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zoom RSS 箕輪初心:生方▲真田丸101▲【27話「不信」】秀吉と秀次の不仲

<<   作成日時 : 2016/07/11 18:34   >>

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天正19年(1591)2月11日、豊臣秀次が正二位。7月22日 大政所が死んだ。
8月の大政所「仲」の葬儀は喪主は豊臣秀吉であったが、葬儀を取り仕切っ
たのは豊臣秀次であった。11月28日、権大納言。12月4日、内大臣。12月
28日、関白宣下。内覧宣下。★太閤秀吉と関白秀次の二元政治が行われ
ていた。
文禄元年(1592)1月29日、左大臣。関白・内覧・豊臣氏長者如元。
5月17日、従一位。8月3日、大坂城二の丸で淀殿が拾(ひろい:秀頼を産ん
だ。8月15日には名護屋城を発ち、25日に大坂城に来て「拾」を抱いた。
8月に豊臣秀吉が隠居所:伏見指月城の築城作業は秀次の管理下で行わ
れた。※真田丸では真田昌幸→幸繁となった。豊臣秀次は、新城:伏見城
は「拾」の城として秀吉が後見人になるだろうと不安を募らせた。・・・・・・・
文禄4年(1595)7月15日豊臣秀次は側室30人も道づれに没した。後、真田
信繁は大谷吉継の娘?妹:(真田丸:お春)を正妻、秀次の小督局の遺児
:お菊を側室とした。

画像



◆ナレーター
再び子供が生まれた秀吉は喜ぶが、関白の秀次は
次第に孤立していった。

●名護屋城
そんな秀次を秀吉は心遣い、信繁を秀次に仕えさせた。
秀吉「源次郎、お主明日から、関白付けとなれ。」

◆ナレーター
「秀吉と茶々との間に生まれた子は、鶴松の「捨(すて)」を逆、「拾(ひろ
い)」と名付けられた。

ある日、
茶々とお寧が「拾」をあやしていた。
秀吉はご機嫌伺いにきた秀次を廊下に呼んだ。
秀吉「年が明けたら、わしは日本を5つに分けようと思う。
   そのうち4つをお前にやるから、1つだけ、拾にやって
   くれんか? 九州でいい。」
と頼んだ。
秀次「関白になれば、1つとと言わず、全てお拾様のものでございます。」
秀吉「そんな先の話ではなく、捨がわしの言葉を分かるようになったら、
  『ここはお前の国だ。』と言ってやりたいのだわ。」
と九州をを指した。

秀次は自分が秀吉に信用されていないのではないかと疑心暗鬼になっ
てしまった。

●真田屋敷
きりは、信繁に秀次の側室の話を相談した。
きり「殿下から、側室にならないかと言われて・・・」
・・・
信繁「それはめでたい。」
でも、信繁の態度はつれなく、傷つき、走り去った。


◆ナレーター
秀吉と秀次の不仲が噂されるようになり、秀吉もそのことを気にしていた。

秀吉「孫次郎に1歳になる娘がいたろう。それに拾に嫁がせよう。」
と秀次の娘を拾に嫁がせることを決めた。

片桐に書状を書かせた。

しかし、秀次は大事なことを勝手に決める秀吉に不信感を持ち始めた。
そこで、秀次の弟:秀保が一計を案じた。
「太閤殿下は能がお好きでございます。」

宇喜多秀家に教えて貰い、・・・喜んで貰えると思って・・


●吉野の屋敷
桜が咲いた。
お寧・茶々などを迎えた。
やがて、夜になり、・・・
夜桜を見ながらの宴が始まった。

秀次・秀俊・秀保・・・
どころが、秀保は発熱した。源次郎は代役になった。
秀吉の前で能「源氏供養」を披露することにした。

しかし、
秀吉「孫次郎、お前は何をやっているのだ。関白はもっとほか
   にやることがあるだろう」
と激怒した。

お寧は追い込んでいる秀次に
「・・・ありのままの自分をみせれば、いいの。」

宴が始まった。
三成もきた。
三成「朝鮮からの兵の引き上げ、めどがたちました。」
秀吉「ご苦労であった。」

この場で、秀吉は、「お前もここにきてだいぶたつ。そろそろ
   官位を授けてやろうとおもっているのだが、
信繁はためらった。・・・
お寧・茶々・片桐らが・・・勧める。

信繁「兄を差し置いて官位を受けることは出来ません。
と丁重に辞退した。

それを聞き、秀吉が怒り始める・・・
「お前は自分が位をもらうのでは足らず、兄まで位を与えよと
 いうのか?・・・」
信繁「そうではありません。」
秀吉は昌幸に似て策士・・・・
と怒りが高まった。
「金輪際、官位などやるものか?」
空気はよどみ始めた。
・・・と、秀次が「お待ちください。」
と割って入った。
秀次「官位を授けるのは関白の務め。源次郎に官位を与えるかどうかは
   私が決めることです。」
と主張した。


秀次はびびりながらも
「よく調べて、相応と判断したら、従5位下を授けます。」
「よくぞ、申した。お主の言うとおり、これは関白の仕事であった。
 この件、其方に預ける。」
秀吉が秀次のたくましさを感じ、喜んだ。
秀次は帝に上奏した。



◆ナレーター
「文禄3年(1594)11月2日、京の聚楽第において」

●聚楽第
秀次の決定により、信幸と信繁に官位が授けられた。
真田信幸・・・従五位下伊豆守
真田幸繁・・・従五位下左衛門佐


●大坂城
翌日、昌幸・信幸・幸繁が秀吉に挨拶に行った。
秀吉「いあやあ、めでたい。」
   信繁の口添えがなければ信幸の官位はなかった。」
と口を滑らせてしまい、信幸のプライドは大きく傷ついた。
秀吉「・・・「守」は源次郎に与えられなかった。
昌幸「わかっておりました。・・・」
秀吉「伊豆守は弟に頭が上がらないな、あっはっは・・」
秀吉は幸繁との約束を忘れていたのだ。
信幸は疎外感にさいなまされた。・・メンツ丸つぶれとなった。


この後、昌幸は三成に引き留められた。
三成「伏見城の伏見城の普請に加わってほしい。」
大谷は図面を広げた。
秀吉「本来は関白の仕事であるが、あれも忙しい。・・・」
「安房守、そなたの力で・・・難攻不落の城にして
  くれまいか?」
と命じられた。
朝鮮の来襲も考慮していた。

信幸は別室で信繁の怒りをぶつけていた。
そして部屋を出て行った・
昌幸は信幸の機嫌取りも兼ねて、この役目を信繁に押し付けた。


秀次がふいっと部屋にはいってきて、地図を眺めた。
信繁を訪れて伏見城の図面を見た秀次は
「謁見の間」
「評定の間」」
「秀吉が伏見城で政務をするのか?」
と勘違いした。・・・
「私はもう不要なのか。」
と落ち込んでしまった。
秀次は涙を流した。

◆ナレーター
「長らく病床にあった秀次の弟・秀保が17歳の若さで他界した。」

秀吉「葬儀を隠密にするように・・・」

秀吉は、鶴松を3歳で亡くした。拾が3歳となったこの年を不吉な年だと
感じていた。そんな年に亡くなった秀保を許さず、秀保の葬儀に豊臣の
者の参列を認めなかった。

秀次は冷たい仕打ちに対して、ますます不安を膨らませた。
秀次は恐ろしくなって、聚楽第から逃げ去った。

そして、関白の仕事も放棄した。
信繁たちが必死で探した。



★明日は、信濃・沖縄シリーズか?

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