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zoom RSS 箕輪初心:生方▲真田丸63TV第 9話【天正壬午の乱】のあらすじ&平山優説の違い

<<   作成日時 : 2016/03/07 08:04   >>

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天正12年(1582)6月2日の本能寺の変から2ヶ月が経とうとし
ていた。信濃の覇権争いは、どうなるのか? 真田昌幸の狙い通
り、上杉景勝と北条氏直は和議を結んだ。北条軍は南下し、甲府
に入った。甲府に入ってきたた徳川軍を瞬く間に包囲し、優位に
たった。北条と徳川の激突となっていく。昌幸は誰も想像しない
決着を狙っていた。時代考証&平山優説は微妙に違いがある。
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箕輪初心:生方▲山梨【新府城】:武田勝頼60日の城&出浦盛清
http://53922401.at.webry.info/201504/article_25.html

箕輪初心:生方▲山梨【若神子城】武田信玄の信濃攻略の拠点
&烽火集積地
http://53922401.at.webry.info/201504/article_29.html


箕輪初心:生方▲山梨【獅子吼城】:徳川家康VS北条氏政
http://53922401.at.webry.info/201505/article_1.html
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★大導寺政繁は服部半蔵に崩された。


箕輪初心:生方:▲山梨【谷戸城】甲斐源氏祖:逸見清光の居城
http://53922401.at.webry.info/201505/article_2.html
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★徳川家康は旧武田遺臣に攻撃させた。
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【1】TVより〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
●新府城
びびる徳川家康・・・
窮地に立たされた家康は、新府城を拠点に巻き返しをはかるが、それも
上手くは運ばない。
本多正信は、
「かつての武田家臣の有力者を味方につけてはどうか。」
と提言する。
本田正信が
「います。真田昌幸がいいと思います 。」



●真田の郷
信幸&信繁・・・


●春日山城
・上杉景勝は新発田重家の反乱に備えて越後に戻って来た。
 上杉景勝は
「北条に寝返った真田昌幸を許せない・・・・・」
が、弟:真田信尹を
  信用しきっていた。

・しかし、直江兼続は真田信尹を疑っていた。
 そこで、、直江兼続は真田信尹ある罠を仕掛けた。
直江兼続は山田右近尉に偽の書状を持たせ、真田信伊の本心を
 試すことにした。
山田
「直江様の勘は当たりましたな。真田信伊は喜んで書状を受け取り
 ました。」
兼続
「よくやった。それが裏切りの証拠じゃ。これであやつも終わりじゃ。」

直江兼続と山田右近尉は、勇んで真田信伊の部屋に踏み込んだ。
しかし、真田信尹はその企てに気づき、隙を見ていち早く逃げ出して
いた。


●真田屋敷
真田昌幸のもとには北条から手紙が届いていた。

手紙には、「徳川との戦に参戦するように・・・」
と書いてあるが、真田昌幸にそんな気は全くないのだ。
「時を稼ぐのじゃ。」
今は、小県の国衆たちをまとめるべき時なのだ。

真田屋敷で、国衆:出浦昌相や家臣:高梨内記とともに軍議が
開かれていた。

真田昌幸は
「これからは国衆の寄合で信濃を治めていく。」
と国作りの方法を伝えた。
しかし、出浦や内記は昌幸に治めてもらいたいと思っている。

出浦「おぬしが信濃の大名になるのではないのか?」
「無理じゃ。」
・・・・・
昌幸「わしには分不相応じゃ。」
内記「この信濃・上野を治めるのは、殿が最も相応しゅうございます。」

出浦
「・・・」
昌幸の意志が固いとわかった出浦は、国衆で最も扱いにくい反真田派の
室賀正武との取り次ぎ役を引き受ける。
★真田幸綱(幸隆)の時代には、室賀氏は岩櫃城攻めなどに加わって
 仲が良かったはずなのだが、・・・

真田昌幸たちが野望を語る中・・・
真田信繁は全く違う思いを抱いていた。
真田信繁は自分の計画のため春日信達を騙し殺した父:昌幸を許せないで
いた。・・・軽蔑する気持ちであふれていたのだ。
史実・・7月13日、春日信達を実際に殺したのは上杉景勝であった。
 というのが、史実のようである。
 また、7月13日は真田昌幸ら13人の佐久・小県の国衆が北条氏直に
 面会した日であった。春日信達もその日にいた説もある。
 
出浦が信繁の思いに気付き、声をかけた。

出浦「春日も必死だが、我らも必死。騙された方が負けだ。」
信繁「分かってはいるのですが。」


出浦&信繁

出浦「お前は優し過ぎる。・・・もっと強くなれ。・・・」
出浦正武・・・武田信玄の素波(忍者)の頭領だった。
 ・天正9年(1581)には、真田昌幸の名代として、新府城築城の
  手伝いをした記録も残っている。ずうっと、真田昌幸と仲が
良かったはずである。
 森長可の家臣になって、春日信達が裏切るなか、最後まで森に仕えた。
 森長可から太刀を授けられた人物である。この時には、真田昌幸の
 家臣になって、真田忍群を支配していた可能性もあるのだが・・・

信幸・・・

翌日〜〜〜〜
昌幸「お前は残れ。・・」


内記「信繁様の傍におれ。」」

真田昌幸は信幸、内記、出浦を引き連れて、正式に室賀の元を訪ねた。
●室賀城
室賀「わしに北条を裏切れと申すか?」
出浦「その通りだ。」
室賀「お前ら、正気か?」
昌幸「仲間に加われ。」
室賀「馬鹿を言うな!断る!」
昌幸「分かってくれ、わしは信濃をよそ者にむざむざ渡したくないのだ。
   それだけだ。分わかってくれ。」
室賀「今の言葉、偽りはないだろうな?
昌幸「信じないのなら、北条にされ・・・」

室賀「・・・誰にも従わず、国衆だけで
   信濃・上野を治める。相変わらずふざけた事を言いおって」
真田昌幸はむっとした。
「なに・・」
室賀「だが、実に面白い。・・・おぬしの考えに初めて乗ってみるわ。」
と意気揚々・・・
昌幸「室賀殿は乗ってくだされば、心強い。・・・」
こうして、真田昌幸たちは、国衆をまとめるためにやっかいな室賀正武の
説得に成功した。

●真田屋敷
 そのころ、信繁は真田屋敷にいた。

父・兄・出浦は室賀の説得に向かったが、信繁は連れて行って
もらえなかったのだ。
真田信繁は真田屋敷に残され、元気がない。
「きり」は信繁を励まそうと、饅頭片手に話しかけるが、
「ダメだ。」
信繁は
何も言わずに出ていく。
「きり」はひとり部屋に残され、切ない気持ちでいっぱいだった。

信繁が向かった先は、堀田作兵衛の家だった。
「梅」に会い、元気を貰おうと思ったのだ。

●堀田作兵衛の家
ところが、そこには血に染まった作兵衛の姿があった。

怪我をしたわけではなく、血は返り血だった。
収穫物を狙った隣村の者たちに襲撃され、村人総出で追い払ったのだ。

「もめ事が多くなった。」
作兵衛は、
「昌幸が信濃を治め、揉めごとがなくなくなれば、こんないいことは
ないのですが、・・・
と期待していると信繁に話した。

梅は信繁と話すうちに自分の思いを吐露しはじめる。
梅「・・・戦が始まれば、」

梅「春日様には申し訳ないことですが、私はほっとしています。
だって、戦をしなくて済んだから・・・」

さらに梅は、
「信繁が戦に行かずに済み安心した気持ちを語り始める。

梅「大切な人を戦に送りだすのは辛いことなんです。最後の別れになるかもしれないのですから」
「」
「さしでがましいことを申しました・」
梅の言葉で信繁の心の雲も晴れた。

自分にとって梅はなくてはならない存在だと確信し、
梅にもそう告げる。
「お梅、お前はなくてはならない人だ・」

●真田屋敷「」
その夜、部屋に戻った信繁は、壁にあるものを発見する。
それは昼間、きりが叩きつけた饅頭だった。

●北条氏直の陣=
「真田は何を考えておるのじゃ?」
とむかついた。・・・

●真田屋敷
室賀「お主の父の顔は好かん。・・・」
信繁「そうですか?」
室田「でも、お主の父は面白い。・・・」


出浦「腹をくくれ。・・・・」

・・・
昌幸「・・・・」


●真田屋敷
それからしばらくした後、居室に戻った信繁は驚く。
きりが座っていたのだ。
「なぜ・・・」
きりはあらためて饅頭を持ってきていた。

再び信繁を慰めようとしてくれているようだ。
しかし、梅と話した信繁はすっかり元気を取り戻していた。
それを知ったきりは、内記に言われて来ただけだと強がりを言う。

そして、信繁の発した心無い一言にキレた。

壁には再び饅頭が張りつくのだった。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
●真田屋敷
真田昌幸と室賀は、真田屋敷に国衆たちを集め、
「みなで信濃・上野を治めるのじゃ。」
と提案するが、賛同が得られない。

国衆は大名の顔色をうかがっており、この案には消極的だった。
国衆たちと室賀が帰ったあと、出浦は
「お主が大名になれ。」
と再び勧めた。
出浦「・・・わしは真田の家臣になり申〜〜〜す。」


●昌幸の自問自答
「果たして信濃をまとめる力があるのか?
 信玄公のような力はない。・・・」
昌幸は武田信玄の肖像画にひとり問いかけた。

そこへ、徳川から昌幸と手を結びたいとの手紙が届く。
出浦「なんと?」
昌幸「わしと手を結びたいと・・」

信幸「では、徳川と結ぶのですか?」
昌幸「・・・徳川を利用するのじゃ。信濃・上野をこの真田が
  治めるまで・・・」
信幸「え〜〜〜。」
昌幸「昌宋、わしは腹をくくったぞ。
   ここへきて昌幸も大名を目指す決心がついた。」
信幸「お待ちください。では、寄り合いの話はどうなさるのですか?」
昌幸「諦めた。・・・」

真田昌幸は心から手を組む気など毛頭ないが、信濃・上野を治めるまでは
家康を利用しようと思い立ち、弟:真田信尹を徳川家康の元に向かわせた。

●新府城
真田信尹は、真田家が徳川に加勢する条件を徳川家康に提示する。
家康「真田殿がついてくだされば、百人力じゃ。・・・」
@「諏訪・・の領地をもらう。」
A「 2000貫文相当の甲斐の所領を・・・」
B「上野の沼田領を・・真田の物と認めるいただきたい。」

これは家康の弱みに付け込んだ強気の要求であった。
話を聞いていた本多忠勝は反発する。

しかし、徳川家康は、
「真田家が味方についてくれるなら安いものだ。・・・
と、その条件を承諾した。

◆ナレーター
「沼田領安堵問題」が、のちに家康と昌幸のあいだに大きな亀裂を
生む事となる。


●真田屋敷
昌幸「これにて、北条とは縁をきる。」

薫「私は人質にはなりません。」


●若神子城
北条氏直はその北条に真田家の裏切りが伝わると、す
「すぐに兵を差し向け、真田をひねり潰そう。」
と苦々しく言った。鞭を叩きながら・・・むかっ。
しかし、北条氏政は、
「待て、今は徳川との戦に専念することが先じゃ。」
という方針を取った。


◆ナレーター
「この判断がのちに北条氏の運命を狂わせることとなる。」


●真田屋敷
信濃国衆は北条との戦に備え・軍議が開いていた。
議題は今後の戦術・・・。

「北条の要である内山城を押さえ、信濃への攻め口を塞ぐのが順当。」
という定石の案でまとまりかけた。

真田信繁が
「妙案があります。」
昌幸
「言ってみよ。」
信繁「はい。内山城で戦えば、激戦となり味方の被害も大きくなります。
   それよりも相手の兵糧の補給路を断つ方が上策です。」
真田信繁は地図を出して、朱で色を塗る。

信繁「碓氷峠から小諸を通る補給路を封鎖すれば、いっさいの物資が
届かず、北条軍は孤立して飢えるのみです。」

昌幸「・・・小諸で補給路を絶つ。・・・見事な考えだ。」
信繁「無駄に味方の命を損なわず勝てます。」
※全員が納得した。
昌幸「出陣じゃあ。」
信繁の戦術によって徳川勢は息を吹き返し、数に勝る北条軍を圧倒し
はじめた。
★依田信蕃は既に、碓氷峠で小荷駄隊を襲い、補給路を断っていた。
内山城が依田信蕃の手に落ちていたという史料はないようである。
内山峠:254号線からは補給路はない。碓氷峠ではなく、
入山峠(バス事故&軽井沢プリンススキー場の間・・・)であろう。


●若神子城
北条氏直
「真田は何を考えておる。たたきつぶしてくれる。」
北条氏政
「今が徳川が優先じゃ・・・・」

しかし、追い詰められた北条氏政はとんでもない手を打ってきた。
北条氏政は徳川家康に和睦の話を持ちかけたのだ。


●新府城
徳川家康は和睦を喜んで受け入れたのだった。



◆ナレーター
「それは昌幸が北条氏と縁を切った、わずか10日後のことだった。」
★史実は・・北条VS徳川の対峙は7月下旬〜10月なので、2ヶ月
以上あったはずである。真田丸では10日であったと真田丸では描か
れている。きっと、資料が見つかったのであろう。

10月下旬
結果・・和睦
 信濃・・・徳川。上野・・・北条。
 で分けあうことになった。
★徳川家康は娘を北条氏直の妻にすることを決めた。
 
真田昌幸は北条vs徳川がぶつかっている隙に信濃を治めようとして
いたが、大誤算の結果となってしまった。


◆室賀城&前松寺(室賀の墓)・・・★行っていないのだ。



【1】 『真田三代』:平山優説
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先ず、
6月20日〜6月25日頃まで
北条氏氏直は上野国の旧武田遺臣を傘下にした。と思われる。

・箕輪城主:内藤氏・・・・★実際は保渡田城主:内藤昌月
             (保科正俊の次男)
・小幡氏・・・・★小幡は国峰城では?
・和田城主:和田氏・・・・★信業(跡部勝資の子ども)
              子孫が井伊直政の家臣にいた。
・倉賀野城主:倉賀野・・・★秀景である。
・・・・・・・・・・・・・★山名城主:木部高成は出ていなかった。
・白井城主:長尾・・・・・★憲景だろう。
・高山城主:高山・・・・・★定重である。
・太田金山城主:由良・・・★国繁だろう。
・安中城主:安中氏・・・・★長篠の合戦でいなくなっちゃったのでは?
・一宮氏・・・・・・・・・★貫前神社の城(小幡と同系統)
・今村城主(★実際は那波城主):那波氏
・小泉城主:富岡氏・・・・★

しかし、吾妻の真田昌幸、厩橋の北条芳林(★北条高広)は臣従
していなかった。


6月19日までには北条氏直は叔父:氏照・氏邦や重臣:松田憲秀
・垪和伊予守(★実際は垪和伯耆守康忠・子ども:信濃守)らとも
に信濃佐久郡の旧武田遺臣を臣従させた。
平山氏の間違い・・・6月29日までにはでなかろうか?
『真田三代P162』

室賀城主:室田昌武
出浦城主:出浦対馬守
を味方につけ、 さらに
野沢城主:伴野信蕃・・・★平山氏の間違いであろう。
 6月4〜5日頃、徳川家康の家臣誘われ、6月20日には
 徳川家康の家臣になっていたはずである。
前山城主:伴野全真・伴野信守父子
諏訪氏家臣:千野昌房を味方につけた。
19日までに書状で味方につけさせたのであろうか?
佐久郡・・・伴野信守・相木昌朝(依田一族)・大井行吉
   ・依田(依田信蕃以外の依田)・望月・平尾などが傘下
    に入っていた。
(★平根村誌・御代田町誌では)
6月28日 北条氏邦・大導寺政繁を先方軍として送り込んだ。

一方、真田昌幸は北条氏の信濃侵攻を前に、上杉氏から北条氏に
転じる決意をしたらしい・


7月9日  真田昌幸が日置(へき)五左衛門を送り、帰属を
      北条氏直に申し入れた。
上野吾妻の有力者:真田昌幸がついたことにより、
      背後の憂いがなくなった。
※真田丸・・・北条は真田昌幸など気にしていなかったが・・

★7月10日 北条氏直は上野にいた主力部隊を碓氷峠(入山峠)
    から信濃国佐久郡へと進軍させることにした。
      真田昌幸を先方として北条主力軍4万3000を
      進軍させた説もある。
7月12日 北条軍は碓氷峠?入山峠?を越えて佐久に入った
 依田信蕃は小諸城を放棄し、春日城に籠城した。


依田信蕃の誘いを受けて、禰津昌綱、森山豊後守らが徳川に寝返った。

7月13日 
※真田昌幸ら信濃衆13人が北条氏直に出仕した。
春日信達は海津城を守っていたが、真田昌幸の調略に乗って
北条氏に通じていたという。

★7月13日 
 春日信達は真田昌幸や北条氏直らと内通したことが発覚して、
 上杉景勝によって誅殺された。
 既に森長可により、春日信達の息子が殺されており、高坂氏嫡流は
 滅亡した。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
次に、北条氏直に箕輪城主:内藤昌月をに保科正直(★実兄)を
支援させ、高遠城の奪取に向かわせた。見事に成功している。

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さらに、徳川方の依田信蕃を攻めた。依田信蕃(のぶしげ)は
三沢小屋に籠城した。・・・北条氏直は大導寺政繁に三沢小屋
をせめさせ、自分は川中島に向かった。
 
北条2万 VS 上杉8000
しかし、海津城を容易に落とせなかった。

北条氏直は春日信達が味方しているので、勝利を確信していた。
しかし、内通がばれて、春日は処刑された。

北条軍が手詰まりとなった。
昌幸は「対陣が長引けば、士気がさがる」 と進言したという。
氏直が「甲斐・駿河に転進すべし。・・」
昌幸が「なぜ、佐久から甲斐に攻めなかったのか?すでに元同僚
曽根昌世・岡部正綱が徳川家康の命を受けて、調略を進めている。
家康も安堵状を出している。・・もはや手遅れだ。」
と言ったという。
氏直は「・・全軍、甲斐に・・・」
北条氏直は自分は武田信玄の孫であるという自信があった。

実際は「蘆田小屋」(春日城?なと5説)へ退いて籠城した。
私も春日城説・・・依田信蕃の父:芦田信守の築いた城で堅固
 であった。既に柴田などは徳川家康から派遣されていた。

7月14日 依田信蕃は徳川家康の援軍:芝田康忠、辻弥兵衛
 と合流した。という文書があるので、平山説は上記の説は、違っ
ているかもしれない。ただ、曽根昌世は既に小田井城に入って周辺
を調略していた可能性がある。小田井城の1〜1,5km西は曽根
館である。しかし、岡部正綱が依田信蕃と合流は9月25日、・・・
若干、日にちにずれがある。


7月19日頃? 北条氏直は真田昌幸&松田憲秀に殿を命じた。
 真田昌幸は残留を申し出た。
 保科正直の子:正光は真田昌幸が預かっていた。

これは納得する。何故なら、保科正光の妻は真田昌幸の娘だった。

内藤昌月は「軍勢を貸して欲しい。」と願い出た。
真田昌幸は「高遠は北条氏直から朱印状をもらっておる。今は
出陣をお断りする。でも、昌月殿の兄なので悪いようにはしない。」
保科正直はむっとした。
真田昌幸は
「早々に高遠を乗っ取り、自分のものにしてしまえば、よいで
あろう。短気はよろしからず。・・」

保科正直は友野十郎左衛門のという昌明の家臣&内藤昌明の軍500を
借り、箕輪城から高遠に出陣した。

Hしゃん、ご先祖様かもしれませんよ。
 伴野貞長の弟系とわかってよかったです。

ちなみに、武田氏系一条氏流柳沢家(元群馬県議会議長:柳澤
本次氏・箕輪城奉賛会:柳澤佳雄氏)は内藤昌月の目付として、
武田信玄に命じられ、上野国にやってきた。旧群馬町金古に
在住していた。

保科正直は正室:跡部勝資の長男:跡部勝忠の娘を北条氏直へ
人質として差し出した。

保科正直はかつて、飯田城から自分の城:高遠城に入って、織田軍と
抗戦した。仁科信盛の戦死後、高遠城はあれていた。
保科正直は難なく高遠城に入城した。昌幸の言ったとおりになった。


7月12日 北条氏直軍は川中島に着陣した説
 (★『上杉家御年譜』)
  北条氏直 VS 上杉景勝
上野衆・信濃衆など氏直軍は3万を超える大軍であった。
  海津城に拠る上杉景勝は7000〜8000であった。

7月13日 
※真田昌幸ら信濃衆13人が北条氏直に出仕した説もある。

7月13日 
 春日信達は真田昌幸や北条氏直らと内通したことが発覚して、
 上杉景勝によって誅殺された。
 既に森長可により、春日信達の息子が殺されており、高坂氏嫡流は
 滅亡した。
※真田丸・・・真田信伊が春日信達を殺したことになっている。

7月20日頃?

@北条氏直は上杉と徳川の挟み撃ちは避けたい。徳川の甲斐侵攻は
気になっている。徳川家康家臣:依田信蕃の補給路を断つゲリラ
 作戦も気になっていた。

A上杉景勝は蘆名・伊達と結んだ新発田重家への憂いがあった。
 御の乱で上杉景勝についたが、恩賞が少なかったので、
 新発田重家は反乱を起こしていた。
 揚北衆:本庄繁長・色部長真に重家対策を任せることとした。
 ★城は夏頃、紹介できるかなあ。

6月2日、本能寺の変で織田信長が死んだ。上杉景勝にすれば、ラッキー
 織田軍が撤退し始めた。
 北陸からの柴田勝家・前田利家等・・海津城からの森長可の春日山攻撃
 、厩橋城・沼田城からの滝川一益からの脅威は取り除かれた。しかし、
 上杉景勝は森長可を追わなかったが、休む間もなく信濃川中島で北条
 氏直と対陣していた。
 上杉景勝は新発田重家&バックにいる蘆名・伊達の動きも気になったいた

7月末、
 北条氏直&上杉景勝の思惑が合致し、講和が結ばれた。
 @北条は上杉の北部4郡の所領化を認めた。
 A上杉は川中島以南へ出兵しない。
 B北信濃を除く中信濃・南信濃は北条の切り取り次第とした。

7月27日、 上杉景勝は山田右近尉を褒めた。
 加津野昌春(後、真田信伊)を追放することに成功したからである。
※平山優説と真田丸のドラマの話と違っている。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜
一方、徳川家康はというと、・・・
6月28日 徳川家康は七手衆を甲斐に送り、制圧した。
7月9日  家康本隊は甲斐に入った。
7月18日 七手衆は小笠原貞慶を味方につけ、諏訪頼忠と交渉した。
7月22日 しかし、失敗し。抗戦となった。
7月23日 北条氏直は諏訪頼忠の助けと甲斐侵攻かねて南下した。
諏訪・高遠・・・などを押さえて、形成は北条が有利
であった。

北条氏直・・・若神子城
徳川家康・・・新府城

両者は対峙し、・・・膠着状態に入った。


佐久では唯一徳川家臣:依田信蕃はゲリラ戦を展開した。
野沢城の伴野信是を攻撃した。
伴野城:伴野全真・信守、望月城:望月源三郎・金井城
(小田井城の南の守り)を攻めた。
距離的には7〜8km以内か?

ゲリラ戦を展開し、小荷駄隊を襲った。北条軍の補給線を寸断した。
※ 寸断した場所・・・碓氷峠説が有力である。

依田信蕃は兵力不足・兵糧不足に悩んだ。

徳川家康は柴田康忠ら1000人&¥金400両を送った。
「料理したら・・勝利したら、諏訪・佐久郡をあげるよ〜ん。」
と依田を励ました。

相木(阿江木)常林=相木昌朝と戦った。

しかし、 依田信蕃は1000人も増えて、飯が食えない。
そこで、ふと考えた。
「そうだ。真田昌幸を味方につけよう。・・・真田を味方に
つければ、後はものの数ではない。・・・」
既に、徳川家康も大久保忠世も 「真田を味方につけて欲しい」
いう話はあった。
家康から、大久保から・・・
依田信蕃は津金寺の僧を仲介に真田昌幸に一族の依田十郎左衛門
と送った。三度目の使者と送ると、
真田昌幸は三沢小屋の近くまで来ていた。
「恐れながら、徳川家康様に起請文を送りたい。」
と依田に頼んだ。
甲斐に送り・・・
昌幸は家康の起請文と判形を拝領した。
「信濃一郡を与える。」とした。
昌幸は不満だった。依田信蕃は
「自分の諏訪郡を与えるので安心されたい。」

昌幸は三沢小屋に兵糧を運ばせた。
やっと、まともなご飯がくれると喜んだとさ・・・

9月28日 真田信伊は正式に家臣となる契約を結んだ。

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〜〜〜2016年【真田丸シリーズ】〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
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と箕輪城との関わり】
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・真田昌幸の墓
http://53922401.at.webry.info/201601/article_7.html

箕輪初心:生方▲真田丸6【生島足島神社】武田信玄の起請文
・真田信之の起請文
http://53922401.at.webry.info/201601/article_8.html

箕輪初心:生方▲真田丸7【真田の隠し湯&ゆかりの温泉14】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_9.html

箕輪初心:生方▲真田丸8『産経新聞記事』:大河「真田丸」群馬の歴史発信
http://53922401.at.webry.info/201601/article_10.html

箕輪初心:生方★真田丸9【真田幸綱(幸隆)の3人の妻】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_12.html

箕輪初心:生方★真田丸10【真田昌幸の生涯4−@:誕生〜19歳:
父と上野吾妻侵攻】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_13.html

箕輪初心:生方★真田丸11【真田昌幸4−A17歳?箕輪城攻撃
〜27歳父:幸隆死亡】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_14.html

箕輪初心:生方▲真田丸12【第12弾:戦国真田の岩櫃城跡探検隊】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_15.html

箕輪初心:生方▲真田丸13【真田幸隆の旧中之条侵攻】と沢渡温泉
&和光庵&つむじ
http://53922401.at.webry.info/201601/article_16.html

箕輪初心▲真田丸14【真田道→三国街道】2016スキー@新潟『神楽』
http://53922401.at.webry.info/201601/article_17.html

箕輪初心:生方▲真田丸15『真田丸第2話「決断」のあらすじ』
http://53922401.at.webry.info/201601/article_18.html

箕輪初心:生方▲真田丸16【真田の選択&武田勝頼の最後の真偽】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_19.html

箕輪初心:生方▲真田丸17【真田昌幸:名胡桃城:沼田城攻略までの過程】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_20.html

箕輪初心:生方▲真田丸18【名胡桃事件への過程→秀吉の小田原攻撃】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_21.html

箕輪初心:生方▲真田丸19『2016大河ドラマ用整備後の名胡桃城景観』
http://53922401.at.webry.info/201601/article_22.html

箕輪初心:生方▲真田丸20【関越自動車道付近の城】&
スキー2新潟:神立スキー場
http://53922401.at.webry.info/201601/article_23.html

箕輪初心:生方▲真田丸21沼田城:初詣【真田氏と沼田城】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_24.html

箕輪初心:生方▲真田丸22『第3話:「策謀」のあらすじ』
&登場人物の解説
http://53922401.at.webry.info/201601/article_25.html

箕輪初心:生方▲真田丸23【沼田正覚寺】信之の妻:小松姫の墓
http://53922401.at.webry.info/201601/article_26.html

箕輪初心:生方▲真田丸24【高崎→18号→上信越道の城】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_27.html

箕輪初心:生方▲真田丸25【坂本城2回目&虚空蔵山烽火台】
:武田信玄の築城?
http://53922401.at.webry.info/201601/article_29.html

箕輪初心:生方▲映画『信長協奏曲』面白過ぎのあらすじ
http://53922401.at.webry.info/201601/article_30.html

箕輪初心:生方▲真田丸26【松井田愛宕山城】:真田幸繁の初陣説
http://53922401.at.webry.info/201601/article_31.html

箕輪初心:生方▲真田丸27【倉渕鑰掛(かぎかけ)城】:真田昌幸
の狼煙台?
http://53922401.at.webry.info/201601/article_32.html

箕輪初心:生方▲真田丸28【榛名:鷹留城】真田昌幸の侵攻
http://53922401.at.webry.info/201601/article_33.html

箕輪初心:生方▲真田丸29【TV第4話「真田昌幸VS徳川初対決
〜本能寺】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_1.html

箕輪初心:生方▲真田丸30【真田昌幸と滝川一益との腐れ縁:友情】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_2.html

箕輪初心:生方▲真田丸31【真田幸隆の知恵:徳川家康を利用して
造った上田城】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_3.html

箕輪初心:生方▲真田丸32【真田昌幸:空城の計&第一次上田合戦】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_4.html

箕輪初心:生方▲真田丸33【真田ゆかりの地:上野国編詳細16市町村】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_5.html

箕輪初心:生方◆真田丸34「沼田街道」&2016スキーbT&bU
【岩鞍スキー】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_6.html

箕輪初心:生方▲真田丸35【松尾古城】角間館の詰め城
http://53922401.at.webry.info/201602/article_8.html

箕輪初心:生方▲真田丸36:第5話【織田信長の死→窮地】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_9.html

箕輪初心:生方▲真田丸37【真田天白城】真田昌幸長男
:真田信綱の築城?
http://53922401.at.webry.info/201602/article_10.html

箕輪初心:生方▲真田丸38【矢沢城】&真田昌幸の叔父:矢沢頼綱の生涯
http://53922401.at.webry.info/201602/article_11.html

箕輪初心:生方▲真田丸39【真田:洗馬(せば)城】:横尾氏の詰め城
→真田氏の城
http://53922401.at.webry.info/201602/article_12.html

箕輪初心:生方▲真田丸40【真田根小屋城】:真田氏の支城
http://53922401.at.webry.info/201602/article_14.html

箕輪初心:生方▲真田丸41【米山城・戸石城・本城・枡形城】
真田幸隆乗取&真田兄弟対決
http://53922401.at.webry.info/201602/article_15.html

箕輪初心:生方▲真田丸42真田の里【真田氏館&真田本城
&支城群一覧】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_18.html

箕輪初心:生方▲真田丸43:第6話【迷走】のあらすじ
&「森長可の撤退」
http://53922401.at.webry.info/201602/article_19.html

箕輪初心:生方▲真田●44【佐久内山城】真田幸隆&大井貞清
http://53922401.at.webry.info/201602/article_20.html

箕輪初心:生方▲真田○45:【諏訪の上原城】&板垣信方と真田幸綱
http://53922401.at.webry.info/201602/article_21.html

箕輪初心:生方▲真田●46【長窪城】と真田幸綱(幸隆)
http://53922401.at.webry.info/201602/article_22.html

箕輪初心:生方▲真田丸47【芦田城】芦田氏と真田氏
http://53922401.at.webry.info/201602/article_23.html

箕輪初心:生方▲真田丸48【佐久:春日城】依田信蕃と真田昌幸
http://53922401.at.webry.info/201602/article_24.html

箕輪初心:生方▲真田丸49【望月城】望月氏&真田氏
http://53922401.at.webry.info/201602/article_25.html

箕輪初心:生方▲真田丸50第7話『滝川一益の逃亡』
箕輪城→小諸城へ
http://53922401.at.webry.info/201602/article_26.html

箕輪初心:生方▲真田丸51【海ノ口城】武田信玄初陣
&184「箕輪城」武田勝頼&真田幸繁の初陣
http://53922401.at.webry.info/201602/article_27.html

箕輪初心:生方▲真田●52『伴野氏館=野沢城』&伴野氏の歴史前編
http://53922401.at.webry.info/201602/article_28.html

箕輪初心:生方▲真田●53『前山城』&伴野氏の歴史後編
http://53922401.at.webry.info/201602/article_29.html

箕輪初心:生方▲真田●54【佐久稲荷山城:勝間城】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_30.html

箕輪初心生方▲真田丸56【佐久田口城】&相木氏&伴野貞長の最後
http://53922401.at.webry.info/201602/article_31.html

箕輪初心生方▲真田丸56【佐久田口城】&相木氏&伴野貞長の最後
http://53922401.at.webry.info/201602/article_31.html

箕輪初心:生方▲真田丸 57「第8話『調略』のあらすじ&川中島
http://53922401.at.webry.info/201602/article_32.html

箕輪初心:生方▲源頼朝44【平賀義信】&『佐久平賀城』
http://53922401.at.webry.info/201603/article_1.html

箕輪初心:生方▲真田●58【大井城】&「大井一族の歴史」
http://53922401.at.webry.info/201603/article_3.html

箕輪初心:生方▲真田●59【志賀城】:笠原清繁&高田憲頼
/大虐殺&人身売買
http://53922401.at.webry.info/201603/article_4.html

箕輪初心:生方▲真田●60【佐久平根白岩城:平尾氏館】&真田の本
http://53922401.at.webry.info/201603/article_5.html

箕輪初心:生方▲真田●61【佐久平尾城】&スキー11「佐久PARADA」
http://53922401.at.webry.info/201603/article_6.html

箕輪初心:生方▲真田●62【小田井城】:約20haの巨大な城
http://53922401.at.webry.info/201603/article_7.html



〜〜〜★真田3代〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心●「滋野一族→海野一族の歴史」
http://53922401.at.webry.info/201111/article_25.html

箕輪初心●真田3代@「実田→真田幸隆の出自」
http://53922401.at.webry.info/201111/article_26.html

箕輪初心●真田3代A幸隆の箕輪城居候1541〜旧領奪回1551
http://53922401.at.webry.info/201111/article_27.html

箕輪初心●真田3代B『川中島の戦い&真田の上野国進出』
http://53922401.at.webry.info/201111/article_28.html

箕輪初心●真田3代C『真田信綱→真田昌幸の時代』
http://53922401.at.webry.info/201111/article_29.html

箕輪初心●真田3代D『5回主家を変えた真田昌幸』
http://53922401.at.webry.info/201111/article_30.html

箕輪初心●真田3代E『小田原攻撃〜第2次上田戦争
〜大阪の陣』
http://53922401.at.webry.info/201112/article_1.html









★明日は、真田幸綱(幸隆)の武田晴信臣従の時期についてある。

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箕輪初心:生方▲真田丸63TV第 9話【天正壬午の乱】のあらすじ&平山優説の違い 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
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