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zoom RSS 箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政22【井伊直虎って誰?&「井伊家傳記」の信憑性諸説】

<<   作成日時 : 2017/01/26 07:49   >>

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通説では、井伊家菩提寺の龍潭寺に「次郎法師」の名前が書かれた寄
進状があることや、「井伊家傳記」・「井伊氏系図」などから、「次郎法
師」という女城主が「井伊直虎」で、箕輪城主→高崎城主→佐和山城
主となった井伊直政の養母とされてきた。京都井伊美術物館館長:井伊
達夫氏先生は「関口氏経の息子が井伊次郎=井伊直虎であろう。」と
言う。彦根城博物館:野田浩子先生は「井伊家傳記は生年月日がお
かしい?」と言う。龍潭寺の武藤全裕禅師・執事:武藤佑吉氏、あるい
は京都井伊美術館館長:井伊達夫先生。あるいは彦根城博物館:野
田浩子先生のお話をお聞きしているので、、「井伊家傳記」の信憑性
に関する2説には微妙な心持ちがする。昨日は、上毛新聞の平山さ
んの取材のため、「井伊直政&箕輪城・高崎城・安中城」関係の取材
に参加させていた。

●龍潭寺「井伊家傳記」・「井伊氏系図」
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★見せてくださり、」ありがとうございました。
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 (★武藤全裕禅師様のサイン)

●京都井伊美術館
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 (★与板の松下家伝来の井伊直虎の鎧と
  伝わる鎧がモデルになっている。

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 (★井伊達夫館長と・・)
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 (井伊軍志の井伊達夫先生のサイン)
平成27年(2016)12月、京都井伊美術館長:井伊達夫先生が
 「直虎は男であった」という資料を発見した事がニュースになった。
井伊達夫先生によると、「井伊直親死後の井伊家の領地を治めて
いたのは直盛の娘である「次郎法師」ではなく、井伊直盛の妻の
兄弟である「関口越後守氏経の子:井伊次郎である。」と言った。
井伊次郎が「直虎」と名乗った証拠がある訳ではないが、・・・。

★「井伊軍志」、「赤備え」「真田と井伊の甲冑」
 ありがとうございました。


●彦根城博物館
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★★平成28年5月、高崎市委嘱箕郷歴史文化
 調査研究会、我々7人のために、講演「井伊直政」を
 してくださり、ありがとうございました。23代:井伊直盛
 24代:井伊直政とされました。





【1】 「井伊家傳記」「井伊家系図」:での井伊直虎の不明な点

@井伊直虎は23代井伊家当主:直盛の娘であることは確定している。
★井伊家系図に出てくる。
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 (★出典:龍潭寺の本・小和田哲男著だと思う?)
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 『寛政重修諸系図』の井伊家当主の欄に
 ・・・・直盛の嫡子直親「養子」・その妹「女子」とあるだけである。
 直親の妹とする女が「井伊直虎」であることは、誰もが認めている。
 「直虎に婚を約すと言えども、直満害され直親信濃国にはしり、
 数年してかへらざりしば、尼と也、四郎法師と号す。」

A井伊直虎の生年月日が不明
 ★井伊直虎は天文4年(1535)井伊直親の生まれた頃に生まれたと
  考えられている。小和田哲男説では天文5年(1536 )頃2人とも
  生まれたとしている。
天文13年(1544) 井伊直親8〜9歳が信州市田に逃れた時点で、
 次郎法師(井伊直虎)も8〜9歳となる。井伊直虎の父:井
 伊直盛は19歳であるので、井伊直盛10歳の時の子?となる。
 井伊直盛が15歳で生んだとしても、4〜5歳となる。
 ※天文13年(1544)には次郎法師(直虎)が生まれていたとしても、
 判断力のある年齢ではないため、史実ではなく創作されたものと
 考えられる。
 (★『彦根城博物館研究紀要』第26号『井伊家伝記』の史料的
  性格」彦根城博物館学芸員:野田浩子著2015年)

B井伊直虎の幼名は不明
 ★井伊家系図に「女」とあるだけである。


C井伊直親と井伊直盛の娘が本当に許嫁であったのか不明
 
 『井伊家傳記』による創作の可能性がある。
  (★『井伊氏サバイバル500年』大石泰史著)
 (★享保15年(1730)祖山著=唯一の2次史料)

D井伊直盛の娘:次郎法師(直虎)が「女地頭」であったか不明
  (★享保15年(1730)祖山著=唯一の2次史料)
「井伊家傳記」蔵本には直盛の女が次郎法師となることは述べてあるが、
 次郎法師が後に直虎になったという記述はない。
 「直虎」という名そのものも登場しない。
 井伊直虎関口氏経連署状に記された「次郎直虎」署名が残っている
 だけである。
 (★おんな城主直虎と井伊家の歴史井伊達夫著 :キネマ旬報ムック
   2016/10/4
(★おんな城主 井伊直虎 その謎と魅力石田雅彦著、井伊達夫監修
   2016/8/12
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E井伊直虎は24代当主:井伊直政の後見人か不明
 (★井伊家系図に諸説あり)


F井伊直虎はお家断絶危機に立ち上がった井伊家の女城主か不明。
(★井伊家系図に諸説あり、数字の記載がない。)

★「井伊家傳記」「井伊氏系図」の次郎法師の話を振り返ると、
@次郎法師の出家は井伊直親のためである。
A南渓和尚が「次郎法師」と命名した。
B南渓和尚と次郎法師の母が
 「次郎法師が地頭職を継ぐこと」を相談して決めた。
 井伊直政の養母としてとして成長に尽くし、井伊直政の成功の影に
C井伊直虎がいたことを強調している。
結果・・・「井伊家伝記」は史実と虚構が入り混ざっている可能性がある。



【2】 「井伊家傳記」「井伊家系図」の信憑性に関する諸説のまとめ
1)武藤全裕禅師・執事・武藤佑吉氏・浜松歴女探検隊
  石原正美先生説
「井伊家傳記」「井伊家系図」の信憑性を信じている。


2)小和田哲男説
 井伊直虎:小和田哲男著では、「井伊家傳記」「井伊家系図」
 を信じて、次郎法師=井伊直虎説を採っている。

3)楠戸義昭説
 『この一冊でよくわかる! 女城主・井伊直虎』:楠戸義昭著)
曾祖父は毒殺、祖父と父は戦死、かつて愛した元許婚は謀殺…。
数々の悲劇に見舞われながらも、“男”となって、滅亡寸前の家
を大名へと押し上げた井伊直虎。
その生涯を、現地取材と史料から解き明かす。とある。
 「井伊家傳記」と「鉢前神社の井伊直虎の花押」など
 わずかな資料しかない。
 信仰深い女性であった。政務を的確にこなす女性であった。
 強い意志の持ち主であった。・・・ 「井伊家傳記」の
 信憑性を高く評価しているようである。
 

3)野田浩子説
 「井伊家傳記」の井伊直虎の生年月日が不明であること、
 許嫁の根拠はないことなど疑問を投げかけている。
 「井伊家系図」のを23代:直盛・24代:直政と初めて
 提言した。井伊直政が真田信之に頼まれて、真田昌幸
 と真田幸繁(幸村)の助命を徳川家康に進言した人物で
 あると公表した。



4)井伊達夫説
 「井伊直親死後の井伊家の領地を治めていたのは直盛の娘
 である「次郎法師」ではなく、井伊直盛の妻の兄弟である
 「関口越後守氏経の子:井伊次郎である。」
 としながらも、井伊直盛の娘が井伊直虎としている。
  「井伊家傳記」「井伊家系図」の決してけなすつもりは
  ない。信憑性がないといっているわけではない。

5)大石泰史説
★『井伊氏サバイバル500年』大石泰史著 2016/10/26 )
 「井伊家傳記」「井伊家系図」の信憑性に疑問を持ち、
 井伊家の菩提寺の祖山が井伊氏に好意的に創作した
 部分が多いと考えている。 
「第6章 井伊直虎とは何者か?次郎法師登場の背景」
 ”ここからは想像の域を出ないが、次郎法師登場の背景を探ってみ
 よう。
 祖山は龍潭寺で、位牌・過去帳等から「次郎」が中世井伊氏の家督も
 使用した仮名・通称であることを認識した。そのため永禄八年の寄進
 状を書いた「次郎法師」は当主に近い人物と考えた。しかし、中興開
 山である直盛は同三年に、後嗣直親も同五年に死没している。彼らよ
 りも没年が遅い人物を探す必要がある。
  そうしたとき、龍潭寺内に残されている位牌等に、天正十年に亡くな
 った人物がいた。法名は「妙雲院殿月船祐円大姉」だが、没年は直盛・
 直親以降の人物であることは間違いない。「大姉」とあるので女性であ
 る。しかし、その位牌以外に確認できないのであるならば、次郎法師は
 妙雲院殿だった。祖山はこう考えたのではないだろうか?
  その傍証となるかもしれないが、祖山は次郎法師=直盛息女=妙雲院
 殿と認識はしているものの、次郎法師=直虎、もしくは直盛息女=直虎、
 という表現はまったくしていない。つまり、女性であることは認識して
 いても。男性名である「直虎」を名乗ったとはどこにも記載がないの
 だ.。このことから、直虎が次郎法師もしくは直盛息女と指摘したのは、
 後世の研究者たちであったとすることができる”


【3】井伊直虎が女城主になるまでに亡くなった井伊家の男達

・天文10年(1541)井伊直元が井伊谷で病死。(★「井伊家傳記」)

・天文11年(1542)井伊直宗が三河国田原城攻めで討死。
  (★『寛政重修諸家譜』)
  天文15年(1546) 後半〜三河攻めが始まったので疑問視されている。
  天文16年(1547)説:大石泰史説。
  天文20年(1551)1月説:『朝野旧聞裒藁』の「井家新譜」説。
  天文23年(1554)説:「井伊氏系図」説

・天文13年(1544)井伊直満・井伊直義は小野政直の讒言で今川義元に
   誅殺された。

・永禄3年(1560)井伊直盛・今川義元が桶狭間の戦いで討死した。
   井伊直盛の遺言で井伊一族の中野直由は井伊直親の後見役と
   なり、中野信濃守直由は井伊谷城代となった。

・永禄5年(1562)井伊直親は小野政次の「松平に内通している。」
   という讒言により今川氏真により今川家重臣:朝比奈泰朝に
   懸川(掛川)で誅殺された。
  永禄5年3月2日説。『静岡県史 資料編』
  永禄5年12月14日説『井伊家傳記』

・永禄6年(1563)9月15日井伊谷城代:中野信濃守直由・井伊直虎の叔父:
  新野親矩が曳馬城主:飯尾連龍攻めで討死した。(★永禄8年説あり)

  井伊直盛の正妻:祐椿尼(新野親矩の妹)と龍潭寺の南渓瑞聞が協議
  の上、井伊直盛の娘であった次郎法師(井伊直虎)を井伊氏の当主に
  擁立した。
  (★「井伊家傳記」)

・永禄6年(1563)9月18日 井伊直平が急死した。(★毒殺された説あり)
  今川氏真の命により武田に付いた社山城:天野景泰・天野元景親子
  を社山城に攻めている最中に、75歳(85歳説あり)で没。
  ▲ 天野左衛門尉:八城(社)山攻め
井伊直平が途中の有玉旗屋で急死したした説もある。享年75。
★唯一生き残っていた井伊家の男だった。長老が無理した。


・永禄6年(1563)・永禄7年(1564)▲曳馬城攻め 
 重臣:新野左馬助親矩と井伊一族で井伊谷城城代:中野越後守
 直由が討死した。
 
「新野左馬助、中野信濃守討死之後、次郎法師、地頭職御勤、
 祐椿尼公(直盛公内室也)、実母、御揃、直政公御養育申
 候得共、皆々女中斗故、但馬諸事取斗我儘斗致、何卒井伊谷
 押領可仕旨相巧申候」
(★『井伊家傳記』)
★意味・・・「新野左親矩と中野信濃守直由の討死の後、次郎
法師が地頭をお勤めになられ、祐椿尼(井伊直盛の妻)、井伊
直政の実母の3人が揃って直政公を養育したが、皆んな女性
であったので、小野但馬守道好が取り仕切って我が儘のし放
題であり、何とかして井伊谷領を巧みに横領しようと企んでいた
と言われています。」
@井伊宗家:次郎法師(井伊直虎)
A井伊家縁戚:新野親矩(今川重臣)の妹(娘説)で次郎法師の母
B井伊家庶流:奥山朝利の妹:虎松の実母

井伊宗家・新野家・奥山家の3人の女性が井伊虎松(直政)を守った。
つまり、3者の強力な連携があったので井伊虎松は生き延びた。
南渓禅師(龍潭寺2世)がこの年に次郎法師を名乗らせたたのかも
しれない。


【4】永禄8年(1565)女城主となってからの井伊直虎
 永禄8年(1565)〜永禄11年(1568)
・永禄8年(1565) 龍潭寺2世:南渓禅師は次郎法師は還俗させ
 て、「女地頭」に立て、虎松の後見人とした。
  (★『遠江井伊氏物語』武藤全裕著)
 ★この時、「井伊直虎」と名を変えた説もある。
 
 井伊直虎は南渓和尚に徳政免除の黒印状を与えた。

女城主となった井伊直虎が直面したのが、今川氏真から出された
 徳政令であった。
「徳政令とは朝廷や幕府が債権者に対し債権放棄を命じた法である。  
 徳政令を受け入れなければ、今川氏真や井伊領民を敵に回すこと
  になる。
 徳政令を受け入れると井伊家の経済基盤が崩壊し、井伊領内経営
 が成り立たないという厳しい状況になってしまう。
そこで、井伊直虎は被害が最小限に抑えられるように、
 黒印状(黒印を押して発給した文書)を発行するなどの対策を
 講じた。・・・徳政令の施行を2年間引き延ばししてきた。

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 (★歴史ヒストリアより)
・永禄11年(1568) 11月井伊直虎は今川の圧力に対抗しきれずに
  遂に徳政令が発布した。
結果・・・井伊直虎は城主の座から追われた。
  井伊領は小野政次(道好)のものになった。 
 ●井伊直虎は関口氏経と連署で徳政令を出した。
★『鉾前神社古文書』に唯一「井伊直虎の名がある。」文書
 である。
  ★今川氏真が介入してきたことを意味する。

「井伊直虎は今川氏家臣関口親永一族:関口氏経の息子
 (次郎法師の母方の従兄弟)を井伊次郎と名乗らせて
 当主とした説もある。
 井伊直盛嫡子「井伊直親養子」、妹に「女子」とあるだけである。
 (★『おんな城主井伊直虎と井伊家の歴史』井伊達夫著)
★関口親永の妻は今川義元の妹婿説・井伊直親の叔母説がある。
 NHK大河ドラマでは「佐名」という名前である。
 今川氏親がぼろぞうきんのように捨てた。・・・・
 今川一族の関口親水(瀬名氏)に下げ渡した説を採っている。
 関口親永の娘「瀬名」は徳川家康の正室:築山殿である。
 関口氏一族は後、木俣守勝側近となった。

 11月 井伊家筆頭家老:小野但馬が井伊領を横領したとも言える。
★結果・・・井伊直虎は女城主を辞めさせられて、母の暮らす龍潭寺
 へ身を寄せることになった。
龍潭寺2世:南渓瑞聞和尚は 井伊虎松(井伊直政)を
 鳳来寺に移住させた。

 
12月 井伊直虎が井伊谷城を出て1ヶ月後徳川家康の井伊谷侵攻。
 井伊谷3人衆(近藤・鈴木・菅沼)は徳川家康に臣従し、井伊谷を
 先導した。
 家老:小野但馬守政次(道好)は逃げた。
徳川家康は井伊谷城を攻略した。
井伊谷は井伊谷3人衆の支配下に置かれた。
  井伊谷から曳間(引間)城攻めに案内した。

・永禄12年(1569)4月 小野政次(道好)は近くの淵で徳川方の
  近藤康用・秀用に捕らえられ、徳川家康に処刑された。

・その後、武田信玄との勢力争いの末、徳川家康は遠江の領有を
 安定させた。

●▲■井伊直政シリーズのブログ一覧

●井伊直政シリーズ平成21年〜***************

◆◆ 箕輪初心●箕輪城「井伊直政」 ◆◆
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箕輪初心■静岡【龍潭寺】=井伊家の菩提寺
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  (★高崎城の畝堀:発掘調査)

箕輪初心★箕輪城140【秋本太郎先生の箕輪城→高崎城+城下町】
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箕輪初心▲箕輪城153【長野氏の箕輪の寺社→井伊直政の
高崎移転の寺社】
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箕輪初心★箕輪城103川野辺寛「高崎誌」&井伊直政
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箕輪初心★西田美英【高崎素奈子】&川野辺寛【高崎志】
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箕輪初心:生方▲【長野堰を語り継ぐ会の絵図展】&
【高崎城の桜】
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箕輪初心:生方★高崎城【井伊直政&高崎城&彦根城の縄張り
担当:早川幸豊】
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箕輪初心:生方▲箕輪城165箕郷龍門寺→高崎竜広寺
【井伊直政供養塔&井伊直弼娘:ワカの墓】
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箕輪初心:生方▲箕輪城174・井伊直政18『箕輪城→高崎城」復刻版
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箕輪初心▲東京【豪徳寺】&「吉良家→井伊家15代」
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箕輪初心●滋賀の城「箕輪城&彦根城の類似性」
http://53922401.at.webry.info/201101/article_10.html

箕輪初心●滋賀bS−1「彦根城2回目」
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箕輪初心:生方▲箕輪城202【真田丸に登場しない井伊直政」
&郭馬出出撃門
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箕輪初心:生方▲2016【高崎の用水路開発&長野堰の歴史】大修正版
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箕輪初心:生方▲201610624~0628世界かんがい遺産候補:長野堰展準備完了
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箕輪初心:生方▲世界灌漑遺産候補【長野堰展2016】6月24日〜28日
at高崎シティギャラリー
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箕輪初心:生方「箕輪城159&【中嶋宏氏主催の長野堰を語りつぐ会
の絵図展】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_4.html

箕輪初心:生方▲【長野堰を語り継ぐ会の絵図展】&【高崎城の桜】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_5.html

●高崎市の用水路シリーズ:井伊直政関連〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心◆「群馬:高崎の稲作と用水路@」
http://53922401.at.webry.info/201103/article_34.html

箕輪初心◆群馬:高崎市の稲作と用水路A「長野氏の開発@」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201104/article_5.html

箕輪初心◆群馬:高崎の用水路B「長野氏の用水路編A」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_6.html

箕輪初心◆群馬:高崎の稲作と用水路C「江戸時代」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_7.html

箕輪初心★江原源左衛門&滝川用水20131010
http://53922401.at.webry.info/201310/article_11.html

箕輪初心◆高崎の長野堰=西新波堰の歴史
http://53922401.at.webry.info/201310/article_12.html

箕輪初心●箕輪城シリーズK「長野・井伊時代の用水路開発」と現在
http://53922401.at.webry.info/201010/article_17.html

箕輪初心:生方★高崎城&長野堰【井伊直政&秋元長朝&新井喜左衛門】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_10.html
★秋元長朝はおそらく高崎城の内堀・用水路・遠構え
 建築に貢献したのだ。

箕輪初心◆長野堰B「染色のまち高崎に流れる長野堰:高崎広報」
http://53922401.at.webry.info/201410/article_13.html

箕輪初心:生方▲主に群馬・長野の【戦国〜江戸の用水新田開発】
http://53922401.at.webry.info/201605/article_34.html


●井伊直虎・直政シリーズ平成29年(2017)〜*************
箕輪初心・生方▲2016井伊直虎・井伊直政bP
『高崎学ソシアス講演会原稿』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_1.html

箕輪初心:生方▲箕輪城238『長純寺・石上寺・東向八幡・字輪寺
&信玄家臣:塚越伴七調査』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_2.html

箕輪初心:生方▲箕輪城239『長野業政・井伊直政』&長野堰3碑&
世界かんがい施設遺産『長野堰』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_3.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bR【井伊家初代:井伊共保】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_9.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bS【井伊氏系図8】&
『鎌倉時代の井伊氏 』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_10.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bT【南北朝時代の井伊氏と宗長親王】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_11.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bU『戦国時代の井伊氏』修正版
http://53922401.at.webry.info/201701/article_12.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bV【第1話『井伊谷の少女』
&「井伊谷・彦根城」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_13.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bW【井伊谷の散策2回】と
『NHKのTV「井伊谷」』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_14.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bX【井伊谷城2回目】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_15.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政10【井伊氏館跡・井伊直満の墓】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_16.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政11【龍潭寺の『直虎の墓・
直政公の墓・位牌』】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_17.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政12【浜松の宿下吉庵で「梅酒:直虎」を飲んだ】http://53922401.at.webry.info/201701/article_18.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政13【許嫁:井伊直親&松源寺:文叔&松岡城:松岡貞利】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_19.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政14【第2話:崖っぷちの姫】
&「井殿の塚」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_23.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政15【井伊直親の逃走〜2人の子ども
〜井伊谷帰国】資料編
http://53922401.at.webry.info/201701/article_26.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政17『次郎法師&直政の書籍の所持数36』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_27.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政18「柴咲コウ・菅田将暉」と「群馬の新聞」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_28.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政19『広報はままつ2016年4月号特集
「井伊直虎」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_29.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎:直政20【第3話『おとわ危機一髪』】
&「臨済寺」
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箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政21【歴史秘話ヒストリア「おんな城主
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