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zoom RSS 箕輪初心:生方▲箕輪城231久保田順一先生の新刊『長野業政と箕輪城』前編

<<   作成日時 : 2016/11/28 08:37   >>

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★平成26年(2016)11月26日、榛名文化センターで、久保
田順一先生の講演会「(新田義貞の子ども)義顕・義興・義宗と
南朝」があった。12月8日が公式の発売日であるが、戎光祥
出版と榛名町の本屋「戸田書店」がコラボして先行発売された。
*シリーズ【実像に迫る】「長野業政と箕輪城」久保田順一著
戎光祥出版から1500円+税で、発売された。久保田先生は
箕輪城の城主と結論づけてはいないが、「長野業尚(尚業)→
憲業→箕輪長野信業はなく、もしかしたら、厩橋長野信業→
長野方業・・=業政かもしれない。」と考えているようである。

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●久保田先生の本を10000円以上買った。サインもいただ
いた。。
●山本隆志先生の本は持ってきてサインして貰うのを忘れた。

 
箕輪初心:生方▲箕輪城208【久保田順一先生20160827
「長野業正:新系図発見」】
http://53922401.at.webry.info/201609/article_1.html

【0】表紙のコメント
主家の再興に賭けた人生

戦国乱世に中で。武田信玄・北条氏康を翻弄した
「上州の大鷹」。
業政の没後、迫り来る武田軍の前に居城箕輪城の運命は


【0】はしがき
長野業政に関する史料は極めてすくなく、実像は捉えにくい。
長野業政の残した書状は一通も残っていない。
花押・実名さえ分かっていない。

「業正」・・・「雙林寺伝記」学術書
「業政」・・・諸系譜

1)『箕輪城と長野氏』近藤義雄著
長野氏は長野郷を基盤として上州一揆の旗頭から出発し、守護
上杉氏の没落後、一族・被官を同心化することに成功し、小戦国
大名のとして描かれている。

2)「上野の戦国史」黒田基樹氏
守護上杉氏の各地域を支配した上野国衆についての研究が
進められた。
長野氏についても再検討がすすみ、異なった歴史像が描かれ
ている。

3)『長野業政と箕輪城』久保田順一著
長野郷に拠った長野一族には、箕輪長野氏と室田長野氏
という2つの独立した家が想定できる。
これまでは箕輪長野氏は室田に進出したと考えられていたが、・・・
★「浜川長野氏ではないでしょうか?」

鎌倉時代からの『郷』→戦国時代の『領』
@「箕輪領」(浦野家文書)・・・・箕輪長野氏
A「長野領」(市谷八幡宮文書)・・別の自立した国衆


【第1部】山内上杉氏の重臣として
第一章 長野一族の発展
1)長野一族の舞台となった長野郷
・長野郷の場所

・平安時代・・・荘園の形成
国衙領の「郷」の再編成
「長野郷」は府中の西に形成

・鎌倉時代
 「長野氏」は長野郷の郷司であった。「石上」を姓とした。
「長野氏」は上野国衙の代官:目代=在庁官人でもあった。
鎌倉幕府の御家人
「長野刑部丞」(★「吾妻鏡」)

※上宿・裏宿・西宿が形成
※板東札所・・・白岩観音〜箕輪〜水沢寺
※石造物

・南北朝時代
 長野氏は没落した。
※箕輪に安国寺
※守護上杉氏(★顕房)・・・→長野氏かも?

「長野郷」の重要拠点:浜川・・御布呂
(奈良石上神宮に関わっている・・石上寺があった伝)
 ※奥大道(中世の東山道)の「本宿」があった。
 ※乙業館・隆業館・・・時宗:来迎寺があった。
   長野氏発祥の地説
   ・・・浜川長野氏 

・室町時代
 長野氏は復活・・・一族の復活か別の長野氏であろう

・戦国時代
  箕輪領を支配した。
  



2)業政はいつ生まれたのか
@ ・延徳3年(1491)説 ・・・71歳没 無理がある。
  ・明応8年(1499)説・・・・63歳(木造背銘)


 A系図
長年寺系図・・・祖父は業尚・父は憲業
信業はない。
憲業の弟は方業
妻は「花屋理栄」

  長野稔氏系図・・・父は憲業弟:信業


★信業=憲業(★近藤義雄先生説です。)
★「嫡嗣憲業左近次、庶子金刺明尚諏訪公、慈母松畝正貞優婆夷」
(曇英恵応語録)
(★黒田基樹先生はこれを重視し、憲業の養子が方業
    方業の子は業政としている。)

3)室田長野氏の拠点鷹留城
・15C初頭 
木部弾正左衛門道金は榛名神社俗別当職であった。
「毛呂田(室田)などを足利幕府に安堵を求めた」

・延徳2年(1490) 長野業尚の草津温泉遊蕩
長野業尚は草津温泉で入湯した時、長尾為景(上杉謙信父)
 &恵応(雙林寺3世)に会った。
 →不思議体験伝説
「草津温泉に泊まった湯本氏の旅館:?・・息子が死んで、
   温泉が出なくなった。・・・これに答えた3人衆・・・
   やがて、温泉が再び出てきた。・・・・」
(★「久保田順一先生講演会」より)

長年寺を白井双林寺3世曇英和尚が開山し創建した。
(★『石上寺記』)
★久保田順一先生説・・・室田も長野郷に属していた。
 長野業尚は榛名の長年寺を開基したことをみると、
 室田が拠点であった。
 室田と神山と烏川の渡河点としてできた宿である。
木部氏&長野氏は上杉氏の命令で進出したと考えられる。

・明応6年(1496)3月7日付
「長野伊予は戸榛名神社(★榛名町神戸です。隣が神戸砦
   ・・・新幹線の真上)に山林・田畑などを安堵した。」
(戸榛名神社文書・★桜沢家文書です)
★久保田順一先生説・・・長野氏の最初の関わりの文書
★山本隆志先生「群馬県史に掲載されていない資料です。」


・文亀元年(1501) 曇英恵応が長年寺に入寺。
  (★日本洞上諸祖伝等:久保田順一先生)
 「上州双林寺曇英慧応禅師、京兆華冑藤姓法輪之末裔・・・
   明応六年丁巳・・・平能景(長尾氏)於越後山□
   林泉寺、・・・
   文亀辛酉予州太守長野氏就上州室田□立長年寺延師、
   師喜其地幽閑適禅宴移此、・・・・
  (★日本洞上諸祖伝:★享保12年成立:山本隆志先生)

・永正10年(1513)4月吉日 大戸要害の落居の祈祷を
  巖殿寺(榛名神社満行権現)に依頼する。
「下地百疋(1貫文)を寄進した。」]
 (★長野伊予守憲業の立願状写:榛名神社文書)」
(★「榛名町誌:久保田順一先生」・箕郷町誌:近藤義雄先生)


4)業政と方業は同一人物か
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5)上野各地に勢力を伸ばした長野氏
@箕輪長野氏と室田長野氏と厩橋長野氏が勢力を伸ばした。

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 「系図纂要」の「長野氏系図」(★群馬県立図書館蔵)
★今回の久保田先生の大目玉商品は、徳川光圀から以降に作られた
「系図纂要」の中の「長野氏系図」である。
★私が知り得た長野氏系図は19となる。
長野業綱→業行→業高→業景→業久
信業→業正→業盛→業輝→業真
定俊→藤井豊前守
@長野業綱・・・小四郎。右京亮。飛騨守。
永享十年生。長禄二年嗣。文明中、属上杉顕定陣五十子。
同(文明)十八年二五 実巻合戦先陣討死
A長野信業・・・長野彦二郎。右京亮。伊予守。
大永六年四築箕輪城。天文三年七五卒。
※久保田先生「?年、長純寺が信業に下柴に造営された。」
 ★正確には「水草・・・第五保育園北隣です。」
B長野業正・・・信濃守。右衛門大夫。永禄四年六廿一卒七十一
C長野業輝・・・長野伝蔵。天正十八年属井伊直政、在小田原
※久保田「井伊家に仕えた家系伝承と一致する。」
似た系図に「石井泰太郎氏所蔵系図:箕郷町誌」
箕輪長野氏と室田長野氏の系譜を示している可能性がある。

厩橋長野氏の関係する寺は長昌寺・橋林寺である。
 
「長昌寺寺伝」
長野宗賢→道安→賢忠→道賢である
長野信業の子→憲業・・長男:方業
           次男:道安
「橋林寺寺伝」では
 長野聖仲(顕業)・長野賢忠・道安・道賢がみえる。

●結論・・・長野業尚の子は長野方業とは考えにくい。
長野方業の位置づけは不明である。

6)箕輪城と鷹留城の関係

●結論・・・
箕輪長野氏の居城:箕輪城・室田長野氏の居城:鷹留城は

@築城年代不明 ・・5説 年代も近いから
A2つとも規模的にあまり大きさが変わらないから




第二章 山内上杉氏と業政
1)山内上杉氏の内紛と上州一揆

2)惣社長尾氏の謀反と鎮圧



3)山内上杉家の家督をめぐる憲寛と憲政の争い


4)憲寛の擁立を支援するも敗北


5)憲政への帰順と国衆の関係修復


第三章 河越合戦・佐久合戦
1)業政を頼った真田幸綱


2)虚実にまみれた河越合戦


3)佐久地方をめぐる武田氏との攻防


【第二部】主家再興をめぐる北条氏との激闘
第二章 山内上杉家の再興と小田原攻め
1)山内上杉家の没落により北条氏に従属

2)山内上杉家の復活に動く


3)菩提寺長純寺を再建する

4)長純寺造営にみえる業政期の長野家中



5)謙信の上野入りを手引き


6)「関東幕注文」にみえる箕輪衆の構造


7)小田原陣中に蔓延する病


第二章 業政の死と一族のゆくえ
1)病に倒れ、長純寺に葬られる


2)業政にまつわるエピソード


3)業政の妻と子

4)箕輪城落城


◆参考文献・基本資料・自治体史


◆長野氏関連年表



●▲■箕輪初心:生方のおまけ**************
▲近藤義雄先生
「長野弾正(正弘)来迎寺系の系図採用」
浜川長野氏→室田長野氏が箕輪に移動移動
箕輪長野氏が主流
厩橋長野氏がほかにいた。
乙業→隆業→業尚→信業=憲業→業政→氏業(業盛)
@長野業尚→A長男憲業→長男:業氏:鷹留城→業通
       次男:信業
       3男:方業     
            次男:B業政→吉業
                  C業盛→亀寿丸=鎮良
                  女子12人 
  3男:直業(箕輪富岡)


▲山崎一先生
乙業→隆業→業尚→憲業→信業→業政→氏業(業盛)


▲山田邦明
『戦国のコミュニケーション』山田邦明著
  長野方業は厩橋長野氏である。        
A,大永4年(1524)「徳雲軒性福状」(上杉文書)・・・
※久保田先生・・・山田邦明(2002)が発見された文書
密書で10cm×15cm位の大きさ
総社城の徳雲軒=家老クラスが長野方業にあてた密書

「其夜可被仰付事」
「一、彼のくるわへ引入れ申時、らんはうの事、」
※久保田先生・・総社城の曲輪に引き入れ申す時、
乱暴はしないでくれ。

「一、其身討捕申時、おのおのたしなみの事、」
※久保田先生・・総社城の誰かの身を討捕し申す時、
各自、たしなみ=武器をきをつけてくれ。
つまり、夜なので、長い槍などは使えない。
「一、・・・・」
「一、・・・」
「一、まやはし殿御人数いそき東口へ火手あへさせ御申事、」
「一、西南之火手動、こなたのと同前ニさせられへき事、
さやうに御座なくしてはこなたのくるわへとりかけ
申へし、如件首尾あひ申候者、八まん大菩さつも御
照覧候へ、いたしそんたし申へし候、此外、行之様体之事者、
口上に申候、以上
 十二月二日(大永4年1224か?と久保田先生)
徳雲軒性福
箕輪へ参

B、「徳雲軒性福宛長野方業書状」(★群馬県史)
「御覚悟之旨玄ニ条々承候間、左衛門、四郎進退並其口所帯之儀、
 兎にも角にも任可申候段、以誓詞申候き、然而八木駿河入道所
 へ被載誓詞承候、先以落付申候、乍去於此上も、直二方業方へ
 以御誓詞承候者、邪以添?可存候、八幡大菩薩・春日大明神・
 石上布留大明神御照覧、誰にも不可令口 外候、至干其元者、
 可御心易候、御返事到来候上、即時二御陣へ罷出、御返事可申
 調候、  恐々敬白 」
 11月17日
           左衞門大夫方業(花押)
 徳雲軒 」

 
▲飯森康広先生説*********************                  
@浜川・・・長野為兼=為業   
          ↓
A室田・・・   業尚=尚業→憲業・・・・・業氏?
                    ↓
B箕輪                方業=業政?→氏業

C厩橋:長野周防守?・宮内少輔→賢忠→・・・・・道賢
 ★飯森康広先生説「長野方業=長野業政」
   ・・・あるいは業政の父である。」
  長野左衛門大夫方業=長野左衛門尉業正




▲黒田基樹先生・・・・3家?

@浜川・・・??     

A室田・・・   業尚=尚業→憲業・・・・・業氏?
※業尚の子は憲業と諏訪明尚のみ()
         ↓
B箕輪     憲業の養子は方業→業政→業正の子:氏業
業政に養子に里見義樹(石井義樹)がいる。
(★「西上州の中世」黒田基樹著)
C厩橋:長野為業→顕業→賢忠→・・・・・道賢
『戦国期上野長野氏の動向』黒田基樹著は、初代:長野左衛門尉
為業、2代顕業(聖仲):厩橋を本拠地、3代長野賢忠としている。
そして、長野賢忠の弟:長野方業は箕輪長野憲業の養子になって、
生まれた子が長野業正だった。

▲久保田順一先生*********************
長野左衛門大夫方業が惣社長尾氏の重臣:徳雲斎を調略した。
長野左衛門大夫方業が箕輪城主として文書を発給している。
   (★徳昌軒の文書)
 ところが、内応が発覚した徳雲斎は長尾顕景に殺害された。
 長野宮内大輔(賢忠か?)とともに惣社長尾家を攻め、追い詰め
 られた長尾顕景が既に上杉憲寛と和睦をしていた長尾為景の仲介
 で降伏した。
 ★なお、長尾景誠の妻は業正の姉とされているので、長野方業と
 長野業正が父子かもしれない。

▲峰岸純夫先生**********************


▲新編高崎市史*********************
 ほかに「大胡長野氏」がいる。

▲山本隆志先生
*16C前半 長野郷は広く、
 「浜川に長野氏・木部氏・松田氏の屋形=館があった。」
@浜川長野氏が室田長野氏になって、・・・・  



★明日は?

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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
お世話になります
とうとう出ましたね!早速明日に榛名町へ行ってきます
棟治
2016/11/28 15:37
本買ってきました
なんか薄すぎ
もうちょっと何か石上氏の出自とか
鎌倉期の話とか・・・
もっと色々欲しかった・・・
棟治
2016/11/29 23:29
久保田先生、難しく書かなかったようですよね。年号も少ないしね。分かりやすい本を目指したのでしょう。
棟治様へ
2016/12/01 12:05

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箕輪初心:生方▲箕輪城231久保田順一先生の新刊『長野業政と箕輪城』前編 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
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