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zoom RSS 箕輪初心●西伊豆21:土肥「丸山城」=天正17年富永助盛=猪俣邦憲は?

<<   作成日時 : 2016/09/18 05:52   >>

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富永氏関係の遺構は、北に「高谷城」、山麓に富永氏館&清雲寺、
少し南に土肥金山がある。さらに南に「丸山城」があるのだ。
「丸山城」は@出丸、A本城、B詰め城からなる。築城年代は
定かではないが、 富永氏の高谷城の支城として築かれ、天正
17年(1589)には八木沢港が築かれ、水軍基地として利用された。   
土肥の101、ダイビングのためには10回以上来ている。ダイビ
ングのインストラクターもここで受けた。この101の西の裏山が
本城である。また少し先は出丸である。★富永氏もいい場所に城を
築城したもんだとずうっと思っていた。
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〜〜〜西伊豆シリーズ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心:生方◆西伊豆@【夕日のロマンチック街道の
 これからのブログ予定総論
http://53922401.at.webry.info/201510/article_3.html

箕輪初心:生方●西伊豆A「三枚橋城→沼津城」:武田信玄も侵攻した城
http://53922401.at.webry.info/201510/article_10.html

箕輪初心:生方★西伊豆B【若山牧水と沼津千本松原】
http://53922401.at.webry.info/201510/article_11.html

箕輪初心:生方◆西伊豆C【沼津港界隈の散策】&『グルメ記録』
http://53922401.at.webry.info/201510/article_12.html

箕輪初心:生方▲西伊豆D『沼津港口公園:本居長世の碑』〜
沼津御用邸〜
http://53922401.at.webry.info/201510/article_13.html

箕輪初心:生方●西伊豆E【獅子浜館&獅子浜城遠望&獅子浜ダイビング】
http://53922401.at.webry.info/201510/article_14.html

箕輪初心:生方▲西伊豆F『三津浜』クルージング&三津城主:松下氏
http://53922401.at.webry.info/201510/article_15.html

箕輪初心:生方▲西伊豆G『長浜城1回目の復元前』
http://53922401.at.webry.info/201510/article_16.html

箕輪初心:生方●西伊豆H『復元後の長浜城3回目』=北条水軍の城
http://53922401.at.webry.info/201609/article_6.html

箕輪初心:生方●西伊豆I『長浜城&重須の戦い:武田VS北条』詳細編
http://53922401.at.webry.info/201609/article_7.html

箕輪初心:生方▲西伊豆J【沼津市西浦平沢のグルメ】&『My伊豆ブログ集』

箕輪初心:生方▲西伊豆K『江梨鈴木氏館=海蔵禅寺&航浦禅寺』
http://53922401.at.webry.info/201609/article_11.html

箕輪初心:生方▲伊豆西L【大瀬崎散策】と『鈴木繁伴館』
http://53922401.at.webry.info/201609/article_12.html

箕輪初心:生方▼西伊豆M【2016夏:大瀬崎ダイビング15回目】
http://53922401.at.webry.info/201609/article_13.html

箕輪初心:生方▲西伊豆N沼津市井田「井田の歴史とダイビング」
http://53922401.at.webry.info/201609/article_14.html

箕輪初心:生方▲西伊豆O【戸田&プチャーチン】
http://53922401.at.webry.info/201609/article_16.html

箕輪初心:生方▲西伊豆P【伊豆市土肥の散策&グルメ】
http://53922401.at.webry.info/201609/article_17.html

箕輪初心:生方★西伊豆Q『土肥の若山牧水』
http://53922401.at.webry.info/201609/article_19.html

箕輪初心:生方▲西伊豆R【土肥の富永一族の歴史】と『菩提寺:青雲寺』
http://53922401.at.webry.info/201609/article_21.html

箕輪初心●西伊豆S【土肥高谷城】後北条bRの富永一族の本拠地
http://53922401.at.webry.info/201609/article_23.html




■訪問記・・・2009年11月8日
   何度も来ている土肥の101・・・
   ダイビングのインストラクターもここで受けた。
  この先が、土肥の丸子城である。
  101から本城が見える。
  ★富永氏もいい場所に城を築城したなあと思う。
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◆訪問日・・・平成25年(2013)8月27日
○「心太(ところてん)」&土肥の101の前に車を停め、昔を回顧
した。
★かつて、この辺りは家臣の館があったので、あろう。

○丸山公園に縄張り図&説明書きがあるので、そこに寄った。
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★丸山スポーツ公園の前のテニスコートはかつては舟溜まりであった。
 出丸もよく見える。逆に丸山スポーツ公園の先の低い所は、かつて
 入江になって、北西の出丸は舟を監視したり、高谷城に連絡したり、
 敵を見張ったりする場所であったのだろう。

【1】土肥の八木沢丸山城の「出丸」
○坂の途中の大きな曲がり角に車を停めるスペースがある。
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道の反対に出丸に向かう看板がある。
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10m程下る。
○堀切跡・・・ジャコウチョウ?が
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すぐに階段になる。
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3〜4分程で、山頂部に着く。
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出丸部分は公園として整備されている。
30m×30m程であろうか、単郭のようである。
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・案内板
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・標柱
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北東の隅が土塁で区画されている。
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社が祀られている。
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・「戦国の山城」をみると、標高50m位らしい。
・高谷城遠望・・・でも、見えない。
・舟留まりの部分が見えた。 
出丸から見下ろすと丸山スポーツ公園が眼下に臨める。
実は、ここのテニスコートなどがかつての船溜りだった。
風や浪を防ぐ絶好の地形である。
・反対に高谷城が見えた。
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カニ・・・城主:蟹右衛門が、侵入者を威嚇している。
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▼戻った。
丸山城の出丸=海に張り出した丘陵部分を後にした。

国道を渡った。自分の車に行っった。
南の山腹に「本城」、背後の最高所に「詰の曲輪」があったという。

【2】土肥の八木沢丸山城の「本城」
○国道脇に登山道=大手道がある。
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○→「丸山城」の看板がある。
○草むらを行くと、虎口のような石垣があった。
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○右や左に削平地がある。
・・・案内板には、??曲輪とあった。
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○明るい箇所に出た。
軽トラック1台分のコンクリの道である
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○本城・・・・一段高い?1m程の石垣で囲まれた場所があった。
藪で、通行禁止の鉄がおいてあった。
 ・「戦国の山城」をみると、標高70m位らしい。
付近の畑は野菜畑&みかん畑だ。みかん小屋もある。
★実際は帰りに寄った。
●主郭の石垣
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●主郭虎口
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○東屋の案内板
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・何も植えられていない野菜畑の角に石積みが確認出来る。
もしかしたら、櫓台の跡かもしれないと思った。そして、
野菜畑は本城のあった所である。
★この北東部が101だ。
あと、2ヶ所が城部分・・・

【2】土肥の八木沢丸山城の「詰め城」
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詰の曲輪はその背後の山頂付近だと思われる。
コンクリの道を登った。
山頂を目指して山に入った。
山頂は削平されていなようである。
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○牛頭天王神社・・・ここがかつての館跡かな?
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★西の海の景色が最高だった。
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○堀切・・・道になっていて確認できない。
「戦国の山城:では、ここまでが城域だ。





●▲■ 「丸山城」&「高谷城」 ■▲●
※富永氏の先祖は三河設楽郡の大伴家持の「伴一族」が有力らしい。
在原業平系図や小野系図・佐々木系図・源氏系図
などがあるそうである。

・南北朝時代  全国第2位の金の産出量であった。
        全国第1位は佐渡の金山。

  ※富永氏が高谷城築城?
       「基氏伝帳」が不確実だそうである。

・室町時代    
・応仁の乱の前後・・・近江の宇多源氏佐々木氏系の一族:
初代:富永実直=政直が土肥に移住してきた。
   富永政直が「丸山城」&「高谷城」を築城?
         土肥金山の開発も進めた。


●▲■ 「丸山城」&「高谷城」 ■▲●
※富永氏の先祖は三河設楽郡の大伴家持の「伴一族」が有力らしい。
在原業平系図や小野系図・佐々木系図・源氏系図
などもあるそうである。

・南北朝時代  全国第2位の金の産出量であった。
        全国第1位は佐渡の金山。

  ※富永氏が高谷城築城?
       
・南北朝時代に富永氏がいた説・・・足利持氏文書
「基氏伝帳」が不確実だそうである。

・応仁のの乱頃に冨永氏は三河からやってきた説
   富永氏は三河国設楽郡発祥の御家人で、応仁の乱前後に伊豆へ
  移住してきたものと考えられている。

(土肥の富永一族:土肥教育委員会)
  (★伊豆水軍物語:永岡治著)

・室町時代    
・応仁の乱の前後・・・近江の佐々木源氏系の
初代:富永実直=政直が土肥に移住してきた。
   富永政直が「丸山城」&「高谷城」を築城?
      土肥金山の開発も進めた。
築城年代は定かではない。

・延徳3年(1491)  
・延徳3年(1491)  富永政直は、伊勢新九郎(北条早雲)の
    『足利茶々丸を討つから味方になってくれ。」という手紙に
    同意した。         
   富永氏は、北条の水軍の海賊衆に配属となった。

    
   富永政直は足利茶々丸の攻撃に貢献。

・明応2年(1493) 富永政直は、興国寺城代に任じられた。

・明応4年(1495) 北条早雲の小田原攻撃→乗っ取り成功。
伊豆:狩野氏の狩野城・関戸氏の深根城・蔭山氏の河津城の
が敵対していた。・・足利茶々丸を関戸氏が匿った。

    北条早雲は富永政直などの北条の水軍の海賊衆を強化した。

・大永4年(1524) 富永政直は、北条氏綱の配下となった。
北条氏綱は江戸城攻撃→
    富永政直が江戸城の城代となった。
富永政直は本丸を預かることになった。

・大永5年(1525) 北条氏綱は安房に出兵。

・天文4年(1541) 北条氏康が継承。

・天文14年(1551) 川越の夜戦

・弘治2年(1556) 安房の里見水軍:正木らの三浦攻撃。
北条方の三浦には、梶原・三浦・三富(友達先祖)
 が守っていた。
北条氏綱は2代:富永政辰、山角・横井を
 援軍に出した。
 三浦の城ヶ島:里見水軍と戦った。


・永禄2年(1559) 北条家臣7位の富永氏の禄高
560人中の7番目である。
 @北条幻庵、A松田左馬助(山中城)、B遠山丹波守(江戸城主)
※冨永と兼任。
 C小机三郎(小机城)、D北条綱成(玉縄城)、E太田新六郎
 ※2代:富永弥四郎政辰・・・1383貫文
・土肥中心1000貫文で、小田原・秦野・墨田区・川越など
※一族:冨永善左衞門(政辰弟) 約49貫・・・*3ヶ所

・永禄7年(1564) 国府台の戦い
 里見義広・正木時成全軍 VS 北条軍全軍
        :富永政辰・遠山綱景は先鋒で、
北条一族・松田・大導寺政繁20000
  
    2代:富永政辰が戦死。
3代・冨永政家17歳が継承。
富永政家は江戸城も城将を務めていた。
   
・永禄年間 江戸城代・栗原城代を兼任し、北条家5家老の1人に
    なった。北条家家臣のbRになっていた。
所領は約1400百貫で北条家の中でも高禄である。

富永政家は富長氏館跡に青雲寺を建立した。

・天正5年(1577) 富永氏の土肥の天正金鉱の採掘

・天正8年(1580)  北条の富永軍 VS 武田の水軍
武田の水軍は、土屋豊前の守・伊丹・
 新加入の伊勢水軍:小浜景驕阜井伊兵衛など

・天正17年(1589)には八木沢港が築かれ、水軍基地として利用
 された。

猪俣邦憲は沼田城から名胡桃城に攻め込み、乗っ取った。
 豊臣秀吉に小田原城攻めの口実を与えてしまった。


・天正18年(1590) 北条の富永軍 VS 豊臣水軍
3月豊臣の水軍は毛利=村上水軍・久鬼水軍
         →落城。・・・・廃城。

・江戸時代  江戸幕府は天領とした。
天領:韮山代官所支配。江川家が管理。

   嫡男:富永直則は旗本になっている。
次男:富永勝安は結城秀康の家臣になった。

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