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zoom RSS 箕輪初心:生方▲真田丸36:第5話【織田信長の死→窮地】

<<   作成日時 : 2016/02/08 09:11   >>

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北朝鮮のすることは分からない?ミサイル発射だって・・・
・天正10年(1582)3月11日武田勝頼が自刃し、武田氏が滅亡
した。5月下旬、真田信繁は安土城を見てみたいという一心で、
織田信長の人質となる松を届ける役を買って出た。6月2日、
真田信繁が安土城に滞在中に本能寺の変が起きた。織田信長が
家臣:明智光秀に討たれてしまった。それは織田家が武田家を
滅ぼした僅か3か月後のことであった。そして明智光秀は織田信
長の嫡男である信忠の首をもとってしまった。・・・徳川家康は
本当に2日間で、200kmも帰れたのだろうか?
・・・地域
紹介で、前橋の厩橋城が紹介された。しかし、真田昌幸は本当に
厩橋城に行ったのだろうか?群馬県史には5月下旬に厩橋城に
入った。、北条高広研究家の関久先生「大江・毛利の一族」には
北条高広は厩橋城にいたが、真田は出てこない。。分からん・・。
平山優先生・黒田基樹先生の出展根拠は何なのだろうか?
創作なら、日本国民に嘘をついていることになる。三谷さんの
創作なのだろうか?根拠がなければ、罪だぜ.。上田資料集
・群馬県史。資料編にもない。・・・・出典は何か?
画像

(★TVより)

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箕輪初心:生方▲映画『信長協奏曲』面白過ぎのあらすじ
http://53922401.at.webry.info/201601/article_30.html

〜〜〜織田信長シリーズ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★【織田信長@尾張の大うつけ→尾張統一】
http://53922401.at.webry.info/201206/article_1.html

箕輪初心★『織田信長A桶狭間前哨戦=家康の信長攻撃』
http://53922401.at.webry.info/201206/article_2.html

箕輪初心★【織田信長B桶狭間〜清洲同盟】
http://53922401.at.webry.info/201206/article_3.html

箕輪初心★【織田信長C小牧山城時代】
http://53922401.at.webry.info/201206/article_4.html

箕輪初心●愛知【小牧山城】=織田信長D築城・家康陣城
http://53922401.at.webry.info/201206/article_5.html
★織田信長Dが見つからなかった。

箕輪初心★織田信長E岐阜城時代
http://53922401.at.webry.info/201206/article_10.html

箕輪初心★織田信長F安土城から天下取り開始
http://53922401.at.webry.info/201206/article_11.html

箕輪初心★織田信長G武田氏滅亡→本能寺の変
http://53922401.at.webry.info/201206/article_12.html

箕輪初心●愛知【岡崎城】=「徳川家康が生まれた城」
http://53922401.at.webry.info/201212/article_7.html


箕輪初心●群馬【厩橋(まやばし)城→前橋城へ】
http://53922401.at.webry.info/201212/article_20.html







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真田丸「第5話」のあらすじ

・天正10年(1582)6月2日
●本能寺(★本応寺)
「敵は本能寺にあり!」
と明智光秀は命令した。
織田信長が明智光秀による謀反で、本能寺の変で命を落とした。
明智光秀は織田信長に受けた積年の恨みを晴らした。
また、織田信忠も二条城にて明智勢と戦い、自害して果てた。
★天龍寺説もあるようだ。以前、TVで見た。

●安土

●京周辺は慌ただしかった。

●大坂の堺→京へ向かう途中
徳川家康は堺を遊覧していた。織田信長との茶会に出るために
京に向かっていた。

「殿、平八郎でございます。」
徳川家康は人生最大のピンチに立たされた。
「・・・」

徳川家康は信長が討たれた今、自分も光秀に討たれる
かもしれぬと不安になった。
家康
「上様は?」
石川数正
「定かではありませにが、討たれたと・・・。」
家康
「なんと・・」
穴山梅雪
「逃げましょう。それがしが明智なら、時を置かず、織田方に
攻めかかりますぞ。・・・」

「」
家康は地図を持ってこさせた。
「あっちだ。・・・こっちだ。・・」

堺から本拠地:岡崎城に戻る方法を模索する。
しかし、京は明智勢がいる。大坂の海はに海賊がいる。
・・・と逃げる道がない。
「逃げられないではないか?」
家康
「・・・上様を救おう。」


「信長は死に申した。」

家康
「それでは、伊賀を越えよう。どうじゃ・・・」
家臣
「落人刈りに出会えば、・・・・」

徳川家康は穴山梅雪と共に三河へと帰る道を選択した。
徳川家康は石川数正、本多忠勝らと伊賀を越えて行くことにした。

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●6月2日
@堺見物説・・・
▲徳川家康は信長の招きで上洛し、堺に逗留していた。
京都に向かった。
織田信長の茶会に出席するため・・・説。
織田信長に礼を言うため・・・・・・説。


▲堺→柏原→河内飯盛山付近
飯盛山・・・生駒山地の北端に位置する山
※徳川家康に随行していた供廻は僅か34名であった。

酒井忠次、石川数正、本多忠勝、井伊直政、榊原康政、本多正盛、
石川康通、服部正成、高木広正、大久保忠隣、大久保忠佐、菅沼定政、
久野宗朝、本多信俊、阿部正勝、牧野康成、三宅正次、高力清長、
渡辺守綱、森川氏俊、酒井重勝、多田三吉、花井吉高、鳥居おます、
内藤新五郎、都筑亀蔵、松平玄成、菅沼定利、永井直勝、永田瀬兵衛、
松下光綱、都筑長三郎、三浦おかめ、青木長三郎
(★ウィキペディア)
織田信長から案内役として付けられた織田家中の長谷川秀一、西尾吉次、
家康とともに上洛していた駿河江尻城主:穴山梅雪斎不白(穴山信君)
の一行も同行していた。
茶屋四郎次郎清延が京から急ぎ、変報を伝えた。

徳川家康は「織田信長の死」の報せを聞き、驚愕した。
「弔い合戦をしたくてもこの人数、土民の槍に掛かって果てるよりは
京都知恩院(松平ゆかりの浄土宗鎮西派総本山)に入ってそこで腹を
切ろう。」
と一旦は死を決意した。
本多忠勝が
「信長公への報恩は、何としてでも三河へ戻り、軍勢を催して明智を
誅伐することが肝要・・・。」
と力説した。

そして、徳川家康は明智の息のかかっていない道・伊賀の反感分子の
少なそうな脇道を通って、伊賀〜鈴鹿の山を越え、岡崎へ脱出する
ことにした。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
●伊賀への山道
徳川家康主従は伊賀に急いだ。
一緒にいた穴山梅雪は根をあげた。
「琵琶湖付近から東へ進む道を行きたいのじゃが・・・。」
と別の道を選択した。
武田家を裏切った穴山梅雪は家康とともに行動することに対して危機
感を覚え離脱することを決意した。
いざとなれば、明智に下るつもりでいた。
※一説には、お金をたくさん持っていた。



●服部半蔵の登場
一方、伊賀越えする家康達の前に服部半蔵が現れた。

「伊賀は我が故郷・・・ご安心、くだされ。・・・」
険しい伊賀越えであったが、伊賀忍者の半蔵の助けを借りながら、
なんとか家康は岡崎城へ向かった。


●安土城
人質として松を届けるため、安土城下に滞在していた真田信繁は、京で
大火事があったとか、戦があった。・・・と知ると、小山田茂誠に松を
託して、矢沢三十郎頼幸?(矢沢)と共に京の様子を確かめることにした。


●真田の郷・・・本能寺の変を知らない真田の里
信濃の真田の里にも京都の異変は届いていなかった。

高梨内記は昌幸に
「・・・きりを真田家にあげたい。・・・」

真田家の家臣:堀田作兵衛は妹:梅を信繁に嫁がせたいと
考えていた。

●梅ときりの会話
梅は信繁に好意を抱いてはいるものの、一方では
身分の違いを感じて自分とは釣り合いがとれないと考えていた。
きりは聞いていた。
「力になりますよ。」
「ありがとう。きりちゃん。」
★ちゃん付けだった。信長協奏曲みたいでずっこけた。

高梨内記も娘:きりを信繁に嫁がせたいと考えていた。
高梨内記は娘:きりに
「真田家へ奉公していれば、源次郎様と話す機会も増えよう。」
きり
「それはどういうことですか?」
高梨内記
「将来、真田信繁に嫁いでくれれば、これほどうれしいことはない。」
と伝えた。
きりは信繁が梅に好意をいただいていることを感じて、自分の思いを
隠していたものの父:内記の提案に喜びを隠しきれない。


●伊賀山中・・
しかし、穴山梅雪は道中落ち武者狩りに合いあっけなく命を落とすことに
なってしまった。



●真田屋敷
真田信幸は昌幸に
「本能寺の変によって謀反を起こした。信長が討たれた。」
と告げた。
昌幸は
「信長が易々と討たれる訳がない・」
到底そのようなことは信じられなかった。
昌幸に明智光秀からの使者がやってきた。
手紙を見た、
「・・・・・、味方になれ。」
との書状を持ってきたことで、『信長の死』の話を信じるほかなかった。
これから。ほかの国衆に手紙を届けるという。
昌幸は即座に光秀の使者を捕らえた。
信長の死をほかの国衆たちにはまだ隠しておこうとしたのだ。
他の国衆に光秀からの書状を見せないことで優位な立場=小県郡
の主導権を握ろうとした。

真田昌幸の機転ではあった。
「滝川一益様はどうなさいますか?」

昌幸
「畜生・・・折角、頭を下げて・・・」


昌幸
「・・・信長の死を知れば、各地の大名が立ち上がる。上杉・
北条・毛利・長宗我部・・。はたして、主君を失った織田が、
それを押さえられるか?」

信幸
「では、どうされるのですか?・・・
父上の存念をお聞かせください。」
昌幸
「わしの本心か?では、はっきり言おう。
・・・・全く分からん。」

今後どうすればよいのかわからずに珍しく信幸対して
「どうすればよいか、「この父に教えてくれ。」
と弱気な態度を見せた。

生き残るために、織田信長を選んだのに、頼りの織田信長が
死んでしまった。昌幸は途方に暮れた。


●安土の途中
信繁は・・・

●伊賀越え
「落ち武者刈りです。・・・」
「信じてよいのか?」

●真田屋敷
「・・・食らいついてやるわ?・・
 面白うなってきた。」
とり
「・・・松、お役御免・・・・。」

「松を救い出してくだされ。・・・」
安土城に人質として捕らえられている松の身が最も危ないと昌幸は気
がつき、佐助を安土へと向かわせることにした。


●京〜安土の途
中京に偵察に来た信繁の耳にも信長の死と光秀の裏切りの情報が入
った。

信繁
「・・・」
「姉上が危ない。・・・」
明智光秀の謀反を知った真田信繁は、安土城の姉上が危ないと悟った。
松の身が危ないと察した信繁&三十郎はすぐに安土へと戻ることにした。

●伊賀の山中
徳川家康は伊賀に縁がある服部半蔵の手助けもあったが、落人
狩りは激しかった。


●真田屋敷
真田屋敷には国衆が集められ今後について話し合いが行われていた。
真田のことを良く思っていない室賀は
「織田に付いたことが間違いであった。」
と説く。
国衆からは、
「織田家についた真田のせいだ。」
と言う意見がでた。
昌幸は密書を見せた。

「明智光秀からの書状が真田のところにのみ届いた。
真田を小県・・つまりは光秀は自分を小県の長と考えている。」
とみなに話をした。

真田昌幸は
「総代として、・・・織田家を見限り、上杉につくことにする。」
と言い放った。
「先手を打つ。信伊が・・・」

「上杉景勝に臣従する?」と言った。
昌幸の動きに室賀はただ付き従うことしかできないのであった。


●春日山城
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真田信伊
「・・・小県がわしが預かる。」

「しかし、織田とは戦えん。・・・
 弱った者を攻めるのは上杉の家風ではない。・・・」

真田信伊は上杉景勝との対面を果たした。
・・・が、返答は小県を預かることは了承したものの、信濃から織田勢を
追い出すことはしない内容であった。



●真田屋敷
昌幸は信伊から報告を受けた。
「弱っている相手を蹴散らすことは上杉家の本意ではない?・・・
昌幸は
「織田家との長く続いた戦いで上杉家は弱っていただけか?」
と悟った。
上杉家もまた窮地にいたのだった。


「滝川様より、使者が入りました。」



●厩橋城
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事務処理を終えた滝川一益は
「戦いに疲れた。・・どこかいい温泉はないか?」
「草津がよかろうと・・・」

「織田信長様は戦いのない世の中を目指していた。
今、戦のない世の中が近づいておる。・・・
まるで信長協奏曲・・・

昌幸は信幸に
「明智も愚かなことをしたもんだ。」
●厩橋城
画像



●安土城内
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安土へと戻った信繁と家臣の三十郎は安土城に入った。
安土城内にて松を見つけ出した。


「来ないと思った。」
信繁
「早く逃げだそう。・・・」

「・・・これだけの人質が・・・」
安土城で一緒に捕われている20名?の女性と一緒に逃げる?

「抜け穴があるはずだ。・・・」

●岡崎城

家康の妻:築山殿
「おかえりないさいませ。」
家康
「死ぬかと思った。」


●安土城・・・人質を逃がす信繁
画像




明智勢に包囲されると真田信繁は井戸の抜け道を見つけて安土城の外
に逃れた。信繁たちは命からがら混乱する城の外へと脱出することに
成功した。

★本当に、6月4日に徳川家康は三河に帰ったのかな????
本能寺の変から2日がたったであった。・・・
本当に6月4日にたどり着いたのかなあ?
6月2日の早朝、本能寺の変が勃発した。夜、徳川家康は飯盛山
を出発した。3日午前、信楽の山口城に到着し、昼飯を食った。
その夜、信楽小川城で宿泊した。4日の夜、白子浜を出て、夜中、
その日のうちに岡崎に入ったといわれてるが・・・・。
★現在、堺〜名阪国道〜国道25号線経由〜〜岡崎・・206.8 km
200km以上の道を徳川家康は2日でいけたのかなあ?・・・
大河ドラマではあれだけ、敵に襲われて・・・
◆参考サイト
家康の生涯最大の危機と言われた「神君伊賀越え」の物語は真実か?
http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/160/
定例勉強会「徳川家康伊賀越え逃走記」
http://murata35.chicappa.jp/rekisiuo-ku/10-2/takao.html

数日後、・・・命からがら岡崎城へ入った。
6月7日が到着日なのかもしれない。







★明日は、真田の里:天白城かな?

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