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zoom RSS 箕輪初心:生方▲20151107久保田順一先生講演会『上杉憲顕と南北朝の動乱』

<<   作成日時 : 2015/11/08 11:39   >>

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昨年の講演会で『上杉憲顕』2,592 円を購入し、久保田先生にサイン
をしていただいた。
上杉憲顕(のりあき)は、鎌倉時代末期から南
北朝時代の動乱を生き抜いた武将である。足利尊氏・足利直義兄弟
の母:清子は父方の叔母であり、足利尊氏・直義とは従兄弟の関係
であった。足利直義の死後は、足利基氏の近臣として、初代関東管
領となり、初期鎌倉府を牽引する。関東管領上杉氏の礎を築いた山
内上杉家の始祖である。
前もって、『上杉憲顕』:久保田順一著の項
目立てを付くっておいたので、●は平成27年82015)11月7日の
講演会の資料&説明。★勝手に補足説明&私見・感想である。
久保田先生、写真掲載と講演会の記録等の許可、ありがとうごさい
ます。
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◆久保田順一先生の関係
箕輪初心●箕輪城94『岡田氏』『多胡氏』『久保田氏』『関口氏』
http://53922401.at.webry.info/201212/article_25.html

箕輪初心★箕輪城101「長野氏」の研究:近藤・山崎
・飯森・久保田
http://53922401.at.webry.info/201310/article_6.html


箕輪初心●箕輪城105久保田順一先生「箕輪城と長野氏」
http://53922401.at.webry.info/201305/article_26.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201305/article_26.html

箕輪初心◆2013群県博:新潟県「上杉氏」関興寺・瀧澤寺
・雲洞庵・坂戸城・管領塚
http://53922401.at.webry.info/201310/article_21.html

箕輪初心▲箕輪城150久保田順一先生【室田長野氏:長年寺&鷹留城】 
http://53922401.at.webry.info/201412/article_10.html

箕輪初心★久保田順一先生20141129『河内源氏&上野国
:八幡荘』前編
http://53922401.at.webry.info/201412/article_11.html

箕輪初心★久保田順一先生20141129『河内源氏の上野国
:八幡荘』後編
http://53922401.at.webry.info/201412/article_12.html

箕輪初心★木曾義仲:上野国多胡庄2ヶ月→信濃依田城で蜂起
http://53922401.at.webry.info/201310/article_3.html


箕輪初心:生方★2015高崎『山名義範』に関わる疑問点&
久保田順一先生・山本隆志先生の研究
http://53922401.at.webry.info/201510/article_21.html



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榛名の歴史で町おこしの皆さん、
 ありがとうございました。

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【目次】
はしがき

【第1部】 上杉一族の鎌倉進出
◆第一章 勧修寺流藤原氏
1)名家勧修寺流の成立
●上杉氏の出自
・藤原北家傍流高藤流。
※落ちぶれた藤原高藤の娘:胤子が宇多天皇の女御となった。
→胤子が宇多天皇の息子:醍醐天皇を生んだ。
→また、落ちぶれた。

2)説孝から清房へ
●藤原系図
@藤原高藤・・(7代略)・・・藤原顕憲→▲長男:盛憲→清房・・
               △次男:能円→在子・・
A▲藤原顕憲→長男:盛憲→清房・・
・保元の乱・・・負け組参加→さらに没落・・・

B△傍流の能円→在子・・在子は後鳥羽天皇様の妻に運よくなった
 のだ。
→従兄弟の主流;藤原清房は後鳥羽天上皇に仲良しだった。
・承久3年(1221) 承久の乱
★後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して討幕の兵を挙げて敗れた。
 鎌倉幕府の源氏一門(御門葉)の大内惟信は後鳥羽上皇に味方し
 敗死し、源頼朝が最も信頼を置いていた平賀氏・大内氏は没落
 することになった。
●当然、藤原清房も責任を負った。


◆第二章 上杉氏の成立〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
1)鎌倉幕府と朝廷
2)重房の登場
●藤原清房→藤原重房→藤原頼重となった。
@藤原重房・・・式乾門院蔵人・・・
A藤原頼重・・・永安門院蔵人・・・

3)宗尊親王の鎌倉下向
●建長4年(1254)


4)上杉系図について
●上杉氏の出自
上杉氏は勧修寺流藤原氏の一族〜〜〜
  藤原北家高藤流〜〜〜
藤原清房・・・承久の乱で後鳥羽上皇についた。
  叔父:能円の娘は後鳥羽上皇の后だったから・・・
 そして、官位を失って、没落した。
 
5)重房と足利氏
●上杉重房・・・上杉氏の祖:上杉重房。
 京都の中級公家:左衛門尉藤原清房の次男として生まれた。
 『式乾門院蔵人(召使い侍)・・為宗尊親王御介錯(助ける人の
  意味)、供奉下向、始賜丹州上椙庄、依之有上椙号』
  (★久保田先生提示資料★『続群書類従』「上杉系図」)   
・建長4年(1252) 鎌倉執権北条時頼により後嵯峨天皇の皇子:宗尊
  親王が下向し鎌倉幕府第6代征夷大将軍に就任した。
  藤原重房は共に鎌倉へ供奉し、丹波国何鹿郡上杉庄(現京都府
  綾部市上杉町周辺)を賜り、以後上杉氏を称した 。
 
●下向時のメンバー
 @西御方・・・源通親の女=後嵯峨院乳母
   村上源氏系土御門家源通親・・・
    土御門家一門中院家は上野国守であった。
A一条局・・・源通方の女
B公卿:源顕方・・源通方の子
 C殿上人:花山院長雅
 C西御方に従う布衣諸太夫・侍・・・
   ・日向武者介親家(大森氏・・・北条早雲に小田原を乗っ取ら
   れた大森の先祖:)
   ・藤新左衞門(上杉重房か?と久保田先生)
上杉重房が貴族bQ土御門家の家人であった可能性が高い
(★久保田説)

・文永3年(1266) 宗尊親王は謀反の疑いにより帰洛。
 上杉重房は鎌倉で有力御家人足利泰氏に仕えた。
 

●上杉重房の子ども
長男:上杉頼重
長女:????山名政氏の正室
  山名政氏子どもは山名時氏、山名兼義  
  山名時氏の子ども
   ・・・師義、義理、氏冬、氏清、時義、氏重、義数、高義。
(★おまけで記載・・・山名宗全を書く布石である。)
次女(妹?):????→足利頼氏の女房(身の回りの世話役)
   手がついて、孕んでしまって、側室となった。
  足利頼氏の子どもとして足利家時が生まれた。
  足利家時は足利家の当主となった。
  以後、上杉氏は姻戚関係を通じて足利家で権勢を得るようになった。
  足利頼氏が公家で朝廷とのつながりがあった上杉氏を重要視した
  結果といわれる。
※足利氏は代々北条氏から室を迎えるのが通例であったが・・。

6)頼重から憲房へ
●上杉頼重の子ども
 長男:上杉憲房
 次男:上杉頼成
 長女:上杉清子→足利家時の子:足利貞氏に嫁して
         足利尊氏や足利直義を産んでいる。
  (★足利系図)
   丹波の安国寺に尊氏の産湯伝説がある。
次女:加賀局・・・観修院二条道平の妻→子ども;上杉重能
3女:????・・高師直の妻
  ※高師直の正室:上杉頼重の娘
       継室:二条道平の妹
二条道平の妹は天皇の後宮に入る予定だったが、高師直
   に盗み取られて、高武蔵五郎師夏を産んだ。
3男:日静:題目宗の僧として京本圀寺や越後国三条本成寺(三条市)
 の住職となった。

7)足利家の所領管理と憲房
●足利家の所領陸奥〜九州まではほぼ3分割され、各奉行人が
 配置された。
 上杉三郎入道(頼重)は
『・三河国(愛知)・額田郷(奈良県郡山):綾部郷に隣接。
 ・八田郷(京都府綾部)丹波国何鹿郡・天田郡)
  (※後、上杉朝定が丹波国何鹿郡・天田郡の郡守護であったとする
   説がある。)・宇甘郷(岡山県備前長船の地)
 ・綾部郷』を管轄したグループの筆頭奉公人であった。

●結果・・・上杉頼重は高師直につぐ足利家奉公人bQとなった。




【第2部】 関東掌握への道
第一章 鎌倉幕府の滅亡と憲顕
1)幕府の滅亡
・元弘3年/正慶2年81333)5月22日
鎌倉幕府最後の執権・北条高時は鎌倉東勝寺にて一族ともども
自刃し、「いい国1192作ろう」鎌倉幕府が滅亡した。


2)憲顕の登場
●建武の新政
 関東では足利尊氏の弟:直義が後醍醐天皇皇子成良親王を報じて
 鎌倉に鎌倉将軍府を成立させた。
・元弘4年(1334)正月
成良親王の護衛として関東廂番(ひさしばん)が置かれた。
関東廂番は6番39名が任じられた。
 ※2番番衆の一人として上杉憲顕の名が見られる。
   (★『建武記』)史料上の初見。

3)南北朝内乱の始まり
・建武2年(1335) 足利尊氏が後醍醐天皇に叛いた。
●上杉憲房が吉良貞義に倒幕の意志をを伝えた。
  (★難太平記)
 上杉憲顕は足利直義の部隊に属した。

※高師直は将軍家の執事として絶大な権勢を振るった。
 高氏の一族で、侍所や恩賞方の要職を占めた。
 河内・和泉・伊賀・尾張・三河・越後・武蔵など数ヶ国の守護職を
 担った。

7月 中先代の乱
 足利尊氏は鎌倉に入り、建武の新政に抵抗を決断した。
上杉憲房を上野守護として、新田の本拠地に乗り込ませた。

4)憲房の討ち死に
・建武3年(1336)1月27日 京都の合戦
父:上杉憲房は足利尊氏を京都から西へ逃がすため、京都四条河原で
 南朝方の北畠顕家・新田義貞と戦って戦死した。
・延元3年/暦応元年(1338) 弟:上杉憲藤も摂津で北畠顕家と戦って
  戦死した。


5)憲顕の上野入部
●a上杉憲顕は父・上杉憲房の跡を継いだ。
 上野守守護職(しき)を継承した。
 ※山内上杉家初代となった。
 従兄弟:宅間上杉家:上杉重能や二橋上杉家:上杉朝定(後扇谷上杉
 家)、弟:犬懸上杉家:上杉憲藤などを祖とする上杉諸家が足利将軍
 家との姻戚関係を背景として、権勢をふるった。

●b1『足利直義(ただよし)書状』(★上杉文書)
5月19日・・・御下向之後、国中(上野国)静■目出候、
・・・。
 b2『足利尊氏御教書』(★高師直→上杉民部大輔(憲顕)へ
11月12日・・・八幡庄巳下事、所被遣事書也、

6)奥州勢との戦い
●北陸の新田義貞・陸奥の北畠顕家が呼応した。
●建武4年(1337) 『富根河の合戦』で敗北。
 霊山城(福島県)から北畠顕家軍を利根川の右岸(深谷市)
 で迎え撃った。
足利方・・・上杉憲顕・細川和氏・高重茂ら8万騎?
  VS
北畠顕家
 利根川の水が増水・・1日1夜待って合戦。
北畠軍の斉藤実盛(木曾義仲を木曾まで送っていった)の子孫
 :長井兄弟が「渡せば、勝利。」と言って、渡河。溺れて死んだ。
 北畠軍は次々に渡河。足利方が敗れる。
  (★太平記)

7)憲顕の在京活動
・延元2年/建武4年(1337)
  斯波家長の死後、上杉憲顕は高重茂・高師冬は足利義詮
  (義あきら)を支えた。
・延元3年/暦応元年(1338)
足利尊氏の命により、戦死した斯波家長の後任として鎌倉府:足利義詮
 の執事に任じられた。
 ところが、突如、高師冬への交替を命じられて上洛した。

・延元3年/建武5年(1338) 和泉堺浦の戦い
  高師直は北畠顕家を討ち取った。


8)義詮の下で
興国元年/暦応3年(1340)  上杉憲顕は2年後に復帰したものの、
  高師冬と2人制を取ることになった。


第二章 越後・上野の支配
1)越後への入国
●興国2年/暦応4年(1341)
 ・上杉憲顕は越後国侍大将になった。
 ・上杉憲顕は越後守護となった。

2)越後国支配の実態
・上杉憲顕は越後には守護代:長尾景忠が入国された。
 長尾景忠は越後の平定に尽力した。

3)越後国内所領の形成
4)上杉氏の上野支配
5)八幡荘と守護所
6)上野国衙領
7)他国所領の形成
8)長尾氏の被官化
9)越後長尾氏と関東長尾氏


第三章 観応の擾乱と憲顕
1)初期足利政権の構造
  @足利尊氏+高師直&高一族の多く
  ・侍所・恩賞方・足利氏家政全般
  A足利直義+上杉憲顕&上杉一族
  ・評定衆・安堵方・引き付け(裁判)・禅律方(寺社管理)

〜〜〜※峰岸純夫先生の足利幕府の組織説〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
足利尊氏は軍事指揮権と侍大将・守護・恩賞権を握り武士の棟梁と
して君臨した。
足利直義に政務を任せた。侍所・恩賞方・政所・安堵方・など
足利直義の発給文書は92件にも及ぶとあった。
(★峰岸純夫先生)
これは足利尊氏と足利直義との両頭政治で二元的な構造である。
しかし、二元化した権力は徐々に幕府内部の対立を呼び起こして
いった。
足利直義派 VS 反直義派:高師直ら。
観応の擾乱と呼ばれる内部抗争に発展した。
足利尊氏は当初、中立的立場を取っていた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

2)尊氏と直義の対立
●正平2年/貞和3年(1347)頃〜 高師直の勢力が強まった。
 ※足利直義派と対立
●正平3年/貞和4年(1348) 四條畷の戦い
高師直は楠木正行・正時兄弟らを討ちとった。
  さらには吉野山へ攻め入って吉野行宮を焼き払い、南朝方を
  賀名生(奈良県五條市)へ撤退させるなど軍事面で活躍した。


3)白旗一揆と足利幕府

4)足利基氏の関東下向
・正平4年/貞和5年(1349)
●閏6月  足利直義と高師直に不和
●8月  高師直が足利直義襲撃を企画。
     足利直義は足利尊氏邸に逃げ込んだ。
     足利直義が引退。
  上杉重能(憲顕の兄)・畠山直宗・畠山妙吉らが配流→殺害。
●11月    
 足利義詮が鎌倉から京都に呼ばれた。
 足利直義は出家して引退・隠棲した。
 足利義詮に代わって足利基氏が鎌倉公方となって京都から鎌倉に
 下向した。
〜〜〜峰岸純夫説〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・貞和5年/正平4年(1349)
8月13日 足利直義が高師直を襲撃。
   高師直が察知しての反撃。」
   足利直義は女装して足利尊氏邸に逃げ込んだ。
   高師直の兵が尊氏邸包囲し、・・・直義の引退を求めた。
首謀者:上杉重能・畠山直宗などの引き渡しも求めた。
8月15日 
   結果・・・足利直義は出家し政務を退くこととなった。

9月5日 高師直は、足利尊氏の嫡男:義詮を政務を担当させるため
   鎌倉から呼び戻した。
   足利尊氏は次男:足利基氏を鎌倉公方とした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

5)基氏と憲顕
●足利基氏の鎌倉下向によって足利義詮の上洛が進められた。
 (★久保田説)
10月3日足利義詮は鎌倉を出発した。
10月22日足利義詮は入京した。

一方、足利直義は南朝に


 上杉憲顕は高師冬と共に足利基氏を補佐していた。
 足利直義方の上杉重能が高師直の配下に暗殺されてしまった。
 足利直義方の上杉憲顕は高師冬と拮抗するところとなった。
 上杉憲顕は子の能憲と共に足利尊氏に敵対した。
鎌倉の対立
@足利尊氏派・高師冬
 A足利直義派・上杉憲顕



・観応元年(1350) 高師冬は足利基氏を伴って鎌倉を出た。
   部下に裏切られ、死んだ。
 鎌倉は上杉憲顕が押さえた。
 一方、足利直義は南朝に下り、兄:足利尊氏・高師直に
 対立した。

※4つ巴の対立(★久保田説)
@足利尊氏・足利義詮・高師直&高一族の多く
A足利直義+上杉憲顕&上杉一族
B足利直冬(足利直義養子)&九州軍団
C南朝・・・新田一族
 

6)擾乱の展開
・正平6年/観応2年(1351)
 上杉憲顕は鎌倉を出て上野に入り、常陸で挙兵した上杉能憲と呼応
 して鎌倉を脅かした。高師冬を鎌倉から追い落として、足利基氏を
 奪取した。
 次いで甲斐に落ちた高師冬を諏訪氏に攻めさせ自害に追い込んだ。
 さらに足利直義を鎌倉に招こうとした。
 しかし、上杉憲顕は足利尊氏の怒りを買って上野・越後守護職を
 剥奪された。


7)打出浜(兵庫県)決戦
足利尊氏は九州で兵を挙げた足利直義の養子:足利直冬を討つため、
高師直らを伴って出陣した。
 その頃、京都を脱出した足利直義は敵方の南朝に下り、足利尊氏
追討の詔勅を受け、足利尊氏のいる京都へ進撃した。
1月 足利直義派は京都に攻め込み、留守を預かる足利義詮を破った。
 足利尊氏は備後から兵を帰し、直義勢と戦いとなった。
 丹波,播磨と潰走した足利尊氏は、足利直義勢を難なく打ち破れる
と考えていたが、高師直に反感を持つ多くの武将が足利直義に従って
いたため苦戦に陥った。足利尊氏は播磨に兵を引き、高師泰らの軍勢
と合流し再起を図った。
 その間、足利尊氏勢の中から足利直義勢に寝返る武将が現れ始めた。
2月17日
 足利尊氏軍 VS 足利直義軍 
 参加人物
@足利尊氏勢・・・足利尊氏、足利義詮、高師直、高師泰、高師夏、高師世、
        仁木頼章、赤松範資
A足利直義勢・・・足利直義、細川顕氏、石塔頼房、桃井直常、畠山国清、
        上杉能憲
 摂津国打出浜(兵庫県芦屋市)で決戦した。
 御影浜から打出浜にかけて壮烈な戦いであった。
 あわや、足利尊氏が自害を覚悟させる場面もあったほど壮絶であった
 という。
 尊氏軍は数の上では優位であるが、戦意に勝る足利直義軍の前に
 戦意喪失し敵前逃亡をする者もいて、敗北した。

 足利尊氏は高師直・高師泰兄弟の出家を条件に足利直義と和儀が
 成立した。最後は高師直,師泰兄弟を引渡し、兄弟和睦した。
 足利尊氏は政権を維持することができた。
 高師直,師泰兄弟は剃髪の上帰順した。
 しかし、 2月26日(3月24日)摂津の武庫川(兵庫県伊丹市)
 で高師直兄弟は摂津から京都への護送中に、高師直に殺害された
 父:上杉重能の養子:上杉能憲が怒り狂って待ち受けていた。
 上杉能憲は高一族を殺害(謀殺)した。
(★太平記)
上杉憲顕が派遣した上杉能憲・憲将らが参陣した。(★久保田説)
謀殺された人←謀殺した人
高師直←三浦八郎左衞門
高師泰←吉江小四郎
高師景←小此木新左衞門(伊勢崎:新田系氏族)
高師幸←井野弥四郎(高崎?)
高師世←長尾彦四郎(景守?相模・群馬総社?)
高宗久←小田左衞門五郎
山口入道←小林又四郎(藤岡)
彦部七郎←小林掃部助(藤岡)
梶原孫六←佐々宇左衞門・阿佐美三郎左衞門(秩父)
山口新左衞門←高山又五郎(藤岡:世界遺産高山社創設者先祖)
鹿目平治左衞門←長尾三郎左衞門(相模・群馬総社?)
高師夏←西左衞門四郎が生け捕る。
★群馬県人が多くいた。(久保田先生)
 
●結果・・足利直義派は高兄弟の排除に成功し、主導権を奪回した。
 尊氏派・直義派は一旦は和睦したものの対立は収まらなかった。
 両者は再び戦いを始めることになる。
 滅亡寸前にまで追い込まれていた南朝だったが、足利直義の
 南朝側への味方をきっかけに復活の兆しが見えてきた。
 以後も北朝方武将の降伏が続き、南北朝の動乱がさらに長引いた。
★しかし、足利尊氏は高一族を守れなかったことから
 足利直義にもっと敵意を抱くようになったと考えられる。



【第3部】 没落から、再び栄光の座へ
第一章 薩堆山合戦と憲顕の失脚
1)直義の鎌倉下向
●正平6年/観応2年(1351)
 10月
  足利尊氏は南朝に降り、足利直義に対抗し、京都を攻めた。
  足利直義は桃井直常・斯波高経・山名時氏をはじめとする武将
  を伴って京都を脱出し、北陸・信濃を経て鎌倉へ至った。

2)薩堆山の決戦
●正平6年/観応2年(1351)
11月 
 足利尊氏は後村上天皇から足利直義・足利直冬追討令を得た
 上で、足利義詮を京都に残し、仁木頼章・仁木義長・畠山国清らを
 伴って3000の兵力で東海道を東進した。
11月30日、足利尊氏は由比の薩多山に自陣した。
 これに対して鎌倉に逃れていた足利直義は10000の兵を率いて三島の
 伊豆国府に本陣を置いて敵対した。
 足利直義は、上杉憲顕・石塔義房・石塔頼房らの軍勢とともに西進
 した。
 両軍は、東海道の難所である駿河国薩埵峠で合戦となった。
12月 薩堆山の決戦
 駿河国薩埵峠(静岡県静岡市清水区)において、足利尊氏の軍勢と
  足利直義の軍勢との間で合戦が行われた。
足利尊氏は宇都宮氏綱などの関東諸氏と合流するつもりで
 あった。宇都宮氏綱は宇都宮から奧胎道を上野に向かった。
 足利直義軍は山麓を包囲して合流を警戒した。
 足利尊氏軍は山上から応戦した。

3)那波合戦(上野国伊勢崎那波)
11月30日 
 足利直義は桃井直常に命じて宇都宮を討たせるべく10000の兵を
 上野に派遣した。
12月15日 
 宇都宮氏綱+大島義政(太田:大島先生先祖)
  VS
桃井直常・長尾孫六・長尾平三・上州一揆
 宇都宮氏綱には3000の兵で巧みに戦った。
 桃井直常が敗北した。

 その後、宇都宮氏綱は軍勢を数万に増やした。
11月 27日 宇都宮氏綱は箱根竹ノ下に到着した。
 足利直義軍は兵が潰走した。

・正平7年/文和元年(1352)
 1月2日、相模国の早河尻で決戦。
  足利直義が敗北。
1月5日 足利直義は降服、足利尊氏は鎌倉に入った。

この後、足利直義は大蔵浄妙寺の延福寺に幽閉された。
 (★説有り)


4)直義の死
・正平7年/文和元年(1352) 2月26日 足利直義が死去・急死した。
 ※高師直の1周忌・・・尊氏による毒殺説がある。
●結果・・観応の擾乱は終結
 国内の諸将は上杉憲顕から離反し、上杉憲顕は信濃に追放された。
 上杉憲顕は剃髪して道昌と号した。

5)武蔵野合戦と憲顕
・観応3年(1352)閏2月20日 南朝の京都占領。
  北畠昭能・楠木正儀(まさのり)が南朝の光厳天皇らを
  拉致した。
閏2月25日 武蔵野合戦
  新田義興・義宗・脇屋義治らの挙兵
  

6)榛名神社と憲顕

第二章 雌伏の時代
1)薩堆山体制の成立
●鎌倉公方・・・足利基氏(★入間川御陣)
●関東管領・・・畠山国清(武蔵・伊豆の守護)

2)憲顕の抵抗
3)新田義興の謀殺
4)国清の没落
5)越後国守護への復帰
●正平13年/延文3年(1358)4月30日、足利尊氏が死去。
 高直冬との合戦で受けた矢傷による背中の腫れ物がもとで、
 京都二条万里小路第(現京都市下京区)で死去した。享年54。
 5月2日 足利尊氏の葬儀が真如寺 (京都市) で行われた。
 5月6日 中陰法要は、等持院において行われた。
 ※墓所は京都の等持院と鎌倉の長寿寺。

第三章 再び関東管領に
1)鎌倉への復帰
説@・・足利尊氏が没し、2代将軍となった足利義詮及び鎌倉公方
 となった基氏兄弟は、幼少時に執事として補佐した上杉憲顕を密
 かに越後守護に再任した。
(★ウィキペディア)
説A足利尊氏・足利直義・高一族亡き後の混乱を修正するのは
 長老であった上杉憲顕しかいなかったので、足利義あきら・
 足利基氏が頼んだ。(久保田説)

2)岩殿山合戦
3)関東管領の再任
・正平17年/貞治2年(1362) 関東管領:畠山国清を罷免した。
 領国の伊豆に籠った畠山国清を討伐した。

・貞治3年(1363) 上杉憲顕を畠山国清の後釜として鎌倉に召還
 しようとした。
 上野・越後守護代の芳賀禅可(宇都宮氏綱の重臣)は鎌倉に上る
 上杉憲顕を上野で迎え撃とうとした。
 武蔵苦林野の戦い
  足利基氏の軍勢に敗退。
 これに口実を得た足利基氏軍は討伐軍を宇都宮城に差し向けた。
 途中の小山で小山義政の仲介で宇都宮氏綱の弁明を入れて討伐は
 中止された。
  足利尊氏亡き後の幕府・鎌倉府によって代々の東国武家の畠山国清
 及び宇都宮氏綱が務めていた関東管領職および越後&上野守護職は
 公式に剥奪された。
 上杉憲顕が関東管領職および越後&上野守護職となり、上杉氏は
 代々その職に就くこととなった(※関東の政変)。


4)基氏政権期の鎌倉府
5)越後・上野支配の実態
6)平一揆の乱
・正平22年/貞治6年(1367) 足利基氏が死去。
・正平23年/応安元年(1368) 武蔵平一揆の乱
  上杉憲顕が上洛した。
  河越直重ら蜂起した。
  上杉憲顕は武蔵平一揆の乱に対しては政治工作で対抗した。
  関東管領を継いだ甥(娘婿)上杉朝房が幼少の足利氏満を擁して
  河越に出陣し鎮圧するのを助けた。
 結果・・こ武蔵など鎌倉公方の直轄領をも、上杉氏が代々守護職
 を世襲することとなった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  
箕輪初心▲静岡小川町『箱根竹ノ下の戦い』
(足利尊氏VS新田義貞)
http://53922401.at.webry.info/201412/article_3.html

箕輪初心▲畠山国清@【伊豆修善寺城】南北朝時代の築城
http://53922401.at.webry.info/201503/article_4.html

箕輪初心★畠山国清A【伊豆金山城=大仁城説】
http://53922401.at.webry.info/201503/article_5.html

箕輪初心▲畠山国清B【伊豆:国清寺】→畠山義深の生涯
http://53922401.at.webry.info/201503/article_6.html
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

7)憲顕の死
 引き続き新田義宗や脇屋義治などの南朝勢力の鎮圧に後陣で当たったが、
老齢のために9月19日、足利の陣中にて死去した。
★法号は国清寺桂山道昌。
 ※墓所は伊豆の国市奈古屋の国清寺。
画像

画像

 関東管領:朝房と能憲が就任し、足利氏満の補佐を務めた。
 
第四章 憲顕の妻子とその後の山内上杉氏
1)憲顕が崇敬した寺社
2)憲顕の妻子たち

●上杉憲顕の子ども
 長男:上杉憲顕
 次男:憲藤
 長女:????→高師泰正室
 3男:上杉重行
 4男:上杉重能
 5男:上杉重兼

★つまり、
足利尊氏&足利直義の従兄弟4親等は上杉憲顕・高師直・
 5親等は山名時氏となる。


3)その後の山内上杉家
上杉能憲は宅間上杉家に入った。
 上杉憲方は山内上杉家を相続した。
 上杉憲英は深谷上杉家を名乗った。
 上杉憲栄は越後上杉家の祖となった。

◆参考文献

●上杉憲顕関係年表
●あとがき

中世武士選書13 『上杉憲顕』久保田順一著
販売価格(税込): 2,592 円
四六判/並製/222ページ



〜〜〜足利初代〜8代:足利尊氏〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心◆【足利初代〜8代足利尊氏】&栃木:足利氏館3回目
http://53922401.at.webry.info/201312/article_6.html

箕輪初心★足利8代目:足利尊氏=室町幕府を開幕
http://53922401.at.webry.info/201312/article_7.html
★峰岸純夫先生の本をまとめた。

箕輪初心★埼玉【足利基氏館】&『足利基氏&上杉4代:憲顕』
http://53922401.at.webry.info/201405/article_24.html

箕輪初心◆埼玉入間『入間川御陣=徳林寺』&足利基氏の生涯
http://53922401.at.webry.info/201407/article_8.html

+++新田義貞  VS 足利尊氏+++++++++++++
箕輪初心●新田義貞@「誕生〜楠木攻め」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_40.html

◆◆ 箕輪初心★新田義貞2「新田〜鎌倉進軍」  ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201102/article_41.html

箕輪初心●新田義貞B「2度の鎌倉攻撃」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_42.html

箕輪初心★新田義貞「生品神社挙兵〜鎌倉進軍コース」
http://53922401.at.webry.info/201303/article_18.html

◆◆ 箕輪初心★新田義貞4「足利尊氏との対立」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201102/article_43.html

◆◆ 箕輪初心★新田義貞5「福井:金ヶ崎城」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201104/article_21.html

◆◆ 箕輪初心★新田義貞6「福井:そま山城」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201104/article_30.html

◆◆ 箕輪初心★新田義貞7「福井:新田義貞の最後」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201102/article_44.html

◆◆ 箕輪初心★新田一族「千利休」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_27.html

箕輪初心★新田岩松の歴史&男爵:新田俊純
http://53922401.at.webry.info/201311/article_9.html

箕輪初心★新田義貞の弟:脇屋義助&子孫の動向
http://53922401.at.webry.info/201303/article_22.html


*******関東管領:上杉家関係***************************

箕輪初心★山内上杉16代@「初代〜7代」=足利尊氏の母方系
http://53922401.at.webry.info/201405/article_23.html


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心○埼玉【深谷城】&『深谷上杉氏の歴史』
http://53922401.at.webry.info/201406/article_4.html

箕輪初心●埼玉深谷【人見氏館】=猪俣人見氏→庁鼻和上杉氏
http://53922401.at.webry.info/201406/article_5.html

箕輪初心★埼玉深谷【庁鼻和城】&4代上杉憲顕の子:
庁鼻和上杉憲英〜
http://53922401.at.webry.info/201405/article_25.html

箕輪初心○埼玉【深谷城】&『深谷上杉氏の歴史』
http://53922401.at.webry.info/201406/article_4.html

箕輪初心●埼玉深谷【東方城】=深谷城の支城
http://53922401.at.webry.info/201406/article_6.html

箕輪初心▲埼玉深谷【皿沼城&曲田城】:岡谷氏の居城
http://53922401.at.webry.info/201409/article_16.html


〜〜〜8代・9代・10代上杉〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★上杉家A『8代:憲実〜9代:憲忠〜10代:房顕』
http://53922401.at.webry.info/201405/article_26.html


*********11代上杉顕定の関係****************************
箕輪初心○埼玉本庄【五十子(いかっこ)の陣&五十子の戦い】
http://53922401.at.webry.info/201405/article_27.html

箕輪初心●埼玉本庄【雉ヶ岡城】=上杉顕定の城→北条氏の城
http://53922401.at.webry.info/201405/article_32.html

箕輪初心★太田道灌の生涯:長尾景春のライバル
http://53922401.at.webry.info/201312/article_1.html

箕輪初心★長尾景春:関東下克上で従兄弟:太田道灌と交戦
http://53922401.at.webry.info/201311/article_31.html

箕輪初心★【連歌師:飯尾宗祇】&関東管領:上杉&長尾
http://53922401.at.webry.info/201404/article_24.html

箕輪初心★『宗長の生涯』:世捨て人の彷徨
http://53922401.at.webry.info/201404/article_25.html

箕輪初心▲神奈川「権現山城&青木城」:多米一族&神奈川宿
http://53922401.at.webry.info/201411/article_15.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201411/article_15.html
  ★上杉顕定 VS 北条早雲

箕輪初心★本間家の歴史;佐渡本間一族→酒田本間家
 日本一の地主へ
http://53922401.at.webry.info/201307/article_20.html
★長尾為景の協力者:佐渡本間家が上杉顕定を倒した。

箕輪初心◆2013群県博:新潟県「上杉氏」関興寺・瀧澤寺・
雲洞庵・坂戸城・管領塚
http://53922401.at.webry.info/201310/article_21.html
★上杉顕定の管領塚=戦死した場所


〜〜〜8代上杉憲実〜16代上杉謙信〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

箕輪初心●群馬【平井城前編】:関東管領8代上杉憲実〜
16代上杉謙信
http://53922401.at.webry.info/201405/article_29.html
http://53922401.at.webry.info/201405/article_30.html

〜〜〜上杉家15代:上杉憲政〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

箕輪初心●群馬【平井城後編】関東管領:【15代:上杉憲政 】
http://53922401.at.webry.info/201405/article_31.html

箕輪初心●群馬「平井城」=関東管領:上杉憲政の城
http://53922401.at.webry.info/201107/article_7.html

箕輪初心●群馬藤岡編:平井城の城郭群=「金井城」など
http://53922401.at.webry.info/201107/article_8.html
★額金山城は平井城の詰め城である

箕輪初心:生方▲【水上:建明寺】&上杉憲政は水上での
逃亡生活7年間?
http://53922401.at.webry.info/201505/article_11.html

箕輪初心●山形【米沢城】&上杉家墓所・林泉寺・照陽寺
http://53922401.at.webry.info/201307/article_5.html
★上杉憲政公の墓は米沢の照陽寺にある。

箕輪初心:生方▲群馬【平井金山城】後編&猪之田温泉
http://53922401.at.webry.info/201505/article_18.html


〜〜〜上杉謙信の関係〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★新潟県上越市の思い出:春日山城&水族館&祭り  
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newsedit.do

◆◆ 箕輪初心●新潟『春日山城』前編「春日山神社〜二の丸」
http://53922401.at.webry.info/201305/article_31.html

箕輪初心●新潟『春日山城』後編「天守台〜井戸〜本丸〜兼続屋敷」
http://53922401.at.webry.info/201305/article_32.html

◆◆ 箕輪初心●新潟:『高田城』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201305/article_28.html

◆◆ 箕輪初心◆新潟上越の思い出『春日山城&水族館&祭』 ◆
http://53922401.at.webry.info/201305/article_28.html

◆◆ 箕輪初心◆新潟『林泉寺』=和尚様と話した。 ◆
http://53922401.at.webry.info/201305/article_30.html

箕輪初心▲埼玉北本『石戸城』岩付城太田資正の支城
http://53922401.at.webry.info/201408/article_18.html

箕輪初心▲埼玉騎西『騎西城』=上杉謙信の虐殺の城
http://53922401.at.webry.info/201408/article_22.html

箕輪初心▲埼玉【羽生城】:上杉謙信の忠臣:木戸忠朝
http://53922401.at.webry.info/201408/article_24.html



★明日は山名時氏→山名宗全の関係かな?

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
今日は総社 元景寺さんでお話させていただいた「お散歩趣味」です。
箕輪初心様のブログはちょこちょこ閲覧していたものの、〈リアル・ご本人〉にお目にかかれるとはラッキーでした。

またの機会、楽しみにしています。

箕郷は箕輪城・法峰寺さんあたりを定点観測、カメラ持って時折出没しています。

まずは今日ご縁を得たことの、ご挨拶まで。

   夢寅 拝
夢寅
2015/11/08 22:21
昨日はありがとうございました。
秋元公のブログを掲載しました。
「お散歩趣味」の自然観察の写真は綺麗ですね。
モネのような印象派の写真みたいです。
夢寅様
2015/11/10 11:33

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箕輪初心:生方▲20151107久保田順一先生講演会『上杉憲顕と南北朝の動乱』 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
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