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zoom RSS 箕輪初心:生方▲大草城&大河原城*宗良親王&香坂高宗

<<   作成日時 : 2016/06/12 20:47   >>

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香坂氏は滋野氏の庶流で佐久郡香坂郷発祥としている。南北朝時代に
大河原(大鹿村)に入った後醍醐天皇の第8子?:宗良(むねよし)
親王を30年余にわたって庇護し続けたのが大河原城主である香坂
高宗であった。大草城は南北朝時代、香坂氏の庶流によって築か
れた(伝)。大草氏を称して大草城主となったとみられている。
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箕輪初心:生方▲【信濃牧之島城】:香坂氏→馬場信春の武田流の丸馬出
&三日月堀
http://53922401.at.webry.info/201604/article_20.html


〜〜〜新田義貞の関係〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心●新田義貞@「誕生〜楠木攻め」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_40.html

箕輪初心●新田義貞A「新田〜鎌倉へ進軍」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_41.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201102/article_41.html

箕輪初心●新田義貞B「2度の鎌倉攻撃」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_42.html

箕輪初心■古都:鎌倉B新田義貞の鎌倉攻撃
http://53922401.at.webry.info/201202/article_2.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201202/article_2.html

箕輪初心●新田義貞C「足利尊氏との対立」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_43.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201102/article_43.html

箕輪初心●新田義貞D「若狭に逃亡〜福井で38歳没」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_44.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201102/article_44.html

◆◆ 箕輪初心★新田義貞の千早城攻撃 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201102/article_40.html 

箕輪初心▲静岡小川町『箱根竹ノ下の戦い』
(足利尊氏VS新田義貞)
http://53922401.at.webry.info/201412/article_3.html

箕輪初心★新田義貞の弟:脇屋義助&子孫の動向
http://53922401.at.webry.info/201303/article_22.html

箕輪初心▲本庄【金窪城】&新田義貞四天王:畑時能の最後
http://53922401.at.webry.info/201409/article_20.html

箕輪初心▲群馬太田「大田山義貞院金龍寺」:新田義貞供養塔
http://53922401.at.webry.info/201403/article_25.html

箕輪初心★新田義貞の弟:脇屋義助&子孫の動向
http://53922401.at.webry.info/201303/article_22.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201303/article_22.html

箕輪初心★新田岩松の歴史&男爵:新田俊純
http://53922401.at.webry.info/201311/article_9.html

箕輪初心●福井「金ヶ崎城」@新田義貞&A木下藤吉郎
http://53922401.at.webry.info/201104/article_21.html

箕輪初心●福井「杣山城」=新田義貞の最後の城
http://53922401.at.webry.info/201104/article_30.html

箕輪初心★足利8代目:足利尊氏=室町幕府を開幕
http://53922401.at.webry.info/201312/article_7.html


【1】大河原城(大鹿村)
行っていない。
・塩見岳登山
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・三伏山荘泊
・小渋温泉「赤石荘」
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  ほかに湯塩荘・山塩荘がある。
●無料画像〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
★大鹿村には塩見岳の行き帰りに寄ったが、大鹿歌舞伎しか
 知らなかった。群馬の三原田歌舞伎も有名である。
・パンフレット「宗良親王」
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・福徳寺・・・宗良親王に関係
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天然の塩が採れるので、宗良親王がいられた?
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・食ったぞ。
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【2】大草城(中川村)
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・三角点
・下の郭
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◆ 香坂氏の出自  ◆

・平安時代
小県の滋野氏→滋野三家:禰津宗直の5男:禰津貞行
  を祖とする。
  初代は佐久郡香坂(現佐久市香坂)に住み、
  香坂宗清を名乗った。

・承久3年(1221) 承久の乱
  滋野一党が鎌倉幕府・執権:北条義時についた。
  北条朝時に北陸からの京都侵攻の戦功により
  後鳥羽上皇方の北信濃の所領を与えられた。
 佐久の滋野系禰津流香坂(高坂)宗清は新補地頭の一人となり
 佐久から牧之島に移住した。

・文応元年(1260) 「牧之島の地を給わり、・・・」
(★興禅寺社伝)

・文応年間(1260〜1261) 香坂宗清が天宗寺を建立した。
 (★天宗寺社伝)

  善光寺平南部の上水内郡・更級郡に牧場を
  経営して土豪と成長した。
 信濃御牧の牧監:滋野一族:香坂宗清の代から山間の地で
  望月氏と同様に私牧の経営で力を蓄えたとされる。


・元弘3年(1333) 元弘の乱
  2代目:香坂宗敦・・・・
 鎌倉幕府が滅亡した。

・建武2年(1335) 7月 中先代の乱
 新田義貞に自害に追い込まれた執権:北条高時の遺児:北条時行
 が、御内人の諏訪頼重・滋野氏らに擁立され、鎌倉幕府再興の
  ため挙兵した。
 (★『梅松論』)
 小笠原貞宗は足利高氏に味方した。
 北条政権打倒の戦功で新たに信濃守護に任ぜられた。
 埴科郡船山郷(千曲市小船山)に守護所を置いていた。

▲青沼の合戦・・・八幡河原の青沼(千曲市杭瀬下)
  小笠原貞宗+市河氏 VS 川中島の四宮左衛門太郎や保科弥三郎
   保科、四宮勢は敗走した。
   福井河原や篠ノ井河原、四ノ宮河原と転戦した。
  
  北条時行を擁する諏訪氏、滋野氏(含禰津・望月・海野)らは
  信濃府中(松本市惣社)国衙を焼き討ちし、建武政権が任命し
  た国司:清原真人を自害させた。
   (★」『太平記』)


 ◆ 宗良親王・香坂高宗&大河原城・大草城の歴史 ◆
●南北朝時代
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・元弘3年(1333) 元弘の乱

 鎌倉幕府が滅亡。
 建武の新政が開始。

・延元元年建武3年(1336)頃
足利尊氏(北朝) VS 後醍醐天皇(南朝)


・建武3年(1336) 延元2年
 6代目:香坂心覚が南朝方として牧城(後牧之島城)
   で挙兵した兵を挙げた。
   牧城は攻撃を受けても落城しなかったと伝えられる
   (★『市河文書』・『高梨文書』・・・信濃史料)

・建武4年延元2年(1337)三方ヶ原の戦い
井伊氏はに属した
 南朝方:井伊一族 VS 北朝方:今川範国

 宗良親王27歳の時、
  宗良親王は、(後醍醐天皇の第8皇子(第5皇子?)
  延暦寺天台座主であったが後醍醐天皇の命により伊勢で還俗して、
  宗良親王を名乗った。

・暦応元年延元3年(1338)
北畠親房はリーダーとして、宗良親王・義良親王を奉じて
後醍醐の皇子達が伊勢に集結した。
 また有力な豪族を集め、日本各地に南朝の勢力拡大を目指して、
 計画した。
北条時行も、中先代の乱で敗れた後、伊勢に赴き南朝側で戦に
 加わった。
▲美濃青野原の戦い、奈良の戦い、天王寺の戦いなどである。
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井伊谷は井伊直政シリーズで詳細予定

1)宗良親王の井伊谷移動過程2説
 @北畠親房の陸奥国への移動説
 北畠親房は宗良親王・義良親王を伊勢国大湊(三重県伊勢市)
 より陸奥国府=陸奥国霊山=北畠親房の城(現福島県伊達市)
 へ行こうとした。伊勢湾を渡ろうとするが、座礁により遠江国
 (静岡県西部)に漂着し、宗良親王は井伊谷の豪族井伊道政の
 もとに身を寄せた。

 A後醍醐天皇の井伊谷の南朝方の拠点確率説
井伊氏の所領:井伊谷の周辺には南朝方(大覚寺統)の荘園
 ・御厨が集中していた。後醍醐天皇は、井伊氏をバックに
  南朝方の拠点を作ろうとして宗良親王を送り込んだ。

 B井伊道政が宗良親王を奉じた説
  は比叡山延暦寺座主である宗良親王の元に参じて南朝方として
  挙兵、遠江国の居城:井伊城に招いて保護した。
(★ウィキペディアの説)
  
2)宗良親王の庇護した井伊氏2説
  @井伊道政説・・・通説
  A井伊行直説・・・最近の有力説
    井伊道政後世の南朝史観による創作人物である。



3)宗良親王のいた城2説
@三嶽城
井伊氏は居城:三岳城を修築し、支城群を整備して、
 北朝方の今川氏の攻撃に備えた。

A井伊谷城
井伊道政は遠江介・井伊介とも称した。

4)宗良親王の子:尹良親王の説
@尹良親王が井伊城に生まれている(伝)。
A尹良親王の母は井伊道政も娘と言われている(伝)
A尹良親王は信濃の浪合で討死した(伝)。
●宗良神社
 御料には入れない。

・暦応2年延元4年(1339)
宗良親王を迎えた井伊氏は足利方の高師泰・仁木義長ら
の軍勢が井伊谷に押し寄せてきた。
支城群は次々と陥落し、ついに井伊谷城?三岳城?が攻撃
  にさらされた。

・延元3年建武5年(1338)閏7月2日、藤島の戦い
 新田義貞は越前国藤島の灯明寺畷で斯波高経の軍勢と交戦中
 に戦死した。
兄:新田義貞亡き後の軍勢をまとめて越前黒丸城を攻め落と
 したものの、足利軍に敗れて越前から退いた。

・暦応5年興国元年(1340)
正月、宗良親王は三岳城を逃れて大平城(浜北区)に入った。
     大平城も支えきれず信濃へと敗走したのであった。
  
  高師泰・仁木義長らに攻められて井伊谷城?三岳城が落城した。

 太平城が陥落した。

宗良親王は北陸の新田氏を頼って落ち延びようとした。
しかし、新田義貞が討ち死にし、脇屋義助も北陸から撤退した。


※遠江から越後までの道程は判っていない。???????????

中越後の魚沼地方(現十日町市)は新田氏(大井田・田中・新田
 など)、南浦原地方は五十嵐氏の南朝方の勢力範囲である。
信濃川流域の古志・三島地方も小国氏、村山氏などが南朝に属し
ていた。

・興国2年(1341)
 寺泊には五十嵐氏の館(現聚感園:松尾芭蕉の句碑がある。)
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春、宗良親王は寺泊の五十嵐氏館に留まった。
 宗良親王の出現によって越後の南朝軍は活気を取り戻すが、
「ふる里と聞きしこし路の空をたに猶うらとほく帰る雁かね」

 北朝軍の対応も早かった。
  上杉朝定、吉良時衡、高井(北信濃)の市河、中野氏は新田氏
 の拠点である妻有庄(津南町〜現十日町市)に殺到し、館を焼き
 払った。
  ▲信濃川渡し場の戦い
  南朝は敗れ、越後の拠点を失っていく。
 
・興国3年(1342)、宗良親王は中越から越中に移った。
越中には奈呉ノ浦、石黒庄など南朝方の荘園があった。
  奈呉浦貴船(木舟)城主:石黒越前守重之の館に入らせ給ふ
   (★遠江国風土記伝)
個人的には、新田氏系畠山氏(七尾城主)であると考える
   越中奈呉ノ浦(現新湊市「奈呉」)。
  放生津(現富山県射水市)に滞在した。

★写真は消滅・・・

箕輪初心★松尾芭蕉32『奧の細道21』【越中編】
http://53922401.at.webry.info/201208/article_16.html
  
 牧野村下牧野の雪見岡には親王の歌が残っている。
「いたつらに いきては帰る 雁はあれと 都の人のことつてもなし」
「今は又 とひくる人も なこのうらに しほたれてすむ蟹としらなん」
下牧野には八宮樸館塚が残っている。
 宗良親王の黒木御所の木材を埋めた場所と伝えられている。
 宗良親王は2年間滞在した?。
 宗良親王は四面楚歌状態・・・軍事行動は取れなかった。

・興国4年康永2年(1343)宗良親王は信濃に逃れた。
更科の牧島城主:香坂心覚(滋野一族)を頼ったかもしれない。
香坂心覚が挙兵したが、北朝方の小笠原氏や村上氏らの攻撃に
  あい敗北した。
  香坂氏の一部が伊那谷:大河原に移ってきた(伝)。

・興国5年康永3年(1344)
伊那郡の豪族:香坂高宗(滋野氏支流望月氏の一族)に招かれて、
 大河原(現長野県大鹿村)に入った。
★@大河原城主:香坂高宗は更科の牧島城主:香坂心覚の子である
 と言う説もある?
B高宗は香坂心覚の甥説もある。一緒に移ってきたのかもしれん?
 
 宗良親王は文中2年(1373)までの約30年間拠点とした。
 「信濃宮」と呼ばれた。

●大河原城(大鹿村)に入った。香坂高宗の居城である。
  @南朝方・・・
 諏訪の諏訪氏、
 佐久・小県の滋野一族(滋野氏、海野氏、弥津氏、望月氏)、
 伊那の香坂氏(滋野一族)、中沢氏、藤沢氏、
 松本の仁科氏、
 更科の香坂氏(滋野一族)、川中島栗田氏(善光寺系)など。
A北朝方・・・
 府中小笠原氏
 伊那小笠原氏系・・飯島氏、片桐氏、大島氏、名子氏、松岡氏、
  坂西氏などであった。

以後、宗良親王は大河原を拠点として南朝勢力拡大にするようになる。

・正平2年(1347) 楠正行(楠正成の子)が吉野(千早城・赤坂城)
 で挙兵した。
 宗良親王は、吉野への合流を目指して、御坂峠(恵那山)を経て
 木曽から美濃に行った。
 犬山、鳴海(尾張)を通って・・・・

箕輪初心★松尾芭蕉H【笈(おい)の小文】前編
http://53922401.at.webry.info/201207/article_23.html

 狩野介貞の安倍城(駿河)に入った。
  駿河の狩野貞長は伊豆の狩野氏一族である。
  狩野貞長は安倍城を本城としていた。
 南朝方の駿河武士のリーダーであった。
 狩野貞長は安倍城に興良親王(護良親王の子)が滞在していた。

 北朝方の今川氏と駿河各地で抗争を繰り広げた。
 6ヶ月の戦い・・・・

 しかし、狩野貞長の兵力は小さく不安なので、安倍城を出た。

 再び信濃に帰ることにした。
 富士の裾野を回り、現御殿場〜甲斐に入り、峠越え〜釜無川を
 遡って・・・・台ケ原、白州松原(北杜市白州)・・・・
松原諏訪神社(北杜市白州町)
案内板「白須松原は南北朝時代、征東将軍宗良親五遠州井伊谷
   より信濃の保科氏をたよっ山伏姿に変装しこの松原にしば
   し休まれた。 」
画像



 信濃:富士見から入笠山をこえて伊那谷へ、高遠(後保科氏?)
 溝口(後保科氏一族)、市瀬より大河原へ至るルートを取ったと
 される。


箕輪初心:生方▲保科氏館跡&霞台城&保科温泉→高遠城
http://53922401.at.webry.info/201604/article_26.html

 宗良親王は大河原に戻った。
 信濃国で様子をうかがっていた。


・正平7年観応3年(1352) 宗良親王を奉じて、新田義貞2男:義宗、
 脇屋義助の子:脇屋義治が挙兵した。
 鎌倉を一時占拠した。
 足利尊氏の反撃にあって鎌倉を追われた。

▲観応の擾乱
足利尊氏弟:足利直義 VS 足利家執事の高師直
  高師直側に足利尊氏と足利義詮が付いた。

 結局、足利直義は毒殺された。
 後醍醐天皇の後を継いだ後村上天皇は北朝倒幕を企てた。

後村上天皇は宗良親王を、征東将軍に任じ、南朝側の各豪族に
 参戦を呼びかけて挙兵した。
 ▲武蔵野原合戦
  
 ▲小手指原(所沢)の戦い
 一時は新田義宗、義興、脇屋義治らが鎌倉を制圧した。

箕輪初心▲埼玉所沢【小手指ヶ原古戦場の3つの合戦】
http://53922401.at.webry.info/201407/article_9.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201407/article_9.html
 
 ▲人見原、金井原の戦い
  南朝軍は負けて退却を余儀なくされた。 
  宗良親王はまた信濃大河原へ戻った。

 ▲山城(奈良)の戦い
  後村上天皇も賀名生(あのう:奈良五條市)に隠れた。

・正平8年(1353) 宗良親王は信濃に戻ったのもつかの間、
 新田義宗、脇屋義治の要請により越後に赴くことになった。
 10年後、再び越後へ戻った。
  越後長岡の蔵王堂城を中心に約3年の争奪戦が繰り広げられた。

 北朝軍である上杉氏の侵攻した。
  風間、村山氏の離反した。

▲嶽山城
 新田義宗が負けた。
▲新田義宗が沼田の白沢で討ち死にした。
 南朝軍は再起不能に陥った。

箕輪初心◆群馬:沼田会津街道=4コース〜鎌田〜尾瀬
★新田義宗の墓
http://53922401.at.webry.info/201311/article_23.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201311/article_23.html

・正平10年(1353) 宗良親王は失意のうちに信濃に戻った。
諏訪上社大祝と一族、矢島、武居、上原、金子、知久、仁科、
 香坂、栗田、三輪の結集した。

▲桔梗ヶ原(塩尻)の合戦。
 宗良親王は小笠原勢に決定的な敗北をした。
 宗良親王は北信を経て越後へ・・・。

・応安2年正平24年(1369)関東管領:上杉朝房の攻撃を受けた。

・応安7年文中3年(1374) 宗良親王は挽回できないまま36年ぶりに
 吉野へ戻った。64歳になっていた。
  しかし、吉野には顔見知りはいなかった。
  再び出家した。
 昔物語や歌会を催して過ごした。・・・・
 寂しさは消えず、南朝側歌人の和歌を集めた私的な和歌集
 の編集を開始していた。

 長慶天皇は勅撰集にするように命じた。
「新葉和歌集」を編纂したり、「李花集」をまとめたりした。
3年間過ごした。

・天授4年(1378) 信濃国大河原に帰る。
  
・弘和元年永徳元年(1381) 『新葉和歌集』完成した。
「新葉和歌集」を長慶天皇に奉覧した。

 以後は記録が残されていない。以後の消息は不明?
★宗良親王が大河原で亡くなたのかもしれないし、井伊谷で
  なくなったのかもしれない。

▲宗良親王墓・・・静岡県浜松市北区引佐町井伊谷


・南北朝時代が終わった。

この間、大草城が大河原城の支城として築かれたと考えられる。
諏訪・遠江を結ぶ街道を押さえである。また、足利軍(北朝方)に
対する前衛拠点として一族を配していたようである。

その後、香坂氏は徐々に四徳・大草(中川村)まで勢力を広げた。
香坂氏は大河原(大鹿村)から本拠を大草城へ移している。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・応永7年(1400) 大塔合戦
大文字一揆衆の中に9代:香坂宗継の名が見える。
「香坂系図」によれば、
「香坂宗継の母は、大草次郎大夫経純の女であり香坂宗職の母は
 大草弥太郎の女」である。

宗長親王戦記9:宗長親王の遺跡と著作 付記:評本と論文 (完) 
http://blog.goo.ne.jp/shochanshochan_7/e/5888b484e69c998d8553d673b6b35412
 より引用。

・応永7年(1400) 大塔合戦。(おおとうがっせん)
善光寺平南部:更級郡篠の井で争った。
信濃守護:小笠原長秀 
   VS
村上・井上・高梨・島津(長沼城)仁科などの国人衆
そして、滋野系の海野&根津など一族

滋野系の根津遠光を盟主とした「大文字一揆」のメンバー
大将は小県郡の大塔城:根津遠光であった。
一族の桜井・別府・小田中・実田・横尾・曲尾の諸氏が従った。
「実田」、「横尾」、「曲尾」の名前が登場。
根津=祢津(ねつ)は東御市の祢津。群馬では「ねづ」。
  大塔城=祢津下城&祢津上城の可能性が大きい。
桜井・別府・小田中は東御市旧東部町に地名が残っている。
実田(真田)・横尾・曲尾は上田市真田町の地名として残っている。
横尾・・・尾引城=横尾城&打越城=内小屋城付近
曲尾・・・根小屋城付近
●大文字一揆衆の中に・・・・第9代:香坂宗継がいる。

結果・・小笠原長秀が大敗。
信濃国は中小の有力国人領主が割拠する時代が続くことになった。
  (★大塔合戦記)
実田(=真田)氏の名の最初。
★大塔物語:文政元年(1818)の作成・信憑性は不明。

箕輪初心:生方▲真田丸40【真田根小屋城】:真田氏の支城
http://53922401.at.webry.info/201602/article_14.html


・永享12年(1440) 4月 結城合戦
 永享の乱で滅亡した鎌倉公方足利持氏の遺児を擁して結城氏朝が
 幕府に叛旗を翻した。
 信濃国守護小笠原政康は幕府の命を受けて出陣した。結城城攻囲戦
  に加わった。
 『結城御陣番帳』には信濃の諸豪族は1番〜30番に分けられて、
  それぞれ陣の警固にあたった。
 「結城御陣番帳」12番に『大草殿』がある。

・15C後半・・・・・
 「諏訪御符札之古書」には、大草香坂左衛門有宗などの名がある。

 「諏訪御符礼之古書」によると、
 大草氏と香坂氏が頭役を大草郷で交互に務めている。

香坂氏が大草氏と血縁関係を結び徐々に基盤を固め、
 大草氏と香坂氏は同族関係となった。

・永正4年(1507)「香坂宗縁は大草館に生まれた。
  母は大草弥太郎経純の女で、大草・香坂の両家を相続する。」
  (★「香坂系図」)
 ※香坂宗縁は大草庄三郎とも大草休斎とも称している。

  香坂氏・大草氏は一つの勢力にまとまった可能性がある。

・天文14年(1547) 武田晴信の伊那侵攻。
 大草城も武田晴信の支配下になった。


・天正3年(1575) 長篠の戦い
  松島氏は大草衆と共に奥山(浜松)に在番を命じられた。
 (★武田神社所蔵文書)

・天正10年(1582)
3月11日 武田氏滅亡。

6月2日 本能寺の変

7月 ▲天正壬午の乱
 南信は徳川氏・北条氏のせめぎ合いの場となっていた。
 下条兵庫介は一時没落していて徳川氏に助けられ、飯田城代に
 なった。南信の在地領主の懐柔を任されていた。
 徳川氏に従う旨の起請文に「中澤衆 大草休斎」の名がある。
 大草氏は徳川氏に従った。

・天正年間
「休斎の子宗澄、宗澄の孫宗久に至り、天正年間に家を
  失ひ、大草村の農長(郷士)となる。」
 「香坂系図」
 大草城は廃城となった。


宗長親王戦記9:宗長親王の遺跡と著作 付記:評本と論文 (完) 
http://blog.goo.ne.jp/shochanshochan_7/e/5888b484e69c998d8553d673b6b35412
★あまりにも凄いので参考とし、掲載した。




★明日は大島城かな?

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箕輪初心:生方▲大草城&大河原城*宗良親王&香坂高宗 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
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