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zoom RSS 箕輪初心:生方★【真田丸2】:実田の出自→真田幸綱(幸隆)の生涯

<<   作成日時 : 2016/01/04 06:24   >>

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NHK大河ドラマで最近は群馬がちょっとだけ関わっている。
@『八重の桜』では、新島八重は夫:新島譲の父の故郷安中に
4回来ている。A『花燃ゆ』では楫取文の夫:楫取素彦は群馬
県令として、約10年務めた。B『真田丸』では、おそらく、
天正10年(1582) 武田氏滅亡後、3月、岩櫃城で、真田昌幸
&真田信幸&真田信繁(幸村)は岩櫃城で3人一緒だったであ
ろう。6月には神流川の戦いに敗れた滝川一益を箕輪城から下
諏訪まで送って行った。天正18年(1598)、真田昌幸&真田信
繁(幸村)は松井田城攻略に貢献し、北条氏の箕輪城の受け取
りに行っている。C『井伊直虎』では、天正18年(1598)、
井伊直政は箕輪城12万石で8年、高崎城2年の井伊直政の養母
として関わりがある。今日は真田幸綱(幸隆)復刻版である。
画像


箕輪初心●真田3代@「実田→真田幸隆の出自
http://53922401.at.webry.info/201111/article_26.html

箕輪初心:●箕輪城シリーズM「第7代真田幸隆(幸村祖父)」
http://53922401.at.webry.info/201010/article_22.html
<< 作成日時 : 2010/10/13 20:37 >>
★長野業政に義理がある武田24将の一人:真田幸綱(幸隆)




真田幸綱(幸隆)と箕輪城
@箕輪城に3年間客分として在城
天文10年(1541) 5月 海野平合戦に敗戦→上野国羽尾城
 →箕輪城に3年・・

A箕輪城城代として約7ヶ月
箕輪初心の私見では「箕輪城第7代城代:真田幸隆」である。
私は箕輪城在城期間を永禄10年(1567)3月6日〜10月??日
(武田義信事件)までと考えている。永禄10年(1567)3月8日
武田信玄が真田幸隆・信綱の白井城攻めをほめて、箕輪城の普請と
知行割りを行うように指示した。(★群馬県地域文化233栗原修)


●「真田一族3代は5人の大物(武田・北条・徳川・上杉・豊臣
 に仕えた一族。」
箕輪初心:生方▲真田3代@「実田→真田幸隆の出自
真田一族の歴史は約1400年。滋野一族→海野一族→真田一族
と継承された。真田幸隆が真田に移住し真田を姓としたことに始
まる(伝)。真田幸隆→真田昌幸→真田信之・信繁(=幸村)と
続く。その間、主家は武田→徳川→上杉→豊臣→徳川に仕えた。
戦国時代、川中島の合戦から長篠の合戦、関ケ原の合戦、大阪
冬・夏の陣へと力強く生き抜いた。めちゃ面白い一族である。

 
★参考資料:::::::
・真田氏歴史館パンフレット
・真田三代
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・真田氏資料集
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・真田道を歩く
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・真田氏と上州
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・上田市博物館CD
・群馬県史
・中之条町史
など多数より作成。



■【1】真田氏の出自
・応永7年(1400) 大塔合戦
守護小笠原長秀 VS 村上・仁科・海野&根津など滋野一族
         高梨・井上・島津(長沼城)などの国人衆
「実田」、「横尾」、「曲尾」の名前が登場。
  (★大塔合戦記)
実田(=真田)氏の名の最初。
 ★大塔物語:文政元年(1818)の作成・信憑性は不明。


・嘉吉元年(1441) 結城合戦
「真田源太、源五、源六」の名前が登場。



◆◆◆ 上田市真田の城塞等遺跡
1)実田→真田関係の城&館
  A)松尾古城・・・・真田幸隆の生まれた城?&詰め城
(海野棟綱の居城説もある。)
日向館(日向遺跡)・・・松尾古城の里館
上野屋敷推定地・・・・松尾古城の里館
山家館(山家神社)・・・松尾古城の里館
河原氏館・・・・・・真田幸隆の重臣:河原隆正、正妻の実家
後に・・・
B)真田氏館・・・・真田幸隆の住んだ館
       「真田村」永楽通宝2000枚出土。
C)真田本城・・・・真田幸隆の本城
D)天白城・・・・・真田幸隆の出城(館のすぐ上)
E)矢沢城・・・・・・真田幸隆弟:矢沢頼綱の城
F)常田館(常田綱富)?
 *山家神社&白山寺
 *甲岩
 *河原隆正の屋敷
 *河原隆正の墓
 *滝宮神社・・・山本勘助は見える目を怪我をしたが、
  この滝で、目を洗ったら治った(伝説)・・斉藤氏の話
 *真田道
 *珍棒・・・・子宝の祈願所

A横尾氏の城&館
 尾引城=横尾城・・・・横尾氏の城
  打越城&&信綱寺・・・横尾氏の丘城&真田信綱の墓
洗馬城・・・・・・・・横尾氏の詰め城?
 

B曲尾(くせま)の城&館
曲馬(くせま)城=根小屋城・・・曲馬氏の詰め城
 千古屋城・・・・・・曲馬氏の平城


4)その他の城
 砥石城&米山城&枡形城・・・・ 
お蚕山の虚空蔵山砦(伊勢崎山砦)
   




【1】◆◆◆ 真田幸綱(幸隆)の生涯 ◆◆◆
*永正10年(1513)海野棟綱の長男?幸隆誕生

◆◆Q「真田幸隆は誰の子かなあ?」7説?ある。
「清和天皇皇子:貞保親王→信濃国司滋野氏→
  海野氏宗家・望月氏・祢津氏が派生。
 海野氏の一族から真田氏、矢沢氏・
  羽尾の羽根尾幸全・海野幸光兄弟」
 でも、旧東部町市誌・旧望月町町誌は違う。・・・

@海野棟綱の長男説・・・有力説
※江戸時代の「真田家系図」 下記のようになる。
  海野棟綱・・・真田幸隆(幸綱) 
  「上田の真田氏館」・・→昌幸・・→信之・信繁(幸村)
 ・矢沢頼綱「上田の矢沢城」・・・→三十郎=頼康
 ・常田綱富(隆永?)「上田の常田館」・・・→常田隆家
 ・鎌原幸定 「上野の鎌原城」・・・→鎌原幸重

A海野棟綱の次男説1・・・
  海野棟綱の長男は幸義で、次男が幸隆。(滋野系図)
  真田幸隆は海野小太郎・弾正忠

B海野棟綱の次男説2
 海野棟綱の2男で真田に養子に行っちゃった説?

C海野棟綱の孫説・・・・・
  海野棟綱→棟綱の娘の嫁ぎ先?→幸隆*(海野幸義の甥)
 代表・・白鳥神社の石和家系図=上田市採用説
斉藤美由紀氏もこの説を採っている。

 (★海野宿博物館の白鳥神社家系図)

D海野棟綱の娘婿説・・・有力説。★基本的にはB同説
  (真田3代では、真田幸隆は傍系)
  海野氏の分家として、真田氏に海野棟綱の娘が嫁ぎ、
  生まれた子が幸隆。

E真田頼昌が父説・・・(了泉寺の矢沢家系図)
真田頼昌の2男説

F海野棟綱の子:幸隆が真田頼昌の養子になった説

*天文6年(1537) 真田幸隆長子:真田信綱の誕生
・天文6年(1537) 長男:真田信綱が生まれる。・・
  ・海野棟綱の同族:羽根尾幸全の妹の子?

・天文9年(1540) 武田信虎が佐久に侵攻。
臼田城・入沢の両城をはじめ数十城を攻撃。支配下。
  「前山に城を築いて在陣す」と記されている。
  ★以前から、伴野助十郎が武田信虎は仲良しだった。
(子孫宗家は拙宅から80m)
武田信虎の助力で前山城拡張工事。

  (★佐久の伴野氏居城*前山城)

*天文10年(1541) 5月 海野平合戦
 勢力拡大をもくろむ村上義清は甲斐の武田信虎と
   諏訪頼重と同盟。
武田信虎・諏訪頼重・村上義清らの攻撃。

甲斐の武田信虎(信玄父)+奥信濃の村上義清
VS
 中信濃の諏訪頼重と海野平滋野諸族(海野・望月・禰津・矢沢)
→滋野諸族の敗退。
 
@禰津氏は武田信虎に降伏。・・・
  禰津(地元では:ねつ)元直は禰津政直の妹を武田信玄
  の妾として差し出した。
  娘:禰津姫が信玄の妾2号説もある。
  後に、武田信玄家臣
A望月氏は諏訪氏に降伏。
B海野氏(海野棟綱・真田幸綱)は、村上義清らに挟み撃ち
   にされ、敗北。
 ●海野幸義(棟綱の子)の墓・・・上田市蒼久保
海野棟綱、真田幸綱父子?は上野国吾妻郡羽尾に逃亡。
 真田信綱は5歳だった。
 →上野の吾妻:羽根尾に逃亡。信濃海野氏は没落。
 海野棟綱(幸隆の父説・幸隆妻の父説・幸隆の養父説)
 ・真田幸隆は村上義清・武田信虎に追われ羽根尾城へ  
       (「真田三代」)
   
*村上義清は海野平を支配下。
C矢沢氏(幸隆弟頼綱)は村上義清の家臣へ・・
   侍大将で100人の家来がいた。(後、砥石城の間者)
・武田晴信が父:信虎が追放
      →武田氏と村上氏の同盟関係は終焉。
・村上義清は信虎追放事件に乗じて佐久方面への侵攻を
  目論んだ。
・武田の信濃の佐久侵攻
・村上義清は信濃東部へ進出した甲斐の武田信玄と敵対。


  武田晴信は父:武田信虎を駿河へ追放。

●真田幸隆は3年間、箕輪城に客人として逗留した。


*天文13年(1544)真田幸隆は武田に臣従。
(天文12年説あり)
   海野棟綱の消息が途絶える。

*天文15年(1547)
 ※武田の佐久内山城(大井貞清)攻め。
   真田幸隆が大井貞清を助命。
(★後、大井貞清は箕輪城城番→高崎根小屋城城代)

*天文16年(1548)
 ※武田の志賀城(笠原新三郎)攻め。
     真田幸隆が謀略により活躍。
(★NHK大河ドラマ『風林火山』では山本勘助が活躍)
     
 ※上田原の戦い
武田晴信 VS 村上義清
     真田幸隆は謀略で活躍。
     →武田晴信は村上義清に敗戦。
     家老・板垣信方、甘利虎泰・初鹿野伝右衛門、才間河内ら
     が戦死した。
     武田晴信も負傷。・・・温泉療養

*天文18年(1549)4月 真田幸隆は同族の望月一族、海野一族を
   武田家臣に推挙した。

*天文19年(1550)戸石崩れ。
  真田幸隆は謀略で村上義清の将:清野・須原を味方にする。
  →村上義清に反撃され、横田高松ら千兵余が死亡。

*天文20年(1551)
 5月 真田幸隆は村上義清の有力武将:高梨政頼を切り離した。
   砥石城隣の矢沢城:矢沢頼綱(幸隆弟)が村上義清の侍大
   将でいたので、真田幸隆が内通し、内側から開城させた。
   1日で戸石城を攻略。
         
   1000貫の領地を賜り、小県を回復した。

*天文22年(1553)
 8月 3男:真田昌幸(→武藤昌幸→真田二代目)を武田晴信
   に人質として送り、350貫の領地を獲得。

*弘治2 年(1556)
  8月 真田幸隆は雨飾城(尼飾城)を攻め落とし、
     城代となった。
(★現地看板では春日弾正)

■永禄元年(1558) 吾妻には、真田氏同族=滋野一族
 (下尾・羽尾・鎌原・西窪・湯本・横谷・浦野・海野)がいた
△斎藤越前守憲広は滋野一族を支配下にしようと圧力をかけた。
岩櫃に近い者の多くは服従。
 斉藤憲弘は羽根尾幸全・海野幸光は岩櫃城家老に抜擢。
 浦野氏(大戸真楽斎)・・・★正妻は長野業政の娘だったが、
 斎藤憲広は娘をもらった。
※鎌原城主:鎌原宮内少輔幸重(海野・真田と同族)は領土争いで
 斎藤氏と反目。

 上野の吾妻<領土問題(八ッ場ダム西10km)長野原の南地区
 の領土            
羽根尾幸全(幸隆の妻兄・岩下城斉藤家家老) 
   VS 
鎌原幸重(幸隆弟の子)

  
△斎藤憲広は、鎌原城を攻撃準備。
鎌原幸重は一族をつれて信濃へ逃亡、
 △鎌原城に斎藤氏の臣:羽尾幸全(道雲)が入城。
 ●鎌原氏は真田幸隆→小諸城主:甘利昌忠を経由して
   武田信玄に内応した。
◆武田信玄は鎌原幸重に知行を授与。

■永禄3年(1560)岩櫃城
 (*この時、岩櫃城の名はない?唐沢定市先生説)
  武田信玄は吾妻計略の好機と見て出兵。
△斎藤憲広は鎌原が武田信玄方と知り、上杉謙信に助けを依頼。
   (★真田三代:清水昇)
  斎藤憲広 
   VS
   鎌原宮内少輔幸重(幸隆弟)+真田幸隆+甘利昌忠   

▲上杉謙信が関東第一次出兵。
宮野城(猿ヶ京:現湖城閣)→岩下城→
明間城(★私見は斉藤憲弘の一族:秋間氏が川戸城にいたので、
川戸城説を採っている。私だけの説である。)
永井坂城より、沼田城に侵攻。北条孫次郎らは撤退。
沼田顕泰は降伏。
    
 関東幕注文には、紙が切れて岩下衆は2名しか掲載されていない。
 岩下城の旗頭は、斎藤越前守憲弘・山田氏である。
 (※写真は岩下城・山田城)

 斎藤憲広は鎌原が武田信玄方についたのを知り、上杉謙信
 に助けを依頼した。

■永禄4年(1561)
 6月21日*長野業政が死去
   →長野業盛(箕輪軍記・小説箕輪城興亡史)が継ぐ。
 
   ▲上杉謙信が越後に戻ると武田・北条が反攻開始。
  (西は武田・東は北条) 

 8月●武田信玄は真田幸隆を上州先方衆として岩櫃城を攻撃
  を命令。
  ※岩櫃城はすでにあったらしい?。
 ●鎌原城攻撃
   斎藤憲広 
    VS 
   真田幸隆+甘利虎康+鎌原宮内小輔幸重(幸隆の甥)            
  +矢沢薩摩守頼綱(幸隆弟)+湯本幸重+横谷
    ・・・3000人以上の兵
   真田・甘利軍は3000で鎌原城を奪還。
  斎藤憲広は敗走。
 斎藤憲広の降伏のみ→反撃(「★真田三代」)

 9月10日、第4次川中島大決戦(武田VS上杉)
    甲軍は軍師・山本勘助の「啄木鳥の戦法」。
    真田幸隆父子・甘利は妻女山を攻撃。


 越軍は甲軍の動きを察知し「車懸かりの陣」。
 武田信玄
VS
上杉謙信の一騎うちの直接対決?・・・「嘘かも?」
  *川中島の決戦跡の碑
「山本勘助はきつつき戦法の失敗の責任を取って死にに行った。」
 両軍6,000人余の死者?武田軍の信玄弟武田信繁、
 諸角虎定・三枝・山本勘助ら戦死。
※山本勘助・・胴合橋・天厩寺(八幡原の東200m)
※武田信繁の墓(上田の布引観音西2km)
※諸角虎定・・・八幡原西500m付近
   
 *坂城ふるさと歴史館の複製・・・
  上杉謙信側から見た川中島の戦いがある。  

11月武田信玄が箕輪城に本格的攻撃
  *西上州の新田信純(丹生城)・高田(妙義)・一の宮
   ・小幡信実が武田側?

11月 長年寺(高崎市旧榛名町)の僧:受連覚書
   小幡(富岡市)に行って、金を払って、武田信玄から制札
  (寺を襲わない約束札)をもらった。
             (まんが箕郷の歴史・秋本氏)
■永禄5年(1562) 
  ●真田幸隆の吾妻侵攻
  ●真田幸隆の誘いに武田氏方に大戸城:浦野氏が乗る。
   →浦野氏が権田・室田(旧榛名町)に放火。
  →浦野氏が長野三河守入道(たぶん業氏)ら80名を
     討ち取る。(★関東古戦録)
    長野三河守入道=たぶん長野業氏だろう。
   (★まんがみさとの歴史・秋本先生)
  甘利昌忠は浦野氏を武田信玄に取り次いだ。

■永禄6年(1563)
 ●「武蔵松山城攻め」米倉晴継が鉄砲で腹を撃ち抜かれ時に
   甘利昌忠は自ら馬糞を溶かした水を飲んでみせて米倉重継にも
   飲ませて助かった話」が有名である。
  
※桶狭間の戦いで、織田信長が今川義元を破る。             
 
●第1次岩櫃城攻め  
斎藤憲広 
  VS 

真田幸隆+甘利昌忠+鎌原宮内小輔幸重(幸隆の甥)
 
鎌原城主:斎藤憲弘家老:羽尾幸全(幸隆の妻兄?)から
鎌原城を奪還。

8月 長野原の合戦
@長野原城(群馬県長野原町役場上)羽尾幸全(幸隆の妻の父)
 を攻略。
 →真田幸隆の弟:常田俊綱が長野原城(群馬県長野原町)を攻略
  へ入城。
  。

 A柳沢城(長野原)・丸岩城(長野原)・王城(長野原)を攻撃。


 A真田幸隆は手古丸城(+大戸城)大戸中務少輔の城に陣を
   置いた
  大戸氏は人質を出して、真田の配下になった。
 (★群馬県史)

         
斎藤憲広は上杉輝虎(謙信)を頼った。
 沼田朝泰・長尾憲景が応援。

9月 真田のいる手古丸城を攻撃。→斎藤は攻略できず。
 斎藤憲広が長野原城を奪還。真田幸隆弟:常田新六郎は戦死。
   武田信玄は直ちに真田勢3000に出撃命令。
 ●第2次岩櫃城攻撃・・・横谷氏の居城より出陣。             
9月 
C岩櫃城(群馬県吾妻町)を攻撃。  
   斎藤憲広(憲弘)500+沼田勢(沼田氏)500
    +白井勢(長尾氏)200
        VS
真田軍・・・岩櫃城には500? 雁ヶ沢の800 大戸へ1000以上
  ・真田幸隆は岩櫃城からの攻撃を避けて、
    斉藤憲広と和議を結ぶことを計画。
・真田幸隆の和議作戦・・・斎藤憲広は和議を承諾。
・真田幸隆の調略作戦・・・和睦の知略を計画。
●調略@斎藤弟に矢沢薩摩守(幸隆弟)を使って、斎藤憲広の
    弟:斎藤則実に対して
・真田幸隆は「斎藤則実を岩櫃城の城主にする。」と口車に乗せた。
  ・善導寺の僧の仲介で、鎌原を場内に入れる。
・鎌原幸重は斉藤憲広の甥:斎藤則実館に泊まり、
   「本領安堵。」を伝え、裏切らせた。
 ・10人の離反者の連判状を矢沢がもらった。
   (★真田三代)
  斎藤則実・海野幸光・海野輝幸・植栗・富沢但馬守父子
   ・唐沢杢之助・蜂巣
   
●調略A海野一族で羽尾幸全の子:海野幸光・輝幸兄弟の内応を画策。
  幸隆弟:海野左馬充(じょう)が斎藤憲広家老:羽尾幸全
   ・海野幸光と接見。
   滋野系海野一族の縁で羽尾城(草津への分岐の西2km)
   羽尾幸全・海野幸光と協定。
 
●第3次岩櫃城攻撃 和睦後、急に岩櫃城を攻撃。
10月13日、真田幸隆は手古丸城(大戸:現地では見張りの出城)
   で出撃準備。
   真田信綱2000は沢渡から、
   真田昌幸・矢沢頼綱500は大戸口へ、
   真田幸隆本体・その他500で岩櫃城を包囲。
 斉藤憲広は籠城。
 真田幸隆は内応の忍者に会い、海野兄弟に憲広の館に放火を指示。

10月14日  海野兄弟が城の憲広館に放火。
 真田幸隆は500の手勢で奇襲開始。
    →総攻撃。
  説@家老羽尾幸全(真田幸隆妻の父)内側から門を開けさせ
    進入。(真田三代の?説)
  
  ★→総攻撃。憲広甥則実が開門。(★真田三代の清水昇説)           
    
 結果・・・斎藤憲弘側が敗北
 @斎藤越前守憲弘・憲宗父子は上杉謙信を頼って、越後に
   逃亡。(真田三代)
  自害を決意した父:斎藤憲弘に、斎藤憲宗
    「これはもったいなき事なり。我らが防ぎ申さんに、一先
    越後に落ち給い景虎卿を相頼み・・・。」(★加沢記)
 A斎藤憲広の末子:城虎丸は残党に護られ、嵩山城に逃亡。
  (★真田三代)
  城虎丸は嵩山城にいて、・・・(群馬県史P604)                   
中山氏、尻高氏の支援を受け、籠城。
  城虎丸は嵩山城(中之条町)岩櫃奪還の機をうかだって、
  四万川で対峙。
    結果・・・真田側の勝利   
 @武田信玄の命で、真田幸隆の吾妻の統率者。
 B岩櫃城には、三枝松土佐守、鎌原幸重、湯本善太夫が
   岩櫃城の城代になった。

■永禄7年(1564)
 1月〜武田信玄の論功行賞の開始。
武田信玄→鎌原幸重に書状
  「斎藤弥三郎以下、岩櫃城攻めに加わった者の人質を出せ。」

■永禄8年(1565)
2月7日 武田信玄の諏訪明神・新海三社神社(佐久)で
  戦勝祈願。
  「箕輪城(高崎市)を攻略した後は、惣社(前橋市)
   ・白井(渋川市)・嵩山(中之条)の四邑、たやすく予の
   掌握に属し、凱歌を奏し帰楽安泰せば、・・・(★新海三社神社)
※つまり、上州の至る所で、武田軍は戦っている。
  特に、箕輪城関係の城と・・・
10月下旬 △越後から戻った斎藤憲広の嫡子:憲宗が沼田城代:
 栗林政頼・白井城:長尾憲景
 中山城:中山&尻高城:尻高&名胡桃城:小川氏の援助で嵩山城
 に入城。
  
 △斎藤憲宗が岩櫃城攻撃。
  ●真田幸隆は和議を調え、斎藤氏の家老:池田重安
  を会見。→人質交換。

11月10日 真田幸隆は嵩山方の池田佐渡守父子を山田郷
       150貫文で契約。(裏切り作戦)
11月16日 成田原→五反田の台で激突。夕方、戦闘は嵩山城に移行。
11月17日 真田幸隆が加勢を待って嵩山城を攻撃。
   西窪(さいくぼ)・唐沢・蜂巣賀が戦死。
  △斎藤憲宗は嶽山城の大天狗から身を投げて投身自殺。落城。
    →斎藤氏は滅亡。
  嵩山城は廃城。
   →●箕輪城の攻撃の北の拠点が岩櫃城になった。

  真田幸隆は柳沢城(旧原町)稲荷城(旧原町)・山田城
   ・桑田城(中之条から四万温泉方面)
を攻略した。
  
  真田幸隆は・・・横尾城(中之条町)・中山城(高山村)
  などを攻撃。

■永禄9年(1566) 武田信玄は真田幸隆を吾妻郡代を命じた。
   羽尾幸光・海野輝幸兄弟が岩櫃城城代として入城。
 ◆武田信玄は浦野(大戸氏分家説・甲斐浦野氏説)・湯本
  ・鎌原・横谷・西窪・植栗・海野兄弟の支配から真田幸隆の
   家臣とする命令を出した。
 
 
◆【松井田城の安中氏が攻略できず、箕輪城に矛先を変更】
 ◆信玄の箕輪城攻撃(箕輪城9回目侵攻)
 8月 信州佐久の臼田の新海三社神社に戦勝祈願 
   (★新海三社神社の案内板より)
  →田口峠→築城していた砥沢城(群馬の南牧村磐戸)→下仁田
  →富岡宮崎城→(1562年築城の安中の磯部城・八幡陣城)
  +国峯城(富岡)の小幡信貞→
  ・富岡・吉井の城を次々に攻略し傘下に。
  
  ・奥平城(徳川家臣奥平信昌の父)・庭谷城など吉井の約20城
    に侵攻
 ・一郷山城の侵攻・・・藤岡の牛伏山の東250m
    安部中務尉之友は、武田の攻撃を受け、戦死。落城。
   (★一郷山城の資料)
 ?月・倉賀野城落城→信玄の家臣。
   金井淡路守秀景→倉賀野淡路守秀景と武田信玄が命名。
  (子孫の会・高崎市の街巡りパンフレットを参考)
   倉賀野直之(尚行)はすでに死んでいるので、倉賀野姓
   を名乗らせた。
★私見「箕輪城に詳しい元長野業政の娘婿を味方に抱き込んでの
 出陣計画。
 @武田本隊・倉賀野城金井氏・和田城和田氏・国峯城小幡氏
   →南ルートからの侵攻。
 高崎市若田原南に剣崎城築城(金井氏)
   →若田原→雉郷山城→榛名:高浜城・・
★那波無理介(群馬県玉村)の先陣
A岩櫃城の真田幸隆+大戸城の浦野氏→北ルートからの侵攻
  甘利・真田は大戸(東吾妻町)→倉渕
   →榛名:鷹留城・長年寺を攻撃。
・箕輪城1500 VS  武田35000人の兵。
  (★ほとんどの小説)
2ルート合流・・・箕郷町善地の愛宕の物見岩
 
12月 →金敷平(大手虎蹈門西の岸)に在陣し、箕輪城を攻撃。
  (★秋本氏)
    
 箕輪城攻めの時、真田・甘利は北の榛名方面から出撃
        
   真田昌幸の長男、信幸誕生?(信繁・幸村説あり)


■永禄9年(1566)  
9月28日 武田信玄は保渡田砦(★かみつけの里の北西300m
 ・土屋文明記念文学館北西200mに陣をおいた。

9月29日・・・
武田信玄は善龍寺(★最初の善龍寺はドンレミー隣?)を焼いた。

 箕輪城主:長野業盛が自害。→箕輪城落城。
          (※写真は箕輪城祭り)
箕輪城主長野業盛(氏業)は御前郭で自刃。

 ※甘利昌忠は箕輪城代になった。
  永禄9年(1566)9月29日〜永禄10年(1567)3月7日
  まで城代であった。

■永禄10年(1567)
2月〜折田将監・蜂巣賀・村上・湯本・鎌原重澄・湯本善太夫
    などが本領安堵&新領地獲得
鎌原と羽尾の境は、熊川・。赤川の落合より南が羽尾〜〜〜。」
   小森・与喜屋は鎌原領土を決定した。
  (★群馬県史)

3月6日 武田信玄は箕輪城宛に一徳斎(真田幸隆)・甘利左衛門尉
 昌忠・金丸筑前守虎義に
「春日弾正と相談しながら、箕輪城の領土の運営に当たれ。」
 と指示した。 
★私見・・・真田幸隆より甘利昌忠の方が早く箕輪城にいた可能性
 が高い。

3月8日 信玄が真田幸隆・信綱の白井城攻めをほめて、
   箕輪城の普請と知行割りを行うように指示。
  (★秋本先生・群馬県地域文化233栗原修)
   →真田幸隆が箕輪城管轄地の区割りを命ぜられる。
  (★生島足島神社蔵)

 5月*元上杉謙信家臣大熊伊賀守高秀は富岡・柴・箕輪・行力
   ・大八木の内約317貫
      (★みのわの歴史)
 *禰津元直・政直は小鼻(高崎市小塙町)と大藪(吉岡町:
  桃井東城)を約400貫もらった。
  箕輪城代になった。

  ★私見・・・「大藪城=桃井東城が箕輪城長野業政の支配下に
  あったことが判明」
 ・南上州・・小幡重貞が国峰城を再建し推定4万石。
        2000人の兵。60?の砦支城。
 ・北西部・・真田幸綱(幸隆)が監督。岩櫃城・名胡桃城など
     (★生島足島神社蔵)
    浦野(大戸城)・湯本・鎌原・横谷・西窪・植栗
     ・池田(元嶽山城家老)
  ★私見:この時には、真田信綱は真田地区を任されていた。
 ・武田信玄は、和田業繁に起請文(家来としての約束6箇条)
  (★生島足島神社文書) 



*元亀元年(1572) 上野白井城を計略で落城。

*元亀2 年(1573) 上野白井城が上杉氏に攻略された。
      武田信玄が伊那郡駒場で病死。
*天正2 年(1574)
  5月 真田幸綱(幸隆)が戸石城にて病死。
  家督は真田信綱が継いだ。      
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

*天正3年(1575) 長篠の戦い
  真田信綱、昌輝兄弟が戦死。
※墓は信綱寺(上田市真田)
  真田幸綱〔幸隆〕3男:昌幸が真田家を相続。
  (←武田家臣:武藤家養子)
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〜〜〜★真田3代のブログ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心●真田3代@「実田→真田幸隆の出自
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箕輪初心●群馬:嬬恋村の城【鎌原城】&【西窪城】
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★鎌原重幸は真田幸隆の兄弟?甥?

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箕輪初心▲群馬真田歴史街道&2015スキーbS【鹿沢】&鹿沢温泉
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箕輪初心■群馬【岩下城】=小田原攻めに参加した斉藤憲弘の城
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箕輪初心●群馬:東吾妻町【三島根小屋城】&『浦野一族』
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箕輪初心●群馬【手子丸城=大戸城】=吾妻の巨大な要塞
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箕輪初心●群馬「旧倉渕村の城砦=5城」
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箕輪初心●群馬倉渕『栗崎城=三ノ倉城』
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箕輪初心●群馬:権田城2回目
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◆◆ 箕輪初心●群馬:権田城=上の久保城 ◆◆
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箕輪初心●群馬県東吾妻町『萩生城』&『千人隠陣城』
http://53922401.at.webry.info/201302/article_11.html

箕輪初心●群馬倉渕『大明神砦』&小栗上野介の観音山屋敷
http://53922401.at.webry.info/201302/article_15.html
★真田の狼煙台

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心●箕輪城シリーズ47鷹留城A歴史&長年寺・榛名神社
http://53922401.at.webry.info/201011/article_15.html

箕輪初心●群馬「松山城」=鷹留城支城→北条氏の
真田攻撃の拠点
http://53922401.at.webry.info/201103/article_6.html

箕輪初心●群馬「高崎の旧榛名町の全城=29城」
http://53922401.at.webry.info/201103/article_7.html

箕輪初心●箕輪城シリーズ45「砦」A旧榛名町
http://53922401.at.webry.info/201011/article_12.html

箕輪初心▲箕輪城150久保田順一先生【室田長野氏
:長年寺&鷹留城】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_10.html


箕輪初心▲群馬真田歴史街道&2015スキーbS【鹿沢】&鹿沢温泉
http://53922401.at.webry.info/201501/article_21.html



*****戦国真田の岩櫃城跡探検隊シリーズ**********

★▲★ 箕輪初心の岩櫃城 ★▲★
箕輪初心●群馬:岩櫃城A「歴史+真田一族」
http://53922401.at.webry.info/201011/article_6.html

1)第1回

2)第2回
http://53922401.at.webry.info/201011/article_5.html

3)第3回
http://53922401.at.webry.info/201011/article_7.html

4)第4回
箕輪初心●群馬:【柳沢城】=岩櫃城跡探検隊第4弾
http://53922401.at.webry.info/201111/article_4.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201111/article_4.html
http://53922401.at.webry.info/201111/article_5.html


5)第5回
http://53922401.at.webry.info/201206/article_9.html

6)第6回
箕輪初心●群馬岩櫃城E【岩櫃城跡探検隊第6弾前編】
http://53922401.at.webry.info/201211/article_8.html

箕輪初心■箕輪城シリーズ21「第13代:猪俣邦憲」
http://53922401.at.webry.info/201010/article_35.html

箕輪初心●群馬【名胡桃城A】=北条氏滅亡のきっかけの城
http://53922401.at.webry.info/201202/article_22.html

箕輪初心●岩櫃城探検隊第8弾【中山城2回目】
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201311/article_13.html

箕輪初心■箕輪城シリーズS「第12代:北条氏邦」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201010/article_34.html

7)7回
箕輪初心●第7弾岩櫃城跡探検隊2『下河辺伝説&斉藤憲行伝説』
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201306/article_4.html

8)8回
箕輪初心●岩櫃城探検隊第8弾【中山城2回目】
http://53922401.at.webry.info/201311/article_13.html

箕輪初心●群馬旧高山村の城:中山城1回目&並木城
http://53922401.at.webry.info/201201/article_23.html

箕輪初心●【岩櫃城跡探検隊第8弾:岩櫃城家老屋敷コース】
http://53922401.at.webry.info/201311/article_15.html

箕輪初心●岩櫃城探検隊第8弾:真田家臣団一覧&
【唐沢玄蕃の墓&割田重勝の墓】
http://53922401.at.webry.info/201311/article_14.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201311/article_14.html

箕輪初心★岩櫃城跡探検隊第9弾【郷原城】【潜竜院】&
『早川知佐講演会』
http://53922401.at.webry.info/201406/article_3.html

箕輪初心▲群馬:岩櫃城跡探検隊第10弾「発掘調査&
岩櫃城温泉」
http://53922401.at.webry.info/201411/article_12.html

箕輪初心:生方▲「岩櫃城忍びの乱」
http://53922401.at.webry.info/201511/article_3.html



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心●群馬:真田昌幸の北吾妻攻撃&四万・沢渡温泉
http://53922401.at.webry.info/201201/article_19.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201201/article_19.html

箕輪初心●群馬:中之条&吾妻の城=67城
http://53922401.at.webry.info/201201/article_11.html

箕輪初心●群馬四万温泉&中之条の城砦
http://53922401.at.webry.info/201202/article_7.html

箕輪初心●群馬:中之条【内山城=仙蔵の要害】=
★真田幸隆の嵩山城攻撃
http://53922401.at.webry.info/201202/article_8.html

箕輪初心●群馬:真田昌幸の北吾妻攻撃&四万・沢渡温泉
http://53922401.at.webry.info/201201/article_19.html

箕輪初心●群馬:中之条【嵩山城789m】
http://53922401.at.webry.info/201202/article_9.html

箕輪初心●群馬:中之条【城峯城】&唐沢一族&【四万・沢渡温泉】
http://53922401.at.webry.info/201202/article_10.html

箕輪初心●吾妻【横尾八幡城】&【植栗城】
http://53922401.at.webry.info/201201/article_20.html

箕輪初心●群馬:東吾妻【植栗城】&『植栗一族』
http://53922401.at.webry.info/201202/article_13.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201202/article_13.html

箕輪初心●群馬【沼田城】=北条・武田・上杉の狭間で揺れ動いた城
http://53922401.at.webry.info/201112/article_3.html
★真田昌幸が出てくるよ。

箕輪初心●群馬:東吾妻【金原城】&【柏原城】&『荒巻一族』
http://53922401.at.webry.info/201202/article_14.html

箕輪初心●群馬【大柏木城=羽田城】=羽田孜元総理の祖先の城か?
http://53922401.at.webry.info/201201/article_15.html

箕輪初心●群馬渋川【白井城】=上杉謙信の同族の城
http://53922401.at.webry.info/201204/article_14.html



箕輪初心◆豊臣秀吉の死〜徳川家康の小山評定〜関ヶ原
の戦いへ
http://53922401.at.webry.info/201312/article_14.html
★関ヶ原の戦いの前・・真田父子は佐野:犬伏の別れで別れた。


箕輪初心▲【老神ひな祭り】&真田信之(幸村の兄)の妻:小松姫
http://53922401.at.webry.info/201503/article_3.html







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箕輪初心:生方★【真田丸2】:実田の出自→真田幸綱(幸隆)の生涯 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
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