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zoom RSS 箕輪初心:生方▲山口の大内文化:【瑠璃光寺】&『雪舟の話』

<<   作成日時 : 2015/12/29 08:04   >>

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『山口の瑠璃光寺五重塔は国宝です。全国に現存する五重塔で10
番目に古く、日本3名塔の1つです。ちなみに日本3名塔は@山
口県の瑠璃光寺、A奈良県の法隆寺、B京都府の醍醐寺にある五
重塔です。室町時代における最も優れた建造物と評価されていま
す。また、瑠璃光寺は檜皮葺の屋根が特徴です。明日行く厳島神
社の五重の塔も檜皮葺です。室町時代の初め、大内義弘が・・』
とバスガイドさんが説明してくださった。また、常栄寺の雪舟
のエピソードの方が面白かった。本当、凄いバスガイドであった。
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【1】大内文化の特徴 
大内氏は、守護として室町幕府の傘下に身を置く一方で、百済国王族
の末裔であると主張しながら、朝鮮王朝、明国、琉球王国とも活発な
貿易を行っていた。それ故、大内文化の特徴は北山文化+東山文化
+大陸文化→独自の文化を作り上げたという。

1)歴史
@第3代将軍足利義満の時代
・正平5年/観応元年(1350) 大内弘世は南朝から周防守護職に任じら
 れた。
・正平14年/延文4年(1359)大内弘世は長門守護職にも任じられた。
・正平15年/延文5年(1360) 大内弘世は大内館から山口へ移転した。
  京都に倣った街並み整備を行い、大内文化の基礎を築いた。
  大内氏第9代当主:大内弘世が京の都を模倣し街づくりを行った。

A第8代将軍足利義政の時代
 第14代大内政弘が応仁の乱後、文化を奨励した。

B第10代将軍:足利義稙の時代
第16代:大内義隆が文化人の庇護をした。
 応仁の乱など京の戦乱から逃れてきて、歌道・有職・管紘・装束
 ・儒学などを学ぶために訪れる僧、学者、公家が多かった。
明との私貿易や正式な勘合貿易で中国文化を取り入れた。 
 翻訳本の出版や明や朝鮮から漢籍を取り寄せる唐本屋などもあった。
 大内氏館には山口殿中文庫(大内文庫)と呼ばれる書庫があり、国
 内外の書籍が集められていた。
 また遣明船や私貿易が活発だったために海外から移住して来る者も多
 く、国際色も豊な面もみられる。
結果・・・北山文化&東山文化&大陸文化を融合させた独自文化が
 隆盛した。
(★パンフレット+ガイドさんの話+ウィキペディアより編集)

2)建築
瑠璃光寺五重塔(国宝)
古熊神社本殿(国重文)
八坂神社本殿(国重文)
花岡八幡宮閼伽井坊多宝塔(国重文)
常栄寺雪舟庭(国の史跡及び名勝)
龍福寺(大寧寺の乱で焼失。)
凌雲寺跡(国の史跡)
大内氏館(大寧寺の乱で焼失。大内弘世の拠点。館跡=龍福寺)
築山館(大寧寺の乱で焼失。大内義弘以降の拠点。館跡=八坂神社)
大道寺(日本最初のキリスト教教会。現聖サビエル記念公園)
山口大神宮(大内義興が伊勢神宮より勧請)
などなど・・・一時は世界遺産候補だったが?

3)有名人の訪問者
水墨画・・・雪舟
連歌師・・・宗祇、猪苗代兼載、宗碩
関東管領・・上杉憲実
第10代将軍・・足利義稙
公家・・・・三条公敦・飛鳥井雅俊
宣教師・・・フランシスコ・ザビエル
(★山口のパンフレット、山口Hp:大内文化、勘合貿易など
  を参考に編集)



【2】瑠璃光寺
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・高見沢氏
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●国宝【瑠璃光寺五重塔】
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★塔身が細身で美しい
・ガイドさんの話
「五重塔は相輪の尖端まで31.2mあります。・・・・。」
★後は記憶がない。
・文明3年(1471) 大内氏の支族:陶弘房(すえひろふさ)が応仁
 の乱において戦死した。菩提を弔う為に、陶弘房夫人が香積寺を
 創建した。(現山口市仁保)に存在した。

戦国時代
・天文20年(1551)大寧寺の変
 陶晴賢(すえはるかた)の謀反をきっかけに大内氏は滅亡した。

・天文24年?./弘治元年(1555)厳島の戦い
 中国地方は毛利氏の領土となった。

・慶長5年(1600) 関が原の戦い
西軍総大将を務めた毛利輝元は、徳川家康より大幅な減封を科
 せられ、萩へと押し込められてしまった。
 その際、毛利輝元は萩城を拡張工事し、香積寺を萩へと移した。

・元禄3年(1690) 五重塔のみが残る香積寺跡地に瑠璃光寺が移って
きたのである。五重塔が瑠璃光寺の所属となるのは、江戸時代に
入ってからのことである。
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●うぐいす張の石畳
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「石畳の参道は足音が周囲の石垣や石段に反響し、美しい音が返って
 くることから、『うぐいす張りの石畳』と呼ばれています。
 香山墓所の行く石段の前に石畳がある。
 ガイドさんが
「手ばたきをすると、「キュ」という音が返ってきます。」
 と言いながら、手を叩いた。
★本当だ。
 みんなも不思議そうに叩いた。
「石畳を強く足を踏みつけても音が返ってきます。」
と言って、トントン足踏みをした。

「周囲の地形や石段による音響効果のためであるが、意図して作られ
 たものではなく、偶然の結果であると考えられています。」

●国史跡【香山墓所】毛利敬親(たかちか)
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 一足先に行って、写真を撮った。

 あんこ餅のような土饅頭の前に墓碑が置かれている。
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・ガイドさんの話
「明治4年(1872)に亡くなった長州藩の第13代毛利敬親の墓が
 あります。香山墓所は、萩にある旧天樹院墓所、大照院墓所、
 東光寺墓所と共に、萩藩主毛利家墓所として、国の史跡に指定
 されています。」
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●枕流亭
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 「毛利輝元が萩へ移封されて以降、山口は藩政の中心地ではありま
 せんでした。でも、幕末になると毛利敬親は再び山口に藩庁を移し
 ました。山口は討幕運動における拠点となりました。薩長連合結成
 の密議のため、薩摩の小松帯刀や西郷隆盛などが山口を訪れた際、 
 枕流亭で長州方と面会した部屋がこれです。
 何度か移築され、最終的には香山公園内に移築されました。」
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●露山堂
「毛利敬親が藩庁を萩から山口に移した時、藩庁内につくられた
 茶室です。討幕の密議が行われていた場所です。」

●大内弘世の像
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●瑠璃光寺資料館・・・入らず。
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●山門
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●本堂
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●庫裡&かいぱん
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●御朱印
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●金比羅社
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●五重の塔
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●司馬遼太郎の碑
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●若山牧水の歌碑
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箕輪初心:生方★西伊豆B【若山牧水と沼津千本松原】
http://53922401.at.webry.info/201510/article_11.html

〜〜〜若山牧水の群馬シリーズ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆◆ 箕輪初心★若山牧水の上州旅@水上〜川原湯温泉 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201301/article_23.html

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http://53922401.at.webry.info/201301/article_26.html

◆◆ 箕輪初心★若山牧水の上州旅Dロマンチック街道 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201301/article_27.html

◆◆ 箕輪初心★若山牧水の上州旅Eロマンチック『旧六合村」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201301/article_28.html

◆◆ 箕輪初心★若山牧水Fロマンチック『四万温泉』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201301/article_29.html

◆◆ 箕輪初心★若山牧水Gロマンチック『法師温泉』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201301/article_30.html

◆◆ 箕輪初心★若山牧水Hみなかみ紀行『猿ヶ京&湯宿温泉』
http://53922401.at.webry.info/201301/article_31.html

◆◆ 箕輪初心★若山牧水Iみなかみ紀行「沼田〜老神温泉」◆
http://53922401.at.webry.info/201301/article_32.html

箕輪初心:生方『老神温泉&若山牧水』復刻版&「老神の伝説2」
http://53922401.at.webry.info/201504/article_3.html

●雪舟の像
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【3】常栄寺の遠望&雪舟の話
「常栄寺は凡そ500年前、大内政弘が別邸としてたてたもので、庭は
 雪舟に依頼して築庭させたものといわれています。
 雪舟は応永27年(1420)、備中赤浜:現在の岡山県総社市で生まれ
 ました。生家は小田氏という武家とされています。」
●エピソード1
 武家の家柄なのに剣術や学問を勉強せず、絵ばかり描いていました。
 そこで、お父さんは
 幼い雪舟を近くの宝福寺に入れました。
●エピソード1
 宝福寺に、雪舟の伝説が残っています。
 宝福寺で禅僧となるために修行していました。でも、雪舟は、絵を
 かくことが好きで、寺に入っても、禅の修行はそっちのけで、好き
 な絵ばかりかいていました。それに腹を立てた寺の和尚様が、注意
 をしました。それでも、絵を描くことをやめませんでした。
 ある朝、和尚様は雪舟をお堂の柱にしばりつけてしまいました。雪
 舟が心を入れかえ、禅の修行に励むようにさせようとしたのです。
 夕方、少し可哀想に思った和尚様が雪舟を柱から紐を解こうとお
 堂にいってみると、雪舟の足元に、大きな鼠がいるではありません
 か。鼠が動き回っているではありませんか。驚いた和尚様は、雪舟
 が噛まれては大変だと思い、鼠を追い払おうとしました。でも。不
 思議なことに鼠はいっこうに動く気配がありません。
 鼠を追いはらおうとしました。しかし、鼠は動きません。
 雪舟が自分の足を使い、自分の流した涙で描いたものだったのです。
 鼠が動いたようにみえたのは、鼠の姿がまるで本物のように生き生
 きと描かれていたからでした。それから和尚様は雪舟が絵を描くこと
 を咎めなくなったそうです。」
★知ったらい。私だって雪舟の才能を伝える話は何度も日本昔話など
 で知っている。
「この話は、江戸時代の初期、狩野永納が著わした『本朝画史』に登場
する逸話です。」
★そうだろうな。雪舟が涙で鼠を描ける程、涙が出るはずはない。
水墨画の大家:雪舟ほどの大画家であれば、少年時代から凄い才能を
発揮していたに違いない。」という勝手な想像が生み出した産物だろう。
真実ではないと思っていても、信じたい衝動に駆られる。
「好き好き好き好き好き・愛してる。・・・・」
大徳寺のとんちの一休さんと混乱してしまった。
でも、いつパクリ文化が生まれたのだろう?
誰がきっかけを作ったのだろう。まあ、いいか?

「文芸で身を立てるには、寺に入るのが唯一の道でした。
 室町時代は禅僧が学問・文芸の分野を担っていました。」
★違うよ。子孫を残すための手段だよ。

「10歳頃、京都の相国寺に移りました。」
「春林周藤や天章周文にも絵を学びました。」

・享徳3年(1454) 頃
「大内政弘の招きにより、雪舟は周防に来ました。大内政弘の庇護を
  受け、雲谷庵(山口市天花:てんげ)を構えた。
雪舟は大内政弘の庇護のもと、絵に専念した。

・寛正6年(1465)頃、雪舟を名乗ったと考えられている。

・応仁2年(1468) 応仁の乱の最中に、遣明船で明へ渡航した。
  李在より中国の画法を学んだ。
  約2年間、本格的な水墨画に触れ、研究した。
 ・天童山景徳禅寺では、「四明天童山第一座」の称号を得た。
  ★焼き物の景徳鎮のある所である。
 ・北京では、明政府の建物に壁画を書いた。
  大いに評判になったという。
●エピソード3
 「破墨山水図」の文面に、
 「明の画壇に見るべきものはなく、日本の詩集文や叙説を再認識
 した。」と書かれている
 明の時代の画家よりも夏珪や李唐等の宋・元時代の画家に興味を持ち、
 模写して勉強した。
 (重文:彷夏珪山水図・重文:彷李唐牧牛図)
 大陸の自然は、雪舟に深く影響した。
 「風景こそ最大の師・・・」
 と悟った。
 雪舟は揚子江を下りつつ貪欲に各地の風景を写生した。

・文明元年(1469) 帰国し、周防に戻った。
  山水画を大内政弘にあげた。
●エピソード4
「雪舟本人は未熟な山水画だと思っていた絵を大内政弘が
  褒めた。しかし、本人は何も答えなかったという。」  

 その後、豊後や石見で創作活動を行った。

・文明13年(1481) 秋から美濃へ旅行した。

・文亀元年(1501) 頃 天橋立で作品を描いた。

★雪舟は宋・元の古典&明の浙派の画風を吸収しつつ、中国画の模写
 から脱し、日本独自の水墨画風を確立した。後の日本画壇へ与えた
 影響は大きい。


 
【4】山口城の遠望
 周防国の山口(現山口県山口市滝町)にあった日本の城跡である。
 山口屋形・山口政庁・山口政事堂などとも呼ばれていた。
 表門(旧山口藩庁門)など一部が現存する。
★行きたかったなあ?


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