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zoom RSS 箕輪初心:生方★映画『杉原千畝のあらすじ』:6000人の命を救った外交官

<<   作成日時 : 2016/01/01 06:12   >>

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平成27年(2015)12月23日、『スター・ウォーズ』は見たので、
12月25日は唐沢寿明主演の映画『杉原千畝』を見ることにした。
★小学館漫画『杉原千畝』は5〜6回読んだ。反町隆史のTVも
見た。・昭和15年(1940)、リトアニアで、ナチスの迫害から逃れ
ようとしたユダヤ人難民などに独断でヴィザ(査証)を発給し、
6000人を超える人々の尊い命を救った。
杉原千畝は情報に基
づく読み=先見性が凄かった。動乱の時代には特に要求され
る能力である。『あさが来た』の白岡あさも面白かった。映画で
一番印象に残ったのは『世界を変えたい。』という言葉、ハルピ
ン学院『自治三訣:人のお世話にならぬよう、人のお世話をす
るよう、そして報いを求めぬよう』というモットーも心に残った。

ちなみに私がいったことある場所はベルリン・プラハのみである。
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【0】プロローグ
・大正7年(1918 )早稲田大学高等師範部英語科に入学した。  
外務省がハルピンに設立した。
  杉原千畝は早稲田大学中退した。
・大正11年(1922 )日露協会学校(ハルビン学院)特修科入学した。
日露協会学校(ハルピン学院)に官費入学したのだ。
 杉原は、ロシア語を選んだ。1ページを暗記すると、露和辞典を
 破ったそうである。わずか4ヵ月で日常会話に不自由ないほどで
 あったそうである。
 2年後、ハルピン学院を卒業した。
 杉原は外務省に採用され、ハルピンの日本総領事館にロシア係として
 勤務した。

・昭和7年(1932) 満州国が建国。
  帝政ロシア時代に建設された満州国を横切る鉄道(東清鉄道)を
 ソ連から買い取る交渉が始まり、杉原は満州国スタッフの一人に任命
 された。
 ソ連側の提示価格は6億2500万円であった。
 満州国側の購入予算は5000万円であった。
 


◆ 関係者 ◆
○杉原千畝:唐沢寿明
・昭和14年(1939) バルト海に面するリトアニアの日本領事館に
領事代理として赴任した。
『命のビザ』を発行し、ナチスドイツに排斥された6000人のユダヤ
人難民を救った。

●杉原幸子(妻):小雪
 リトアニアの首都:カウナス郊外の借家を事務所にした領事館
で杉原は幸子夫人と3人の子供+(幸子の妹)と暮らしていた。

●イリーナ・・・杉原千畝の最初に結婚した白系ロシア人かも?
●マラット・・・杉原に協力し、関東軍に殺された。
●関満一朗・・・外務省高官
●大橋忠一・・・満洲国国務院外交部次長→満洲国参議府参事
●南川欽吾・・・関東軍将校。暴走気味の人物。満州国を樹立。

●菊池静男・・・友達・杉原の妻:幸子の兄

●ペシュ・・・ポーランド人の運転手兼諜報部員。
●グッジェ・・ドイツ系リトアニア人。執事。

●ニシェリ(ユダヤ人リーダー)・・・最初、中、最後に登場
●ヤン・ズヴァルテンディク・・・オランダ領事

●大島浩・・・陸軍中将。駐ドイツ特命全権大使。
 日独伊三国同盟締結の立役者である。
 ※終戦後の極東国際軍事裁判ではA級戦犯として終身刑の判決を受けた。

●根井三郎(杉原のハルピン学院の2期後輩。ウラジオストック領事
  命のリレーを手助けした。第2の杉原千畝である。

●大迫辰雄:旅行会社に勤務。ウラジオストクに到着した
 ユダヤ人と共に輸送船に乗り込み、身元確認や渡航保証
 金の処理等にあたり、敦賀への上陸を見届けた。
画像







【0】プロローグ
・昭和30年(1955) ユダヤ人:ニシェリは日本の外務省を訪れた。
ニシェリは関満一朗に
 「自分の命を救ってくれた『センポ・スギハラ』という
 外交官と会いたい。」
 と面会を求めた。
 関満一朗に
 「センポ・スギハラという外交官はいません。」と
 返答された。
 ニシェリは
 「リトアニアであった人です。」
と、ヴィザを関満一朗に見せた。
 「この紙が私の命でした。」
 しかし、
 「センポ・スギハラという外交官は存在しません。
  どうぞ、お引き取りを・・・」

 ニシェリは
 「必ず探し出す。」
 と言い残し外務省を後にした。


【1】起の章
○列車が雪原を走っている。

・昭和9年(1934)
○列車の中
 杉原は列車の中で、ソ連の諜報員に拳銃で狙われた。

 杉原千畝は満洲国外交部の一員として働いていた。
 白系ロシア人のイリーナとマラットと共にソ連との北
 満鉄道譲渡交渉を有利に進めるための諜報活動を
 行っていたのだ。
 
 杉原は列車の中で、ソ連の諜報部に命を狙われた。
 しかし、イリーナの機転で助かった。
 
 杉原はソ連軍が新型列車:機関車を盗み出そうとした
 証拠を掴んだ。

○居酒屋
 杉原は
 「今夜、ソ連軍は機関車を盗みに来る。満州の権益を狙って
  いる。」
 と関東軍:南川欽吾に話した。
 穏便な解決策を採ろうと考えていた。

 イリーナは
 「今夜は最後ね。
  次は、モスクワに栄転ですね。」
 と・・・・
 

○ソ連軍は機関車を盗もうとした。
 ソ連軍が運転する機関車に杉原とイリーナとマラットは別の機関車を
 同じレールに乗せ、正面に向かった。
 機関車は急停車した。
 そこへ、手を組んでいた関東軍:南川欽吾が部下をつれて、乗り込んで
 きた。
 マラットとソ連兵10名程が南川欽吾に銃殺されてしまった。
杉原は南川欽吾に殴りかかった。しかし、簡単に転ばされた。
 「私も確実な方法を君のようにとっただけだ。」

 イリーナは杉原を
 「人殺し。」
 となじった。
 

・昭和10年(1935)
杉原は粘り強くソ連と交渉を続けた。
ソ連の要求額6億2500万円から、1億4千万円まで引き下げさせる
ことに成功した。
 1億4000万円と安く、ソ連に売られたのだ。
★杉原のおかげであった。

 杉原は、穏便な解決策を無視され、満洲国を私物化する関東軍に
 嫌気がさした。
 
 満洲国外交部に辞表を提出した。
杉原は満州国領事:大橋に
 「私は関東軍のために、働くつもりはありません。」
 大橋は
「日本にもどるがよい。」

 
 杉原は日本に帰国した。
○外務省
 杉原は外務省:関満一朗から
 モスクワの日本大使館で2等書記官として働いてください。」
 モスクワの日本大使館への赴任を命じられた。
 
 杉原は念願のモスクワへの赴任を喜んだ。
 ソ連から北満鉄道の件を理由にペルソナ・ノン・グラータ
 (好ましからざる人物)を発動
 され、入国を拒否されてしまった。
ソ連は北満鉄道譲渡交渉の際、杉原の能力の高さを知り。
 ソ連が警戒して杉原千畝の入国を拒否したのだった。
 

○居酒屋
 落胆した杉原は友人:菊池静男とヤケ酒を飲んだ。
「何故、こんなことになったんだ。」
 と酒屋でどなる。

○菊池静男の家
 菊池の家に泊まることになった。
夜中、菊池に向かって
 「俺はハルピン学院で、ロシア語を一生懸命勉強した。
  岐阜の田舎から・・・早稲田大学を中退し・・・
  日本を良くしたい。世界を変えたい。お前もそう思ったことは
  ないか?・・
  菊池、聞いているんだろう。」
 と襖を開けた。
  女性は着替え中?・・・
  はたかれた。
 
 朝、菊池の妹に挨拶された。
 「杉原です。」
 名刺を渡した。
 幸子は
 「すぎはら ちうねさんね。」
 杉原は
 「初めて、ちうねと読んでもらった。」
 そこで菊池の妹:幸子と出会い・・・恋に落ちる。
 デートが始まった。

 夏・・・・氷アイスを食べた。
 秋


【2】承の章
・昭和14年(1939)
○外務省
 杉原は関満一朗から
 「新設されたリトアニアに行って貰いたい。
 フィンランドからリトアニアに入り、領事館を作って下さい。
そして、ソ連の動きを探るように命じられた。
 リトアニアへの赴任が決定した。
  
○リトアニア・カウナス領事館
 杉原は看板を立てた。
 幸子も喜んだ。
「履歴書です。」
 「ドイツ系ですか?」

 執事を雇った。
 
○居酒屋
 杉原はロシア語で酒を注文しようとした。
 ペシュが酒を奢った。
 
○領事館前
 ペシュは
 「俺を諜報活動員として雇わないか?俺は役に立つぜ。」
 「いらない。・・・・でも、運転手なら必要だ。」

○外交官交換会
オランダ領事:ヤンと知り合いになった。

○ポーランド国境 
 杉原がカウナスに赴任した直後、ソ連はナチス・ドイツと独ソ
 不可侵条約と締結し、ドイツはポーランド侵攻を開始した。
 杉原は、接触してきたポーランド人スパイのペシュと手を組み、
 諜報活動を開始した。

 杉原とペシュは収集した情報を分析し、独ソが東ヨーロッパを分割
 支配しようとしていることを突き止めた。

○ドイツ領事館
 
 杉原は駐ドイツ特命全権大使:大島浩に
 「ドイツは独ソ不可侵条約を破るつもりです。」
 「日本がドイツと同盟を結ぶのは、最後はアメリカと
  戦争することになる。・・・・」
 大島浩大使から、
 「君はソ連の情報を得てくれれば、それでよい。」
と叱られた。
 
○リトアニアのオランダ領事館
 ヤンが
「君はペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)である
 とドイツ、ゲシュタポから狙われるぞ。注意してください。」
 と忠告した。

○案の定、帰りにゲシュタポに狙われた。
 (※大島浩はナチス党幹部のリッベントロップに接近していた。
 日独伊三国同盟による枢軸外交実現のために奔走した。)
 
 日本は杉原の報告にも明確な対策を取ろうとはしなかった。

・昭和15年(1940)
○立入禁止地区・・・リトアニア国境
杉原とペシュはソ連がリトアニアを狙っていることを知った。

○ドイツの日本大使館
 杉原は中島浩に
 「ドイツとソ連はヨーロッパをまっ2つに分割するつもりです。」
 と伝えた。
 「ドイツは無敵である。」
「いつかはドイツは負けます。・・・」
 

○ドイツでのユダヤ人殺戮場面
「立て・・・」
「座れ・・・」
銃殺・・・結局、銃殺・・・
生き残ったのは、ユダヤ人の爺さんと孫だけ・・

○リトアニア国境の橋
ユダヤ難民・・・ドイツからの迫害を逃れて来た

・日独伊三国同盟が締結された。
大島浩はナチス党総統 アドルフ・ヒトラーの信任を得た。

 ソ連軍がバルト三国を占領した。

ドニシェリたちユダヤ人は
ドイツと同盟を結ぶソ連から逃れるため国外脱出を図っていた。
しかし、ソ連軍によってアメリカの領事館など各国の領事館は次々に
閉鎖されていった。

ユダヤ難民は脱出に必要なヴィザを受け取ることが出来なくなって
しまった。

○オランダ領事館
 そんな中、オランダ領事代理:ヤンはニシェリたちにヴィザを発行
 するが、ドイツが支配する西ヨーロッパへの脱出は不可能であった。
既に、オランダはドイツに支配されていたのだ。
 ドイツはフランスに侵攻中であった。

【3】転の章
○日本大使館前 
 ニシェリたちは極東経由での脱出を目指し日本領事館にヴィザの発行
 を求めるため、ずうっと泊まり込みをし始めた。

 杉原は外務省からペシュら協力者以外へのヴィザ発行を禁止されていた。
 杉原はニシェリたちを無視するしかなかった。

 しかし、日に日にヴィザ発行を求めるユダヤ人たちが増えていった。
 腹をすかした虐殺から逃れた孫もいた。

 やがてドイツがポーランドに侵攻した。

●第二次世界大戦が勃発した。
 ナチスに迫害され国を追われた多くのユダヤ難民がカウナスの
 日本領事館へヴィザを求めてさらにやって来た。

 杉原はニシェリたちリーダーと話合いをした。
 必死に助けを乞う難民たちの数は日に日に増していく。

「あなたに会いたいという人がいます。」

○教会
 イリーナだった。
「紹介したい人がいます。主人です。・・・」
 老人だった。
 (後で分かるが、原子爆弾をアメリカで開発した科学者であった。)

○ソ連から日本領事館の退去命令が出された。
 猶予期間は2週間だった。

○日本領事館前
 杉原の子どもが孫にパンをあげた。

 日本からの電報は
「ヴィザの発給は認めない・・・中立を保つべし・・・」

○オランダ領事館
 オランダの植民地:キュラソー諸島にいきたいという
 ユダヤ難民にヤンはヴィザを発給した。


・杉原は独断でユダヤ人たちへのヴィザ発行を決断した。

○日本領事館
グッジェが
「ヴィザを発給する」
と伝えた。
ニシェリが先頭だった。
ユダヤ人母の経歴がおかしかったが、発給した。

・ガノール社長にヴィザを届けに行った。
「早く、退去した方がいい。・・」

・ある日。グッジェが印鑑を杉原に渡した。

8月29日 日本領事館が閉鎖となった。
カウナス駅でヴィザを発行し続けた。
8月31日 列車がカウナス駅を出発するまでヴィザを書き続けた。
○列車で杉原は国外退去
 印鑑にグッジェに渡した。
 グッッシェは継続をお願いされた。

 
9月5日 杉原は国際列車で退去しベルリンに行った。・・
画像

○ドイツ大使館
 中島浩より杉原は
 「チェコスロヴァキアの在プラハ総領事館に行くことになった。」

○チェコスロヴァキアの在プラハ総領事館に着任した。
★しかし、映画には場面がなかった。



【4】結の章
ニシェリたち多くのユダヤ難民がリトアニアから脱出した。
しかし、ガノール社長はソ連軍に射殺された。

リトアニアから国外脱出を果たしたユダヤ人たちはシベリア鉄道
に乗り、ウラジオストクに到着した。

次々に極東に押し寄せる条件不備の難民に困惑した外務省は、
以下のように、ウラジオストクの総領事館に厳命した。
「日本の官憲がヨーロッパから避難してくる人々に与えた通過許可
証は、ウラジオストックやソ連の大使館でもう一度調べて、行先国
に入る手続きが終わっていることを証明する書類を提出させてから、
船に乗るの許可を与えること」

しかし、ハルビン学院で杉原千畝の2期後輩であったウラジオストク
総領事代理:根井三郎は、ユダヤ難民たちの窮状に同情した。

根井三郎は旅行会社の大迫辰雄を呼んだ。
「君はユダヤ難民の渡航を中止するのはどう思う?」
・・・・
大迫辰雄は
「日本に連れて行きたいです。」
と答えた。
 
・昭和16年(1941) 3月30日 外務省宛電信において以下のように打電
した。
「一度杉原領事が発行したビザを無効にする理由がないと思います。
日本の領事が出した通行許可書を持ってやっとの思いでたどりつい
たのに、行先国が中南米になっているというだけの理由で一律に船に
乗る許可を与えないのは、日本の外交機関が発給した公文書の威信を
損なうことになるのでまずいと思います。」
と抗議した。

根井三郎の人道的配慮により乗船できるようになったユダヤ難民
は、日本海汽船が運航する「天草丸」に乗りこんだ。

大迫はウラジオストクに到着したユダヤ難民を
 人と共に輸送船に乗り込み、身元確認
 や渡航保証金の処理等にあたり、敦賀への上陸を見届けた。

○富山湾沖
 日本の北アルプスの山並みが見えた。
 ユダヤ難民たちはユダヤの歌を歌った。
 敦賀港へ続々上陸・・・・・

★難民たちの命は、2人のハルビン学院卒業生の勇気ある行為
によって救われた。

リトアニアを退去した杉原は、当時ドイツの保護領になってい
たチェコスロヴァキアのプラハの日本総領事館に勤務となった。

・昭和16年(1941)2月28日
○ベルリン
中島浩からドイツ領の在ケーニヒスベルク総領事館勤務を
 命じられた。
 東プロイセン(ポーランドの西半分)のケーニヒスベルクに
 赴任した。

○国境
 杉原とペシュはドイツ軍が国境地帯に集結していることを掴んだ。
ドイツがソ連への侵攻を計画していることを察知した。


○ドイツ大使館
 駐ドイツ大使:大島浩に
 「日本がアメリカと戦争になってもドイツの支援は得られません。」
と忠告した。
ヒトラーに心酔する大島は杉原の忠告をまともに取り合おうとはしな
かった。

○東プロイセン(ポーランド分割の西側部分)の領事館

・独ソ戦が開始された。
 ドイツはソ連への侵攻計画を漏らした杉原の国外退去を
 要求した。
ケーニヒスベルクからの即刻退去を求められたのである。
約9ヶ月であった。
 ★平成27年(2015)12月29日のTBSのTV番組
  『日本に連れてきたいヨーロッパ人』という番組で、
  ポーランド人大学生が
 「杉浦千畝は745人のポーランド人を助けた。」
 と言っていた。

○ドイツ大使館
中島浩が
「君にはルーマニアへ行ってもらう。」
杉原は大島に対し、
「アメリカと戦争すれば、日本は負ける。」
と警告した。
ルーマニアに向かった。
11月 ルーマニアの在ブカレスト公使館勤務任命:一等通訳官
に任命された。

・昭和20年(1945)

5月 ドイツ空襲
○ドイツ大使館
中島浩が
「君はこの戦争どう思う?」
「日本はアメリカに敗れて、たくさんの人は命を落とすでしょう。」
・・・
「君は予想が外れたことがない。」
と、ドイツ空襲の中で答えた。

8月
杉原はソ連軍の捕虜収容所の中で手紙を渡された。
ソ連人の看守が手紙を届けた。
「日本はポツダム宣言を受諾した。」
日本の敗戦を知った。
杉原は興奮し、手紙を握りつぶした。
幸子は子供たちと共に杉原の心情を察し、その場を離れた。

落ち着いたところで手紙がを開いた。
中にもう一つ手紙が入っていた。
イリーナからの物だと知り中身を確認した。
手紙には、
「杉原が発行したヴィザによって多くのユダヤ人たちが救われ、
多くの人々の人生を変えた。・・・中略・・・・夫はユダヤ人の
科学者でした。そして、アメリカに科学者として雇われました。
★たぶん原子爆弾の開発に携わった科学者だろうと思った
・・・ありがとう。」
と結ばれていた。
手紙を読み終えた杉原は涙を流した。

【5】〆の章
・昭和47年(1972) 外務省を退官した。
貿易会社に勤務していた杉原は、勤務先のモスクワでニシェリとの
再会を果たした。
杉原とニシェリは32年振りの再会を喜んだ。
2人はモスクワの街を歩いていく。・・・・・

【6】字幕スーパー




※現在、杉原千畝に助けられたユダヤ難民の子孫は
 『4万人』とあった。






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