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zoom RSS 箕輪初心:生方▲真田●68【上田原の戦い】&4つ小説

<<   作成日時 : 2016/03/12 08:19   >>

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北信濃の村上義清は葛尾城(現千曲市)を本拠に埴科郡、高井郡、
小県郡、水内郡を勢力下におさめていた。村上義清は武田晴信が
信濃全土を支配するためにはどうしても倒さねばならない敵であ
った。武田晴信は諏訪地方、伊那地方、佐久地方をほぼ制圧し、
北信濃に侵攻した。村上義清と武田晴信の戦いは避けられない情
勢となった。村上義清は海野一族が逃亡した後、小県を支配して
いたので、真田幸綱(幸隆)にとって憎っくき鬼のような存在で
あった。
天文17年(1548) 2月14日、武田晴信と村上義清に
よる上田原合戦が起きた。地元情報を持っている真田幸隆が武田
晴信の作戦に深く関わったのであろう。
しかし、武田晴信の重臣:
板垣信方・甘利虎泰・初鹿野伝右衛門、才間河内らが戦死した。
武田晴信本人も負傷した。武田晴信は戦いでに初めて敗退した。
残念だが、写真は消滅している。
画像

(★埼玉の博物館パンフレット)
画像

 (★米山城から見た上田平。下の山が村上本陣)



箕輪初心:生方▲真田○45:【諏訪の上原城】&板垣信方と真田幸綱
http://53922401.at.webry.info/201602/article_21.html




◆参考サイト
見て歩く甲斐武田氏の史跡ー長野県上田市 上田原の古戦場
http://gallery1999.web.fc2.com/singen/siseki-ueda4.htm
★詳しいサイトである。


◆◆ 上田原の戦い
・天文10年(1541) 武田信虎の嫡男:武田晴信(信玄)が父:信虎
の駿河国追放した。
 板垣信方は武田信虎の追放には、武田晴信の苦渋を理解し、
 中心的に活動した。

 武田晴信が家督を継ぐと、板垣信方と甘利虎泰は武田家最高職の
 「両職」に任じられた。
  (★『甲斐国志』)
軍政・民政の中枢を担った。

  武田晴信は父:武田信虎を駿河に追いやり、家督を継承すると
  信濃侵攻を開始し、諏訪郡・北佐久郡を攻略の準備に取りかか
  った。

・天文11年(1542) 諏訪攻撃
6月、武田晴信は諏訪氏庶流:高遠頼継と諏訪領への侵攻した。

7月 諏訪頼重を甲府へ連行して自害に追い込み、諏訪領を制圧し
  た。ついでに、諏訪頼重の娘も側室にした。
@小説では、新田次郎:湖衣姫・・など
A祢津元直の娘→諏訪頼重養女説
 諏訪頼重は板垣郷東光寺で自害させられた。

板垣信方は諏訪の姫・武田勝頼の後ろ盾となった。
また、板垣信方は、家中の反対する中、山本勘助を
武田晴信に推挙した人物とされる。
画像

 
9月 諏訪家惣領職を望む高遠頼継が武田晴信に対して挙兵した。
高遠頼継は藤沢頼親と結んで諏訪郡へ侵攻して上原城を落した。
  武田晴信は板垣信方を先陣とする救援の軍を送った。
 ※安国寺の戦い
  板垣信方は高遠頼継を撃破して諏訪領を掌握した。

・天文12年(1543)
4月 板垣信方を「諏訪郡代(上原城代)」に任じた。
5月  板垣信方は上原城を整備した。 
  ・上原城城将:板垣信方を諏訪郡代「諏方郡司」とした。
  ・桑原城に城将を置いた。  
     (★『高白斎記』)
攻略した諏訪氏の上原城に入り、郡代として諏訪・伊那地方
  を統治した。

9月初旬 武田晴信は大井貞隆の家老?:家臣:芦田(依田)守信
  と芦田(依田)系相木昌朝を味方に引き入れた。
★相木昌朝は武田晴信に帰参直後、騎馬80騎持ちで田口
 城代(佐久市)に任じられた。
(後、相木昌朝の長女は真田幸隆の次男:昌輝に嫁いだ。
 また、相木昌朝の次男:市兵衛は山県昌景の娘婿となった。)

9月17日 長窪城(長和町)を攻囲した。
 大井貞隆は抗戦した。芦田信守と相木昌朝の内応にあい
 長窪城は開城した。
 大井貞隆は捕えられ甲府へ連行された。
 
9月20日 さらに、武田晴信は望月城を攻撃した。
『天文十二年九月二十日、「望月一族為生害」と記されている。
(★『高白斎記』)
望月盛昌の子:望月昌頼は小諸城に逃げた。
しかし、弟?の望月源三郎(望月信雅)&望月新六は武田晴信
に最後まで抵抗した。



・天文13年(1544) 武田晴信は今川義元と和睦した。
@武田晴信は現千曲市&佐久市の侵攻を考えていたので、
南から甲斐に入られるのが不安だった。
A今川義元は駿東郡(富士市:富士川〜沼津〜三島黄瀬川)
  を北条氏康の支配下にあったので取り戻したいという思惑
あった。

・天文14年(1545)
4月 武田晴信は高遠城に侵攻して高遠頼継を滅ぼした。
6月 福与城主:藤沢頼親頼親は信濃守護小笠原長時と結んで
   抵抗した。
   板垣信方は藤沢氏・小笠原氏に与する龍ヶ崎城を攻め落とした。
   孤立した藤沢頼親は降伏した。追放した。


〜〜〜駿東郡(静岡県)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
7月 第2次河東一乱
   ※河東・・・静岡県駿東郡(富士川〜黄瀬川)
今川義元  VS 北条氏康 
7月下旬、今川義元は富士川を越え、善得寺に布陣。
     北条氏康も駿東郡に急行して応戦した。
B北条氏康は危機的状況になった。
 前門の虎・・今川・武田が駿河から・・
 後門の狼ライオン・・山内上杉がせっかく盗った河越城に
 挟み撃ち状態になってしまった。

9月初旬 今川軍+武田軍が合流。
  北条軍は、吉原城を放棄し三島に退却。
  今川軍は北条幻庵・葛山氏元の長久保城(駿東郡長泉町)
  を包囲した。
  河越城を包囲された。
  北条氏康は窮地に陥った。

10月下旬 武田晴信が北条・今川の仲介役として、
   停戦が成立させた。
 武田晴信が仲裁したことで両家に大きな「貸し」を作った。

11月初旬、北条氏は長久保城(静岡裾野)を今川氏に明け渡した。
  (★『高白斎記』)。
  B北条氏康は西方に安堵を得た河越城の救援に向かった
 

・天文15年(1546)
4月 河越夜戦
上杉憲政+上杉定正+古河公方 VS 北条氏康
  河越城を包囲していた関東管領:上杉憲政が北条氏康に惨敗
上野の平井城に逃げ帰った。



●天文12年(1543)〜天文15年(1546) ?
 真田幸綱(幸隆)は武田晴信に臣従した。
★真田幸綱が家臣にしれくれと言ったのか?
武田晴信が誘ったのかは分からない。
個人的には武田晴信が旧領を餌に真田幸隆を誘った可能性の
方が高いと思っている。武田晴信も余裕がなかったのだろう。
村上義清より武田晴信だ。
  村上義清は大嫌いってとこか?


5月 武田晴信は再び佐久郡に侵攻。
 ※武田の佐久内山城(大井貞清)攻め。
   真田幸隆が大井貞清を助命。
(★後、大井貞清は箕輪城城番→高崎根小屋城城代)

*天文16年(1548)
 ※武田晴信は上杉憲政と結んで抵抗するの志賀城(笠原新三郎)
 攻めた。笠原清繁の志賀城を包囲した。
 真田幸隆の名前がある。
 (★甲陽軍鑑)
 上杉憲政は後詰の援軍を金井秀景を大将として派遣した。
 小田井の戦い・・・
(★NHK大河ドラマ『風林火山』では山本勘助が活躍)
板垣信方・甘利虎泰に率いられた武田軍に撃破される。
※武田軍は志賀城の目前に小田井原の戦いで討ち取った敵兵の首級
3000を晒して威嚇した。士気を喪失した志賀城は陥落し、笠原清
繁は討ち取られた。
捕虜となった城兵は奴隷労働者に落とされ、女子供は売り払われた。
男は黒川金山労働者などである。
女は女郎?の可能性が高い。


〜〜〜【上田原の戦い】〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
画像

*天文17年(1548)
2月1日 武田晴信は5000人の兵力を率い北信濃に向けて進軍を開始
  した。武田晴信は上原城で板垣信方の率いる諏訪衆や小山田信有
  の率いる郡内衆と合流した。
  大門峠を越えて長窪城に入った。
佐久内山城の小山田満虎の率いる佐久衆とも合流した。
 ●小山田満虎の配下に真田幸綱(幸隆)がいた。
 さらに、御陣ヶ原に陣を取った。


2月14日上田原の戦い
 武田晴信は小県郡南部に侵攻した。
  倉升山の麓、御陣ヶ入畑に陣を置いた。
(御陣ヶ入・御陣ヶ原・御陣ヶ窪・物見山・兵糧山
加美畑神社→信玄道→石久摩神社→上田古戦場(現公園)が残る。

一方、村上義清は居城:葛尾城(千曲市)との支城:戸石城(上田市)
 に拠点に陣を置いた。
 村上義清の砦上田原を一望できる天白山に本陣を移した。
須々貴神社〜天白山が砦であった。
 天白山本陣→岩鼻まで南下して上田平に兵を進めた。

 千曲川支流:産川を挟んで村上方と武田方と対陣した。
 
 ※上田原の戦い
武田晴信8000? VS 村上義清5000余?とも7000?
●真田幸綱(幸隆)が 武田軍は先陣を願い出た。
武田晴信は板垣信方を先陣とした。
真田幸綱(幸隆)は板垣信方の脇備えであった。
 (★甲陽軍鑑)
真田幸綱で、考えられることは
@真田幸隆は小山田虎満の配下だったが地の利を得ていたので、  
 小山田虎満に板垣の参謀格に抜擢された?
 (★箕輪初心私見)
 真田幸綱(幸隆)は板垣信方のbQ脇備えとして命令された。
A板垣信方に「わしの戦い方を見とけ。」と言われた。
B真田幸綱は小山田虎満の配下にいたので、記述間違い?

  板垣信方・栗原左衛門尉・飯富兵部少輔・上原昌辰(小山田虎満)
  ・小山田信有・武田典厩信繁らが村上義清軍に攻撃をしかけた。

  村上義清は武田方の初鹿野伝右衛門を討ち取った。

先陣の板垣勢は村上勢を撃破して敵陣深く突進した。
緒戦では村上軍を撃破した。
  しかし、板垣信方は気を緩めてしまい、勝鬨をあげた。
  板垣信方は備から離れて馬を下り、敵前で首実検を始めた。
村上勢は反撃に出た。板垣勢は混乱状態に陥った。
  板垣信方は馬に乗ろうとしたところを村上方の安中一藤太の一槍で
  倒れた。板垣信方は上条織部に討ち取られた。
(★『甲陽軍鑑』)
  また、退却を始めた村上軍に対し、信方の隊が深追いしすぎたため
  孤立していまった。村上軍の将:上条織部によって討たれた説も
ある。

  先陣の板垣衆が崩れると、村上勢は勢いに乗って猛攻をしかけた。
  武田軍は先陣が敗れたことで後続の武田軍は突き崩された。

村上義清が武田晴信の本陣に攻めかかった。
  武田晴信の旗本衆は後退した。
  脇備の工藤祐長(内藤昌秀)と馬場信房(信春)が横槍を入れて
  これを打ち払った。
   しかし、武田晴信は2ヶ所に薄手の傷を負った。
    (★『甲陽軍鑑』・『勝山記』)
武田軍は小山田信有の郡内衆が奮戦した。

  甘利虎泰、才間河内守らが討ち死にした。

@武田軍は重臣の板垣信方、甘利虎泰を失う大敗を喫した。
『甲陽軍鑑』での戦死者は武田軍は700人(1200人?)、
 
 A村上軍も屋代基綱・小島権兵衛・雨宮刑部正利らが戦死した。
   損害も多く追撃する余力はなく退陣した。  
  『甲陽軍鑑』での戦死者は村上軍は300人(1700人?)
    としている。

  →武田晴信は村上義清に敗戦。
   家老・板垣信方、甘利虎泰・初鹿野伝右衛門、才間河内ら
     が戦死した。
   
甘利虎泰の子:藤蔵(後の甘利昌忠)が家督を継承し
   軍事指揮権を持った。武田晴信を支援した。
武田晴信も負傷。
真田幸隆も7年ぶりの村上義清との戦いなのに、旧領
回復が遠のいてしまったと悔しい思いをしていたので
あろう。

   武田軍は晴信の指揮のもと態勢を立て直して20日余の間
   上田原に留まった。
     (★『勝山記』)
  ※戦場に留まった理由
  @武田晴信が初めての負けを認めたがらなかった。
  A武田晴信は家臣に自分の指導力を示す必要があった。
  B退却までの時間かせぎをする必要があった。
C引くに引けない状況であった。
(★名城と合戦の秘密:二宮博志著)

  駒井高白斎は今井信甫と相談し、武田晴信生母:大井の方に働き
  かけた。大井夫人は野村筑前守・春降出雲守を使者として派遣
  し、武田晴信を説得した。

3月4日 武田晴信は御陣ヶ原でようやく武田勢は撤退を指示した。

3月5日  武田晴信は上原城へ到着した。
3月14日 甘利藤三が上原城へ到着した。
3月26日 武田晴信は甲府へ帰還した。
   武田晴信は甲府の「嶋の湯」(甲府市湯村の湯村温泉)で
   30日間の湯治をおこなった。

結果・・・
@武田晴信にとって初めての敗戦であった。
A村上義清・小笠原長時を中心に結束して反撃に出た。
  諏訪郡でも西方衆が反乱を起こした。
A武田晴信の信濃支配は危機に陥った。



・天文18年(1549)
【真田幸綱の初見の史料:『高白斎記』】
3月14日
「14日土用、七百貫文の御朱印望月源三郎方へ仰せ下せし
候。真田に渡す。依田新祭文請取」
武田に味方することにした望月源三郎に武田晴信が700貫文の
領地を与えるとの朱印状を出したが、その使者を真田幸隆が務めた。

真田幸綱が望月源三郎に紹介し、武田晴信に帰属させた。
(★真田三代:平山優著)


そして、この合戦は、やがて武田信玄と小笠原長時の塩尻峠の戦い
→武田信玄の林城奪取→武田信玄のの戸石崩れ→真田幸隆の戸石城
奪取→葛尾城争奪(村上義清の越後逃亡)を経て、上杉政虎
(→上杉謙信)の川中島への出陣を呼ぶことになる。





【2】4つの小説
 「武田信玄」:新田次郎著→1988年NHK大河ドラマ『武田信玄』
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武田晴信は幸隆に
「村上義清とおい男を知っておるか?」
「村上義清という男、それほど戦さ上手という訳ではありませぬが、
村上8騎という剛の者達がおりまする。」

真田幸隆を交えて作戦会議が行われた。
「村上義清ごときに1年も2年もかけるには歯がゆい。」
幸隆
「葛尾城は堅城にございまする。村上義清を孤立させてから、
攻めるのはいかがでしょうか?」
板垣・甘利は
「・・小笠原を叩いてから、村上義清の背後に回るのが先かと
思いまする。・・・・」
しかし、晴信は自信があった。
「小笠原はいつでも叩ける。今は村上義清が先じゃあ。・・」
と、2人の進言を退けた。
・・・・

2月10日、村上軍は葛尾城を出て、岩鼻城に入った。
2月14日、戦いは初鹿野伝右衛門は兵300を率い、
 岩鼻城攻撃に向かったことから始まった。
 板垣軍も攻撃した。
 右翼隊危ういとみた晴信は原を救援に向かわせた。
 ところが、防戦してたはずの村上軍が中央突破していきた。
 甘利は
「御館様、お引きめされい。・・・。」
「陣を引くのか?」
晴信にとって初めてのことであった。
甘利虎泰は
・・・略・・・・・・・・
兜をかぶらず、突進してくる一騎があった。
「くたばれ、・・」
と言って。槍を晴信の高モモに刺した。
・・・・
小山田信有は村上軍を追い詰めていった。
村上義清は北に逃げて行った。
夕方、矢を受けた板垣は本陣の晴信の元に運び込まれた。
「御館様、ご健在でなにより、・・・」

武田晴信が連戦連勝に驕り、傲慢になっていた。
板垣信方、甘利虎泰が死をもって諌めようと敵陣に突撃
していった。撤退後、母:大井夫人が武田晴信に、
「敗戦は晴信の傲慢さにあった。」と諌めた。


● 「武田信玄」:土橋治重著2006年
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「2月14日、午前3時、村上連合軍は葛尾城を出た。・・・」

                   右翼:諸角虎貞、真田幸隆、

第1陣は板垣信方・第2陣は飯富虎昌・本陣:武田晴信・後方:内藤昌豊
            ・武田信繁、 
                        左翼:馬場信春
            後方遊撃隊:原昌俊



● 「真田幸隆」:江宮隆之著
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真田幸隆
「・・・思い切って、野戦にしたらいかがでしょうか?」
幸隆にしてみれば、自分がよく知っている場所であった。
「なるほど、それもよかろう。・・」
「・・・上田原こそ、最適かと・・・」

2月13日 武田晴信は・武田信繁はともに着陣した。
武田晴信は鶴翼の陣を敷いた。
真田幸隆は晴信の隣で初めて采配を振るうので緊張してした。

この日はお昼過ぎから雨が降り出した。雨が辺りの雪を溶かしだした。
「このぶんですと、霧が発生してくるでしょう。・・・」

板垣隊・甘利隊は村上軍に突入した。数に優る武田軍は村上軍を
押し返した。逃げる村上軍を追って、板垣隊・甘利隊が陣を離れた。
村上勢が室賀峠の方に逃げた。
しかし、霧は晴れてはいない。村上勢が反転した。
撃戦となった。
真田幸隆は山本勘助とともに百足衆を使って、命令を下した。 
小山田隊・金丸隊は救援に向かった。

馬場隊・内藤隊は本陣を守っていたが、村上軍の騎馬3〜40騎が
武田晴信に迫った。
・・・・
幸隆と信繁は次々に槍で騎馬を倒した。しかし、間隙をぬって、
村上軍の騎馬が武田晴信の肩先に槍を入れた。
晴信は槍を払ったが、どっと血が流れ出した。
幸隆は駆け寄って、その騎馬を背後からひとつきにした。
20騎ほどの騎馬は戻っていった。
「御屋形様、傷は?」
「かすり傷じゃ。」
・・・・
幸隆が
「前線に出ることをお許しください。」
「深追いはしてはならぬ。・・」
「はっ。」
・・・・
「こ、これは・・・」
濃霧は誤算であった。
優勢を誇っていた板垣が倒された。
甘利も倒された。
深追いしすぎたのであった。
・・・・
幸隆は100程の将兵を率い、獅子奮迅の戦いをした。
・・・
目の前に50騎ほどの騎馬がいた。
「村上義清殿とお見受けする。真田幸隆でござる。いざ、勝負。」
「・・お前が、海野棟綱の孫か?」
・・・
2人は馬上で槍を振りかざす。・・・
幸隆が義清の兜を狙ったが、馬の頭を叩いてしまった。馬が
竿立ちになって、義清は落馬した。しかし、周辺の武将に助けられ、
虚空蔵山城の方に逃げ去った。
幸隆は責任を感じていた。・・・



●「風林火山」井上靖著→2007年の大河ドラマ『風林火山』
原作『風林火山』は上田原の戦いと戸石崩れの順序が逆である。
大河ドラマ『風林火山』のほぼ同じように描かれているが、
主人公は山本勘助が晴信の傍らで采配を振るった。
山本勘助は板垣信方を「武田一の合戦上手」だが、「苦戦
になると弱い」と評していた。
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●江戸時代の加賀藩は参勤交代
 上田平→千曲川→岩鼻コース。
 千曲川を渡り終えると、「無事で渡って、上田に着いた。」
 と手紙を送ったという。難所の一つであった。


現在「お昼ごはん、食べさせてくれませんか?」
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 右は虚空蔵山城である。
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  (TV画像)

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〜〜〜2016年【真田丸シリーズ】〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
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http://53922401.at.webry.info/201601/article_24.html

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&登場人物の解説
http://53922401.at.webry.info/201601/article_25.html

箕輪初心:生方▲真田丸23【沼田正覚寺】信之の妻:小松姫の墓
http://53922401.at.webry.info/201601/article_26.html

箕輪初心:生方▲真田丸24【高崎→18号→上信越道の城】
http://53922401.at.webry.info/201601/article_27.html

箕輪初心:生方▲真田丸25【坂本城2回目&虚空蔵山烽火台】
:武田信玄の築城?
http://53922401.at.webry.info/201601/article_29.html

箕輪初心:生方▲映画『信長協奏曲』面白過ぎのあらすじ
http://53922401.at.webry.info/201601/article_30.html

箕輪初心:生方▲真田丸26【松井田愛宕山城】:真田幸繁の初陣説
http://53922401.at.webry.info/201601/article_31.html

箕輪初心:生方▲真田丸27【倉渕鑰掛(かぎかけ)城】:真田昌幸
の狼煙台?
http://53922401.at.webry.info/201601/article_32.html

箕輪初心:生方▲真田丸28【榛名:鷹留城】真田昌幸の侵攻
http://53922401.at.webry.info/201601/article_33.html

箕輪初心:生方▲真田丸29【TV第4話「真田昌幸VS徳川初対決
〜本能寺】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_1.html

箕輪初心:生方▲真田丸30【真田昌幸と滝川一益との腐れ縁:友情】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_2.html

箕輪初心:生方▲真田丸31【真田幸隆の知恵:徳川家康を利用して
造った上田城】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_3.html

箕輪初心:生方▲真田丸32【真田昌幸:空城の計&第一次上田合戦】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_4.html

箕輪初心:生方▲真田丸33【真田ゆかりの地:上野国編詳細16市町村】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_5.html

箕輪初心:生方◆真田丸34「沼田街道」&2016スキーbT&bU
【岩鞍スキー】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_6.html

箕輪初心:生方▲真田丸35【松尾古城】角間館の詰め城
http://53922401.at.webry.info/201602/article_8.html

箕輪初心:生方▲真田丸36:第5話【織田信長の死→窮地】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_9.html

箕輪初心:生方▲真田丸37【真田天白城】真田昌幸長男
:真田信綱の築城?
http://53922401.at.webry.info/201602/article_10.html

箕輪初心:生方▲真田丸38【矢沢城】&真田昌幸の叔父:矢沢頼綱の生涯
http://53922401.at.webry.info/201602/article_11.html

箕輪初心:生方▲真田丸39【真田:洗馬(せば)城】:横尾氏の詰め城
→真田氏の城
http://53922401.at.webry.info/201602/article_12.html

箕輪初心:生方▲真田丸40【真田根小屋城】:真田氏の支城
http://53922401.at.webry.info/201602/article_14.html

箕輪初心:生方▲真田丸41【米山城・戸石城・本城・枡形城】
真田幸隆乗取&真田兄弟対決
http://53922401.at.webry.info/201602/article_15.html

箕輪初心:生方▲真田丸42真田の里【真田氏館&真田本城
&支城群一覧】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_18.html

箕輪初心:生方▲真田丸43:第6話【迷走】のあらすじ
&「森長可の撤退」
http://53922401.at.webry.info/201602/article_19.html

箕輪初心:生方▲真田●44【佐久内山城】真田幸隆&大井貞清
http://53922401.at.webry.info/201602/article_20.html

箕輪初心:生方▲真田○45:【諏訪の上原城】&板垣信方と真田幸綱
http://53922401.at.webry.info/201602/article_21.html

箕輪初心:生方▲真田●46【長窪城】と真田幸綱(幸隆)
http://53922401.at.webry.info/201602/article_22.html

箕輪初心:生方▲真田丸47【芦田城】芦田氏と真田氏
http://53922401.at.webry.info/201602/article_23.html

箕輪初心:生方▲真田丸48【佐久:春日城】依田信蕃と真田昌幸
http://53922401.at.webry.info/201602/article_24.html

箕輪初心:生方▲真田丸49【望月城】望月氏&真田氏
http://53922401.at.webry.info/201602/article_25.html

箕輪初心:生方▲真田丸50第7話『滝川一益の逃亡』
箕輪城→小諸城へ
http://53922401.at.webry.info/201602/article_26.html

箕輪初心:生方▲真田丸51【海ノ口城】武田信玄初陣
&184「箕輪城」武田勝頼&真田幸繁の初陣
http://53922401.at.webry.info/201602/article_27.html

箕輪初心:生方▲真田●52『伴野氏館=野沢城』&伴野氏の歴史前編
http://53922401.at.webry.info/201602/article_28.html

箕輪初心:生方▲真田●53『前山城』&伴野氏の歴史後編
http://53922401.at.webry.info/201602/article_29.html

箕輪初心:生方▲真田●54【佐久稲荷山城:勝間城】
http://53922401.at.webry.info/201602/article_30.html

箕輪初心生方▲真田丸56【佐久田口城】&相木氏&伴野貞長の最後
http://53922401.at.webry.info/201602/article_31.html

箕輪初心生方▲真田丸56【佐久田口城】&相木氏&伴野貞長の最後
http://53922401.at.webry.info/201602/article_31.html

箕輪初心:生方▲真田丸 57「第8話『調略』のあらすじ&川中島
http://53922401.at.webry.info/201602/article_32.html

箕輪初心:生方▲源頼朝44【平賀義信】&『佐久平賀城』
http://53922401.at.webry.info/201603/article_1.html

箕輪初心:生方▲真田●58【大井城】&「大井一族の歴史」
http://53922401.at.webry.info/201603/article_3.html

箕輪初心:生方▲真田●59【志賀城】:笠原清繁&高田憲頼
/大虐殺&人身売買
http://53922401.at.webry.info/201603/article_4.html

箕輪初心:生方▲真田●60【佐久平根白岩城:平尾氏館】&真田の本
http://53922401.at.webry.info/201603/article_5.html

箕輪初心:生方▲真田●61【佐久平尾城】&スキー11「佐久PARADA」
http://53922401.at.webry.info/201603/article_6.html

箕輪初心:生方▲真田●62【小田井城】:約20haの巨大な城
http://53922401.at.webry.info/201603/article_7.html

箕輪初心:生方▲真田丸63TV第 9話【天正壬午の乱】のあらすじ
&平山優説の違い
http://53922401.at.webry.info/201603/article_8.html

箕輪初心:生方▲真田●64「真田幸綱(幸隆)の武田晴信への臣従諸説」
http://53922401.at.webry.info/201603/article_9.html

箕輪初心:生方▲真田●65【小諸城】:ちょっと文学探訪&歴史
http://53922401.at.webry.info/201603/article_10.html

箕輪初心:生方▲真田●66【布引観音&布引城】:望月源三郎と真田幸綱
http://53922401.at.webry.info/201603/article_11.html

箕輪初心:生方▲真田丸67【禰津下の城】:禰津一族&真田一族
http://53922401.at.webry.info/201603/article_12.html



〜〜〜★真田3代〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心●「滋野一族→海野一族の歴史」
http://53922401.at.webry.info/201111/article_25.html

箕輪初心●真田3代@「実田→真田幸隆の出自」
http://53922401.at.webry.info/201111/article_26.html

箕輪初心●真田3代A幸隆の箕輪城居候1541〜旧領奪回1551
http://53922401.at.webry.info/201111/article_27.html

箕輪初心●真田3代B『川中島の戦い&真田の上野国進出』
http://53922401.at.webry.info/201111/article_28.html

箕輪初心●真田3代C『真田信綱→真田昌幸の時代』
http://53922401.at.webry.info/201111/article_29.html

箕輪初心●真田3代D『5回主家を変えた真田昌幸』
http://53922401.at.webry.info/201111/article_30.html

箕輪初心●真田3代E『小田原攻撃〜第2次上田戦争
〜大阪の陣』
http://53922401.at.webry.info/201112/article_1.html










◆明日は塩尻峠の戦い→小笠原長時の林城放棄までかな?

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