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zoom RSS 箕輪初心:生方▲真田丸40【真田根小屋城】:真田氏の支城

<<   作成日時 : 2016/02/12 08:48   >>

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根小屋城は戸石城と同じ太郎山山系にある神川右岸の城である。
戸石城からは約2km北西の神川上流沿いにある。真田の里の
中心部より地蔵峠に向う松代街道と左のの神川の先に小さな円
錐系の岩山が見える。これが根小屋城である。真田本城からも
南によく見える。根小屋城1400年の大塔合戦で出てくる 曲尾
氏の居城であった?、真田幸隆の時代には松代街道を見はる城
の役割を果たした。第一次上田合戦では、上杉景勝の海津城将
:須田満親が救援のため、入城した。 
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場所・・・長野県真田町曲尾




◆訪問日・・・平成21年(2009)11月3日
松尾古城→天白城→良泉寺・矢沢城→打越城→横尾城→信綱寺
→実相院・洗馬城→と回った。もうへろへろだ。
洗馬城から根小屋城の先に見えるのがいけなかった。ついつい、
根小屋城の散策に行ってしまった。

●北から見た根小屋城址・・・岩盤剥き出しの絶壁が凄い。
高い所が本郭。帯曲輪群は山の東になる。
本郭の西は深い堀切があり、平坦な2の郭に続く。
山上の平坦な本郭。下からもはっきり見える。
すぐに城跡であることが分かる。
標高は770m、比高は100mである。・・・・疲れるなあ?


●登城口

●東側からジグザグに登る。
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●帯郭群
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6〜7段の郭がある。 総石垣造りだ。
なんでこんな急斜面に段々状の郭があるのかなあ?
 意味不明である。
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あっそうか? 敵の攻撃を受けたら、投石そたり、上から石を転が
 したりできる。転がすだけで撃退である。
 斜面一杯に旗を立させ、さも大軍がいるように敵を欺くためでは
 ないか。・・・下からよく見える。

●主郭虎口
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▲主郭 =本郭 約20m×約20m・・五角形に近い正方形
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岩山にあるため石をふんだんに使って、周囲が石垣で補強される。
 本郭の石垣の残りがよい。
山上の本郭は
 
●本郭内部。
北に石積の櫓台跡がある。
南は本郭の石垣。・・・腰郭?
東は斜面の帯郭群。
  帯曲輪の石垣は少し崩れているが良く残っている。
西の二重堀切と2の郭。
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●二重堀 15m程の段差がある。
堀切の底は竪堀になって斜面を下っている。
 竪堀というよりも絶壁だ?。
二重堀切を経て平坦な2の郭となる。

●2の郭
 平坦で広い。 約20m×6〜70mはある。
馬場? 城兵を駐屯させる郭?。
 ★でも、行かなかった。疲れたから・・・


◆◆ 根小屋城の歴史 ◆◆
・南北朝時代 
 海野一族の曲尾氏が横尾氏の洗馬城とともに地蔵峠方面の備え
 として築いたと言われている。

・応永7年(1400) 大塔合戦。(おおとうがっせん)
善光寺平南部:更級郡篠の井で争った。
信濃守護:小笠原長秀 
   VS
村上・井上・高梨・島津(長沼城)仁科などの国人衆
そして、滋野系の海野&根津など一族
滋野系の根津遠光を盟主とした「大文字一揆」のメンバー
大将は小県郡の大塔城:根津遠光であった。
一族の桜井・別府・小田中・実田・横尾・曲尾の諸氏が従った。
「実田」、「横尾」、「曲尾」の名前が登場。
根津=祢津(ねつ)は東御市の祢津。群馬では「ねづ」。
  大塔城=祢津下城&祢津上城の可能性が大きい。
桜井・別府・小田中は東御市旧東部町に地名が残っている。
実田(真田)・横尾・曲尾は上田市真田町の地名として残っている。
横尾・・・尾引城=横尾城&打越城=内小屋城付近
曲尾・・・根小屋城付近

結果・・小笠原長秀が大敗。
信濃国は中小の有力国人領主が割拠する時代が続くことになった。
  (★大塔合戦記)
実田(=真田)氏の名の最初。
★大塔物語:文政元年(1818)の作成・信憑性は不明。

・天文10年(1541) 海野平の戦い
武田信虎、諏訪頼重、村上義清連合軍との戦いにより、滋野氏嫡流
の海野棟綱と共に真田幸隆は本領を奪われた。
※この当時の真田本城については資料が残っていない。
しかし、海野氏は武田信虎、村上義清、諏訪頼重連合軍の攻撃で
真田の里を追われた。真田郷は村上義清の手に落ち、根小屋城も
村上義清の支城となった。

・天文20年(1551) 武田信玄の命を受けた真田幸隆が戸石城を奪取
 した。
 真田幸隆は小県の本領を回復した。真田幸隆は支城群を整備した。


・天正10年(1582) 3月、織田信長・徳川家康の甲斐侵攻
  天目山の戦い・・・武田勝頼死亡。
  大熊朝秀は運命を共にして武田家への恩に報いた。
  大熊長秀?は真田家に仕えた。
  根小屋城には大熊氏が入ったという説もある。

・天正13年(1585) 第1次上田合戦
 真田昌幸から支援の要請を受けた上杉景勝は、海津城:須田満親の
 守備兵を根小屋城に入れ、上田城、戸石城の後詰とした。
 真田信幸は伊勢戸石城から逃げる徳川軍を横から攻撃した。
@真田軍が丸子城支援に出撃すると上杉軍が戸石城に後詰に入った。
A平山優説・・・上杉軍は少ししか来なかったので、真田昌幸は
 あてにしていなかった。
 上田城の門の2階のシュミレーションも須田軍の動きはない。
B★私見・・・矢沢綱幸800で依田軍1500を破ったというが、須田
 満親が矢沢城に入って応援したと考えている。

 


〜〜〜大熊朝秀〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
★大熊朝秀・・・上杉謙信の家臣で越後:箕冠(みかぶり)城主。
・弘治2年(1556) 長尾景虎の出家騒動が起こった。
   大熊朝秀は武田信玄に内通して反旗を翻した。
   上野家成に敗れ、越中に逃れた。
  ・永禄6年(1563) 武田信玄に招聘され、山県昌景の与力となった。
  上杉謙信との外交交渉を担当していた。
・永禄8年(1565) 武田信玄の直臣として取り立てられ、足軽大
   将騎馬30騎、足軽75人持となった。
・永禄9年(1566) 武田信玄の箕輪城攻め
   大熊朝秀は箕輪城を単身よじ登ると、城兵十数人を斬り倒し、
   内側から大手口を開けて武田軍を城内に導いた。
大熊朝秀は上泉信綱と一騎打ちを演じ、無傷で引き分けた(伝)
・・・長野業盛(氏業)自害。
★でも、上泉信綱で永禄6年(1563)〜旅に出ていて、永禄8年
(1563)柳生石州齊に一刀流を認可にしていたりするので、・・・
落城時には上野国にいなかったはずである。
小塙城主となった。
現高崎市下小塙の烏子(すないご)稲荷神社・・・(★文書あり)

箕輪初心:生方▲群馬:【上泉城】&『上泉伊勢守信綱の生涯復刻版』
http:53922401.at.webry.info/201508/article_2.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201508/article_2.html

その後、大熊朝秀は小幡山城守虎盛の妹:小少将(娘説あり)
  を妻に迎え、武田家中の地位を築いていった。

・永禄10年(1567) 義信事件
西上野を攻略した武田信玄は駿河攻めを企図し、今川義元の
   娘を妻にした嫡男:義信と対立・・・幽閉、自刃に追い込んだ。

   信濃佐久郡の生島足島の起請文を提出した。
   237名の中に大熊朝秀の嫡男:大熊新左衛門尉長秀の起請文
   も現存している。
・永禄11年(1568) 武田信玄は馬場信春・山県昌景らを先鋒として
  駿河に攻め込んだ。駿府の今川氏は掛川城に逃げ込んだ。

・永禄12年(1569)内藤昌豊が箕輪城代になった。
  配属・・・大熊伊賀守(高浜砦)、新井筑後守(三ッ子沢砦)、
       内山播磨守(白岩砦)、清水太郎左衛門(松の沢砦?
       →和田山砦)、青柳治部(下芝砦)
 *内藤豊後守昌秀(昌豊)に大熊備前守・塚越半七
   ・吉田伊豆守(豊岡砦)は反攻。
     (★箕輪記→山崎一著「群馬の古城」) 
★ちなみに大熊一族の子孫は高崎市旧榛名町高浜&
 高崎市旧群馬町保渡田にいる。

 大熊朝秀は駿河に出陣し、田中城・花澤城攻めに参加した。
 小田原北条氏の駿河出兵に備えた。
・元亀2年(1571) 武田信玄は遠江攻めを開始した。
  武田信玄は大井川河口に小山城を築いた。城将には大熊朝秀を
  任じた。大熊朝秀は遠江侵攻の後詰めの役を担わせた。
・元亀3年(1572) 武田信玄は上洛すべく・・・
 大熊朝秀は甲斐古府中の留守居を命じられた。
 三方ケ原の合戦
  徳川家康を一蹴した。
 しかし、病の重くなった信玄は上洛を断念した。
 甲斐に帰る途中の信州駒場で死んだ。

 武田勝頼が跡を継いだ。
 大熊長秀は山県昌景の応援下で遠江国小山に在城した。

・天正6年(1578) 上杉謙信死→御館の乱
 上杉家との交渉に携わった。
 大熊長秀は市河信房とともに上杉家から割譲された越後妻有城に
 入ったという。
 (★丸島和洋「大熊長秀」『武田勝頼のすべて』)新人物往来社)

・天正10年(1582) 3月、織田信長・徳川家康の甲斐侵攻
  天目山の戦い・・・武田勝頼死亡。
  大熊朝秀は運命を共にして武田家への恩に報いた。
大熊長秀は信濃で処刑されたという。

  大熊長秀の子孫は真田家に仕えた。
  根小屋城には大熊長秀の子孫が入ったという説もある。

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★明日は戸石城かな?

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