城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行

アクセスカウンタ

zoom RSS 箕輪初心:生方▲群馬【大胡城3回目】&大胡城の歴史

<<   作成日時 : 2016/08/10 11:42   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

大胡城は当時は本丸、二の曲輪、近戸曲輪、三の曲輪、
四の曲輪、西曲輪等あったが、今は土塁、石垣が残るの
みである。でも、迫力のある大きな城には間違いない。
★山崎一氏の調べでは、旧大胡町の城は6城らしいが、
戦国時代の大胡城の支城には、旧前橋市の中に上泉
城・荻窪城・西荻窪城・元屋敷・亀里城などがあるようだ。 
画像



箕輪初心●群馬【大胡城】&旧大胡町の城6城一覧
http://53922401.at.webry.info/201301/article_10.html



【0】大胡で昼食「パスタリア」イタリアン
まずは、昼飯食って、・・・・・・
ランチメニュー(サラダ・スープ・キャラメルプリン・ドリンク付)
 パスタセットA(トマトソースベース)・・・1000円
 パスタセットB(クリームソースベース)・・1000円
 パスタセットC(塩ベース)・・・・・・・・1000円
 限定10食おまかせランチ・・・・・・・・・1000円
 ケーキセットは+180円
画像







【1】大胡城・・・大胡町河原浜根小屋
画像

 (★山崎一氏の縄張り図)

@大手口
画像


Aトンネル
画像


A二の丸駐車場
●案内板
画像

画像



●本丸&二の丸の間の堀
画像



●二の丸水の手門
画像

●二の丸楼台
画像

画像

画像

画像


C本丸
画像

画像

画像

画像

画像

画像

本丸北西部
画像

本丸北部
画像

本丸西虎口
画像


D本丸&西郭の間の堀
画像


E西曲輪
画像


F近戸曲輪

G三の丸

H四の郭

●石碑
画像




◆◆ 大胡城の歴史 ◆◆
・平安時代
 大胡氏は藤原秀郷流足利氏系大胡氏である。
  大胡初代は足利成行の庶子:重俊の子:足利成家が祖
  とされる。
  (★「尊卑分脈」)
上野国大胡氏館(養林寺:推定)を拠点として、大胡郷(現前橋
  市大胡地域、及び利根川支流の広瀬川・桃木川以東の前橋市部)
  を治めていた
 ※養林寺:堀越町1259
  大胡氏居館跡に後に牧野氏が養林寺を建立。
  本堂裏に堀と土塁現存。

・平治元年(1160) 平治の乱
大胡氏が参戦した。
  ★文献上に大胡氏が初出
  (★『平治物語』)

・治承4年(1180) 8月17日 源頼朝の挙兵
  足利重俊の没落・・
・治承4年(1180)〜治承・寿永の乱
  源頼朝軍の中に大胡太郎があり、大胡氏が参戦した。
  (★『平家物語』)
・文治元年(1185) 源範頼の九州侵攻
 大胡三郎実秀が従軍した。
  鎌倉幕府のもとでは御家人として活動した。
  
・建久元年(1190) 11月7日条
大胡太郎が将軍随兵として随行した。
  (★『吾妻鏡』

・建久4年(1193)5月 源頼朝の巻き狩り
  三原(上信国境:三原借猪)→赤城の巻き狩り→那須野
  (下野国)→富士野(駿河国)の各地で大規模な狩りを
  おこなった。
 ★源頼朝は上野国で新田義重のいる寺尾(高崎)に寄った。
山名宿(高崎)→寺尾→榛名→倉渕→三原の借猪で巻き狩り・・・・
 または、山名宿→碓氷→三原(北軽井沢)コースかもしれない。
 滋野一族の望月・海野・禰津(平安時代の鷹匠bP)
 も参加した。
 
 赤城(上野国)の巻き狩り?笠懸野巻き狩り?
 「大胡(秀郷流)・大室(秀郷流)・深栖・山上(秀郷流)
 ・寺尾(新田系)・長野(石上系?)・那波(大江系)
 ・大類(秩父有道系)・新田(新田系)・鳥山(新田系)
 ・佐野(秀郷流)・佐貫(秀郷流)・佐井(秀郷流)・園田(秀郷流)
 ・・・」が、夜も昼も警護に当たったという。
(★『曾我物語』巻第5)
(★岩宿歴史博物館資料)

★初めて、長野氏が登場する。


・暦仁元年(1238)
   大胡左衛門次郎・大胡弥四郎が将軍随兵として随行した。

・寛元4年(1246)
大胡五郎光秀が将軍随兵として随行した。

・正嘉2年(1258)
大胡太郎跡・大胡掃部助太郎が将軍随兵として随行した。
『吾妻鏡』『義経記』等で将軍随兵などとして登場している。

・元弘元年(1331) 元弘の乱
   後醍醐天皇を中心に鎌倉幕府討幕運動が始まった。

・元弘3年/正慶2年(1333) 鎌倉幕府が滅亡。
  鎌倉幕府方についた大胡氏は所領を没収され没落した。

●南北朝時代
・観応元年(1350) 観応の擾乱 (足利尊氏 VS 足利直義)
笠懸野の戦い
 藤原秀郷流の大胡氏は山上氏は足利尊氏方の新田氏系大嶋義政
  の下で足利直義側の桃井直常ら戦って敗れた

・貞治4年(1365) 大胡掃部助秀能が大胡上総入道跡が領した
常陸国の土地を鹿島神宮へ寄進した記録が残る。
(★『鹿島文書』)
惣領・大胡上総入道跡が南北朝期に滅亡し大胡氏が一族が跡を
  継いだ。
(★『群馬県新百科事典』)
・文中2年 応安6年(1373) 大胡秀重が長楽寺へ田畑を寄進した。

●享徳2年(1453) 一色源五郎義秀が藤太秀郷流大胡家再興。
      (一色義直→左京太夫義春→一色源五郎義秀)
         

●康正元年(1455)一色源五郎義秀により築城?。(伝)
     (上泉義秀:上泉信綱の曽祖父)
      大胡義秀は大胡彦太郎重高?に大胡城を譲渡。



・文明元年(1469) 川越城の連歌回 (河越千句)
  太田資清が宗祇・心敬などを招き主催した連歌会には、大胡氏
  という伝わる「修茂」が出席している。

●戦国時代  
・文明元年(1469) 岩松家純が新田荘に金山城を築城した。
  横瀬国繁は儀式指南役を務めた。
  大胡城は横瀬国繁によって攻略された(伝)

  
1)大胡氏築城説

2)横瀬氏築城説

3)益田氏築城説
  藤原秀郷9代孫の益田氏始祖:増田政義・・・・
  6代目:増田行綱が大胡城を築城した。
  嘉吉元年(1441) 7代目:増田行茂は討死。
  享徳年間・・・10代目(大胡城3代目)増田(大胡)修茂
   が那波氏の攻撃を防いだ。
   11代:増田茂政は那波氏の攻勢に負け新田へ逃れた(伝)
  (★「藤原姓益田氏系図略記」:太田市の増田氏個人所蔵)

・????年 大胡助五郎重行は、扇谷上杉朝興に仕えていた。
       武蔵:牛込に居留していた。

・大永4年(1524) 1月、太田資高が北条氏綱に内応した。
 北条軍が江戸城を攻撃した。
 扇谷上杉朝興は高輪原(現東京都港区高輪)で迎撃するが、敗退し
 江戸城を奪われて河越城に逃亡した。
 大胡氏は後北条氏に従った。日比谷と牛込に所領を持った。

 説@・・大胡氏本拠地の大胡郷は厩橋長野氏の勢力下に入った。
   大胡氏は大胡郷を追われた説。
 
説A・・・長野氏一族が大胡氏を継承した説。
  (★高崎市史)

・天文21年(1552) 北条氏康の平井城攻撃
    →上杉憲実は逃亡。
    北条氏に大胡城を開城→大胡城は北条の城。
    北条氏の家臣として大胡一族の大胡重行が江戸牛込に移住。
    江戸の牛込城を築城。
    
    
・????年
謎@・・・剣聖上泉伊勢守信綱が大胡城の城主であった説
     話があるが、実際は大胡城の支城の上泉城主であっ
     て、大胡城の城主ではないかもしれないし、
     兼任城主かもしれない。

謎A・・・大胡右馬介は長野業政の一族?
      (★高崎市史の通史・・・有力説)        

・天文24年 (1555) 北条氏康の大胡城攻撃
上泉信綱は 開城した。後北条氏の攻勢で大胡城を失った。

  上泉信綱はその後、長野業正とその子長野業盛に仕え、武田
  信玄・北条氏康の大軍を相手に奮戦し、長野の16人の槍と
  称えられた。
  上野国一本槍の感謝状を長野業盛からもらったという。


・永禄2年(1559) 大胡民部が江戸牛込・比々谷本郷などを所領と
するため、既に牛込にいたとされる。
(★「小田原衆所領役帳」)
  大胡民部が牛込に赤城神社を創建した(伝)
  牛込に移った大胡一族は大胡重行の子の勝行は「牛込」
  と改姓した。
 赤坂、桜田、日比谷付近を領有した。

・永禄3年(1560) 長尾景虎の第1次関東出兵
(越後も関東だけど)

・永禄4年(1561) 「関東幕注文」
上杉輝虎(謙信)に従う上州の諸将の中に大胡氏がみえる。
藤原流大胡氏一族は残っていたらしく記載されている。

大胡一族の上泉秀綱は、大胡城支城の上泉城を支配して大胡城を
  保持し続けた。

・天正6年(1578) 上杉謙信が急死。
御館の乱・・・跡目を争った。
  長尾氏系の景勝 VS 北条氏政の実子で謙信の養子:景虎

  後北条氏と親しい厩橋城主:北条高広は、上杉景虎を支援した。
  結果・・・上杉景虎の敗北。
  厩橋城主の北条高広の嫡男景広は越後で戦死した。

・天正7年(1579)2月
  北条高広は内藤昌月らを通して武田勝頼に従属した。
  厩橋城には北条高広、大胡城には大胡高繁が入った。
  ※大胡高繁は北条高広の親族と思われる。
大胡常陸介高繁は毛利姓であるなどの理由から、大胡重俊の家系
  とは異なり厩橋城主・[北条高広]の一族と考えられている。
★大江広元→毛利氏・・南条毛利氏→・・・・毛利元就・輝元
北条毛利氏・・・・・北条高広
 ・安田氏
那波氏

・天正8年(1580) 武田勝頼は前橋城・上泉城・大胡城
    ・伊勢崎城・女ヶ渕城・膳城・山上城の各城を攻略した

・天正10年(1582)
3月11日 武田氏も織田信長に攻められて滅亡。
3月24日 織田信長の家臣:滝川一益が上野一国を与えられた。
  厩橋城(前橋城)に入った。

北条高広は片貝城に移った。

 6月2日 本能寺の変  織田信長が殺害された。
 
 6月19日・20日 神流川の戦い
  滝川一益が北条氏直に敗れ上野を去った。
北条高広は沼田城の真田昌幸と連携し独立を保っていた。

・天正11年(1583) 9月、北条高広の厩橋城が北条氏邦に落とされた。
  大胡郷は厩橋城に入った北条氏邦の支配下に置かれることとなった。

・天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻め
   →徳川家康の関東支配。
     大胡氏は徳川家康の傘下
   →牧野康成が入城。

・元和2年(1616) 牧野忠成越後長峰城に移封。
前橋藩領
・寛延2年(1749)大胡城が完全に廃城。




【2】河原浜の砦・・・旧大胡町河原浜弥真上道上


【3】稲垣屋敷(=樋越屋敷)・・旧大胡町樋越六反畑 


【4】今城・・・・旧大胡町堀越西今城


【5】大胡氏館・・旧大胡町堀越の養林寺 


【6】勝山遠堀・・旧大胡町堀越&前橋市荻窪町境 


【7】横沢城・・・旧大胡町横沢内出



★明日は大胡城の支城かな?

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
箕輪初心:生方▲群馬【大胡城3回目】&大胡城の歴史  城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる