令を公布しなければ農民たちが一揆をおこす。
  徳政令を公布すれば井伊家の財政は破綻する

 しかし、次郎法師は徳政令の実行をしなかった。
★のらりくらり作戦に出た。

 小野但馬守政次(道好)は今川氏真の出した命令を実行しない
 ことに対して
「次郎法師が徳政令を実行しない。」
 と今川氏真に訴えた。

・永禄9年(1566) 松平家康は東三河・奥三河(三河国北部)を平定し、
 三河国を統一した。
 松平家康は、
 @西三河衆:旗頭石川家成(石川数正))
 A東三河衆:旗頭酒井忠次
 B旗本衆&旗本先手役の軍制改革を行った。

・永禄9年(1566) 松平家康は朝廷から従五位下三河守の叙任を
 受け、「徳川家康」に改姓した。
  ★源氏の新田系得川→徳川系図査証を公認させた。
・永禄10年(1567) 武田義信事件
武田信玄は今川義元の娘:嶺松院を正室に迎えていた嫡男:
 武田義信が廃嫡された。
武田義信に味方していた飯富兵部を弟:山県昌景が武田信玄
 に知らせたからであると言われている。
 (★後、飯富兵部の赤備えを井伊直政が着た。)
 
・永禄11年(1568) 
 11月 井伊直虎は関口氏経と連署で徳政令を出した。
  ★今川氏真が介入してきたことを意味する。
「井伊直虎は今川氏家臣関口親永一族:関口氏経の息子
 (次郎法師の母方の従兄弟)を井伊次郎と名乗らせて
 当主とした説もある。
 『鉾前神社古文書』に唯一「井伊直虎の名がある。」
 井伊直盛嫡子「井伊直親養子」、妹に「女子」とあるだけである。
 (★『おんな城主井伊直虎と井伊家の歴史』井伊達夫著)
★関口親永の妻は今川義元の妹婿説・井伊直親の叔母説がある。
 
 関口親永の娘は徳川  家康の正室:築山殿の父である。
 関口氏一族は後、木俣守勝側近となった。


▲武田信玄の第一次駿河侵攻
 武田信玄は駿河侵攻にあたって、徳川家康と今川領分割の密約を
 結び、大井川を境にして東部を武田氏が、西部を徳川氏がそれぞ
 れ攻め取ることにしたのである。

12月6日、武田信玄は1万2000の軍勢を率いて駿河侵攻を開始
 した。
 今川氏真は重臣の庵原忠胤に1万5000の軍勢を預けて迎撃させた。
 武田軍が進軍を開始すると、今川軍は退却し始めた。
 北条氏康は武田信玄との同盟破棄した。

今川氏真は井伊家に対して出兵の命令が出した。
 井伊直虎は一族の者を名代にして兵を出したかったかもしれ
 ないが、小野但馬守政次(道好)が井伊軍を率いると主張した。
 結局、小野但馬守政次(道好)が井伊軍を率いて出陣した。
 小野但馬守は駿府に行った。
 駿府では井伊谷を井伊家から取り上げて今川の直轄領にすること
 が話し合われた。
 今川氏真は小野政次(道好)に駿府で井伊虎松を殺害して井伊谷
 を掌握し、軍勢を率いて加勢するよう命じた。
 次郎法師は井伊谷の地頭(領主)を解任され、小野但馬守が今川
 の代官として井伊谷を治めることになった。
 小野但馬守政次(道好)は今川氏真のお墨付きをもらって
 支配の許しを得た。
 小野但馬守政次(道好)は井伊谷に入り、井伊氏より井伊谷を
 横領することとなった。
小野但馬守政次(道好)は今川権威をかさに代官として井伊家が持
 っていた井伊谷の親戚衆・被官を統率することになった。
 しかし、井伊家の親戚衆・与力の多くは小野但馬守に従わずに自分の
 領地に戻ってしまったようである。
 次郎法師(井伊直虎?)は親戚衆・家臣と兵を失った。
 井伊屋敷を追われ、龍潭寺に避難した。井伊虎松も一緒である。
 井伊虎松や次郎法師、直盛の妻:祐椿尼は井伊氏菩提寺の龍潭寺
 に入って難を逃れた。
野但馬守政次(道好)は井伊直虎を追い出すことに成功した。
 小野但馬守は、井伊谷城の三の丸に屋敷(後近藤彦九郎陣屋)
 を建てて移り住んでいた。
 
 12月? 井伊家筆頭家老:小野但馬が井伊領を横領した。
龍潭寺2世:南渓瑞聞は 井伊虎松(井伊直政)を
 鳳来寺(松井家)に移住させた。

12月11日 小野但馬守政次(道好)は今川軍の一員として武田信玄
 として出陣した。

12月12日 ▲薩埵峠の戦い
 今川氏真は武田軍を迎撃するため、興津の清見寺に出陣した。
 武田信玄は今川氏の有力家臣である瀬名信輝、朝比奈政貞、三浦義鏡、
 葛山氏元らを調略した。
 結果として21人の武将が武田信玄に内通して裏切ったのである。
 北条氏政は駿河に援軍に向かった。伊豆三島に対陣するに留まった。

12月13日 武田軍は駿府に入った。
 今川氏真は駿府城を捨てて遠江掛川城の朝比奈泰朝を頼って落ち延びた。
小野但馬守政次(道好)は井伊谷城に戻ってきた。

12月13日、徳川家康も三河から遠江に侵攻した。
菅沼忠久は徳川家康に加担する菅沼一族の野田菅沼定盈
 から今川家の離反の誘いを受けると、承諾した。
 菅沼忠久は鈴木重時や近藤康用(&秀用)も誘った。

12月15日  徳川家康の井伊谷侵攻。
 徳川家康に内通した井伊谷三人衆(菅沼忠久・鈴木重時・近藤康用)
の道案内で徳川軍が井伊谷に攻めた。
井伊谷3人衆(近藤・鈴木・菅沼)は井伊谷城を先導した。
 井伊谷城は井伊谷三人衆の攻撃にさらされた。
ところが、代官:小野但馬守政次(道好)は攻撃が始まる前に
井伊谷城を捨てて逃げた。

徳川家康は小野政次(道好)の専横に対し、
  近藤康用・鈴木重時・菅沼忠久の井伊谷三人衆を派遣し、井伊谷
  を奪還させた。
徳川家康は井伊谷城を攻略した。
井伊谷は3人衆の支配下に置かれた。
  井伊谷3人衆は小野但馬守の探索を徳川家康に願い出た。
  @小野但馬守は菅沼忠久の兵に見つかって捕えられた。 
  C近隣の淵の「龍ヶ淵」洞窟に潜伏していたが近藤秀用に
   捕えられた説もある。
 井伊谷から曳間(引間)城攻めに案内した。

  井伊谷城や白須賀城→曳間城(浜松城の前身)を落とした。

12月27日 徳川家康は掛川城を包囲した。

・永禄12年(1569)
 4月7日 小野政次(道好)は偽りの密告をした罪で処刑された。
 5月 堀川城攻撃
  小野政次(道好)は獄門を言い渡され井伊谷で処刑された説もある。
 5月17日 今川氏真は家臣の助命と引き換えに掛川城を開城した。
 6月 小野政次(道好)の息子2人も斬罪となった。
 ※元亀元年(1570)説もある。
 井伊谷蟹渕・・・小野但馬守が処刑された。
小野政次の野望はこうして潰えたのである。
画像


・永禄12年(1568)井伊直政実母は今川家臣:松下源太郎清景
 (浜松頭陀寺城)と再婚した。

 ★松下清景の姉は松平元康(徳川家康)家老:松下之綱であった。
  井伊家が今川氏から独立した松平元康との関係を模索した。
と考えられる。
 井伊直虎が徳川家康の将来性を見抜き、養子の虎松(井伊直政)を
 徳川家康に出仕させるために仕組んだ結婚であったかもしれない。

・天正3年(1575) 2月井伊直虎に付き添われて井伊直政(15歳)は浜松
  の徳川家康に出仕した。
小野玄蕃の息子:亥之助(小野朝之)は虎松(井伊直政)の家老と
 してついていった。徳川家康から井伊虎松は「万千代」
 小野朝之は「万福」の名前を貰った。
井伊直政と小野朝之は従兄弟であった。
 2人の母は奥山朝利の娘で、姉妹であった。
 ★松下清景→松下之綱→松平元康(徳川家康)
 小野朝之は井伊直政とともに数々の戦に出た。

 井伊直政は、以後関ケ原の戦いまで50数度の戦に臨んだとされ
 る。


※天正10年(1582) 8月26日(9月12日)養母:井伊直虎が死んだ。
(★『遠江井伊氏物語』:龍潭寺前住職:武藤全裕著)

・天正18年(1590)▲小田原攻撃
 6月 井伊直政の笹郭攻撃
    豊臣秀吉の命令で箕輪城になった。
(★中井均:箕輪城シンポジウム)
7月5日 小田原城開城
 8月初旬  井伊直政が箕輪城主になった。

酒井忠次や本多忠勝、榊原康政と共に徳川四天王の1人に
 出世したが、12万石で最も多かった。
  ★小野の子孫は高崎市箕郷町白川に残ったようである。

・元和元年(1615) 井伊直勝(直継)が安中藩を嗣いだ。
第1家老は松下一定、第2家老は小野朝之であった。
第3家老は、安中出身の萩原図書であった。 

・宝永2年(1705) 井伊直矩が与板藩主になった。
小野玄蕃の子孫の小野七郎左衛門は与板藩の家老になっている。

★途中、酒井家が出てくるが、箕輪「瀧澤寺」を庇護した。
 「瀧澤寺」は酒井忠次の子:家次の庇護を受けた。
 家紋は「瀧澤寺」のど真ん中にある。
 高崎市箕郷町は井伊家・酒井家の関係が深いのがわかるが、
 高崎市箕郷町白川に「小野家」があるが、子孫かどうか
 これから確かめようと思っている。


★安中時代の井伊氏は5〜6回シリーズでしようと思っている。
 井伊家・徳川関係で100回はまだ書けそうである。
 



◆主な参考資料
『城主になった女 井伊直虎』梓澤要 NHK出版
『おんな城主 井伊直虎 その謎と魅力:アスペクト』 石田正彦,
『この一冊でよくわかる! 女城主・井伊直虎』 楠戸義昭PHP文庫
など多数・・・井伊直虎・井伊直政関係の本:所持数36冊


●▲■井伊直政シリーズのブログ一覧

●井伊直政シリーズ平成21年〜***************

◆◆ 箕輪初心●箕輪城「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201010/article_40.html
http://53922401.at.webry.info/201011/article_25.html

◆◆ 箕輪初心●井の国千年物語前編 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_3.html

◆◆ 箕輪初心●井の国後編:「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_4.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の箕輪城時代の家臣団 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_15.html

◆◆ 箕輪初心●静岡:井伊直政の井伊谷城 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_5.html

箕輪初心■静岡【龍潭寺】=井伊家の菩提寺
http://53922401.at.webry.info/201212/article_6.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の造った町:高崎&彦根 ◆◆
高崎高校 VS 近江高校
http://53922401.at.webry.info/201203/article_28.html

◆◆ 箕輪初心●中村達夫氏の「井伊軍志」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_14.html

◆◆ 箕輪初心●小和田哲夫氏の「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_13.html

箕輪初心●群馬の城「和田城→高崎城」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201012/article_16.html
  (★高崎城の畝堀:発掘調査)

箕輪初心★箕輪城140【秋本太郎先生の箕輪城→高崎城+城下町】
http://53922401.at.webry.info/201410/article_9.html

箕輪初心▲箕輪城153【長野氏の箕輪の寺社→井伊直政の
高崎移転の寺社】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_15.html

箕輪初心★箕輪城103川野辺寛「高崎誌」&井伊直政
http://53922401.at.webry.info/201310/article_8.html

箕輪初心★西田美英【高崎素奈子】&川野辺寛【高崎志】
http://53922401.at.webry.info/201410/article_14.html

箕輪初心:生方▲【長野堰を語り継ぐ会の絵図展】&
【高崎城の桜】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_5.html

箕輪初心:生方★高崎城【井伊直政&高崎城&彦根城の縄張り
担当:早川幸豊】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_9.html

箕輪初心:生方▲箕輪城165箕郷龍門寺→高崎竜広寺
【井伊直政供養塔&井伊直弼娘:ワカの墓】
http://53922401.at.webry.info/201507/article_28.html

箕輪初心:生方▲箕輪城174・井伊直政18『箕輪城→高崎城」復刻版
http://53922401.at.webry.info/201510/article_9.html

箕輪初心▲東京【豪徳寺】&「吉良家→井伊家15代」
http://53922401.at.webry.info/201411/article_6.html

箕輪初心●滋賀の城「箕輪城&彦根城の類似性」
http://53922401.at.webry.info/201101/article_10.html

箕輪初心●滋賀bS−1「彦根城2回目」
http://53922401.at.webry.info/201012/article_37.html

箕輪初心:生方▲箕輪城202【真田丸に登場しない井伊直政」
&郭馬出出撃門
http://53922401.at.webry.info/201608/article_25.html

箕輪初心:生方▲2016【高崎の用水路開発&長野堰の歴史】大修正版
http://53922401.at.webry.info/201607/article_1.html

箕輪初心:生方▲201610624~0628世界かんがい遺産候補:長野堰展準備完了
http://53922401.at.webry.info/201606/article_27.html

箕輪初心:生方▲世界灌漑遺産候補【長野堰展2016】6月24日〜28日
at高崎シティギャラリー
http://53922401.at.webry.info/201606/article_25.html

箕輪初心:生方「箕輪城159&【中嶋宏氏主催の長野堰を語りつぐ会
の絵図展】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_4.html

箕輪初心:生方▲【長野堰を語り継ぐ会の絵図展】&【高崎城の桜】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_5.html

●高崎市の用水路シリーズ:井伊直政関連〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心◆「群馬:高崎の稲作と用水路@」
http://53922401.at.webry.info/201103/article_34.html

箕輪初心◆群馬:高崎市の稲作と用水路A「長野氏の開発@」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201104/article_5.html

箕輪初心◆群馬:高崎の用水路B「長野氏の用水路編A」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_6.html

箕輪初心◆群馬:高崎の稲作と用水路C「江戸時代」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_7.html

箕輪初心★江原源左衛門&滝川用水20131010
http://53922401.at.webry.info/201310/article_11.html

箕輪初心◆高崎の長野堰=西新波堰の歴史
http://53922401.at.webry.info/201310/article_12.html

箕輪初心●箕輪城シリーズK「長野・井伊時代の用水路開発」と現在
http://53922401.at.webry.info/201010/article_17.html

箕輪初心:生方★高崎城&長野堰【井伊直政&秋元長朝&新井喜左衛門】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_10.html
★秋元長朝はおそらく高崎城の内堀・用水路・遠構え
 建築に貢献したのだ。

箕輪初心◆長野堰B「染色のまち高崎に流れる長野堰:高崎広報」
http://53922401.at.webry.info/201410/article_13.html

箕輪初心:生方▲主に群馬・長野の【戦国〜江戸の用水新田開発】
http://53922401.at.webry.info/201605/article_34.html


●井伊直虎・直政シリーズ平成29年(2017)〜*************
箕輪初心・生方▲2016井伊直虎・井伊直政bP
『高崎学ソシアス講演会原稿』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_1.html

箕輪初心:生方▲箕輪城238『長純寺・石上寺・東向八幡・字輪寺
&信玄家臣:塚越伴七調査』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_2.html

箕輪初心:生方▲箕輪城239『長野業政・井伊直政』&長野堰3碑&
世界かんがい施設遺産『長野堰』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_3.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bR【井伊家初代:井伊共保】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_9.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bS【井伊氏系図8】&
『鎌倉時代の井伊氏 』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_10.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bT【南北朝時代の井伊氏と宗長親王】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_11.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bU『戦国時代の井伊氏』修正版
http://53922401.at.webry.info/201701/article_12.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bV【第1話『井伊谷の少女』
&「井伊谷・彦根城」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_13.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bW【井伊谷の散策2回】と
『NHKのTV「井伊谷」』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_14.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bX【井伊谷城2回目】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_15.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政10【井伊氏館跡・井伊直満の墓】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_16.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政11【龍潭寺の『直虎の墓・
直政公の墓・位牌』】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_17.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政12【浜松の宿下吉庵で「梅酒:直虎」を飲んだ】http://53922401.at.webry.info/201701/article_18.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政13【許嫁:井伊直親&松源寺:文叔&松岡城:松岡貞利】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_19.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政14【第2話:崖っぷちの姫】
&「井殿の塚」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_23.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政15【井伊直親の逃走〜2人の子ども
〜井伊谷帰国】資料編
http://53922401.at.webry.info/201701/article_26.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政17『次郎法師&直政の書籍の所持数36』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_27.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政18「柴咲コウ・菅田将暉」と「群馬の新聞」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_28.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政19『広報はままつ2016年4月号特集
「井伊直虎」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_29.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎:直政20【第3話『おとわ危機一髪』】
&「臨済寺」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_31.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政21【歴史秘話ヒストリア「おんな城主
:井伊直虎」】http://53922401.at.webry.info/201701/article_32.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政22【井伊直虎って誰?&
「井伊家傳記」の信憑性諸説】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_33.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政23【井伊谷・歴史本・
小説・ゲームの中の井伊直虎】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_34.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政24『井伊直虎の家臣:井伊谷七人衆』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_35.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政25『小野妹子→小野和泉守政直(道高)』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_36.html



★明日は未定?

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政26『小野政次・小野朝之』 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる