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zoom RSS 箕輪初心●静岡【駿府城】@徳川家康3回在城〜徳川家康の死

<<   作成日時 : 2016/09/28 19:37   >>

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徳川家康は駿府で3回過ごした。大変重要な場所である。
史実として分かっている。人質時代12年→築城時代1年
→大御所時代11年・・・24年間もいたらしい。
★NHK大河ドラマ『江〜』で徳川家康は大往生を遂げた。
★NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』で徳川家康に九州で対抗。
★NHK大河ドラマ『真田丸』で駿河城に真田昌伊がいた。
個人的に撮影ポイントは@市役所??階から?・・20?階
A大手門前がいい。東門の「大御所時代の家康」の説明も
楽しい。

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 (★市役所からの眺め〜)
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■訪問記・・・平成16年(2007)10月11日
★伊豆の雲見ダイビング後、富士宮の平垣に宿泊。
 ラッシュの中で駿府城に行った。駐車場が開いていなかった
 ので、堀の周りを4回も本丸回って時間つぶしをした。
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●北門から入った。

●駿府城は、駿府公園となっている。


●西に行くと徳川家康の像があった。
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★祢津松鴎軒政直
天正11年(1583) 祢津松鴎軒政直は徳川家康に臣従した。
「禰津」から「根津」に姓を変えた。
  甲州黒沢と駿州厚原に350石を与えられた。
  鷹匠となった。
  祢津松鴎軒政直一旦出家していたが、根津元直3男の根津信直
  の嫡男?:2男禰津信政の後見人となった。
9月28日付 徳川家康から知行宛行状
  根津信政の系統が上野国豊岡藩主になっている。



●天守台が有った場所だ。

●本丸の堀の発掘調査と一部復元できれいになっていた。
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●二の丸巽櫓、東御門(櫓門)と多聞櫓も復元されていた。
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●巽櫓の博物館の中に入った。
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・駿府城天守閣(寛永12年に消失)の復元模型が展示されていた。
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●東御門を出て、二の丸の堀を見に行った。
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●県庁に行って駿府城を眺めた。

・遠くに富士山が見えた。

●駿府城に戻った。
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・庭園に入って、抹茶をいただいた。
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・お茶と富士山の庭園があった。



駿府城の歴史
・平安時代    駿河国府(駿府城北に隣接)
・応永18年(1411)初代守護:足利一族の今川範国か範政が
           賤機山城を築城?臨済寺が大手口?
            平時は今川館に居住。
・室町時代   今川館(駿府城の南西に隣接)・・・


【1】人質時代・・天文17年(1548)? 徳川家康は今川義元の
   人質として12年間・・・19歳まで。
・天文17年(1548)? 徳川家康は人質。12年間。
   臨済寺の雪齋(今川義元の参謀)に教授。
  ※安倍川が賤機山の西から南北に流れ、籠上から
       南東に向きを変えていた。

・永禄11年(1568) 武田信玄の駿河侵攻→武田館
  (当山城・花沢城・持舟城・丸子城・小瀬戸城・愛宕山城
   ・瀬名取出・尾沢渡取出・八幡山城・久能山城築城)

★早い話、武田ははしめて、水軍を持った。
  

・天正10年(1582) 徳川家康の侵攻→駿河国を支配。 
 3月11日 武田氏は織田・徳川勢力により滅亡。
  駿河の武田遺領は徳川家康が領有した。

【2】東海の大名時代・・織田信長の死後、三河・遠江・駿河・
 甲斐・信濃を支配。
・天正10年(1582)
3月11日 武田氏滅亡
6月2日

・天正14年(1586)駿府城に入城。1年間。


・天正17年(1589) 徳川家康は、今川館の地に築城(現駿府城の
 本丸・二の丸)し、浜松城から居城を移した。


・天正18年(1590) 豊臣秀吉の小田原城攻撃
 7月5日 小田原城開城
 7月11日 北条氏政・北条氏照は自刃。
介錯は北条氏直(徳川家康の娘婿)
8月   徳川家康の関東移封。
  駿府城には豊臣系大名の中村一氏が入城した
  (甲斐の甲府城にも豊臣系大名が配置された)。
徳川家康は江戸城に入城し、天下普請をした。



【3】大御所時代・・・慶長10年(1605)徳川家康は修築した
 駿府城に入城。大御所として活動。大坂の陣で豊臣家を滅ぼ
 した翌=元和2年(1616) 75歳で生涯を閉じた。11年間

・慶長10年(1605)将軍職を秀忠に譲った。(徳川家康の隠居所)
  徳川家康は大御所となった。隠居城として駿河城の大修築を
  行った。
 名目上は徳川頼宣(8代将軍吉宗の祖父)による駿府藩50万石
 であった。
 駿府城は天下普請で、ほぼ現在の形である三重の堀を持つ
 輪郭式平城が成立した。

・慶長12年(1607)徳川家康は輪郭式の三重の堀のある
  5層7階の天守を配置した城であった。
駿府城は近世城郭として築城し直され、初めて天守が築造
   された。
天守閣は、石垣天端で約55m×48mという城郭史上最大のもので
  あった。
駿河城が完成した。
 しかし、完成直後の天守や本丸御殿などが失火により焼失した。

・慶長13年(1608) 直ちに再建工事が開始された。

・慶長15年 (1610) 完成した。
天守曲輪は7階の天守が中央に建っていて、
  大型天守台の外周を 隅櫓・多聞櫓などが囲む構造となった。

 城主は、10男:徳川頼宣は徳川家康と同居した。

・慶長16年(1611)  
  徳川家康と豊臣秀頼が京都二条城で会見を行った
徳川義直と徳川頼宣は東寺まで出迎え、人質として加藤清正に
  預けられた。
  徳川義直と徳川頼宣は返礼の名代として大坂城の徳川秀頼
  を訪問した。
6月4日 真田昌幸が老衰で死去。享年65。

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