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zoom RSS 箕輪初心:生方▲箕輪城233かみつけの里【榛名神社文書】の解説&久保田順一先生説

<<   作成日時 : 2016/12/04 15:32   >>

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平成28年(2016)12月3日はかみつけの里博物館の企画展「榛名山
に祈る」を石関先生の案内で「10の榛名神社関係文書」を拝見させ
ていただきました。お世話になりました。
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【3】▲▲▲榛名神社文書
かみつけの里博物館の企画典「榛名山に祈る」を石関先生の案内で
「榛名神社関係文書」を見た。
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1)建久元年(1190)「留守所下文」留守所下文
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    可令早任旧例、任宿願、榛名寺領内停止
   健兄井検非両便事
   右、十一月五日御庁宣、同年十二月七日到束僻、
   榛名御山云垂跡云本地、穿以鎮護国家恒化修良之霊地云々
   者、且任旧例、且任宿願、可令停止健児井検非両便、
   於榛名寺領内之由、御庁宣明鏡也、彷府内国中
   諸人、宜承知、勿遠矢、以下、
    建久元年十二月  日
                惣検校石上 (花押)
                 散位石上 (花押)
              日代左衛門尉藤原(花押)
 
※【解説】
 「国衝から榛名神社へ、健児(こんでい)・検非違使(けびいし)
   (ともに軍事警察権力)の不介入を認めたもので、
   文書に名前の残る藤原氏は、都から派遣された役人、
   石上氏は現地の豪族で国衛の役人である。」

※????の【解説】
「後白河上皇の院庁から上野国司留守所への下文である。
 榛名の寺領内は健児使や検非使の立入検察を停められた霊地として
手厚い保護が保証した。」

※近藤義雄先生「長野氏の最初の文書である。」
惣検校石上 (花押)
                 散位石上 (花押)

※峰岸純夫先生
■天喜2年(1054)「上野権介正六位石上朝臣兼親」が最初
 といる。
   (★除目大成抄→★峰岸純夫先生) 



2)永正10年(1512)4月吉日 長野憲業立願状
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 「大戸要害令落居、憲業属本意候者、
     百疋之下地お、
    榛名満行権現江、末代可奉寄進候、 
   永正十年四月吉日
              長野伊予守憲業(花押影)
     奉懸 巌殿寺 」
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※【解説】「長野氏と榛名神社の関係を示す最初の史料である。
  永正10年(1513)長野憲業が戦死した。」

※久保田順一先生
 長野憲業は大戸要害(東吾妻町)の攻略を企図し、そのための祈祷
 を榛名神社・巌殿寺(がんでんじ)に求め、百疋の地を寄進した。
 この後、長野憲業は吾妻都城に侵攻したものの、翌永正11年
 (1514)に討ち死にを遂げたとみられる。
※近藤義雄先生
・享禄3年(1530)吾妻の戦い
  長野憲業 VS 大戸氏?
   長野憲業がで戦死
  (★みさとの歴史・箕郷町誌)  


3)永正11年(1512) 上杉憲房制札
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・制札
   一 当山におひておきての事、
   一 喧嘩之事、
   一 押かい狼せきの事、
   一 はくち・はくゑきの事、
   一 国しち・かうしちの事、
   右、このむねをそむき候ハんともからにおひては、かたく
せいはいをとくへき者也、
   永正十一年甲成四月一日  (花押)
【解説】長野一族が発給した文書である可能性が高い。

※久保田順一先生
榛名神社の域内において掟を守る事、喧嘩・押買・博突の禁止、国質
 ・郷質の債権略取の禁止などを命じたもので、地域の領主として神社
の保護・興行の意向を示したものである。
従って、発給者はこの地を支配する存在である。
 押紙に「上杉憲房制札」とあるが、花押型は憲房のものとは異なり、
同人に比定することはできない。
前年に憲業が討ち死にを遂げたことから、その後継者の長野一族が
代替わりに発給したとみるのが妥当と考えられる。
 (★「榛名山を祈る」)
  長野業氏と考えられる。としている。
 ・「箕輪城と長野業政」」P20久保田順一著)




4)応永年間 足利持氏書状
展示なし。

※久保田順一先生「応永24年1417〜応永271421」
鎌倉公方:足利持氏が榛名寺俗別当職とその管理下にある寺領を
木部道金の申請に基づいて室町幕府管領:左京大夫入道殿(細川
満光)に依頼(申し沙汰)した。


5)年不詳  入道■ (★これは展示されていなかった。)
木部道金覚書

   展示なし

6)天文4年(1535) 長野業政制札 天文4年(1535)
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 「某制札写」(榛名神社文書)
    「制札
  一 喧嘩之事、
  一 相伝之事、
  一 押買狼藉之事・右、於榛名山祭礼之町、此条有違犯之輩者、
    可処科之状如件、
       天文四年四月?日    花押影(写し)
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※【解説】
  「花押のみ・・・長野業政であると考えられる。」
 久保田先生もかつては長野業政としている。
 ★通説は長野業正(業政)である。
  
※近藤義雄先生説
    内容
     @けんか禁止 
     A逃亡した下人をとらえる行為の禁止
     B押し売り行為の禁止

※久保田順一先生説
    内容
     @けんか禁止 
     A家臣の人身売買為の禁止 
     @押し買いディスカウント(自分の売り込み)の禁止    
久保田順一先生は「はじめは長野業政としていたが、
不詳としている。」
 (★「箕輪城と長野業政」久保田順一著)

高崎市史の説
 長野某が榛名神社の春の祭礼に制札を出した。
 (★榛名神社文書:高崎市史)




●)年不詳5月8日付 浦野中務少輔宛武田信玄書状
 「今日、室田放火、爲始長野三河守入道、随分之者八十余人
  討捕候」
   (「大竹源三郎氏所蔵文書」)

 ※近藤義雄先生「永禄6年(1563)・・・受連の3度の手紙から
   長野業氏であろう。」
 ※久保田順一先生「特定できない。長野業通であろう」
 
 ※峰岸純夫先生「永禄9年(1566) 長野業氏」
  ★峰岸先生は客分高家:石井信房を鷹留城主と認めず、永禄9年
   (1566)5月に長野三河入道業氏が戦死したとするところに特徴
  がある。
 ※黒田基樹先生「永禄9年(1566) 長野業氏」
★黒田先生は長野憲業の娘の嫁ぎ先:里見義尭の子:里見義樹
   →石井義樹・石井信房と考えている。
   (石井泰太郎氏所蔵系図:西上州の中世)
  永禄9年(1566)5月に長野三河入道業氏が戦死したとするところ
  に特徴がある。



7)年不詳9月10日 武田家の高札
 
「(赤龍朱印)高札 春名山」
※清水豊先生?「永禄4年(1561)〜永禄10年(1567)武田信玄」
※久保田順一先生「永禄5年(1562)〜永禄6年(1563)武田信玄」
  ※宮内庁・・・武田勝頼の高札としている。

●)文亀3年(1572) 正月23日
※久保田順一先生「武田氏の内藤昌秀は戸榛名神社に
  神木を剪り倒すことを禁じた。」

●)天正3年(1575)12月23日 
  ※久保田順一先生「戸春名神社神領弐貫五百文の安堵状」
跡部勝忠か?

●)天正4年(1575)2月23日 
※久保田順一先生「(戸榛名神社の神宮寺)泉明寺の
弐貫五百文の安堵状・・・
    板垣信安・真田昌幸連署」
    

8)年不詳3月23日 真田昌幸の禁制
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「禁制 榛名山
  於干?彼小屋、濫妨狼籍之事、若此旨於違背之聾者、
   可処厳科者也、
   三月廿三日  真田安房守昌幸(花押)」
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※かつての説「天正4年(1576)」
  ※【解説】「天正9年頃(1581)」
「・・・彼小屋は芦田小屋か?・・・」
  ※久保田順一先生「天正9年(1581)頃(★榛名町誌)」
 天正9年だろうと書いている。花押がこの時代の物・・・
真田安房守昌幸は榛名山に制札を出した。
 「禁制 榛名山
  彼の小屋において、乱暴狼藉の事、もし、此の旨に
  違背の輩においては厳科に処すべき者也。
            真田安房守昌幸(花押)  」
 (★榛名町誌:久保田順一先生)
※栗原修著「天正8年から安房守を使用・・・花押から
  天正8年〜天正10年(1582)「於干?彼小屋、乱暴狼藉・・・
   ・・・真田安房守昌幸(花押)」
★箕輪初心:生方「天正10年説」・・・無理かなあ?
倉渕も支配下に置いていいた。
榛名神社には武田信玄が造った「芦田小屋」と
  「滝の平城(榛名山城)」があった。

3月11日 武田勝頼、甲斐国田野で一族とともに自害し、
     武田家は滅亡した。
3月12日 鉢形城主:北条氏邦は真田昌幸に手紙を送り、
     北条氏直への臣属をすすめた。
3月18日 真田昌幸が織田信長に臣従した。
3月23日 小諸城にて
  織田信長は家臣・滝川一益に上野(群馬県)と信濃国の
  小県郡・佐久郡を与えた。
  滝川一益を関東統治の取次役=東国取次を命じられた。
 滝川一益の役名は「関東守護」「関東ノ主」「関東御警護」
 「関東管領:など・・・
 ※エピソード
 滝川一益は領地よりも、茶器:「珠光小茄子」を所望し
 たが叶わなかったことを悔しがった。

  真田昌幸は岩櫃城・沼田城などを明け渡すことになった。
 同時に、名馬「海老鹿毛」と短刀を下賜された。
  
3月24日か25日頃、滝川一益は箕輪城に入った。
4月8日 真田昌幸は織田信長に馬を贈り、本領を安堵され、
    滝川一益の旗下になる。


9)年不詳 未2月13日 北条氏邦定書
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一 其山諸法度之儀、万端共如先法可有之事、
  一 榛名山建立之義、氏邦為檀那之上着、何分仁茂随身之
    可馳走事、
  一 箕輪城中堅固、諸願成就之祈念頼入上、本意付面者、
  一所可寄附事、
      以上
   右、三ケ条有違背間敷候、若横合非分之儀有之者、早速可
   承者也、乃如件、
          未二月十三日   氏邦(花押)
     榛名山別当坊 」
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※【解説】「天正10年頃榛名神社の保護・・・」
※久保田順一先生「未とあるから天正11年(1583)である。」
「天正12年(1584)保渡田城主:内藤昌月は(里宮)戸
    榛名神社(★榛名町神戸)に外護に当たった。」
★箕輪初心:生方「内藤昌月は保科正俊の2男である。」



10)年不詳 真田信幸定書

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 ※【解説】「天正18年(1590)以降か?
真田信幸は沼田城を治めた。
  ★箕輪初心:生方「7月5日小田原城開城・・・」
8月 徳川家康関東入封・・・沼田に真田信幸


11)年未詳  井伊直政書状

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12)天海僧正
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13)徳川家康書状
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■榛名神社の歴史・綏靖天皇の時代・・・鎮座。
・用明天皇元年(586) 社殿が造営(伝)。
・延長5年(927) 「延喜式神名帳」・・上野国十二社の六ノ宮。
・南北朝時代・・・上野寛永寺下に所属。別当が管理。
・戦国時代・・・・長野業政・上杉謙信・武田信玄・
    北条氏邦(氏康の子)・真田幸隆などの武将に崇敬された。
    特に武田信玄は箕輪城侵攻の際、戦勝祈願を行い杉の巨木
    に矢を立てたという伝説が残っている(矢立の杉)。
   「満行権現」と称され、「元湯彦命」が祭神とされていた。
・戦国時代後期・・・座主職も置かれず衰退。
・江戸時代・・・・・天海僧正が再興。
・慶長19年(1614)「上野国天台宗榛名山巌殿寺法度之事」が発布。
   寛永寺の傘下。
   学頭には中里見光明寺。
   別当には榛名山満行院。
   幕府からも庇護され再隆盛。
・江戸時代中期・・榛名神社は「榛名講」と呼ばれる民間信仰も浸透。
   社家は3000坊を超え繁栄を極めた(伝)。
・明治・・・神仏分離により仏教色が廃された。元の榛名神社に復帰。
・現在  国史・・本社・弊殿・拝殿・国祖社・額殿・双龍門・神楽殿
   ・随神門など。





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