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zoom RSS 箕輪初心:生方▲真田●62【小田井城】:約20haの巨大な城

<<   作成日時 : 2016/03/06 06:41   >>

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小田井城は長野県御代田町にあった城である。
・天文年間に小田井城は築城された説が有力説である。
・天文13年(1544)小田井又六郎は武田晴信に討ち取られた。
志賀城攻めの時、上杉憲政軍と武田軍が戦った小田井原の
合戦も城近くで行われた。その後、小田井城は武田晴信の
巨大な縄張りに拡張されたのであろう。約20haある。曽根館
も近いし、8000の兵の駐屯地になる得る。・・・天正18年
(1582)徳川家臣:依田信蕃に落とされ廃城となった。
御代田町では小田井城を宣伝していない。もったいない。
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◆訪問日・・・平成28年(2016)3月3日
エコールで、御代田町誌「御代田の中世・御代田の城」を
コピーしていただいた。



●御代田には14城あることが分かった。
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@小田井城+周りにA長倉城+B戸谷城+C金井城
D曽根城・・・東山道沿い。曽根昌世一族の城か?
E谷地城・・・御代田駅の南東100m〜小田井子孫:市川氏
F馬瀬口城・・現中山道沿い
G塩野城・・・塩野牧・・・北国街道添沿い
H梶原城+I西城・・・北国街道添沿い
J頭槌城+K梨子沢城+L向井城+M宮平城・・
  平尾城の尾根続き



≪アクセス≫
・岩村田から旧中山道に沿って北上する。
・小田井宿北入り口の信号:東の橋を渡った100m
 先から入る.
西友の西から・・・

  


●小田井城
小田井城は、久保沢と井戸沢という2つの谷川に挟まれた
細長い台地を利用した城である。湯川も利用している。

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平尾城からよく見える。

●案内板1
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●土橋・・・入り口はこの1本だけである。

●右は二重堀切・・・★これは凄い。
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堀底に土塁が設けられ、二重堀になっている。
  おそらくは、武田信玄による改修の跡と思われる。
岩櫃城も二重堀切が多い。

●左はただの堀切
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台地の付け根を堀切で断って独立させた。

●郭
・右
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城跡面積は広く、ほぼ全域が畑である。
・左
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・斜め左
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●案内板2
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・堀切も見える。
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●堀切
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●郭
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●案内板3
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「スリバチ畑」と呼ばれる浅い窪地だった。
井戸跡・・・真ん中付近
「小田井城から久保沢を挟んだ北西の細尾根には、
支城の1つ長倉城があった。」

 
●井戸跡の先にも2つ郭がある。
          
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★平尾城がよく見えた。

●西の切崖
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▼戻った。浅間山2568m?だっけか?
 群馬県で見ると、2位の山である。
 左は黒斑(くろふ)山・湯ノ丸・烏帽子と
 繋がる。全部、登った。
 天明3年の爆発って、凄かったそうだが。・・・

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◆◆ 小田井城の歴史 ◆◆
・応永6年(1399) 信濃守護は斯波義将から小笠原長秀が
 なった。
守護代は大井光長であった。
善光寺に入った小笠原長秀は村上満信の知行する川中島
 に強引に入り、年貢取り立てを始めた。
 村上氏・祢津氏・海野氏・望月氏・伴野氏・平賀氏・依田氏
 などの反発を受けた。
・応永7年(1400) 大塔合戦
信濃守護の小笠原長秀 800騎
VS
信濃諸将・・・約3300騎
  村上満信ばど約500騎
祢津・海野・会田・岩下など約300騎
滋野一族祢津の中に実田(真田)・横尾・曲馬もいた。
伴野・平賀・望月・依田ら約500騎
高梨一族約500騎
井上・須田一族約500騎
大文字一揆約800騎

  大井光長の子:大井光矩は本家:信濃守護:小笠原長秀に
  加勢しなかった。
  大井光矩は守護代として小笠原長秀を支えていたが、国人衆
   達との関係もあり、微妙な立場だった。兵は出したももの
  中立を保った。

  小笠原長秀は戦いに敗れた。
  小笠原長秀は塩崎城(篠ノ井市)に籠城した。
一族:坂西長国は大塔城に逃げ込んだ。


  大井光矩は 守護方が大敗して大勢が決した後、両者の
 和睦の仲介した。小笠原長秀の救出した。

小笠原長秀は大井光矩の岩村田大井城に入った。
  京に戻り、守護を解任された。

 小笠原長秀の子?孫?が小田井に住んだ。


大井氏は勢力を拡大し始めた芦田氏と対立した。
鎌倉公方:足利持氏が小笠原・大井氏と芦田・村上氏の争いに
 介入しようとした。

・永享8年(1436) 芦田城の戦い
室町幕府は守護・小笠原政康に大井氏と芦田氏の調停を命じた。
 しかし、調停が失敗した。
 幕府は芦田氏の討伐を命じた。
 小笠原軍・大井軍 VS 芦田氏・村上氏・滋野三家。
小笠原軍・大井軍が勝利した。
 芦田氏は大井氏に臣従した。
 大井光矩は芦田(依田)支配の拠点として長窪城を築いた。

 その後、大井光矩の子:大井持光は平賀氏などを下し勢力を
 広げ佐久一帯を支配下に収めた。

 
・永享10年(1438) 永享の乱
室町幕府に足利持氏は自害を命じられ、遺児が各地に
 逃れた。
 その1人が永寿王丸?万寿王丸が乳母に連れられて
 佐久に逃れて来た。
大井持光は 鎌倉公方足利持氏の遺児:永寿王丸?万寿王丸
(後古河公方足利成氏)を庇護した。
 
★足利持氏は小笠原氏・大井氏に恩を売っといた?


・嘉吉元年(1441) 結城合戦
結城氏朝が春王丸と安王丸を奉じて挙兵した。
 大井持光も結城に向かおうとしたが、関東管領:上
 杉清方軍に阻まれた。

 
結果・・関東管領方が勝利した。
    春王丸・安王丸は殺害されてしまった。

・文安3年(1446) 大井政光が平賀氏・小諸氏を滅ぼした。
  佐久のほぼ全域を手中に収めた。

・享徳4年(1455) 享徳の乱
  永寿王丸?万寿王丸(足利成氏)は鎌倉公方となった。
  足利成氏が鎌倉を追われて下総古河に移座した。
  古河公方と称した。
  
  村上政清は小県郡の海野氏と戦っていた。

・応仁元年(1467)
  大井城は村上政清1万の軍勢で攻められ落城した。


応仁・文明年間(1467〜86)
信濃守護小笠原長秀の後裔:孫の長澄が小田井に住んでいた。

 
 ★築城の経緯は詳らかでない。
  小田井氏の出自についても不明である。
  しかし、小笠原氏の可能性が大きい。

小田井城&支城
・長倉城(小田井長倉神社)・金井城・戸矢城がある。
 
 
・文明11年(1479)
伴野氏と大井氏は諏訪上社御射山祭で左頭役・右頭役
  を務めた。・・・しか〜し、
  1ヶ月後に大きな戦さをした。
▲大井城の戦い
  
  甲斐武田氏が伴野軍を援護した。
  同族:伴野氏との戦いに大敗した。
  大井氏の執事:相木氏が討死を遂げた。
  大井政朝が生け捕りとなった。 
  和議が成立し、大井政朝は解放された。

・文明15年(1483) 大井政朝が失意の内に没した。
  大井政朝の弟:安房丸が家督を継いだ。

・文明16(1484)
  村上顕国が攻め込み、大井城は落城。
  安房丸は小諸城へ逃れた。 
  大井氏宗家が滅んだ。
  大井支族は村上氏に仕えた。
  大井城は甲斐大井氏系?甲斐武田氏系?長窪大井氏の
  大井玄慶が継いだ。
大井玄慶(安房丸の子・政信との説)が大井城を継ぎ、
  岩尾・耳取・芦田・相木など一門も存続した。

  実質的に佐久郡は村上氏の影響下に置かれた。

・永正6年(1509) 将軍:足利義尹が関東管領:上杉顕定に
  伴野六郎と大井太郎の和解を命じた。


・永正16年(1519) 甲斐の武田信虎が佐久郡平賀城を攻めた。
武田信虎 VS 村上政清

大永年間(1521〜28)
  小田井(尾台)吉六郎副親が小田井城を築いた?
(★『長野県町村誌』・「御代田町誌」)

・享禄2年(1527) 伴野信是が武田信虎とともに大井政朝を攻めた。
             
・天文4年(1536) 武田信虎が海ノ口城を攻め、大井一族の平賀玄信
  が初陣の武田晴信に討たれた。

・天文9年(1540) 武田信虎は佐久郡・小県郡への本格的な侵攻を
 はじめた。
  武田軍は佐久郡の海ノ口城・海尻城など諸城を陥れ、前山城に
 入った。

 武田信虎は伴野助十郎信是と同盟を結んでいた。
 前山城を前進拠点とした。
 前山城の改修工事を行った。

・天文10年(1541)
5月 海野平の戦い
 武田信虎と諏訪頼重・村上義清氏とともに信濃佐久郡・小県郡へ
 侵攻した。
海野棟綱&真田幸隆は上野国の羽尾幸全を頼った。
 真田幸隆は箕輪城:長野業正を頼った。
 海野棟綱&真田幸隆は平井城:上杉憲政に小県の復権を依頼
した。

武田信虎は諏訪頼重とともに大井貞隆の本拠:長窪城を陥れ
 諏訪領とした。


6月14日 甲斐で武田信虎は嫡男武田晴信により今川氏の駿河へ
 追放され、武田晴信が家督を継承した。

関東管領:上杉憲政が海野棟綱&真田幸綱(幸隆)の要請を利き、
信濃佐久郡・小県郡へ侵攻した。

上杉憲政の意向で佐久は武田の支配が弱まった。
再び、大井一族が勢力を盛り返した。
この間隙をぬって、佐久の岩村田大井城にいた大井貞隆は本拠地:
長窪城を奪い返した。

芦田(依田)守信=芦田信守&芦田(依田)系の相木昌朝は
大井貞隆に帰参した。

・天文11年(1542)諏訪頼重を盟約違反とした武田晴信は高遠
頼継と結び諏訪郡へ侵攻し、諏訪氏を滅ぼした。
次いで決裂した高遠頼継を打ち破った。
諏訪頼重の居城だった上原城に家臣・板垣信方を城代として配置し、
諏訪郡代としてを諏訪・伊那を領国化した。


・天文12年(1543) 武田晴信の佐久侵攻。
・9月9日、申刻、光台退治のため、千塚まで御出陣。
・10日、若神子に御着。
・12日海野口。
・15日宮ノ上。
・16日前山。
・17日御着陣。申刻、長窪の城、攻めなさる。
・19日、光台(大井貞隆)生け捕る。
・20日、望月一族生害なさる。
  『高白斎記』

 
大井貞隆の家老だった芦田守信&芦田(依田)系の相木昌朝は
 武田晴信に内応し、岩村田城:大井貞隆を降伏させた。
   
 しかし、大井貞隆は長窪城で反旗を翻した。
 長窪城(現長和町)を攻撃となった。
武田家臣:芦田信守と相木昌朝は元主家:大井貞隆を攻撃した。
 長窪城主:大井貞隆を攻めて自害に追い込んだ。

結果・・長窪城は武田氏の御料所(直轄地)となり、長窪城は東信濃
・北信濃侵攻の前線基地として重要視された。

 大井貞隆の弟:大井貞清が家督を継ぎ、内山城で抵抗を続けた。


さらに、武田晴信は望月城を攻撃した。
望月盛昌の子:望月昌頼は小諸城に逃げた。しかし、弟?の
望月源三郎(望月信雅)&望月新六は武田晴信に
布引城で最後まで抵抗した。


●真田幸隆は一般的に箕輪城に3年いたことになっている。
 真田幸綱(幸隆)は武田晴信に臣従した。 
望月源三郎に降伏を勧めたとすると、
 箕輪城に約2年4ヶ月といたことなる。


武田晴信の配下に芦田信守・相木昌朝・望月源三郎がなった。
@芦田信守→依田玄蕃(信蕃)+跡部勝資の娘 →依田康国

A相木昌朝→相木市兵衛+山県昌景の娘→
 帰参直後から騎馬80騎持ちで田口城代に任じられた。
 後、相木昌朝の長女は真田幸隆の次男:真田昌輝に嫁いでいる。
 相木昌朝の次男:相木市兵衛は武田信玄より依田能登守の名を
 与えられた。


天文13年(1544)
 小田井氏は大井氏を滅ぼした村上氏に属していた。
@長倉城・・・小田井城の北の大手口(1つしかない)
 を監視していた。
  長倉猿助(★おそらく依田一族)が守っていた。
★「相木市兵衛依田昌朝と武田信玄」では、
 「長倉城」は依田の城とある。
  小田井長倉城説&軽井沢長倉城説がある。
A戸谷城は小田井城の西(現小田井宿西)を守っていた。
B金井城は小田井城の南(現小田井宿南端)を守っていた。



冬、 武田晴信軍が小田井城を攻めた。
 小田井城主:小田井又六郎信親・二郎左衛門(又七郎)信治は
 武田信玄が佐久に進行した際に佐久の諸城がことごとく落城す
 る中で孤軍奮闘した。
 武田晴信は武勇を惜しみ、臣下になるように勧めたが、徹底抗
 戦の構えを崩さなかった。
 12月15日 板垣信方を先鋒として再び城を攻めた。
 小田井又六郎は弟・次郎左衛門とともに城を枕に討死した。
 (★甲陽軍鑑・御代田町誌)
小田井城主:小田井又六郎信親の長男:小田井弾正は遠江の
渥美郡市村に逃げて、市村姓を名乗った。
小田井弾正=市村弾正は戻ってきて、武田晴信に
 臣従した。


真田幸綱(幸隆)も志賀城から小田井城に行ったのであろう。
真田幸綱は内山城代:小山田虎満の配下だったので、
 小田井城に一時、いたかもしれない?


その後、武田晴信の巨大な縄張りに拡張した。
約20haある。

でか過ぎるもんね。曽根館も近いし、・・・
曽根昌世が一時入ったとみるべきであろう。
古東山道の要所:小田井・・・20haは北信濃・上野国攻めの
駐屯地になったのであろう。


         
・天文14年(1545)4月 武田晴信は小諸城にいた。
 岩尾城代:真田海幸綱(幸隆)を使者として派遣し、望月城主:
 望月遠江守盛時に太刀・馬を下賜した。望月盛時は武田晴信の甥
 で6ヶ城の守将であった。妻:望月千代は、望月分家甲賀望月一
 族で女忍者(くノ一)とされる。武田信玄の命で甲斐・信濃の巫
 女の統帥「甲斐信濃二国巫女頭領」を任され、祢津村(現長野県
 東御市祢津)の古御館に「甲斐信濃巫女道」の修練道場を開いた
 という。
(★ウィキペディアより)

・天文15年(1546)
4月 河越夜戦
上杉憲政+上杉定正+古河公方 VS 北条氏康
  河越城を包囲していた関東管領:上杉憲政が北条氏康に惨敗
上野の平井城に逃げ帰った。
上野国を中心とする上杉憲政の勢力はいまだ健在であった。

5月 武田晴信は再び佐久郡に侵攻。
■内山城攻撃

5月3日 海ノ口に着陣。
5月6日 前山城に布陣した。
     ※伴野助十郎の居城である。宗家は拙宅から50m。
     内山城の大井貞清・貞重父子を攻めた。
大井貞清が立て籠もる内山城を包囲した。
5月10日 内山城の水の手を断った。
5月14日 主要な曲輪をほとんど陥とした。
  大井貞清は本城で抵抗した。武田軍は総攻めをしかけて
5月20日 大井貞清は内山城を開城した。
大井貞清は捕えられた。
真田幸隆の口利きで大井貞清は助命された。
      大井貞清は野沢城に蟄居した。
?月?日  大井貞清は内山城代を任された。
7月18日 上原伊賀守昌辰(小山田備中守昌辰・小山田虎満)
      が内山城代を任じられた。
長窪城(現長和町)の大井貞隆&内山城の弟:大井貞清の
  大井一族が壊滅状態になったことで佐久郡の大半が武田晴信
  に制圧された。

・天文16年(1547)
5月4日 大井貞清父子は翌躑躅ヶ崎館への出仕した。
  駒井高白斎を仲介として武田晴信に臣従した。
(★『高白斎記』)

大井貞清は上野国の上杉憲政や信濃小県郡の村上義清に通じた。


●志賀城攻め

 小田井原の戦い
 
 関東管領上杉憲政軍の大将:金井秀景と武田軍:板垣
 ・甘利・横田が小田井城の近くで戦った。
 
★小田井の戦いに小田井城が関わっていたかは不明である。



〜〜〜中略〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

・天正10年(1582) 3月11日武田氏が滅亡。

 6月2日 本能寺の変
 

 6月18日・19日神流川の戦い
  滝川一益が北条氏直に敗れた。

天正壬午の乱
 徳川氏・後北条氏・上杉氏の勢力が信濃に伸びてきた。


 6月20日  佐久一帯を領有していた滝川一益が
  小諸城に入った。

 7月上旬 北条氏直が佐久・小県を支配した。

●小田井弾正=市村弾正は北条氏直についた。
 小田井弾正=市村弾正は谷地城(御代田駅南東100m)
  に入った。
 
北条軍:大道寺政繁が一時小田井城に滞在した(伝)。


 7月9日 真田昌幸は北条氏直に臣従する手紙をだした。
 
 7月13日 佐久・小県の真田昌幸・大井雅楽助などは
13人が北条氏直に面会した。
  

 徳川家康の後ろ盾を得た依田信蕃が勢力を拡大した。
  大井氏や伴野氏らは抵抗した。

12月 小田井弾正=市村弾正は 依田信蕃に破れ、戦死した。
 小田井城も依田信蕃の手に落ちた。
  そして、谷地城・小田井城は廃城となったものと考えられて
  いる。

●天正14年(1584)小田井の石高は330貫あった。

◆参考資料  御代田町史?御代田町誌?

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http://53922401.at.webry.info/201602/article_23.html

箕輪初心:生方▲真田丸48【佐久:春日城】依田信蕃と真田昌幸
http://53922401.at.webry.info/201602/article_24.html

箕輪初心:生方▲真田丸49【望月城】望月氏&真田氏
http://53922401.at.webry.info/201602/article_25.html

箕輪初心:生方▲真田丸50第7話『滝川一益の逃亡』
箕輪城→小諸城へ
http://53922401.at.webry.info/201602/article_26.html

箕輪初心:生方▲真田丸51【海ノ口城】武田信玄初陣
&184「箕輪城」武田勝頼&真田幸繁の初陣
http://53922401.at.webry.info/201602/article_27.html

箕輪初心:生方▲真田●52『伴野氏館=野沢城』&伴野氏の歴史前編
http://53922401.at.webry.info/201602/article_28.html

箕輪初心:生方▲真田●53『前山城』&伴野氏の歴史後編
http://53922401.at.webry.info/201602/article_29.html

箕輪初心:生方▲真田●54【佐久稲荷山城:勝間城】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_30.html

箕輪初心生方▲真田丸56【佐久田口城】&相木氏&伴野貞長の最後
http://53922401.at.webry.info/201602/article_31.html

箕輪初心生方▲真田丸56【佐久田口城】&相木氏&伴野貞長の最後
http://53922401.at.webry.info/201602/article_31.html

箕輪初心:生方▲真田丸 57「第8話『調略』のあらすじ&川中島
http://53922401.at.webry.info/201602/article_32.html

箕輪初心:生方▲源頼朝44【平賀義信】&『佐久平賀城』
http://53922401.at.webry.info/201603/article_1.html

箕輪初心:生方▲真田●58【大井城】&「大井一族の歴史」
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箕輪初心:生方▲真田●59【志賀城】:笠原清繁&高田憲頼
/大虐殺&人身売買
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箕輪初心:生方▲真田●60【佐久平根白岩城:平尾氏館】&真田の本
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