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zoom RSS 箕輪初心:生方▲真田丸92【第18話「上洛」】&「丸島説&平山説&加沢記」

<<   作成日時 : 2016/05/10 07:56   >>

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『加沢記』では「松」は桑名の渡し守が女房として大切に2年
間隠した。『加沢記』では、記憶をなくしていない。、『真田丸』
では記憶をなくした出雲の阿国の踊り子である。第18話:
『上洛』は「真田昌幸の上洛の決意〜上洛〜徳川家康の与
力大名になる過程」で、「松」の記憶が戻るというホームドラ
マである。今回はTVを1回しか見なかったので、You Tubeや
ほかのHpを頼りにあらすじを追ってみた。
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(★徳川家康の像・・・鷹は禰津逍遙軒の鷹)

【0】駿府城
画像


 ★駿府城の詳細は夏頃かなあ?




箕輪初心●愛知【岡崎城】=「徳川家康が生まれた城」
http://53922401.at.webry.info/201212/article_7.html


・天正14年(1586)1月〜天正15年(1586)3月まで

【1】『真田四代と信繁』丸島和洋著
・天正14年(1586)
1月 真田昌幸が佐久(徳川領)に侵攻した。
家臣に知行宛をした。
2月 豊臣秀吉は真田昌幸に信濃領土拡大を止めさせた。

4月 豊臣秀吉は妹:旭(朝日)姫を徳川家康に嫁がせた。
5月14日 旭(朝日)姫は浜松に着き、徳川家康と祝言を上げた。
5月 徳川家康は真田攻撃の準備を開始した。
   
   北条氏直(妻は家康の娘)も沼田城を包囲した。  
   しかし、矢沢頼綱が防ぎきった。
   さらに、真田昌幸従兄弟:河原綱家&
   羽根尾城将:湯本三郎右衛門尉に岩櫃城の
   守りを固めさせた。      

6月 上杉景勝の上洛。
       
7月12日 徳川家康は真田攻めのため、駿府城に入った。

8月3日付 豊臣秀吉→上杉景勝への書状 
『真田昌幸は「表裏比興の者(ひょうりひきょうのもの)」
  であるので、家康に命じて成敗することにした。
上杉景勝には、一切支援しないように (=真田家を
 助けるな。そして、徳川家康と戦うな。』
と書いた。
※丸島説・・・信用できない者の意味である
徳川・上杉間で戦が起きないようにする配慮である。

9月25日 徳川家康の真田攻めは沙汰済みとなった。
中止となった。

 ※丸島説・・・上杉景勝が影で動いた。
9月26日 徳川家康の上洛が決まった。
(★『家忠日記』)
※丸島説・・・
「上洛が遅れても構わない」=「真田討伐後、上洛せよ」
の意味である。家康に上洛させるための材料の一つで
あったのではないだろうか?と書いている。
しかし、真田昌幸が滅亡の危機に瀕したことは間違いない。

9月 豊臣秀吉の通達
    「真田昌幸が家康の与力大名へ」の通達

10月 徳川家康は妹:朝日姫を正室として岡崎城に下向させても
    一向に上洛の気配を見せない。
    徳川家康に業を煮やした豊臣秀吉が今度は母:大政所を
    旭(朝日)姫を見舞うという名目で、豊臣秀吉の生母:
    大政所を岡崎城に人質として送った。
    関白:豊臣秀吉のの母子が共に人質として送られてきた
    ことになった。
    徳川家康も流石に上洛に応じざるを得なくなった。
    豊臣秀吉に拝謁することは徳川家康が秀吉に臣従すること
    を意味した。
    徳川家康は重臣:本多重次に岡崎城での大政所と旭姫の
    滞在する館の櫓の周囲に柴を積み上げ、万一の場合には
    火を放つように手配・・・殺害を準備をした。
★大政所の相手は井伊直政が担当した。
10月24日 徳川家康は浜松城を発って上洛の途に就いた。
10月27日 徳川家康は大坂城で豊臣秀吉と対面し、臣従する
   ことになったのだった。
   徳川家康の豊臣秀吉への謁見は平穏裡に終わった・
   これにより、大政所は約1か月で大坂城に戻ることができた。
 

11月21日 豊臣秀吉は真田昌幸の赦免を通達した。
上杉景勝にも赦免を伝えるよう指示した。


・天正15年(1567)
3月 真田昌幸が上洛した。
   酒井忠次が同席した。
※丸島説・・・これが思わぬ副産物を生んだ。
   真田は豊臣の大名になったのである。
  真田は上杉と対等な立場になった。
徳川家康の与力大名になった。
   戦時、徳川家康の指揮下のに置かれることになった。

3月18日 酒井忠次の案内で真田昌幸・小笠原貞慶は
  駿府城に入城して、豊臣秀吉に臣従した。
  正式に大名として認められた。



【2】『真田三代』:平山優著
・天正13年(1585)
11月29日〜12月23日 天正の大地震
徳川家康は地震によって豊臣秀吉の攻撃から救われた。
★12月14日 徳川家康は本拠を浜松城から駿府城に移した。

F豊臣秀吉の徳川への懐柔策
・天正14年(1586)
2月 秀吉は尾張に出兵すると通達した。
   織田信雄はは家康の説得に出かけた。
   岡崎城で会見し和睦を承諾させた。
2月23日 豊臣秀吉は真田昌幸に矢留をした。
信濃の徳川領の侵攻を止めさせた。
4月 秀吉妹:旭姫を家康に嫁がせた。
臨戦態勢を解除した。  
6月14日 上杉景勝の上洛謁見。
秀吉は景勝に「所領安堵・官位を与えた」
真田昌幸・小笠原貞慶・木曾義昌を家康の
与力大名にすることを景勝に話した。
小笠原貞慶・木曾義昌は上洛し、認めた。
しかし、昌幸は上洛していなかった。

・・・・秀吉は真田に人質を出すように催促した。
また、真田昌幸は人質を出さなかった。
★ドラマと若干違うような・・・


8月3日付 豊臣秀吉→上杉景勝への書状 
『真田昌幸は「表裏比興の者(ひょうりひきょうのもの)」
  であるので、家康に命じて成敗することにした。
豊臣秀吉が真田家の庇護者:上杉景勝に、真田が徳川に攻めら
  れても助ける事は無用であるという通達を出したのだ。

「表裏比興の者」・・・態度や行動をころころと変える?替える?
 者とイメージが湧く。コウモリ的な・・・

●大辞林「卑怯(比興)」
@他の物にたとえて、おもしろく言うこと。
  →おもしろく興あること。
A不都合なこと。不合理なこと。
Bいやしいこと。つまらないこと。
C臆病なこと。卑怯なこと。
 
●当時の「卑怯(比興)」
@「知略家」
A「策士」
B「老獪(ろうかい)」
といった意味で使われていた。
つまり、戦略知略が最大限に評価されていた当時の武将への
最大級の褒め言葉である。
かつて、豊臣秀吉は徳川家康にも「表裏比興の者」と呼んだ。

●真田昌幸のような小豪族は周囲を徳川・北条・上杉の3大勢力に囲
まれている=挟まれているので、状況の急激な変化に上手く対応し
なければならなかった。むしろ、「生き抜く術を知っている世渡
り上手な者。」と賞賛されるべき意味合いを含んでいる。
 (★平山優・黒田基樹対談等・・・・どの本を読んでも、このよう
なことが書かれている。
8月6日付 豊臣秀吉→徳川家康への書状
@真田昌幸を成敗してよい。
A上杉景勝の援軍のいる2〜3城には攻めるな。
B小笠原領・木曾領にも手を出すな。
C景勝とも抗戦するな。
D上杉領・徳川領の境目は上使を派遣して決める。
E真田討伐のため、上洛が多少遅れても構わない。


さらに、小笠原貞慶・木曾義昌にも書状を出した。
徳川家康の上洛の折に、徳川家康に会わせる。と伝えた。
この頃、豊臣家臣:道栄が小笠原を訪ねた。

※平山説・・・
@真田は滅亡か赦免かの窮地に立たされた。
A豊臣秀吉は本気で家康に真田討伐を考えてはいない。
 真田問題を利用して、家康の歓心を買い、安心して
 上洛できるようにと考えていた。

8月7日付 豊臣秀吉→徳川家康への書状
真田問題を仲裁するので、家康の出馬を延期するように
求めた。
★早く上洛せよ・・と思っていた。

9月25日付 豊臣秀吉→上杉景勝への書状
 「真田は表裏者なので、成敗するつもりであったが、
  今回は取りやめた。」
  と伝えた。 

9月 真田昌幸は上洛を促す・・・徳川家康の与力大名へ 
★徳川家康の与力大名
真田昌幸・小笠原貞慶・木曾義昌であった。


9月?日 豊臣秀吉は家臣を岡崎に派遣した。
 「上洛要請&大政所の下向」
を伝えた。
 表向きは旭姫との謁見であるが、格上の大政所の人質
 懐柔策であった。・・・・

9月26日 徳川家康の正式な上洛が決まった。

10月24日 徳川家康が上洛した。
10月27日 徳川家康は上洛・謁見し秀吉に臣従した。
11月10日 徳川家康は岡崎城に入った。
大政所は井伊直政に警護され、大坂に帰った。
★この後、井伊直政は豊臣秀吉に気に入られる。

11月 正親町(おおぎまち)天皇→後陽成天皇
12月 豊臣秀吉は関白太政大臣となり、
藤原姓から豊臣姓になった。

・天正15年(1567)
1月4日 豊臣秀吉→上杉景勝への書状
「真田昌幸の赦免を正式に通達した。真田昌幸に上洛するよう
  指示させた。」

3月?日 真田昌幸・小笠原貞慶が上洛。
酒井忠次が同席した。
徳川家康の与力大名に真田昌幸・小笠原貞慶・木曾義昌
  に正式に命じられた。


3月18日 酒井忠次の案内で真田昌幸・小笠原貞慶は
  駿府城に入城して、徳川家康の与力大名となり、
  豊臣秀吉に臣従が正式となり、大名として認められた。

★個人的にはこの時、真田信幸&稲=小松姫との結婚が決ま
ったと考えている。・・・

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【3】「加沢記」:加沢平次左衛門著:脇田真一訳
1)『昌幸公滝川」殿へ出仕』
「滝川は国中の人質取り付けるが、真田より人質なかりける。
 是は信幸公の御姉御様を人質に尾州安土へ進上有りけるに
 よってなり」
2)『信長公御生害附安土へ進ぜられ候人質御娘御様の事』
「・・・昌幸公此の由(信長の死)を聞こし召して、御届けの
 ため、信幸公に500騎を相添えて・・・木曽路に・・・
 7〜8千騎の・・・『・・・前田慶次にてあらん』・・・・・
  (前田慶次は)『・・・真田殿か・・信長は御生害、上方
 は暗になる。』・・・・
 信幸公大熊ゆきえを召して宣ふけるは、御姉君如何とに仰せ
 られて御安土へ御迎えに遣わされ、・・・」
 ・・・中略・・・・御娘御様の御行方なかりければ、昌幸公
 御母公御嘆き更に止む時なかりければ、・・・・涙のほか、
 なかりける。・・・如何なる御身に成り果て給ふらんと・・・
  尾江遠三甲駿6ヶ国在々所々草分け入って、手のおよぶ限り
 御尋ねありけるに秀吉公御世に移り・・・御行方更になし。
 ・・その翌年(天正12年)の春、桑名の渡し守が許に下郎ども
 ・・・休息しければ、20(歳)ばかりの女房走り出て『・・・
  ・今日の御上洛は如何なる大将は何国・・・』を申しければ、
 下郎共申すは『信州真田殿の上洛なり』と申す。その時、女房は
 さめざめと泣いて『信濃ときかば懐かしや。・・・・』
 (女房は「上田城下町の喜兵衛と言う者に手紙を渡してくれと頼
 んだ。・・・下郎が手紙を持って・・・・
  (山田文右衛門が手紙を見ると、)御姫様の御文なり。・・・・
  早々桑名に御人遣わされ、渡し守に御褒美を下され、
 『安土の乱に奪い取りければ、大切に存じ、深く隠密したりけり。』
  浅ましき御有様にて2年の憂き目の程思ひやられて、御いたわし
 く聞く人ことに哀れはなりまさりける。後に小山田殿の御内室になり
  給ひけるなり。』

・天正10年(1582)
 3月 真田昌幸が織田信に臣従した時に安土城へ人質として「松」
 が送られた。
 6月8日、本能寺の変後、「松」は行方不明になった。
・天正12年(1584)・・★
 「松」は桑名(三重県)で保護された。
沼田市川田に住んだ沼田藩右筆:加沢平次左衛門覚書

箕輪初心●群馬沼田【川田城】&『加沢平次左衛門』
http://53922401.at.webry.info/201204/article_18.html


@第6話【迷走】松が失踪
松は明智の追っ手に追われて琵琶湖に飛び込み、行方不明。
琵琶湖のほとりの漁師に助けられた。生きていのだ。・・・・
漁師の嫁はならなかった。

A第17話【再会】松が再登場
 真田信繁が豊臣秀吉の阿国の芸を見ていた時、何と「松」に
 そっくりの踊り子を見つけた。
「松」が記憶をなくしているらしく、・・・「松」ではないと拒否。
どういう経過で踊り子になったのだろうか?

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

【4】真田丸第18話【上洛】
◆ナレーター
「秀吉は実の母:大政所を、家康の元へ人質として差し出した。
それを受けて、遂に家康は上洛した。
関白秀吉の天下統一が目前に迫っていた。
・・・昌幸に「上洛」の要請の書状が届いていた。」



●上田城
信幸「いかがなさいますか?」
内記「沼田城が攻められています。・・」
信幸「信繁がいれば、・・・」
昌幸「戦支度をせよ。・・」

出浦「慌てることはない。・・・」
信幸「源次郎からは、沙汰らしき沙汰もない。・・・」



●大坂城・・・
信繁は別のことで心を痛めていた。
悩んでいるのは松のことである。
※前回・・・
義兄:小山田茂誠が作っていた匂い袋を松が振り回していた。

しかし、松は「私の名は藤。この一座で阿国さんの次に踊りが上手い
    といわれてるの。だから、あんたなんか知りません!」
   偉そうに肩を叩きながら言っていた。
藤は、間違いなく姉:松なのだ。・・・・・
夫:小山田茂誠のことも覚えていないようだった????


★利休の茶を飲ませてもらえるようになった。
偉くなったもんだ。
信繁「利休様、お聞きしたい義がございます。」
利休「何なりと。」
信繁「人は何かひどく哀しい目に遭った時、それまでの事を全て忘れて
  しまうことなどあるのでしょうか?
  そして別人として生きていくことができるのでしょうか?

利休「そうでんなあ・・・。人の心は謎。
   源次郎殿・・・。
   手前は何でも知ってる訳ではない。
   そないなこと、聞かれても分からしまへん。」
●上田城
信幸「源次郎から文が届きました。
   秀吉は父上を大名に取り立てるとの事・・・。
   石田治部少輔様が約束されたそうです。」
昌幸「大名にか? 直臣とな。・・・気に入らん。
   大名の座とは力ずくで勝ち取るものではないのか。
   何様か、秀吉は!・・・」
信幸「それだけ力を持っているという事ではありませぬか?」

昌幸「わしはあやつの家来ではない。」
信幸「父上のことを認めたからこそ大名にすると言っているのです。」
昌幸「上洛はせん!」



●大坂城
信繁が阿国に姉を返してほしいと談判した。

阿国「お藤さんを引き取ってもらえるならこんなに嬉しいことは
   ありません。」
信繁「はい?」・・・★相棒風に・・・

阿国「実は手を焼いていたんです。
   あんなに踊りの下手な子は初めて・・・・。」
信繁「そうなのですか?
   阿国さんの次に人気があるのではないのですか?」
阿国「人気なんて全くありませんよ。」
信繁「そうでしたか。・・・」


阿国は松に話をつけに行った。

信繁「阿国さん、何と言ってました?」
松「私なんてもう要らないって?」
信繁「そんなふうには言ってませんでした。
松「やっぱり、足引っ張ってたのかな。自分でもひどいと思うもの。」


松殿がとりあえず源次郎の元に戻った。
きりの口利きでで北政所に仕えることになった。


●上田城
  直江兼続が上田城にやって来た。
直江「関白殿下は真田殿を直臣とされるおつもりでござる。
  拒めば関白殿下は全力でこの上田に攻め込んできましょう。
  形勢は風雲急を告げておる。
  もはや日本国の大名の大半は関白殿下に従った。
  いくら戦上手の安房守殿でも太刀打ちできますまい。

  大名か死か。取るべき道は明らかでござろう。

??「御屋形様は関白殿下に対し真田を許すようとりなして
    おられる。」
★御屋形様・・・本当は大大名のみの使い方らしい。

直江「上杉の顔を潰さぬようにお願いしたい。」
   真田のため、そして上杉のためにも一日も早い上洛をして
   いただきたい。

昌幸は母に相談した。
母上のマッサージ。

昌幸「そろそろ答えを出さなくてはなるまいのう。・・・
とり「・・・では、上洛しなさい。
   戦さは嫌じゃ。豊臣は強い。きっと太平の世を作ってくれま
   しょう。未来の平和のために殿下に頭を下げるのです。」
・・・・・・
昌幸「死に物狂いで戦ってきた果てに、武田に縁もゆかりもない男の
   家来になるというのでは、これは割に合いません。」
秀吉の・・・
とり「さようですね。では、こうしましょう。嘘でもいいから頭を下
   げなさい。強い者に従う。真田はこうやって生き延びてきた。
   下手に出て牙を隠して爪を隠して、この先秀吉の勢いに陰りが
   見えたら寝首を掻く。卑怯者で何が悪い!」

とり「卑怯者で何が悪い。・・・」


この言葉でやっと、ようやく、秀吉に会うことにした。
★ホームドラマだ。「下手に出て牙を隠して爪を隠して・・・」

真田昌幸は上洛を決意した。
★おばば様、凄すぎ・・・流石、真田幸綱(幸隆の妻:河原隆正妹)
実際は、徳川家康が上洛したことで、ついに昌幸も秀吉に臣従する
ことを決意したのだった。

●大坂城奥
松「・・・・・」
茶々「・・・」



秀吉「わしぁ、太政大臣。あのお方(織田信長)を越えたんじゃ。」
※秀吉は太政大臣を受けて有頂点・・・
信繁「えっ!」
秀吉「信長公を・・・」
・・・・・・
秀吉「源次郎・・・・お主の親父がくるぞ・・・。」

阿国の顔・・・・

信繁「我が真田はどうなりましょう?」
秀吉「滅ぼす?いゃいゃ・・・・・・」



●上田城
夜、・・・・
ごねる矢沢頼綱・・・
出浦「なんなら、わしが明智光秀になっても」



◆ナレーター
天正15年2月。真田昌幸一行が大坂に到着する。幸繁&信幸は・・・」


信繁「兄上!」
信幸「源次郎!」
信繁「よく父上を説き伏せて下さいました。」


信幸「何じゃ何じゃ、小綺麗になりおって。・・・
   よほどこちらの暮らしが楽しいと見えるな。・・」
信繁「さようですか、自分では分かりませんが・・・。
信幸「都のにおいがするぞ。」
信繁「兄上は・・・土のにおいがします。
信幸「馬鹿なこと言うな。」

信繁は父上にあって・・・
「お元気そうで・・・」

  
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●古寺
信幸「城にも入れずかような古寺に泊まれというのはどういう
   ことだ?」
すき間風が入ってくるし・・・・・、

信繁「大坂城は案外泊まれる部屋が少ないのです。」
信幸「上杉や徳川は御城内に泊まったと聞いたが・・・。」
信繁「石田様に掛け合ってみます。一応、掛け合ってはみるが、
   格が違います。向こうは大大名。真田はただの国衆に
   すぎぬ。」

昌幸「大坂城の守りはどうなんだ?
   大きいと守りに手薄な所ができるもんなんだ。
   城周りの絵図面が欲しい。」
★大坂城真田丸の伏線だろうな。

●上田城
 祖母:とり・妻:薫が・・・
すねる薫・・・なだめるとり、・・・

●遊郭
信繁は父を遊郭に接待した。
 自腹を切って、吉野太夫を呼んで、接待したのだ。

昌幸「殿下もこんな席を用意してくれるとは気が利いておるでは
   ないか。」
信繁「気配りのお方ですから。」
(★秀吉が手配してくれたってことにして・・・)
昌幸「秀吉とはどんな男だ?」
信繁「信長、家康に勝るとも劣らない器の大きさを感じます。」
昌幸「ひとかどの人物か?」
信繁「お調子者にも見えますが、その裏に私は大きさと深さと恐ろ
   しさを見ました。」


●翌朝・・・
三成が殿下への献上品の検分にきた。

真田の郷から持ってきた土産:献上品を見せる。
昌幸「きっと殿下は気に入るに違いない。」

三成「何だ?これは。」
昌幸「上物よ・・・」
  昌幸のお気に入りの毛皮・・・・
信幸「猪と熊の毛皮でございます。冬は羽織ると暖かいですよ。」
三成「臭いな。後ろの方に押し込んでおきましょう!」

三成「とりあえず箱だけでも鮮やかな色のものに差し替えましょう。」
   それでだいぶ見栄えが増す。すぐに用意するよう。」
昌幸「承知致した。」
信繁「かたじけのうございます。」


昌幸「石田様はただ見分して正直に指導してくれているだけなん
   だろう・・・それにしても腹立つわ〜〜。
   献上品は馬鹿にされ・・・。総じて色味が悪すぎる。」

もっとも、確かに秀吉は派手好みだった。
★大坂城をみて・・『見物』でもしよっかなあ・・・


●上洛
出てきたのは秀吉ではなく、秀次〜〜〜!
秀次は昌幸に合わせて頭下げている。

秀次「上洛、大儀である。」
  ・・・関白殿下は忙しい。明日会われる。以上である。」



昌幸「こんな無礼なことがあるか!」
信幸「父上は関白殿下にお会いするために上田より参上したのだ。」
信繁「殿下もお忙しいお方ですから。・・・」
信幸「父上はなえがしろにされたのだ。悔しくないのか源次郎!」
信繁「もちろん悔しゅうござる。」
信幸「ここまでなえがしろにされて引き下がれるか。」
昌幸「源三郎・・・。そうないがしろないがしろ言うな。
信幸「失礼しました。」
昌幸「それにしても秀吉め。呼びつけておいて顔も見せぬとは礼儀を知
   らぬ大馬鹿者じゃ。こりゃ先は短いぞ。
信繁「父上。誰が聞いているか分かりませぬ。」



◆ナレーター
「戦国武将として実力で生き抜いてきたプライドを抑えて渋々上洛した
昌幸を軽く扱う秀吉。昌幸が隙あらば秀吉を攻めるつもりだと察した
信繁は、父の無念な思いを晴らすため秀吉に直談判する。
大谷刑部もいる。

信繁「上洛に遅れたのは父の落ち度でございます。しかしながら。
  小なりとはいえ、父にも誇りというものがございます。
  お目通りが叶わねば出仕したことにはなりませぬ。
  父は帰って戦支度をするつもりでいます。
  真田を敵に回すのは得策ではございませぬぞ。
  伊達と結び北条と手を組み徳川を味方に引き入れ、いずれ必ず
  強大な敵となって殿下の御前に立ちはだかります。」
秀吉「わしを恫喝するか?」
信繁「恫喝しております。」

●大坂城 会見
治部「・・・」

秀吉は昌幸に会ってくれた。

真田安房守昌幸は熊の毛皮がトレードマークとなった。
秀吉「関白太政大臣:豊臣秀吉であ〜る。 
   こたびの上洛、まっこと大儀であった。」
   わしはだれよりもそなたを家臣にしたいと思っておった
   ぞ。」
   
秀吉は臭いと言われた毛皮を着てくれた。
秀吉は手を取って、
「その知略と度胸、豊臣の大名としてこれからはわしのため
   に使ってくれ。頼りにしておるぞ。安房守!」
と言ってくれた。
  
三成「殿下はこれより新しき世の仕組みをお作りになられる。」

秀吉「惣無事令もその一つ。もちろん存じておるな。
 しかしながら万一戦となった時、誰が誰に従って軍勢を動かすか
   そこだけははっきりとしておかねばならぬ。
   大名はそれぞれ最寄りの大大名の与力となり、出陣の時は
   その下知に従う。よろしいか?」

昌幸「はっ。」

秀吉「安房守殿は徳川の与力となるように・・・。」
 
★昌幸がガー〜〜〜ンとなった。
顔から血の気が引く
 昌幸・信幸・信繁・・・・

秀吉「家来ではない。与力だ。力を貸すのだ。
   そのかわり真田の領地は徳川が守る。
   北条が攻めてきたとしても徳川が楯となってくれる。
   悪い話ではなかろう。どうじゃ、安房守。・

昌幸「ははっーーー。」
と頭を下げるしかない。

●寺
昌幸「面白いのう。人の世というものは・・・。
   武田が滅んでから今日まで、騙し騙され、裏切り、裏切られ、
   死ぬ気でここまでやってきた。
  己の全てを懸け知力の限りを尽くして戦った。

  そのあげく、辿りついたのは秀吉の家来となった徳川のそのまた
  家来。こんなに面白いことがあるか。」
信繁「申し訳もございませぬ。」
昌幸「お前が謝ることではない。
   源三郎、源次郎。
   わしはどこで間違った?教えてくれ。
   わしはどこで間違った?。

信繁「父上。間違えてなどおりませぬ!
   父上は大名となり領地を守ったのです。」

信繁「父上。実はもう一つお伝えしておかなければならない
   ことがございます。なかなか折を得られず今になってしまい
   ました。会って頂きたい人がいるのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
信幸「姉上!」
昌幸「生きておったのか。松! 」

信幸「姉上、源三郎でございます。源三郎でございます!」
昌幸「父じゃ」
松「父上?」
昌幸「お前が小さい時、よくおんぶして裏山行ったよのう。
    わしがおんぶすると、お前は必ず背中にしょんべんするん
    じゃ。」

信幸「子どもの頃、姉上にはよく泣かされておりました。
   沢蟹のはさみを俺の鼻に挟んで・・・
   郷の真ん中に高い木があって、よく2人でそれに登って
   下を通る村の男を見ては、あの人は見目がいいとかあの人は
   頭がデカすぎる?とか品定めを致しましたね。」

松「そのようなことを・・・?


信幸「私がまだ子どもだった頃、なぜか姉上が下さったひからびた
   蛙、えらく気味が悪かったです。」

★思い出話の後に・・・・・・
記憶がなかった松がきりの「かかとがかさかさ」を見て
あの女子会を思い出した。
「あたしが貸してあげた手鏡とうとう返してもらわずじまいだ
 ったわね。」
★でも、梅の死んだのを知らない。
松が少し記憶を取り戻した。


●駿府城
昌幸は悔しい思いを隠しながら・・・
駿府城の徳川家康の元に向かった。

昌幸「関白殿下の命により徳川様の与力として力を尽くすと
 お誓い申し上げます。
家康・・・・上機嫌!

家康「武勇名高き真田安房守がお味方くだされば、万人力
よろしゅう御頼み申し上げる共に力を合わせてまいりましょう。」


わーっはっはっは・・・・
家康は勝利の笑い・・・。
正信も笑う。・・・
平八郎だけが昌幸の気持ちを理解してくれていた。
  

◆ナレーター

●予告
 「稲姫登場・・・。





〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◎◎◎
◎◎◎
◆◆ 真田3代のブログ一覧 ◆◆


〜〜〜2016年【真田丸シリーズ】〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
●▲■真田の郷の城*********************
箕輪初心:生方▲真田丸41【米山城・戸石城・本城・枡形城】
真田幸隆乗取&真田兄弟対決
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箕輪初心:生方▲真田丸42真田の里【真田氏館&真田本城
&支城群一覧】
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箕輪初心:生方▲真田丸3【真田本城】新名所:堺&長沢の腰掛け椅子
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箕輪初心:生方▲真田丸4【真田氏館&真田氏歴史館】
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箕輪初心:生方▲真田丸35【松尾古城】角間館の詰め城
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箕輪初心:生方▲真田丸37【真田天白城】真田昌幸長男
:真田信綱の築城?
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箕輪初心:生方▲真田丸38【矢沢城】&真田昌幸の叔父:矢沢頼綱の生涯
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箕輪初心:生方▲真田●75【真田横尾城=尾引城】
:横尾氏→真田信綱の居城?
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箕輪初心:生方▲真田丸39【真田:洗馬(せば)城】:横尾氏の詰め城
→真田氏の城
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箕輪初心:生方▲真田丸40【真田根小屋城】:真田氏の支城
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箕輪初心:生方▲真田丸5【真田長谷寺】真田幸綱・正妻:河原隆正妹
・真田昌幸の墓
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●▲■【第1話】天正10年(1582)1月〜織田信長の信濃侵攻****
箕輪初心:生方▲箕輪城183真田丸1【真田幸綱・昌幸・幸繁
と箕輪城との関わり】
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箕輪初心:生方▲山梨【新府城】:武田勝頼60日の城&出浦盛清
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★出浦盛清(正相)は最後は真田昌幸の真田忍軍の棟梁になった。

箕輪初心:生方▲山梨韮崎【穴山氏館跡】&穴山信君・武田信吉の生涯
http://53922401.at.webry.info/201504/article_27.html

箕輪初心■長野【信州の桜の名所15城】=高遠城・須坂城他
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●▲■【第2話】天正10年(1582)3月11日、武田氏滅亡*****
箕輪初心:生方▲真田丸15『真田丸第2話「決断」のあらすじ』
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箕輪初心:生方▲真田丸16【真田の選択&武田勝頼の最後の真偽】
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箕輪初心●山梨【岩殿城】=武田勝頼を裏切った小山田氏の山城
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●▲■【第3話】天正10年(1582)3月中旬、信長:法華寺にて**
箕輪初心:生方▲真田丸22『第3話:「策謀」のあらすじ』
&登場人物の解説
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箕輪初心生方▲真田丸71【諏訪上社前宮〜上社本宮&
「信長と光秀&真田信繁?因縁の法華寺」
http://53922401.at.webry.info/201603/article_17.html

箕輪初心★織田信長F安土城から天下取り開始
http://53922401.at.webry.info/201206/article_11.html

箕輪初心●滋賀「安土城&ハ見寺&博物館」
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●▲■【第4話】天正10年(1582)6月2日、本能寺の変******
箕輪初心:生方▲真田丸29【TV第4話「真田昌幸VS徳川初対決
〜本能寺】
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箕輪初心:生方▲映画『信長協奏曲』面白過ぎのあらすじ
http://53922401.at.webry.info/201601/article_30.html


●▲■【第5話】天正10年(1582)6月中旬、昌幸と滝川一益***
箕輪初心:生方▲真田丸36:第5話【織田信長の死→窮地】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_9.html

箕輪初心●箕輪城シリーズR「第11代:滝川一益」
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●▲■【第6話】天正10年(1582)6月9日、森長可の撤退******
箕輪初心:生方▲真田丸43:第6話【迷走】のあらすじ
&「森長可の撤退」
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●▲■【第7話】天正10年(1582)6月20日、神流川の戦い〜小諸城**
箕輪初心:生方▲真田丸50第7話『滝川一益の逃亡』
箕輪城→小諸城へ
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箕輪初心▲埼玉上里【金窪城】&『神流川の戦い』詳細
http://53922401.at.webry.info/201409/article_21.html

箕輪初心◆高崎【第16回新町神流川合戦:滝川一益】
http://53922401.at.webry.info/201211/article_3.html

箕輪初心:生方▲真田丸30【真田昌幸と滝川一益との腐れ縁:友情】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_2.html

箕輪初心●群馬【松井田城】=安中忠政→大導寺政繁の城
http://53922401.at.webry.info/201112/article_2.html

箕輪初心:生方▲真田●65【小諸城】:ちょっと文学探訪&歴史
http://53922401.at.webry.info/201603/article_10.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201603/article_10.html

箕輪初心:生方▲箕輪城175『第13回箕輪城祭り』写真集
3−@出陣式〜出陣
http://53922401.at.webry.info/201510/article_26.html

箕輪初心:生方▲箕輪城176『第13回箕輪城祭り』写真集
3−A出陣〜着到
http://53922401.at.webry.info/201510/article_27.html

箕輪初心:生方▲箕輪城177『第13回箕輪城祭り』写真集3−B
着到〜攻防戦
http://53922401.at.webry.info/201510/article_28.html


●▲■【第8話】天正10年(1582)7月13日真田昌幸が北条氏直に謁見
箕輪初心:生方▲真田丸 57「第8話『調略』のあらすじ&川中島
http://53922401.at.webry.info/201602/article_32.html
★天正壬午の乱の開始

箕輪初心●長野:海津城=松代城:川中島の戦いでの信玄の拠点
http://53922401.at.webry.info/201309/article_14.html

箕輪初心◆長野の松代:松代藩真田家藩士の家巡り
http://53922401.at.webry.info/201309/article_13.html


●▲■【第9話】天正10年(1582)8月、天正壬午の乱、
箕輪初心:生方▲真田丸63TV第 9話【天正壬午の乱】のあらすじ
&平山優説の違い
http://53922401.at.webry.info/201603/article_8.html

箕輪初心:生方▲真田丸48【佐久:春日城】依田信蕃と真田昌幸
http://53922401.at.webry.info/201602/article_24.html
★依田信蕃が真田昌幸を徳川に引き入れた。


箕輪初心:生方▲山梨【若神子城】武田信玄の信濃攻略の拠点&
烽火集積地
http://53922401.at.webry.info/201504/article_29.html
★北条氏直の陣


箕輪初心:生方▲山梨【獅子吼城】:徳川家康VS北条氏政
http://53922401.at.webry.info/201505/article_1.html
★徳川家康は大導寺政繁のいる獅子吠城を服部半蔵を使って攻略。


箕輪初心:生方:▲山梨【谷戸城】甲斐源氏祖:逸見清光の居城
http://53922401.at.webry.info/201505/article_2.html
★徳川家康は旧武田遺臣を味方に付け、谷戸城を攻略。



●▲■【第10話】天正10年(1582)10月徳川&北条和睦*****
箕輪初心:生方:真田丸70◆ 10話『上田城築城』
&曳間城(浜松城の前身)
http://53922401.at.webry.info/201603/article_15.html

箕輪初心:生方▲真田丸31【真田幸隆の知恵:徳川家康を利用して
造った上田城】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_3.html

◆◆ 箕輪初心●井の国後編:「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_4.html
★井伊直政は北条氏の大導寺政繁との交渉で徳川方の使者と
して政治的手腕を発揮。徳川&北条の和睦の立役者であった。
徳川家康が武田氏の旧領:信濃国・甲斐国を支配。
●井伊直政は武田氏の旧臣達約120人と家康の旗本の一部が配属された。
 →山県昌景の意志を尊重し、「井伊の赤備え」部隊の大将となった。
★関ヶ原の合戦後、井伊直政が真田信之に頼まれて、真田昌幸と
 真田信繁を命乞いを徳川家康にしたのに、井伊直政は真田丸に
 出てこない。後、真田幸繁の『真田丸』なんてなかったのに・・


●▲■【第11話】天正11年(1583)上田城完成祝いと室賀殺害***
箕輪初心:生方▲真田丸74【「加沢記」の室賀】
&TV 11話「祝言」のあらすじ
http://53922401.at.webry.info/201603/article_22.html

箕輪初心:生方▲真田丸84【室賀城=原畑城+笹洞(ささぼら)城】
&室賀氏・屋代氏の歴史&真田昌幸
http://53922401.at.webry.info/201604/article_11.html



●▲■【第12話】天正13年(1585)6月頃************
箕輪初心:生方▲真田丸77:第12話「真田幸繁の上杉への人質」
&平山・丸島諸説
http://53922401.at.webry.info/201603/article_29.html
6月頃 真田昌幸は上杉景勝に従属することを決めた。真田弁丸
 (信繁)の供奉衆に矢沢頼幸が同心として預けられ、一軍の指揮
  官に任じられた。・・・
7月15日は上杉景勝への9ヶ条の起請文
@上杉に忠節を尽くせ
A敵が攻めてきたら援軍をよこせ
B噂や密告を信じないで、密接な関係でいようね。
C信濃国の知行は海津城将:須田満親が行う。
D小県(上田)、吾妻(岩櫃)、利根(沼田)・坂木の庄を安堵した。
E佐久甲州のどこか、長野一跡(箕輪城)を与える。
F屋代秀正の一跡(荒砥城&屋代城)を与える。
G真田昌幸に禰津昌綱の処遇も一任した。
平山説・・・昌幸の配下にすること
◎天正11年に出浦昌相(一般論の出浦盛清は誤りか?)
が真田の家臣になったのと符号する。
真田昌幸に安堵した埴科郡に出浦の所領が入っているので
(★丸島説)・・・『真田丸』に合致している。


●▲■【第13話】天正13年(1585)閏8月2日、第一次上田合戦**
箕輪初心:生方▲真田丸80【第1次上田合戦】加沢記・平山説
&第13話「決戦」
http://53922401.at.webry.info/201604/article_6.html

箕輪初心:生方▲真田丸32【真田昌幸:空城の計&第一次上田合戦】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_4.html



●▲■【第14話】天正16年(1586)6月上杉景勝・真田幸繁上洛*

箕輪初心:生方▲真田丸86【昌幸の秀吉への臣従過程2説】
&第14話『上洛』
http://53922401.at.webry.info/201604/article_14.html

※倶利伽羅峠〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★木曾義仲:上野国多胡庄2ヶ月→信濃依田城で蜂起
http://53922401.at.webry.info/201310/article_3.html

箕輪初心★木曾義仲Cゆかりの地:埼玉→信濃→上野→信濃→北陸へ
http://53922401.at.webry.info/201406/article_17.html

箕輪初心★松尾芭蕉33『奧の細道22』【金沢・小松】&My金沢城登城
http://53922401.at.webry.info/201208/article_17.html


●▲■【15話】天正16年(1586)6月上杉景勝・真田幸繁上洛*
箕輪初心:生方▲真田丸87【 15話『謁見』のあらすじ】&平山優
http://53922401.at.webry.info/201604/article_22.html


●▲■【16話】天正14年(1586)1月〜6月
箕輪初心:生方▲真田丸90【真田幸繁の豊臣家臣へ】
の史実:丸島説・平山説&第16話『表裏』あらすじ
http://53922401.at.webry.info/201604/article_30.html

●▲■【17話】天正14年(1586)6月〜10月
箕輪初心:生方▲≪岡崎城≫&【加沢記】の『松』VS
【第17話「松との再会】&史実:丸島説&平山説
http://53922401.at.webry.info/201605/article_4.html


★明日は武田信玄の上州侵攻か真田幸綱の吾妻侵攻か?


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箕輪初心:生方▲真田丸92【第18話「上洛」】&「丸島説&平山説&加沢記」 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
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