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zoom RSS 箕輪初心:生方▲真田丸77:第12話「真田幸繁の上杉への人質」&平山・丸島諸説

<<   作成日時 : 2016/03/28 08:17   >>

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『真田丸』では、このままだと、慶長3年(1600)関ヶ原の戦い後、
真田信之の頼みで、真田昌幸と真田信繁(幸村)の助命に尽力し
た井伊直政の話は出てこないだろう。もし、井伊直政がいなけれ
ば、後の大坂城真田丸なんて、なかったのに。井伊直政ファンの
私には今一歩のくだらねえドラマだ。井伊直政がキーマンなのだ。
@天正10年(1582)の徳川&北条の和睦交渉の立役者は井伊直
政の話。A天正12年(1584)小牧長久手の戦いで徳川家康が
豊臣秀吉軍を破り、その名を全国に轟かせたとナレーター解説
している。が、活躍したのは初めて赤備えの部隊を率いて武功
を挙げ、6万石になった井伊直政の話。B「井伊年譜」では
井伊直平(井伊直政の叔母)の実の娘で、今川義元の養妹とし
て一門:関口親永(箕輪城にも入った井伊直政の侍大将の父)の
娘となり、徳川家康に嫁いだ築山殿&井伊直政の話。は今日も
『真田丸』にはなかった。
来年の『井伊直虎』に期待しよう。
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〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



◆◆ 箕輪初心◆新潟上越の思い出『春日山城&水族館&祭』 ◆
http://53922401.at.webry.info/201305/article_28.html


◆◆ 箕輪初心◆新潟『林泉寺』=和尚様と話した。 ◆
http://53922401.at.webry.info/201305/article_30.html

箕輪初心●新潟『春日山城』前編「春日山神社〜二の丸」
http://53922401.at.webry.info/201305/article_31.html

箕輪初心●新潟『春日山城』後編「天守台〜井戸〜本丸〜兼続屋敷」
http://53922401.at.webry.info/201305/article_32.html

箕輪初心●山形【長谷堂城の戦い】直江兼続VS最上義光
http://53922401.at.webry.info/201307/article_9.html
前田慶次郎・上泉伊勢守嫡男が戦死した。

◆◆ 箕輪初心●新潟:『高田城』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201305/article_28.html

松尾芭蕉30『奧の細道R』【出雲崎〜直江津】
http://53922401.at.webry.info/201208/article_14.html




【0】海津城・屋代城・荒砥城
*天正10年(1582) 海津城将は村上義清の子:村上国清(景勝
養子:後根知城主:山浦景国)であったが、徳川に寝返った屋
 代秀正を許し、海津城の副将に任じた。荒砥城の安堵も行った。
※平山優説・・・山浦景国と屋代秀正は仲が悪かったらしい。
★同族なのにね?
しかし、上杉景勝は屋代秀正を信用せず、稲荷山城を築城し
 監視した。

*天正12年(1584)4月1日 屋代秀正は徳川氏に通じたため、
 上杉景勝が攻撃した。屋代秀正は荒砥城に火を放ち、徳川家康
 の下へ出奔して旗本となった。荒砥城は以降、廃城となった。



【1】真田四代と信繁:丸島和洋著
・天正13年(1595)
3月? 沼田城を明け渡す代わりに、母:河原髏ウの妹を取り返
   した。
   徳川家康を小県の上田城から撤退させた。
  いつのまにか、徳川家康が造った上田城は真田昌幸の物に
   なっていた。
(※第一次上田合戦の後、今度は上杉景勝に改修させた。)
 
 5月初旬 上杉景勝は信濃衆:須田信正を真田昌幸に内通した
嫌疑で処刑していた。
 (★北越軍記)
 関係は最悪であった。
 6月頃 真田昌幸は上杉景勝に従属することを決めた。真田弁丸
 (信繁)の供奉衆に矢沢頼幸が同心として預けられ、一軍の指揮
  官に任じられた。

7月15日は上杉景勝への起請文とされている。
※丸島説・・・新発田重家の内乱を押さえられていないので、
真田を取り込むことは上杉にとっても意味が大きかった。
 その後、真田信繁の矢沢軍は新発田重家を討伐に貢献した。

上杉景勝の真田の処遇には寛大であった。
@小県(上田)、吾妻(岩櫃)、利根(沼田)、坂木の庄を安堵した。
A真田昌幸に禰津昌綱の処遇も一任した。
B天正11年に出浦昌相(一般論の出浦盛清は誤りか?)
が真田の家臣になったのと符号する。
真田昌幸に安堵した埴科郡に出浦の所領が入っているので
あろう。(★丸島説)

【2】海津城・荒砥城・屋代城の諸説
1)丸島説
5月初旬 上杉景勝は信濃衆:須田信正を真田昌幸に内通した
嫌疑で処刑していた。
 (★北越軍記)
6月 真田昌幸は上杉景勝支配の須田:海津城に信繁(幸村)
  16才を人質に送った説は丸島説では間違いとなる。

●海津城将
かつての海津城将は村上義清の子:村上国清(景勝
養子:後根知城主:山浦景国)であった。

★個人的は、それから、海津城将とともに行かないと
 春日山城には入れないはずである。
@丸島説・・・出てこない
 A平山説・・・須田満親
Bウィキペディア・・・
  須田満親が真田昌幸との交渉役を務め、昌幸の次男・信繁を人質
  として預かった。春日山城に連れて行ったとは書いてない。


2)平山説・・・
 3月(5月?) 真田昌幸は須田信正の徳川内通を暴露した可能
  性がある。
※平山説・・・上杉景勝の歓心を得るためとしている。
   海津城将:上條宣順に成敗された。
6月 海津城将:上條宣順→須田満親
 7月15日 9ヶ条の起請文
 @上杉に忠節を尽くせ
 A敵が攻めてきたら援軍をよこせ
 B噂や密告を信じないで、密接な関係でいようね。
C信濃国の知行は海津城将:須田満親が行う。
D小県(上田)、吾妻(岩櫃)、利根(沼田)・坂木の庄を安堵した。
E佐久甲州のどこか、長野一跡(箕輪城)を与える。
F屋代秀正の一跡(荒砥城&屋代城)を与える。
G真田昌幸に禰津昌綱の処遇も一任した。
平山説・・・昌幸の配下にすること
H???
 
  真田昌幸は徳川家康に手紙で
「上杉景勝につくよ。」
 と送った。
徳川家康は裏切ったなとぶち切れ。
(★平山優・黒田基樹)

  北条氏との間で沼田城をめぐって対立。

※依田(松平)康国の佐久の勝俣城(稲荷山城)&小諸城が
 戦線基地となった。


■8月2日第1次上田合戦 ・・・神川(かんがわ)合戦
 徳川軍が上田城を攻めた戦い 
 ※松代藩家臣の「上田軍記」
 ※大久保彦左衛門の「三河物語」

※真田昌幸が上杉景勝に強く救援を進言するので、海津城将:
 須田満親は上杉方援軍の指揮を執らせた。
 @真田根小屋城に入った説
 A真田矢沢城に入って、矢沢頼幸と依田康国を撃退した説
 B真田信幸の砥石城の側面攻撃を応援した説

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
8月26日 上杉景勝は真田昌幸が味方になったと宣言した。

 その後、上杉景勝は屋代氏出奔後の領地の一部は景を人質となっ
 ていた真田信繁(幸村)の領地として与えられたとされている。
 真田信繁(幸村)は屋代城に住み、旧荒砥地区の一部を統括した
 という。
真田昌幸はまた、ちゃっかり上杉景勝に上田城
 の改修工事をさせた。
 徳川への前線基地だからね。」
 とかなんとか言っちゃって・・・


」〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜




【4】真田丸12話「人質」

『真田丸』では、『加沢記』をベースに「真田昌幸が徳川家康から
の刺客となった室賀正武を返り討ちにした。」ことを祝言と結びつ
けてホームドラマ化されていた。しかし、真田と徳川との長い戦
いの始まりであった。

◆ナレーター


●上田城
信繁「ここにいたのか?見晴らしがいいだろう。」
きり「いい場所ですね。     」?
信繁「見晴らしがいいというのは、逆にどこからでも見えると
   いうこと、・・・」

信繁「この前はありがとう。・・・・」



◆ナレーター
天正12年(1584)小牧長久手の戦いで徳川家
康が豊臣秀吉軍を破り、その名を全国に轟かせた。
しかし、真田 VS  北条(+徳川)の沼田領をめぐる争いにまだ
決着がついていなかった。家康は真田が上杉と手を組むことを案じ
ていた。

●浜松城
築山殿「あなた、太りましたねえ?」
★築山殿は井伊直政の叔母の娘である。


家康「真田はどうなったか?」
本多正信「室賀が返り討ちに・・・」

家康「沼田を北条のために・・・」

家康 「真田は上杉と手を組むのでは・・・」

●上田城
※真田昌幸は徳川家康と縁を切るために、上杉景勝の力が必要だった。
昌幸「上杉に(『家臣にして欲しい。』)と手紙をだした。
春日山城からの返事は「NO」だった。・・・

●上田城
それでも、昌幸はもう一度、上杉景勝に
「家中に加えてほしい。」
と高梨内記に命じて手紙を送った。


●春日山城
上杉景勝&直江兼続はひつこさにあきれてしまった。
景勝「ひつこいのう。」
直江「真田安房守の面の厚さは日本一でございます。殿、ゆめゆめ
、真田をゆるそうなどと思いませぬように。・・・。」
景勝「・・何でも意のままにというてきた。・・・
   無理難題をふっかけて、向こうがとうでるか、試してみょう
   ではないか?」
 
●上田城から下がる道中
景勝の条件は「信繁を上杉の人質に出せ。」
というものであった。 厳しい条件であった。

信幸「母上が行くでしょうか?
昌幸「・・・承知すまい。・・・」
信幸「まさか私ですか?」

●上田城近くの道
信繁は祝言の一件で落ち込んでいた。
父:昌幸の考えにも嫌気がさしている。
渡りに船・・・昌幸ととしばらく距離をおきたいと考えていた。

信繁「・・・上杉景勝という男、私は嫌いではありません。」
矢沢三十郎「確かに、・・一本筋の通ったお方のようですが、・・・。」
信繁「義を重んじるお方だ。どこぞの方とは違う。」
 と父を非難した。
矢沢三十郎は信繁のお供としてついていくことになった。
「生まれてくる子のためにも必ず生きて帰ろう。」
と信繁を勇気づけた。

★実際は数え16歳(中学3年生)の信繁の軍師として、一箇師団
を任された。


●信繁の部屋?家?
信繁は、人質になる事を承諾した。
梅「私も連れて行ってください。」
信繁「人質には当然ながら危険も伴うのだ。いつ戻れるかもわから
父:昌幸がまた上杉に背けば、殺されてしまうだろう。

信繁は梅に
「良い子を産んでくれ。」
「かしこまりました。」
「この子が生まれる前には戻ってきたいものだ。」
と言い残し、信繁は景勝のいる春日山城へと旅立った。

●上田城
きりが残された梅を気遣っていた。

きり「体はどうなの?」
梅「体?」
きり「私、よく知らないんだけど、つわりとか、まだそういうの
  ないの?」
梅「・・・」
きり「ちょっと待って。どうしてお腹に子供がいるってわかったの?
どういうこと・・・」
梅「なんとなくそんな気がしただけ」
きり「あんた、嘘ついたってこと?」
梅「嘘っていうか、これも一つの策よ。・・・源次郎様、なかなか
  その気になってくれないから。」
きり「え???」

「元気なややこが生まれますように・・・」

きりは梅のしたたかさに唖然とした
のであった。


●春日山城
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信繁と三十郎は春日山城に着いた。
2人は来客中で控えの間で待たされた。
 先客がいたため景勝との対面を待った・・・。

2人が庭をみると、・・・漁民らしい男が座っている。
何やら・・浜で獲った魚のことで、北浜と南浜の漁師が争いを
起こしているようだ。
景勝にさばいて欲しいらしく面会に来ていた。
村同士の揉めごとで漁師のAと漁師Bが面会中だった。

信繁「景勝は身分の分け隔てなく民の訴えを聞くのか?」
とびっくりした。
信繁「大名は・・・」

 景勝は両者の意見を聞き、
「吟味の軒、早々に答えをだす。」
と答えた。

面会は順番制なのだ。
小姓「こちらえ。」

信繁にやっと面会の順番がやって来た。
「おぬしとあうのは3度目じゃ、・・」
信繁「その節は・・・」
景勝は信繁を人質に指名した理由を話し始める。
景勝「一つは、昌幸に息子を差し出す覚悟があるのかを試すた
  めである。もう一つはおぬしに会いたかった。
信繁 ????
※景勝は以前信繁が景勝に助けを求めた際に見せた自信あふれる顔が
忘れられなかったのである。

景勝「沼田の一件、おぬしはだれも死なせず、北条を
   追い払ってみせた。」

「ありがとうとうございました。・・・」

景勝「人質とはいえ客人と同じように接っしよう。」
と約束した。

景勝「参ろう。」
景勝は上杉謙信公の位牌が置かれている仏間に案内した。
謙信公の教えを語った。
景勝「上杉家は義のある戦いしかしない。敵の方から攻めてくれば
   立ち向かうが、私欲のためだけに他国を侵略することは
   ない。
信繁「素晴らしいお考えです。」
景勝「謙信公の教えじゃ」

景勝「国づくりの根幹は民の暮らしの安全を守ることと考えることで
  ある。民の心をつかまずに何が国づくりじゃ。
  漁師の相談に耳を傾けるのもそのためだ。・・」

景勝は「おぬしが沼田城をめぐる攻防で誰も死なせずに北条軍を追い払
 ったのは、上杉の教えと同じだ。おぬしに民を大事にする謙信公の心
を見た。」
と高く評価した。


信繁「もったないお言葉でございます。」
・・・・

信繁「義を忘れて私欲のためだけに生きると人はどうなりますか?」
と景勝に尋ねた。

景勝「天下を取りながらも家臣に裏切られて死んだ。織田信長はみ
  じめな最期であった。「死に様は、生き方を映す鏡。おのれに
  恥じぬよう生きるのみじゃ。」

※景勝は信繁を高く評価しているが、上杉氏と真田氏の遺恨が解消され
たわけではなかった。

●上田城
信幸「源次郎はうまくいったようですね。」
昌幸「そうでもないらしい。」
信幸「どいううことですか?」
昌幸「兼続から手紙が届いた。」


直江の声「沼田城を返して欲しい。・・・・」

信幸「無理でしょう。・・・。」
★沼田城は返せないし、上杉氏との関係は修復したいし・・・。

信幸「そもそも沼田城を渡す渡さないで、北条氏と揉めておるのです。
  それ故、上杉に助けを求めているというのに、その沼田を上杉に
   渡してしまったら、もう。何が何だか分からなくなってしまい
  ます。」
★確かに沼田城を上杉氏に返してしまっては何か変である。
つまり、沼田は真田・北条・上杉にとって重要な地であり、かつて
は支配経験のあった場所である。


昌幸「良かったのう。・・・源次郎を人質に出した甲斐があったぞ。
   こいつはあいつの仕事だ。」
沼田領の難題は信繁に託すことになった。〜〜〜〜〜〜〜〜


●春日山城
景勝は刀を振っていた。
「源次郎、やってもみるか?」

信繁は直江兼続が沼田城の返還を求めていることを知った。
信繁は、景勝に相談した。
「直江殿は沼田城を渡せといってきました。・・・」
景勝「わしは知らぬ。他国との交渉は兼続に任せてある。
   兼続の独断であろう。」
※景勝は、沼田のことを知らなかったのだ。
 景勝は他国との交渉は兼続に任せていたのだ。
信繁「父は沼田をわたさないと言っておりました。」
景勝「真田の本心をさぐるつもりであろう。」

信繁「・・・・」
景勝「兼続に掛け合ってもよいぞ。・・・。」
と約束した。
信繁「ありがとうございます。」
景勝「任せておけ。」



信繁は三十郎と剣術練習をしていた。


漁師間のトラブル3ヶ月後のある日・・・
信繁は、漁師の治兵衛や又吉たちが役人と揉めているところに
出くわした。漁師達がしびれを切らしたのだ。

小姓の新蔵が対応しているが、・・・。
漁師たちが「景勝に相談をしてから3ヶ月経ったが、・・」
漁民は食い下がった。そして、追い返そうとする。
信繁は領民を第一に考える景勝がなぜ?と思った。
信繁「何故、問題を先送りにするのか?」
・・・・
新蔵「殿は格好つけるお方だから・・・」
「できない約束をしてしまう。わしらが尻ぬぐいをするのだ」
そこへ、景勝と兼続がやってきた。
景勝「格好ばかりで悪かったな。」
兼続「切り捨てましょうか?」
景勝「いや、いい。」
信繁「・・・」

兼続「殿はそういうお方なのだ。」

景勝『今の上杉にはそんな余裕はない。」

景勝「・・・戦が続き過ぎた。・・・今の自分には、民の話を聞い
   てあげることしか出来ない。・・・
   世の中は思い通りにいかない。」
信繁「正直、昨日まで、私は御屋形様を尊敬しておりました。」
「事奈・・・」
景勝「・・今もそうではではないのか?」
信繁「今がそれ以上に慕わしく存じます。」

信繁「沼田の件はどうなりましたか?」
景勝「まだ話して、おらん。」
信繁は沼田城の一件をまだ兼続に話していないことが分かり
あきれてしまった。

信繁「沼田城を上杉に渡す意思が真田にはありません。」
兼続「ならば話はたやすい。真田とは手を結ばぬ」
と言い捨てた。
信繁には返す言葉がなかった。


●春日山から直江津を見る。
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信繁「立派な港ですね。」
景勝「うん、・・・・昔は直江津、寺泊は活気があった。
 再び活気を取り戻すのはいつのことか?・・・」
★直江津は直江の姓と関係している。

ある日、信繁と景勝と馬で浜に出た。
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 (★谷浜)
信繁「もめごとみたいです。・・・みてきます。」
景勝「行くな?」
信繁「御屋形様は・・・・」
信繁は、神社の入り口で治兵衛と又吉が揉めているのを目撃した。
北浜 VS 南浜

漁師たちは「鉄火起請(てっかきしょう)が始まる。・・・」


◆ナレーター
「鉄火起請」は戦国時代〜・・・神の裁定を仰ぐ儀式であった。
  赤くなるまで熱した鉄の棒を握り、指定の位置まで運べた方の
  主張が正しいとする。・・・


奉行:斉木は試合の説明をし始めた。
信繁は危険であると察知した。
「では北村からはじめよう。」
・・・・・・
北浜の長:治兵衛は真っ赤な鉄棒を前に、尻込みした。
「いやじゃ。」


奉行:斉木が「早く握るように・・。」
と催促するが、治兵衛は動けない。
信繁が止めに入った。
「正しい判断ではありません。・・・」

斉木は「神の御心を承るにはこれが一番・・・。」
と言い譲らない。
信繁「ならば、鉄火起請が正しいという考え、正しくないという
 考え、どちらが正しいか鉄火起請で決めましょう。」


信繁「鉄棒を握るよう・・・。」
と斉木に促した。
斉木も言葉を失った。


祈る・・法華教を唱える。・・・
「・・・」
菅笠をかぶった景勝「まて・・・話し合ってみてはどうか?」

斉木「御屋形様・・」

信繁「・・・また、いい格好するのですか?」

信繁「日替わりで漁をすれば良いのではないでしょうか?」
と提案した。
しかし、南村の漁師Bは
「潮の良い日に獲り尽されたら次の日には何も取れなくなって
 しまいまする。同すれば、・・・」
と反対した。

景勝「ならば、潮の変わり目で分ければよい。満月が来る度に
   浅瀬の漁を替わるのが。これなら偏りはあるまい。」
漁師たち「流石、御屋形様。しおれなら、文句はございません。」

〜〜〜〜信繁の機転と景勝の裁きで一件落着。
「意見落着、・・・」
 漁師達は機嫌良く帰って行った。

「わしがしっかりしておれば、・・・」

景勝は、信繁の機転を高く評価した。
景勝「わしは信繁のような子が欲しかった。」
と心から思った。
信繁「えっ?」
景勝「安房守は果報者じゃ。」



●上田城
井戸端で・・


梅が信繁の女の子を出産した。
◆ナレーター
名前は「すえ」とつけられた。

●春日山城
信繁「梅が娘を生んだ。・・・」

「御屋形様に・・・」

景勝&兼続
信繁が景勝の信頼を得たことで、上杉氏は真田氏と手を組むことと
なった。


●上田城
昌幸の元に届いた手紙には、
『上杉は未来永劫、が真田を守るを約束する。・・・上野の沼田・信州
の小県を真田の領分と認める』


信幸「源次郎、でかした。」
昌幸「・・・よし、これをもって徳川と縁を切る・」
早速昌幸は、手切れの書状を家康に送った。


きりが赤ちゃんをだく・・・
きり「どうしたんですか?」
・・・
「おしめを・・・」

●浜松城
家康「真田が手切れを・・・」
家康は昌幸の裏切りを知った。

本多正信「めんどうな?」
家康「安房守・・・何をかんがえておるのじゃ?・・・」
正信「上杉と・・・」
家康「真田昌幸、どうしてくれよう?」

真田との戦を決意した。
築山殿「わざわざ、人のために(上田城を)造ったのに・・・
    殿もお人がいいこと・・・」


◆ナレーター

鳥居元忠率いる徳川軍7000人を上田城に向かって進軍させた。
対する真田軍は2000人足らず・・。

●上田城
「こちらは2000人足らず・・・」


●春日山城
兼続「・・・こちらは今、余裕はないのが現状です。」
景勝「・・・」
兼続「領内から戦える者100人程をかき集めておきました。」

信繁「私も戦いに行きとうございまする。」
兼続「殿、まさか人質を行かせるのでは?・・」
景勝「行ってこい。・・・また、会おうぞ。」

援軍を送った。
その中に、信繁と三十郎の馬で駆けていく姿もあった。


◆「予告」*********

◆真田ゆかりの地「春日山城」
★3回訪問している。
2回目・3回目消滅
画像

画像

・像
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・毘沙門堂
  ★写真消滅

・景勝屋敷
  ★写真消滅

・御の乱
 ★写真消滅


・林泉寺山門「第一義」
  ★写真消滅
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★明日は村上氏館かな?

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