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zoom RSS 箕輪初心:生方▲真田丸123「九度山脱出」史実&【第41回「入城」のあらすじ】 

<<   作成日時 : 2016/10/19 08:26   >>

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真田幸村は再び世に出る決心をした。徳川の監視の目も厳しくなっ
ていた。徳川家康の命は、九度山にも行き渡っている。真田幸村は
徳川監視の目をかいくぐるため、九度山の村人を呼んで酒宴を開いた。
真田信村はじめ家族たちも九度山からの脱出に成功した。真田信村
一家と家臣は、14年ぶりに山を降りたのであった。真田幸村は
いよいよ大坂城に入った。全国から集まった浪人たちが集まって
いた。後藤又兵衛・毛利勝永・長宗我部など、浪人衆は癖のある
人物ばかりであった。豊臣秀頼も真田幸村を待っていて再会を喜ぶ。
茶々(淀殿)が「源次郎、また会えましたね。」と笑顔で迎えた。
画像

 (TVより)


【1】九度山脱出作戦→大坂城入城
・慶長19年(1614)
1)経過
10月初旬? 明石全登、あるいは、大野治長が「大坂城に
 来てください。」と頼んだ。
明石全登説(平山・丸島)

豊臣秀頼がキリシタンを許可したら、明石全登はキリシタン長
崎奉行:村山等安の用意してくれた舟で大阪に一番早く駆けつ
けた。豊臣秀頼から信用され、使者に命じられた。
  (★『真田幸村よくわかる本』押鐘太陽著」)
 支度金として、金200枚・銀30貫目を送った。
「勝利の暁には50万石の大名に取り上げる。」と約束した。
(★『駿府記』・『大坂御所陣山口休庵噺(口へんに出』)


  徳川家康・秀忠も「真田幸村(変えたのをしらない)は
  要注意人物なので、浅野長晟(ながあきら)に命じていた。
  浅野長晟は村の農民にも監視強化を指示していた。 」


2)九度山脱出
10月9日 
説1「高野山で亥子餅(いのこ餅)を振る舞い、厠に立ったふり
   して逃げた。」
(★『仰応貴録』)

説2「周辺の庄屋等を宴会に招待し、酔いつぶれた隙に脱出した。」
(★『武林雑話』)
 ★「真田丸」が採用している。
  (★『真田幸村よくわかる本』押鐘太陽著」)
説3「昌幸の8回忌の法要を催すと言って、油断させ脱出した。」
(★『山下秘録』)

★「宴会はしたかも知れないが、どう考えても、こっそり夜逃げ
したと考えるべきであろう。そして、村人も見て見ぬふりをして
いた推測できる。



10月9日 九度山脱出
 (★『高野山蓮華定院書上』)
遠来の庄屋などが乗ってきた馬を拝借し大坂へと脱出した。
 という説もある。


3)脱出メンバー
 真田幸村一家・・・幸村・大助
  竹林院+子ども・・・3人説・5人説
髏エ院+子ども・・・2人
高梨内記娘・・・・・1人説・2人説
(伊勢の娘・・・連れて行かなかった。)
家臣・・・19人か20人と家族
村の農民7人
 (★丸島和洋説・清水昇説)
 (『九度山町史』)
合計・・・50人以上?
画像

 (★久保田順一先生資料・出典不明)

真田幸村は九度山で妻子とわずかの家臣と暮らしていたが、
 大坂城に入城した時には、真田幸村の軍勢は100人以上に
 なっていたといわれている。資料によっては300人とする
 説もある。
 幸村(信繁)は上田にいる父:昌幸の旧臣たちに書状を送
 って参戦を呼びかけ、旧家臣たちと合流を要請したと言わ
 れている。上田から馳せ参じた真田昌幸・幸村の旧臣や道中
 での浪人たちを含めて大坂城入りの時には大人数になってい
 た。
 ★真田信之は真田幸村の決起を知っていたのであろうと推測
 できる。
 資料は残っていないので、推測の域をでないが、・・・
 真田信之は真田幸村にも勧誘があるくらいは容易に想像が
 つく。
 真田信之は真田幸村の決起を知りながら、黙認していた
 ことになるのではないだろうか?


4)伝説の「真田の抜け穴」
画像

★古墳の玄室だった。


5)脱出経路
@説1「九度山→紀見峠→河内長野→・・・」
  大和五条藩主:松倉重政の勢力範囲を避ける
  A説2「九度山→〜紀ノ川〜岩出→吹風峠→岸和田・・」
  和歌山城主:浅野長晟の勢力範囲を避ける
根来寺街道を行った。
画像

 (★歴史人創刊号:清水昇文責)



6)真田幸村一行は大坂での滞在先
  大野治長の屋敷に入ったという。
10月10日、真田幸村は入城に際して、剃髪して
山伏の姿になり、大野治長の屋敷にいった。
「伝心月叟」と名乗った。
ところが、真田幸村一行があまりにもみすぼらしいので
門番に怪しまれてしまった。
そこで、名刀:正宗・貞宗(鎌倉時代〜著名な名工)の
銘の入った刀を見せたところ、真田幸村と判別したという

逸話がある (★『真田幸村よくわかる本』押鐘太陽著」)

 大坂冬の陣直前のこと、大坂方の将:大野治長のの屋敷に
 伝心月叟(でんしんげっそう)と名乗る山伏が訪れて
 「大峯の山伏です。ご祈祷の巻数を治長様に差し上げるため
 に来ました、拝謁をお願いしたいのですが、・・・」
 と案内を求めた。
 あいにく治長は登城中だったので、番所の脇に通され、そこで
 待たされることになった。
  番所には若侍十人程が集まっており、刀の目利き(鑑定)を
 していた。そのうちの若い一人が月叟に
 「貴殿の刀をお見せ下さい。」
 と言うと、月叟は
 「山伏の刀はただ犬を脅すためのもので、お目にかけるほどで
 もありませんが、お慰みにどうぞ。」
 と言いつつ差し出すと、姿形はもとより、刃の匂いといい光り
 といい、何とも言えず、
 「さてさてまことに見事なもの」
 と誉めた。
 「山伏にしては良刀を持っておるのう。ついでに脇差も見せて
 くださらぬか。」
 と、言った。山伏は快く脇差も見せた。これも見事な物であった。
 若侍たちは刀身に目を這わせていたが、そのうちに銘を見てびっ
 くりして、
 「この刀は正宗、脇差は貞宗の作った物だ。」
 と、言った。
 中子の銘を見てみると、脇差しは貞
 宗、刀は正宗であった。皆が
 「これはただ者でない」
 と騒いでいた。
 
 大野治長が帰ってきた。
 大野治長は月叟を見るや両手をついて、
「これはこれは、ようこそおいで下さいました。近日お越しと
  承っていましたが、早速おいで願いまして有難うございました。」
 と丁重な挨拶をした。
 そして、使いを城へ走らせた。
 大野治長は月叟を書院に招じてたいそう馳走をした。
  やがて城から速水甲斐守が使として訪れ、黄金三百枚・銀三十
 貫を秀頼公から賜る旨を告げた。
 大野治長の家の者はこの時初めて
 「この山伏は真田幸村公だ」
 と気づいたという。
(★『武辺咄聞書』・『武辺叢話』→「名将言行録」)


7)真田幸村は豊臣秀頼を助けるために大坂城に入城した。

●「真田丸」の時代考証:平山優氏・丸島和洋氏が
「真田信繁が真田幸村を名乗った可能性があるのは
 慶長19年(1614)の「大坂冬の陣の入城時」と言っていた。


【2】浅野長晟の反応
 浅野長晟の手の者が「幸村はどうした?」と聞いた。
 村人は「3日前にどこぞに行ってしまいました。」
(★『幸村君伝記』)
 浅野長晟ははたと手を打って
 「そうか。真田ほどの者を百姓風情に止めろと命ずることの方が
  よっぽどおかしいのだ。」
 と言い、百姓たちへのお咎めもなく、何も言ってこなかったとい
 う逸話もある。

村人は真田幸村に好意的であった。
 紀伊の国人衆:根来一族・雜賀一族など領主に反抗的な気質
 があった。浅野長晟にも年貢も納めていなかった。
(★清水昇著)


【3】徳川家康の反応
・慶長15年(1610)
徳川家康は寺社の建立・修築を勧めた。
豊臣秀頼は方広寺の再建に着手した。

・・慶長16年(1611)  
  徳川家康と豊臣秀頼が京都二条城で会見した
  徳川家康は豊臣秀頼の成長に脅威を感じた。
※九州大学教授:福田千鶴氏「この時、豊臣家の
   根絶を考えた。」と言っている。

・慶長19年(1614) 7月〜8月方広寺鐘銘事件

・10月11日 徳川家康が豊臣家の息の根を止めようとして、
駿府を出発した。

・10月?日 金地院崇伝は「真田左衛門佐、大坂入城」
と藤堂高虎に連絡した。
藤堂高虎は徳川家康に知らせた。

・10月19日
  使者が到着した。
「大御所様、九度山の真田が大坂城に入りました。」
徳川家康は・・・あっと息を呑んで
「・・親(昌幸)か、子(幸繁)か?」
 と繰り返し聞いたという。
 (★『幸村君伝記』)
後世の創作だと思われるが、
 徳川家康に嫌な思いが頭をよぎった可能性は高いであろう。
  
10月23日 徳川家康はに二条城に入城した。
徳川家康率いる総兵力は約20万人・・・。
 蜂須賀至鎮、福島正勝、浅野長晟ら豊臣恩顧の大名も東軍に
 加わっていた。



*******************************
●真田丸第40話「」
★ 「真田丸40話も、この流れであった。
 片桐且元の会見はなかったかもしれないが、・・・回想として
 放送されていた。」



「真田丸」では、清韓(せいかん)が『君臣豊楽』・・・
 豊臣が君主として、楽しむとも採れる。と言っていた。
真田信幸は「京都・大坂は騒がしそうだのう。」という。

では片桐且元は真田幸繁にあって回想風に語る。
@ 方広寺などの寺社建築を勧めた。
A 方広寺の鐘銘で「国家安康」 「君臣豊楽」に言いがかり
画像

画像

B 大野治長は片桐且元を裏切り者扱いし殺害を試みた。

真田幸繁は
徳川家康は方広寺の問題を利用して、片桐且元
を裏切り者にして豊臣方を分裂させた。
豊臣との「取次}=交渉役がいなくなったのを「豊臣は
徳川との交渉を打ち切った。」・・・
豊臣討伐」(★討伐・・正義の戦いではないのに?」
自分にとっての大義名分・・理由のある命令を出したのだ。
片桐勝元も豊臣勝頼もまんまと徳川家康の策にはまってしまった
と理解した。

※徳川家康は方広寺鐘銘で口実を作り、片桐且元を追放した
ことで、徳川との結びつきを反故にしたという理由で
豊臣秀頼と決裂した。
★豊臣秀吉は沼田問題で口実を作り、北条氏政が上洛しない
ことで、豊臣に逆らっているという理由で
小田原城を攻めた。
徳川家康は既に大坂城攻撃のための準備をすませてあった。
徳川家康は命令を出すかのきっかけをまっていた。



●▲■【4】 第41話「入城」のあらすじ
◆ナレーター
「豊臣と徳川の激突は避けられない状態になった。・・幸村と名乗り
 ・・・・14年の月日が流れていた。」

豊臣家は徳川家康との亀裂が決定的となって戦が避けられなく
なった。豊臣秀頼は窮地に陥った。
真田幸村は・・・

●九度山
幸村「ここを抜けだし、大坂城に行く・・・秀頼様をお守りしに、・・・」
高梨内記「・・・大殿が聞かれたらたらどんなによろこぶことか?
幸村「内記、力を貸してくれるか?」
内記「もちろんです。」
幸村「かたじけない。佐助は」
佐助「喜んで」
春「もとより、覚悟ができています。」
きり「・・・苦労・・大好きですから、・・・」

真田幸村豊臣秀頼を助けるために大坂への入城を決意した。

「これで決まった。」
◆ナレーター
「大坂城は浪人達であふれていた。・・・・

●後藤又兵衛の場面
後藤が入ってくる。
「どけ・・」

木村重成「後藤又兵衛基次殿、・・・
     木村重成でござる。
    「以後、宜しくね・・・・・」
金貨がごろごろ、・・・
後藤はにんまりした。


秀頼「・・・頼む。」
治長「・・・」

A毛利勝永の場合
「毛利??守勝永でござる」


●駿河
豊臣家からの要請を受けて続々と集結する牢人?浪人衆の知らせは
駿府の徳川家康の元にも届けられる。

本多正純「・・・禄を失ったもの、・・・が、大坂城に入っている
ようです。
家康「・・・所詮・・・烏合の衆・・・
   豊臣も一大名として生きられたであろうが、・・・」

本多「片桐亡き後、・・大野修理が仕切っています。・・・

家康「真田はどうしておる。・・
本多「九度山で、蟄居しています。」
家康「真田安房守は死んだな?」
本多「はい。」
家康「息子は何というたかなあ?」
本多「・・そう・・・」
家康「・・九度山に見張りを増やせ。・・・
あれが大坂に入ったら、面倒になる。
本多「すぐに手配をいたします。・・・」

徳川家康は真田幸村の動向を気にした。
家康は、幸村妻子らの蟄居先で九度山村にも監視の目を厳しくする
よう通達した。

●九度山:長兵衛の屋敷
幸村「真田紐ではお世話になりました。・・・
   ・・・7」
長兵衛「あの紐のおかげで村が潤った。
    ・・・こちらこそ、お世話に・・・」

幸村「宴会の席を設けたいのだが、・・・・・
長兵衛「いつ、行いますか?・・」


●江戸の真田屋敷
稲「今日は酒井様がお見えになります。」
「酒の支度は?」
信之「手の痛みが消えん。」

※「すえ」と「石田」と堀田作右衛門が来た。
信之「すえ、大きくなったのう。」
石田「石田新左衛門も息子:十兵衛でございます。・・」
・・・・・・・
「新兵衛は長窪の名主として、世話になった。・・・」
「祝言は」
堀田「・・・来月に・」
信之「・・・お主にはきいておらん。・・」
すえ「・・・来月になります。・・・」
信之「・・・是非、行きたいものだ。・・・」
・・・・・
信之「すえ、江戸見物せよ」

掘田「・・・
2人「ご無礼、つかまつります。」

*・・・作兵衛の乳をすっておった赤子がな?・・・

手紙が届いた。
兄:真田信之の元に、徳川家康より大阪攻めに加わるように
との通達が届いたのであった。

信之「家康様が出陣されるそうだ。」
三十郎「われらも大坂に行かなければ、・・・」
信之 「豊臣も終わりか?
    大坂城には何度も・・・」
信之「息子達はどうしておる。」
三十郎「庭で剣術の稽古をしております。」
信之「息子達の元服も済んである・・・」

信之「そろそろ、跡継ぎを決めなければ、・・・」
三十郎「・・・信吉様の方が、1月早い。」


2人の跡継ぎは剣術の稽古中・・・

1)こうの子:信吉
2)稲の子:信政

信政は信吉に足に怪我をさせた。

稲「・・・あそこまで」
・・・・・
信政「いつもああなんです。」
・・・・・・
稲「貴方には兄への礼というものがありません。・・・」



2)こう
信吉「叔母上、何故剣術の稽古をしなければ、ならない・・・」
叔母「戦で、敵を倒す。・・・」


こう「・・・貴方の不覚です。」

「・・・それに」

三十郎「・・・信政殿はお強くなる。」


信之は・・・
「息子達の初陣とする。息子達を戦場に・・・」

「兄上(小山田)は・・・信吉、三十郎は・・・信政を
 ・・しかり、守ってやって欲しい。わしは江戸に残る。
 この体では、戦えぬ。
 ・・・・己の足で立って欲しい。・・・

信之「大坂には際だった者はおらん・・・
   根比べで終わるはず。北条の時のように、・・・
   ・・・」


信之は稲に・・・2人の息子の初陣のことを話した。

稲「いくつ首をとってくるか?」

稲「・・・よい機会です。・・・正式に
  信吉を嫡男にすべきか思います。・・・
信之は、正室:稲の提案に驚いた。
信之「信吉?・・・信政ではないのか?」

稲「先に生まれたのは信吉。・・・・」
信之「確かに、信政を跡継ぎとすれば、信吉はますます
   居場所を失う。」
稲「此度の大将を是非とも、信吉に・・・」


信之「信吉を跡継ぎにする。」
こう「え?・・稲様は・・・・」
信之「・・・(信吉を)稲の養子する。・・・」
稲「形だけである。信吉を取り上げるつもりはない。」
こう「・・・急なことで頭が回りません」
・・・
こう「信吉で大丈夫なんでしょうか?」

信之「・・立場は人を育てる。」
・・・
こう「これ以上の喜びはございません。」
稲「こう、これからも私たちを支えてください。」

こうが喜ぶ。

こうは信吉を抱く。




●九度山で大宴会
●10月17日・・テロップ

きり「失礼します・・・どうぞ・・・」
春「お待たせしました・・・どうぞ、どうぞ、・・・」
と勧める。

浅野家臣:竹本「 くれぐれもここを抜け出す
   などと考えるなど・・・」

幸村「・・・安住の地と考えております。
   ・・そのようなことは」

配下「・・・」

村人「・・・大坂城に何で行かないんですか?
      徳川をぶっつぶさないんですか?」

幸村「何故が?」

浅野家臣の4人も酒を飲む・・・・

きり「・・・」
春「ど」

真田のおどり・・・
「・・・むすびかいがね、めでたけれ・・・」
と踊る。
幸村もくわ


●脱出準備は始まった。
宴会たけなわ・・・・
「・・・」

内記・きり。佐助・春は踊る。

・少しずつ、・・・移動開始。・・・

・幸村「わたしも・・・・・」
 と踊りに参加する。

竹本「今の踊りは・・・」
内記「かりがね踊りです。蕎麦の次に有名だそうです。」
※家紋である。

長兵衛「こちらへどうぞ、どうぞ・・・
   酒をどうぞ、・・・」


竹本「酒ではない。米のとぎ汁じゃ・・・」

長兵衛「おちあうとすれば、村のはずれの寺で」

全員揃った。


村人2人
「俺もつれていってくれ・・・・・・
母「やめてくれ・・」

幸村「行ってどうする。」
村人「・・・大名になる。」


内記「若、いかがしたします?」

村人「山をおりる、近い道をしってるぜ。」
信之「信じよう。」



浅野家臣「踏み込むぞ。」
ドドドー・・・
 ・・・寺にはいなかった。
長兵衛「ここだと思ったのですが、・・・」
竹本「いないではないか?・・・もうよい。」

佐助と長兵衛は頷く。

家臣は別の場所を探しにいった。・・・

長兵衛が手引きしのだ。・・・

幸村一行は村を離れる。


◆ナレーター
「信繁が大坂城に入った知らせは家康にもすぐ届いた。」



●駿府
本多「真田といっても、倅のほうです。」
家康「侮るな・・・・
   名はなんといった。」
家康「真田左衛門佐」

本多「左衛門佐、・・・」

家康「どうでもよい。
   奴の父親が真田安房守・・・
     勇猛ぶりを未だに語り継がれている。

正純「徳川を2度破った男。 知らぬ者がいません・・・」
家康が睨む。
本多「これは・・・」
家康「・・・・どれだけ、敵の士気が上がることか?
   奴だけはどうしても大坂城にいれたくない。」


本多「伊賀に・・服部半蔵がもどっています。・・・」
家康「半蔵・・」

・・・

●途中で
幸村「・・・白昼どうどう、明日、入る。」
きり「はったり、かましせましょう。」
春「城に入ったら、・・・・・・私も戦います。」
幸村「それはならん」。
 それだけは・・・」


服部半蔵は幸村の居留地に町人の格好をして入ってきた。
佐助「待て、・・」
と手裏剣?を投げる。
服部半蔵がかわして、忍者姿になる。
佐助 VS 服部半蔵


幸村「・・佐助・・・」
佐助「・・伊賀者です。・・・」
半蔵「我に秘策あり・・・」
   熊手・・・・
半蔵「全力で・・・」
半蔵は全力で逃げた。


●大坂城
木村 「本日、入城・・・」
秀頼「はよう、あいたいものだ。・・」
画像




●途中?
きり「どこからみても、変態?爺、・・
白髪で顔にシミのできた爺である・・・・・・
幸村「家康に大坂城にはいっているのは、知られている。
   ・・・変装するのだ。・・・

きり「得体のしれない爺です・・・」
幸村「油断させるのだ。・・」
と声音も爺臭く変身する。

「参るぞ、きり、・・・」
画像



●大坂城
画像


真田幸村は年寄りっぽくなった姿で、堂々と歩く。
「・・・

後藤「あれが真田か?」
毛利「ずいぶんとふ老けこんだな?」

幸村「済まぬが、厠に・・・」
木村?「厠は・・・」
幸村「勝って知ったる大坂城・・」

幸村は佐助に持たせた櫃から、服を取り出し、若々しく変身した

幸村「お待たせした。・・・」
佐助に刀を渡した。・・・
画像

「・・・」
幸村は木村と会う。
幸村「真田幸繁、九度山より参上しました。」
木村「よくぞ、参られた。」
木村が差し出した帳面の幸繁の文字に縦線を引き、「幸村」と書いた。

画像

幸村「これより、真田幸繁、幸村、そう名乗らせていただきます。」
明石が途中で待っていた。
明石「・・・必ず、御加勢してくださると思って折り申した。」・・・
幸村「秀頼公にあいたい。」

明石「真田左衛門佐幸村殿でござる。・・・」
と大声で紹介する。
どよめく・・・


明石「こちらは、後藤又兵衛基次殿、
   あちらは、毛利・・勝永殿です。

幸村「以後、お見知りおきを・・・」


金のシャチホコ・瓢箪・・・
画像


大野修理と面会・・・
大野「大野治長でござる。
   真田どの、お待ち申しておりました。・・・」
幸村「・・・秀頼様に全霊を捧げるつもりです。」

??「殿のお成である・・・」

秀頼は一段高い間に座る。

秀頼「左衛門佐・・・・面をあげよ・・」
   ・・・私を覚えておるか?」
幸村「拾様と呼ばれたときから、・・・」
秀頼「ワシもよう覚えておる。」

幸村「太閤殿下には息子のように可愛がっていただきました。・・・

秀頼「徳川を2度破ったと聞いておる。」
大野「あれは真田安房守様で・・」
幸村「いえ、私でございます。父は黙って見守りっていただけです、
   ・・・
ところでお聞きしたいことがあります。
大野「・・今でなくても」
秀頼「何じゃ、もうしてみよ。」
幸村「兵はどのくらいいますか?」
秀頼「・・・雑兵を合わせて10万かと・・

幸村 「兵糧はどのくらいありますか」
秀頼「兵糧は大坂中の米を金銀で買い集めた。・・・
幸村「足りません。堺を押さえましょう。米が集まりますから
   ・・・それから大坂の徳川の兵糧米を取り上げましょう。

秀頼「修理、真田が来てくれてよかったのう。」


大蔵卿(大野母)「左衛門佐、貴方と歩くとあの頃のようだ。
  しかし、石田治部が殺され、大谷刑部もいない。・・・
  片桐もいなくなった。頼みはお前だけだ。」

桃の木をみて
「大きくなりましたね。・・」


大蔵卿「おかみ様・・左衛門佐が戻ってまいりました。」
画像



淀殿「左衛門佐・・・」
幸村 「茶々様・・・」
淀殿「また、会えましたね。源次郎」






●▲■大坂城にいた武将達*******************
@豊臣家一門、A豊臣家譜代家臣、B浪人などであった
1)豊臣一門
豊臣家当主豊臣秀頼。
母が茶々=淀殿。
2人が豊臣家における絶対権力者であった。
さらに、妾軍団と国松(妾腹)
女御集団・・・大蔵卿局など乳母3人・譜代の有力家臣の母・祖母


1)織田軍団
 織田有楽斎・・・茶々の叔父・織田信長の弟
織田有楽斎の息子
外に3人

3)譜代家臣
 大野治長・大野治房(大蔵卿の息子)・大野治胤
木村重成、
 渡辺糺
 片桐亡き後の実務面でのトップである。
豊臣一門衆と重臣たちは豊臣家を滅亡させるということは
 何としても避けたかった。徳川との和睦の道も模索しながら
 歩んできたが・・・

4)浪人集団
 旧豊臣家臣であった浪人の集団がありました。
 真田幸村、後藤又兵衛、毛利勝永、長宗我部盛親・明石全登
 ・・・5浪人
 など、10万?・・・

 浪人衆は徳川と豊臣の和睦を嫌っている。殆どは徳川との合戦で
 大活躍して、大名・旗本に取り立ててもらう。再び大名に復帰
 する。徳川に一泡吹かせてやろうとした者たちの集団であった。

大坂城内における対立は深刻であった。
消極派・和平派・籠城派
  VS
積極派・強硬派・主戦派




★後日、「豊臣秀頼の配下の武将達」かな?

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