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zoom RSS 箕輪初心:生方▲真田丸87【 15話『謁見』のあらすじ】&平山優説

<<   作成日時 : 2016/04/18 10:38   >>

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平成28年(2016)4月14日の午前1時25分〜18日午前7時
までに既に500回を超え熊本・大分地震・・・まだ警戒が必要。
人的被害・物的被害も甚大である。加藤清正の熊本城が崩れた。
天正13年(1585)11月29日〜12月23日 天正の大地震。
豊臣秀吉は徳川家康の尾張攻めを諦め、災害復旧に専念した。
天正14年(1586)6月14日、真田信繁は上杉景勝・直江兼続と
共に大坂城に出向いた。真田信繁の豊臣秀吉の謁見については
『天地人』では、上杉景勝・直江兼続の勧めで謁見、『真田丸』
では、豊臣秀吉自らの希望、石田三成の援助で謁見、そして
『真田丸』では、真田昌幸が上洛しないことへの不満・不快感が
全面に出ていた。しかし、『史実』では、徳川家康に対する懐柔
策の一環であると考えられている。


【0】熊本城
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  ↓
4月17日、産経新聞
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4月18日、TV
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【1】真田丸 15話『謁見』のあらすじ
◆ナレーター
「秀吉の上洛命令によって大坂城へと赴いた上杉景勝・・・。その
 景勝に伴われて初めて大坂に足を踏み入れた信繁は、壮大なスケ
 ールにただただ驚くばかりであった。・・・圧倒される信繁に
 ・・・・」



●大坂城
信繁の前に突如現れた秀吉・・・・。

秀吉「真田安房守の息子か?」
幸繁「はい、・・・」

秀吉「三成のいない隙に」・・・」
秀吉は屏風の裏に信繁を連れこむと、名乗りもせず、
家臣:片桐に用意させた安物の着物に着替え始めた。
信繁「もしや、・・・」
秀吉「秀吉じゃあ。」
そして、天下人の座を不動のものとしていた豊臣秀吉と運命の対面
を果たした。
秀吉はニッコリ笑いながら
「秀吉である。」
と告げた。

秀吉「面白いところへ連れて行ってやる」
信繁「これから、上杉様と・・・・」
秀吉「あとじゃあ。・・・」
景勝とはまだ面会していないというのに・・・・。

秀吉「・・・」
そのまま信繁を連れだした。

・・・・・・・・・・・・・・
石田三成が、秀吉の脱ぎ捨てた着物を見つけた。
三成「またやられた。」
今回が初めてではなかった。

三成「片桐殿は知っていらしゃったのですか?」

ドラマでは豊臣秀吉はただの上杉景勝の人質に過ぎない真田信繁
を遊郭に連れていく。
真田信繁は天下人らしくない豊臣秀吉の気さくな態度や考
えに次第に惹かれていく設定になっている。
しかし、豊臣秀吉には表の顔&裏の顔があった。

●大坂の遊郭
秀吉が向かった先は?
小鼓の音・・・・
太夫「待てども・・・」
と謡っている。」
秀吉・幸繁たちは、遊廓にいた。

秀吉は遊女の華麗な舞を見ながら上機嫌で酒を飲んでいる。
一升枡の男=福島正則は酒を飲んでいる。

太夫「ご無礼、申し上げました。・・・」
と秀吉に近づいた。
秀吉「わしの側女にならんか?わしだけの側女・・・」
太夫「」
・・・・
秀吉「では、せめて一晩だけでも」
★・・・Hくせえ男であった。
秀吉「城に来ぬか?」

太夫「ごゆっくり」
秀吉「行っちゃうの?」
・・・・・・・・・・
秀吉「あれだけの女はいない。」
信繁「・・・・・」

そこへ三成が現れた。
三成「景勝を残したままで・・・。」
「仕事を放りだして向かうのはここしかないと思いました。
と嫌味を言う。

秀吉は、「源次郎が行きたいと言うから仕方なく連れてきた。」
「のう。」
と責任転嫁する。
「はい。・・・」
信繁は話を合わせた。
秀吉は機嫌がよくなった。

三成は、秀吉と信繁の芝居に呆れ、秀吉を城へ連れ戻そうとする。
「上杉様が待っておられます。帰りましょう。」
秀吉「景勝には明日会おう。」
と城に戻るのを拒否した。

三成「ぞんぶんに・・・明日ですぞ。」
景勝と秀吉の面会は、また一日延びた。


●上田城
上田城の昌幸のもとに、秀吉から上洛を促す書状が再び届いた。

昌幸「また、催促して来おった。」
信幸「どうなさるんですか?」
昌幸「秀吉はどれだけのもんじゃい・・」
信幸「毛利も上杉も従っているというのに。・・・」
昌幸「秀吉は今がてっぺんだと思う・・・
    下る前のてっぺんではないだろうか?・・・
    わしは織田の時の二の前はふみたくはない」

昌幸「もうすこしまとう。源次郎の報告をまってからじゃ。」
信幸は心配で仕方がない。・・・・
昌幸は信繁が秀吉を懐柔してくれるからと無視をきめこむ。
信幸は信繁ばかりを頼りにする父に淋しさを覚えていた。


作兵衛は信繁の娘:すえをあやしてる。・・・
  「すえ」
信幸は元気なし・・・・理由は源次郎ばかり評価している
 からである。
作兵衛「・・すえにわしのおっぱいを吸わしてみた。」
信幸「止めた方がいいのでは・・・」

佐助「信繁様・・・」
信幸「今、ひまか?」

佐助「・・・・出浦様に弟子入りをしました。

出浦「・・・空蝉ここまで・次は火遁の術しゃ

火が・・・ぼー・・・」
信之

●昌幸の部屋
昌幸「近々登城するかもしれない」
薫「あなたがそうなさりたいのなら・・・」
昌幸「お前の城をつくると約束した。わしは大名になる。」
薫「どうなりますやら、・・・・」
昌幸「源次郎を待つ。・・・秀吉はどうでるか?」
・・・母:薫は信幸の心中を察し、昌幸に愚痴る。
薫「昔から源次郎をひいきになさいますが、あの子も一生懸命
  なのです。」
昌幸「信幸が真田の力になるのはもう少し先じゃ。」
薫「源次郎は似ています。あなたに・・・、
  少しは信幸も大事にしてやってください。あれも
  あなたの子です。」
昌幸「今は乱世。もうすぐ、世の中が落ち着いた時こそやつの
   出番じゃ。乱世で荒れ果てた国を建て直す時こそ、信幸
  の生真面目さが役に立つのだ。」
薫「そんな時がくるのでしょうか?」


●大坂城
景勝「・・気にいらん。わしは下にはつかん。」
と秀吉の無礼を批判した。
景勝「明日、殿下に会わせてあげよう。わしが間に立つ。」
と信繁にいう。
景勝は信繁と秀吉の面会の取次ぎを約束した。
信繁「ありがとうございます。」
信繁は、景勝よりも先に秀吉に会ったことなど言えるわけもなく、
複雑な表情で礼を述べた。




●石田三成邸
信繁が部屋へ戻った。早速、書き物している。

きり「今日、何をしたか、お聞きください。・・・」
信繁「今日、何をしたか?」
きり「大坂は賑やかでした。・・・・」
・・・・・・・
きり「らくがんはがあります。食べますか?」
信繁「・・・お前が食べろ。・・・」
信繁はきりの今までと違う親しみのある態度に戸惑う。

きりは大坂の話をし始めた。
信繁「・・・」
きり「・・聞いてないでしょう。」


三成は信繁の元にやって来た。
信繁「石田様」
三成「殿下のだしにされたようですね。」
信繁「いえ・・・」

三成「客人と会わせたい。」
三成は信繁を連れだした。

三成の部屋に行くと、そこには大谷吉継がいた。
大谷「真田安房守の息子か?」
信繁「はい、源次郎にございます。父をご存じですか?」
大谷「あったことはない。でも、徳川に勝ったことで、
   有名じゃ。」
3人が酒を飲み始めた。
徳川を破った真田氏を褒めたたえる。・・・・

◆ナレーター
「大谷吉継は、以前より三成とともに秀吉を支えてきた者で、
 大坂一の切れ者として知られている男であった。」

3人で酒を飲んでいると、加藤清正がやってきたという知らせ
が入る。
三成「何しに来た。わしはあわん。」
家臣「お詫びしたいとの事です。」
三成「夕べ、酔っ払って、わしの家に寝てしまった。」
大谷「かわいいところがありますな。」
三成「会ってこよう。」
三成は清正に会いに席を外した。

信繁は、三成の態度が急変した理由を吉継に尋ねてみる。
「・・・素っ気なかったに、何故、態度が変わったのでしょう?」

大谷「真田源次郎、治部殿はおぬしを低く見ていたからだ。
   急にそぶりが変わったのは、秀吉がおぬしを気に入ったので、
   大事な人と認識したからだ。」
と説明した。
大谷「殿下はひとたび気に入った若者は、始終そばに置いて
   おきたくなるお方。・・・いろいろと面倒になるぞ。
   これから」
信繁「ははああ・・・。」

◆ナレーター
「大谷吉継・・・娘が信繁の正妻になるのは先のことである。」


三成が戻ってきた。
信繁「・・・お供ししとうございます。」
三成「ならぬ。」

◆ナレーター
「6月14日、ようやく上杉景勝は秀吉に拝謁した。」


秀吉「・・・会いたかったぞ。景勝・・・
   上杉の本領である越後の安堵する。
と約束する。

秀吉「謙信公は関東管領として活躍された。
   ・・・・
   
秀吉「関東管領の代理で、・・従4位の下でどうじゃろうか?・」
景勝「ははあ。・・・」
秀吉「これより、先は真田を締めてやらねがならぬ。何度、上洛を
   催促しても、わしの所に来ぬ。
徳川は真田を攻める。・・・これからは
   真田に肩入れは無用・・・・

兼続「それは真田と徳川が戦になった時、真田に加勢するなとの
   ことでございましょうか」
秀吉「そういうことじゃ」
景勝「しかし、上杉は真田と盟約を結んでおります」
秀吉「だから、それを反故にしろと言うておるのじゃ」

秀吉は上洛の要求を無視する昌幸を懲らしめるため、そして、
    真田討伐に乗りだす家康に恩を売るためだった。

※秀吉は表の顔とは裏腹に、裏の顔は?秀吉の思惑は?
秀吉が上洛して傘下に入るよう命じた。しかし、上洛しない全国の
諸大名の中には信繁の父:真田昌幸も含まれていた。
真田昌幸は秀吉の上洛命令に対して返答を先送りにしていた。
秀吉は真田昌幸に不満を持っていたのである。
真田昌幸は「第一次上田合戦」で徳川の大軍を撃退したとはいえ、
徳川家康の脅威はなくなったわけではなかった。佐奈だけは徳川
の大軍に攻め込まれるかも知れないという危機感を持っていた。
上杉景勝は真田家の次男:信繁を我が子のように思い、苦悩する。
上杉家の「義」と現実的な上杉家の生き残りの狭間で・・

秀吉「話はここまでじゃ。利休の炊けたちゃでも飲んでいけ。」




◆ナレーター
「千利休 ・・・利休は日本一の茶人で、秀吉の相談役でもあった。

●茶室
景勝は信繁に、真田を裏切るよう命じられたことを
言えないままでいた。

●信繁の控え室
三成がやってきた。
三成「殿下から茶席に勧められた。」
と伝えた。
信繁「茶のたしなみなどありません。」
困惑する。

きりに着替えを手伝ってもらい、秀吉の待つ茶室に向かった。

景勝は秀吉に
「真田安房守の息子、源次郎です。
と信繁を紹介した。
信繁も初対面を装った挨拶をする。

しかし秀吉は、
「昨日会ったではないか。」
と言いだした。
景勝は秀吉と信繁がすでに知り合いであったことを察知した。
信繁は景勝より先に謁見したことを申し訳なく思っている。
秀吉はそれを見越して、わざと指摘し楽しんでいる。

千利休が茶室に入り茶席がはじまった。
挨拶をした。

「新しいものがみえてきます。」
茶の湯・・・
秀吉に続き景勝が茶を飲む。・・・・
景勝が椀を持つ。作法通り・・・・。。
信繁は固まっている。
景勝は椀をおく。

秀吉「景勝・・さきに源次郎とさきにでてよ」
秀吉は2人を帰した。

秀吉は利休に見立てを聞く。
秀吉「どうであった?」
桂三枝利休「上杉殿、ずいぶんと心乱れてはりましたな」
「それはそうであろう。最後は・・・
利休「しかしその迷いも、途中で吹っ切れたようにお見受けしました」
   踏ん切りをつけて最後は心穏やかに茶を飲んでいました。」
と見立て、・・・景勝は秀吉の臣下につくと断言する。



信繁「私も飲んでみたかったです。」
景勝は信繁に、
「わしにとって生涯でいちばん苦い茶だった。」
と本音を漏らすのだった。


●三成邸
若者(豊臣秀次)は三成邸に入ってきた。
きりは中庭にいた。
廊下を歩いてくる若者(豊臣秀次)出会った
若者「びわを叔母に届けてほしい。」
と頼まれた。
きり「叔母様?どなたですか?」
若者「しらんのか? そなたは? 」

きり「真田源次郎付きのきりと申します。・・・」
若者 とにかくびわを叔母に届けてほしい。





◆ナレーター
「きりはたやすく引き受けたが、実はその若者は秀吉の姉の息子:秀次
で、叔母とは秀吉の正室・寧(北政所)のことだった。
きりにびわを託した秀次は、会議に参加するため大広間に向かった。」


●大広間
秀吉、三成、片桐且元、実弟の羽柴秀長が集まり検地についての
会議が開かれていた。

秀吉 「いいから見ていけ・・・」
信繁も隅で見物することになった。

秀次が遅れてやってきた。
秀吉「検地とは・・」
秀次「・・・・分かりません。」
三成が説明する。

秀吉「米を計る升が各地でバラバラだ。
   検地は実施されていたもののあまり上手くはいっていない。
   どうしたらよい。秀次?」
秀次「・・分かりません。」
三成「源次郎、どう思う?・・」
秀吉「源次郎、どうじゃ?」・・・どっちだっけ?
信繁「枡の大きさを同じにすればよいと思います。・・・」
秀吉「その通りじゃ。」
※度量衡の統一・・・升の大きさを統一することで全国の石高を
 把握することになる。
秀吉は「三成、早速進めい。」
と大任を三成に命じた。

サミット会議が終わった。
秀吉は信繁を連れて茶々に会いにいく。


●茶々の部屋
秀吉「茶々・・・」
「・・・イノシシの子どもがやってくるとは?・・」
茶々の部屋で、信繁や茶々とともにカルタ遊び?
トランプ遊びになった。神経衰弱であった。
茶々は信繁にゲームを説明する。
秀吉は大はしゃぎ・・・・。

茶々「イノシシ・・やるねえ。」
秀吉「初めてにしては上出来・・・」

茶々は廊下に座っている馬廻りの権三と見つめあう。
浮気?

秀吉は権三と茶々が親しげにしているのに気づくと、
 いやな目で2人を見るのだった。
信繁は成りゆきを見守る・・・。
信繁「やっちゃいました。」
と2枚目を外した。

茶々「次、殿です。・・・」
秀吉「なんだよこれ・・・」

秀吉はやがて置いてあった札をぐしゃぐしゃにした。
カルタは終了となった。

※信繁は秀吉の裏の顔に信繁は気づいていない。
秀吉は正室:寧らと無邪気にはしゃぐと見せて、巧妙な策略で
真田家を危機に陥れようとしていたのである。

●庭
きりは寧(ねね)にびわを渡した。
きりは寧に中庭に連れてこられた。

◆ナレーター
「秀吉は身内を大切にしている。・・・・・」

●中庭
加藤清正、福島正紀、木下辰之助(小早川秀秋)が茹でたての
サトイモを頬張っていた。

羽柴秀次、秀吉と信繁も合流した。
信繁「なんでここに?」
きり「枇杷を届けに・・・」
信繁ときりは秀吉の憩いの一時をを見守った。

きりは寧の手伝いをしていた。



きり「・・・天下人とは見えません。どこにでもいそうな男
   ですね。」

信繁「このような男は見たことがない。」
と思うのだった。
★凄い男だが、真田を狙っている。
 史実では徳川対策の一環であるが・・・・

●感想
表の顔・・・織田信長の瞬間湯沸かし機ではなく、誰からも好か
      れる愛嬌者で剽軽者・・・・。
      一見・・・庶民的で社交的。
裏の顔・・・独占欲がさみしがり屋で嫉妬深く、女好き。
身内を大切にする=味方がいないことの裏返し・・・
 実態・・・策謀家で織田信長以上の野心家。
      今回、片鱗が見えた。全国統一→朝鮮出兵と繋がる。

◆ナレーター


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

予告「・・・」


●長浜城・・・「茶々・・・」
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石田三成は浅井家の家臣・茶々は・・・★信繁の運命を変える
存在となるのである。


【2】『真田四代と信繁』丸島和洋著
@真田幸繁は第一次上田合戦に参加していなかったはずである?
同時代の史料から確認できない。人質なのに怪しい。
しかし、山之手殿を代わりに人質に出した説もある。
A北条氏政は北条氏邦に吾妻に侵攻させたが、千葉氏とも争って
 いて余裕はなかった。
B徳川家康は井伊直政の救援
 丸島説・・引き上げる為のデモンストレーション?
C真田昌幸は10月〜秀吉の応援にこぎ着けた。
丸島説・・籠城し、秀吉の救援を待とうとしたと考えられる。
C徳川bR石川数正の出奔は秀吉の取次役
丸島説・・・家康と数正の関係悪化説・・・秀吉に傾いていった。
E徳川家康は秀吉に軍制がばれたので、武田流に変えざるを得なく
 なった。
F徳川家康は地震によって秀吉の攻撃から救われた。
G豊臣秀吉の徳川への懐柔策
天正14年2月 秀吉は昌幸に信濃領土拡大を止めさせた。
       4月 秀吉妹:旭姫を家康に嫁がせた。
       6月 上杉景勝の上洛。
       6月 上杉景勝の上洛。
       9月 真田昌幸は家康の与力大名へ 

【2】『真田三代』:平山優著
@真田信幸と矢沢頼幸を海津城将:須田満親に送った。
 須田満親は春日山城に連れて行った。
  平山説・・真田信繁は参加していなかったと考えているようだ。
◎矢沢頼幸は矢沢城に入った。
  ★真田丸のストーリーでは遊撃隊
※「矢沢家文書」では沼田城に行った。
A北条氏政は吾妻に侵攻したが、北条氏邦に委ねていた。
北条氏照は皆川城攻めに行っていた。
B徳川家康は井伊直政の救援
平山説・・・解説なし
C真田昌幸は10月〜秀吉の応援にこぎ着けた。
平山説・・・徳川家康は窮地に陥った。
D徳川bR石川数正の出奔は秀吉の取次役
 平山説・・・家康と数正の関係悪化説。秀吉に傾いていった。
11月28日 家康は使者:織田信雄の講話拒否した。
E徳川家康は秀吉に軍制がばれたので、武田遺臣に文書・記録を提出
 させた。
 ★井伊直政も武田流に変えた。
天正18年(1598)以降、北条氏政に仕えていた上泉流軍法
継承者:熊井土(後、岡本半介宣就)を中心に井伊軍法
と作らせた。
E徳川家康は地震によって秀吉の攻撃から救われた。
11月29日〜12月23日 天正の大地震
F豊臣秀吉の徳川への懐柔策
・天正14年2月 秀吉は尾張に出兵すると通達した。
   織田信雄はは家康の説得に出かけた。
   岡崎城で会見し和睦を承諾させた。
  4月 秀吉妹:旭姫を家康に嫁がせた。
臨戦態勢を解除した。  
6月14日 上杉景勝の上洛謁見。
秀吉は景勝に「所領安堵・官位を与えた」
真田昌幸・小笠原貞慶・木曾義昌を家康の
与力大名にすることを景勝に話した。
しかし、昌幸は上洛していなかった。
8月3日、真田昌幸を「表裏比興の者(ひょうりひきょうのもの)」
「豊臣秀吉が真田家の庇護者:上杉景勝に、真田が徳川に攻めら
  れても助ける事は無用であるという通達を出した。」
9月 真田昌幸は上洛・・・徳川家康の与力大名へ 
★徳川家康の与力大名
真田昌幸・小笠原貞慶・木曾義昌であった。


『真田丸』の背景は違っている。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『真田丸』では、真田昌幸が上洛しないことへの不満・不快感が
 全面に出ていた。
『史実』では、徳川家康に対する懐柔策の一環であると考えられて
 いる。
 2月に徳川領に攻撃宣言・・・水面下で懐柔策の話
 →4月、旭姫の徳川家康への嫁入り、懐柔策への変換→
 豊臣秀吉は徳川家康にも上洛要請していた。
 豊臣秀吉は天正2年(1584)小牧・長久手の戦いで、ライバルの巨大
 勢力:徳川家康を支配下にしてこそ、実質的な「天下人」となると
 考えていた。
 豊臣秀吉の家臣となった上杉景勝が徳川家康の敵である真田昌幸を
 助けることで、豊臣と徳川の関係を悪化させたくなかったというの
 が、真相である。
 6月14日の謁見では、
 豊臣秀吉は懐柔策に変換後、徳川家康に上洛させて自分の家臣となる
 ことを承諾させたかったのである。

8月3日付 豊臣秀吉→上杉景勝への書状 
『真田昌幸は「表裏比興の者(ひょうりひきょうのもの)」
  であるので、家康に命じて成敗することにした。
 (上杉景勝には)一切支援しないように (=真田家を
  助けるな。そして、徳川家康と戦ってはいけない。』
と書いた。

 かつて、豊臣秀吉は徳川家康にも「表裏比興の者」と呼んだ。
「表裏比興の者」とは、態度や去就をころころと変える?替える?者
とイメージが湧く。

比興の部分は、卑怯という言葉を置き換えたものと言われている。
 しかし、現在で言う卑怯という意味ではない。
大辞林「卑怯(比興)」
@他の物にたとえて、おもしろく言うこと。
  →おもしろく興あること。
A不都合なこと。不合理なこと。
Bいやしいこと。つまらないこと。
C臆病なこと。卑怯なこと。
 
当時の「卑怯(比興)」
@「知略家」
A「策士」
B「老獪(ろうかい)」
といった意味で使われていた。つまり、戦略知略が最大限に評価されていた
 当時の武将への最大級の褒め言葉である。

真田昌幸のような小豪族は周囲を徳川・北条・上杉の3大勢力に囲
まれている=挟まれているので、状況の急激な変化に上手く対応し
なければならなかった。むしろ、「生き抜く術を知っている世渡
り上手な者。」と賞賛されるべき意味合いを含んでいる。
 (★平山優・黒田基樹対談)


8月6日付 豊臣秀吉→徳川家康への書状
@真田昌幸を成敗してよい。
A上杉景勝の援軍のいる城には攻めるな。
B小笠原領・木曾領にも手を出すな。


◎◎◎
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〜〜〜2016年【真田丸シリーズ】〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
●▲■真田の郷の城*********************
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真田幸隆乗取&真田兄弟対決
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:横尾氏→真田信綱の居城?
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箕輪初心:生方▲真田丸39【真田:洗馬(せば)城】:横尾氏の詰め城
→真田氏の城
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箕輪初心:生方▲真田丸5【真田長谷寺】真田幸綱・正妻:河原隆正妹
・真田昌幸の墓
http://53922401.at.webry.info/201601/article_7.html



●▲■【第1話】天正10年(1582)1月〜織田信長の信濃侵攻****
箕輪初心:生方▲箕輪城183真田丸1【真田幸綱・昌幸・幸繁
と箕輪城との関わり】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_3.html

箕輪初心:生方▲山梨【新府城】:武田勝頼60日の城&出浦盛清
http://53922401.at.webry.info/201504/article_25.html
★出浦盛清(正相)は最後は真田昌幸の真田忍軍の棟梁になった。

箕輪初心:生方▲山梨韮崎【穴山氏館跡】&穴山信君・武田信吉の生涯
http://53922401.at.webry.info/201504/article_27.html

箕輪初心■長野【信州の桜の名所15城】=高遠城・須坂城他
http://53922401.at.webry.info/201204/article_8.html


●▲■【第2話】天正10年(1582)3月11日、武田氏滅亡*****
箕輪初心:生方▲真田丸15『真田丸第2話「決断」のあらすじ』
http://53922401.at.webry.info/201601/article_18.html

箕輪初心:生方▲真田丸16【真田の選択&武田勝頼の最後の真偽】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_19.html

箕輪初心●山梨【岩殿城】=武田勝頼を裏切った小山田氏の山城
http://53922401.at.webry.info/201202/article_5.html


●▲■【第3話】天正10年(1582)3月中旬、信長:法華寺にて**
箕輪初心:生方▲真田丸22『第3話:「策謀」のあらすじ』
&登場人物の解説
http://53922401.at.webry.info/201601/article_25.html

箕輪初心生方▲真田丸71【諏訪上社前宮〜上社本宮&
「信長と光秀&真田信繁?因縁の法華寺」
http://53922401.at.webry.info/201603/article_17.html

箕輪初心★織田信長F安土城から天下取り開始
http://53922401.at.webry.info/201206/article_11.html

箕輪初心●滋賀「安土城&ハ見寺&博物館」
http://53922401.at.webry.info/201101/article_12.html



●▲■【第4話】天正10年(1582)6月2日、本能寺の変******
箕輪初心:生方▲真田丸29【TV第4話「真田昌幸VS徳川初対決
〜本能寺】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_1.html

箕輪初心:生方▲映画『信長協奏曲』面白過ぎのあらすじ
http://53922401.at.webry.info/201601/article_30.html


●▲■【第5話】天正10年(1582)6月中旬、昌幸と滝川一益***
箕輪初心:生方▲真田丸36:第5話【織田信長の死→窮地】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_9.html

箕輪初心●箕輪城シリーズR「第11代:滝川一益」
http://53922401.at.webry.info/201010/article_33.html


●▲■【第6話】天正10年(1582)6月9日、森長可の撤退******
箕輪初心:生方▲真田丸43:第6話【迷走】のあらすじ
&「森長可の撤退」
http://53922401.at.webry.info/201602/article_19.html



●▲■【第7話】天正10年(1582)6月20日、神流川の戦い〜小諸城**
箕輪初心:生方▲真田丸50第7話『滝川一益の逃亡』
箕輪城→小諸城へ
http://53922401.at.webry.info/201602/article_26.html

箕輪初心▲埼玉上里【金窪城】&『神流川の戦い』詳細
http://53922401.at.webry.info/201409/article_21.html

箕輪初心◆高崎【第16回新町神流川合戦:滝川一益】
http://53922401.at.webry.info/201211/article_3.html

箕輪初心:生方▲真田丸30【真田昌幸と滝川一益との腐れ縁:友情】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_2.html

箕輪初心●群馬【松井田城】=安中忠政→大導寺政繁の城
http://53922401.at.webry.info/201112/article_2.html

箕輪初心:生方▲真田●65【小諸城】:ちょっと文学探訪&歴史
http://53922401.at.webry.info/201603/article_10.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201603/article_10.html

箕輪初心:生方▲箕輪城175『第13回箕輪城祭り』写真集
3−@出陣式〜出陣
http://53922401.at.webry.info/201510/article_26.html

箕輪初心:生方▲箕輪城176『第13回箕輪城祭り』写真集
3−A出陣〜着到
http://53922401.at.webry.info/201510/article_27.html

箕輪初心:生方▲箕輪城177『第13回箕輪城祭り』写真集3−B
着到〜攻防戦
http://53922401.at.webry.info/201510/article_28.html


●▲■【第8話】天正10年(1582)7月13日真田昌幸が北条氏直に謁見
箕輪初心:生方▲真田丸 57「第8話『調略』のあらすじ&川中島
http://53922401.at.webry.info/201602/article_32.html
★天正壬午の乱の開始

箕輪初心●長野:海津城=松代城:川中島の戦いでの信玄の拠点
http://53922401.at.webry.info/201309/article_14.html

箕輪初心◆長野の松代:松代藩真田家藩士の家巡り
http://53922401.at.webry.info/201309/article_13.html


●▲■【第9話】天正10年(1582)8月、天正壬午の乱、
箕輪初心:生方▲真田丸63TV第 9話【天正壬午の乱】のあらすじ
&平山優説の違い
http://53922401.at.webry.info/201603/article_8.html

箕輪初心:生方▲真田丸48【佐久:春日城】依田信蕃と真田昌幸
http://53922401.at.webry.info/201602/article_24.html
★依田信蕃が真田昌幸を徳川に引き入れた。


箕輪初心:生方▲山梨【若神子城】武田信玄の信濃攻略の拠点&
烽火集積地
http://53922401.at.webry.info/201504/article_29.html
★北条氏直の陣


箕輪初心:生方▲山梨【獅子吼城】:徳川家康VS北条氏政
http://53922401.at.webry.info/201505/article_1.html
★徳川家康は大導寺政繁のいる獅子吠城を服部半蔵を使って攻略。


箕輪初心:生方:▲山梨【谷戸城】甲斐源氏祖:逸見清光の居城
http://53922401.at.webry.info/201505/article_2.html
★徳川家康は旧武田遺臣を味方に付け、谷戸城を攻略。



●▲■【第10話】天正10年(1582)10月徳川&北条和睦*****
箕輪初心:生方:真田丸70◆ 10話『上田城築城』
&曳間城(浜松城の前身)
http://53922401.at.webry.info/201603/article_15.html

箕輪初心:生方▲真田丸31【真田幸隆の知恵:徳川家康を利用して
造った上田城】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_3.html

◆◆ 箕輪初心●井の国後編:「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_4.html
★井伊直政は北条氏の大導寺政繁との交渉で徳川方の使者と
して政治的手腕を発揮。徳川&北条の和睦の立役者であった。
徳川家康が武田氏の旧領:信濃国・甲斐国を支配。
●井伊直政は武田氏の旧臣達約120人と家康の旗本の一部が配属された。
 →山県昌景の意志を尊重し、「井伊の赤備え」部隊の大将となった。
★関ヶ原の合戦後、井伊直政が真田信之に頼まれて、真田昌幸と
 真田信繁を命乞いを徳川家康にしたのに、井伊直政は真田丸に
 出てこない。後、真田幸繁の『真田丸』なんてなかったのに・・


●▲■【第11話】天正11年(1583)上田城完成祝いと室賀殺害***
箕輪初心:生方▲真田丸74【「加沢記」の室賀】
&TV 11話「祝言」のあらすじ
http://53922401.at.webry.info/201603/article_22.html

箕輪初心:生方▲真田丸84【室賀城=原畑城+笹洞(ささぼら)城】
&室賀氏・屋代氏の歴史&真田昌幸
http://53922401.at.webry.info/201604/article_11.html



●▲■【第12話】天正13年(1585)6月頃************
箕輪初心:生方▲真田丸77:第12話「真田幸繁の上杉への人質」
&平山・丸島諸説
http://53922401.at.webry.info/201603/article_29.html
6月頃 真田昌幸は上杉景勝に従属することを決めた。真田弁丸
 (信繁)の供奉衆に矢沢頼幸が同心として預けられ、一軍の指揮
  官に任じられた。・・・
7月15日は上杉景勝への9ヶ条の起請文
@上杉に忠節を尽くせ
A敵が攻めてきたら援軍をよこせ
B噂や密告を信じないで、密接な関係でいようね。
C信濃国の知行は海津城将:須田満親が行う。
D小県(上田)、吾妻(岩櫃)、利根(沼田)・坂木の庄を安堵した。
E佐久甲州のどこか、長野一跡(箕輪城)を与える。
F屋代秀正の一跡(荒砥城&屋代城)を与える。
G真田昌幸に禰津昌綱の処遇も一任した。
平山説・・・昌幸の配下にすること
◎天正11年に出浦昌相(一般論の出浦盛清は誤りか?)
が真田の家臣になったのと符号する。
真田昌幸に安堵した埴科郡に出浦の所領が入っているので
(★丸島説)・・・『真田丸』に合致している。


●▲■【第13話】天正13年(1585)閏8月2日、第一次上田合戦**
箕輪初心:生方▲真田丸80【第1次上田合戦】加沢記・平山説
&第13話「決戦」
http://53922401.at.webry.info/201604/article_6.html

箕輪初心:生方▲真田丸32【真田昌幸:空城の計&第一次上田合戦】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_4.html



●▲■【第14話】天正16年(1586)6月上杉景勝・真田幸繁上洛*
箕輪初心:生方▲真田丸85【2016上田城の桜&真田丸展】
&真田昌幸の豊臣秀吉への臣従過程
http://53922401.at.webry.info/201604/article_13.html

箕輪初心:生方▲真田丸86【昌幸の秀吉への臣従過程2説】
&第14話『上洛』
http://53922401.at.webry.info/201604/article_14.html

※倶利伽羅峠〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★木曾義仲:上野国多胡庄2ヶ月→信濃依田城で蜂起
http://53922401.at.webry.info/201310/article_3.html

箕輪初心★木曾義仲Cゆかりの地:埼玉→信濃→上野→信濃→北陸へ
http://53922401.at.webry.info/201406/article_17.html

箕輪初心★松尾芭蕉33『奧の細道22』【金沢・小松】&My金沢城登城
http://53922401.at.webry.info/201208/article_17.html



*******************************
●【番外編】
箕輪初心:生方▲2016スキーbP2:丸沼
&真田丸76『沼田の真田丸展』
http://53922401.at.webry.info/201603/article_28.html





★明日は第4次川中島関係かな?

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箕輪初心:生方▲真田丸87【 15話『謁見』のあらすじ】&平山優説 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
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