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zoom RSS 箕輪初心:生方▲主に群馬・長野の【戦国〜江戸の用水新田開発】

<<   作成日時 : 2016/05/30 08:56   >>

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戦国武将の城では、@縄張りA歴史を中心にまとめているが、時
には経済的基盤である用水開発や水田開発にも目を向ける。戦国
時代には、長野業正、そして、江戸時代初期、井伊直政・新井喜左
衛門・秋元長朝・市川五郎兵衛・柳沢所左衛門&弥左衛門・大久保
長安・伊奈忠次・岡上景親・岡上景能が上野国の用水に関与してい
ることが分かってきた。
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・高崎城&高崎城下町
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・模型
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・新聞
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・戦国時代
●青山市城用水(中之条)藤原師重〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・室町時代
 藤原師重が開削した。


●白沢用水〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・享禄3年(1530)沼田泰輝は倉内城(沼田城)建設に当たって
 用水の必要から白沢川から用水を引いた。



●箕輪〜高崎の用水:長野氏(主に長野業正か?)
 箕輪城主:長野業正などが用水路を開発した。
 @箕輪城祭戸用水
 A早瀬川
 B長野堰
C十文字用水&本郷堰(黒沢川)
 ・弘治3年(1598) 長純寺の再建&長純寺堰の開削した

●保渡田城用水:内藤昌豊〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・永禄年間 
  箕輪城代:保渡田城主内藤昌豊は祭戸用水から保渡田城用水
  を開削した。井野川を渡る上樋を使用していた。





●広瀬桃木用水〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
*利根川の氾濫
@応永年間(1394~1437)
 まだ、広瀬川=利根川であった。
A天文8年(1540)
B天文12年(1544)
・・・現在の川の流域になった。
★私は前橋市田口町の発掘調査に1日参加。
*桃の木堰・・旧北橘村真壁から取水〜〜〜
*広瀬堰・・・旧関根町から取水〜〜〜〜〜
・慶長6年(1601) 酒井河内守忠重が管理した。


●待矢場大洞堰(東毛)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・元亀元年(1570)太田金山城主:由良成繁は荒山小左衛門に
  大洞堀を開削させた。


●下休泊堀(東毛)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・元亀元年(1570) 足利城主&館林城主:長尾顕長は大谷休泊
 に休泊堀を開削させた。


・天正10年(1582)
3月11日武田氏滅亡。
大久保長安が武田氏家臣:黒川金山の奉行
   →北条家家臣(垪和配下)
(★石原家文書)
6月2日 本能寺の変で信長が死去。
     →大久保長安は徳川家康の家臣になった。
 伊那衆の伊奈忠次も徳川家康の家臣になった。
初代:岡上景親も徳川家康の家臣になった。

7月29日 徳川&北条和議
    甲斐が徳川家康の領地となった。
    徳川家康は本多正信と伊奈忠次・大久保長安を甲斐の
    再建をさせた。

●釜無川や笛吹川の堤防復旧や新田開発:大久保長安〜〜〜〜〜
  大久保長安は釜無川や笛吹川の堤防復旧や新田開発、金山採掘
  などに尽力し、数年で甲斐国の内政を再建した(伝)。

・天正18年(1590) 小田原攻撃
 8月1日? 徳川家康は関東に移封になった。
関東代官頭として伊奈忠次・大久保長安・彦坂元正・長谷川長綱ら
  と共に家康の関東支配に貢献した。

・天正18年(1590) 豊臣秀吉の小田原攻撃
徳川家康の命で兵糧の輸送、伊豆国の農村復旧など
  にあたり功績を挙げた。
 徳川家康の関東移封
  旧領三河国小島の旧領と武蔵国小室・鴻巣領1万3千石
  (1万石?)を与えられた。
  関東郡代代官頭に任ぜられた。
中世以来城郭として使われてきた小室丸の内に陣屋
  を構えた。


●備前渠&利根川の水路変更:伊奈忠次〜〜〜〜〜〜
  関八州(関東地方+伊豆)の天領を治めた。
  @検地の実施・・・検地検税:伊本流。
  A新田開発・・・
   例、滝川用水の応援
   B特産物の奨励・・・桑・麻・楮の栽培
  例、結城特産の紬織(柳条紬)の奨励。
  B中山道の宿駅の整備
  C築堤・・・備前堤・川島大囲堤
  D利根川東遷工事。
    3代に渡り受け継がれ、60年かかって完成。
  江戸幕府財政の基礎を固めた。






・天正19年(1591) 大久保長安は徳川家康から武蔵国八王子
  に8000石(実際は9万石)の所領を与えられた。
  大久保長安は八王子宿(現・東京都八王子市)に陣屋を置き
  八王子五百人同心の創設した。
  旧武田家臣団を中心とした八王子五百人同心が誕生した。


●長野堰→新井堰:秋元長朝・新井喜左衛門
 +市川五郎兵衛真親+柳沢弥右衛門・所左衛門?〜〜〜〜〜 
・文禄元年(1592) 秋元長朝は井伊直政の推挙を受けて徳川家康
  の家臣となった。

 直政配下として上野国惣社に所領を与えられた。


・慶長3年(1598) 井伊直政が高崎城を造った。
武田勝頼家臣:山県昌景の配下であった孕石備前や早川
弥惣右衛門を中心に縄張りされた。

長野堰から新井堰を引いた。
新井喜左衛門が中心であった。秋元長朝や市川五郎兵衛や
柳沢弥右衛門も関わったと思われる。
住吉町→高崎現柳川町→二の丸堀→高崎城内→遠構え内
各地に配水した。


・慶長4年(1599) 八王子千人同心ができた。

●板鼻堰用水(安中市):井伊直孝?〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・天正18年(1590)〜箕輪城主〜高崎城主〜佐和山城主
井伊直政の領地であった。
・慶長9年(1604) 〜慶長14年(1614)
工事開始され、約150haの水田が開田された。

●天狗岩用水(前橋市):秋元長朝&新井喜左衛門
 +市川五郎兵衛+柳沢弥右衛門・柳沢所瀬右衛門〜〜〜〜〜〜
・慶長5年(1600) 関ヶ原の戦い
高崎城主:井伊直政は近江:佐和山城に移封となった。

・慶長6年(1601) 松平康長が白井城主になった。
         秋元長朝は上野国総社藩の総社城に入った。
総社にいた諏訪頼水は高崎城代になった。

・慶長7年(1602)
秋元長朝植野城(総社城)の築城を開始し、植野堰用水(天狗岩用水)
  の開削工事を開始した。

・慶長9年(1604)
 植野堰完成 。
   天狗岩用水の取水口は白井城主:本多広孝の長男:康重に
井伊直孝が取り次いでOKとなった。
  天狗岩用水:越中堀を開削した。井伊直勝
新井喜左衛門が中心であった。市川五郎兵衛や柳沢弥右衛門も
  関わったと思われる。
(★五郎兵衛記念館館長:根澤氏調べ)

・慶長10年(1604) 江原源左衛門は関東郡代:伊奈忠次に
   進言し、天狗岩用水の延長を願いでた。
 
・慶長11年(1606) 大久保長安は徳川家康から全国の金銀山の統轄や
 砥石生産、関東における交通網の整備、一里塚の建設などの一切を
 任されていたのである。


・慶長12年(1607)〜慶長15年(1610)
  江原源左衛門は天狗岩用水から滝川用水への延長を実現させた。
  滝川村から玉村にかけて35kmの滝川用水のおかげで、1800ha
  総石高は11200石になったといわれている。
 ★ 江原源左衛門は和田信業の同心であったが、帰農した。
高崎市史では内藤昌豊家臣とあったが、『武田氏家臣団一覧表』
にはないので、上野国で出身であろう。

・慶長13年(1608) 井伊直孝は上野刈宿5,00石を与えられた。

・慶長15年(1610) 井伊直孝が白井藩1万石藩主になった。

・慶長15年(1610) 関東郡代:伊奈忠次が天狗岩用水:代官堀を
  開削した。
  伊奈忠次が61歳で死去。
  遺領と代官職は嫡男:伊奈忠政が継いだ。

・慶長18年(1613) 4月 大久保長安は中風のために死去した。


●川場用水:真田信之〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・天正18年(1590)〜元和2年(1626)
沼田藩初代:真田信之は川場村の薄根川から用水を
 引いた。


●雄川堰(甘楽町):織田信雄&市川五郎兵衛真親〜〜〜〜〜〜〜〜
・元和元年(1615) 織田信雄は小幡2万石・宇田を領した。
 雄川堰を掘削した。
 ★市川五郎兵衛も開削に貢献した。
 (★根澤館長説明)
  元和9年(1624) 「楽山園」完成した。



●岡崎新田(東吾妻町旧東村):岡登甚左衛門景親〜〜〜〜〜〜〜〜
@初代:岡上甚右衛門景親
  北条氏家臣→八王子18代官。子安村に陣屋があった。
  多摩郡,幡馬・児玉・賀美3郡に支配地を有した
  治水・灌漑工事に手腕を見せた.
  (★『代官』村上直著)

・元和年間(1615〜1624) 岡登甚左衛門景親が岡崎陣屋を造った。  
  吾妻郡東吾妻町岡崎小字屋敷
徳川家康の旗本:本多広孝の家臣:岡上甚右衛門景親が
 井伊直勝の白井領5000石を支配するための陣屋として築いた。
  初代岡上景親は2年・・・・・
・元和3年(1567)〜
2代目岡上甚右衛門景親が38年・・・・
・寛政4年(1627) 完成した。    
3代目治郎兵衛景能が32年・・・・・・・
  代官として旧吾妻東を支配した。
  箱島・岡崎において善政を行い、不毛の地であった岡崎に用水を
 開削したことによって岡崎新田と呼ばれた。
五町田・箱島・岡崎の治安・行政等3代にわたり善政を行った
 と云われている。


・慶長20年(1615) 井伊家の家督を継ぐよう命じられた。
  父:井伊直政の遺領18万石の内、
1)井伊直孝は彦根藩15万石を継承した。
井伊直孝は武田氏の遺臣などが配属された。
上野国(群馬県)出身の家老・・・
@長野十左衛門、A長野無楽斎(長野業通の子)
B熊井戸姓→岡本半助(小幡家老→北条氏の上泉流家法)
  A宇津木治部右衛門(玉村稲富流砲術)
  B和田信業の子:和田主殿(和田城)
  C里見河内守の子:里見内蔵充(里見城)
  F萩原図書(安中):井伊直孝養育係など ・・・
  ※内藤昌月の次男:内藤信矩が井伊家家臣
保科正俊→@長男:保科正直→保科正直
→保科正光(妻は真田昌幸に娘)
→徳川家忠から養子:保科正之(会津藩主)
+長男:内藤直卓+西郷は会津藩家老
   次男:内藤昌月:保渡田城主(箕輪城主)7
→次男:内藤直矩→内藤茂登

 A井伊直勝は上野安中藩3万石が分知された。
    井伊谷以来の家臣:松下・小野などが家老になった。
  


●五郎兵衛用水&五郎兵衛新田(佐久)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・文禄2年(1593) 市川五郎兵衛真親に徳川家康から3度目の招聘
  があった。
  市川真久の子:市左衛門(五郎兵衛真親)23歳が出府した。
 「志すでに武に非ず、殖産興業にあり」と仕官を断った。
12月 市川五郎兵衛は徳川家康から鉱山開発・新田開発を
    してよいという「朱印状」を貰った。
 @鉱山開発OK
  A譜代の家臣・下人の支配権安堵
 B木材の伐採自由
(★大久保長安からの書状:市川家文書)
  市川は、「朱印状」を根拠に、砥沢村(現南牧村)
  で砥石山の経営を行った。
・寛永2年(1625)  
佐久で新田開発:三河田新田・市村新田を開発した。

・寛永3年(1626)
  佐久の浅科の用水路・新田を開発準備に取りかかった。。
柳沢弥右衛門家一族:柳弥左衛門家も一緒に開発に携わった。
(★五郎兵衛記念館)
12月 小諸藩から「開発許可状」をもらい、五郎兵衛新田
  の開発に取りかかった。
  蓼科山の山中の湧水を水源として岩下川に落とし、湯沢川との
  合流点、現在の望月町春日でせき止めて取水し、そこから山に
   沿い、トンネルを掘ったり、川の上を掛け樋(どい)で通す
  などして、約20kmの用水路を開削して矢嶋原まで引いた。
・寛永8年(1631)頃?五郎兵衛用水が完成した。
  用水を基に五郎兵衛新田を開発した。


●三ツ寺の堤〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・慶安2年(1649) 安藤対馬守重信が三ツ寺に用水路建設に協力。
   高崎藩第5代藩主・安藤重信の計らいにより、領内の農民
  多数動員し、乗附山(観音山山系)から粘土を馬で運んで堤を
  築き、唐沢川と中島川から取水して水を貯めた(伝)。
   (★三ツ寺堤由来碑より)
旧群馬町三ツ寺〜堤ヶ岡に水田に水が流れた。


●笠懸野御用水〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・寛永3年(1626)? 武蔵児玉郡高柳村(現埼玉県本庄市)の農家
  白井家に生まれた。

・寛永3年(1626)?江戸の旗本:大井家に住まれるが、断絶後、
大井家を離れた。
 (★「群馬県を築いた人々」説)

・寛永6年(1629) 4歳、岡上景親の養子となった。
大久保長安を頭とした18代官の1家:岡上家として
   八王子に住んだ。

・寛永15年(1638)12月24日(1638) 幕府代官岡上景親の手代
  市川五兵衛、佐久郡上海瀬村の新海与右衛門より、同村の本年
  六尺給代を請取る。尋いで、同村の本年年貢を請取る。
(★信濃史料)


●岡崎新田(東吾妻町):岡上景能
・承応3年(1654) 28歳 岡上景能は幕府代官に任用され、養父:
  岡上景親に従い、代官の職務を代行した。
  吾妻郡東村(現東吾妻町)岡崎
  の新田開発のため、榛名湖を水源とする沼尾川より引水し多く
  のに水田を拓いた。

  越後(新潟県)魚沼郡の用水路整備や開墾に尽力した。

・寛文元年(1661) 39歳 養父:岡上景親の跡をついで幕府代官と
  となった。
  
・寛文3年(1663) 41歳 足尾銅山奉行。
  足尾銅山奉行として産出銅を運搬する銅山街道を整備し、中心の宿
  として大原宿(現太田市大原町)を設置した。
鹿野に陣屋を置いた。
  しかし、水に不便な場所であった。

・寛文4年(1664) 42歳 笠懸野用水に着手。
渡良瀬川から笠懸野御水を開削して宿用水とし、笠懸野の
  開発を行った。

 渡良瀬川の大間々から水を引こうとした
 @渡良瀬川からの取水口は、みどり市「高津戸峡〜要害山」に反対。
A大原宿(現太田市大原町)の街道沿ぞいを通っていた。
B利根川の平塚河岸へと胴を運ぶ道を整備した。

 岡上景能が、7ヶ村の開墾に際して勧請した。


・寛文7年(1667) 45歳 笠懸野干拓工事が終了。
・寛文12年(1672) 50歳 笠懸野御用水が完成した。
大原宿に沿った宿用水である。
※現岡登用水ではない。


●越後高田の新田開発:岡上景能〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・延宝9年(1681) 岡上景能は松平光長改易後、天領となった越後国
  高田城付地を預かった。
高田に岡崎新田の地名が残っている。

・貞享4年(1687) 61歳
用水路建設の費用に年貢米を流用してしまったなどの理由に
   より江戸に召喚された。

  7月 遠島という有罪判決が下った。
   @負金(善意での年貢米の流用・・・2年ごとの監査に穴埋めが
できなかった。)
A水利権のある館林の柳沢吉保領で水をめぐるトラブル。
B
  12月3日 死罪のうち、磔獄門→晒し首の罪一等を減じ、
   切腹となった。  
 ★笠懸から道中の駕籠の中で切腹し死去した説は間違い。
八王子から・・・・介錯人に首を切っていただいた。
 (つまり、武家として死んだ。)
将軍:綱吉&柳沢吉保時代には51人の代官が罪を負った。
 (★『代官の日常生活』:西沢淳男著)
・数年後 笠懸野御用水廃絶か?
・安政3年(★1857) 岡上用水復旧工事。
・明治5年(1872) 栃木県令より岡登用水掘削の許可が出た。
・明治6年(1873) 岡登用水掘削が開始された。



●伊奈原新田用水〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・明暦元年(1655) 伊那の高遠の原新田村が水不足に悩み、
  三峰川から取水して開田しようとした。
  農民達は高遠藩の許可を得た。
  農民達は佐久の五郎兵衛新田の開発に実績のあった佐久の
  柳沢一族:柳沢弥左衛門を招いた。
  柳沢弥左衛門は妻子とともに原新田へ移住し、農民達と
  ともに水路開削に取り組んだ。
  三峰川から富県・みがた→東春近まで多くの水田を潤す
  用水路である。

・万治元年(1658) 用水路が完成した。
   しかし、難所:鞠ヶ鼻(まりがはな:高遠町河南、
   叶蜿の酒造工場近くの段丘中腹)が洪水で崩壊した。


●箱根用水(深良用水) 現裾野市〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・寛文3年(1663) 2月 江戸浅草の商人:友野与右衛門は同志2人
 とともに箱根権現別当快長に立願状を提出した。
・寛文6年(1666) 深良村の名主:大庭源之丞が幕府の沼津代官に
芦ノ湖の水を引き、灌漑し、新田開発すべく請願し、陳情を行っ
た。小田原藩にも許可を得た。
7月(8月説)友野与右衛門は大庭源之丞に資金提供して大工事
 に着手した。焼堀の工法:硬い岩に油をかけ、火をつけて岩を熱
 し、水をかけて砕きやすくして掘り進めた。トンネルは、両側から
 掘り進められた。すれ違いを防ぐためには1〜2mごとに提灯を
 つるし、その提灯が直線上にあることを確かめながら掘り進めた
 という説がある。
  多くの困難にもめげず、ついにトンネルを貫通した。
・寛文10年(1670)4月(2月説)用水路を完成した。
  後に用水経営を巡るトラブルから幕府によって江戸への帰還を
  命じられた。


●間歩堰用水(中之条):沼田藩4代真田信政〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
4代真田信政は水田開発に力を注いだ。
 @利根4用水
 A月夜野7用水
B吾妻の用水
・寛永16年(1639)〜明暦3年(1657)
間歩堰用水に取りかかった。


●四ヶ村用水(みなかみ町):沼田藩4代真田信政
・承応2年(1653) 〜 真田信政は三峰山〜
上牧・下牧・後閑・師の4ヶ村ねの用水を造った。

●古真牧用水
・承応2年(1653) 〜 真田信政は 四ヶ村用水の補完としての
用水を開削させた。


●右京の泣き堀:松平輝貞〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
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※となると、松平輝貞の「右京の泣き堀」が誰に頼んだのか?
 群馬県史・新編高崎市史が間違いなのか?私の勘違いか?
 岡上景親は2代同じ名前であったので、岡上景能も
 親子2代で同じ名前なのか?疑問が出てきた。
・宝永4年(1707)10月30日
松平右京輝貞は榛名湖からの引水計画を開始した。
(榛名湖の自然観察センター→沼の原→するす岩直下のトンネル水路
約400m→箕郷松の沢→東明屋・・・高崎藩領@上芝村・A下芝村
(高崎市箕郷町)・B井出村・C保渡田村(旧群馬町)、
→D楽間村・E行力村・F北新波村・G浜川村・H南新波村・I上
小鳥村・J上小塙村(高崎市)の11ヶ村の水不足を解決しようと
する計画であった。
するす岩隊道=するす岩直下のトンネル水路約400m・高さ1m
・横3m・深さ4m50mと記録されている。

松平右京輝貞は榛名山社=榛名神社に申し込んだ。
「吾妻郡東村岡崎新田のように榛名湖の水を利用したい。」という
ものである。
※調べ・・・・
【中川吉左衛門】であった。
・宝永5年(1708)
 @中川吉左衛門は群馬郡(高崎市箕郷町)上芝ほか10ヶ村は
  榛名山宗徒、年寄りに「湖水口からの用地借用」を申し入れた。
A榛名神社は江戸町奉行・・・天領の吾妻郡東村岡崎新田の代官
  :中川吉左衛門に願い書を提出した。が、代官は断った。
★以前書いた「岡上景能は間違いであった。」

岡崎新田は飲水に使っていて余水はない。
榛名湖の水を分水されては人馬に差し支える
・田畑が枯れてしまう等々・・・である。

11ヶ村は幕府に訴訟が出した。

11月 幕府評定所より裁決書(★群馬県史)
@拾壱ヶ村へ余水を引く分には岡崎新田の障りとはならない
A新たに堤を築く。岡崎新田村の取水口は一ッ岩頭より九丈壱尺二寸
 五分とし、・・・・岡崎側の取水が困らないようにする
B普請はすべて11ヶ村側、岡崎新田側の立ち会いだけとする。
C負担は自分たちが負担する。
以上のような裁決が下された。
(★新編高崎市史)
D岡崎新田より1尺7寸高いこと。。。
(★歴史的農業用水:群馬県農政部農村整備課著)
・宝永5年(1708) 工事開始?


●押野用水(片品):真田伊賀守信利&須川の農民〜〜〜〜
・寛文13年(1663)
5代:真田伊賀守信利は旧片品村に用水計画を許可した。
・寛文14年(1664) 3村53人が協力してやり遂げた。
真田枡使用(でかい枡)・重税・・・
・???? 須川の村役人が伊賀守の役人を斬り殺した。
※碑がある。


●甲州:新倉用水:村民〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・元禄年間(1673〜1690) 
 秋元長朝の孫:秋元喬朝が河口湖の水を都留郡
新倉村への水不足の新倉村の用水として、また河口湖の水害防止
のため工事した。河口湖の水を新倉村に流す用水トンネルである。
 12年かかって、トンネルを掘らせ通水したが、崩落と湖水の
  減水.により安定的供給ができなかった。
 秋元喬朝は国替えとなった。

・文久3年(1863) 再工事が始まった。
  河口湖の水を都留郡新倉村へ回そうと、うそぶき山(天上山)の
 岩山を掘りぬくトンネル工事を開始した。
 長島あんりゅうと元朝の親子は、村人と工事を始めた。20年も
 かかって20qものトンネルを、堀り抜いた。
 青目石といわれる堅い岩盤を堀り抜くため木を燃やし、
 脆くなった岩を砕く持殊工法 『焼堀(しょうくつ)』を用いた。 
・元治2年(1865) 長島氏など戸数250軒余の新倉村が単村で
 自普請で完成させた。掘抜延長約3700m。近世の用水トン
 ネルとしては屈指の長さを持っている。工費約7300両。
 延人足約10万人の大工事であった。
・元治3年(1866) 約11Haの開田に成功した。
 新倉村の基幹水路として大きな役割を果たした。
 トンネルをことは類を見ない壮挙である。
・昭和41年(1966) 富士吉田市史跡に指定された。              
(★富士吉田市教育委員会) 


●人見堰(安中市松井田人見)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・戦国時代 人見城があった。
・弘治年間(1577~) 武田晴信 VS 長野業正
・明暦4年(1658) 安中磯部地区の人々が灌漑を陳情した。
・寛文6年(1666) 仙石因幡守久秀は人見領主:吉良若狭守
(吉良上野介:吉井白石に領地があった。)
吉良は妨害した。
・寛文8年(1668) 仙石因幡守久秀は磯部4000石を幕府
に返還し、幕府の力で用水を開いた。
・平成初期 私は柳瀬川の歴史について調べた。
・現在 柳瀬川・・・


●増田用水:(安中市松井田増田):小畠武堯〜〜〜〜〜
・宝永3年(1706) 伊勢崎藩:酒井家奉行:小畠武堯(たけかた)
 が安中藩領の上増田・下増田等に用水路を引いた。全長約15
 kmの用水を完成させた。
 (★『歴史的用水路』:群馬県農政部農村整備課)


●八坂用水:(前橋市・伊勢崎市):小畠武堯〜〜〜〜〜〜〜
・宝永3年(1706)小畠武堯は前橋藩領の笂井村(うつぼい)地内の
 桃木川で取水し、笂井、増田、二之宮各村の水田を灌漑しながら、
 伊勢崎藩領の八坂村、波志江村、今泉村、茂呂村など約 300ha
 を潤した。



●漆原用水(吉岡町・前橋市):2代〜4代:安井与左衛門
・天明3年(1781) 浅間山噴火。
・天保2年(1831) 川越藩:安井与左衛門が開削した。
・天保3年(1832) 完成した。


●奥沢用水(桐生市)小野里喜左衛門4代
・天保14年(1843) 小野里喜左衛門は奥沢用水の開削を
始めた。
・安政6年(1854) 中沼を築いた。



〜〜〜高崎市の用水路シリーズ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心◆「群馬:高崎の稲作と用水路@」
http://53922401.at.webry.info/201103/article_34.html

箕輪初心◆群馬:高崎市の稲作と用水路A「長野氏の開発@」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201104/article_5.html

箕輪初心◆群馬:高崎の用水路B「長野氏の用水路編A」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_6.html

箕輪初心◆群馬:高崎の稲作と用水路C「江戸時代」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_7.html

箕輪初心◆高崎の稲作と用水路D「明治〜平成」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201104/article_8.html

箕輪初心◆高崎の長野堰=西新波堰の歴史
http://53922401.at.webry.info/201310/article_12.html

箕輪初心◆長野堰B「染色のまち高崎に流れる長野堰
:高崎広報」
http://53922401.at.webry.info/201410/article_13.html

箕輪初心:生方★高崎城【井伊直政&高崎城&彦根城の
縄張り担当:早川幸豊】
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201504/article_9.html
★玉村に残った早川与六は和田信業の娘を貰った。
 和田内匠は彦根藩の家老になった。
市川五郎兵衛真親と柳沢所左衛門も秋元長朝と関わりが深い。

箕輪初心:生方★高崎城&長野堰【井伊直政&秋元長朝&新井喜左衛門】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_10.html

箕輪初心:生方▲【長野堰を語り継ぐ会の絵図展】&【高崎城の桜】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_5.html

箕輪初心:生方「箕輪城159&【中嶋宏氏主催の長野堰を語りつぐ会
の絵図展】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_4.html

箕輪初心★江原源左衛門&滝川用水20131010
http://53922401.at.webry.info/201310/article_11.html

箕輪初心★高崎藩8代・10代松平輝貞&「右京の泣き堀」
http://53922401.at.webry.info/201310/article_14.html

箕輪初心:生方▲松平輝貞の『榛名するす岩下:右京の泣き堀』
3回目・榛名湖畔
http://53922401.at.webry.info/201604/article_25.html

箕輪初心:生方▲20151110【総社秋元公歴史まつり】:秋元長朝の功績
&光厳寺&元景寺
★市川五郎兵衛が手伝っている

〜〜〜小幡雄川堰〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心◆群馬『織田信雄の小幡城下の桜が満開』
http://53922401.at.webry.info/201304/article_9.html
★市川五郎兵衛がお手伝いをしている。
 
◆◆ 箕輪初心●群馬:小幡2011「小幡城」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201104/article_15.html

◆◆ 箕輪初心●群馬:小幡2012「武者行列」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201204/article_9.html

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箕輪初心:生方▲『笠懸野御水&岡登用水』@前編『俗説』西沢准教授
http://53922401.at.webry.info/201605/article_27.html

箕輪初心:生方▲『笠懸野御水&岡登用水』A岩宿&薮塚の発見
&「岡上」の本8冊
http://53922401.at.webry.info/201605/article_29.html

箕輪初心:生方★『笠懸野御用水&岡登用水』B史実編
「高崎経済大学准教授:西沢淳男先生の指摘
http://53922401.at.webry.info/201605/article_32.html


箕輪初心生方▲佐久『五郎兵衛用水』:市川五郎兵衛真親と柳沢所左衛門
http://53922401.at.webry.info/201605/article_15.html
★市川

箕輪初心:生方▲武田信玄家臣:柳沢弥右衛門→所左衛門→弥左衛門
&『伊那原新田用水』
http://53922401.at.webry.info/201605/article_16.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201605/article_16.html

箕輪初心▲埼玉伊奈【伊奈氏陣屋】&伊奈忠次
http://53922401.at.webry.info/201408/article_8.html

箕輪初心:生方▲埼玉『渋沢栄一:記念館&中の家』
http://53922401.at.webry.info/201509/article_3.html
★備前渠に関係している。






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