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zoom RSS 箕輪初心:生方▲真田丸90【真田幸繁の豊臣家臣へ】の史実:丸島説・平山説&第16話『表裏』あらすじ

<<   作成日時 : 2016/04/25 09:01   >>

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●天正14年(1586)6月15日?〜真田信繁は上杉景勝の
人質から、豊臣秀吉の人質となった。8月6日付の豊臣秀
吉→徳川家康への書状で、「豊臣秀吉は徳川家康の真田
攻め」を許可した。『真田丸』の時代考証2人丸島説・平山
説の時代の流れを見ることにする。また、第16話『表裏』
のストリーを書こうと思う。
★2軒の本屋から「『真田丸:後編』の発売は5月下旬だそうで
す。HHKが出さないのでほかの出版社が控えているようです。」
という。しかし、もし、本当だとすれば、何か変?ということで、
あらすじ本がないので、BS・NHKを見て書いた。台詞は違っ
ている所が多いであろうが・・・。
画像




『真田丸』は前回の背景は違っていたが、今回は史実を採用
しているように思える。
『真田丸』の前回では、真田昌幸が上洛しないことへの不満・
不快感が全面に出ていた。
『史実』では、徳川家康に対する懐柔策の一環であると考えられて
 いる。
 2月に徳川領に攻撃宣言・・・水面下で懐柔策の話
 →4月、旭姫の徳川家康への嫁入り、懐柔策への変換→
 豊臣秀吉は徳川家康にも上洛要請していた。
 豊臣秀吉は天正2年(1584)小牧・長久手の戦いで、ライバル
:徳川家康を支配下にしてこそ、実質的な「天下人」となると
 考えていた。
 豊臣秀吉の家臣となった上杉景勝が徳川家康の敵である
 真田昌幸を助けることで、豊臣と徳川の関係を悪化させた
 くなかったというのが、真相=史実であるようだ。
 
 豊臣秀吉は懐柔策に変換後、徳川家康に上洛させて
 豊臣の家臣となることを承諾させたかったのである。


◆前回書いた2つの歴史説の追加
【1】『真田四代と信繁』丸島和洋著
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@真田幸繁は第一次上田合戦に参加していなかったはずである?
同時代の史料から確認できない。人質なのに怪しい。
しかし、山之手殿を代わりに人質に出した説もある。
A北条氏政は北条氏邦に吾妻に侵攻させたが、千葉氏とも争って
 いて余裕はなかった。
B徳川家康は井伊直政の救援
 丸島説・・引き上げる為のデモンストレーション?
C真田昌幸は10月〜秀吉の応援にこぎ着けた。
丸島説・・籠城し、秀吉の救援を待とうとしたと考えられる。
C徳川bR石川数正の出奔は秀吉の取次役
丸島説・・・家康と数正の関係悪化説・・・秀吉に傾いていった。
E徳川家康は秀吉に軍制がばれたので、武田流に変えざるを得なく
 なった。
F徳川家康は地震によって秀吉の攻撃から救われた。
G豊臣秀吉の徳川への懐柔策
12月 真田昌幸は信綱寺に所領を与える。
    龍雲寺(佐久)・・・長野業正の長純寺の本寺だった
    時もあった。
    に、信綱寺に寺領を与えると述べた。

天正14年(1586)
1月 真田昌幸が佐久(徳川領)に侵攻した。
家臣に知行宛をした。
2月 秀吉は昌幸に信濃領土拡大を止めさせた。
4月 秀吉妹:旭姫を家康に嫁がせた。
5月 徳川家康は真田攻撃の準備を開始した。
   北条氏直(妻は家康の娘)も沼田城を包囲した。  
   しかし、矢沢頼綱が防ぎきった。
   さらに、真田昌幸従兄弟:河原綱家&
   羽根尾城将:湯本三郎右衛門尉に岩櫃城の
   守りを固めさせた。      

6月 上杉景勝の上洛。
       
7月12日 徳川家康は真田攻めのため、駿府城に入った。

8月3日付 豊臣秀吉→上杉景勝への書状 
『真田昌幸は「表裏比興の者(ひょうりひきょうのもの)」
  であるので、家康に命じて成敗することにした。
上杉景勝には、一切支援しないように (=真田家を
 助けるな。そして、徳川家康と戦うな。』
と書いた。
※丸島説・・・信用できない者の意味である
徳川・上杉間で戦が起きないようにする配慮である。

9月25日 徳川家康の真田攻めは沙汰済みとなった。
中止となった。

 ※丸島説・・・上杉景勝が影で動いた。
9月26日 徳川家康の上洛が決まった。
(★『家忠日記』)
※丸島説・・・
   「上洛が遅れても構わない」=「真田討伐後、上洛せよ」
の意味である。家康に上洛させるための材料の一つで
あったのではないだろうか?と書いている。
しかし、真田昌幸が滅亡の危機に瀕したことは間違い
ない。
9月 真田昌幸は家康の与力大名への通達」 

11月21日 豊臣秀吉は真田昌幸の赦免を通達した。
上杉景勝にも赦免を伝えるよう指示した。


・天正15年(1567)
3月 真田昌幸が上洛した。
   酒井忠次が同席した。
※丸島説・・・これが思わぬ副産物を生んだ。
   真田は豊臣の大名になったのである。
  真田は上杉と対等な立場になった。
徳川家康の与力大名になった。
   戦時、徳川家康の指揮下のに置かれることになった。

3月18日 酒井忠次の案内で真田昌幸・小笠原貞慶は
  駿府城に入城して、豊臣秀吉に臣従した。
  正式に大名として認められた。



【2】 『真田三代』:平山優著
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@真田信幸と矢沢頼幸を海津城将:須田満親に送った。
 須田満親は春日山城に連れて行った。
  平山説・・真田信繁は参加していなかったと考えているようだ。
◎矢沢頼幸は矢沢城に入った。
  ★真田丸のストーリーでは遊撃隊
※「矢沢家文書」では沼田城に行った。
A北条氏政は吾妻に侵攻したが、北条氏邦に委ねていた。
北条氏照は皆川城攻めに行っていた。
B徳川家康は井伊直政の救援
平山説・・・解説なし
C真田昌幸は10月〜秀吉の応援にこぎ着けた。
平山説・・・徳川家康は窮地に陥った。
D徳川bR石川数正の出奔は秀吉の取次役
 平山説・・・家康と数正の関係悪化説。秀吉に傾いていった。
11月28日 家康は使者:織田信雄の講話拒否した。
E徳川家康は秀吉に軍制がばれたので、武田遺臣に文書・記録を提出
 させた。
★井伊直政も武田流に変えた。
天正18年(1598)以降、北条氏政に仕えていた上泉流軍法
継承者:熊井土(後、岡本半介宣就)を中心に井伊軍法
と作らせた。

★12月14日 徳川家康は本拠を浜松城から駿府城に移した。

E徳川家康は地震によって秀吉の攻撃から救われた。
11月29日〜12月23日 天正の大地震

F豊臣秀吉の徳川への懐柔策
・天正14年(1586)
2月 秀吉は尾張に出兵すると通達した。
   織田信雄はは家康の説得に出かけた。
   岡崎城で会見し和睦を承諾させた。
2月23日 豊臣秀吉は真田昌幸に矢留をした。
信濃の徳川領の侵攻を止めさせた。
4月 秀吉妹:旭姫を家康に嫁がせた。
臨戦態勢を解除した。  
6月14日 上杉景勝の上洛謁見。
秀吉は景勝に「所領安堵・官位を与えた」
真田昌幸・小笠原貞慶・木曾義昌を家康の
与力大名にすることを景勝に話した。
小笠原貞慶・木曾義昌は上洛し、認めた。
しかし、昌幸は上洛していなかった。

・・・・秀吉は真田に人質を出すように催促した。
また、真田昌幸は人質を出さなかった。
★ドラマと若干違うような・・・


8月3日付 豊臣秀吉→上杉景勝への書状 
『真田昌幸は「表裏比興の者(ひょうりひきょうのもの)」
  であるので、家康に命じて成敗することにした。
豊臣秀吉が真田家の庇護者:上杉景勝に、真田が徳川に攻めら
  れても助ける事は無用であるという通達を出したのだ。


 
「表裏比興の者」・・・態度や行動をころころと変える?替える?
 者とイメージが湧く。コウモリ的な・・・

比興の部分は、卑怯という言葉を置き換えたものと言われている。
 しかし、現在で言う卑怯という意味ではないとされるが、
※丸島説・・・「信用できない者の意味である。」と書いている。

●大辞林「卑怯(比興)」
@他の物にたとえて、おもしろく言うこと。
  →おもしろく興あること。
A不都合なこと。不合理なこと。
Bいやしいこと。つまらないこと。
C臆病なこと。卑怯なこと。
 
●当時の「卑怯(比興)」
@「知略家」
A「策士」
B「老獪(ろうかい)」
といった意味で使われていた。
つまり、戦略知略が最大限に評価されていた当時の武将への
最大級の褒め言葉である。
かつて、豊臣秀吉は徳川家康にも「表裏比興の者」と呼んだ。

●真田昌幸のような小豪族は周囲を徳川・北条・上杉の3大勢力に囲
まれている=挟まれているので、状況の急激な変化に上手く対応し
なければならなかった。むしろ、「生き抜く術を知っている世渡
り上手な者。」と賞賛されるべき意味合いを含んでいる。
 (★平山優・黒田基樹対談等・・・・どの本を読んでも、このよう
なことが書かれている。
8月6日付 豊臣秀吉→徳川家康への書状
@真田昌幸を成敗してよい。
A上杉景勝の援軍のいる2〜3城には攻めるな。
B小笠原領・木曾領にも手を出すな。
C景勝とも抗戦するな。
D上杉領・徳川領の境目は上使を派遣して決める。
E真田討伐のため、上洛が多少遅れても構わない。


さらに、小笠原貞慶・木曾義昌にも書状を出した。
徳川家康の上洛の折に、徳川家康に会わせる。と伝えた。
この頃、豊臣家臣:道栄が小笠原を訪ねた。

※平山説・・・
@真田は滅亡か赦免かの窮地に立たされた。
A豊臣秀吉は本気で家康に真田討伐を考えてはいない。
 真田問題を利用して、家康の歓心を買い、安心して
 上洛できるようにと考えていた。

8月7日付 豊臣秀吉→徳川家康への書状
真田問題を仲裁するので、家康の出馬を延期するように
求めた。
★早く上洛せよ・・と思っていた。

9月25日付 豊臣秀吉→上杉景勝への書状
 「真田は表裏者なので、成敗するつもりであったが、
  今回は取りやめた。」
  と伝えた。 

9月 真田昌幸は上洛を促す・・・徳川家康の与力大名へ 
★徳川家康の与力大名
真田昌幸・小笠原貞慶・木曾義昌であった。


9月?日 豊臣秀吉は家臣を岡崎に派遣した。
 「上洛要請&大政所の下向」
を伝えた。
 表向きは旭姫との謁見であるが、・・・・

9月26日 徳川家康の正式な上洛が決まった。

・天正15年(1567)
1月4日 豊臣秀吉→上杉景勝への書状
「真田昌幸の赦免を正式に通達した。真田昌幸に上洛するよう
  指示させた。」

?月?日 真田昌幸・小笠原貞慶が上洛。
酒井忠次が同席した。
徳川家康の与力大名に真田昌幸・小笠原貞慶・木曾義昌
  に正式に命じられた。


3月18日 酒井忠次の案内で真田昌幸・小笠原貞慶は
  駿府城に入城して、豊臣秀吉に臣従した。
  正式に大名として認められた。

★個人的にはこの時、真田信幸&稲=小松姫との結婚が決ま
ったと考えている。・・・

 



【3】 『真田丸』第16話「表裏」のあらすじ
画像

◆ナレーター
「真田昌幸は上洛しない。・・・真田幸繁は苦境にたたされた。」

●大坂城
秀吉「大坂の暮らしはどうじゃ?」
幸繁「・・珍しいことばかりで・・・  」

石田「さて、悪い知らせがある。・・・」

幸繁「え、・・・  」
石田「景勝は越後に今朝発った。・・・・」

幸繁「私はどうなるのですか?」

・・・・・・・・・・・
幸繁「上杉とは固い絆で上杉と結ばれています。・・・」
秀吉「昔の話じゃ・・・わしは、徳川が真田を責めた際、
   真田に味方せぬにように伝えた。・・・」


石田「よい報せもある。・・
   ・・・おぬしを馬廻役を申しつくる。」


石田「すでに徳川に書状を送りました。・・」
秀吉「気が利くのう。」

石田「真田源次郎信繁、明日より、殿下の家来じゃ。」

●三成亭
幸繁「事情が変わった。・・私は殿下の家臣になった。」
きり「どう変わったのでございますか?」

・・・・
幸繁「帰りなさい。」
と三成に声をかけた。

幸繁「お前は上田に帰りなさい。」
きり「ここにいます。真田に帰っても何もすることがありません。」
幸繁「わけの訳のわからいないこというな」


幸繁「だから、帰れというのに・・」

また、
きりはプッツン・・・切れちゃった。
戸をガシャーン・・・バシッ・・

★ナレーター
「馬廻役は戦場で主の身を守っていた。しかし、秀吉の馬廻り衆が
 絶えず、傍に仕えていた。・・」


●馬廻室
片桐「ここが源次郎の務め先じゃ」
幸繁「はっ。・・・・」
片桐「平野殿、新しく馬廻役になった真田源次郎じゃ」
平野「あの権左の代わりかあ。・・」


片桐「では、よしなに・・・」


帰ると。
「なにが・・・よしなにじゃ。・・抜け作・・・」

「赤幌衆と黄幌衆・・・」


・・平野ごろん
幸繁「どなたか、なくなられたです。」
平野「権左・・・
・・・
平野「権左は殺された。下手人も分かっておる。
   加藤清正があの夜、ここに来た。・・・」
   ・・・飲んだ後、連れていかれた。・・・
   そして、井戸に落とされた。」

幸繁「殺される理由があるのですか?」

平野「権左・・・茶々の好みであった。」
幸繁「・・色白の・・・・」
平野「あの権左を井戸に・・」

平野「??殿・・・・」・・・

平野「権左のにの前になるな・・・」



●大広間・・・千利休
茶々が幸繁に色目を使う。
秀吉「・・ずいぶんと集めたなあ。」
利休「そちらには異国の生地をそろえました。
   シャム(★タイ)・・・・ルソン(フィリピン)・・・

「よし決めた。これ、と、これ〜。」

幸繁を見つめる茶々。・・・



茶々「きれい。・・・」
□□「叔父上・・・よい物をえらばれましたな?」
寧々「・・これは貴方が選んだのですね。殿に選べるはずが
   ありません。・・・」
秀吉・・・メンツ丸つぶれ。


そこへ、きり・・・
幸繁、ガーン。・・・きりがいる。

幸繁「何でここへ?」
きり「私が頼んだんです。」
寧々「人手が足りなくての・・・」
小声でけんか・・・

色目を使う秀吉・・・遮る寧々。

秀吉「知り合いか?」
幸繁「私が上田から連れて参りました。・・・」
秀吉「源次郎の□か?」
幸繁「そのような関係ではございません。」


秀吉「まもなく九州征伐が・・・」
石田「・・・北条や徳川が良からぬことを考える・・・」
秀吉「・・・大友・秋月・安蘇・□を使って・・・」
石田「毛利・長宗我部も使って・・・」
秀吉「これからは人質がたくさん来る。めんどうみたって
    くれるか?」
寧々「私にできるかどうか?」
・・・・・
秀吉「寧々でないとダメなのじゃ・」
寧々「私でよろしいのですか?・・・」

秀吉「流石、わしのかかじゃ。寧・・」
と抱きすくめる。

茶々が幸繁に・・・
「ねえ、権左って死んでしまったの?」

秀吉「権座が井戸に落ちたのか?・・・」
茶々「それは残念ね。・・・」

石田「権左の代わりに、源次郎が加わりました。・・・」



●馬廻の部屋

幸繁「平野殿はどのような方?・・・」
三成「・・・七本やり・・・」
※賤ヶ岳7本槍
福島正則・加藤清正・加藤嘉明・脇坂安治・糟屋武則・片桐且元

三成「・・・・そしてあと一人
   ・・・平野長泰・・・


幸繁「ところで・・・真田はどうなるのですか?」
三成「徳川は出陣する。」
幸繁「それでは、真田は滅んでしまいます。」
石田「その前に止めさせる。徳川に貸しを作っておくだ。・・・」
   戦で決する時は終わった。・・・ 」



●御文庫=図書館
幸繁は石田に大坂城地図を見て覚えることを命じられた。
石田「写すのではなく、頭で覚えよ。」

石田&□□の内緒話・・・こっそり聞く幸繁。
□□「千利休は・・・堺の商人です。・・」
石田「堺は千の利休が力を握っておる。・・・」
□□「どうされますか?・・・」
石田「・・・必ず、(利休)を引きずりおろす。」
と襖を開けた。

座って絵図面を見ているふりをする幸繁・・・
石田「今日はここまで・・・」

●馬廻り控え室
平野「殿下は・・忙しい方だ。・・・
   それでいて、妾も□人・・・
   どこから、そんな体力がでてくるのか?」


●廊下→馬廻り控え室
侍女「・・茶々様がおよびで、・・・」
幸繁「用事がありますので、・・・」
侍女「そこを曲げて、・・・たっての願いじゃ。」

幸繁「茶々様は権座様のこと・・・
   あまり悲しんでいないように思われますが・・・」
侍女「茶々様は悲しむことを止めたのです。」


●茶々の部屋
茶々は帯を締めた姿を幸繁に見せる。・・・

茶々「似合うであろう。」
幸繁「わかりません。」

茶々「そちは妻は・・・」
幸繁「亡くなりました。・・・」
茶々「それは悪かった。・・・」


幸繁「お願いがあります。このことは殿下には内密に・・」
と頼んだ。・・

●馬廻り控え室
平野「大丈夫であったか?」
幸繁「?」
平野「茶々様のことではなかったのか、つまんないの?」
信繁「どういうことですか?」
平野「殺されたのは・・3人目・・・、殿下の怒りにふれて・・」

●井戸
信繁は想像する。・・・
  殺害のことを・・・

加藤清正「わしが殺した。」
幸繁「何故、殺したのですか?」
清正「気に入らなかったので、殺した。
   お主も」
加藤が胸ぐらを掴む。・・・
幸繁は合気道で指をねじる。
しかし、加藤は力が強く幸繁を持ち上げて井戸に投げ捨てようと
した。

秀長(秀吉弟)「虎、止めないか。・・・」
清正は場を離れた。


秀長「わしらは生まれながらの武士ではない。
    今、わしらは変わり過ぎて・・・ついていけない。
    兄上も同様じゃ・・・。」
幸繁「・・・」

秀長「・・虎之助は真っ直ぐな男じゃ、赦してやってくれ。」



●駿河城・・
長刀女軍団・・・指導は平八郎:仮面ライダー藤岡弘であった。

平八郎(本多忠勝)「「娘:稲(いな)です・・・」
★後、稲=小松姫・・・真田信幸の妻になる。

忠勝「赤子の頃、殿に・・・」

本多正信「・・・」
家康「・・平八郎、いよいよ、真田討伐しゃ。」

・・・・・

家康「秀吉から許しをえたら・・・・」
稲「私も行きとうございます。」

家康「真田ごとき・・たたきつぶしてくれる。
   そなたの力を借りずとも大丈夫じゃ・・・・」

正信「書状が大坂につく頃です。・・・・」

◆ナレーター
「家康の出陣が上田城に伝えられた。」

●上田城

昌幸「家康が出陣したか?・・・」
信幸 「父上が早く上洛しなかったからです。・・・」
出浦「上杉の援軍を頼んである。・・・」

そこへ高梨内記。
内記「上杉が援軍がことわってきました。」

昌幸「なんと・・・」
内記「此度は秀吉に命じられたようです。」

★地図の上に碁・・・
 白・・・真田領:上田城・岩櫃城・沼田城。
黒・・・徳川・北条・上杉・・・

信幸「源次郎に頼むしかありません。」
昌幸「・・でも、なぜ出陣が遅くなったのだ?」
出浦「何かを待っているのでは?」
信幸「・・・徳川は秀吉の許しをまっているのでは・・・」

内記「・・・」
昌幸「・・・おもしろくなったきた。」


●大坂城
※秀吉は関白の位をえようと京に行っていた。

秀吉「もどったぞ。」


●馬廻り館
平野「源次郎、殿下がおよびじゃ」
「おまえ死ぬぞ・・・死ぬなよ。・・・」

●大広間
秀吉「家康か。あやつめ、本当にわしの家臣になるつもり
   であろうか?」
石田「・・・・」
秀吉「源次郎、そなたの見立てはいかがじゃ?・・・
   家康に会ったことがあるそうじゃのう。」

信繁「徳川は・・・本心ではありません。・・」
秀吉「言い切るのか?」
信繁「あの方は慎重でございます。・・・・」

秀吉 「一理ある。」
石田「源次郎、お主が真田でなければ、信じもしようが
   ・・・。」
・・・・・
秀吉「う〜ん。・・・・」

片桐「殿下、そろそろ、お支度を・・・」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
●廊下
幸繁「殿下、たいしたおかたですね。私のような者にも
   耳を傾け・・・」

片桐「浜松へ行かねばならぬ。気が重い。・・・」
幸繁「何故ですか?」

片桐「殿下は徳川は真田の攻めを認めた。」
幸繁「真田攻めはなくなったのでは・・・
   石田様がそうおっしゃていました。
片桐「本当じゃ。」
幸繁「言っていることが違います。今、徳川にせめられたら、
   ひとたまりもありません。
  真田が滅びでしまう・・

●井戸前
幸繁「殿下、石田様、・・・」
と叫ぶ。
茶々が見ている。・・・・

・・・・・・・・・・・・・続く。
◆予告

◆加藤清正のゆかりの地
津島城

妙円寺

※おまけ・・・熊本城
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◎◎◎
◎◎◎
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〜〜〜2016年【真田丸シリーズ】〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
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箕輪初心:生方▲箕輪城183真田丸1【真田幸綱・昌幸・幸繁
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箕輪初心:生方▲山梨【新府城】:武田勝頼60日の城&出浦盛清
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箕輪初心■長野【信州の桜の名所15城】=高遠城・須坂城他
http://53922401.at.webry.info/201204/article_8.html


●▲■【第2話】天正10年(1582)3月11日、武田氏滅亡*****
箕輪初心:生方▲真田丸15『真田丸第2話「決断」のあらすじ』
http://53922401.at.webry.info/201601/article_18.html

箕輪初心:生方▲真田丸16【真田の選択&武田勝頼の最後の真偽】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_19.html

箕輪初心●山梨【岩殿城】=武田勝頼を裏切った小山田氏の山城
http://53922401.at.webry.info/201202/article_5.html


●▲■【第3話】天正10年(1582)3月中旬、信長:法華寺にて**
箕輪初心:生方▲真田丸22『第3話:「策謀」のあらすじ』
&登場人物の解説
http://53922401.at.webry.info/201601/article_25.html

箕輪初心生方▲真田丸71【諏訪上社前宮〜上社本宮&
「信長と光秀&真田信繁?因縁の法華寺」
http://53922401.at.webry.info/201603/article_17.html

箕輪初心★織田信長F安土城から天下取り開始
http://53922401.at.webry.info/201206/article_11.html

箕輪初心●滋賀「安土城&ハ見寺&博物館」
http://53922401.at.webry.info/201101/article_12.html



●▲■【第4話】天正10年(1582)6月2日、本能寺の変******
箕輪初心:生方▲真田丸29【TV第4話「真田昌幸VS徳川初対決
〜本能寺】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_1.html

箕輪初心:生方▲映画『信長協奏曲』面白過ぎのあらすじ
http://53922401.at.webry.info/201601/article_30.html


●▲■【第5話】天正10年(1582)6月中旬、昌幸と滝川一益***
箕輪初心:生方▲真田丸36:第5話【織田信長の死→窮地】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_9.html

箕輪初心●箕輪城シリーズR「第11代:滝川一益」
http://53922401.at.webry.info/201010/article_33.html


●▲■【第6話】天正10年(1582)6月9日、森長可の撤退******
箕輪初心:生方▲真田丸43:第6話【迷走】のあらすじ
&「森長可の撤退」
http://53922401.at.webry.info/201602/article_19.html



●▲■【第7話】天正10年(1582)6月20日、神流川の戦い〜小諸城**
箕輪初心:生方▲真田丸50第7話『滝川一益の逃亡』
箕輪城→小諸城へ
http://53922401.at.webry.info/201602/article_26.html

箕輪初心▲埼玉上里【金窪城】&『神流川の戦い』詳細
http://53922401.at.webry.info/201409/article_21.html

箕輪初心◆高崎【第16回新町神流川合戦:滝川一益】
http://53922401.at.webry.info/201211/article_3.html

箕輪初心:生方▲真田丸30【真田昌幸と滝川一益との腐れ縁:友情】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_2.html

箕輪初心●群馬【松井田城】=安中忠政→大導寺政繁の城
http://53922401.at.webry.info/201112/article_2.html

箕輪初心:生方▲真田●65【小諸城】:ちょっと文学探訪&歴史
http://53922401.at.webry.info/201603/article_10.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201603/article_10.html

箕輪初心:生方▲箕輪城175『第13回箕輪城祭り』写真集
3−@出陣式〜出陣
http://53922401.at.webry.info/201510/article_26.html

箕輪初心:生方▲箕輪城176『第13回箕輪城祭り』写真集
3−A出陣〜着到
http://53922401.at.webry.info/201510/article_27.html

箕輪初心:生方▲箕輪城177『第13回箕輪城祭り』写真集3−B
着到〜攻防戦
http://53922401.at.webry.info/201510/article_28.html


●▲■【第8話】天正10年(1582)7月13日真田昌幸が北条氏直に謁見
箕輪初心:生方▲真田丸 57「第8話『調略』のあらすじ&川中島
http://53922401.at.webry.info/201602/article_32.html
★天正壬午の乱の開始

箕輪初心●長野:海津城=松代城:川中島の戦いでの信玄の拠点
http://53922401.at.webry.info/201309/article_14.html

箕輪初心◆長野の松代:松代藩真田家藩士の家巡り
http://53922401.at.webry.info/201309/article_13.html


●▲■【第9話】天正10年(1582)8月、天正壬午の乱、
箕輪初心:生方▲真田丸63TV第 9話【天正壬午の乱】のあらすじ
&平山優説の違い
http://53922401.at.webry.info/201603/article_8.html

箕輪初心:生方▲真田丸48【佐久:春日城】依田信蕃と真田昌幸
http://53922401.at.webry.info/201602/article_24.html
★依田信蕃が真田昌幸を徳川に引き入れた。


箕輪初心:生方▲山梨【若神子城】武田信玄の信濃攻略の拠点&
烽火集積地
http://53922401.at.webry.info/201504/article_29.html
★北条氏直の陣


箕輪初心:生方▲山梨【獅子吼城】:徳川家康VS北条氏政
http://53922401.at.webry.info/201505/article_1.html
★徳川家康は大導寺政繁のいる獅子吠城を服部半蔵を使って攻略。


箕輪初心:生方:▲山梨【谷戸城】甲斐源氏祖:逸見清光の居城
http://53922401.at.webry.info/201505/article_2.html
★徳川家康は旧武田遺臣を味方に付け、谷戸城を攻略。



●▲■【第10話】天正10年(1582)10月徳川&北条和睦*****
箕輪初心:生方:真田丸70◆ 10話『上田城築城』
&曳間城(浜松城の前身)
http://53922401.at.webry.info/201603/article_15.html

箕輪初心:生方▲真田丸31【真田幸隆の知恵:徳川家康を利用して
造った上田城】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_3.html

◆◆ 箕輪初心●井の国後編:「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_4.html
★井伊直政は北条氏の大導寺政繁との交渉で徳川方の使者と
して政治的手腕を発揮。徳川&北条の和睦の立役者であった。
徳川家康が武田氏の旧領:信濃国・甲斐国を支配。
●井伊直政は武田氏の旧臣達約120人と家康の旗本の一部が配属された。
 →山県昌景の意志を尊重し、「井伊の赤備え」部隊の大将となった。
★関ヶ原の合戦後、井伊直政が真田信之に頼まれて、真田昌幸と
 真田信繁を命乞いを徳川家康にしたのに、井伊直政は真田丸に
 出てこない。後、真田幸繁の『真田丸』なんてなかったのに・・


●▲■【第11話】天正11年(1583)上田城完成祝いと室賀殺害***
箕輪初心:生方▲真田丸74【「加沢記」の室賀】
&TV 11話「祝言」のあらすじ
http://53922401.at.webry.info/201603/article_22.html

箕輪初心:生方▲真田丸84【室賀城=原畑城+笹洞(ささぼら)城】
&室賀氏・屋代氏の歴史&真田昌幸
http://53922401.at.webry.info/201604/article_11.html



●▲■【第12話】天正13年(1585)6月頃************
箕輪初心:生方▲真田丸77:第12話「真田幸繁の上杉への人質」
&平山・丸島諸説
http://53922401.at.webry.info/201603/article_29.html
6月頃 真田昌幸は上杉景勝に従属することを決めた。真田弁丸
 (信繁)の供奉衆に矢沢頼幸が同心として預けられ、一軍の指揮
  官に任じられた。・・・
7月15日は上杉景勝への9ヶ条の起請文
@上杉に忠節を尽くせ
A敵が攻めてきたら援軍をよこせ
B噂や密告を信じないで、密接な関係でいようね。
C信濃国の知行は海津城将:須田満親が行う。
D小県(上田)、吾妻(岩櫃)、利根(沼田)・坂木の庄を安堵した。
E佐久甲州のどこか、長野一跡(箕輪城)を与える。
F屋代秀正の一跡(荒砥城&屋代城)を与える。
G真田昌幸に禰津昌綱の処遇も一任した。
平山説・・・昌幸の配下にすること
◎天正11年に出浦昌相(一般論の出浦盛清は誤りか?)
が真田の家臣になったのと符号する。
真田昌幸に安堵した埴科郡に出浦の所領が入っているので
(★丸島説)・・・『真田丸』に合致している。


●▲■【第13話】天正13年(1585)閏8月2日、第一次上田合戦**
箕輪初心:生方▲真田丸80【第1次上田合戦】加沢記・平山説
&第13話「決戦」
http://53922401.at.webry.info/201604/article_6.html

箕輪初心:生方▲真田丸32【真田昌幸:空城の計&第一次上田合戦】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_4.html



●▲■【第14話】天正16年(1586)6月上杉景勝・真田幸繁上洛*
箕輪初心:生方▲真田丸85【2016上田城の桜&真田丸展】
&真田昌幸の豊臣秀吉への臣従過程
http://53922401.at.webry.info/201604/article_13.html

箕輪初心:生方▲真田丸86【昌幸の秀吉への臣従過程2説】
&第14話『上洛』
http://53922401.at.webry.info/201604/article_14.html

※倶利伽羅峠〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★木曾義仲:上野国多胡庄2ヶ月→信濃依田城で蜂起
http://53922401.at.webry.info/201310/article_3.html

箕輪初心★木曾義仲Cゆかりの地:埼玉→信濃→上野→信濃→北陸へ
http://53922401.at.webry.info/201406/article_17.html

箕輪初心★松尾芭蕉33『奧の細道22』【金沢・小松】&My金沢城登城
http://53922401.at.webry.info/201208/article_17.html


●▲■【15話】天正16年(1586)6月上杉景勝・真田幸繁上洛*
箕輪初心:生方▲真田丸87【 15話『謁見』のあらすじ】&平山優
http://53922401.at.webry.info/201604/article_22.html

*******************************
●【番外編】
箕輪初心:生方▲2016スキーbP2:丸沼
&真田丸76『沼田の真田丸展』
http://53922401.at.webry.info/201603/article_28.html



★明日は川中島の合戦関係かな?

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箕輪初心:生方▲真田丸90【真田幸繁の豊臣家臣へ】の史実:丸島説・平山説&第16話『表裏』あらすじ 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
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