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zoom RSS 箕輪初心:生方▲真田丸99【23話:攻略】豊臣秀吉の小田原攻撃&史実との相違

<<   作成日時 : 2016/06/13 21:49   >>

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・天正18年(1590) 豊臣秀吉が惣無事令違反を名目:大義名分で
もって後北条氏を降した戦役である。「小田原征伐」、「小田原征討」
「北条征伐」である。天皇は後北条氏討伐の勅書を発していなかっ
たが、関白:豊臣秀吉は天皇の施策遂行者としての立場で行動した。
「征伐」は、犯罪者や反逆者などを攻め討つことと辞典にあった。
反社会的な犯罪集団や反乱を起こした勢力を武力で鎮圧したり処
断したりすることをいう。歴史用語としては上位者・正当な国家
権力(朝廷や幕府)が反逆した下位者・罪人を攻め討つという意
味で使われる。政治的な公権力をバックに敵対勢力に武力を行使す
る時に使われることが多いようである。征服する側に正当な名目・
理由がある場合で、「悪者を武力で懲らしめる」という意味合いが
含まれている。「勝てば官軍」ような強い立場の強者の論理が働い
ているように感じられてしかたがない。「小田原征伐」って本当に
北条氏政や氏直が悪かったのだろうか?上から目線の差別的な表
現に思えてしかたがないのだ。従って、私はいつも「豊臣秀吉の
小田原攻撃」と表現している。「豊臣秀吉の小田原の陣」、「豊臣
秀吉の小田原攻め」「豊臣秀吉の小田原の役」、「小田原の戦い」、
「小田原合戦」、「小田原城の戦い」が正しい歴史用語・表現に思え
てならない。実質は「豊臣秀吉の小田原征服」であろうか?

画像

(★北条時代の本郭)
画像

 (★北条時代の大堀切)


例、
「坂上田村麻呂の蝦夷征討」→「坂上田村麻呂の蝦夷地侵略」とか
「源頼朝の奥州征伐」→「源頼朝の奥州侵攻」とか
「豊臣秀吉の朝鮮征伐」→「豊臣秀吉の朝鮮出兵&侵略」とか
・・・とした方がいいかもしれない。


『史実』@
6月 黒田長政が従5位の下:甲斐守になった。

豊臣秀吉の小田原の攻撃〜〜〜〜〜〜〜
  山中城の戦い
黒田如水は娘婿:一柳直末が山中城で戦死すると、
  松寿丸(一柳直末の息子)を黒田如水の養子&黒田長政の
  嫡男とした。

黒田如水は石垣山一夜城の縄張りを担当した。

箕輪初心●神奈川【石垣山一夜城】=秀吉の天下統一の城 
http://53922401.at.webry.info/201106/article_18.html

箕輪初心★【黒田官兵衛孝高=黒田如水の生涯】後編
http://53922401.at.webry.info/201401/article_7.html

黒田如水の策略「お土産&褒め殺し作戦」
 小田原城に入って、北条氏政・氏直父子を説得し、
  無血開城させる功績を立てた。
※贈り物は「ホウボウの粕漬け」だった。
北条氏政はお返しに
 「鉛&火薬・・・徹底抗戦」
黒田官兵衛は一人で乗り込んだ。
「20万人も来ているのに・・・」
と、まず、褒めた。
・・・小田原城の開城 
(★歴史ヒストリアsp7問目)


『史実』A
真田幸繁は北国勢の中にいて、
松井田城攻撃が初陣とされている。
6月下旬
  真田昌幸・真田幸繁は忍城の応援に行った。




◆● 真田丸【攻略】のあらすじ ● ◆
★相変わらず、ホームドラマだ。

◆ナレーター
「ついに北条征伐を決意した秀吉は全国から21万もの兵を集めた。」

●聚楽第
秀吉「今回の北条攻め、陣立てはお前に任せた。」

秀吉から大軍の北条攻めの采配=指揮を任された三成は、・・・
軍議を開いた。
「総大将は近江中納言豊臣秀次様。徳川様は秀次様の後見を
お務めいただきます。」
と家康に依頼した。

三成は軍勢は大きく2手に分けることにした。
@秀次率いる本軍は東海道を通り小田原城へ向かう。
A上杉景勝、前田利家が率いる別働軍は、東山道を通って上野・武蔵
 の北条の支城を攻め落としながら小田原城へ向かう。
○真田は徳川の与力である。真田は家康がいる本軍に加わるべきなの
 だが、家康を信用しきっていない三成は、万が一家康が北条に寝返
 ったときに真田まで連れていかれては困ると思い、あえて昌幸を別
 動隊に配置したのであった。
また、上野を攻めることを考慮した。
★家康のもとで働きたくない昌幸にとってはありがたい配慮であった。
 真田昌幸は景勝と一緒に東山道軍に加わることになった。
秀吉「前代未聞の大戦さになるそ。楽しみじゃあ。」


●聚楽第
一方で、かつて真田を裏切る形になってしまった景勝は、昌幸と一緒に
戦う事が気まずい。
景勝「源次郎、すまぬ。」
信繁はその気持ちに気が付き、
「景勝への気持ちは変わっていません。」
と気遣いした。

◆ナレーター
「小田原城は東西に2.9km、南北に2.1kmにも及ぶ日本最大級
 の城郭であった。天正18年(1590)4月、秀吉軍は総勢18万を
超える大軍で小田原城を完全に包囲した。秀吉は箱根山の早雲
 寺に本陣を置いた。」


●一夜城を建てる前の山
幸繁は大谷吉継と三成は小田城を眼下に見下ろす小高い丘に立った。
「殿下は明国攻めを視野に入れていて、北条攻めはその予行演習で
 ある。」
と吉継と三成は考えていた。
小田原城を見つめながら、信繁に語った。

その後、信繁は各陣から諸将を集めるようにと秀吉から命じられた。
信繁はまず秀次の陣に行って召集を伝えた。
次に家康の陣に向かった。

家康「ちょうど良かったつきあえ・・・」
家康は人目をさけ、・・・・家康は信繁を茂みに連れていき、並んで
立ち小便をしながら、信繁に愚痴をこぼし始めた。
関東の連れ小便@であった。
家康「殿下は、まだこの家康をお信じならぬようだのう。わしを
  総大将になされなんだ。・・・娘は氏直に嫁いだが、徳川と
  北条の手切れにより、まもなく離縁することになっている。
  『ご心配はご無用。』と殿下にお伝えそてくだされ。・・・」

●早雲寺
やがて家康や秀次たちは秀吉の元へ集合した。諸将が集まった。
秀吉「わしらの相手は北条だけではない。伊達政宗、・・未だ従おうと
 しない陸奥・出羽の大名ども。やつらもこの強大な軍勢を知れば、
 いずれ頭を垂れてまいる。それを待つ。それ故の長戦さじゃ。あっ
 さり勝負がついては意味がにゃあでよ。」
「ゆっくりにゃで、お前たち。」
いまだ恭順しない陸奥・出羽の大名たちも、この戦で秀吉の力をしれば
いずれは降伏すると考えていたのだった。そのためにもあっさり勝負が
ついては意味がない。

「わしゃあ、長戦に備えて茶々を呼ぶことにした。」
臣下の武将たちにも
「身内を呼んでも構わない。」
と伝えた。


軍議が終わると、
「徳川殿、ちょっちいか?」
と、小田原城を一望する丘に家康を誘った。
秀吉は家康を立小便に誘う。
関東の連れ小便Aであった。

秀吉「この戦が終わったら、お主に北条氏の領地をすべて任せようと
   思う。」
家康は気前よさにびっくりした。
「関東をやる代わりに江戸に移ってもらうから。・・・
 もう駿河・三河はいらんだろう。」
と言い出した。

信繁と用を足したばかりの家康は小便が出なかった。
実り豊かな駿河・三河を取り上げ、すすきのだらけの江戸を
与えるというのだ。
 秀吉は早々に陣に戻っていこうといた。
幸繁も家康を気にしながら、秀吉に従った。

後世「関東の連れ小便」として語り継がれることとなる。
◆ナレーター
「小田原城は秀吉の大軍に囲まれ、蟻の這い出る隙もない。」

●小田原城内
「ここは打ってでて、板東武者の底力を・・・」
と氏直が主張した。
「籠城じゃ・・・」
と追い詰められた北条氏政。
大軍に囲まれた北条氏政は籠城を決めこみ長期戦を考えていた。
「しょせんは寄せ集めの大軍。戦が長引けば北条の味方につくもの
 と予想してのことだ。特に伊達政宗には期待しておる。
 正宗が大軍を率いてきたら、討って出よう・・・ 」
と目論んでいた。
氏直も江雪斎も今さら秀吉に刃向かう者はいないと感じていた。


◆ナレーター
「これといった動きもないまま5月になった。
小田原城では毎日のように軍議が開かれていた。」

●小田原城内
氏政だけが歌を詠み・・蹴鞠をしていた。◆ナレーター
「秀吉軍が北条を取り囲んでから1ヶ月が経った。
小田原城では連日「開城か徹底抗戦か」の軍議が開かれている。
●小田原城内
氏政は怯え、戦を忘れるために蹴鞠に興じる。
「もしも入浴中に敵が攻めてきたらと思い、1ヶ月も風呂には入って
いない。」
しかし、自分が怯えていると家臣に知れれば士気に関わるので、体の
においを隠すために毎日香を焚いている。
氏政は平常心を保とうとするが、武田氏のように滅びるのではないか
と徐々に弱音を吐き始めていた。

江雪斎は「滅びるかどうかは分かりませんが、勝つことは出来ない
     でしょう。」
と見通しを述べる。
それでもなお、氏政は伊達政宗の援軍に望みをかけるのであった。

化粧もするようになった。
江雪斎がたまりかねて・・・
「・・・戦を忘れ、・・・戦の気にされておられるから、・・
 化粧はやつれたお顔を隠すため・・・」
「いずれ、伊達がくる・・・」


●大坂城
「呼ばれたのは、茶々だけ、・・・
茶々が秀吉のもとに向け出発する。

お寧は正室としての仕事があるので残ることになり、
「捨」の世話も任された。
お寧は正室としての職務があるとはいえ、茶々だけが呼ばれた事に
少し寂しさを覚える。

◆ナレーター
「4月20日、・・・・・」

●東山道軍
そのころ昌幸がいる東山道軍は、北条氏の支城を次々と攻め落と
していた。
昌幸は攻め落とした城で景勝と酒を酌み交わす。
★4月20日は箕輪城に実際はいた。

昌幸は秀吉のために働くことにまだ納得はいっていない。
景勝「大儀がない・・・。」
とこの戦に大義名文を見いだせずにいる。
信幸「日本から戦をなくそうと秀吉は動いているので、それが大義では
   ないのではないでしょうか?」
と意見した。

「次に攻めるのは忍城でござる。」
東山道軍が攻めるのは武蔵国の忍城(行田市)であった。
昌幸「忍城攻めを任せてほしい。」
と景勝に懇願した。
景勝が了承すると
昌幸「お前とれ。」
とそのまま信幸に丸投げした。

信幸を唖然とする。
昌幸「ゆっくり落とせ。」
と命じて去っていった。
出浦昌相「北条と手を組めば秀吉にも勝てる。」
と声をかけてきた。
出浦「乱世でしか生きられない。」
と・・・
秀吉が望む泰平の世の中にはしたくないのだ。
信幸は、戦の無い世の中にしたい出浦の策を一蹴した。

昌幸は佐助に
「しばらく信繁のもとへ行くように・・・。」
と命じた。

●秀吉の陣
秀吉は利休を招いた。
舞台で阿国の一座が踊り、秀吉も一緒になって踊っていた。

茶々は退屈してしまい、信繁を引き連れ千利休の元を訪れた。
利休の陣には衣服などがずらり並べてあった。
利休「京や堺から運ばせた特上品でおます。」
茶々が扇子を1本選び、
「はい、持っておれ。」
茶々は品物を眺めながら
「戦はいつ始まるのか?」
という疑問を口にする。
すでに戦は始まっているのだが、茶々の目には浮かれて騒いでいるよ
うにしか見えなかったのだ。

茶々「せっかく来たのだから城が焼け落ちるところが見たい。」
と話した。
利休は茶々に興味を示すのだった。



◆ナレーター
「開戦から2ヶ月がたち6月になった。忍城攻めを初めて
 任された信幸は苦戦が続いていた。
 三成は落城の知らせを待ち、やきもきしていた。
三成は伊達政宗の到着が遅れていることもいらいらさせる原因
であった。
 三成は報告をうけた。想定外の苦戦に苛立つ・・・。
三成「忍城を一つ落とすのにどれだけてこづっておる。」
吉継「戦は机の上の軍略のようにはならぬ。」
信繁はいつも冷静な三成が取り乱す姿を見て驚いた。
★史実は石田三成が苦戦しているので、真田昌幸が助っ人に行った。


◆ナレーター
「6月9日、ついに伊達政宗が秀吉の陣を訪れた。」
 
●秀吉の陣
政宗は真っ白な死に装束という芝居がかった衣装で恭順の意を表した。

秀吉「面をあげよ。」
茶々「?  」

◆ナレーター
「正宗が秀吉に恭順の意を示し、とうとう秀吉に刃向かう者は北条氏
 だけとなった。」
●秀吉の陣
秀吉「これより総攻めを行い、北条を滅ぼす。」
吉継「忍城、鉢形城など北条の残っている城を先に落としてしまう
   策もございます。さすれば、北条は進退を極まり、小田原城は
   開城となりましょう。」
家康もこの案に賛成した。
秀吉「三成はどこじゃ?」
秀吉はその策をじれったく思った。
信繁「石田様はご自分の陣に引きこもっておられます。・・・
   算段をし直しておられる所です。」
吉継「いかがでございましょう。この際、石田治部に忍城を
任せてみてはいかがでしょうか?」
秀吉は「戦采配の経験を積ませるため」と説得され、応じることにした。
三成は進軍した。
「おまえらは北条びいきか?」


●丘の上
小田原城を見下ろしながら、
茶々「北条は滅ぶのか?」
と信繁に聞く。
信繁「そうやって、世の中は新しくなっていくのです。取り残された者
   は消えていくしかございませぬ。」

◆ナレーター
「正宗が秀吉に下ったという知らせはすぐに氏政のもとに届いた。」

●小田原城内
氏政「降伏するくらいなら、城に火を放ち、わしは腹を切る。」
江雪斎「お2人の命は必ずお守りいたします。徳川殿に頼んで
    助命嘆願します。」
氏直は江雪斎に説得され降伏を受け入れ、北条家存続のために
降伏へと傾いた。
氏政はしぶしぶ承諾した。
氏政は「だが、今後は北条は上杉と同等に扱うべし。本領は安堵。
    豊臣家の重臣として扱うべし。」

●秀吉の陣
意向はすぐに秀吉の元に伝えられた。
秀吉「・・・・」
秀吉はずうずうしい条件に怒った。
「戦上手の氏政を生かしておけばいずれ役に立ちます。」

秀吉は吉継や家康に説得され、怒りを鎮めた。
「戻るまでにその件について決着させておけ。
と指示した。
秀吉「わしは茶々と温泉に出かける。」



◆ナレーター
「6月20日。忍城近く・・・」

●忍城近くの三成の陣
昌幸「お呼びで・・・」
三成「・・」
三成は未だに忍城を落とせない上杉景勝と真田昌幸を鉢形城
・八王子攻めを命じた。
信幸「忍城はどうなさるのですか?」
三成「私なら、4日で落としてみせる。利根川の水を引き入れれば
   忍城は水に沈む。」

◆ナレーター
「6月20日、信繁は吉継に呼ばれた。」

●吉継の陣
「手紙・・」
@氏直は降服
A氏政は討ち死に覚悟・・」
吉継と家康は、小田原城内に入り北条氏政を説き伏せるよう
信繁に命じた。
「源次郎、小田原城中に行ってくれ。・・・」
★史実では、黒田官兵衛である。ま〜ず、『真田丸』はホームドラマ
 なので、嘘ばっか・・・」

「何故、私なのですか?」

6月17日
正信「江雪斎の要請であった。・・・御隠居様を説き伏せられるのは
   源次郎をおいてほかはない。・・」
幸繁「買いかぶりでござる。」
沼田裁定のときに信繁と論戦した板部岡江雪斎と本多正信が、氏政の
説得役に信繁を推したのだった。


●幸繁の役所
幸繁「生きて帰れぬかな?」
佐助「・・・・」

●小田原城内
信繁は小田原城に入城した。
氏政の嫡男:氏直はすぐにでも降参したいと考えていたのだが、家中には
氏政の意をくんで降伏に同意しない者もたくさんいた。
江雪斎「わしらをすくってっくれ・・・」


江雪斎「信繁に気をつけるように・・。」
忠告した。
その直後、信繁は数人の侍に囲まれてしまう。

狙われた。」
佐助「お逃げください。」
信繁は逃げるが、背後から肩をつかまれた。
「お久しゅうございます。」
万事休すと思ったそのとき、振り返った信繁の前に現れたのは、
義兄:小山田茂誠(松の夫)だった。


【2】史実編
2月 豊臣秀吉の小田原攻撃
豊臣軍約200000騎?VS 北条軍34250騎    
 (★秀吉が調べた北条家人数覚書:毛利家文書)
*北条氏邦・・・・・5000騎
 (鉢形城・深谷城・倉賀野城・厩橋城・箕輪城・沼田城)
*大導寺政繁・・・1500騎(川越城・松枝城)
*波賀駿河守・・・見失      
 (★毛利家文書・・・鉢形城博物館の本)


A、秀吉軍の北国軍(前田・上杉・真田昌幸ら)が北条の城を攻撃。
3月?日 前田利家が福井経夕→東山道木曽→佐久郡へ到着。
        上杉景勝と真田昌幸が合流、北国軍。

3月?日  北国勢の前田利家・上杉景勝は碓氷峠を越えて上野
       に入った。 

3月15日 真田氏先兵が碓氷峠で大導寺政繁と交戦。
上杉景勝軍所属の真田昌幸3000は愛宕山城
      (松井田坂本)から出撃した。

3月18日 北国軍が碓氷峠で北条先兵を破る。 
   
3月28日 松井田城を包囲攻撃、落ちず。

 北国軍:前田利家&上杉景勝
  真田昌幸3000は上杉景勝所属

 上杉軍は松井田の愛宕山城に入った。
 ※松枝城(松井田城)攻撃
  霧積川の戦い
  真田昌幸・幸繁3000 VS 大導寺政繁1500
真田昌幸の勝ち・・・

大導寺政繁の兵力1500(★毛利家文書)
  北国軍の前田氏・上杉氏に35000人に迫られ
  松井田城が落城。開城・・・

箕輪初心●群馬松井田:坂本城&愛宕山城=武田信玄の築城か?
http://53922401.at.webry.info/201210/article_4.html

箕輪初心●群馬【松井田城】=安中忠政→大導寺政繁の城
http://53922401.at.webry.info/201112/article_2.html

4月?日 西牧城(多米元忠?)への攻撃→多米元忠が西牧砦で討死。

4月?日 厩橋城(?)を攻略。・・・・浅野長政ら
   
4月7日  真田昌幸が松井田に付城普請を命じられる。
   
4月12日 真田昌幸が手勢を連れて碓氷峠で80人を討取る。
   
4月20日 松井田城(大導寺政繁+子直繁1500騎)落城
           →大導寺政繁は前田の道案内。
   
4月?日 和田城(和田信業」)も落城
   
4月?日 倉賀野城(併和信濃守)も落城
   
4月24日 →大導寺政繁は前田の道案内した。
      が箕輪城へ・・。
    (★鉢形城開城:鉢形城博物館)
    ・箕輪城(垪和康忠)も闘わずに降伏開城・・・・
 
 
 箕輪城は北条氏邦家臣:垪和伯耆守康忠・旧武田家臣保科正直
(内藤昌月実兄)がいたらしい?。

 真田昌幸・真田幸繁が入城。
 @北条氏の垪和氏・保科氏が守備
   (★新編高崎市史の資料)
 A北条氏の芳賀信濃守・保科正直が降伏。
   (★漫画みさとの歴史)
 B芳賀信濃守は逃亡し、保科正直が降伏。
   (★近藤先生:箕輪町誌の松城通記)
 C4月24日、垪和信濃守は北国勢に降伏。
   (★近藤先生:箕輪町誌の「箕輪城と長野氏」)
 D去弐四日書状今日弐九披見候箕輪城之儀羽賀信濃守追出
   保科居残城相渡候付て羽柴孫四郎・・・
     
4月24日 真田昌幸からの箕輪城についての手紙
         →石垣一夜城の豊臣秀吉への報告


4月29日 秀吉から真田昌幸は、箕輪城の武具受領や百姓環住など
  の仕置きを指示。人身売買の禁止。  
 (★近藤先生:箕輪町誌の4月29日の秀吉書状4月24日の
     真田の報告に答え、箕輪城で在城処理。

        
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
5月?日 館林城は開城・・・・・石田三成2万

5月?日 金山城も落城廃城・・・石田三成

5月?日 松山城(北条氏房)が落城。
     川越城(大導寺政繁)が落城。
  
5月中頃 北条氏邦は小田原城に篭城するより、豊臣軍と戦うこと
  を主張。
 結局、北条家は小田原城で篭城決定
  →北条氏邦は350の兵で鉢形城へ
    
5月20日 岩槻城が落城。
・鉢形城攻撃開始 上杉勢が中心
  
   北条氏邦が岩槻・鉢形・八王子・忍・津久井の助命を嘆願。
  →秀吉は許可せず。

6月14日  
 上杉勢が中心・真田・上杉+浅野長吉+本田忠勝。
・鉢形城落城
   城兵の命を助けるという条件と引き換えに降伏。
 ★箕輪初心私見「真田は箕輪城に在城処理。」
  (根拠・・鉢形城博物館の発刊の本には真田の名前がない。
    その後、忍城攻撃の応援に行った。)  
  ※北条氏邦は前田利家の能登七尾で1000石。

6月中旬・武州忍城の開始。水攻め失敗・・・・・・石田三成 
      →前田勢(大導寺政繁が前田利家の道案内役。
       北条家の領内の忍城を攻撃。
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箕輪初心●埼玉『忍城』=城代:成田長親【のぼうの城】
http://53922401.at.webry.info/201211/article_6.html
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6月23日 八王子城(北条氏照)が落城。
 

6月下旬 津久井城(旧武田家臣→北条家臣の内藤景豊
      :昌月の子)が落城。
   ◎◎◎
◎◎◎
◆◆ 真田3代のブログ一覧 ◆◆


〜〜〜2016年【真田丸シリーズ】〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
●▲■真田の郷の城*********************
箕輪初心:生方▲真田丸41【米山城・戸石城・本城・枡形城】
真田幸隆乗取&真田兄弟対決
http://53922401.at.webry.info/201602/article_15.html

箕輪初心:生方▲真田丸42真田の里【真田氏館&真田本城
&支城群一覧】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_18.html

箕輪初心:生方▲真田丸3【真田本城】新名所:堺&長沢の腰掛け椅子
http://53922401.at.webry.info/201601/article_5.html

箕輪初心:生方▲真田丸4【真田氏館&真田氏歴史館】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_6.html

箕輪初心:生方▲真田丸35【松尾古城】角間館の詰め城
http://53922401.at.webry.info/201602/article_8.html

箕輪初心:生方▲真田丸37【真田天白城】真田昌幸長男
:真田信綱の築城?
http://53922401.at.webry.info/201602/article_10.html

箕輪初心:生方▲真田丸38【矢沢城】&真田昌幸の叔父:矢沢頼綱の生涯
http://53922401.at.webry.info/201602/article_11.html

箕輪初心:生方▲真田●75【真田横尾城=尾引城】
:横尾氏→真田信綱の居城?
http://53922401.at.webry.info/201603/article_26.html

箕輪初心:生方▲真田丸39【真田:洗馬(せば)城】:横尾氏の詰め城
→真田氏の城
http://53922401.at.webry.info/201602/article_12.html

箕輪初心:生方▲真田丸40【真田根小屋城】:真田氏の支城
http://53922401.at.webry.info/201602/article_14.html

箕輪初心:生方▲真田丸5【真田長谷寺】真田幸綱・正妻:河原隆正妹
・真田昌幸の墓
http://53922401.at.webry.info/201601/article_7.html



●▲■【第1話】天正10年(1582)1月〜織田信長の信濃侵攻****
箕輪初心:生方▲箕輪城183真田丸1【真田幸綱・昌幸・幸繁
と箕輪城との関わり】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_3.html

箕輪初心:生方▲山梨【新府城】:武田勝頼60日の城&出浦盛清
http://53922401.at.webry.info/201504/article_25.html
★出浦盛清(正相)は最後は真田昌幸の真田忍軍の棟梁になった。

箕輪初心:生方▲山梨韮崎【穴山氏館跡】&穴山信君・武田信吉の生涯
http://53922401.at.webry.info/201504/article_27.html

箕輪初心■長野【信州の桜の名所15城】=高遠城・須坂城他
http://53922401.at.webry.info/201204/article_8.html

箕輪初心:生方▲真田丸82『飯田長姫城の歴史』と
真田丸第1話「船出」
http://53922401.at.webry.info/201604/article_7.html

箕輪初心:生方▲【伊那:松尾城】小笠原氏の分裂&武田晴信〜
織田信長の伊那侵攻
http://53922401.at.webry.info/201604/article_8.html

箕輪初心:生方▲【鈴岡城】:武田晴信の第一次川中島合戦後の伊那侵攻
http://53922401.at.webry.info/201604/article_9.html

●▲■【第2話】天正10年(1582)3月11日、武田氏滅亡*****
箕輪初心:生方▲真田丸15『真田丸第2話「決断」のあらすじ』
http://53922401.at.webry.info/201601/article_18.html

箕輪初心:生方▲真田丸16【真田の選択&武田勝頼の最後の真偽】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_19.html

箕輪初心●山梨【岩殿城】=武田勝頼を裏切った小山田氏の山城
http://53922401.at.webry.info/201202/article_5.html


●▲■【第3話】天正10年(1582)3月中旬、信長:法華寺にて**
箕輪初心:生方▲真田丸22『第3話:「策謀」のあらすじ』
&登場人物の解説
http://53922401.at.webry.info/201601/article_25.html

箕輪初心生方▲真田丸71【諏訪上社前宮〜上社本宮&
「信長と光秀&真田信繁?因縁の法華寺」
http://53922401.at.webry.info/201603/article_17.html

箕輪初心★織田信長F安土城から天下取り開始
http://53922401.at.webry.info/201206/article_11.html

箕輪初心●滋賀「安土城&ハ見寺&博物館」
http://53922401.at.webry.info/201101/article_12.html



箕輪初心:生方▲高遠城&五郎山に眠る仁科盛信の墓
:真田丸bR「策謀」追加
http://53922401.at.webry.info/201605/article_17.html




●▲■【第4話】天正10年(1582)6月2日、本能寺の変******
箕輪初心:生方▲真田丸29【TV第4話「真田昌幸VS徳川初対決
〜本能寺】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_1.html

箕輪初心:生方▲映画『信長協奏曲』面白過ぎのあらすじ
http://53922401.at.webry.info/201601/article_30.html


●▲■【第5話】天正10年(1582)6月中旬、昌幸と滝川一益***
箕輪初心:生方▲真田丸36:第5話【織田信長の死→窮地】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_9.html

箕輪初心●箕輪城シリーズR「第11代:滝川一益」
http://53922401.at.webry.info/201010/article_33.html


●▲■【第6話】天正10年(1582)6月9日、森長可の撤退******
箕輪初心:生方▲真田丸43:第6話【迷走】のあらすじ
&「森長可の撤退」
http://53922401.at.webry.info/201602/article_19.html



●▲■【第7話】天正10年(1582)6月20日、神流川の戦い〜小諸城**
箕輪初心:生方▲真田丸50第7話『滝川一益の逃亡』
箕輪城→小諸城へ
http://53922401.at.webry.info/201602/article_26.html

箕輪初心▲埼玉上里【金窪城】&『神流川の戦い』詳細
http://53922401.at.webry.info/201409/article_21.html

箕輪初心◆高崎【第16回新町神流川合戦:滝川一益】
http://53922401.at.webry.info/201211/article_3.html

箕輪初心:生方▲真田丸30【真田昌幸と滝川一益との腐れ縁:友情】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_2.html

箕輪初心●群馬【松井田城】=安中忠政→大導寺政繁の城
http://53922401.at.webry.info/201112/article_2.html

箕輪初心:生方▲真田●65【小諸城】:ちょっと文学探訪&歴史
http://53922401.at.webry.info/201603/article_10.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201603/article_10.html

箕輪初心:生方▲箕輪城175『第13回箕輪城祭り』写真集
3−@出陣式〜出陣
http://53922401.at.webry.info/201510/article_26.html

箕輪初心:生方▲箕輪城176『第13回箕輪城祭り』写真集
3−A出陣〜着到
http://53922401.at.webry.info/201510/article_27.html

箕輪初心:生方▲箕輪城177『第13回箕輪城祭り』写真集3−B
着到〜攻防戦
http://53922401.at.webry.info/201510/article_28.html


●▲■【第8話】天正10年(1582)7月13日真田昌幸が北条氏直に謁見
箕輪初心:生方▲真田丸 57「第8話『調略』のあらすじ&川中島
http://53922401.at.webry.info/201602/article_32.html
★天正壬午の乱の開始

箕輪初心●長野:海津城=松代城:川中島の戦いでの信玄の拠点
http://53922401.at.webry.info/201309/article_14.html

箕輪初心◆長野の松代:松代藩真田家藩士の家巡り
http://53922401.at.webry.info/201309/article_13.html


●▲■【第9話】天正10年(1582)8月、天正壬午の乱、
箕輪初心:生方▲真田丸63TV第 9話【天正壬午の乱】のあらすじ
&平山優説の違い
http://53922401.at.webry.info/201603/article_8.html

箕輪初心:生方▲真田丸48【佐久:春日城】依田信蕃と真田昌幸
http://53922401.at.webry.info/201602/article_24.html
★依田信蕃が真田昌幸を徳川に引き入れた。


箕輪初心:生方▲山梨【若神子城】武田信玄の信濃攻略の拠点&
烽火集積地
http://53922401.at.webry.info/201504/article_29.html
★北条氏直の陣


箕輪初心:生方▲山梨【獅子吼城】:徳川家康VS北条氏政
http://53922401.at.webry.info/201505/article_1.html
★徳川家康は大導寺政繁のいる獅子吠城を服部半蔵を使って攻略。


箕輪初心:生方:▲山梨【谷戸城】甲斐源氏祖:逸見清光の居城
http://53922401.at.webry.info/201505/article_2.html
★徳川家康は旧武田遺臣を味方に付け、谷戸城を攻略。



●▲■【第10話】天正10年(1582)10月徳川&北条和睦*****
箕輪初心:生方:真田丸70◆ 10話『上田城築城』
&曳間城(浜松城の前身)
http://53922401.at.webry.info/201603/article_15.html

箕輪初心:生方▲真田丸31【真田幸隆の知恵:徳川家康を利用して
造った上田城】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_3.html

◆◆ 箕輪初心●井の国後編:「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_4.html
★井伊直政は北条氏の大導寺政繁との交渉で徳川方の使者と
して政治的手腕を発揮。徳川&北条の和睦の立役者であった。
徳川家康が武田氏の旧領:信濃国・甲斐国を支配。
●井伊直政は武田氏の旧臣達約120人と家康の旗本の一部が配属された。
 →山県昌景の意志を尊重し、「井伊の赤備え」部隊の大将となった。
★関ヶ原の合戦後、井伊直政が真田信之に頼まれて、真田昌幸と
 真田信繁を命乞いを徳川家康にしたのに、井伊直政は真田丸に
 出てこない。後、真田幸繁の『真田丸』なんてなかったのに・・


●▲■【第11話】天正11年(1583)上田城完成祝いと室賀殺害***
箕輪初心:生方▲真田丸74【「加沢記」の室賀】
&TV 11話「祝言」のあらすじ
http://53922401.at.webry.info/201603/article_22.html

箕輪初心:生方▲真田丸84【室賀城=原畑城+笹洞(ささぼら)城】
&室賀氏・屋代氏の歴史&真田昌幸
http://53922401.at.webry.info/201604/article_11.html



●▲■【第12話】天正13年(1585)6月頃************
箕輪初心:生方▲真田丸77:第12話「真田幸繁の上杉への人質」
&平山・丸島諸説
http://53922401.at.webry.info/201603/article_29.html
6月頃 真田昌幸は上杉景勝に従属することを決めた。真田弁丸
 (信繁)の供奉衆に矢沢頼幸が同心として預けられ、一軍の指揮
  官に任じられた。・・・
7月15日は上杉景勝への9ヶ条の起請文
@上杉に忠節を尽くせ
A敵が攻めてきたら援軍をよこせ
B噂や密告を信じないで、密接な関係でいようね。
C信濃国の知行は海津城将:須田満親が行う。
D小県(上田)、吾妻(岩櫃)、利根(沼田)・坂木の庄を安堵した。
E佐久甲州のどこか、長野一跡(箕輪城)を与える。
F屋代秀正の一跡(荒砥城&屋代城)を与える。
G真田昌幸に禰津昌綱の処遇も一任した。
平山説・・・昌幸の配下にすること
◎天正11年に出浦昌相(一般論の出浦盛清は誤りか?)
が真田の家臣になったのと符号する。
真田昌幸に安堵した埴科郡に出浦の所領が入っているので
(★丸島説)・・・『真田丸』に合致している。


●▲■【第13話】天正13年(1585)閏8月2日、第一次上田合戦**
箕輪初心:生方▲真田丸80【第1次上田合戦】加沢記・平山説
&第13話「決戦」
http://53922401.at.webry.info/201604/article_6.html

箕輪初心:生方▲真田丸32【真田昌幸:空城の計&第一次上田合戦】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_4.html



●▲■【第14話】天正16年(1586)6月上杉景勝・真田幸繁上洛*

箕輪初心:生方▲真田丸86【昌幸の秀吉への臣従過程2説】
&第14話『上洛』
http://53922401.at.webry.info/201604/article_14.html

※倶利伽羅峠〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★木曾義仲:上野国多胡庄2ヶ月→信濃依田城で蜂起
http://53922401.at.webry.info/201310/article_3.html

箕輪初心★木曾義仲Cゆかりの地:埼玉→信濃→上野→信濃→北陸へ
http://53922401.at.webry.info/201406/article_17.html

箕輪初心★松尾芭蕉33『奧の細道22』【金沢・小松】&My金沢城登城
http://53922401.at.webry.info/201208/article_17.html


●▲■【15話】天正16年(1586)6月上杉景勝・真田幸繁上洛*
箕輪初心:生方▲真田丸87【 15話『謁見』のあらすじ】&平山優
http://53922401.at.webry.info/201604/article_22.html


●▲■【16話】天正14年(1586)1月〜6月
箕輪初心:生方▲真田丸90【真田幸繁の豊臣家臣へ】
の史実:丸島説・平山説&第16話『表裏』あらすじ
http://53922401.at.webry.info/201604/article_30.html

●▲■【17話】天正14年(1586)6月〜10月
箕輪初心:生方▲≪岡崎城≫&【加沢記】の『松』VS
【第17話「松との再会】&史実:丸島説&平山説
http://53922401.at.webry.info/201605/article_4.html


●▲■【18話】天正14年(1586)10月〜天正15年(1587)
箕輪初心:生方▲真田丸92【第18話「上洛」】
&「丸島説&平山説&加沢記」
http://53922401.at.webry.info/201605/article_11.html


●▲■【19話】天正15年(1587)〜天正16年(1588)
箕輪初心:生方▲真田丸93【第19話:恋路】@信繁&茶々
*A信幸&稲α九州平定
http://53922401.at.webry.info/201605/article_20.html

●▲■【20話】天正16年(1588)〜天正17年(1589)
箕輪初心:生方▲真田丸bX4【20話「前兆」】聚楽第の落首事件
http://53922401.at.webry.info/201605/article_33.html


●▲■【21話】天正17年(1589)
箕輪初心:生方▲真田丸bX5【21話「戦端」】真田VS北条
http://53922401.at.webry.info/201605/article_35.html

●▲■【22話】天正17年(1589)6月〜11月
箕輪初心:生方▲真田丸97【第22話『裁定』】&加沢記「名胡桃事件」
http://53922401.at.webry.info/201606/article_6.html

箕輪初心:生方▲真田丸18【名胡桃事件への過程→秀吉の小田原攻撃】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_21.html

箕輪初心●群馬【名胡桃城@】=北条氏滅亡のきっかけの城
http://53922401.at.webry.info/201202/article_21.html

箕輪初心●群馬【名胡桃城A】=北条氏滅亡のきっかけの城
http://53922401.at.webry.info/201202/article_22.html

箕輪初心:生方▲スキーbP3『神楽』
&真田丸86【名胡桃城のガイダンス施設】
http://53922401.at.webry.info/201604/article_17.html

箕輪初心:生方▲真田丸98『名胡桃城の復元』
http://53922401.at.webry.info/201606/article_7.html

箕輪初心●群馬旧高山村の城:中山城1回目&並木城
http://53922401.at.webry.info/201201/article_23.html

箕輪初心●岩櫃城探検隊第8弾【中山城2回目】
http://53922401.at.webry.info/201311/article_13.html
★名胡桃城代:鈴木主水が呼び出された城

★★箕輪初心●【横尾八幡城】
http://53922401.at.webry.info/201202/article_12.html
★真田昌幸が待機した城

箕輪初心:生方▲箕輪城173【後北条氏の西上州支配VS真田昌幸】
http://53922401.at.webry.info/201510/article_8.html



●▲■【23話】天正17年(1589)12月〜天正18年(1590)3月



箕輪初心▲神奈川【小田原城の歴史詳細】:大森氏→北条氏5代
http://53922401.at.webry.info/201411/article_26.html

箕輪初心●神奈川:小田原城=百名城
http://53922401.at.webry.info/201106/article_19.html

箕輪初心▲神奈川【小田原城3回目】写真集前編
http://53922401.at.webry.info/201411/article_24.html

箕輪初心▲神奈川【小田原城3回目】:写真集後編
http://53922401.at.webry.info/201411/article_25.html



箕輪初心:生方▲真田丸97?『笠原政晴と更級六兵衛』真田丸に
登場するのかなあ?』
http://53922401.at.webry.info/201606/article_3.html


★明日は、伊那の「大島城」かな?

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箕輪初心:生方▲真田丸99【23話:攻略】豊臣秀吉の小田原攻撃&史実との相違 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
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