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zoom RSS 箕輪初心:生方▲真田丸110【第33話『動乱』】&史実&ちょっと伏見

<<   作成日時 : 2016/08/24 07:10   >>

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豊臣秀吉の掟を破り、勝手に徳川家と加藤・福島の婚姻を結ぶなど、
次第に野心を露わにし始めた大人衆(五大老)の筆頭格:徳川家康
に対して、豊臣政権五奉行:石田三成は豊臣家存続のために伏見の
徳川屋敷の襲撃し、徳川家康を殺すことを決意した。しかし、徳川
家康の名参謀:本多正信に気づかれてしまった。本多正信は石田三
成の襲撃を諸大名に通達し、徳川屋敷の警護を依頼した。石田三成
は一転危機的状況に陥った。真田信繁は三成を救うため、父:真田
安房守昌幸にあるお願いをするのであった・・結果として、誰が徳
川家康派で誰が石田三成派であるかを確かめることになった。本多
正信の作戦であった。
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  (★戦国の城:中:伊藤展安イラスト)

箕輪初心◆豊臣秀吉の死〜徳川家康の小山評定〜関ヶ原の戦いへ
http://53922401.at.webry.info/201312/article_14.html

箕輪初心:生方▲箕輪城202【真田丸に登場しない井伊直政」
&郭馬出出撃門
http://53922401.at.webry.info/201608/article_25.html


【0】ちょっと伏見
1)伏見稲荷神社
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 (★無料画像より)
2)信長の城・秀吉の城ー織豊系城郭の成立と展開
 :安土城博物館
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2)豊臣秀吉と京都ー聚楽第・御土居と伏見城
:日本史研究会編
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3)その他史料
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【1】 第33話「動乱」のあらすじ
◆ナレーター
「太閤(豊臣)秀吉、・・・・襲撃に発展する。」

●伏見城

「」

「島様、石田様がお呼びでございます。」
「みし、岡江雪斎」
「金吾中納言様の屋敷に・・・」


●伏見の真田屋敷
幸繁「・・」
宇喜多屋敷が見える。

三十郎「案外近いですね。」
幸繁「今、徳川に・・・」
幸繁は2者択一で迷っている。
三十郎「・・こんなに悩むなんて、・・・」
幸繁「やると決まったら、勝たねばならない。・・・」

●伏見城治部郭
北条の板部岡江雪斎が現れた。
幸繁「・・江雪斎様ではございませんか?
    その後、何を・・・・・」

江雪斎「・・・諸国を回っていました。・・・
    今は金吾様の処に・・・・」

幸繁が策をいう。
「宇喜多屋敷から徳川屋敷に梯子をかける。・・・」



●伏見の徳川家康
北条の板部岡江雪斎が現れた。
江雪斎「石田様が内府様を襲おうとしています・・・」



家康「正信・・・江戸へ帰るぞ。」
正信「・・・豊臣恩顧の大名がどれほどつかえるか?試す
    よい機会です。」

家康はなんのことか今は分からないようだが、
正信の作戦を聞いた。
正信「石田治部が徳川屋敷を襲おうと
   しているので、・・・豊臣恩顧の大名に味方するように
   書状を送るのです。」

戦闘準備が開始された。
忠勝「・・・死んでの護るのじゃ。」
と配下に気合いを入れる。


●伏見城治部少郭
??「徳川屋敷に鎧武者が集まっている様子・・・」
幸繁「・・・漏れてしまっては、止めるしかありません。・・・」

三成「 金吾様は・・・」

三成「・・大坂城へ行ってくる
    小早川殿は毛利へ
    左衛門佐は上杉へ・・・」

嶋左近が戦さ準備を始めた。

小早川は不安である。


●伏見の上杉屋敷

幸繁「毛利???石・上杉様120万石・・・287万石・・・
   十分に互角です。」

上杉「わしは参加するつもりはない。」

幸繁「残念でございます。」
景勝「すまぬ、源次郎・」

※雪が降る。・・・・

●大谷屋敷
幸繁は大谷に状況を話した。
大谷「・・・(治部は)焦りすぎだな。」
幸繁「・・・」
大谷「・・・ 味方が揃わなかった時、あの男がどうでるか?・・・」


●真田屋敷 
幸繁「兄上はどうなさいますか?」
信幸「私は一応、徳川様に顔をだそうと思う。」

幸繁「父上はどうなさいます。」
昌幸「・・・この前、刺客を出したばかりであろう。」

・・・雪が降ってきた。

信幸「源二郎、お前はどうするのだ  ・・・」
幸繁「伏見城にいます。」

きり「やぱり、ここにいました。」・・・
   北の政所様(お寧)がお呼びです。」

幸繁「きりは公平だ。・・・」
きり「・・・男の方は言い出したことは引っ込みは
     つかなくなったのでしょう。石田様も。」?

●伏見城
お寧「・・」

お寧「・・・伏見に戦場にしてはならぬ。平和をつくったのは
殿下です。・・私は認めません。」

▲回想編・・・加藤・福島がきた。
お寧 「徳川様につくように命じました。」

・・・・・・

お寧「佐吉は伏見で争いをおこすことはならぬ。」

幸繁「はい。」
きり「・・・・・」
幸繁「・・・止めるにやめられぬ。」


●徳川屋敷
ものものしい軍備状況・・・鎧姿

信幸「・・・隅で静かにしておれ。」
と三十郎に話す。
忠勝「・・・おう、婿殿。。」
信幸「父上・・・」
忠勝「・・わが婿。真田伊豆守がきましたぞ。
    これで怖い者なしじゃ。」

●大坂城

三成「・・・」

三成「・・・千なり瓢箪を貸していただきたい。・・・」

前田利家「・・ならぬ。」
三成「・・・兵の士気が上がります。・・・」

茶々「なりませぬ。」
三成「大納言様・・・」
大納言様「・・・諦めよ。」

茶々ががっかり。・・・
片桐「・・・」
茶々「伏見では何が起こっているの?」
侍女「何もおこってはいません。」


●徳川屋敷

信幸「・徳川殿は試しているのかもしれぬ。
   ・・・いざという時、だれが味方で・・・」

正信「・・・お世話になります。・・・」?

伊達「・・・我らがいれば、何の心配もござらぬ。
   内府殿は何をしておられる?」
正信「殿は鎧支度をしております。」
伊達「戦支度をしなくても、内府殿を石田治部の手のもの
    から我らだけでお守り申す。」
正信「・・・・これは心強いお言葉でござる。」
伊達「期待にお答え申す。・・・」


加藤清正は怒る。・・かわらけを割る。
・・・「なんでだろう。なんでだろう?」

●伏見城治部郭
加藤がどなり込む
「治部はいるか?」


●真田屋敷
「伊達・福島・加藤・池田・・・」

昌幸は碁で・・・地図の上においていく。
三十郎「」
昌幸「数では徳川が優勢がだ・・・」


●伏見城治部郭
幸繁「石田様、・・・」
加藤「・・・手を引け。・・・」

加藤「・・・力尽く、・・・」

加藤「・・ワシには分かる。」

加藤「・・・振り上げた拳、
    どうしたらよいか、困っているのだ。
   うでずもうしようではないか?

三成「・・徳川屋敷に帰れ。」
加藤「・・・誠の戦になったら、お主を殺すぞ。」
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帰る。・・・
毛利も真田も上杉も動かぬ。・・・
三成「お主等は何をやっていたのだ。」

三成「腹がいたくなってきた。」

三成「・・・細川忠興がいる。・・・」
幸繁「 ・・」
三成「私が行く。」


●細川屋敷
三成「干し柿が好きですか?」

細川「・・・・加藤・福島は大の苦手じゃ?
   殿下の家臣に・・・」

細川「・・・お主はもっと嫌いじゃ?」

細川「これより、内府殿様に味方する。」



●真田屋敷
三十郎「誰の旗でしょう。」
幸繁「刑部様の旗だ。」


幸繁「・・・徳川様に味方ほしい・」
昌幸にお願いした。
昌幸「何?」
幸繁「治部様のあきらめがつく。」
    石田様を・・・お救いしたいのです。」
昌幸「・・・源次郎、・・・分かった。」

昌幸「ワシが徳川屋敷に行くぞ?」

●大谷屋敷
治部「・・・・」

大谷「泣いておるのか?」
三成「・・・」
大谷「勘違いするな?・・・内府から手紙が届いた。」

大谷「・・お主が間違っている。」

大谷「太平の世に・・・」

大谷「内府様(家康)が秀頼様をお守りする。」

三成「ここだけの話としてほしい。、・・・
大谷「年寄りの血迷いごとなど、信じるな?」
   「・・・治部に大名がついてくる・・・」
大谷「殺して何になるか?」
三成「既に徳川屋敷では兵で・・」

大谷「今なら間に合う。」
三成「手遅れじゃ。」
大谷「お主を咎める者がおれば、わしが食い止める。・・」
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●徳川屋敷
??「大谷殿が、お越しに・・・」


大谷「ひとんど見せるのじゃ。」
家康「刑部殿の・・・ご無沙汰しております。」」

大谷「・・・内府ためにきたのではない。・・
   秀頼様の家臣です。・・・誤解のないように・・・
   太平の世を乱すものを止めさせるために来たのだ。・・・」

正信「お言葉をお選びくださいませ。」
家康「・・・まあまあ。・・・」


??「真田様が、お越しに・・・」
昌幸「真田安房守でござる・・・・・身命をおとして。・・・
   
昌幸は大谷に挨拶した。
昌幸「安房守でござる。」

信幸「何故ここに?・・・」

昌幸「内府殿、軍議を開いてよろしいか?
家康「流石は安房守・・・」

昌幸「おのおの方、一度しか言わん?」

加藤「加藤である。・・20万石・・・お主のような
   小大名が何故しきる。  」
昌幸「・・ワシでよいかのう?」
大谷「・・・安房守殿は内府様をきりきりまいさせたお方。
    是非任せたい。」?4
伊達「意義なし。」?
細川「お願いする。」?

昌幸「いかがかな?」
加藤「承知した。」

昌幸「・・・石田治部は・・・大悪党、・・・
   返り討ちにする・・・」
伊達「・・・内府殿を襲撃したのは治部だという。」
★昌幸は出浦を差し向けたのにずうずうしい。

昌幸「正面が手薄になる。 
    ここには加藤殿・福島殿にお願いしたい。
伊達「ワシも守りたい。」
・・・・

忠勝「・・遅い。」


●伏見城治部郭
三成「出陣する。」

●島左近勝猛(清興)登場
「三成に 過ぎたるものが二つあり。島の左近と佐和山の城」
@島左近は石田三成軍を束ねる武将である。
A近江の佐和山城は天下に響いた名城である。
★ほんとにいい城だった。井伊直政シリーズで紹介予定



●上杉屋敷
上杉「儀のために・・・」
直江「ワシは・・」


●伏見城治部郭
三成「大谷刑部・真田安房守まで・・・」
   ・・・どうせ、死ぬなら撃ってでよう。・・・」

三成「左近・・まだ、手はあるはずじゃ。」

三成「宇喜多様はお引き上げいただきたい。」

幸繁「・・・石田様はまだまだ生きていただかねばなりません。
   欲で動く徳川内府には思い通りにはさせられません。・・
   」
三成「どけ。」
幸繁「私は石田様が太閤殿下にさえ・・忠告しているのを見てきて
   います。・・・死んではなりませぬ。」

景勝「その通りじゃ。」
幸繁「御館様・・・」
景勝「・・・今日は諦めよ。」
幸繁「御館様・・・
景勝「儀をなえがしろにする者を断じて許さん。」


直江「景勝様は本気になられた。

三成「・・・・・今、動かなければ、・・」
景勝「その時はかならずくる、・・・今は命を繋ぎ、時を待つのだ。
  治部のしょう・・・」

三成は景勝に抱きついた。そして、泣いた。


●伏見の徳川屋敷
正信「・・行く矢先で解いたそうです。」
家康「口ほどになかったのう。・・」
家康「わしは決めたぞ。治部のおかげじゃ。
   わしの一声でこれだけ豊臣恩顧の大名が集まった。
   ・・正信、お主のねらいはこれだったのか?
正信「・・・殿は腰の重いお方故・・・」

◆ナレーター
「・・・この日より、天下をねらう道に・・・」


●伏見の徳川屋敷
昌幸「これにて・・」
家康「・・・ご苦労でござった。」


【3】長岡京→勝龍寺城
★行ってない。行かなくちゃ
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 (★戦国の城:中:伊藤展安イラスト)




【4】史実&NHK大河ドラマ「江〜」

・慶長3年(1598) 8月豊臣秀吉が死去。
   五大老・五奉行は朝鮮からの撤退を決めた。
  ・結果的に徳川家康は兵力・財力などの温存に成功。
  ・徳川家康と石田三成の対立が表面化。
 

徳川家康は婚姻の斡旋や知行の授与を勝手にやり始めた。
豊臣家の中で勝手に婚姻行うことを禁止されていたが、
五奉行筆頭:石田三成は徳川家康に文句を言いに行った。
★ドラマでは、無理にそうさせ、石田三成を怒らせるようにした。
(★大河ドラマ「江〜」)
   
10月、井伊直政は徳川家康より、全権移譲され、諸大名との折衝
を始めた。

12月、井伊直政は黒田長政と起請文をかわした。
黒田長政・京極高次・藤堂高虎は徳川家康の代理として交渉した。
豊臣秀吉は特定の大名が大きくならないように、大名間の婚姻を
厳禁していた。


12月 小西行長、寺沢広高が帰国した。
  徳川家康の取次役を勤めていた。
文禄・慶長の役を通じて、小西行長、寺沢広高は加藤清正・
鍋島直茂と作戦や講和の方針をめぐって対立していた。


・慶長4年(1599)1月(石田三成39歳)
正月、豊臣秀吉の遺命に従い、豊臣秀頼(7歳)は大坂城に移った。
前田利家(63歳)が後見人として従った。
徳川家康は伏見城で大人衆(五大老)の筆頭として政務を司った。
徳川家康が事実上政権を担当するのはは、石田三成をはじめとする
奉行衆は苦々しく思っていた。
徳川家康を頼りとする福島正則、加藤清正ら武断派と、石田三成を
筆頭とする奉行衆の間に亀裂が広がった。
 

1月 徳川家康は豊臣秀吉の遺言(残した掟)に背いて
  伊達政宗、加藤清正、福島正則らと婚姻を結ぶ算段をした。
  徳川家康VS4大老&5奉行の軋轢・確執が深まっていった。

1月10日 徳川家康・前田利家は大坂城入りした。
 徳川家康以外の9人が全員で婚姻の件問責して縁組を止めさせた。
 両者が対立した。


1月12日、井伊直政は徳川家康の襲撃(★真田丸32話)
 を予想し、2000の兵で枚方に待機し徳川家康を伏見の
徳川屋敷に送り届けた。


1月20日 徳川家康の6男:松平忠輝&伊達政宗の長女:
五郎八姫の婚約・・・。

■五大老・・・有力な大名。
@徳川家康・・・関東を支配。五大老筆頭。
A前田利家・・・北陸地方を支配。豊臣秀吉の親友。
B毛利輝元・・・中国地方西部を支配。
C宇喜多秀家・・中国地方東部を支配。子供の頃から
        秀吉に寵愛。
    (小早川隆景→ 宇喜多秀家)
D上杉景勝・・・越後を支配→会津支配。
 
■五奉行・・・豊臣家の中で政務をしていた豊臣家幹部
@石田三成
A増田長盛
B浅野長政 
C前田玄以
D長束正家

・正月下旬
徳川家康が内々に伊達政宗や蜂須賀家政と婚姻の約束をしていた
ことが露見した。
太閤秀吉は、遺言として大名同士が婚姻を禁止する掟を決めていた。
石田三成ら奉行衆が徳川家康を糾弾した。

しかし、一触即発の緊迫した状況の中、加藤清正、福島正則、浅野
幸長、黒田長政らが手勢を率いて徳川家康の屋敷に集結した。
皆、豊臣恩顧の大名であったが、「反三成派」であった。

※家康襲撃未遂事件
豊臣秀吉の定めた禁を犯して勢力拡大を図っていく徳川家康に対して、
五大老の前田利家が反発した。

1)大坂の前田屋敷に集まった主な武将達
伏見の徳川屋敷を攻めるために大坂の前田屋敷に前田利家派が続々
集結した。
大人衆・・・bR毛利輝元、bS宇喜多秀家、bT上杉景勝、
奉行衆・・・@石田三成、A増田長盛 、B浅野幸長(長政子ども) 
      C前田玄以 、D長束正家
九州・・・・小西行長、立花宗茂、鍋島直茂、
四国・・・・長曾我部盛親、加藤嘉明
その他・・・細川忠興初めは?、佐竹義宣など


2)伏見徳川屋敷に集まった主な武将達
九州・・・・黒田官兵衛(孝・如水)、黒田長政、
中国・・・・加藤清正、福島正則、池田輝政、脇坂安治
近畿・・・・藤堂高虎、京極高次 、(細川忠興:真田丸では)
北陸・・・・大谷吉継
東海・・・・山内一豊
奥羽・・・・伊達政宗、最上義光など

武力衝突寸前までいった。
最終的には徳川家康と前田利家が和解して武力衝突は回避された。

※「真田丸」では、徳川家康襲撃の影の実行者を石田三成と見立てた
脚本になっている。
石田三成は前田利家派=反徳川家康派の筆頭であった。
石田三成が影の首謀者であったという説もある。
石田三成が表の首謀者であったという説もある。


・惣慶長4年(1599) 閏3月3日 前田利家が死亡。
 =仲裁役がいなくなった。
@豊臣家の内部分裂が激化。
  前田利家は、石田三成と武功派の加藤清正や福島正則らの仲介役
 でもあった。石田三成は、豊臣政権化において、武功派と仲が悪く、
 前田利家の死の夜、命を狙われた。
 武功派の七将は石田三成襲撃事件を起こした

A徳川家康と石田三成の対立が激化。 
 前田利家が歯止め役であった。
 徳川家康の天下に大きく近づくこととなっていった。


******************************
※関ヶ原での東軍と西軍が入れ替わっている武将がいる。
1)徳川家康派→石田三成派
  @大谷吉継は西軍の中心的人物であった。
大谷吉継は親友:身内である石田三成の懇願によって
   西軍に加担した。
2)前田利家派→(石田三成嫌い派?)→徳川家康派
  B浅野幸長、加藤清正、加藤嘉明、細川忠興など

※2年間で変化した理由
@前田利家の死によって徳川家康は天下一の人物となった。
 お家存続のために徳川派になった。

A石田三成が嫌いだった。
 石田三成は有能であったが、人望や人気はなかった。
 恨みや誤解を買うことの多い人物であった。
******************************
※石田三成は嫌われ者だった理由
1)★NHK大河ドラマ「江〜」の場合
@豊臣秀吉に出来事を報告する仕事、秀吉の命令を伝える役目を
持っていた。従って、失敗や罪状を秀吉に報告され、処罰を
   受けた人が多くいた。
A高級官僚で、石田三成が合戦に行くことがなかった。
   武断派からは特に嫌われた。
 朝鮮出兵の武断派に「茶でもどうですか?」と言ったことから
 武断派はかちんと来た。
  
豊臣家の内部対立が、「関ヶ原の戦い」 の主要原因となってくる。
武将達は「家康派」と「三成派」 に分かれていくことになった。
しかし、仲裁役として「前田利家」 がいたのだ。
前田利家は五大老 NO.2 で、武将や大名たちから慕われていた。
徳川家康の勝手な行動に反発しており、武断派の武将の怒りを抑える
役も果たしていた。

2)石田三成は何故、武断派に狙われていたのか?
石田三成と武功派は仲が悪かった。
石田三成は行政担当=政務や実務を主として行う「吏僚派」で
あった。吏僚派で佐和山城19万石を領していた。
武功派からは、「実際に命を削って戦場で戦っているのは我々だ!」
という反発心が生まれていた。
「江〜」でも、「真田丸」でも同じであった。
石田三成は太閤秀吉からもかわいがられていて、朝鮮出兵でも
「太閤様の命令」といって戦闘状況に文句をつけたり、戦闘状況が
かんばしくないのを報告され、領地を減らされたりしていた。
ますます気に入らない存在なのであった。
特に、加藤清正&福島正則・・・

朝鮮から撤退する際の問題の再燃。
 小西行長、寺沢広高 VS 加藤清正、鍋島直茂 
加藤清正らは、朝鮮出兵の時、石田三成が太閤秀吉に虚偽の報告をし
たので、正当な報酬をもらえなかったことに腹を立てていた。

石田三成が大人衆(五大老)bQ前田利家を後ろ盾にしていたため、
手を出せなかった。従って、前田利家が死亡した日の夜、武功派の
に「三成討つべし」の声が一気に沸騰した。

・閏3月3日武 断派七将の三成襲撃事件
 石田三成暗殺未遂事件が発生。
石田三成と対立していた武断派の武将7名が結託し、石田三成の
襲撃を計画したのだ。朝鮮での戦いの評価をめぐり、加藤清正ら
7将が石田三成の大坂屋敷を即座に襲撃したのであった。
メンバーは福島正則・加藤清正・黒田長政・藤堂高虎
 ・細川忠興・加藤嘉明・浅野幸長である。
 
情報を入手にした石田三成は事前に察知し、襲撃前に姿をくらま
した。
舞台は大坂→京都・伏見に移った。
石田三成は宇喜多秀家を頼った。

閏3月4日、石田三成は親交が深かった佐竹義宣の援助を受けて
伏見城に逃げ込んだ。
石田三成は伏見城治部少郭に立て籠もった。
7将は堀を挟んで対峙した。
膠着する。・・・・
というよりは、豊臣政権のおひざ元:大坂城下と伏見城下を騒がす
のは、得策ではないことを十分に心得ていたからである。

石田三成は事態打開のため、ある人物に調停役を頼むことにした。
その人物とは常に対立関係にあった徳川家康だった。
そして、とうとう政敵の徳川家康を頼ったのである。
@石田三成は徳川家康の屋敷に逃げ込んだともいわれている。
A徳川家康の次男:結城秀康に仲裁を頼んで自分の屋敷に
 逃げたとも言われている。
いずれにしても逃げ込んだ先・入り込んだ先は伏見の徳川家康
の屋敷であった。
 (★大河ドラマ「江〜」では)
??「殿、石田治部少輔殿が参られております。」
伏見の徳川屋敷にいた徳川家康のもとに、石田三成が突然やって
きた。
徳川家康は、眉をひそめる。
「治部が?いったい何用か?」
と聞くと、
?? 「子細は存じませぬが、『命を狙われているゆえ身を隠させて
ほしい。』と…。」
家康は「別室にお通ししろ。」と命じた。
徳川家康は「なぜ?」と不思議だった。
三成を保護するか、斬るか・・・
家康が選択を迫られた。
徳川家康は石田三成に対面した。
三成「こたびは、突然参上致し大変ご迷惑をおかけいたします。
   加藤殿、福島殿ら7人がそれがしを襲撃せんとしている
   との報を受けまして、恥ずかしながら逃げてまいりまし
   た。」
家康 「・・・治部殿がよもやこのワシのところに逃げてくると
   はの。」
徳川家康は石田三成を救うことにした。
家康 「治部殿、いまワシは政敵たる貴殿を討つこともできる。
   されど、懐の鳥は撃たぬものよ。こたびは加藤、福島ら
   はわしが説得し、貴殿を佐和山まで警護をつけて安全
   に送らせよう。それでよいな?」
三成「かたじけない。ご配慮、痛み入りまする。」

閏3月5日、伏見の徳川屋敷に浅野幸長がやってきた。
浅野「三成の身柄を引き渡していただきたい」
家康「三成は確かにワシのところにいる。何かあればこちらから
   伝える。」と三成を引渡さなかった。
徳川家康は7将を説得した。
家康は「今後も襲撃の可能性はあろう。貴殿がために言うが、
   職を辞し隠居されるがよろしかろう。」
石田三成は佐和山に送り届けられ、隠居した。
→徳川家康ライバル:石田三成と武断派を仲裁することにした。
石田三成は居城:佐和山城に蟄居させた。(結城秀康が見張り番)
 (★NHK大河ドラマ「江〜」)
閏3月10日 徳川家康の次男・結城秀康の警護のもと、
  石田三成は伏見を去って、佐和山城に蟄居した。

閏3月13日 徳川家康は伏見の向島の徳川屋敷から、伏見城内に
  移った。


閏3月19日 徳川家康ら大人衆(五大老)の評定
石田三成が失脚により、発言力を高めた徳川家康は五大老会議
を招集した。
「蔚山(ウルサン)倭城の戦い」
軍目付の福原長堯・熊谷直盛・垣見一直は、蔚山救援軍の陣所に
明軍部隊が攻撃を仕掛けたとき、先鋒の蜂須賀家政・黒田長政が
「合戦をしなかった」と豊臣秀吉に報告した。
太閤秀吉の不興を蒙り、蜂須賀家政は三城放棄案の件と併せて
領国への逼塞が命じられた。目付の早川長政・竹中隆重・毛利高政
も秀吉の不興を蒙り領国への逼塞が命じられた。
一方、福原長堯・熊谷直盛・垣見一直には報告の褒美として豊後国内
に新地が与えられていた。
「蔚山(ウルサン)倭城の戦い」の責任を取たされた黒田長政と
蜂須賀家政、蔚山城救援諸将に「落ち度がなかったことは歴然と
している」との裁定を下し、処分の撤回と名誉回復の処置がとられ
た。所領を没収された早川長政には豊後府内城とその領地を返還す
る、という決定を下した
朝鮮遠征の際に生じた亀裂が深いものであった。
    
徳川家康は、石田三成を助けて豊臣政権の内部分裂を狙っていた
のかもしれない。
結果・・・豊臣政権に対して有利な状況を作り出した。

ほかの五大老・毛利・宇喜多・上杉達も領地に帰った。
政務の中心は徳川家康になった。

「上杉景勝が無断で軍備の増強を進め、城の防備も固めており、
  合戦の準備をしている。」という噂話は流れていた。

@徳川家康の6男:松平忠輝&伊達政宗の長女:五郎八姫
・慶長4年(1599)1月20日婚約。慶長11年(1606)結婚。
A徳川家康の甥:松平康元の娘:満天姫&福島正則の養子:福島正之
・慶長4年(1599) 満天姫と福島正之が結婚
B徳川家康の叔父:水野忠重の娘:かな姫&加藤清正。
 ・慶長4年(1599) 加藤清正と結婚。正室。
C徳川家康の姪で養女:保科正直の娘:栄姫&黒田長政。
・ 慶長5年(1600) 先妻:糸姫と離縁した黒田長政に嫁いだ。
E重臣:井伊直政次男:井伊直孝&蜂須賀家政の娘阿喜姫
・文禄元年(1592) 武蔵国忍城10万石。元服して徳川忠吉と改めた。
井伊直政の娘:政子と徳川忠吉が結婚。
 ・慶長6年(1601)? 井伊直孝&蜂須賀家政の娘:阿喜姫
F・・・その他、たくさん。


徳川家康は上杉景勝・直江兼続の動きも気になっている。
大人衆(五大老)&五奉行の中で、関ヶ原の戦いになる過程での
主要な人物が徳川家康 と 石田三成である。

●▲■【26話】天正19年(1591)8月〜文禄元年(1592)4月
箕輪初心:生方▲真田丸100【26話「仮装大会:瓜売」】&名護屋城
http://53922401.at.webry.info/201607/article_3.html

箕輪初心●佐賀【名護屋城】=豊臣秀吉朝鮮出兵の城
http://53922401.at.webry.info/201112/article_15.html




●▲■【27話】文禄元年(1592)4月〜文禄3年(1594)7月
箕輪初心:生方▲真田丸101▲【27話「不信」】秀吉と秀次の不仲
http://53922401.at.webry.info/201607/article_6.html




●▲■【28話】文禄3年(1594)7月〜文禄4年(1590)7月
箕輪初心:生方真田丸102【28話「「受難」のあらすじ】&
▲『亀田城&真田幸繁5女:お田の方』
http://53922401.at.webry.info/201607/article_15.html

箕輪初心●秋田由利本荘【高城&亀田城&天鷺村】亀田2万石
http://53922401.at.webry.info/201205/article_6.html
★真田幸村の5女:なほ:御田姫が岩城宣隆室:亀田城(秋田県)

箕輪初心●秋田【久保田城】=土造りの100名城
http://53922401.at.webry.info/201205/article_7.html
 ★兄:佐竹氏の城

箕輪初心▲埼玉騎西【多賀谷氏館】&多賀谷一族の歴史
http://53922401.at.webry.info/201408/article_23.html




●▲■【29話】文禄4年(1590)7月〜文禄5年(1591)7月
箕輪初心:生方▲真田丸103【第29回「異変」】&大谷吉継の敦賀
http://53922401.at.webry.info/201607/article_23.html
●▲■【30話】文禄5年(1591)7月〜慶長元年(1591)12月
箕輪初心:生方【第30回「黄昏」】秀吉のボケ老人&韓国ドラマ「火の女神ジョンイ」
http://53922401.at.webry.info/201608/article_5.html

箕輪初心:生方▲真田丸105【2016年8月3日「沼田まつり」前編】
稲役:吉田羊登場
http://53922401.at.webry.info/201608/article_7.html

箕輪初心:生方▲真田丸106【2016年8月3日「沼田まつり」後編】
http://53922401.at.webry.info/201608/article_8.html

●▲■【31話】慶長元年(1591)12月〜慶長3年(1593)8月18日
箕輪初心:生方▲真田丸107第31回「終焉=豊臣秀吉の死」史実編&真田丸
http://53922401.at.webry.info/201608/article_12.html

箕輪初心◆豊臣秀吉の死〜徳川家康の小山評定〜関ヶ原の戦いへ
http://53922401.at.webry.info/201312/article_14.html



●▲■【32話】慶長3年(1591)8月〜慶長4年(1592)1月
箕輪初心:生方▲真田丸108【第32話「応酬」】&史実
http://53922401.at.webry.info/201608/article_24.html

箕輪初心:生方▲箕輪城202【真田丸に登場しない井伊直政」
&郭馬出出撃門
http://53922401.at.webry.info/201608/article_25.html




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