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zoom RSS 箕輪初心生方▲佐久『五郎兵衛用水』:市川五郎兵衛真親と柳沢所左衛門

<<   作成日時 : 2016/05/15 13:36   >>

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天正10年(1582)武田氏の滅亡後、市川氏は帰農して庄屋となった。
市川五郎兵衛真親・柳沢弥右衛門家・浅科名主:柳沢所左衛門家は
いきなり『五郎兵衛新田』の開削をしたとは考えられない。「五郎
兵衛記念館」の根澤館長は秋元長朝と関係が深いとおっしゃって
おられた。また、円形分水があることから、おそらく、
@秋元長朝&新井喜左衛門が造った「長野堰の新井堰&円筒分水」、
A秋元長朝&新井喜左衛門が造った「天狗岩用水」
B江原源左衛門が造った「滝川用水」
C織田信雄が造らせた「雄川堰」
D市川五郎兵衛真親・柳沢弥右衛門家・柳沢所左衛門家の
 「五郎兵衛用水」
E柳沢弥左衛門の伊那高遠の「原新田用水」と繋がる。
根澤館長様、3時間の講義、大変ありがとうございました。
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箕輪初心●【南牧村の城20城一覧】&▲黒滝山登山
http://53922401.at.webry.info/201204/article_21.html
余地峠の里:郷土研究会(会長:須賀健治)+郷土博物館
城砦11+烽火台9=20城である。

箕輪初心生方▲武田晴信の南牧侵攻&武田家臣編:市川五郎兵衛@
http://53922401.at.webry.info/201605/article_14.html


【1】五郎兵衛記念館
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【2】真親神社:五郎兵衛記念館隣
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【2】寺
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【3】五郎兵衛の墓

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【4】根澤館長の講義&本
1)ジオラマ
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*下がごつごつ、カーブで沈殿を防ぐのだそうである。
・懸樋(かけい)
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・埋樋(うずみとい)
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理由は天皇の牧であったため、水は別の場所
からしか引けなかった。
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・円形分水
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【5】本
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「五郎兵衛&用水:伊藤一明著」
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【6】五郎兵衛用水の歴史
・柳沢家の寄贈の武器
・天正10年(1582) 
3月11日 武田勝頼死亡。武田氏滅亡。
  市川家は主人を失った。

3月24日 滝川一益は信濃佐久・上野国を領した。
市川家は信濃佐久の領地を失い、南牧村羽沢付近のみと
なった。

8月 岩尾城の戦い
 真田昌幸の陣は五郎兵衛記念館の前の丘でであった。
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・天正18年(1590)
 7月5日 北条氏政・氏直は小田原城開城
8月  徳川家康は関東に入封。
  徳川家康の命で家臣:本多佐渡守から仕官の誘いがあった。
  しかし、市川家は誘いを断った。

・天正19年(1591)
徳川家康の命で家臣:本多佐渡守から仕官の誘いがあった。
  しかし、市川真久は誘いを断った。

砥沢の関守の役を言いつかった。
5代目城主:市川五郎兵衛真親が関守として世襲した。
  市川五郎兵衛は市川氏本家の砥沢城主、市川右近介の弟:
  右馬介真治で、右近介が若死にしたために、
  その子:久乗5歳で幼少のために後見人を務めていて、
  羽沢城主であった。

徳川家康は弓10張り・長槍10本を市川真久に与えた。

・文禄2年(1593)
徳川家康から3度目の招聘があった。
  市川真久の子:市左衛門(五郎兵衛真親)23歳が出府した。
「志すでに武に非ず、殖産興業にあり」
と仕官を断った。

12月 市川五郎兵衛は徳川家康から鉱山開発・新田開発を
    してよいという「朱印状」を貰った。
 @鉱山開発OK
 A譜代の家臣・下人の支配権安堵
 B木材の伐採自由
(★大久保長安からの書状:市川家文書)
  市川は、「朱印状」を根拠に、砥沢村(現南牧村)
  で砥石山の経営を行った。
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■●▲市川五郎兵衛&秋元長朝〜〜〜〜〜〜〜〜
※五郎兵衛記念館の根澤館長の話
「市川五郎兵衛真親&秋本長朝の関係は深い。」

・天正18年(1590) 豊臣秀吉の小田原攻撃
深谷上杉氏憲は小田原城に籠城した。
深谷城は重臣:秋元長朝が留守を守っていた。
開城した秋元長朝は浅野長政の配下としてと忍城攻めに加わった。
その後、秋元長朝はしばらくは隠棲していた。 〜〜〜〜
秋元長朝は井伊直政の推挙を受けて徳川家康の家臣となった。
松平元康の家臣となった。

・その後、父:秋元長朝は井伊直政の配下として上野国碓氷郡
 (安中市中野谷)に500石を与えられた。

・文禄元年(1592) 秋元泰朝は井伊直政の斡旋で徳川家康に拝謁し、
 徳川家康の近習となった。
 父:秋元長朝は井伊直政の推挙で上野国総社4千石を領した。
 興廃していた蒼海城(現総社神社)に入った。 

・慶長3年(1598)長野堰からの新井堰&円筒分水

 徳川四天王の「井伊直政」が本城を箕輪城→高崎城に移した。
 この時、高崎城の縄張りは早川幸豊であっただろう。
 長野堰からの新井堰の取水口&新井堰は秋元長朝、新井
 喜左衛門などに命じて作らせたのでないかと思われる。
この時、市川五郎兵衛真親&柳沢弥右衛門は秋本長朝・新井
 喜左衛門の元で新井堰掘削の手伝いをした可能性がある。

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箕輪初心◆高崎の長野堰=西新波堰の歴史
http://53922401.at.webry.info/201310/article_12.html

箕輪初心◆長野堰B「染色のまち高崎に流れる長野堰
:高崎広報」
http://53922401.at.webry.info/201410/article_13.html

箕輪初心:生方「箕輪城159&【中嶋宏氏主催の長野堰を語り
つぐ会の絵図展】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_4.html

箕輪初心:生方▲【長野堰を語り継ぐ会の絵図展】&【高崎城の桜】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_5.html

箕輪初心:生方★高崎城【井伊直政&早川幸豊】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_9.html

箕輪初心:生方★高崎城&長野堰【井伊直政&秋元長朝&新井喜左衛門】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_10.html

・慶長6年(1601)  井伊直政の近江の佐和山城18万石で
  移封。
  諏訪頼水が高崎城代となった。(★新編高崎市史)
  諏訪頼水が諏訪高島城へ移封。
 →秋元長朝が惣社(前橋市総社町総社神社本丸)入封。     
※秋元長朝は6千石が加増され1万石の所領の大名となった。
  秋元長朝は天狗岩用水も企画した。
箕輪初心:生方★高崎城&長野堰【井伊直政&秋元長朝&新井喜左衛門】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_10.html
★秋元長朝はおそらく高崎城の内堀・用水路・遠構え
 建築に貢献したのだ。
この時、市川五郎兵衛真親&柳沢弥右衛門は秋本長朝・新井
 喜左衛門の元で天狗岩用水掘削の手伝いをした可能性がある。

箕輪初心:生方▲20151110【総社秋元公歴史まつり】:秋元長朝の功績
&光厳寺&元景寺
http://53922401.at.webry.info/201511/article_10.html

箕輪初心:生方▲【上野総社藩2代目:秋元泰朝の生涯】
http://53922401.at.webry.info/201511/article_11.html

箕輪初心★江原源左衛門&滝川用水
http://53922401.at.webry.info/201310/article_11.html
★秋元長朝は江原源左衛門の滝川用水築造に大きな
 貢献をしたのだ。

・元和元年(1615)大坂夏の陣
△淀君伝説
・『元和元年(1615)大阪夏の陣、(大坂城落城の折、徳川方の秋元家
 の陣中に豪奢な着物を身にまとった女御が城を逃れ飛び込んでき
 て、「助けてたもれ。」と命乞いをした。秋元長朝は女御を豊臣秀
 頼の母、大阪城の主:淀君であると察して匿った。そして、戦い
 が終わった後、所領である総社へ駕籠に乗せて連れて帰った。
 木曽路を通り、信濃路の高原で休憩、1本の紅梅を採り、総社
 に持ってきた。参道に植え、地名を植野原と呼んだ。・・・
 秋元長朝は「淀君」とは呼べず、『お艶様』と呼んだ。(伝)
 (★元景寺パンフレットの改訂版・創作物語)
秋元長朝は『お艶様』に言い寄ったが、「いやよ、ダメダメ。」
 と拒絶された。怒った秋元長朝は箱詰めにして利根川に沈め
 た。・・・これでは、酷いので。
 『お艶様』は元景寺でひっそりと余生を送った。そして、静かに
 息を引き取った。
・元景寺裏の墓地に淀君=『お艶様』の墓に葬られたと伝わる。

●元和元年(1615) 織田信雄は小幡2万石・宇田を領した。
 雄川堰を掘削した。
 ★市川五郎兵衛も開削に貢献した。
 (★根澤館長説明)

●元和9年(1624) 「楽山園」完成した。
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箕輪初心◆群馬『織田信雄の小幡城下の桜が満開』
http://53922401.at.webry.info/201304/article_9.html

◆◆ 箕輪初心●群馬:小幡2011「小幡城」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201104/article_15.html

◆◆ 箕輪初心●群馬:小幡2012「武者行列」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201204/article_9.html
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●寛永2年(1625)  
南牧村はほとんどが急傾斜地で稲作はできなかった。
広い平地の佐久に目を付けた。
 また、佐久で新田開発を行った。
  三河田新田・市村新田を開発した。

●寛永3年(1626)
  佐久の浅科の用水路・新田を開発準備に取りかかった。。
柳沢弥右衛門家一族:柳弥左衛門家も一緒に開発に携わった。
(★五郎兵衛記念館)
長野県南佐久郡佐久穂町千代里柳沢に住んでいたと思われる。

●12月 小諸藩から「開発許可状」をもらい、五郎兵衛新田
  の開発に取りかかった。
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  蓼科山の山中の湧水を水源として岩下川に落とし、湯沢川との
  合流点、現在の望月町春日でせき止めて取水し、そこから山に
   沿い、トンネルを掘ったり、川の上を掛け樋(どい)で通す
  などして、約20kmの用水路を開削して矢嶋原まで引いた。
   
●寛永8年(1631)頃? 用水路が完成した。
そして、五郎兵衛用水を基に五郎兵衛新田を開発した。

●寛永19年(1642) 五郎兵衛は功績が認められて小諸藩から、
150石の土地を褒美領として与えられた。

  五郎兵衛さらに御牧原を開発しようとしていた(伝)。
  しかし、それは実現しなかった。

▲明暦元年(1655) 伊那の原新田用水
  伊那の高遠の原新田村が水不足に悩み、
  三峰川から取水して開田しようとした。
  農民達は高遠藩の許可を得た。
  農民達は佐久の五郎兵衛新田の開発に実績のあった佐久の
  柳沢一族:柳沢弥左衛門を招いた。
  柳沢弥左衛門は妻子とともに原新田へ移住し、農民達と
  ともに水路開削に取り組んだ。
  三峰川から富県・みがた→東春近まで多くの水田を潤す
  用水路である。

▲万治元年(1658) 原新田用水路が完成した。
   しかし、難所:鞠ヶ鼻(まりがはな:高遠町河南、
   叶蜿の酒造工場近くの段丘中腹)が洪水で崩壊した。
★高遠に泊まった時、黒松仙醸を飲んだ。旨かった。
  その後も失敗続き、村は多額の借金を背負ってしまった。
   資金も底をつき計画は失敗に終わった。
  弥左衛門は失意のうちに集落を去った。
▲その後、桜井村(現伊那市富県桜井)の用水を分け
 てもらい、開田し田畑併せて170石余とした。
 そして、集落の名を「原新田村」とした。

▲明和6年(1769) 柳沢弥左衛門の孫:柳沢弥五右衛門が再び
  原新田村に依頼され高遠藩に用水路建設の許可と費用の借財
  を申し入れた。110年後のことであった。
 しかし、柳沢弥五右衛門の願いは許可されず、柳沢弥五右衛門
  は原新田を去った。
 ※伊那市東春近原新田に「原新田集落発祥の地」の名残りの
  石の祠「雨宮・風宮」がある。
170年の苦難の歴史「伝兵衛井筋(春富1号幹線水路)」

寛文5年(1665) 9月9日 市川五郎兵衛真親は死去した。
   94歳という長寿をまっとうした。
   遺言で村内の高台に葬られた。
   南牧村羽沢の生家屋敷近くの星尾川沿いにも墓が
   建てられた。
  五郎兵衛用水を維持するのも、大変な作業であった。
  大水や落盤でしばしば壊れたからである。
  村人は、補修工事にも多大な費用と労力を費やした。

※とれた五郎兵衛米は南牧村に明治まで送られた。

・寛文6年(1666) 箱根用水の工事を開始された。
江戸の町人4名:浅井佐次右衛門、友野与右衛門、須崎源右衛門、
 橋本山入が請け負った町人請負の新田開発であった。
 ★友野与右衛門は佐久の隣村の前山城主:伴野氏の一族
  である。距離にして3km程であった。


・宝暦5年(1755) 大塩沢の市川家6代目:清兵衛義■が
  大坂奉行:桜井丹後守に仕えた。
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●寛政年間(1790〜)砥沢の関所の開設=中山道の脇往還。   
 市川五郎兵衛の子四郎兵衛は南牧の関所役人となって羽沢村
  に戻り、代々子孫が継いでいた。

・明治維新
  関所の役目がなくなったため、再び五郎兵衛新田村に移住した。

・明治・大正・昭和まで用水補修工事は続けられた。

・昭和35年(1960)〜 長野県で農業用水改良事業が行われた。

・昭和48年(1973) 五郎兵衛記念館が設立された。
   浅科地区の五郎兵衛用水の展示を行っている。

・現在 五郎兵衛用水は疎水百選に選ばれている。
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