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zoom RSS 箕輪初心:生方▲箕輪城216【2016年第14回箕輪城まつり後編:先祖は箕輪武士&戦国絵巻】

<<   作成日時 : 2016/11/03 13:07   >>

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平成28年(2018) 10月30日『第14回箕輪城まつり』が開催さ
れた。箕輪城まつり奉賛会会長:裄V佳雄氏が挨拶された。来賓
は小渕優子衆議院議員、岸県会議員、富岡高崎市長、後閑市議
会議長、石川市会議員議、青柳市会議員、安藤観光課長、中村
支所長、寄居町の方々等、多くの来賓の方がお見えになられた。
萩原氏が祝詞をあげた。戦国絵巻が始まった。私は10年連続、
箕輪城祭りに参加している。★戦いながらビデオを撮っていたり、
子ども達の面倒を見ていたりしていたので、写真はあまりない。
攻防戦は長野業政VS武田信玄でも「式」の須藤さん・吉澤さん
・石内さん・みどりさん達の殺陣が光っていた。
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箕輪城の関係者

@長野時代・・・約70年説〜私見100年説
 城主(尚業?→憲業→方業→=業正説→氏業:業盛)
飯森説・・・・・・・長野方業=長野業正説
 黒田基樹説・・・長野方業の子:長野業正説
 

A武田時代・・・16年・・・・
  城代(春日弾正→甘利昌忠・真田幸綱・金丸虎義→浅利
  信種→内藤昌秀→不在→内藤昌月&bQ裄V弥右衛門
  (城番:伴野・大井・祢津松よう軒など)
 
B織田時代・・・3ヶ月
 織田信長家臣で箕輪城代:滝川一益、
 3日間箕輪城に入った。人質の城になった。
  内藤昌明が箕輪城を管理したと思われる。
真田昌幸もいた可能性がある。
 滝川一益は・・・厩橋城(前橋)に3ヶ月いた。
 北条高広は厩橋城から片貝城に移った。

C北条時代・・・8年
 城主・城代
(北条氏邦・猪俣邦憲・多米元忠・多米出羽守平長定
・垪和伯耆守康忠・垪和信濃守・内藤昌月
  8年間・・・

○天正18年(1590)4月 保科正直
    真田昌幸・信幸・幸繁戦後処理
  →前田利常の支配

D8月?井伊直政・・・8年
 井伊直政が豊臣秀吉の命令で箕輪城主になった。
 高崎城に2年6ヶ月・・・


第14回箕輪城まつりに来ていた子孫(知っている範囲で)
@甲斐の武田信玄の先祖:4代武田信義の子:一条氏系一条信長流
裄V弥右衛門・諸左衛門(武川衆:山梨県北杜市)子孫
裄V本次先生・裄V佳雄先生
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・天正5年(1587)*箕輪城代:内藤昌明の目付bQで、裄V
 弥右衛門・諸左衛門箕輪城に入城した。
 子孫は裄V本次元箕輪城奉賛会会長・裄V佳雄(系図は
 タの蛛j奉讃会会長
 本次先生、父の葬儀に来てくださり、ありがとうございました。
佳雄先生、拙宅に来てくださり、ありがとうございました。

 
A真田昌幸家臣だったと思われる小渕家子孫:小渕優子衆議院議員
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 小渕家・・・宇多源氏系佐々木氏族?・・・
  文安年間(1444~1449) 天台宗:長馨(ちょうけい)和尚が宝満山
  林昌寺を創建した。
 戦国時代、真田幸綱(幸隆)の弟:矢沢薩摩守頼綱が再興した。
 曹洞宗になった。
 ★真田幸綱は10ヶ月、箕輪城代になっているので
 小渕家先祖も箕輪城に来た可能性がある。
 真田昌幸・信之の庇護・寄進した。
 寛永15年(1639)現在地に移った。
 中之条町大字伊勢町1002
江戸時代初期・・・小渕家文書(中之条町重文)がある。
 「足利領折田改帳」真田家臣の給人名に小渕家がある。
 小渕恵三先生の墓は群馬県吾妻郡中之条町伊勢町の宝満山
 林昌寺にある。

小渕先生、拙宅に来てくださって、ありがとうございました。


B箕輪城代:浅利信種→昌種の長男系直系子孫黒崎K氏
・弘治3年(1557) 長野業正が長純寺を再建した。
  中泉兄弟が柱を1本寄進した。
(★『箕郷町誌:近藤義雄著』・長純寺史:齋藤勲・長野信道著)
 黒崎角次郎氏は「中泉兄弟が浅利信種の長男:昌種と弟である。」
 としている。
  (★浅利信種→浅利昌種→長男系:黒崎氏系・・・
   子孫:かみつけの里友の会会長:黒崎角次郎氏)
群馬町@浜川公園東100mの??砦、A金剛寺、B???社
 (群馬銀行の西100mから北に50m)は砦だった。
個人的には、長純寺の柱寄進の中泉兄弟=浅利説
には同意できない。
歴史背景上、無理なのである。
この時点では、武田信玄の味方が、南牧の市川氏・甘楽の小幡氏
しかいないのだから、
永禄10年(1567)生島足島神社の起請文
「富所氏」&「友松氏」は浅利信種を通して
 生島足島神社に起請文を提出した。

しかし、私の母方先祖:塚越伴七(半七)が浅利信種を
通して生島足島神社に起請文を提出したのは知らなかっ
たようだ。・・・  

武田信玄の妹の子:下条頼安とも縁戚という。

★とにかく、黒崎家は第1級資料を所持しているので、
「武田氏家臣団人名集」の浅利信種・昌種を書いた
 柴辻俊六先生・笹本正治先生・平山優先生・丸島和洋
 先生の知らない資料がごっそりあるって、ことかな?
武田家臣については群馬県では黒崎角次郎氏が一番知っ
 ている。
黒崎角次郎氏は武田信玄の箕輪城支配や山梨「石原家」
「石原家文書」の中の「真田昌幸が八王子城にいた北条
 の垪和伯耆守康忠に帯解きの儀を依頼した。」
 文章等を発掘したのだ。
 丸島和洋氏並みの歴史学者なのだ。・・・


・永禄12年(1569)武田勢は小田原攻城後の帰路において北条方
   の北条氏照・氏邦等が退路を塞ぎ、武田方の挟撃を図った
  ▲三増峠の戦い
浅利信種が馬上で部隊の指揮を執っていたが流れ弾に当たり、
  討ち死にした。
  軍監として陣中にあった曽根昌世が浅利隊の指揮を引き継ぎ、
  指揮官を失った浅利隊をまとめたという。
(★『甲陽軍鑑』)
  浅利昌種が跡を継ぎ侍大将となった。
父の被官・同心のうち半数の60騎のみを継いだ。
  残りは土屋昌続の被官・同心となった。
  後に土屋昌続が長篠の戦いで戦死してからはその半数60騎も
  引継ぎ120騎持ちとなった。
・天正9年(1582)3月11日 武田氏滅亡後
  浅利昌種は徳川家康に仕え、本多忠勝に配された。
(★ウィキペディア)


C長野業正高家:青柳金王丸の子孫青柳M氏
母方が木部10騎の子孫である。


D長野氏侍大将:安藤九郎左衛門勝道の子孫の方
 &(井伊直孝侍大将:安藤重勝)
 井伊直政の実母の再婚相手:松下源太郎と同じ、
 竜門寺が菩提寺である。


E加賀美遠光系小笠原長清系伴野信行直系子孫友野Hしゃん妻
  (拙宅4軒隣)
 箕輪城城番→根小屋城城代(高崎)


F井伊直政家老:石原主膳子孫&木部10家筆頭飯島氏子孫
飯島M氏
石原家から養子に行った24将「三枝守友」・・・
石原主膳(山県昌景の鉄砲奉行→北条氏政の鉄砲奉行
  →井伊直政家老:旗奉行)も排出している。

G武田信玄家臣:大井系堀内政豊の子孫:堀内Rちゃん
高坂(春日)源五郎・曽根昌世・堀内政豊は
三枚橋城(沼津城)城代になった。



H武田信玄家臣:諏訪氏系三澤氏子孫:三澤Mちゃん
武田信玄&諏訪御料人の子:武田勝頼の配下として
箕輪城に配属されたのであろう。

I井伊直政侍大将:関口(井伊直政の祖父の姉妹?は今川義元の
 側室→今川義元の義弟の関口親水の妻)子孫:関口O氏?

J井伊直政侍大将:戸塚氏?の子孫:戸塚まーちゃん

K長野業正叔父:第1家老:藤井友忠子孫:藤井氏や齋藤氏、

L安田氏子孫
裄V家から福田赳夫先生の先祖も嫁に行っているそうである。
裄V家と安田家は親戚である。
近藤義雄先生は群馬の姓名辞典では「長野一門」としている。
 箕輪城搦め手の墓には「長野氏一門と墓に刻んである。」が
★私見・・安田家は武田初代:武田信義の弟:安田義之で源頼朝に
 殺された一族で、武田信玄が再興させたのであろう。
 ・・・諏訪神社の宝生流の踊りを継承していることから、
 安田一族・石川一族諏訪大社の宮司?御師の可能性が高い。
 武田信玄は信濃諏訪大社から勧請して、各地に諏訪神社を
 立てた。箕郷に上諏訪神社(箕輪城の一角)・下諏訪神社がある。
 武田信玄は信仰を利用して、地元の侍との親交を図ったので
 ある。
 従って、安田一族・石川一族は武田信玄の家臣、諏訪御料人の子
 :武田勝頼・あるいは仁科盛清の家臣として、箕輪城の搦め手口
 に住んだ可能性が高い。墓も箕輪城の搦め手口の一角にある。
 安田家は箕輪城の本丸を所持していたが、国史跡に際し、土地を
 手放した。
井伊直政は高崎に上諏訪神社・下諏訪神社を造らせた。

M石川氏子孫
長野業正の侍医:石川氏説
武田信玄家臣:信濃村上氏族石川氏説
 

N武田信玄家臣:塚越伴七(永禄10年の生島足島神社の起請文
 がある)の子孫の私・・・など



●箕輪城まつりに来なかった、来られなかったと思われる子孫。
@長野業正長男:長野吉業系子孫:元総理大臣:福田赳夫一族
福田達夫氏の秘書の方が来たけれど。・・・・
A長野業正の養子:里見義樹=石井信房子孫榛名石井氏
  ・安中石井氏
B長野業正の次男:長野氏業=長野業盛子孫長野氏?
   来られたか不明・・・
C長野業正の妹婿系羽田氏子孫の羽田孜元総理一族
D和田業繁→和田(跡部勝資の子)信業の子孫の和田H氏
D春日(高坂)弾正系子孫・・・
E箕輪城代:甘利昌忠子孫甘利明元経済復興大臣一族
F箕輪城代:金丸虎義子孫?金丸信元副総理一族・
G箕輪城代:真田幸綱(幸隆)子孫:真田家14代真田幸俊一族

H箕輪城城番→興国寺城主:曽根昌世子孫?中曽根康弘一族
   ・中曽根Y先輩一族
・永禄10年(1567)
曽根昌世は「武田信義事件」で武田信玄から疑われていたが、
 曽根昌世は箕輪城城番になった。
▲三増峠の戦い 
  相模の北条氏康との戦い・・・
  浅利信種は武田軍の殿軍を務めていたが戦死した。
 軍監:曽根昌世が部隊の指揮を引継ぎ、撤退を成功させた。
 ・曽根昌世と真田昌幸らは駿河侵攻に際して共に活躍した。
 武田信玄からは、伊豆侵攻と韮山城攻めの偵察において、
 曽根昌世と真田昌幸は「信玄の両眼の如き者ども」
 と信任されていた。
 (★『甲陽軍鑑』)
・永禄11年(1568) 今川氏が滅亡。
  甲相駿三国同盟が破棄された。
  武田氏の駿河侵攻に対抗して北条氏政・北条氏邦も駿河に侵出
  した葛山城・興国寺城を奪回した。
・永禄13年(1570) 正月、城主:大原資良以下今川家臣の立て
 籠もる駿河花沢城に攻め入った。
 1月27日に駿河花沢城攻め
  曽根昌世は三枝昌貞(守友)に次いで2番槍を勝ち取った。
  武田信玄が駿河を奪った。
・元亀元年(1570) 伊豆韮山城攻め
    曽根昌世は武功を挙げた。
・元亀2年(1571) 甲相同盟が再び成立した。
   武田氏に興国寺城が引き渡された。
 (天正10年(1582)まで武田氏の支配下におかれた。)
 曽根昌世は駿河興国寺城代を任された。
 
箕輪初心:生方●西伊豆A「三枚橋城→沼津城」:武田信玄も
侵攻した城
http://53922401.at.webry.info/201510/article_10.html
 
・天正3年(1575) 長篠の戦い
   曽根昌世も参加した。
・天正5年(1577) 
   武田勝頼が三枚橋城築城説。
●武田氏の三枚橋城代
 ・高坂昌信(春日虎綱)の次男:高坂源五郎(春日昌元=信達)
 ・曽根昌世・昌長(中曽根総理先祖?:箕輪城から)
  ・大井系堀内政豊(友達の先祖)が 
  三枚橋城代になった。
(天正10年(1582)まで武田氏の支配下におかれた。) 
※天正10年、春日信達:(真田丸での呼び方)は、海津城主:
  森長可の信濃撤退を妨害した。森長可が烏帽子親だった春日信達
  の子どもを人質にし、松本で殺した。
  慶長5年(1600)3月、初代川中島藩主として北信濃に
  入った森長可の弟:森忠政は信濃に残っていた春日昌元
  の一族は残らず18年前の罪で一族全員が磔刑にされた。

・天正10年(1582) 3月11日
  武田勝頼が織田信長・徳川家康の連合軍に攻められて滅亡。
  徳川氏に仕えた
  (★曽根はかなり早い時期から徳川に内通していた説もある)。
 6月 本能寺の変 織田信長の死。
  ▲天正壬午の乱
  徳川家康は甲斐へ侵攻した。
  曽根昌世も参加した。
  武田旧臣:曽根昌世・駒井政直などと共に武田遺臣を徳川氏
  に味方させるべく起請文のまとめ役(取次)となった。
   北条家との戦いに大きく貢献した。
  天正壬午の乱後
  曽根昌世は功績により興国寺城城主となった。
  程なく出奔した。
・天正18年(1590) 蒲生氏郷に仕えた。
・天正19年(1591) 曽根昌世は真田信尹(加津野昌春)とともに
  九戸攻めに加わった。
★井伊直政も行っている。
  蒲生氏郷の会津若松城の縄張りを行った。
  曽根昌世は馬場美濃守・山県昌景から軍学や築城術などを
  直接学んでいた(伝)からである。

 子孫は曽根氏・上曽根氏・中曽根氏・下曽根氏
  中曽根家は山梨県八代郡中曽根がルーツである。
  私も中曽根先輩も山梨の中曽根氏を調べた。・・・
 群馬県から長野県上田市にかけて「中曽根」姓が多く見られる。
 旧榛名町に中曽根一族は残った。

江戸時代 
 ★中曽根慎吾宗よし:和算の大家&教育者・・下里見出身。
  大数学者:中曽根慎吾宗よしを輩出した。

●八幡八幡宮の算額 (群馬県指定重要文化財)
江戸時代和算家が自分の考えた数学の問題と答えなどを書いて寺
社に奉納した。円の面積もあった。現在は公開していない。
江戸時代日本独自の数学で関孝和が先駆けとなった
 「和算の大家 関孝和」上毛カルタ。
江戸時代中期以降で、優れた和算家を排出した。
 八幡宮には、三面の算額がある。
文化7年(1810)奉納
  @小野良佐栄重(松井田)と門人奉納の算額
  群馬県に現存する約70面の算額中最古の産額 
天保5年(1834)奉納 
 A巖井右内重遠と門人奉納の算額
安政7年(1860)奉納    
 B中曽根真吾宗邡(むねよし)と門人奉納の算額
   
・昭和時代
 中曽根康弘元総理大臣や高校時代の中曽根先輩は
 子孫である。
 元総理の中曽根康弘氏は中曽根先輩の一族である。

箕輪初心:生方▲2015高崎【旧榛名町の歴史散策】
 http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201509/article_22.html

箕輪初心:生方♯音楽:【2016高橋貞春Cla.演奏会】
&武田家臣子孫「中曽根・宮脇」
http://53922401.at.webry.info/201610/article_19.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201610/article_19.html


I箕輪城主&厩橋城主:滝川一益の子孫・・
J箕輪城主:北条氏邦子孫北条家一族・・・鉢形城での家臣は来ていた
K箕輪城代:猪俣邦憲(冨永助盛)子孫・・・猪俣氏(元同僚)
L箕輪城代:多米出羽守平長定子孫
M箕輪城代:垪和伯耆守康忠・垪和信濃守子孫
N箕輪城主:井伊直政子孫・・・井伊岳夫氏一族・井伊達夫氏一族は
  来なかった。



【0】14回箕輪城まつりタイムスケジュール
  10月30日(日)午前9時30分〜午後3時頃

【1】09:30 出陣式(高崎市箕郷支所)

【2】10:00〜11:30 武者行列

コース:箕郷支所⇒四谷⇒鍛冶町⇒本町⇒矢原宿⇒箕輪小学校
⇒内宿⇒虎韜門⇒三の丸⇒二の丸⇒本丸
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・上泉流
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【3】11:30〜アトラクション
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・実行副委員長
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【4】13:00〜開会式
箕輪城まつり奉賛会会長
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富岡賢治高崎市長が長野業政役であった。
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・後閑太一市議会議長
 保育園の同級生・本家の親戚である。
  後閑一族は本郷景忠と本郷堰(黒沢川)を切り開い
 た。
 弘治3年(1497)長野業正は本郷堰から
 長純寺堰を掘削した。長純寺の水源とした。

・石川市議
  長野家医者説
  信濃村上義清一族石川説・・・
 

・岸県議
 先祖は白井長尾景仲3男系・・・
 上杉憲房に仕えたが、長野業正の客分高家として
 箕輪城にいた。上泉伊勢守と並ぶ剣客:岸監物
 である。福田赳夫先生の眠る得成寺の開基と
 なった。岸家は岸家・・・・
 昭和の剣豪「持田誠二」も子孫である。

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・安藤震太郎観光課長
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 安藤家先祖は妙義の長野業正の親戚:高田氏家臣であった
 ようだ。
 
・中村支所長
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●萩原氏・・・地鎮祭でお父様にお世話になりました。
  善友会旅行でもお世話になりました。
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●着到帳
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【5】14:20分〜14時50分 箕輪城攻防戦
・みどりちゃん
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【6】15:00〜閉会式

【7】15:10〜 写真撮影会
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【8】15:30〜「剣聖:上泉信綱」ロケ非公式
  BSで来春1月14日放送、
  主演は村上弘明・・・鎧での合戦風景の撮影に参加
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上泉信綱が本城:上泉城(前橋)から、香取神社(茨城)・赤城神社
などで修行し、箕輪城に剣術の出前指導をした。上泉信綱は剣道で
使う竹刀の原型となる袋竹刀を考案したことなどから「剣術の祖」
といわれている。また、上泉城4代目城主として、武田信玄と死闘
を繰り広げた際には、「上野国一本槍」と呼ばれた。
武田信玄は上泉秀綱に武田信玄から「信」の一字を与え、上泉信綱
になった。箕輪城落城2年前には旅に出た。映画「真田十勇士」の
ように人質を救出したり、奈良宝蔵院の槍の胤?と戦ったり、柳生
石州斎に一刀流を認可したりしたと言われている。
でないと、柳生の認可が年代が偽物になってしまうのだ。
その後、上泉信綱武田信玄家臣の箕輪城代:内藤昌豊の家臣に
なっている。
つまり、上泉伊勢守信綱は内藤昌明・裄V弥右衛門・諸左衛門
(裄V本次・裄V佳雄箕輪城まつり奉賛会会長の先祖)と対面して
いる可能性が高い。
ドラマでは旅に出たる以前の半生を中心に描くという。
?月 「新陰流」の創始者「上泉信綱」を主人公とした特別ドラマ
「剣聖上泉伊勢守信綱物語(仮称)」の制作発表が前橋商工
会議所で行われた。主演は村上弘明氏が前橋に来られた。
10月30日、11月12日・13日は箕輪城で、11月中旬には
赤城神社などで撮影を行っているはずである。
来春1月14日のBS放送で2時間ドラマとして放映予定となってい
る。



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