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zoom RSS 箕輪初心:生方▲箕輪城196●『武田氏の箕輪領支配』@春日弾正忠+(真田幸綱+甘利昌忠+金丸虎義)

<<   作成日時 : 2016/06/28 09:49   >>

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『地域文化233「みのわの歴史」』栗原修著・『戦国期上杉
・武田氏の上野支配』栗原修著2010年5月初版400部:
岩田書院18000円には、武田氏の領国支配についての詳細が
掲載されている。特に、箕輪城の武田時代16年の発給文書
が詳しい。@春日弾正忠+(真田幸綱+甘利昌忠+金丸虎義)
の時代の歴史史料をまとめてみた。
画像



箕輪初心:生方▲【武田信玄の上野侵攻】A永禄4年〜永禄9年
:箕輪城攻略
http://53922401.at.webry.info/201606/article_29.html

箕輪初心:生方▲箕輪城189『古文書史料に基づく長野氏
・箕輪城の関連年表』
http://53922401.at.webry.info/201606/article_24.html

箕輪初心:生方▲箕輪城187【雉郷城】&武田信玄の長野業正の
親戚衆への攻撃・調略
http://53922401.at.webry.info/201606/article_19.html

箕輪初心:生方▲箕輪城188【鷹留城】築城3説と落城3説
http://53922401.at.webry.info/201606/article_23.html

箕輪初心:生方▲真田幸綱(幸隆)・信綱・昌幸の吾妻支配A
「永禄10年〜天正10年」
http://53922401.at.webry.info/201606/article_30.html

*************************
箕輪初心:箕輪城J「武田信玄の西上州侵攻」
http://53922401.at.webry.info/201010/article_16.html

箕輪初心●箕輪城シリーズL6代「甘利昌忠」
http://53922401.at.webry.info/201010/article_21.html

箕輪初心:●箕輪城シリーズM「第7代真田幸隆(幸村祖父)」
http://53922401.at.webry.info/201010/article_22.html

箕輪初心●箕輪城シリーズN「武田信玄の箕輪城在番衆」
http://53922401.at.webry.info/201010/article_23.html

箕輪初心●箕輪城シリーズO「第8代:浅利信種」
http://53922401.at.webry.info/201010/article_24.html

箕輪初心:●箕輪城シリーズP「第9代:内藤昌豊」
http://53922401.at.webry.info/201010/article_25.html

箕輪初心●箕輪城シリーズQ「第10代内藤昌月」
http://53922401.at.webry.info/201010/article_26.html

箕輪初心▲箕輪城147【善龍寺】=長野業正長男:長野吉業の墓
・内藤昌豊&昌月の墓=会津藩
http://53922401.at.webry.info/201412/article_7.html

箕輪初心:生方▲箕輪城183真田丸1【真田幸綱・昌幸・幸繁
と箕輪城との関わり】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_3.html



●▲■『戦国期上杉・武田氏の上野支配』栗原修著
序章 戦国期東国の権力について
•はじめに
•第一節 「戦国大名」をめぐって
•第二節 「地域的領主制」「地域領主」について
•おわりに

第一編 上杉氏の関東進出とその拠点
第一章 関東管領山内上杉氏の復活
•はじめに
•第一節 公方義氏の誕生と古河城の争奪
•第二節 義氏の関宿移座をめぐる後北条氏と簗田氏
•第三節 上杉憲当の越後入国と簗田氏
•第四節 山内上杉氏の復活と「公方−管領」体制
•おわりに
•付論 上杉氏越山と上野沼田氏

第二章 上杉氏の隣国経略と河田長親
•はじめに
•第一節 上杉氏家中における長親の態様
•第二節 長親発給関係文書について
•第三節 上杉氏の関東進出と長親
•第四節 上杉氏の越中経略と長親
•第五節 越中における長親の位置付け
•おわりに

第三章 厩橋北条氏の族縁関係
•はじめに
•第一節 越相同盟前の北条氏
•第二節 越相同盟後の北条氏
•第三節 武田・織田領国下の北条氏
•第四節 後北条氏の上野領国化と北条氏
•おわりに

第四章 上杉氏の沼田城支配と在城衆
•はじめに
•第一節 上杉氏の関東進出と沼田氏
•第二節 永禄期の沼田在城衆
•第三節 越相同盟交渉時の沼田在城衆
•第四節 越相同盟交渉における上杉氏の手筋について
•第五節 越相同盟破綻後の沼田在城衆
•おわりに

第二編 上杉氏支配の展開と部将の自立化
第一章 上杉氏の勢多地域支配 •はじめに
•第一節 「名字尽」にみえる上野国武将
•第二節 後藤勝元
•第三節 河田九郎三郎と倉賀野尚行
•むすびにかえて

第二章 厩橋北条氏の存在形態
•はじめに
•第一節 北条氏による厩橋領支配の歴史的条件
•第二節 厩橋城代北条氏の領域支配
•第三節 地域的領主制の展開
•第四節 御館の乱以降における北条氏
•第五節 後北条氏領国下の北条氏
•おわりに
•付論1 厩橋北条氏の家督交替をめぐって
•付論2 北条高広と佐竹氏・後北条氏

第三章 沼田城代河田重親と御館の乱
•はじめに
•第一節 河田重親の系譜について
•第二節 沼田城攻防と河田重親の動向
•第三節 沼田城をめぐる重親と後北条氏との関係
•第四節 武田氏の沼田攻略と重親
•おわりに

第三編 武田氏の上野進出と支配の展開
第一章 武田氏の吾妻地域経略と真田氏
•はじめに
•第一節 武田氏の信濃経略と真田氏
•第二節 武田氏進出以前の吾妻地域
•第三節 武田氏の吾妻地域経略
•第四節 岩櫃城と真田氏
•第五節 吾妻地域における真田氏
•おわりに

第二章 武田氏の箕輪領支配
•はじめに
•第一節 武田氏の箕輪城攻略と領域再編
•第二節 箕輪城代浅利信種
•第三節 箕輪城代内藤昌秀
•第四節 箕輪城代不在期
•第五節 箕輪城代内藤昌月
•むすびにかえて

第三章 武田氏の上野支配と真田昌幸
•はじめに
•第一節 真田氏の譜代化と白井領支配
•第二節 沼田地域経略にみる昌幸の権限
•第三節 沼田地域支配への関与
•第四節 吾妻地域と昌幸
•むすびにかえて
•付論 武田氏の沼田地域経略と小川可遊斎

終章 戦国期権力の地域支配
•はじめに
•第一節 上野国における大名領国制の展開
•第二節 戦国期の領主関係
•おわりに
   
   



■永禄9年(1566)9月29日 武田信玄が箕輪城をゲット。


★箕輪初心私見・・・箕輪城の戦後処理のため、
甘利昌忠・金丸虎義・曽根昌世、曽根七郎兵衛が残ったと思われる。

■金丸虎義・・武田信玄の傳役→使番12人衆の1人、→侍大将。
 甲州西郡徳永村(南アルプス市八田村)を領した清和源氏流に始まる。
 武田信重の子:光重が金丸右衛門尉を称した。
金丸光重→養子:一色藤直の子:藤次が養子跡を継ぎ金丸伊賀守。
金丸藤次→金丸虎嗣→金丸虎義へと継承。
 長男:曽根平三郎昌直   
 二男:土屋平八郎昌次   
 三男:秋山左衛門佐昌詮   
 四男:曽根助六郎定光   
 五男:土屋惣三昌恒   
 六男:曽根惣八郎正直   
 七男:秋山源三親久

■曽根 昌世 武田二十四将の奥近習六人衆の1人。
  足軽大将。騎馬15騎・足軽30人。
 曽根虎長の子として生まれた。
 武田信玄の嫡男:武田義信による義信事件の際、昌世の嫡子
  :曽根周防守が死罪。
 →曽根昌世は駿河に逃亡。・・・・その後に帰参。
 永禄12年(1569)三増峠の戦い
  武田軍の殿軍:浅利信種が戦死後、
  →浅利信種の軍監:曽根昌世が部隊の指揮を引継ぎ、撤退。
   武田信玄の駿河侵攻・・・真田昌幸らと共に活躍。
  →武田信玄から 「昌世と昌幸は我が両眼だ」と賞賛。
  駿河花沢城攻め・・・三枝守友に次いで2番槍。
  武田信玄が駿河を奪った後、昌世は駿河興国寺城代。
 (興国寺城は北条氏康+塀和伯耆守の無血開城)
→三枚橋城(沼津城)城代


■永禄10年(1567)3月6日 
「一徳斎(幸綱)計策故、白井不日落居・・・(中略)・・・
 箕輪城在番候条、悉皆春日弾正忠談合尤候、又長尾輝虎帰国
 為必然者、翌日出馬、西上野之備可加下知候、猶沼田之是非
 急速注進待入候 恐々謹言
3月6日       信玄(花押)
   一徳斎
甘利郷左衛門尉殿
金丸筑前守殿
(★武田信玄書状写:諸州古文書)
 武田信玄は箕輪城宛に一徳斎(真田幸隆)・甘利左衛門尉昌忠
・金丸筑前守虎義に
「真田幸綱は3月上旬に白井城を攻略した。使者が到着するまで
 春日弾正と相談しながら、箕輪城の領土の運営に当たれ。・・
 上杉謙信が帰国次第、・・私(武田信玄)が自ら西上野に出陣
 して、西上野のい備えを下知する。沼田城の動向を報告せよ。」
と指示した。
★箕輪初心・・・永禄9年(1566)9月29日〜永禄10年(1567)
 3月6日までの間には春日弾正忠が海津城兼任箕輪城代として、
 在城したことになる。

●3月8日
「以不慮仕合白井落居、本望満足可為同意候、此上早々
   箕輪に相移、普請並知行等配当、可成下知候、猶
   沼田模様、以早飛脚注進待入候 恐々謹言」
3月8日       信玄(花押)
   一徳斎
真田源太左衛門尉殿(信綱)

 武田信玄が真田幸隆・信綱の白井城攻めをほめて、
 箕輪城の普請と知行割りを行うように指示した。
  (真田家文書・群馬県史・群馬県地域文化233栗原修著)
★真田幸綱は箕輪城付近〜旧吉岡・榛東村・旧箕郷町・旧榛名町
 ・旧群馬町・旧高崎・旧倉賀野・旧新町・藤岡の知行を割り振った
 ことになる。  

●3月28日付 武田信玄→原孫次郎
 原は漆原(吉岡町)を貰った。
 (★漆原文書:群馬県史)

●4月29日付 金丸平八郎→大熊伊賀守
富岡一村・柴村・箕輪之内(旧箕郷町)
行力村の内・大八木村之内
(★記録御用所本古文書:山)

■5月*元上杉謙信家臣大熊伊賀守高秀は富岡・柴・箕輪・行力
  ・大八木の内約317貫
    (みのわの歴史)

●5月1日 龍朱印→安中丹後守
・「於干長野領中20貫之地出置候」
(★市谷八幡神社:群馬県史)

●5月6日 武田信玄→龍雲寺(佐久市)
「箕輪之長純寺之事進置候」
(★龍雲寺文書:群馬県史)
  ★長純寺は龍雲寺の末寺になった。

●7月1日 曾祢三河守→安中丹後守
「板鼻之内」
(★中沢文書:群馬県史)
8月7日/8日 武田信玄は家臣団に信玄への忠誠を誓わせた起請文
   を生島足島神社に奉納した。
武田信玄が起請文を出させた理由は
@親:武田信虎を駿河に追放した。
A飯富虎昌ら重臣に詰め腹を切らせた。
B嫡子武田義信を幽閉した。
 結果・・・家臣の動揺・・・自分から心が離れていく可能性がある。
C駿河・遠江方面に侵攻した場合、もし留守中に信濃、西上野
  在陣の武士たちが反旗を翻すことでもあれば、まずい。
  反乱の動きを警戒し、封じようとしたのだ。
  生島足島神社に現在残っている83通237人にも及ぶ甲斐・
  信濃・西上野の武将から署名・血判の上、起請文を書かせて
  誓約させることにした。

箕輪初心:生方▲真田丸6【生島足島神社】武田信玄の起請文
・真田信之の起請文
http://53922401.at.webry.info/201601/article_8.html

起請文の中に、浅利(現黒崎)・友松・塚越・富所の4人先祖の
方々の名前があった。高崎市井出町の友松千世松氏は起請文の写しを
持っている。
★ちなみに私の母方先祖「塚越伴七」の名もある。
系図あり・・・

・武田信玄は、和田業繁に起請文(家来としての約束6箇条)
  (生島足島神社文書)
 
●11月23日 武田信玄→松よう軒(祢津常安)
  「就干上州箕輪城在城、小鼻輪之郷300貫除正覚分、
   大窪之郷100貫進之候、猶春日弾正忠可申候、
   恐々謹言」
   (★甲斐国志)
 禰津元直の子:常安は小鼻(高崎市小塙町)と大藪
 (吉岡町・・桃井東城)を約400貫を春日弾正忠に
申しでて、貰ってよい。
ずうっと、真田幸綱について転戦していたが、
11月23日、信玄が元信濃東御の禰津元直(東部湯の丸:
信玄初代妾の甥)を在番衆にして、替え地を箕輪城付近に
持たせた。
★箕輪初心私見・・・
「大藪城=桃井東城が箕輪城長野業政の支配下にあったことが判明」
 
   
●12月2日付 武田信玄→大井高政・小兵衛尉宛行状
「就干箕輪在城、為信州知行之替地、来春遣検使、如・・・」
 (★大井文書:群馬県史)
武田信玄は大井高政・同満安の上野箕輪に在城するに依り、信濃
 本領の替地を上野に於いて出すべきを約す。
 信玄、大井高政等に定書を出す。
  (★武州文書:信濃資料)
0)大井高政
  岩尾城の大井一族である。

1)禰津一族・・・「滋野一族(海野・望月・禰津)の一つで、
  真田幸隆の同族。」
  禰津城(東部湯の丸IC上の城)の禰津氏の子孫。
12月2日、元佐久内山城・長窪城→小諸城→小塙・大久保領の
  大井氏(佐久)を在番衆となった。
  小諸城は取り上げられ、小諸城から箕輪城在城を命じられた。
箕輪城付近に替え地が宛がわれた。
  武田信玄から上州の小塙郷(高崎市)を賜った。
   (みのわの歴史・群馬県地域文化233栗原修)   
 ★箕輪初心私見・・・「大井氏・伴野氏はセットで、信玄に
   使われることが多いようである。」
 ・永禄10年(1567)   
  信玄に下之郷起請文(連名)を提出。「生島足島神社蔵」。
 元亀4年 (1573) 武田信玄が死亡・・
   最後を看取った禰津氏は遺骨をそっと運んだ。
 天正3年 (1575) 「長篠合戦」・・・嫡子月直が戦死。
           信州の本領を弟信忠の子信光に譲渡し隠居。 
 天正10年(1582) 織田信長の信濃侵攻→飯山?城守将として交戦。
          越後の上杉景勝に援軍を依頼。
    武田氏滅亡・箕輪城支配終了後→北条氏直の家臣→
    徳川家康の家臣。
 天正11年(1583)徳川家康より甲州黒沢、駿州厚原350石の
    知行地を賜った。
 天正17年(1589)禰津信光は「吾妻合戦」に出陣。家康の近侍。
    上州豊岡の地を拝領。
 
2)大井貞清・・
 「武田晴信に降伏した佐久大井城・内山城主→長窪城主の大井一族。」
   武田信玄の家臣になり、小諸城主に任命された。
・永禄10年(1567)上野国に領地替えして、箕輪城在番衆や上野の
狼煙集積地の根小屋城勤務。
 武田氏の箕輪城支配終了後、高崎市木部町の木部北城跡に玄頂寺を建立。


3)伴野一族・・
「武田信虎に協力した佐久前山城・伴野城主・稲荷山城主の伴野一族。」
  武田信玄の家臣になり、所領安堵。佐久伴野城主。
・永禄10年(1567) 上野国に領地替えして、箕輪城在番衆や上野の
   狼煙集積地の根小屋城勤務。
  武田氏の箕輪城支配終了後、北条家家臣。

★南上州・・小幡重貞が国峰城を再建し推定4万石。2000人の兵。
   約60?の砦支城。
★北西部・・真田幸隆が監督。岩櫃城・名胡桃城など(
   生島足島神社蔵)
 浦野(大戸城・三島城)・湯本・鎌原・横谷・西窪・植栗・
  池田(元嶽山城家老)

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