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zoom RSS 箕輪初心●西伊豆S【土肥高谷城】後北条bRの富永一族の本拠地

<<   作成日時 : 2016/09/17 08:01   >>

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北条水軍の大将:富永氏の城は土肥にある。大きく3ヶ所である。
@高谷城=富永氏の本拠、A富永氏館跡、B八木沢丸山城である。
高谷城は、はじめは小さな海賊城に過ぎなかったが、城主の富永
氏が北条水軍の大将になると最大の水軍基地となった。土肥金山
の資金力をバックに、高谷城を整備拡張したのかもしれない。海
岸の頬杖の刻を出丸とし、連なる稜線上に、西から物見郭・三の郭
・二の郭・本の郭などを置いた。多数の塁段・空堀・土塁・竪掘
を擁する大規模な山城となった。大藪・小土肥・中浜・平野の丘
陵一帯で総面積約20haが城跡である。
私は1時間半も藪こぎをし
たのだった。
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◆訪問日・・平成25年(2013)8月26日&27日
【1】頬杖の刻の上=高谷城出丸跡を整備してできた岬。
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○磯料理&民宿「みやもと」
★実のところ、土肥の花火大会失態のため&旅館・民宿は働き過ぎ
 のため、休みに入ったのだ。でも、いい店に予約できた。
★引水の風呂だが、最高。

・警察の方やマスターと飲んだ?
 ・・・ほどでもないが。
★でも、警察の方は大学の後輩であった。
 嬉しくなっちゃうよな。お嬢さんが優秀だった。パパは大変。
○11:00 睡眠

【2】高谷城
○05:30 土肥の名所を回って、小土肥に来た。実際は宿泊した
「みやもと」から北西に300m程である。

○公共の湯の50m離れた場所に車を停めた。
 民宿の叔父さんに登山場所を聞いた。
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@小土肥坂〜〜〜なかや前〜〜〜〜
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A分岐・・・左は三の郭、右は二の郭

B堀切

○南に回り込んだ。

C3の郭入り口
※水野茂氏=「出丸」
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○三の郭の腰郭要素程ではない藪を通った。
 
D南東の物見郭の下の郭
※水野茂氏=「出丸の下の郭」

E腰郭&虎口らしき石垣があった。
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Fこの腰郭を右に回り込むと、発掘調査の写真の場所
 である。
G物見櫓=櫓台部分・・★一段高い。
※水野茂氏=「出丸の下の郭」
★登ってみれば、分かる物見台は確定的である。
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H土塁・・・三の郭南東の一角
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★草は刈ってないが、見事に残っている。
地元の人に聞いた地震&津波の避難場所であるが、
全くの整備がなされていない。
それでいて、避難訓練をしたという。・・
逃げても生活できない三の郭である。
※水野茂氏=「塁段」と呼んでいる。

I三の郭・・使われなくなった畑であった。
★これが三の郭レベルだと思うと、でかすぎて、
 嫌になり始めた。

▼戻る。・・堀切・・・藪こぎを再び開始した。
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J段郭のオンパレード・・・D段もある。
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○北方面に藪こぎをしていった。
西は絶壁である。
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○郭としての要素の低い場所であるが、50m
 程続いた。・・・★蜘蛛の巣だらけである。

○かつてみかん畑であった場所を藪こぎして、
 大手道に出た。
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○峠のコルのような場所から東の山に入った。

○孟宗竹のタケノコ掘りのあとが数十と残っていた。
※水野茂氏=「二の丸の下の塁段」と表現している。
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K二の郭
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 かなり広いので、一城別郭の可能性があると思った。

★ここで、5分の2の地点かなと思った。

○少し下がり・・・
L物見郭?

M堀切・・・★結構、でかい。
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○土橋状の場所を進んだ。

○張り出した北の尾根があったが、行かなかった。

N堀切
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O主郭=本郭・・・最高峰らしい。
100m×100mの削平地・・・
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○帯郭が明確に残っている。凄い。
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○アスファルトの道に出た。

▼ここで、下ることにした。
 藪こぎ5:30~6:30・・・1時間たった。腹も減った。
 でも、ここは諏訪神社に下る道である。
 でも、後で調べると、さらに東に尾根に郭があるのだ。
「諏訪神社を中心として、扇状に開いた山並みが高谷城
  となっている。」のがわかった。
さらに、3〜400m程回り込んでいるらしい。
 
※多くのブログが諏訪神社を登り口にしている。
 でも、二の郭&主郭の間である。
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★個人的には、郭が離れすぎているので、これを決めたのが
 静岡大学の永岡治先生であるが、山の峰を中心に200m〜
 300mの峰を三の郭&二の郭&主郭を決めたのは、静岡の
 伊豆の城などの構造を調べると、素人でも非常に疑問が残
 る。地理的に考え、出丸&物見台のある二の丸が主郭でな
 いと、機能を果たしにくいのではないのであろうか?
 もう一つ、200m〜300m離れた場所を出丸・三の丸・
 二の丸・主郭とする発想はいままでなかったので、非常に
 疑問が残る。群馬からたまたま行った城に講釈を述べる
 レベルの城好きであるので、おこがましいが再考の余地が
 あると思った次第である。

・富永氏館
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〒410−3301
静岡県伊豆市小土肥309−1

●▲■ 「丸山城」&「高谷城」 ■▲●
※富永氏の先祖は三河設楽郡の大伴家持の「伴一族」が有力らしい。
在原業平系図や小野系図・佐々木系図・源氏系図
などもあるそうである。

・南北朝時代  全国第2位の金の産出量であった。
        全国第1位は佐渡の金山。

  ※富永氏が高谷城築城?
       
・南北朝時代に富永氏がいた説・・・足利持氏文書
「基氏伝帳」が不確実だそうである。

・応仁のの乱頃に冨永氏は三河からやってきた説
   富永氏は三河国設楽郡発祥の御家人で、応仁の乱前後に伊豆へ
  移住してきたものと考えられている。

(土肥の富永一族:土肥教育委員会)
  (★伊豆水軍物語:永岡治著)

・室町時代    
・応仁の乱の前後・・・近江の佐々木源氏系の
初代:富永実直=政直が土肥に移住してきた。
   富永政直が「丸山城」&「高谷城」を築城?
      土肥金山の開発も進めた。
築城年代は定かではない。

・延徳3年(1491)  
・延徳3年(1491)  富永政直は、伊勢新九郎(北条早雲)の
    『足利茶々丸を討つから味方になってくれ。」という手紙に
    同意した。         
   富永氏は、北条の水軍の海賊衆に配属となった。

    
   富永政直は足利茶々丸の攻撃に貢献。

・明応2年(1493) 富永政直は、興国寺城代に任じられた。

・明応4年(1495) 北条早雲の小田原攻撃→乗っ取り成功。
伊豆:狩野氏の狩野城・関戸氏の深根城・蔭山氏の河津城の
が敵対していた。・・足利茶々丸を関戸氏が匿った。

    北条早雲は富永政直などの北条の水軍の海賊衆を強化した。

・大永4年(1524) 富永政直は、北条氏綱の配下となった。
北条氏綱は江戸城攻撃→
    富永政直が江戸城の城代となった。
富永政直は本丸を預かることになった。

・大永5年(1525) 北条氏綱は安房に出兵。

・天文4年(1541) 北条氏康が継承。

・天文14年(1551) 川越の夜戦

・弘治2年(1556) 安房の里見水軍:正木らの三浦攻撃。
北条方の三浦には、梶原・三浦・三富(友達先祖)
 が守っていた。
北条氏綱は2代:富永政辰、山角・横井を
 援軍に出した。
 三浦の城ヶ島:里見水軍と戦った。


・永禄2年(1559) 北条家臣7位の富永氏の禄高
560人中の7番目である。
 @北条幻庵、A松田左馬助(山中城)、B遠山丹波守(江戸城主)
※冨永と兼任。
 C小机三郎(小机城)、D北条綱成(玉縄城)、E太田新六郎
 ※2代:富永弥四郎政辰・・・1383貫文
・土肥中心1000貫文で、小田原・秦野・墨田区・川越など
※一族:冨永善左衞門(政辰弟) 約49貫・・・*3ヶ所

・永禄7年(1564) 国府台の戦い
 里見義広・正木時成全軍 VS 北条軍全軍
        :富永政辰・遠山綱景は先鋒で、
北条一族・松田・大導寺政繁20000
  
    2代:富永政辰が戦死。
3代・冨永政家17歳が継承。
富永政家は江戸城も城将を務めていた。
   
・永禄年間 江戸城代・栗原城代を兼任し、北条家5家老の1人に
    なった。北条家家臣のbRになっていた。
所領は約1400百貫で北条家の中でも高禄である。

富永政家は富長氏館跡に青雲寺を建立した。

・天正5年(1577) 富永氏の土肥の天正金鉱の採掘

・天正8年(1580)  北条の富永軍 VS 武田の水軍
武田の水軍は、土屋豊前の守・伊丹・
 新加入の伊勢水軍:小浜景驕阜井伊兵衛など

・天正18年(1590) 北条の富永軍 VS 豊臣水軍
3月豊臣の水軍は毛利=村上水軍・久鬼水軍
         →落城。・・・・廃城。

         豊臣軍は山中城攻めに変更。
富永政家の嫡男:富永直則は徳川家康に仕えた。

江戸時代  江戸幕府は天領とした。
天領:韮山代官所支配。江川家が管理。

   嫡男:富永直則は旗本になっている。
次男:富永勝安は結城秀康の家臣になった。


※参考文献
・『富永一族の歴史』土肥町教育委員会1000円
・『戦国の山城』
・『土肥の歴史年表』
・『伊豆水軍物語』永岡治著(中公新書絶版)
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箕輪初心:生方▲西伊豆R【土肥の富永一族の歴史】と『菩提寺:青雲寺』
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