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zoom RSS 箕輪初心:生方★『生方氏先祖考』&【作曲好きな父:生方良作】

<<   作成日時 : 2016/11/01 18:24   >>

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『生方家先祖』は新田義重庶流「小保方」であろう。戦国時代、
わが先祖は白井城長尾景英&箕輪城長野業正の姉の結婚
に際し、人質として、長野業正の家臣に偏入されたと思われる。
【生方良作】:我が父である。ちょっと父のことを書いてみよう
と思う。父は昭和4年(1929)5月1日生まれ。校歌・園歌・童謡
・演歌など138曲を作曲した。古いパソコンの中に楽譜がある
が取り出せない。平成28年(2018)10月24日AM1:48、
脳幹出血のため、87歳で死亡した。
父は校歌・園歌で名が残った。しかし、私は「名も残らず
死んでゆく。」・・・「箕輪城の城主・城代20人」・「井伊直政」関係
について本を書こうかな?本を書けば、残るし、・・・ブログは、
写真などが盗まれるし、・・・箕輪城まつりでは、箕輪城予告ブロ
グはいくつかあったが、裄V佳雄氏作成の臨時ポスターだったり、
3日間しか公開しなかった特別な郭馬出の写真だったり・・
とよく盗まれるのが判明した。私のように、出展元を書いてほしい
ものだ。今度、写真を使うなら、「箕輪初心:生方」とご記名くださいね。
使って、ありがたいのですが、・・・。
ところで、裄V佳雄って知ってる?・・・エスビックの社長である。
 全国の50%以上をブロックを産出する現社長である。

【0】 箕輪生方氏の先祖考推測
1)長野業正姉&白井長尾景英の結婚人質説
   
  ★私の勝手な妄想

2)厩橋長野方業の有力家臣として箕輪に来た説
  厩橋長野方業が長野憲業の養子に入ったため、
  白井長尾氏の勢力下の後藤・生方が呼ばれた。


3)白井長尾のトラブルから逃げて来た説
  箕郷町善地字上善地の「後藤家の口伝」である。
 地名に「??」・・等ちゃん、なんだっけ?



★まあ、どうでもいい家系だけれど、・・・
 上杉憲房 VS 上杉憲広・顕方→上杉憲政
 上杉憲房が負けたので、箕輪にやって来た。

 後藤ちえさん
 「言い伝えですが、・・・
 



甲斐:一条家(初代)
画像



【1】生方氏先祖考〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・治承4年(1180) 8月17日 源頼朝の挙兵
上野国八幡庄(高崎市)新田義重は自分の方が八幡太郎
 義家に近いとして、俺が源氏の頭領と考え、源頼朝に
はつかなかった。しかし、新田義重の息子:里見義俊
  (孫:義成)・山名義範は平家を離れ、源頼朝についた。
 12月 清和源氏:新田義重は源頼朝に従った。

  新田義重は家臣の塚越の娘を貰った。
  碓氷郡の倉渕・松井田・安中を所領とした。
  ★母方の先祖に当たるであろう。
 
   
@清和源氏新田義重系「小保方氏」=「生方氏」同一説(有力説)
  群馬県伊勢崎市の旧東村地区に「小保方」という地名がある。
  現在でも「小保方」姓は伊勢崎を中心に群馬県の東毛地区
  と栃木県南部に固まっている。
  群馬県北部の沼田市周辺には「生方」姓が多く、新田義貞の
  子:新田義宗の家臣の末裔と伝えられている。
 「生方氏」は「小保方氏」と書いたといわれている。
A清和源氏新田義重系:「小保方氏」・「生方氏」同祖説
B清和源氏新田義重流生形氏→生方氏説
C清和源氏新田義国流足利氏庶(新田義重弟)流畠山流
 栗生顕友族生方氏説
 ・南北朝時代・・ 栗生顕友は新田義貞の側近で新田四天王
  である。

D藤原秀郷流:阿曽沼氏→下曽沼一族「宇夫方氏」=「生方氏」
  (野州佐野系図)・・・佐野市浅沼
(★『姓氏家系大辞典』では「生方氏は宇夫方氏に同じ」とある。
  下野阿曽沼氏の一族と説明されている。


・治承4年(1180) 治承・寿永の乱〜〜〜〜〜〜〜
本家の藤姓足利俊綱・有綱は平家についた。
  足利有綱の4男:阿曽沼四郎広綱は秀郷流の同族
  の山上氏・大胡氏らとともに源頼朝に従った。
・文治5年(1189)7月〜9月 奥州合戦
  鎌倉政権と奥州藤原氏との間で戦いがあった。
源頼朝は鎌倉御家人の阿曽沼広綱を奥州閉伊郡
  =遠野12郷の地頭職に補任した・
  (現遠野市・宮古市・上閉伊郡・下閉伊郡・釜石市の大部分)
  を所領とした。
  阿曽沼広綱は佐野(栃木県)での家臣:宇夫方(うぶかた)
  広房を代官として派遣し、遠野を管理した。
  宇夫方(うぶかた)一族は東北にも広がった。
・建保年間(1213〜1219) 松崎護摩堂に横田城を築いた(伝)。
 

犬の血統書並みに、盛り上がる変な歴史観
「源氏の本家・亜流・・・・新田・里見・大井田・・・
 嫡流思想&未だに続く尊卑分脈・・・
 でも、「本家は、血統証付きの犬のように偉い。」
「分家は、雑種の犬だ。」
 でも、何故、本家が偉いんだか分からないが・・・?
分家の分家の分家は何? ゴミ?
人権差別の源流。差別の恩賞?
私の家系は、おそらく新田系の分家の分家のおまけ、
新田か里見の分家の変化系の名前なのだ。
たいした一族ではない。

●20年前の電話帳での「生方姓」調べでは、
「生方」姓は沼田120軒?・子持100軒?・北橘20?軒位に
 高崎市箕郷町に20軒程あった。


・建長年間(1249)〜 新田・里見は吾妻に侵攻した。
沼田・子持に新田庶流「小保方」を置いた。
おそらく、「生方」姓にしたのであろう。

・建長3年(1251)、宮田不動明王(渋川市旧赤城村)が里見氏義
 (源朝臣氏義)の発願によって院驕E院快の2人の仏師により、
 高さ166cmの石像が造られた。


・観応2年(1351)高津戸(みどりの市旧大間々)の戦い
  桐生国綱・新田氏が高津戸城を攻略。
「生方氏」が新田の家臣として登場している。

・南北朝時代
  関東管領:上杉憲房執事;長尾景忠が白井長尾家・総社長尾家
  を開いた。

・享徳年間(1452〜1455)享徳の乱
  長尾景仲が白井城が築城した?

・文明5年(1473) 五十子陣で山内家家宰:白井長尾景信が死去
  した。白井長尾家の家督は子:長尾景春が継いだ。
  しかし、上杉顕定が家宰職を長尾景春の叔父:惣社長尾忠景
  に与えた。

・文明8年(1476)〜文明12年(1480)長尾景春の乱
箕輪初心★長尾景春:関東下克上で従兄弟:太田道灌と交戦
http://53922401.at.webry.info/201311/article_31.html

・文明11年(1479)子持:長尾景英が生まれた。
父:長尾景春
母:沼田顕泰の娘?
   (長尾氏の諸系図では長尾景春の妻は沼田氏の出)

・長享(1487〜1489)
 長野業正の母は沼田顕泰の娘

・延徳 (1489〜1492 ) 長尾景英の結婚 
  正室:長野業正の姉or足利長尾景人の娘?
(★黒田基樹説)
  ★20年前・・電話帳調べ
子持に生方姓100軒
  箕郷には、生方姓約20軒・後藤姓約20軒。
ということは、・・・
正室:長野業正の姉&長尾景英の結婚に際し、人質交換の形で、
白井から後藤家2男3男・生方家2男3男が箕輪城:長野氏の
家臣団に編入されたことになりはしないだろうか?
現に箕輪城下に住んでいるのだから、・・・・
 

・明応5年(1495) 長尾景英は父:長尾景春の下を離れて山内上杉
  顕定の重臣に列した。
  扇谷:上杉家の太田道灌によって鎮圧された。

・永正2年(1505) 長享の乱が終結
長尾景春も上杉顕定に降伏した。


・戦国時代
  箕輪城下の生方一族は長野氏の下級家臣として存続した。

画像


・永禄10年(1567) 武田信玄の生島足島神社の起請文
  母方先祖:塚越半七(伴七)は武田信玄に浅利信種
(直系子孫は黒崎姓)と通じて忠誠を誓った。



・天正6年(1578) 9月 桐生仁田山の里見氏が滅亡。
  里見上総介勝広の子=兄:里見随見勝政と弟:里見平四郎勝安
  は上杉謙信の助力を得て高津戸城を再興し、父の敵:石原石見
  守を討とうとするが、桐生又次郎重綱・新田氏に滅ぼされた。
  名前については記録により異説がある。
生方隼人は新田氏の家臣に入ったいた。
 (★伝承の域をでないかもしれない。)

・江戸時代
 帰農


・明治時代


・大正時代
生方富士松
生方万作
生方梅子・・・・久保家
生方???・・・片貝家
生方???・・・永井家

●▲■・・・・
生方万作&森田ツネが結婚した。



【2】 生方良作の略歴
●昭和4年(1929)5月1日
生方良作が生まれた。

●小学校

●高等科

●中学校

●高校

●昭和19年(1944)11月25日
(★父ノ兄からノ手紙・・・) 
「出征警備の為、忙しく・・手紙などが到着いたすか
 どうかが分かりません・・・。聖戦ですが、・・・
 遺書ともつかないお便りですが、ご機嫌よろしく・・
 御両親様へ」
「150円を学費に使ってくれ。〜〜〜。
 ○○ 必ず、人に負けるな。」と
 父へのメッセージもあった。
 

●昭和20年(1945)04月23日 
 父の兄:生方市二上等兵・・・
 フィリピンのマニラの北200kmバギオ・ポンドック道
 北21kmで戦死。

箕輪初心剔セ平洋戦争史C
【マリアナ諸島→レイテ→硫黄島→沖縄→本土→原爆】
http://53922401.at.webry.info/201201/article_8.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201201/article_8.html   

●08月15日 終戦・・・高校生だった。
ピアノを借り回った。・・・
 高崎女子高校の橋本先生にピアノを習った。

●昭和22年(1947) 代用教員となった。

●昭和??年 大学

●昭和26年(1951) 塚越ハル子と結婚
子どもは3人、・・・・。
教員と桃生産→梅生産で、頑張った。
  城巡りなど旅行が好きだったが、仔牛と病気がちな父母で
  日帰り旅行しかできなかった。


●昭和??年(19??) 群馬県作詞作曲家協会に所属した。


【1】きっかけ「群馬県青少年の歌」で選定され『赤城国体』
 で使用する目的で公募された。
●昭和41年(1966)
「若い群馬の歌」(作詞:佐俣千代子、作曲:生方良作)。
若い群馬県の歌選定委員会(補作)
された。 
掲載書:改訂若い歌声群馬県音楽教育協会編   
※手島仁「群馬県歌の史的考察」
(群馬県地域文化研究協議会『上毛文化』2003年1月号p29-53)

【2】校歌や園歌
●昭和43年(1968) 12月 箕郷町立箕輪小学校校歌
校歌制定(作詞:五十嵐まさ路、作曲:生方良作)
校章制定(図案 山口京子:高校恩師:高橋貞春先生姉)


●昭和43年(1968)
箕郷町立車郷小学校校歌 五十嵐まさ路 生方良作
校歌制定(作詞:五十嵐まさ路、作曲:生方良作)


●昭和?年(19??)
群馬町立堤ケ岡小学校校歌 
校歌制定(作詞:五十嵐まさ路、作曲:生方良作)

●昭和?年(19??)
群馬町立金古小学校校歌 五十嵐まさ路 生方良作 81
校歌制定(作詞:五十嵐まさ路、作曲:生方良作)
作詞 五十嵐まさ路 作曲 生方良作
榛名山 朝夕仰ぐ 
学舎に 花は香るよ   
みんな仲良く すくすくと
体鍛えて 元気に学ぶ
我らの金古小学校

澄み渡る 美空のように
輝ける 清い瞳よ
燃える希望に のびのびと
夢を育てる 豊かな心
我らの金古小学校

ふるさとの 緑の風を
浴びながら 伸びる若木よ
笑顔寄せ合い 一筋に
力併せて 平和を築く
我らの金古小学校
 金古

●幼稚園・保育園の園歌数曲
 
 (作詞:五十嵐まさ路、作曲:生方良作)

●『ああわが善地』作詞:神澤福司、作曲:生方良作


【2】童謡
 『自動車さん』歌:べこ、作詞:五十嵐いずみ、作曲:生方良作
『わっはっはっはの歌』歌:べこ、作詞:志村甲郎
 『山の子海の子』歌:べこ、作詞:神保ちぎら、
ほか多数

【3】演歌
  『桐生慕情』

  『上州おんな節』歌:桜のぶ子
『女ひとりの13夜』歌:桜のぶ子
  『夜の小樽よ』歌:桜のぶ子
『酒場音頭』 歌:?
『恋みれん』歌:双葉みどり
『雪前橋』歌:下田敏江
『友よいずこへ』歌:山崎東太郎
ほか多数
画像

画像






●平成3年(1991)? 教員生活にピリオド・・定年退職。
箕輪小学校トータル21年
車郷小学校      3年?
車郷中学校      3年?など
榛名二小・榛名五小など・・・不明

●平成3年(1991) 町の民生委員
文化会館臨時職員


●平成6年(1996) ? 「社会福祉法人:清光会」の理事?
介護老人福祉施設開館:監事

●平成13年(2001)? 町の仕事から完全撤退。


●平成24年(2015) 長男が仕事から撤退。
農業関係を長男に丸投げ・・・記憶力が低下・・・
6月 福祉施設に通い始めた。
放浪癖はなく、福祉施設で週2回穏やかに生活していた。
時々、電子オルガンで伴奏をした。

●平成28年(2016) 10月16日 13:40 出血
 
●平成28年(2016) 10月24日 01:48 脳幹出血で死亡。

●平成28年(2016) 10月27日 告別式
  長純寺(長野業正の再建・菩提寺)の長野信道住職
宝珠寺(藤原秀郷流赤堀氏菩提寺)の?




【3】 父の葬儀に関係した国会議員・歴史「長野氏族」
 ★俺んちなんか困るんだよ?
   歴史をなまじっか知っているから・・・。
  でもね、長野家臣名があるので、それなりに分かる

@福田赳夫系・・・・・母父が

A中曽根康弘系・・

B小渕系・・・・
 

C


【3】 「生方」姓の思い当たる有名人
@歌人「生方たつゑ」・・夫は生方誠。

A薬問屋:元沼田町長:生方誠
 【生方記念資料館】・・・17C建築
・戦国時代・・・生方兵部介を祖としている。
 ・江戸時代・・・沼田藩御用達の薬種商であった。
本陣でもあったようだ。
・大正時代・・・生方誠 若山牧水を酒持って追っかけて、
         法師温泉へ
元沼田市長

B旧新治村の代議士:生方大吉の弟:生方吉次
  (★生方誠の従兄弟?)
・大正時代・・・若山牧水を酒持って追っかけて、法師温泉へ

箕輪初心★若山牧水Gロマンチック「法師温泉へ」
http://53922401.at.webry.info/201301/article_30.html

箕輪初心★若山牧水Hみなかみ紀行「猿ヶ京温泉〜湯宿温泉」
http://53922401.at.webry.info/201301/article_31.html

C随筆家・文学者:生方敏郎 (沼田生方)
『明治大正見聞史』春秋社・(中公文庫)を持っている。

DNHKアナウンサー:生方恵三 (沼田生方)

E衆議院議員:生方幸夫・・・民進党(先祖は沼田生方)

Fスーパーモデル:生方ななえ現37歳(渋川生方)
 
このくらいしか思い当たらないない。
いずれも先祖が沼田・現渋川(旧子持村・出身である。

●全国の「生方さ〜ん」のMIXY
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=552315&id=4246482



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内 容 ニックネーム/日時
生方先生このたびは
ご尊父様のご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申しあげます。

『虎は死して皮を留め、人は死して名を残す』と申します。
戦国時代において、この故事を私なりに言い換えると
『虎は死して皮を留め、侍は死して家(名)を残す』
ではないでしょうか。

家を守るために、侍はその職能(軍事技術)を対価として払い主に仕える。生きていてこそ支払われけれ、時にその対価が己の命であっても躊躇なく差し出す気概に満ちている。そうして生を全うすることにより、侍は家(名)を残すのでしょう。

御父上様は、まさにその様であられたのですね
斯くありたいものです

今はお忙しいでしょうから又その内、教えを請いにお邪魔させてください                 棟治
棟治
2016/11/07 13:43

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