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zoom RSS 箕輪初心:生方▲真田丸128【第45話「完封」】&スパイ密告者は誰?

<<   作成日時 : 2016/11/23 09:11   >>

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いよいよ、大坂冬の陣が始まる。幸村の本領発揮なるか!
@真田幸村は、手薄な砦が襲われていることから、内通者が
いると感じた。幸村は、織田有楽斎が密偵である?と考え、
食事で情報を流して確認する。 A徳川家康は、上杉景勝に
「真田丸を落とせ」と命じる。B幸村は真田丸で迎え撃つ準備
を急いだ。息子:大助は旗を振って前田勢を挑発した。前田勢
次々に鉄砲兵に撃たせる。城内に入ってきた徳川軍を幸村や
後藤たちが討ち取る。真田軍は勝鬨を上げる。C景勝は
「日の本一の兵、真田左衛門佐!」と叫ぶ。家康は大敗を
喫し、兵を撤退させた。
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【1】第45話「完封」のあらすじ
◆ナレーター
「徳川勢の襲来を前に、豊臣方の方針は籠城と決まった。
真田幸村は、大阪城に出城である真田丸砦を作り上げ、
徳川の軍勢を迎え撃つこととなった。」
「慶長19年(1614)11月19日、大坂冬の前哨戦となる事件
 が起こった。」


●木津川口砦
深夜、徳川方の蜂須賀勢は、明石隊の守る木津川口砦を急襲し、
砦を奪い取ったた。

◆ナレーター
「明石は天守にいた。」
「11月26日次に、今福砦を佐竹勢1000が落とそう
 としていた。」
●大坂城
幸村「後藤殿、長門守様を頼む。」
「承知」

●今福の
「後藤又兵衛、見参」
木村重成と後藤又兵衛は迎え撃とうとするが、
歯が立たない。
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◆ナレーター
「8000にも膨らんだ徳川勢に為す術もない。」


●天守での軍議
幸村「ご安心ください。」
幸村「敵の真の狙いは南・・・この真田丸で」
と安心させた。

大坂城の動きが見透かされている。
情報を流してるやつがいるのでは?
毛利勝永はちょっと怪しいと思う。
勝永「木津川の砦は明石がいなかったとき、
 今福は準備が整っていないとき、・・・・・・
 守りが手薄な時にばかり攻めこまれている。」
幸村「内部から情報が漏れているのではないか?」
と・・・2人は密偵がいると思った。
幸村は、織田有楽斎が密偵であると考えた。


●酒蔵・台所
幸村は有楽斎を酒・食事に誘った。

幸村「西側が今、・・・
   博ろう口?・・・襲われたら大変なことになる」
と偽情報を流した。


●幸村の陣
案の定、徳川勢が指摘した西側に徳川が攻め込んだ。
「早かったな。」

幸村「やはりあの男・・・か・・・」
とつぶやく。


●江戸の真田屋敷
信之と松は不安になっている。

信之のもとに、福島正則が現れた。
「大阪の兵糧を秀頼公に送った・・・・
 のがばれて、・・・
 大御所様に散々叱られたわ。」

平野も来た。
「この戦、長引くと思う。兵糧を豊臣方に渡したいのだが
 ・・・。」
「なりません。」

「豊臣に源次郎がいる。是非、間を取り持ってもらいたい。」
と頼んだ。
「お主しかおらん」

信之「徳川に背く行為である。」
真田信之は困ってしまった。
信之は幸村に何かしてやりたいという思いから
稲に相談した。
稲「決して許しませぬ。」
と猛反対した。

こう「蔵に行って、調べて参りました。」
と話す。
そして、渡せる食糧を伝えた。
「蕎麦が・・・そばがきにしれは10万個・・・
  1000人で食べても1月は持ちます。」


●大坂城三の丸
幸村は、多忙の合間を縫って、三の丸に行った。
幸村は前妻:梅を戦で亡くしていることもあり、・・・・
幸村は春に「戦が始まったら、決して城から出てはならない。
春「握り飯を作る役でも・・・」
 ここで梅を守る。それが役目じゃ。」
と春の手を握りながら、話す。
「戦に勝ったら、・・・」
「徳川の天下は変わらないだろう。」
「秀頼公は」
「一大名になるやもしれぬ。」
きりは菓子を差し入れに来た。
きりは幸村&春の夫婦で話し合っている深い絆の一部始終を
見た。
きりは声をかけられない。
きりはこっそり踵を回すと、茶々が立っていた。
茶々「貴女は明日より、私の侍女になりなさい。・・・
きり「え?」
茶々「やることもないのでしょう。」
茶々「北の政所に仕えた腕利きの侍女です。大坂城の
 ことなら何でも知ってる。庫裏の美味しい在処もね。」
「本気ですか?」
茶々は問答無用にきりに命じた。
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●茶臼山
家康は大坂城の南西の茶臼山に本陣を構えた。
家康は地図を広げた。・・・「真田丸」
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家康「まずは、真田丸をつぶさないと!」
秀忠は・・・ピンときてない。
秀忠は真田丸をただの出城と思っている。
家康は、真田丸を脅威と感じていた。
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「まずは大きさ、・・・鉄砲衆がけでも1000人以上はいるな。
 そして場所。南側の寄せ手が全て見渡せる。真田丸から隠れて
 城壁に近づくことはできぬ。」
「なるほど」
「あとは・・正信」
「高さでしょうか」
 あとは高さ。真田丸は高台にある。こちらからは攻めにくく、
 しかも、上からは一斉に撃ちかけられる。
  ・・・考えただけでも肝が冷える。」
と、攻め込むことに躊躇していた。
正信「えらいものを造ってしまったのう。真田左衛門佐」
家康にとって鬼門であった。

●真田丸
幸村は、見張り台櫓の上から、徳川の布陣を見ていた。
★前田利常の陣営・・・
史実では天正18年(1590) 4月〜5月にかけて
箕輪城で秀吉命令で戦後処理をし、前田利常に箕輪城
引き渡した。8月 箕輪城に井伊直政が入った。

・井伊直孝の陣営・・・真田と同じ赤備え
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 ★史実は「真田幸繁は生き残ったのは井伊直政のおかげなのだ。」
 私のオモチャの鎧も井伊直政なのだ。
 「鉢形城祭り・箕輪城祭り・上泉伊勢守のBSのロケに出たのだ。」

・上杉景勝の陣営・・・かつての人質・・
  自分を可愛がってくれた景勝・・・
  複雑な思いを抱えながらを見ていた。

●上杉の陣
景勝ろ直江が真田丸を見上げる。


●家康の茶臼山本陣
家康は、上杉景勝・直江兼続に対して
地図を見せる。
真田丸をかくしながら
「ここに出城があるが、誰が造ったか知っておるか?」
「知りません。」
「真田じゃ」
「源次郎が・・」
直江「して、我らは何を・・・」

「先の戦では、儂に楯突いてくれたのう。」
「いえ。」
「たいそうな物を置くってくれたのう」
と直江にプレッシャーをかけた。
「まだ、そのことを・・・」
と関ヶ原の戦いの会津討伐の件で根に持っていた。
家康は本陣に景勝を呼んだ。
「真田丸を落とせ。」
と命じた。
家康は、上杉景勝に真田丸を攻めさせるつもりだ!
これは辛い。上杉と幸村は縁がある。
家康は、上杉景勝と直江兼続に指令!


「120万石がおかげで・・??」
「30万石です。」
景勝は苦渋の表情を浮かべた。
成功した暁には120万石に戻す。・・・・
と約束するのだった。
正純「徳川への忠義を見せろ!ということだ。 」
直江「やるしかございません。」
流石、家康。老獪策士。フェアじゃない。

●大坂城内
豊臣秀頼は、「総大将として戦場に立ちたい」
と言った。
幸村「兵が不安になります。」
と止めた。
茶々「代わりに私が鎧を着て立ちます。」
と言い出した。

●真田丸
茶々は陣中見舞いに訪れた。
幸村はきりをみて
「お前?」
「私はおかた様の侍女になりました。」
「この戦、負けることはありませぬ。」
とはっきり言った。
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きりは幸村に
「はしゃいでるのは女将様だけ。みんな呆気にとられている。
   どうも好きになれない。」
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治長「お知り合いですか?」




●真田の陣
家康からの文が届いた。
信吉は文をみた。
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茂誠が表情を曇らせた。
信吉と信政への出陣の命令だった。
「恐れていたことが起きた。上杉殿の下につき、出城の
 真田丸を攻めろとぴうのじゃあ。・・大御所様は・・・」

信政「何をためらっておるのですか。・・・
と準備に取りかかる。
信吉「叔父上と戦いとうはないのじゃ。」
目配せ・・・
三十郎は佐助に

●真田丸
佐助を介して三十郎の密書が幸村の元に届いた。
「・・急がねばならんな。」


●軍議
 
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腹案を5人衆と木村に話した。
幸村「まずは相手をたきつける。(挑発する。)・・・
 後藤殿・木村殿・長宗我部殿は私とともに真田丸に・・・」
「承知」
 毛利殿は来たの守り、明石殿は東の守り、・・・」
皆が了承した。

●真田丸
「大助、初陣じゃ。お前の肩にかかっておる。」
「作兵衛、大助をたのんだぞ。」

●真田丸
翌未明、作兵衛・大助など真田兵は真田丸の前の篠山に柵を
設置した。そして、身を潜めた。

夜明け、・・・
作兵衛の合図で、幸村がかつて行ったように、大助は
仁王立ちで六文銭の旗を振って前田勢を挑発する。
そして「高砂」を歌う・全員が歌った。
前田勢を逆なでする。

◆ナレーター
「前田勢は銃を撃ちながら急襲する。
篠山にはすでに真田勢の姿はなかった。

真田丸を目がけて前田勢が襲ってくる。」

●真田丸
「殿、大助様が前田勢を引き連れてきています。」
「鉄砲隊、位置につけ。」
幸村は鉄砲兵に持ち場へ待機させる。
前田勢が真田丸の堀近くにくると。
さらに、佐助に火薬が爆発させた。
敵に「豊臣方が仲間割れした」と思わせる作戦だった。
前田勢が侵攻する。
手柄を上げようと、我先にと前田勢が進む。
前田勢が勝手に攻めかかる。

●家康の茶臼山本陣
「前田勢が真田丸に攻めかかりました。井伊勢・・・
 忠直様の・・・・」
家康「いかん、真田の思うつぼじゃ。」


●真田丸
前田勢が堀に着いた。
井伊勢も後に続いた。



幸村は二列並んだ鉄砲兵に次々に発射を命じた。
幸村は、敵兵をひきつけては鉄砲で撃ち続ける。
戦いは真田勢に有利に進むと思われたが、ついに敵兵の侵入を
許してしまう。

幸村や又兵衛たちは、敵兵を斬り続ける。
城内の敵がいなくなり、ついには徳川勢の退却が
始まった。

幸村「仕上げじゃ。」
と言い、馬に乗って戦場を駆け回る。
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「我こそは、真田左衛門佐幸村!」
と名乗りを上げ、残党を討った。

幸村の戦いぶりに、景勝は
「日の本一の兵、真田左衛門佐!」
と叫ぶ。
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家康は大敗を喫し、兵を撤退させて
「次の手を考える」と言う。

●真田丸
 勝鬨が上がった。

木村「天下の名将、真田幸村様の戦を目の前にして幸運でした。」
と言う
幸村「今から言うことは、決して口外しないでください。
   実は、かような大戦、初めてなのです。心の臓が
   口から飛び出そうです。」
といった。
木村は幸村が相当な重圧に耐えていたことを、初めて知った。
目を丸くした。

【2】ゆかりの地






【3】豊臣秀吉:大坂城の重要ポストの怪しいスパイ近習は?。

1)七手組の組頭:青木一重
・慶長19年(1614) 大坂冬の陣
 大坂城の一角を守備した。
  12月、和議交渉
   豊臣秀頼からの礼謝使節として駿府の家康に派遣された。
   京都で返事をするというので随行した。
  京都所司代板倉勝重に、
  「もし大坂に戻れば(家康の近侍)弟可直は誅殺する。」
  と警告された。
  大坂には戻らず、剃髪して隠棲した。
・元和元年(1615)大坂夏の陣には参加しなかった。
(★ウィキペディア)

2)七手組の組頭:伊東長実
・慶長5年(1600)6月16日、下野国小山にいた徳川家康に石田三成
の挙兵を知らせた。
・慶長19年(1614) 大坂冬の陣
豊臣方の大坂七手組頭の一人として家康に敵対した。
 青木一重と共に大名として存続することを許された。
 家康処置から、スパイ活動を行っていたのではないかと
 考えられている。
(★ウィキペディア)

3)南条元忠。
  父:南条元続は鳥取県の倉吉;羽衣石(うえし)城の城主
   であった。
  織田信長に味方し、毛利元就に攻められて城を奪われた。
  豊臣秀吉のもとで羽衣石城6万石の領地を安堵されていた。
冬の陣で密偵がばれて自刃した。

4)織田有楽斎
・天正18年(1590) 織田信雄改易
 豊臣秀吉の御伽衆となり摂津国島下郡(大坂府摂津市)に2000石
 を与えられた。
 織田有楽斎と名乗った。
・天正16年(1588) 頃、茶々が秀吉の側室となった。
 有楽斎は姪の茶々が側室になって以降は、茶々の保護者的
 な存在となった。
・慶長5年(1600年)関ケ原の戦
 織田有楽斎は徳川家康に味方した。
 長男・長孝とともに450の兵をつれて参戦した。
 宇喜多、大谷、石田勢と戦かった。
 関ケ原の戦い後、大和国に3万2000石、
 長孝は美濃野村に1万石を与えられた。
 有楽斎は大坂城には出入りし、茶々を助けた。
・慶長19年(1614)大坂の陣
 豊臣家と徳川家が険悪な状況になった。
 有楽斎は次男:頼長と共に大坂城にいた。
 大坂冬の陣では、大野治長と共に籠城派であった。
 次男:頼長は強硬派だったので対立した。
 冬の陣の末期、織田有楽斎と大野治長と共に幕府と和睦
 するため尽力した。
 有楽斎は家康に人質を出した。
・慶長20年(1615) 夏の陣の前に大坂城を脱出した。
  徳川家康も有楽斎が大坂城をでることを知っていた。
  夏の陣には織田家は手を引いた。
 有楽斎は京都で茶道などを続けた。
・元和7年(1621)死去。享年76。
(★ウィキペデアより)


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