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zoom RSS 箕輪初心:生方▲真田丸84【室賀城=原畑城+笹洞(ささぼら)城】&室賀氏・屋代氏の歴史&真田昌幸

<<   作成日時 : 2016/04/08 07:46   >>

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室賀氏は屋代氏と共に村上義清の家臣であったが、天文22年(1553)
以後は33年間、武田晴信・勝頼に仕えた。天正10年(1582)武田氏滅
亡後は室賀氏・屋代氏は徳川家康に仕え、江戸時代も旗本として
存続した。室賀氏の居館「原畑城」+詰の城「笹洞城」=「室賀城」と
呼んでいる。室賀温泉ささらの湯の西が室賀城である。室賀城〜
室賀峠〜葛尾城へ抜ける交通の要所であった。
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 (★室賀氏の墓と詰め城:笹洞城=室賀城)

箕輪初心:生方▲真田丸74【「加沢記」の室賀】
&TV 11話「祝言」のあらすじ
http://53922401.at.webry.info/201603/article_22.html

箕輪初心:生方▲真田丸77:第12話「真田幸繁の上杉への人質」
&平山・丸島諸説
http://53922401.at.webry.info/201603/article_29.html

箕輪初心:生方▲村上氏館跡:満泉寺&村上義清の墓&
坂木ふるさと歴史館
http://53922401.at.webry.info/201603/article_30.html

箕輪初心:生方▲信濃:【葛尾城】:村上義清の詰め城
http://53922401.at.webry.info/201603/article_31.html

箕輪初心:生方▲真田丸78【村上義清&上杉謙信VS武田晴信&
真田幸綱・昌幸】
http://53922401.at.webry.info/201603/article_32.html

箕輪初心:生方▲真田●79信濃:荒砥城:村上→武田→上杉→真田
http://53922401.at.webry.info/201604/article_1.html

箕輪初心:生方▲信濃:屋代城:村上一族:屋代氏の城→真田信繁在城
http://53922401.at.webry.info/201604/article_2.html



≪アクセス≫
上田市に上室賀・下室賀があるのは知っていた。
インターネットで確認し、ナビをセットした。
上田城二の丸通りをさらに南の下った信号を直進して、鉄道の線路下
をくぐり、千曲川を渡って、青木村を目指す。・・・9km・・・
小泉の信号を右折し・・・、
真田家臣の小泉氏の領地か?・・上田城の小泉曲輪は
 元の小泉氏の館であったと思っているが・・・
生島足島神社の起請文にも小泉氏はあったなあ?


室賀温泉ささらの湯を目指す。
美肌の湯・美人の湯・美粧水の湯・・・入りてえなあ。



【1】「原畑城」・・・上室賀の公民館&畑
 室賀温泉ささらの湯の入り口の100m先が「原畑城」である。
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※畑の持ち主に「岩洞(いわぼら)城」の登り口を教わった。
「あの山が城ですよ。」
★後で「原畑城」がここだと教わった。偶然の写真だ。
@室賀温泉ささらの湯の一番奥に車を止めると上り口が見える。
A室賀水上神社に車を止めると行ける。

車でAを目指した。

【2】「岩洞(いわぼら)城」
●神社鳥居

●室賀水上神社の境内に車を止めた。
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●神社の前の畑で働いている方に入り口を確認した。
「旗に沿って歩いて行けばよい。」
 と教えて下さった。」

●小さな木の道標に90分とあった。
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● 神社の左を巻くように登り始めた。
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 「真田丸」の旗がなびいている。
★あれまあ。室賀温泉ささらの湯に30mしか離れていない。
 美人のお姉さんは温泉に入るのかな?
 さらに磨きをかけるために・・・
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●ミニ枡形&竪堀
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●平地・・・あれ「原畑城」が見える。
 ★あっちが大手道かあ?
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●竪堀
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 道は竪堀に沿ってある。
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●竪堀から横堀へ
●郭@

●郭A

●急斜面にはロープが張ってある。
●郭B

●主郭下の郭C
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●祠
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●主郭下虎口の石垣
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●主郭 「室賀史跡公園」?
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10m×20mの楕円形か?
 眺めがよい。
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・さらに南尾根へ

●大堀切・・大きな空堀
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★深さ10m?
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●南の郭C
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●空堀

・先はなかった。

▼戻った。

●大堀切〜搦め手口
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●搦め手口の石垣
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●虎口下の石祠
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▼下山

●神社
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●神社前の方と話した。
「ありがとうございました。行ってきました。」
「どちらからですか?」
「群馬です。」
「最近、室賀城に1日に1〜2人は来るようになりました。」
「TV放送の威力は凄いですね。」
「私は風林火山の時、来たいと思っていました。でも、
 今日になってしまいました。」
「真田丸には室賀が良く出ていました。風林火山の時は名前だけ
 でした。・・・、」
・・・・・・
「真田丸も嘘が多いようですね。・・・」
「室賀が殺された場所は岩淵のところの神社ですよ。
 室賀のことを調べた方が村にいました。・・・
 本を出しました。
 息子はいるかもしれません。

「真田丸が違っているのかもしれませんね。」

「上田には大きな勢力の武将は、室賀と真田くらいしかいなかった
です。ここが屋代に行くメインの道でした。上田原の合戦で、村上
義清はここを通りました。岩淵の所は道がなかったんです。」
「ということは、真田も松代に行く街道、上州に行く道の分岐に
 あったでしよね。みんな交通の要所に住んでいたんですね。」

ここは、室賀一族が支配した場所・・・
1万石ほどの勢力があったのであろうか?。
結構、平地が奥まで来ている。
 真田も室賀も上田の中では、やや山がちの地形である。
 詰め城の造れる場所に、街道を見張れる場所に住んだのだ。
 千曲川をはさんで、北を真田氏、南を室賀氏が支配していた
 と考えるべきなんだろうな?

「墓参りをしようと思っています。前松寺はあそこですか?」

「本当の室賀の墓あそこです。杉はまとまって生えている
ところ。」
と指さしてくださった。
「あの7本ほど、固まっている所ですか?」

「松前寺は供養塔なんですか?」
・・・・・

レタス植え?で忙しい方に
「ありがとうございました。」
とお礼を言った。

「テレビ放送の室賀城を紹介するスタッフが10m位
ころげ落ちました。」

●前松寺前
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 道が細い。私のプラドでいけるかな?
止めた。

【3】室賀氏の墓

墓の前の家の方に確認した。
こんな日には、畑仕事が最高。
「ここは室賀氏の墓ですか?」
「そうです。」
「168? 年ころ、室賀子孫の方が、移しました。」
「松前寺に行った方がいいですよ。」
「あのお宅の・・・土地です。」
★さっきの方の家だ。
「室賀のことをよ〜く知っています。」
「さっき、話をお聞きしました。」
「ありがとうございました。」
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●「出浦地区」があるが、行かなかった。


●「青木村村松」
 真田信幸・信繁兄弟の姉夫婦「小山田茂誠&村松殿」の居館跡が
 あるが、行かなかった。

●上田原古戦場公園

●板垣信方の墓に詣でた。合掌・・・。




【4】村上氏・屋代氏・室賀氏の関係

◆ウィキペディア「村上義清」の項
父:村上顕国 母:斯波義寛の娘
妻・・・正室:小笠原長棟の娘
    側室:於フ子(高梨澄頼の娘) 子
義勝、義利、義照、義邦、国清(山浦景国)、
娘(村上義満室)、娘(内山清宗室)、娘(村上義房室)
娘(高梨頼治室)、娘(会田清幸室)、娘(屋代政国室)
★守り役&乳母・・・・出浦昌相の父母


◆ウィキペディア「屋代正国=政国」の項
父:屋代正重 妻は村上義清の養女。
@長男:屋代政国
●屋代政国の子〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
長男:屋代基綱
次男:清綱→屋代正長
娘:屋代秀正室・・・・「屋代政国の婿養子:屋代秀正(勝永)」


A次男:室賀満正
◆ウィキペディア「室賀正武」の項
室賀満正の子〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
長男:善龍
次男:屋代正長
3男:室賀正武→子ども:室賀久太夫
4男:屋代秀正→屋代政国の養子
娘:依田九助室
5男:室賀満俊

※『真田丸』では、室賀正武が主家であると想定している。
@村上義清→村上国清(山浦景国)
A村上義清の妻の弟:府中小笠原長時→小笠原長綱→小笠原貞慶
B村上義清の甥:室賀満正→3男:室賀正武。4男:屋代秀正




【5】 歴史年表
・平安時代〜 清和源氏村上氏・・・
・鎌倉時代〜 村上氏・・・
・室町時代〜
屋代氏は村上氏の重臣として活躍した。
※村上頼国→2男:屋代満照→屋代正信→屋代政国→2男:秀正
→室賀満正→室賀満俊(正俊)→



・永正〜天文年間 (1504〜55) 村上氏の一族屋代氏が築城した
 と言われている。

・???? 村上義清の娘(養女)+屋代政国


・天文17年(1548)
2月14日  上田原の合戦
    武田軍 VS 村上軍
  決着はつかなかった。
  板垣信方、甘利虎泰、才間河内守、初鹿伝右衛門が討ち死に
  した。
  武田晴信は実質的に敗北した

 屋代政国の嫡男:屋代基綱が討ち死にした。


・天文19年(1550) 戸石崩れ
笠原清繁の元家臣も頑張った。
戸石城攻めの武田軍の撤退・・・・
  村上義清らが追激戦を行い、武田軍は殿軍の横田高松ら将兵
  1000余が戦死した。

・天文20年(1551)
5月26日 真田幸隆が戸石城を乗っ取った。
真田幸綱(幸隆)は砥石城の足軽大将:矢沢薩摩守頼綱(幸綱の
弟)等の内通により砥石城は攻略された。
 真田幸綱は砥石城を1日で攻略した。
その際、砥石城代であった山田国政、吾妻清綱を討伐した。
山田氏は滅んだ。
山田氏滅亡の後、荒砥城には屋代政国が入城した。


・天文22年(1553)
3月 狐落城は児島(小島)兵庫三兄弟が守っていた。
  武田晴信の戦略によって落城した。
  武田晴信は荒砥城を猛攻した。
  城将:山田政国が討死した。
 
4月 村上義清の属将の荒砥城主:屋代越中守政国、室賀城主:
  室賀満正兄弟・・・
  塩崎城主:塩崎氏寺尾城主:石川氏、塩崎城主:塩崎氏、
  春日氏、らが内応し、武田晴信に降伏した。
  真田幸綱(幸隆)らによる調略とされる。

 以後の屋代氏・室賀氏は約33年間、信濃先方衆として活躍した。
 軍役は70騎と伝えられている。

  村上義清は北信濃と切り離されて孤立した。
  村上義清の本拠:葛尾城を伺った。

4月9日 村上義清は葛尾城を棄てて逃亡した。
  越後春日山城の長尾景虎(上杉謙信)を頼った。
  村上義清は再度体勢を整えた。

4月22日〜23日 村上・長尾軍は葛尾城を攻撃した。
 武田城将:於曾(おぞ))源八郎が戦死した。
  村上義清は葛尾城を奪還した。
  武田晴信は深志城に後退した。

5月11日 一端甲府に引き上げた。
村上義清は旧領を回復し塩田城に入った。


8月4日  
 村上義清方の16の諸城が1日で攻略された。
   
  武田晴信は塩田城包囲のために進軍した。 

  村上義清は塩田城を脱出して身を隠した。

8月5日 武田晴信は塩田城を攻略した。 
  武田晴信は飫富兵部少輔虎昌を城将とした。


▲第一次川中島合戦

8月?日 長尾景虎は村上義清らの要請により川中島に出陣した。

 
 武田晴信は塩田城を本陣として長尾軍に対峙した。 
 武田晴信は飫富虎昌を先鋒として室賀城に移動させた。
武田晴信の部隊は八幡(千曲市)に陣を張った。


8月22日 ●真田幸綱(幸隆)は3男:真田昌幸を防府に人質に
 出した。・・・(後、武田晴信の小姓となった。)
  

9月1日 長尾景虎は葛尾城、荒砥城などで交戦した。
荒砥城を占領した。

9月3日 長尾景虎は青柳に進んだ。
武田晴信は手薄になった荒砥城に夜襲をかけた。

長尾景虎は麻績で武田軍と対戦した。
 長尾景虎は不利を悟り、再び八幡(千曲市)に戻り、
 武田晴信のいる塩田城に向かった。

しかし、武田軍の守りは堅かった。

武田晴信本隊は塩田城から本隊を途中まで出陣した
  
 
9月17日
 長尾軍は葛尾城下の坂木南条(坂城:千曲市)に放火したも
 のの塩田城には迫れなかった。

9月20日 長尾景虎は撤退した。

武田晴信は塩田城から出陣したものの、撤退の報を聞いて
塩田城に戻り、論功行賞を行った。

●真田幸綱(幸隆)は塩田城での戦後処理でに恩賞として秋
和(上田市秋和:虚空蔵山と上田城の間)350貫文を与え
られた。
※平山優説・・・真田幸綱の忠節と活躍に報いたのであろう。
 また、天文19年に約束していた諏訪方と上之城(御所)
1000貫文も引き渡されたとみられる。

武田晴信は深志城に在陣した。

武田信玄により葛尾城が落城した。

・永禄2年(1559) 武田晴信に従った屋代政国が屋代城の替え地と
 して、荒砥城に移った。
 屋代秀正も屋代城から荒砥城に移った。


・永禄4年(1561) 第4次川中島の戦い
  屋代政国は討死した説がある。
  屋代正長が家督を継いだ?

・永禄6年(1563)
室賀満正は真田幸綱(幸隆)・甘利昌忠に従って、
  西上野の吾妻に侵攻した。

※室賀満正は岩櫃城攻略にも

・天正3年(1575) 長篠の戦い
屋代政国の次男:屋代正長(清綱)が討ち死にした。


・天正4年(1576) 屋代政国の実弟:室賀満政の4男秀正(勝永・忠照)
  を養子に迎えた。屋代秀正となり、屋代家の家督を継いだ。


〜〜〜中略〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

・天正10年(1582)
3月11日 武田氏が滅亡した。
4月 室賀満正(勝永)死去した。
  (★『寛政重修諸家譜』)
  
  家督は弟:室賀満俊が継ぎ、徳川家康に従った。
室賀正武が継いだ説もある。
※室賀正武の家督相続に際しては、室賀満正に従属する意志を
示していた滝沢八兵衛が小泉氏と争った。
 (★ウィキペディア・平山優著)

  室賀正武や屋代秀正は織田家臣:森長可に臣従した。

上杉景勝に属した芋川秀正が芋川一揆を起こした。
 室賀正武は森長可ととも平定した。
(★「屋代秀正覚書」・真田三代:平山優著)

6月2日 本能寺の変

6月下旬 天正壬午の乱

7月10日 真田昌幸ら13人は北条氏直に臣従した。
  
  室賀正武は別行動を取っていたと考えられている。
  
(★真田三代:平山優著))
別の本では、真田&出浦&室賀が案内して、川中島に
北条氏直を連れて行った。
 (★????)

・天正11年(1583) 室賀正武が徳川家康からの信濃豪族とともに
 所領の安堵状を受けている。
徳川家康に安堵状を受けていることから徳川家康に属した
  と考えられる。
 (★真田三代:平山優著)
 真田昌幸が所領を拡大しようと画策する。
 室賀正武は真っ先に標的になったとされる。
 室賀正武は守戦で自ら出撃して奮戦したが、
  翌日、真田昌幸と和睦した。
 室賀は真田家の傘下になった。
 しかし、室賀正武は真田昌幸の麾下に入ったことは不本意で
 あった。
(★『加沢記』)


・天正12年(1584) 室賀正武は真田家傘下に不満を持っていた。
家臣の鳥井彦右衛門尉を徳川家康に使いを出した。
鳥井彦右衛門尉は徳川家康より「昌幸を謀殺すべし」との指示
を受けた。
 (★『加沢記』)

◆真田丸では、本人が行っている。

室賀正武は間もなく真田昌幸より
「上田城に囲碁を観戦に来ないか。」
 と招かれた。
室賀正武は一門の室賀孫右衛門を徳川氏の家臣:鳥居元忠の
元へと派遣して援軍を要請した。
しかし、室賀孫右衛門は既に真田昌幸に内通していて、
上田城に駆けこんで真田昌幸に事の次第を密告した。
 室賀孫右衛門は室賀家へ帰参したため、室賀正武は計略が成功し
ていると見誤った。
 室賀正武は桑名八之助、相沢五左衛門尉、堀田久兵衛らの家臣を
引き連れて上田城へ参上した。
 室賀正武は書院に通されたが、次の間に控えていた真田家臣:長野
舎人と木村渡右衛門に急襲され、斬殺された。正武が連れて
いた家臣たちも抵抗するが捕えられて、のち真田氏に仕えた。
また室賀一族は甲斐に落ちのびた。
(★ウィキペディア)

室賀正武は「真田昌幸がために殺さる」とある。
(★『寛政重修諸家譜』)
◆『加沢記:脇屋真一訳(沼田市史別冊)』〜〜〜〜〜〜〜〜
かくして、信州一国家康公へ属し給えり候ところ、同年10月
真田安房守国中を遂へんと企て、先ず室賀を討つべしとて、
一門一手に成って室賀の館に押し寄せれば、兵部大輔自ら
打って出て篠山に於いて火出づる程戦ひ、互いに郎党討たれて
相引きにこそ引きたる。
翌日、(室賀は)とって返し責められける程に内より和を
乞ひける故、許して帰りける。室賀入道、真田に屈すること
を無念に思ひ、翌天正12年(1584) 申の6月、(室賀入道は)
鳥井彦右衛門を以て遠州へ申し上げれば、徳川公より
「何卒(なにとぞ)謀を以て昌幸を討つべし」と仰せ越
されれば、入道斜めにならず、悦び。いよいよ以て上田へ
懇切しける。
 あるとき、上方より囲碁の上手上田に来たりければ、室賀
入道を招請有りければ、入道よき時節と心得、日限(ひぎり)
を定められて、同苗孫右衛門を以て来月7日真田が居城へ碁
会に参り候。
その時、昌幸を討ち取らんと存じ候間、御加勢下され候様
にと鳥居氏の方へ申し遣はしてけれども、孫右衛門内々房州へ
志を通じたりし故、直ちに上田に来たり此由申しけり。
昌幸公悦び、孫右衛門に馳走してぞ帰しける。
 室賀入道(正武)仕済ましたりと思ひ、家の桑名八之助、
相沢五左衛門尉、堀田久兵衛など相随ひ上田参られければ、
予て用意のことなりければ、書院に招請して囲碁ぞ始めける。
その時長野舎人・木村戸右衛門討手に極まり、相伴は祢津宮内
少輔、鞠子(丸子)藤八郎(★馬場信房の娘婿)、長■寺、
安楽寺なり、時分に窺ひ両人次の間より太刀抜き、室賀兵部
太夫を情(つれ)なく打ちたりける。
桑名・相沢・堀田聞き届けて殿中に切って入り、散々に相戦
ひけり。桑名八之助深手数多負いたり。三人ながら搦め捕り、
いろいろなだめ留められて、無二の臣にぞ召し仕はれたり。
さて、室賀が館にて此の由聞き給いて、妻子方取る物も取り
敢えず、甲州へ落ち給引ける。

真田昌幸は徳川家康を刺激しないように、室賀正武の妻子の
命は助け、上杉景勝に引渡した。

真田昌幸はこの忙殺事件を、真田による謀殺ではなく、室賀
の逆心の成敗事件として噂が広めた。


・天正13年(1585)
▲第一次川中島の合戦

真田昌幸は坂木庄を上杉景勝から貰った。
真田幸繁は屋代城に住んだ。


・江戸時代 
 兄:屋代秀正と弟:室賀満俊は大身旗本となった。

・永禄年間? 室賀子孫が室賀に来て、前松寺に墓の
 一部を移した。


◆参考図書
『真田三代』:平山優著
『加沢記』
・・・など多数。

◆参考サイト
ウィキペディア



★明日は川中島の戦い関係

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