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zoom RSS 箕輪初心:生方▲梁瀬大輔「真田丸時代の高崎」&『箕輪城・和田城の加筆』

<<   作成日時 : 2016/06/04 14:35   >>

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簗瀬大輔先生の著書『上野の戦国地侍』『戦国史 上州の150年戦争』
や伊勢崎市史・玉村町史中世編などで、たくさんお世話になっている。
ブログの出典に、梁瀬先生の名前を記載したことはないが、那波一族
・宇津木一族・伊勢崎・玉村の城等では、活用させていただいた。
今回の講演会は高崎学検定講座の一環であった。個人的には、真田が
高崎にどう関わったかという内容だろうと思ったが、違っていた。
でも、難しいことを分かりやすく説明できる凄い先生であった。
箕輪城について、加筆してみた。
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『上野の戦国地侍』簗瀬大輔著 2013年
『関東平野の中世ー政治と環境ー』簗瀬大輔著 2015年
『戦国史 上州の150年戦争』共著 久保田順一先生・飯森先生
画像



【●】講演会「真田丸時代の高崎」の内容予想
1)真田昌幸と高崎地区関係について話すのでは?
@天正8年〜10年?真田昌幸が榛名神社に制札を出した
A天正10年(1582) 6月20日?真田昌幸・和田信業・
 倉賀野秀景・木部高成は箕輪城から小諸城に送って行っ
 た。(唐沢定市先生説・柴辻俊六説)
平山優説・丸島和洋説・黒田基樹説は違う。
 ・・・など 
B天正18年(1590) 真田昌幸・真田信幸・真田幸繁
が北国勢として、松井田城攻撃(真田幸繁初陣説)
→箕輪城受け取り。戦後処理・・・・

2)真田昌幸・保科正直・内藤昌月・和田信業・倉賀野秀景
  ・木部高成などとの関係について話すのでは?
★武田信玄&武田勝頼の家臣→後北条家家臣→井伊直政
 家臣・・・内藤昌月の子・和田信業の子は井伊直政の
 家老となった。

3)天正10年(1582)〜慶長20年(1615)の高崎について
   話すのでは?

4)真田昌幸と北条家臣団との関わりを話すのでは?
@垪和伯耆守康忠
  (興国寺城→八王子城代
   大久保長安を受け入れた。
  真田昌幸が娘の帯解きの儀式を頼んだ。
(★石原家文書・・・三枝家への養子・石原主膳:井伊直政家老)
   →倉賀野城・・箕輪城代  多米信濃守は倉賀野城厩橋城・
 A多目権兵衛:多米周防守元忠→多米出羽守平長定
 (鶴見青木城→箕輪城代→(父は上野西牧城)」
 B大導寺政繁(川越城→(一時小諸城代)→松井田城主
 ★梁瀬先生の話はこの辺かな?違ったあ。

5)高崎
 ★保渡田城&箕輪城:内藤昌月
 ★和田城:和田信業
 ★木部城:木部高成
 ★倉賀野城:倉賀野秀景



【0】はじめに
1)『ステキな金縛り』と『清洲会議』&「更級六兵衛・
 梁瀬「私は西田敏行が大好きです。特に『ステキな金縛り』と『清洲
   会議』がすきです。監督は三谷幸喜でした。・・・
   簡単なあらすじの紹介・・・・
   落武者の幽霊:更級六兵衛が西田敏行でした。』 

 平成23年(2011) 全国公開。
 キャッチコピーは「証人はただ一人、落ち武者の幽霊。」
 ★私も映画を映画館・飛行機の中で見たけど、面白かった。
○『更科六兵衛のモデルは笠原政晴(政尭)という後北条氏の
 家臣だと言われているそうです。
この辺りの時代です。

)『真田丸』と「国衆」
『真田丸』はコントですね。大名に対する言葉は
何でしょうか?・・・「国衆」です。
 今までは「土豪衆」・「国人衆」という言葉が
 使われていた。
 大名⇔国衆
@大名・・・国レベル
A国衆・・・郡レベル:黒田基樹氏の20年ほど前の言葉。
今回の「真田丸」で初めて使用した言葉である。
流石、時代考証の黒田基樹氏・・・
  ★面白い。


2)黒田説の「国衆」の特徴5
@一郡
A自立
B起請文
C証人(人質)
D取次
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○『全国国衆ガイド』:黒田基樹・梁瀬大輔など共著
上野国には13の国衆がいた。
梁瀬先生が執筆している。


 ★梁瀬大輔氏&黒田基樹氏の関わりは面白かった。
 2人とも群馬県立博物館の学芸員であった。
 と閃いた。

例、真田昌幸
武田家家臣・・・本社の社員  
   ↓
   国衆・・・・・・地方の子会社の社長
 

   戦国大名・・・・ 
(★平山優説では、豊臣秀吉が認めた。)



【1】「真田丸の時代」=戦国時代の最終段階
箕輪初心修正編
1)箕輪城(★箕輪初心:生方加筆)
★永禄10年(1567)3月8日から10月まで、武田信玄に命じられ
  て、真田昌幸は箕輪城代を務めた。ことは触れていなかった。
・永禄12年(1569)10月 三増峠の戦い
  浅利信種が討ち死に
   →内藤(工藤)昌豊(昌秀)が箕輪城代 。
   上野国取次役・・・
・天正3年(1575)5月21日 長篠の戦い
 織田信長徳川家康連合軍3万8000 VS 武田勝頼軍1万5000
 ・戦況不利を悟って、武田勝頼に撤退を進言。
  受け入れられず出撃した。
 ●内藤昌豊が戦死。壮烈な戦死。享年54歳。
・箕輪城代:不在時代〜〜〜〜〜〜
 
 保科千次郎(昌月)が内藤昌秀の養子として、内藤家の家督を
 継承した。
・天正10年(1582)
3月11日 武田氏滅亡・・・織田信長に臣従。
6月2日  織田信長死亡。・・北条氏政に臣従。
・天正16年(1588) 内藤昌明が死去。
  墓は善龍寺(高崎市箕郷町)
  ※内藤昌明の跡を内藤直矩が継いだ。
・天正18年(1590) 7月5日 北条氏滅亡。
内藤直矩は井伊直政家臣になったが、隠居して現八千穂村に
 住んだ。
・・・子孫の方が毎年、善龍寺に墓参りをしているという。
内藤昌明長男:内藤直矩→長男:内藤直卓は会津藩保科家家老
  内藤昌明次男:内藤信矩は箕輪城井伊家家老
        →内藤信矩の長男:内藤茂登は彦根藩井伊家家老
(★慶長7年頃の彦根城&家臣の住宅図:彦根城博物館史料等
   箕輪初心:生方調べ)
保科正俊→保科正直→保科正光(妻は真田昌幸の娘)→
  徳川家忠からの養子:保科正之 
※内藤昌明の兄は保科正直

2)和田城(★箕輪初心:加筆)
・永禄3年(1560) 和田信業が生まれた。
・永禄3年(1560)〜永禄5年(1562) 和田業繁は箕輪城主:長野
業正の同心として長尾景虎(上杉政虎)に臣従した。
・永禄5年(1567) 和田業繁は武田信玄に臣従した。
  和田信業7歳(跡部勝資の子)は和田業繁の婿養子となった。
・天正5年(1575)5月 長篠の戦い
和田業繁が討ち死にした。
  弟:和田昌繁が家督を継いで当主となった。
  その後、すぐに和田信業が家督を継いだ。
  和田業繁の娘が正妻となった。
・天正10年(1582年)
  3月初旬 北条氏直に臣従した。
 3月11日 武田氏滅亡。
   織田信長の家臣:滝川一益が領有したため、織田氏の家臣と
  なった。
 6月2日  本能寺の変
   織田信長が死去。
 6月19日〜20日神流川の戦い
    滝川一益も敗走。 
★唐沢・柴辻説では小諸まで送って行った。
   再び北条氏直に臣従した。上野国の後北条氏家臣では
   和田信業&由良国繁が朱印の使用が許されていた。

・天正18年(1590) 豊臣秀吉の小田原攻撃。
   小田原城に籠城した。
   北条氏直について高野山に行った。
   北条氏直死以後、各地を放浪した。
※小笠原忠政に仕えたとする説もある
・元和3年(1617)9月29日和田信業は近江武佐で死去。享年68。
●和田信業の子ども
長男:和田信業の嫡男:和田業勝が跡を継いだ。
    子孫は会津若松藩主:保科氏の家臣として仕えた。
 次男:和田信吉→?和田主殿は彦根藩井伊家家老
(★慶長7年頃の彦根城&家臣の住宅図:彦根城博物館史料等
   箕輪初心:生方調べ)
 3男:跡部家養子:跡部業保
   →子跡部良隆の妻は柳生十兵衛宗厳の娘(孫娘?)である。
 娘(和田正直室)
 娘(跡部良保室)・・・跡部家本家養子:跡部業保・・武田耕雲斎
 娘(春日助右衛門室)
 養子:和田満業
●娘(玉村の早川与六の妻説あり・・・早川弥惣右衛門の身内)

箕輪初心●箕輪城シリーズ58「和田城:和田業繁」
http://53922401.at.webry.info/201012/article_17.html

箕輪初心●群馬の城:「和田城5代:和田信業」
http://53922401.at.webry.info/201012/article_18.html

箕輪初心●群馬の城「和田城→高崎城」
http://53922401.at.webry.info/201012/article_16.html
*****井伊直政シリーズ*******************************
◆◆ 箕輪初心●箕輪城「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201010/article_40.html

http://53922401.at.webry.info/201011/article_25.html

◆◆ 箕輪初心●井の国千年物語前編 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_3.html

◆◆ 箕輪初心●井の国後編:「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_4.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の箕輪城時代の家臣団 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_15.html

◆◆ 箕輪初心●静岡:井伊直政の井伊谷城 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_5.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の造った町:高崎&彦根 ◆◆
高崎高校 VS 近江高校
http://53922401.at.webry.info/201203/article_28.html

◆◆ 箕輪初心●中村達夫氏の「井伊軍志」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_14.html

◆◆ 箕輪初心●小和田哲夫氏の「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_13.html


箕輪初心●群馬の城「和田城→高崎城」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201012/article_16.html
  (★高崎城の畝堀:発掘調査)

箕輪初心★箕輪城140【秋本太郎先生の箕輪城→高崎城+城下町】
http://53922401.at.webry.info/201410/article_9.html

箕輪初心▲箕輪城153【長野氏の箕輪の寺社→井伊直政の
高崎移転の寺社】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_15.html

箕輪初心★箕輪城103川野辺寛「高崎誌」&井伊直政
http://53922401.at.webry.info/201310/article_8.html

箕輪初心★西田美英【高崎素奈子】&川野辺寛【高崎志】
http://53922401.at.webry.info/201410/article_14.html

箕輪初心:生方▲【長野堰を語り継ぐ会の絵図展】&【高崎城の桜】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_5.html

箕輪初心:生方「箕輪城159&【中嶋宏氏主催の長野堰を語りつぐ会
の絵図展】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_4.html

箕輪初心:生方▲箕輪城174・井伊直政18『箕輪城→高崎城」復刻版
http://53922401.at.webry.info/201510/article_9.html


***************************************************
井伊直政シリーズは18回書いている。
18回目は井伊直政の【2015高崎】の流れでの復刻版の記載である。
11月からは井伊谷の歴史・井伊直政・井伊直虎・松下嘉平・松下
景清・徳川家康などは、住んだ城・戦った場所などを紹介しながら、
井伊直虎・井伊直政シリーズ詳細編を10回程度紹介したいと思っ
 ている。

箕輪初心:生方▲真田丸72【高島城】日根野高吉→諏訪頼水&真田昌幸
&松平忠輝&吉良義周
http://53922401.at.webry.info/201603/article_19.html

箕輪初心★高崎藩2代酒井家次→3代松平戸田康長→4代松平信吉
http://53922401.at.webry.info/201310/article_10.html

箕輪初心★新潟『高田城』=三重櫓がよかったよ。
http://53922401.at.webry.info/201305/article_28.html


3)倉賀野城
●梁瀬大輔先生の写し
・倉賀野秀景→家吉
・倉賀野町人衆
・永禄8年(1565) 武田信玄の倉賀野城攻撃
国衆:倉賀野尚幸(直行)は越後の上杉謙信の元に逃亡した。

・元亀元年(1570) 倉賀野衆の頭目金井秀景は跡部家吉を養子に
した。倉賀野氏を再興し、倉賀野秀景を名乗った。

・天正10年(1582年)
  3月初旬 北条氏直に臣従した。
 3月11日 武田氏滅亡。
   織田信長の家臣:滝川一益が領有したため、織田氏の家臣と
  なった。
  倉賀野秀景は滝川一益配下となった織田氏との外交官の役目を
   果たした。倉賀野淡路守秀景は滝川一益に重用され、主に
  下野国・常陸国などの連絡の任に当たっていた。
 6月2日  本能寺の変
   織田信長が死去。
 6月19日〜20日神流川の戦い
    滝川一益も敗走。 
★唐沢・柴辻説では小諸まで送って行った。
金井秀景は滝川一益との別れを惜しみ、真田昌幸・和田信業
   等と木曾まで一益を警固している。
  ※先代倉賀野秀景から倉賀野家吉に継承された。
(★『新編高崎市史通史編2中世』:執筆は久保田先生か
   黒田基樹氏)
・北条氏の「一手役(城代クラス)」となった。
 @戦国御用商人
 A蔵が野宿伝馬宿経営
 B鉄砲衆の編成
 C大名直轄領の年貢管理
 D厩橋城の普請をマネージメント
 ★これは新情報であった。
ここから箕輪初心:生方が追加
・天正18年(1590) 豊臣秀吉の小田原攻撃。
   倉賀野秀景は小田原城に籠城した。
   早川口の守備についた。
@倉賀野秀景は小田原で討ち死にした説。
 A北条氏直について高野山に行った説。


7月28日(8月26日) 金井秀景(倉賀野秀景)は死去。
梁瀬大輔氏「断絶。」
 墓所・・・高崎市倉賀野町 永泉寺
 ※清和源氏新田氏族金井氏→倉賀野氏と改姓
●倉賀野秀景の子ども
養子:跡部家吉
娘:(柳沢弥右衛門の室)

 
◆箕輪初心★倉賀野城◆
http://53922401.at.webry.info/201012/article_23.html

箕輪初心■箕輪城シリーズ25「箕輪城&北条氏滅亡」
http://53922401.at.webry.info/201010/article_39.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201010/article_39.html

箕輪初心■箕輪城シリーズ24「第16代:垪和信濃守」
http://53922401.at.webry.info/201010/article_38.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201010/article_38.html

箕輪初心●群馬の城「高崎:倉賀野城関係」
http://53922401.at.webry.info/201012/article_23.html

箕輪初心:生方▲2015高崎【倉賀野の歴史&倉賀野一族】
http://53922401.at.webry.info/201510/article_1.html

箕輪初心:生方▲真田●59【志賀城】:笠原清繁&高田憲頼/大虐殺&人身売買
http://53922401.at.webry.info/201603/article_4.html
★金井秀景は上杉憲政軍の大将だった。


4)吉井城(長根城か?)

・天正18年(1590) 豊臣秀吉の小田原攻撃。
 菅沼定利→菅沼忠政(奥平信昌の子)は長根城?に入った。

箕輪初心●群馬の城:高崎旧吉井38城@「吉井陣屋他」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_11.html

箕輪初心●群馬安中【菅沼城=下山城】&磯部温泉
http://53922401.at.webry.info/201211/article_18.html


●)乗附下城(山名城)・・・・木部氏の城はなかった。
・天正18年(1590) 豊臣秀吉の小田原攻撃。
  木部高成・和田信業・倉賀野秀景は小田原城に籠城した。

  木部高成・和田信業・倉賀野秀景?は北条氏直について
  高野山に行った。
・天正19年(1591)北条氏直が高野山で病死。
◆木部高成は殉死(伝)。
和田信業は放浪説・小笠原氏への仕官説がある。

■藤左衛門尉直時・・木部高成:弟小次郎直高の嫡男:
  藤左衛門尉直時(後直方)が徳川秀忠に仕えた。
  直時の曾孫庄八郎直年の時に改易。
◆参考文献
「源範頼の後裔吉見一族の系譜と歴史」

箕輪初心●箕輪城シリーズ59「木部範虎」
http://53922401.at.webry.info/201012/article_22.html
<< 作成日時 : 2010/12/11 21:55 >>

箕輪初心●群馬の城「山名城&山上の碑」(高崎編)
http://53922401.at.webry.info/201012/article_21.html

◆◆ 箕輪初心★木部範虎と榛名湖の『木部姫伝説』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201012/article_22.html

箕輪初心■群馬東吾妻町【 箱島の名水】&木部姫の榛名湖
大蛇伝説
http://53922401.at.webry.info/201202/article_15.html

箕輪初心:生方★2015年高崎「山名の歴史&木部一族」
http://53922401.at.webry.info/201509/article_30.html




【3】 『真田丸時代』の百姓ー角田家の職業選択






【4】 『おまけ』
・天正10年(1582) 
3月11日 武田勝頼・信勝父子が天目山(景徳院)で自害。
  武田氏が滅亡。

        

 6月19日▲神流川の戦い前哨戦
 6月20 ▲神流川の戦い
   松田憲秀は従軍した。
 
 7月13日 真田昌幸ら信濃国衆が小諸城の北条氏直に
出仕した。
▲川中島の戦い
北条氏直 VS 上杉景勝

 7月19日頃? 北条氏直は真田昌幸&松田憲秀に殿を命じた。
※松田憲秀は山中城の城代であった。
 真田昌幸は信濃残留を申し出た。
   
 
8月  北条氏政・氏直 VS 徳川家康
   甲斐の旧織田領を巡って対立
※保科正直の子:正光は真田昌幸が預かっていた。
 ★保科正光の妻は真田昌幸の娘だった。


・天正18年(1590) 6月4日〜 石垣一夜城築城開始
豊臣秀吉の小田原攻撃

松田憲秀は
「豊臣方22万に対し北条方は5万と劣勢にあって勝ち目の無い
  野戦は無謀である。」
と、小田原城中の評定に於いて籠城策を主張する。
 北条氏照、北条氏邦は野戦を主張した。
松田憲秀の籠城策が採られた。
   徹底抗戦を唱えて小田原城に篭った。
  北条氏邦は鉢形城に戻ってしまった。

@小田原城籠城:4代:北条氏政・5代:北条氏直、
 北条氏照、成田氏長、垪和康忠、松田憲秀、笠原政晴、笠原政尭
 ★箕輪町誌・新編高崎市史では 垪和康忠は箕輪城にいたらしい。
上野国からの籠城組
 ★和田城:和田信業
 ★木部城:木部高成
 ★倉賀野城:倉賀野秀景
A韮山城:北条氏規
B山中城:松田康長(松田憲秀叔父)・多米周防守平長定
C忍城:成田泰季(のぼう様)
D鉢形城:北条氏邦
E松井田城:大道寺政繁・・・真田幸繁初参戦説
F西牧城:
G箕輪城:垪和康忠・保科正直・・真田幸繁初参戦説
★箕輪町誌・新編高崎市史では・・・
 ★ 『真田丸』ではどうなるのだろうか?




7月5日 小田原城は開城した。

7月12日 北条氏直は命を助けられたが、父:北条氏政&
叔父:北条氏照の切腹の介錯をした。

7月?日 北条氏直は
  次男:松田直秀は北条氏直に従い高野山に追従した。
  北条氏直死後は松田憲定と改名した。
  豊臣秀次・前田利長に仕えて、前田家では4,000石を知行された
 ・慶長19年(1614年)7月 金沢で死去した。

叔父:北条氏邦も前田利家の家臣として1000石の知行を与えられた。

12日、北条氏直は父:氏政の介錯をした。
 その後、北条氏直のお供をして、和田信業
・木部高成・倉賀野秀景(不明?)は高野山に行った。



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