城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行

アクセスカウンタ

zoom RSS 箕輪初心:生方▲真田丸133【潜龍院跡で放鷹実験】&二本松先生【真田信之と鷹狩り】

<<   作成日時 : 2016/12/10 07:19   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

潜龍院は織田信長と徳川家康の甲州討伐により追い込まれた主君の
武田勝頼を迎え入れようと、真田昌幸が潜龍院を建てた。見学会は、
潜龍院をPRしようと初めて開催された。二本松泰子先生【真田信
之と鷹狩り】や【根津松鷂軒常安】などについて話してくださった。
画像

画像


画像


画像

画像

会長:山崎さん
事務局・司会:祢津さん
東吾妻町町長
東吾妻町町観光課長





【1】潜龍院で放鷹術実験 おおたか&ハリーホォーク
○諏訪流放鷹術保存会(田籠善次郎会長、東京都)
鷹匠(現会長:大塚さん)が見せてくださった。

解説は二本松康弘先生であった。
1)「場所に慣れさせる。」
画像


2)渡り




3)記念撮影
画像

画像

・ おおたか
画像

・ハリーホォーク(ノスリ)
画像

・びびる祢津さん
画像

画像

以前、二本松康弘先生の講演会のことを書いて、説を間違えたこと
を詫びた。
二本松康弘先生は「徳川家康の鷹匠は50人程いた。
祢津松鷂軒は5000石なので、直接家康に教えることは
なかったでしょう。弟子が教えたのでしょう。」と
私の質問に答えてくださった。
「ノスリを「ガラパゴスでみましたよ。」


食事はAコープの「お弁当]、そして、会の方の作ってくださった
「けんちん汁」であった。
画像




【2】二本松泰子先生【真田信之と鷹狩り】
画像

【資料19】毎日新聞2016年11月9日朝刊 長野県地方版
真田信之の鷹狩り再現
古文書発見、二本松県短大准教授が企画  
初代松代藩主の真田信之(1566〜1658)がたしなんだ
伝統的な鷹(たか)狩りの技「放鷹(ほうよう)術」の実演会が
20日、長野市の松代城・二の丸広場で開かれる。信之が放鷹術
に興じた際の様子を伝える古文書を昨年、宮内庁書陵部で発見し
た県短大の二本松泰子准教授(48)=古典文学=が企画した。
二本松准教授は「信之が愛した鷹の美しさを、たくさんの人に
見てほしい」と呼びかけている。【川辺和将】
.
松代城で20日「美しさ見てほしい」

信之の鷹書を発見した二本松泰子准教授=長野市三輪の県短大で

画像





▲第一章 祢津氏と鷹狩り

【資料1】『諏訪大明神画詞(えことば)』
禰津神平貞直、本姓は滋野なりしを、・・・・

【資料2】『信州滋野氏三家系図』:続群書類従大7?上
清和天皇→貞保親王→目宮王→善淵王→滋氏王→○→○→道直
→貞直・・・(略)・・・・信直(常安)
画像

【資料3】『蛻ト雑筆』
祢津神平が流は、諏訪の派と云り。・・・御所御鷹飼方の
秘訣を云ふと云は、・・・
・・・宗光15代美濃守信直は入道にして、松鷂軒常安と云、
 宮内大輔元直の男なり、松鷂軒の弟子に屋代越中守、吉田
 多右衛門家元、熱田鷹飼伊東清六、小笠原某、羽根田某、
荒井豊前守、平野道伯等、数人あり、

【資料4】『放鷹』第一篇「放鷹」
1)祢津系図
 2)根津松鷂軒

3)豊岡藩

【資料5】『鷹狩記 祢津流 完』宮内庁書陵部蔵



【資料6】『朝野旧聞ほうこう』内閣文庫所蔵

【資料7】『段家譜』(続群書類従)


【資料8】『系図纂要』


【資料9】『米山一政氏所蔵系図写』

【資料10】『祢津氏系図』高崎市豊岡常安寺所蔵


【資料11】『松代藩士系図』長野県立博物館蔵


【資料12】『御家中分限覚』
1位  2527石  矢沢
2位  1200石  大熊
3位  1169石? 小山田
4位  1000石  鎌原
5位   900石  奥田
6位   800石  小?
7位   650石 祢津志摩守
8位   600石  池田右近
9位   600石  望月
10位  600石  原
11位  600石  玉川
画像


【資料13】『祢津系図』祢津氏所蔵系図

【資料14】『祢津家略系図』(二本松泰子作成)



【資料15】『長国寺殿御事蹟稿』巻之四


【資料16】『真田信之書状』 上州吾妻郡西窪村西窪治部右衛門所蔵


【資料17】『真田信之書状』上州利根郡白岩村中島某所蔵


【資料18】『祢津志摩守ト有之鷹書』宮内庁書陵部蔵
画像


根津松鷂軒が長いこと箕輪城の城番であったことを
二本松泰子先生に伝えた。



【3】箕輪初心:生方「祢津家の歴史」

箕輪初心:生方▲「真田丸」117【禰津一族&徳川家康・真田昌幸・真田信幸】
http://53922401.at.webry.info/201609/article_43.html

箕輪初心:生方▲真田丸67【禰津下の城】:禰津一族&真田一族
http://53922401.at.webry.info/201603/article_12.html

箕輪初心●「滋野一族→海野一族の歴史」
http://53922401.at.webry.info/201111/article_25.html

箕輪初心●【祢津流放鷹演技】&『滋野一族の歴史』
http://53922401.at.webry.info/201111/article_23.html

箕輪初心●岩櫃城探検隊第8弾:真田家臣団一覧
&【唐沢玄蕃の墓&割田重勝の墓】
http://53922401.at.webry.info/201311/article_14.html




・天文3年(1535)頃 禰津政直は禰津元直の次男として誕生した。

・天文13年(1545) 禰津政直は禰津元直から家督を継ぐと、
   武田信玄の家臣として活躍し始めた。
  ★庄内(更科郡)に千貫文を拝領したとあるので、
   根津分家を開いた可能性もある。


・永禄6年(1563) 真田幸綱と供に岩櫃城攻略に加わった。

・永禄9年(1566) 武田信玄の箕輪城攻略
 禰津神平常安=祢津政直は、武田信玄の箕輪城攻めに参陣した。
 落城後は父:禰津元直と箕輪在番を命じられた。


・永禄9年(1566) ※真田信之が生まれた。
禰津一無斎信政は小県禰津城主で、真田氏と同族である。
祢津志摩守は真田信幸と乳兄弟であった。
禰津一無斎元直の妻が真田信之の乳母であった。
禰津一無斎の嫡男:禰津七左衛門=禰津伊予守昌綱が惣領である。
禰津一無斎の2男が祢津志摩守幸直である。


・永禄10年(1570)
8月 禰津神平常安=祢津政直は、生島足島神社に起請文を
納めた。
11月 禰津神平常安=祢津政直は上野箕輪在城の将として武田信玄
 から知行を受けている。

・元亀3年(1573) 7月晦日付 武田氏竜朱印状
禰津神平常安=祢津政直は小県郡内での分国追放人の捕縛命令状の
 宛名人の1人として活動した。
 
・天正3年(1575) 長篠の戦い
 父:禰津元直、勝直の嫡子説:根津月直が討死した。
 ※ 禰津元直嫡子説:根津月直が討死した。

禰津元直戦死後、出家した。
禰津政直は、「根津松鷂軒常安(しょうようけんじょうあん)」
 と名乗っていた。
 家督は3男?説・甥説*根津信直(妻は真田幸隆の娘・真田昌幸
 の義兄弟)が継いだ。

・天正4年(1576) 箕輪城の禰津松鴎軒政直(勝直の弟)
  ●3月27日 奉者:跡部大炊助→瀬戸神十郎
   瀬戸神十郎は信濃海野の内の15貫を宛がう。
   武具を用意して箕輪城に在城をお願いする。
   @城代・・・不在
   A在番衆・・・祢津松よう軒・大井高政・大井満安
   C番手衆・・・瀬戸神十郎は新規で箕輪城に入った。

・天正10年(1582) 3月11日 武田氏滅亡
天正壬午の乱
 禰津政直(勝直弟)は飯山城で守備して、武田信玄の娘:菊姫の
  嫁ぎ先である上杉景勝へ援軍要請を行っていた。

 ★難を免れたとも言える。

   根津勝直・2男:根津信光(昌綱)は真田昌幸とは不和になっ
  ていたようで、いち早く徳川家康に臣従していた。


 弟:根津志摩守幸直は真田家につき、真田家の親族衆として
 矢沢頼綱と行動をともにした。
 徳川家についた真田家は、北條氏邦の大軍により沼田領の諸城を
 次々と攻められていた。
 沼田城代:矢沢頼綱ほか、矢沢頼康の娘婿:根津幸直、北能登守、
 金子綱重、恩田能定らの沼田衆が善戦した。
 3日にわたる激戦の後に、北條勢は兵を引いている。


7月13日 真田昌幸は北条氏康配下・・・
  真田昌幸は上杉景勝にも通じているふりをみせた。 

8月 真田昌幸が徳川家康の配下に加わると、真田を嫌ったようで、
  北条氏直に寝返った。

  本家の根津勝直・2男:根津信光(昌綱)は同族真田昌幸と
  小県で争った。

最終的には、禰津本家も真田昌幸の旗本となった。
 子孫は真田家重臣となった。

★ちょっと「真田十勇士」
禰津政直(根津帯刀)&次男説:根津甚八(神八)貞盛?
は一緒に放浪したと考えられる。
根津甚八は放浪した際に、海賊の頭領となり、のち真田十勇士
として真田幸綱(幸村)に仕えたと言う話になったのだろう。
早く映画「真田十勇士」の嘘っぱちをみたいなあ。
岩櫃城探検隊の時、映画のスタッフの女性と話したり、本屋に
一緒に行ったりしたこともあるし、・・・・


・天正11年(1583) 祢津松鷂軒政直は徳川家康に臣従した。
「禰津」から「根津」に姓を変えた。甲州黒沢と駿州厚原に
350石を与えられた。徳川家康の鷹匠となった。
祢津松鴎軒
政直一旦出家していたが、根津元直3男の根津信直の嫡男?
:2男禰津信政の後見人となった。9月28日付 、徳川家康
から知行宛行状により、根津信政の系統が上野国豊岡藩主にな
った。禰津一族は真田昌幸・真田信幸の家老として活動した。

・天正17年(1589) 11月
祢津志摩守幸直は真田昌幸家臣団の知行宛行いで、岩下郷と
  田沢郷50貫を拝領した。
 
・天正18年(1590)
7月 小田原城開城
8月 徳川家康の関東移封.
  
 根津松鷂軒政直(常安)は上野国豊岡に5000石の所領を得た。
「常安寺」(高崎市豊岡)となる場所に陣屋を構えた。
 
・慶長2年(1597) 根津松鷂軒常安が没した。
  「月光院」(高崎市豊岡)に葬られた。
  法名は「月光院殿心源常安居士」である。
  「月光院常安寺」の名は、法名から付けられた。
  根津松鷂軒政直の家督は弟:根津信忠の子:根津信光が
  継いだ。
  松鷂軒政直の甥:根津信政が上野国豊岡は継いだ。
1万石の大名になった。


【4】上毛新聞:平成28年(2016)11月29日版に加筆した。
《上州真田》タカ狩りと真田しのぶ 東吾妻 潜龍院跡で見学会

戦国武将がたしなんだ伝統的なタカ狩りの技「放鷹(ほうよう)術」
を楽しんでもらおうと、東吾妻町の地域おこしグループ「あざみの
会」(山崎公一会長)は27日、同町郷原の潜龍院跡で同術の見学会
を開いた。約60人の観光客が訪れ、戦国時代に思いをはせた。
タカ狩り文化の保存・普及に取り組む諏訪流放鷹術保存会(田籠善
次郎会長、東京都)に所属する鷹匠(大塚さん)を招いて行った。
鷹匠の合図でタカが急降下したりスピードを出して周囲を飛び回る
と、見守った観客から大きな拍手がわき起こった。解説は二本松康
弘先生であった。以前、二本松康弘先生の講演会のことを書いて、
説を間違えたことを詫びた。食事はAコープの「お弁当]、そして、
会の方の作ってくださった「けんちん汁」であった。昼食後、長野県
短大多文化コミュニケーション学科の二本松泰子准教授が講演会をさ
れた。二本松泰子先生は「根津松よう軒が徳川家康の鷹匠になったこ
と、真田信之の乳兄弟:禰津志摩守などが真田信幸の鷹匠として、当
時、タカ狩りをしていた記録がある」と真田一族とタカ狩りのつなが
りを紹介した。



★明日は?

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
箕輪初心:生方▲真田丸133【潜龍院跡で放鷹実験】&二本松先生【真田信之と鷹狩り】 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる