城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行

アクセスカウンタ

zoom RSS 箕輪初心:生方▲真田丸120『真実の真田忍群』と『虚構の「真田十勇士」の歴史』

<<   作成日時 : 2016/10/08 06:37   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

真田昌幸は情報活動をさせる軍団を持っていた。NHK大河ド
ラマ「真田丸」の出浦昌相(盛清)が真田の忍びの総帥である。
永禄年間、5代将軍:徳川綱吉に『真田三代記』が発刊され、
「真田幸村」の名前が一般化された。明治44年の立川文庫
以来、少しずつメンバーは確立し、大正3年(1914)「真田三
勇士三部作」で真田十勇士が出そろった。真田十勇士は真田
幸村(史実は真田信繁)に仕えたとされる10人の家臣か
らなるキャラクターである。基本的な構成は、猿飛佐助、
霧隠才蔵、三好清海入道、三好伊左(為三)入道、穴山小助、
由利鎌之助、筧十蔵、海野六郎、根津甚八、望月六郎の10人
となっているが、作品によって異なる。「真田十勇士」は伝承
上の架空の人物であるが、真田昌幸・幸綱の家臣と思われる
同名の人物もいる。
画像

 (★無料画像より)


箕輪初心●岩櫃城探検隊第8弾:真田家臣団一覧
&【唐沢玄蕃の墓&割田重勝の墓】
http://53922401.at.webry.info/201311/article_14.html

箕輪初心●岩櫃城探検隊第8弾【中山城2回目】
http://53922401.at.webry.info/201311/article_13.html


【1】●●●真田昌幸家臣団(天正末期) ●●●
1)真田昌幸家臣団
@譜代の城主:家老クラス
・矢沢頼綱(沼田城代:真田昌幸叔父) 
・常田隆家(常田城:従兄弟) 
・丸子三右衛門(丸子城) 
・禰津元直(禰津城・同族)孫は第2家老:根津志摩守:志摩曲輪 
・恩田越前守(森下城)   
・鈴木主人(名胡桃城)・・・名胡桃事件後、自刃  
・大戸真楽斎(大戸城) 
・鎌原幸重(鎌原城:海野一族・真田昌幸叔父) 
・海野輝幸×(沼田城代)真田幸綱の2号が姉。天正10年(1582)殺害 
・横谷幸重(雁ヶ沢要害:八ッ場ダム入り口右)

A譜代の重臣・・・・
・出浦対馬守盛清:昌相(岩櫃城出浦在住)  
・富沢豊前守(岩下城)   
・望月主人(滋野一族遠親戚)  
・矢野孫右衛門 
・河原右京・・・・真田幸隆の正妻の兄の子か孫:河原綱家 
・春原惣右衛門

B旗本・・・・・・・・・・・・・
・戸田半兵 
・神子典膳 
・中山勘解由(中山城)  
・太田善太夫  
・朝倉籐十郎  
・辻太郎作 
・斉藤久右衛門

C新参:旧武田家臣・・・
・小山田壱岐守茂誠・・・・元甲州(昌幸娘:村松殿が妻)  
・原監物・・・・・・・元甲州の武田家臣 
・大熊五郎左衛門(武田家臣:元箕輪城勤務)  
・瀬下若狭守(元箕輪城勤務:武田家臣)

D新参・旧今川家臣・・・
・木村土佐守

E新参:上州衆・・・・・・・
・湯本三郎右衛門尉(草津支配)   
・羽田筑後守(元上野大柏木城主・長野業政の甥か?)  ・

F新参:沼田7騎・・・・★元沼田一族
・和田主殿(和田城主・・・後、井伊直政の家老?)   
・恩田伊賀守(子孫は恩田杢之助は幕末に藩政改革)  
・下沼田豊前守   
・久屋籐五郎  
・発知三河守  
・岡野屋加賀守  
・金子美濃守(★後、真田昌幸に殺された。)

■真田軍4000騎の内訳
@先陣700余騎・・真田隠岐守信伊(弟)・海野 ・金子  他
A前備500余騎・・鎌原 ・和田  他
B旗本150余騎・・赤沢常陸介  ・佐藤豊後守  他  
C左脇備300騎+25騎使番・・海野・湯本・加茂大膳  他    
D右脇備200余騎+25騎使番・・富沢・横谷他
E馬廻衆500余騎・・丸山土佐守  大熊・富沢
F武者奉行・・・・・・出浦・佐藤備中守 他  
G足軽軍団100余騎・・・・・・・・・・
H後備500余騎・・・植栗・塩野・尻高  他
I殿軍700余騎・・・藤田能登守・我見修理・木内甚五左衛門 他
J小荷駄奉行100余騎・・山越左内・一場太郎左衛門 他 
  ・3300騎
K留守部隊500余騎?・・・・・・・・                               
合計 4000騎弱?

■真田忍軍
@ 総帥・・・・・・出浦対馬守盛清(昌相)
・手裏剣
画像

・佐助に「素波は・・・」
画像

・火遁の術
画像

 (長野・坂城出身・武田信玄の素破隊長
   →森長可家臣
  →真田幸隆の家臣:岩櫃城代など歴任)
A副総帥・・横谷左近幸重(雁ヶ谷城=八ッ場ダム入り口)
  弟:横谷惣左衛門幸秀(真田信之側)・・・子孫は上田在住。
  弟:横谷庄八郎重氏(真田幸繁の「真田丸」で討ち死に)    
B副総帥・・・鷲塚佐太夫(=猿飛佐助の父説が有力?)
C隊長格・・割田下総守重勝・唐沢玄蕃・剣持喜右衛
  ・田村左次左衛門(四万のたむら旅館の先祖)
  ・岡山源右衛門・広田岡右衛門
●忍者・・下級武士・浪人・百姓・山伏・またぎ・巫女・舞芸人など
★岩櫃城&柳沢城の間の寺・・・修験道場=スパイ養成所


戦国時代、武田信玄の透波頭領→真田忍群総帥:出浦盛清(昌相)
&雁が沢城主:横谷率いる大将格に、中之条の割田下総守・唐沢
玄蕃がいた。同族:望月は甲賀望月千代(千代乃)の家臣もいた。

箕輪初心●岩櫃城探検隊第8弾:真田家臣団一覧&
【唐沢玄蕃の墓&割田重勝の墓】
http://53922401.at.webry.info/201311/article_14.html


2)真田丸にいた真田幸繁の家臣
画像

 (★出典・・・久保田順一先生?)



【2】『難波戦記』
・寛文12年(1672) 軍記物『難波戦記』書かれた。
「ヒーローとしての真田幸村」が登場してくる。
画像

 (★土屋文明記念館冊子より)


【3】『真田三代記』
・江戸中期、小説『真田三代記』が成立した。
  真田昌幸・幸村・大助の3代が徳川家に対して奮戦するストーリー
  が人気を博した。
  『真田三代記』が種本になる。
  後に十勇士と呼ばれる人物や似た名前の人物が多数登場し
  猿飛佐助以外の人物が登場している。


【4】「真田物」の講談の流行
・江戸時代後期 真田主従は民衆のヒーローとなった。


【5】『古今実録 真田三代記』:栄泉社
・明治16年(1883) 幕末以降の写本で伝わった。


【6】『難波戦記』神田伯龍著
・明治32年(1899) 『難波戦記』などの講談:神田伯龍編集
  明治後講談などの口演速記本が書き残されている。
  講談師たちは『真田三代記』にはない忍術つかいの「猿飛佐助」
  を登場させた。
  「霧隠才蔵」ら真田家の英雄豪傑の物語を膨らませていった。


【6】『真田幸村諸国漫遊記』:中川玉成堂
明治42年(1999) 『真田幸村諸国漫遊記』が発刊され、
  猿飛佐助と7勇士が登場する。


【7】『真田幸村』:立川文明堂
・明治44年(1911) 『知謀 真田幸村』:立川文庫から大阪で発刊された。
  講談師玉田玉秀斎(加藤玉秀)らが中心となって講談を読み物
  として再編集した。
  このポケット版「真田幸村」が真田幸村を知謀の武将として、豊臣
  家に忠節をつくし、徳川家康に立ち向かうヒーローとして扱った。

働く勤労青年:丁稚奉公の少年達に特に人気を博した

@『知謀 真田幸村』(第5編)
真田八勇士である。
海野六郎・筧十蔵が登場しない。
その後、
A『真田三勇士忍術名人猿飛佐助』(第40編、1914年)
画像


B『真田三勇士由利鎌之助』
C『真田三勇士忍術名人霧隠才蔵』(第55編)
 「真田三勇士」とする三部作が創られた。

・大正3年(1914)「真田三勇士三部作」で真田十勇士が
 出そろった。
立川文庫の基本的な構成は、猿飛佐助、霧隠才蔵、
 三好清海入道、三好伊左入道、穴山小助、由利鎌之助、
 筧十蔵、海野六郎、根津甚八、望月六郎の10人となっている。
 その後、大衆文学に大きな影響を与えた。
『真田家豪傑三好清海入道』
など、真田家の豪傑の逸話をあつめた作品が刊行された。
画像

 

【8】『真田十勇士』の映画導入
 立川文庫は人気作品となり、新メディアである映画
 でも忍術使い猿飛佐助を中心とする作品群が作られた。

※映像化された作品
『真田十勇士』(1918年 天活)
『真田十勇士 第一篇』(1931年 マキノ)
『忍術真田十勇士』(1935年 極東映画社)
『真田十勇士 前後編』(1939年大映)
『真田十勇士 忍術猿飛佐助 忍術霧隠才蔵 忍術腕くらべ』(1954年 東映)
『風雲急なり大阪城 真田十勇士総進軍』(1957年 新東宝)
『真田風雲録』(1963年 東映)
『真田幸村の謀略』(1979年 東映)
(★ウィキペディアより)
 


【9】『少年猿飛佐助』檀一雄著
・昭和32年(1957)東京創元社から発刊された。



【10】『猿飛佐助』:柴田練三郎著
・昭和30年(1955)『猿飛佐助』偕成社から発刊
・昭和36年(1962) 『猿飛佐助』 立川文庫復活のために
・昭和37年(1963) 『真田幸村』文藝春秋新社 ・・・文庫
画像


【11】『風神の門』司馬遼太郎著
・昭和36年(1962) 〜昭和37年(1963) 『東京タイムズ』
 に連載された。
・昭和36年(1962)   単行本は新潮社から刊行された。
  霧隠才蔵=服部才蔵が主人公となっている。
  真田十勇士を題材にした作品であるが、猿飛佐助
  と霧隠才蔵以外 の十勇士は殆ど描写されていない。
・昭和55年(1980) 司馬遼太郎の原作NHKドラマ『風神の門』


【12】『真田三勇士忍術名人猿飛佐助』(第40編)の復刻版
・昭和46年(1971) 立川文明社発刊。


【13】 『真田十勇士』本宮ひろ志の漫画
・昭和50年(1975)
画像


【14】『真田十勇士』すがやみつるの漫画:デザイン石森章太郎
・昭和50年・51年(1975〜1976)
画像




【15】人形劇『真田十勇士』NHKの人形劇・ジュサブロウ
 ・昭和50年〜52年(1975〜 1977年 )があった。
「にんにきにきにき、にんにきにきにき、二人が三造・・・」
だっけか
画像


【16】「真田十勇士シリーズ」:笹沢佐保著
・昭和55年(1980) 9月〜
画像

・平成22年(2010) 『真田十勇士』岡村賢二の漫画
 笹沢左保の小説を漫画化した。
画像




【17】「真田残党奔る」:五味康すけ著
・昭和62年(1987)発刊


【18】「真田十勇士」小前亮著
画像



【19】「真田十勇士」村上元三著
画像


【20】「黄金の犬:真田十勇士」犬飼六岐著
画像


【21】『真田十勇士』松尾清貴著
・平成28年(2016)7月6日発売 610円+税


【22】テレビアニメ・ドラマ
『猿飛佐助』(1980年 日本テレビ)
アニメ『新釈 眞田十勇士』(2005年)


【23】アニメ・漫画
学研・集英社など歴史漫画
画像

・アレンジもの
画像

画像



【24】上田市の「真田十勇士」
画像

 (★無料画像より)
画像

画像


【25】ゲーム
画像




【26】舞台
@平成23年(2013)『真田十勇士』上川隆也主演
A平成24年(2014) 『真田十勇士』中村勘九郎主演
 「真田十勇士」を映画化が決定した。



【27】『真田十勇士』(マキノノゾミ脚本)
平成28年(2016)9月22日、映画『真田十勇士』公開された。





●▲◆「真田十勇士」*********************
【1】■真田十勇士のメンバー
・猿飛佐助・霧隠才蔵・三好清海入道・三好伊三・穴山小助
・由利鎌之助・筧十藏・海野六郎・根津甚八・望月六郎    
             (★真田三代:清水昇著)

【2】「真田十勇士」の存在についての3説。
@「真田十勇士」は実在せず、創作されたとする説(一般説)
A「真田十勇士」は忍者部隊があったとする説
B「真田十勇士」は実在した人物をモデルにした説



【3】「真田十勇士」の10人のメンバー一覧
1) 猿飛佐助(さるとび さすけ)
@出浦盛清(昌相)説
 出浦盛清(昌相)は村上義清と乳兄弟であった。家老であった。
 武田信玄の素波=乱波の総帥→海津城主:森武蔵守長可の家臣
 →真田昌幸の家臣→真田信之の家臣となった。

A戸隠山中で猿と遊んでいるところ、摂州花隈の城主戸沢山城守
 の父の戸澤白雲斎に見出されて弟子となる。甲賀流の忍者だが、
 戸澤白雲斎とは鳥居峠の近くの角間渓谷で3年間の間、修行を
 していた。
  ★戸隠流の修験忍者というのもある。
B豊臣秀吉の家臣:猿飛仁助の子孫:猿飛佐助がモデルとされる

C伊賀下忍・「下柘植ノ木猿」=上月佐助がモデルとされる

C真田忍群副総帥・・鷲塚佐太夫(=猿飛佐助の父説が有力?)
※「猿飛佐助伝承」・・・
@長野県戸隠村
A長野県上田市真田町:角間渓谷が真田忍者の修行場だった。
  松尾古城の奥に角間渓谷がある。
B群馬県嬬恋村鹿沢が修行場所だった。
鹿沢温泉に「真田館」がある。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
A小説「真田十勇士」・・・大柄な忍者だが、身軽だった。
TV
『忍びの者』(主演:坂口祐三郎)1964年の再放送。
『熱血猿飛佐助』(主演:桜木健一)1972年〜1973年
『猿飛佐助』(主演:太川陽介)1980年
を見ていた。
「仮面の忍者」飛騨忍者「赤影参上」もよく見たけれど、・・・
※「真田丸」にも登場・・・
『真田三代記』(立川文庫)
 鷲尾佐太夫は森武蔵守長可の家臣であった。小牧・長久手の戦い
 で森長可が鉄砲により討ち死にした。
 鷲尾佐太夫は信濃・上野の鳥居峠の麓に住んで郷士となり、
 姉の小夜と弟の佐助の二人の子をなした。
佐助は10歳・・・怪力の上、身軽だった。毎日鳥居峠の
 麓で猿と遊んでいた。・・そこへ白髪の老人が現れた・
 3年間、武術・忍術100般を伝授させられる。
 別れる時、「戸澤白雲斎」と名乗った。
 15歳、狩りに来た真田幸村に会い、家臣になった。
「猿飛佐助幸吉」と名乗った。・・・中略・・・・・・・
 大坂夏の陣では、家康の本陣:茶臼山に忍び込み、
 大功績をあげた。大坂城落城後、薩摩に逃げた。
 (★歴史人創刊号・・清水昇文責)
◆映画「真田十勇士」・・リーダー格。行き当たりばったり男
猿飛佐助は嘘とハッタリで臆病な真田幸村を本物の天下一の武将
 に仕立てあげることを決意した。
「嘘も突き通せば、真実になる。」がモットーである。
 猿飛佐助は同郷に抜け忍の霧隠才蔵ら9人の仲間を集め、
 「真田十勇士」を結成した。
 豊臣家復権を狙う淀殿(実は徳川家康と密約を結んでいた)
 に呼び寄せられた真田幸村と十勇士は、徳川との戦いの最前線
 に立つことになった。
※猿飛佐助・霧隠才蔵・火垂は久々津の里も幼馴染みであった。
猿飛佐助役・・・中村勘九郎
霧隠才蔵役・・・松坂桃李
久々津火垂役・・大島優子
★全く嘘っぱなし。


2) 霧隠才蔵(きりがくれ さいぞう)
@霧隠鹿右衛門をモデルにした。
小説「真田十勇士」・・・霧で姿を隠して、敵を倒す。逃げる。
A『霧隠才蔵』(立川文庫)
 霧隠鹿右衛門を真田幸村の忍者:霧隠才蔵と改名させて、猿飛
 佐助の相棒とした。
霧隠才蔵は、近江の浅井長政の侍大将霧隠弾正左衛門の遺児と
 なっている。浅井家が滅亡すると伊賀の名張で伊賀流忍術の
 百地三太夫に師事し、忍術の極意を授けられる。
 姫路の山中で山賊となっていたところで猿飛佐助と遭遇した。
  甲賀流の猿飛佐助と伊賀流の霧隠才蔵が忍術比べとなった。
 才蔵は負け、真田幸村に仕えることになる。
 大坂夏の陣には、電光の如き大活躍をして、徳川軍の大軍を悩
 ませ、家康の本陣に忍び込み首を掻こうとするが、失敗する。
 大坂落城後、真田幸村に従い、真田大助と協力し、豊臣秀頼を
 脱出させる。
B『真田三代記』(立川文庫)
 霧隠才蔵宗連は、近江の浅井長政の家臣の遺児・・・・
 伊賀流忍術を極めた。才蔵は父母の墓参りに行った。
 父の墓石の上で、飯を食っている佐助とであい戦うことになった。
  甲賀流の猿飛佐助と伊賀流の霧隠才蔵が忍術比べとなった。
石塔を投げる佐助・・・石塔を戻す才蔵・・・
大坂夏の陣には、徳川軍の大軍を悩ませ、家康の孫娘:千姫を
 連れ出した。本陣に忍び込み、家康の首を掻こうとするが、
 本多出雲守の鉄棒に頭を砕かれ、討ち死にした。
  (★歴史人創刊号・・清水昇文責)

◆映画「真田十勇士」・・サブリーダー格。マントで空を飛ぶ忍者。
久々津の忍者の抜け忍→山賊→真田幸村の配下
 久々津火垂(ほたる)&猿飛佐助&霧隠才蔵は幼馴染みで
 霧隠才蔵は久々津火垂(ほたる)に恋されている。

3) 三好清海入道(みよし せいかいにゅうどう)
史実
真田幸繁の5女の弟:三好(真田)幸信がモデル?
箕輪初心●秋田由利本荘【高城&亀田城&天鷺村】=亀田2万石
http://53922401.at.webry.info/201205/article_6.html

箕輪初心:生方真田丸102【28話「「受難」のあらすじ】&
▲『亀田城&真田幸繁5女:お田の方』
http://53922401.at.webry.info/201607/article_15.html

真田信繁(幸村)&豊臣秀次の娘の間にできた娘:5女は「お田の方」
である。真田信繁(幸村)の正室は大谷吉継の娘?養女なので、豊臣
秀次の娘は側室の子どもである。
お田の方は亀田藩の多賀谷宣家(岩城宣隆)の跡継ぎ:重隆を生んだ。
・慶長9年(1604) 三好(真田)幸信が九度山で生まれた。
 母は豊臣(三好)秀次の娘:隆清院殿。
 母:三好秀次の娘(隆清院殿)は三好清海説に繋がったのか?
 真田信繁(幸村)が高野山に幽閉されてから5年が経っていた。
・慶長16年(1611) 父:真田昌幸は死去。
13人いた家臣も帰っていった。
お田の方の実弟、真田信繁の3男:三好(真田)幸信も岩城宣隆に
引き取られ、亀田藩に仕えている。
(★「真田丸」では、ルソンに行ってしまったたか・・・)
●大阪の陣で命を落とした三好清海と弟:三好政勝がモデル
とされる。

@真田幸繁の5女の弟:三好(真田)幸信がモデル?
箕輪初心●秋田由利本荘【高城&亀田城&天鷺村】=亀田2万石
http://53922401.at.webry.info/201205/article_6.html

箕輪初心:生方真田丸102【28話「「受難」のあらすじ】&
▲『亀田城&真田幸繁5女:お田の方』
http://53922401.at.webry.info/201607/article_15.html

A小説「真田十勇士」破戒僧で、鬼に金棒を持っている。
B本名は三好新左衛門。亀田城(秋田県)主:三好六郎の
長男・・・
18貫(約67kg)の鉄棒を振り回す勇将である。
矢島美濃守に亀田城を乗っ取られた。
老臣:並川弥兵衛はた「真田昌幸と母が姉妹だ。」と教えられる。
大坂夏の陣には、弟:伊三と15貫(約56kg)の火薬を2袋
大坂城より運び出し、徳川家康・秀忠の命を狙うが、
馬上で討ち死にした。
  (★歴史人創刊号・・清水昇文責)
◆映画「真田十勇士」では、木のトンカチ・長刀の力持ち


4) 三好伊三入道(みよし いさにゅうどう)
小説「真田十勇士」破戒僧で、力持ち。
本名は三好新兵衛。亀田城(秋田県)主:三好六郎の
次男・・・大槍の勇将である。
矢島美濃守に亀田城を乗っ取られた。
老臣:並川弥兵衛はた「真田昌幸と母が姉妹だ。」と教えられる。
大坂夏の陣には、弟:伊三と15貫(約56kg)の火薬を2袋
大坂城より運び出し、徳川家康・秀忠の命を狙うが、
馬から落ちて討ち死にした。
  (★歴史人創刊号・・清水昇文責)

◆映画「真田十勇士」では、兄と弟2人でコンビプレイを展開。


5) 穴山小介(あなやま こすけ)
@史実では「真田昌幸の家臣に同名の家臣がいる。」
  史実では、穴山小介も原隼人正も武田氏滅亡後、真田昌幸の
家臣としてなっている。

A小説「真田十勇士」では「真田幸村」の影武者。落命。 
 武田家の家臣:穴山梅雪の甥の設定になっている
 真田幸村の家臣:穴山小介がモデルとされている。
武田家滅亡後、真田幸村の郎党に加えられる。
真田幸村と体つきも容貌も似ていた。
関ヶ原の敗戦で真田幸村が九度山にお供をした。
後に九度山を出て姫路に行き、漢方医をしながら諸国の動向
を探った。大坂冬の陣では、真田幸村の影武者として真田丸
から六文銭の大旗を風にひるがえし、徳川方の大軍を散々に
撃ち破った。
夏の陣では、「我こそは真田左衛門佐幸村なるぞ」
と、大音声を発し、徳川方の勇士を討ち取った。徳川家康の本
陣に切り込み壮絶な戦死を遂げた。
B「真田三代記」では「真田幸村」の影武者

穴山小介は影武者として「豊臣秀頼を警護して、薩摩にいく役目」
であるが、顔見知りの原隼人正に討たれた。

原は仲間の十勇士に「本物だ。」と偽り通す。
◆映画「真田十勇士」では、豊臣秀頼にそっくりさんの
根津甚八が薩摩までの役目をしている。


6) 由利鎌之介(ゆり かまのすけ)
@真田幸村の家臣:由利鎌之介・・・。
A小説「真田十勇士」では鎖鎌など武器の扱いを得意とする。
一度は幸村の命を狙ったが捕縛され、その後幸村に使えるよう
になった。
B『真田三代記』
 越前の朝倉の残党。・・・盗賊であったが、佐助に破れて
幸村の家臣になった。
九度山時代に、筧十蔵とともに諸国漫遊(情報収集)した。
大坂城落城後、幸村とともに薩摩に逃れた。
 (★歴史人創刊号・・清水昇文責)

◆映画「真田十勇士」では、槍の達人
筧十蔵とコンビを組み、久々津忍者の仙九郎に負け、
槍をさして?弁慶のように立ち往生で討ち死に。



7)筧十蔵(かけい じゅうぞう)
@史実の筧十蔵は、真田昌幸の家臣
 吹き矢・針などを使った戦法を得意とされている。
@真田幸村の家臣:筧十蔵がモデルとされる。
A『真田三代記』
 筧十兵衛の子・・・種子島銃の名手。
 大坂城落城後、幸村とともに薩摩に逃れた。
 (★歴史人創刊号・・清水昇文責)
◆映画「真田十勇士」でも、火縄銃の名人。唐辛子目くらまし術
 久々津忍者の仙九郎に内通・・・仲間裏切って八丁目口
 の火薬庫を爆破。
筧十蔵とコンビを組み、久々津忍者の仙九郎に負け、
 熊手で殺される。


8)海野六郎(うんの ろくろう)
@史実では海野六郎は存在する。
 真田昌幸のかつての本家筋・・滋野3家
 真田昌幸の侍大将:海野喜兵衛の子・・・
 真田家との関係を疑う説もある。
A真田幸村の家臣:海野六郎がモデルとされる?
小説「真田十勇士」では、爆薬使いで攪乱戦法を得意とする。
B『真田三代記』
幸村の九度山幽閉中、真田十勇士のリーダーだった。
 根津甚八と東北を旅する。伊達・上杉への監視。
大坂城落城後、幸村とともに薩摩に逃れた。
 (★歴史人創刊号・・清水昇文責)
◆映画「真田十勇士」では、真田大助の剣術指南役。
大阪冬の陣で、落馬した大助を馬に乗せている途中で
討ち死にする。

9)望月六郎(もちづき ろくろう)
@史実では真田昌幸のかつての本家筋・・滋野3家
「大坂の陣」で情報かく乱で徳川軍を混乱させた。
A真田幸村の家臣:望月六郎がモデルとされる。
 小説「真田十勇士」では、爆弾製造や破壊工作に長けた人物。
B『真田三代記』
大阪夏の陣で、幸村の影武者1号になり、真っ赤な赤備えで
討ち死にした。
 (★歴史人創刊号・・清水昇文責)
◆映画「真田十勇士」では、真田幸村の眼鏡をかけた算術家
冬の陣で幸村のかばって身代わりになって戦死する。


10)根津甚八(ねづ じんぱち)
@史実では、水軍の指揮に長けた人物。
上野(群馬県)豊岡藩:祢津信政の次男:祢津神八(甚八)
がいる。
A真田幸村の家臣:根津甚八がモデルとされる。
B小説「真田十勇士」では、水軍の「大将」
◆映画「真田十勇士」では、落ちぶれ武者で、臆病者。
豊臣秀頼の影武者。






◆参考資料*************************
・「群馬を舞台にした歴史・時代小説」
 土屋文明記念文学館資料・・平成28年4月16日発刊
画像


・歴史人創刊号「本から飛び出した真田十勇士」
  P36〜p43・・清水昇文責)

・真田忍者:中之条ミュゼ

・「真田の忍びたち」元岩櫃城あざみの会会長:富沢朗著
・岩櫃城「出浦」&不動寺
・中之条の割田重勝&唐沢玄蕃の墓
・「関東古銭録」:久保田順一訳
・「上毛古戦記」:山崎一編集
・「真田十勇士のことがよく分かる本」


★明日は映画「真田十勇士」かな?

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
箕輪初心:生方▲真田丸120『真実の真田忍群』と『虚構の「真田十勇士」の歴史』 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる