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zoom RSS 箕輪初心:生方▲真田丸20【関越自動車道付近の城】&スキー2新潟:神立スキー場 

<<   作成日時 : 2016/01/23 05:22   >>

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関越自動車道に沿って、真田幸綱(幸隆)・昌幸・信幸に関わる
城をいくつか取り上げてみた。この一週間は雪に悩まされてい
るが、それ以前、雪不足で、神立スキー場は大混雑であった。 
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◆訪問日・・・平成28年(2016)1月17日
【1】【真田ゆかりの地:三国街道にそって】
高崎〜箕輪〜渋川〜高山〜名胡桃〜新治〜猿ヶ京・・・
三国街道には真田ゆかりの地が多い。

1)箕輪城・・・★真田氏と箕輪城は因縁が深い。
 ・永禄10年(1570)3月8日〜10月真田幸隆は箕輪城代であ
  った。

2)箕郷町東明屋には「真田道」の道標
★元々は東山道板鼻・八幡から板東15番白岩寺〜箕輪〜
 板東16番水沢寺に向かう道だったが、真田幸隆が
この時代に箕輪城〜岩櫃城に行く道を整備したのであろう。

●榛東村
3)真田道が続く。(自衛隊道路の1本南の道である。)
箕輪城〜渋川〜日陰道〜岩櫃への道である。
移ってきた船尾山柳沢寺の横を通る
・南には桃井城がある。

●吉岡町
・南には大藪城(桃井南城)・野田宿がある。
※実際は2本伊香保寄りの道を行く。
 真田道を離れる。
 実際は渋川市行幸田の山沿いの道が真田道であり、
 渋川の市街東を通り、日陰道あるいは三国街道:金島の
 関所(井伊直政の作らせた関所)を通って、北の牧宿に
 入る。

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【2】【関越自動車道の城】
渋川伊香保ICから高速に乗った。
・吾妻川の橋から、
左に1kmに白井城
右に箱田城・八崎城が見える。


●渋川市:旧子持村
4)白井城・・・ICから2km。
・永禄10年(1570)2月下旬〜3月 真田幸隆が攻略。
箕輪初心●群馬渋川【白井城】=上杉謙信の同族の城
http://53922401.at.webry.info/201204/article_14.html
★永禄10年(1570)真田昌幸が攻略


5)八崎城・・・ICから3km。
・永禄10年(1570) 真田幸隆が攻略。
・天正10年(1582)真田昌幸は武田家の滅亡前から、八崎城
(渋川市旧北橘村)の長尾憲景を通じて、北条氏と帰属交渉を
 開始していた。
@長尾憲景文書


6)箱田城・・・ICから4km。
・永禄10年(1570) 真田幸隆が攻略。


●渋川市旧赤城村
7)見付城?・・・見えないが・・。
・永禄10年(1570) 真田幸隆が攻略。 
・天正17年(1589) 伊豆の狩野一族は北条氏からの
    移住を命じられた。
子孫の一人は高校の同級生で日銀に勤めた。
 
8)長井坂城・・・関越長井坂トンネルの真上にある。
・永禄3年(1560)長尾景虎(上杉謙信)の第一次関東出兵
   長井坂に着陣し、沼田城:沼田顕泰を攻略しようとした。
   猿ヶ京→小川城、名胡桃城等を攻略・・・高山の尻高城
   ・古中山城・・中之条・・・岩下衆(斉藤憲弘&山田など
   )と家臣にし、明間城(飽間氏:斉藤憲弘の母方)・・・
   長井坂に着陣。沼田城主の沼田顕泰は孤立し、長井坂の陣
   に謙信を訪れ和睦した。その後、沼田城から厩橋城の間を
   繋ぐ拠点として整備された。
・天正8年(158)8月、真田昌幸により攻略された。
・天正10(1582)10月、武蔵鉢形城主:北条氏邦が5000騎を率
いて囲んだ。真田昌幸配下の城将の恩田越前守、下沼田豊前守
 は奮戦の後の脱出した。長井坂城には猪俣邦憲が入り沼田城攻
 略の最前線となった。



●沼田市
9)沼田城・・・見えないが。
・天正8年(1580)5月真田正驍フ弟:矢沢頼綱が攻略


10)明徳寺城・・・関越の上
・天正8年(1580)3月 名胡桃城に対抗するための北条の城

●みなかみ町
11)名胡桃城・・・関越から見える。


12)権現山城=榛名山峠城


13)狼煙の砦



14)上毛高原駅の上の山の砦



15)水上IC脇の「石?城」
天正8年(1580)3月 名胡桃砦を攻略。鈴木重則が配下に。
武田勝頼は上杉景勝から沼田城の攻略の許可をもらった。
 武田勝頼は真田昌幸に利根川の渡河点警護と沼田城攻略の
 命令を出した。
真田昌幸は名胡桃城・沼田城攻略を企図した。
真田昌幸の謀計
真田昌幸は動揺に付け込み、謀略をめぐらせた。
内から城将:藤田信吉・金子美濃守に内応を説き、
外から叔父:矢沢頼綱を総大将にして 名胡桃攻略へ出陣
させた。

2月 名胡桃城主:鈴木主水正重則の調略に成功した。
真田昌幸は小川可遊斉を味方につけ、名胡桃館を
 攻略した。真田昌幸は小川城も攻略した。
小川城に小川可遊斉を城代とした。
真田昌幸に後北条氏から沼田城・沼田領を奪取するための
 前線基地として名胡桃城を築いた。
 *名胡桃城築城・・・・城代は鈴木主水重則とした。
★八木節に出てくる「主水」である。

3月 北条氏邦が名胡桃城&小川城再攻撃
       
名胡桃城は矢沢頼綱が死守した。
   小川可遊斎が撃退した。

3月 武田勝頼が矢沢頼綱に北条から死守を褒め、
    調略を進めるように指示。真田昌幸を送ることを
     伝えた。   
(★加沢記)

4月 名胡桃城に入った真田昌幸の下に金子美濃守が降伏した。
  以後、金子美濃守泰清(老神出身)は真田昌幸の家臣になった。

5月 北条氏邦は明徳寺城(旧月夜野町後閑)を対岸に
築城した。※関越自動車道脇
     
→権現山城(=榛名山峠城)の戦い
   ※権現山城(=榛名峠城)・・・名胡桃城の南西の峠
   

5月 矢沢頼綱に包囲された沼田城は藤田信吉が開城。
真田勢の矢沢頼綱は沼田城を攻略。
 調略で沼田城を手に入れることに成功した。
   ★藤田は矢沢の調略に乗った可能性がある。        
   ★藤田信吉は北条氏邦の大福御前の弟:義弟に当たる。    
  名胡桃城は沼田城と岩櫃城の中継地となった。
   武田氏の沼田城代:藤田信吉が誕生。    

★要害・要衝:沼田城を簡単に手中に収めることに成功した
  真田昌幸というより、矢沢頼綱は見事だった。
叔父:矢沢頼綱は父:真田幸隆と同等の知略を持っていると
安心して任せていたのであろう。

 武田勝頼家臣:真田昌幸は沼田地域を手中に
   おさめた。




【3】神立スキー
09:00家 村の中ちゃん・もっちゃんと行った。

10:00 遠くの駐車場。送迎車・・・
雪不足でここに集中したようだ。
10:30 3600円
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11:00古沢氏・貴子さん・長島氏・川田氏・真紀ちゃん・笠間氏
 堀越氏と合流

11本 バンバン滑った。
  モーグルバーンも雪があるが、滑る溝はアイスバーンで、
ブッシュも時々でている。
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・カモシカがいた。   

14:00 昼食
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15:00 午後の部 1本
  足は筋肉痛で、時折、つりそうになった。

15:30 湯沢を後にした。





★明日は沼田城かな?
 これからスキーに行くことにした。

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