城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行

アクセスカウンタ

zoom RSS 箕輪初心:生方▲2015東京『始皇帝と大兵馬俑』&中国の歴史

<<   作成日時 : 2015/11/28 07:25   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

★平成27年(2015)11月18日、国立博物館で『特別展:始
皇帝と大兵馬俑』を見た。昭和62年(1987)10月9日〜12月
9日の群馬県立歴史博物館での『中国陝西省文物展』で兵馬俑
を見ている。今回、本物の兵馬俑をみるのは2回目となる。友
達の孝ちゃん・中ちゃん達は中国に始皇帝陵&兵馬俑を見に行
ったので、今度は中国に「始皇帝陵と大兵馬俑」に見に行きた
いものだ。私は中国は北京と四川省しか行ったことがないのだ。
画像




箕輪初心◆78中国『峨眉山・楽山・九寨溝・黄龍・都江堰』
総集編
http://53922401.at.webry.info/201209/article_11.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201209/article_11.html

◆◆ 箕輪初心☆中国@『四川省のパンダ』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201209/article_13.html

◆◆ 箕輪初心☆中国A世界遺産『峨眉山』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201209/article_14.html

◆◆ 箕輪初心☆中国B世界遺産『楽山大仏』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201209/article_15.html

◆◆ 箕輪初心☆中国C世界遺産『九寨溝前編』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201209/article_16.html

◆◆ 箕輪初心☆中国D世界遺産『九寨溝本編』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201209/article_17.html

◆箕輪初心☆中国E劇:「蔵(チベット)謎」&【世界遺産】『黄龍』
http://53922401.at.webry.info/201209/article_18.html

◆◆ 箕輪初心☆中国F世界遺産『都江堰』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201209/article_19.html

箕輪初心☆中国G成都『諸葛亮孔明の武侯祠』&『川劇鑑賞』
http://53922401.at.webry.info/201209/article_20.html




【0】中国陝西省文物展: 悠久の遺産 at 群馬県立歴史博物館
◆訪問日?・・・昭和62年(1987)10月9日〜12月9日
黄河や渭水に沿った陝西省はシルクロードの起点として長安
(現西安市)を中心に古代文化の発達した著名な地域である。
陝西省の旧石器時代から宋代までの95点が展示された。
特に兵馬俑や唐三彩等が素晴らしかった。
★でも、唐三彩の馬を買わなかったので、後悔している。
画像

画像



【1】国立博物館での『特別展:始皇帝と大兵馬俑』
◆訪問日・・・平成27年(2015)11月18日
甥の結婚式を名目に、美術館&グルメの旅にてかけた。
上野で、
●東京都美術館:マルモッタン・モネ美術館展を見よう。
画像

60分待ち・・・★何ですと。
「1時間半待ちから60分になりました。・・・」
11月18日(水)はシルバーデー・・・65歳以上の方は無料なので、
大混雑したのだ・・・。

●寛永寺方面に向かった。
 
●国立博物館での『特別展:始皇帝と大兵馬俑』
画像

特別展「始皇帝と大兵馬俑」 平成館 特別展示室
★平成27年(2015)10月27日〜平成28年2016年2月21日
画像

しかたなく、入ることにした。
・入場料・・・1600円?
※礼服・革靴など荷物がたくさんある。
しかし、ロッカーがない。★重たいよう。
画像

画像


《1》 秦王朝の軌跡周辺の小国から巨大帝国へ

・BC11〜8C 西周王朝が都を置いた特別な場所であった。
 秦はもともと現中国甘粛(かんしゅく)省南部にあった小国
 であった。
 春秋時代 秦は陝西(せんせい)省の関中盆地に東遷した。
 肥沃な大地は、秦を経済的・政治的な強国とする基盤となった。
 秦は有能な人材を積極的に登用し「富国強兵」を推し進めた。
 やがて、秦は魏や楚といった強国と肩を並べる程の勢力に成長した。
 また、秦の西方と北方に暮らしていた「西戎(せいじゅう)」・
 「匈奴(きょうど)」とも積極的に交流し、金・銀などの富や強力
 な馬を得ていた。
 
1)秦公鐘・・春秋時代 春秋時代BC250〜BC200
6 個の鐘のセット「編鐘」のうち、2 番目に大きな鐘である。
 1番大きな鐘と2 番目に大きな鐘鐘の表面に秦の君主の作った銘文が
 連続して鋳こまれている。
 秦歴代君主の功績を讃え、鐘で先祖の加護と秦の領土拡大を祈ってい
 る。秦の出土文字資料として貴重なものである。

2)玉胸飾り・・・西周時代BC1000〜BC900 
 西周王朝で王侯が高い身分の象徴として身につけたものである。
 孤形や動物形に彫った玉と、瑪瑙の管や珠などを綴った胸飾りで
 ある。緑がかった玉の光沢と瑪瑙の鮮やかな赤とのコントラストが
 目を引く。
 春秋時代の秦は、西周の青銅器や玉器にあこがれた。


3)玉剣・金剣鞘・・・春秋時代DC800〜BC700
玉を磨いて作った短剣と金製の鞘。
 短剣は刃部と柄の境界に獣面文が彫られ、鞘は龍のような文様が
 透彫りで飾られている。秦に隣接した国のものであるが、秦は
 周辺国とのつながりを物語る貴重な作品である。


《2》 始皇帝の実像 発掘された帝都と陵園
 中国で初めて「皇帝」になった秦の始皇帝は、国によって異なっ
ていた度量衡(どりょうこう)、貨幣などを統一し、新たな支配体制
を確立した。
4)取水口・L字形水道管・水道管 戦国〜秦時代BC300~200 
組み合わせ式の陶製の水道管。大きな漏斗状のものとL字形が
連結し、さらに円筒状の管を横方向に連続させて地下に水を流した。


5)両詔権 秦時代BC220頃〜
始皇帝は、天下統一の後、重量単位を統一するため、重量の規準と
なる重り(権)を多数作らせた。両詔権は青銅製で、始皇帝による
度量衡統一の詔勅と後継ぎの二世皇帝による詔勅に関する銘文が刻
まれている。2つで1セットなので両詔権と呼ばれている。



6)車馬出行図壁画残片 戦国〜秦時代BC300~200 
咸陽3号宮殿は、東西123m、南北60mの宮殿である。壁面の残片
のひとつが車馬出行図壁画残片である。黒い菱形の枠内を白く塗り、
中央に2頭立ての馬車を描いている。


《3》始皇帝が夢見た「永遠の世界」 兵馬俑と銅車馬
秦の始皇帝は中国史初の皇帝であった。強大な力を利用し大きな
陵墓を建てた。秦始皇帝陵である。
 兵馬俑坑は、秦始皇帝陵を取り巻くように配置されている。
規模は2万平方m余にも及ぶ。3つの俑坑には
 @戦車が100余台
 A陶馬が600体、
 B武士俑は約8000体
    成人男性の等身大で全て東を向いている。

 兵馬俑の発見は秦時代のの衣服や武器・馬具等の様相や軍の
 構成、始皇帝の思想などを知る上で貴重なものである。
 兵馬俑坑は、現在発掘調査がなされ公開されている場所所だけ
 でなく、未発掘箇所もあるという。
  発掘と同時に兵馬俑の表面に塗られた色彩が消える可能性が
 あることなどの理由から発掘調査がされていない。

 また、始皇帝の遺体安置場所近くでの調査で水銀の蒸発が確認
 され、「水銀の川や海が作られた」ことだ真実である可能性が
 高くなった。不老長寿の薬として、水銀を用い、始皇帝は死を
 早めた。と隣の学者風のおじさんが話していた。

 2代皇帝:胡亥が兵馬俑人形を作り埋葬したという説もある。


7)銅車馬:展示は複製品] 1号銅車馬、2号銅車馬 
 始皇帝の愛車がモデル!?と解説があった。
2両の銅車馬は始皇帝が実際に乗ったと考えられる馬車である。
2両とも始皇帝陵の西側の坑から出土した。 
2種類の4頭立て馬車をかたどった青銅製の精巧な模型で、青銅で
 細部まで再現した模型である。
 大きさは実際の馬車の半分ほどである。
 表面全体に彩色を施し、馬には金・銀製の豪華な金具を着いている。
1号の銅車馬は立って乗る馬車で、輿には絹傘を立ててある。
2号の銅車馬は輿の座る馬車で、両側と前方の窓は開閉できる。

展示品がほかに、馬に使う杏葉や口の咬ませ・連結部分の金具など
出土品のも展示されている。

●兵馬俑・・・
兵馬俑は軍団の人物大の陶器である。そのため、将軍、歩兵、
騎兵など、軍団を構成するさまざまな役割の将兵が表現されている。

9)将軍俑 秦時代BC220年頃?〜
湾曲した冠と丈の長い、房飾り付きの鎧を身につけている。
組んだ両手の下の穴はには剣を立てていたとあった。

10)歩兵俑 秦時代BC220頃?〜
髷を高々と結い上げ、立派な髭をたくわえている。右前合わせの
上着を革帯で留めている。丈の短いズボンと脚絆を着用している。
右手に弩弓を持っていたものと推測されている。おもちゃの
赤い弓も展示されている。

12)立射俑  秦時代BC220年頃?〜
弓に矢をつがえて待機している兵士の姿を表している。
鎧ではなく、上着を身にまとい革帯で留めている。
動きやすい軽装備の射手である。

13)軍吏俑  秦時代・BC220年頃?〜
 重装備の鎧をまとい、頭に板状の冠を載せている。
 髭をたくわえた部隊長級の人物でと推測されている。

15)跪射俑 秦時代BC220年頃?〜 
片膝を立てて、攻撃命令を待っている。
画像

展示会場は数千もの兵馬俑が出土した発掘現場「兵馬俑坑」を再現
している。

●最後に写真撮影の可能なコーナーが設けられている
画像

画像

画像

画像



何故、始皇帝は兵馬俑や銅車馬を陵墓の周囲に埋めさせたので
 しょうか。
 その背景には、死後も皇帝として永遠に世界の支配を夢見ていた
 始皇帝の野望が垣間見えます。
と説明があった。


●1階の脇にこんなのがあった。
画像

画像

画像

画像





◆◆ 中国王朝・政権の変遷 ◆◆
@BC5000年頃〜4000年頃 先史時代
  長江文明
  黄河文明
  遼河文明
ABC4000年頃〜2000年頃 神話時代・・・三皇五帝

BBC2070年頃〜1600年頃 夏王朝

CBC1600年頃〜BC12年頃・1100年頃 殷王朝

DBC12・11頃〜BC25.6年 殷を倒し、周(西周)建国 
  周王朝。克殷の年代については諸説ある。
 ※BC11〜8C 西周王朝が都を陝西省に置いたた。
周王朝には、封建制が用いた。周王は一族に爵位を与えて地方の
 君主とし、貢納や従軍の義務を負わせた。
 北方からの異民族の攻撃にも対抗しうる軍事力を持った
 周王朝は、4代目:昭王、5代目:穆王の時に絶頂期を迎えた。
  7代目:懿王の頃からは徐々に統制が緩んでいった。

・ BC771年 周の都の鎬京(こうけい)に犬戎(けんじゅう)異民族
が乱入し都を奪った。
  都を奪われた周は洛邑に都を移した。(周の東遷)
  境にして西周・東周という言い方をしている。
 その後、周(東周)は力を落とし、実力を持った諸侯の中から
 周王の後の座狙う者が多く出てきた。

EBC770年〜BC403年 春秋時代
 周は小国へとなってしまったことから争いが始まった。
 春秋の五覇と呼ばれる有力な諸侯が現れた。
 斉:桓公(かんこう)
 晋:文公(ぶんこう)
 楚:荘王(そうおう)
 呉:夫差(ふさ)
 越:勾践(こうせん)
 などが覇権を争った。

※春秋時代の終わり、戦国時代の始まりとする。
・BC 453年 晋が韓・魏・趙に分割された時点説
  晋が韓・趙・魏に分裂し、戦国時代突入したとする説である。
晋から、韓(かん)、魏(ぎ)、趙(ちょう)
という3つの国が生まれた。
 春秋時代には、周王室に伝統的な権威が残っていた。
・BC403年  韓・魏・趙が諸侯に列した時点説
  
FBC403年 〜BC221年 戦国時代
 下克上の時代へと変わっていった。
戦国時代7つの国を戦国の七雄と言った。
 超有名で映画や漫画などで題材となっている。
 燕(えん)、斉(せい)、秦(しん)、楚(そ)、趙(ちょう)、
 魏(ぎ)、韓(かん)の7ヶ国である。
乱世の中、青銅器文明かた鉄製の農具や牛耕の技術の発展により
 食料の増産が進み、農業や貿易も活発化し貨幣経済も浸透してい
 った。
 燕や斉では刀貨といわれる貨幣が使われた。
 韓、魏、趙では布銭(ふせん)といわれる農具の形をした貨幣が
 使われた。、
 楚でも蟻鼻銭(ぎびせん)という貨幣が使われるようになった。

 また、諸子百家と呼ばれる学者や学派、思想家が登場した。
諸子は、孔子や荘子、孟子、荀子、墨子などの人物を指す。
百家は、儒家、道家、墨家、法家などの学派を指しす。
儒家・・・孔子「論語」・孟子「性善説」・荀子「性悪説」
墨家・・・墨子
道家・・・老子・荘子
法家・・・商鞅・韓非・李斯
兵家・・・孫武「孫子兵法」
陰陽家・・鄒衍
名家・・・公武竜
農家・・・許行
縦横家・・蘇秦・張儀  

・BC 260年 長平の戦い
 
※BC221年 秦が中華を統一するまでを春秋戦国時代と呼んでいる。

◆◆ 嬴(えい)政→始皇帝(BC259年〜BC210年) ◆◆
・BC259年 嬴(えい)政が生まれた。
・BC246年 戦国時代に始皇帝が即位し、秦の王となった。〜BC221年

GBC221年〜BC207年 秦王朝
・BC221年
  秦王:政=始皇帝が6国を滅ぼし、中華の統一を果たした。
●1)首都遷都
    首都は咸陽であった。

●2)絶対王権制の確立
王号だけでは物足りないと考えた。そこで、中国統一を成し遂げ
 た後に「始皇帝」と名乗った。これまで誰も使ったことのない
 「皇帝」という称号をつくって、自分を絶対化しようとした。 
(★中国史上初の中国統一を成し遂げた。最初の皇帝となった。)
 秦王朝を樹立した。
 また、これまで一般的な第一人称であった「朕」という言葉を、
 皇帝以外は用いてはならないことにした。
 ★昭和天皇も使ってたなあ。「朕思うに・・・」

●3)始皇帝の文字の統一製作「同文同軌」
  戦国時代の諸国はそれぞれに形の違った文字を使っていた。
 始皇帝は秦の「小篆」という形に統一した。

●4)交通規則の制定・確立
 戦国時代のの道路は轍が深くくいこんでレール状に窪み、そこに
車輪を入れて走った。外敵の戦車の侵攻を防ぐために、各諸国は幅
を違えていた。始皇帝は天下が統一すると、全国同じサイズにした。
秦の戦車で全国どこへでも行くことができるようしたのである。
そのため、全国から人が徴用された。
 ★多くの人民の犠牲の上に成り立った大プロジェクト
  であった。



●5)始皇帝の経済政策&政治政策
  重臣:李斯とともに経済活動や政治改革を実行した。
  @中央集権国家への切り替え
秦の官制は丞相(首相)・太尉(軍事)・御史大夫(監察・副首相)
 の三公を頂点とする三公九卿制を置いた。
  丞相(首相):李斯が郡県制を提案し、全国に36の郡が
 置かれた。
 従来の配下の一族等に領地を与えて世襲されていく封建制から、
 中央が派遣する官僚:太守(長官)・丞(副長官)・尉(軍事担当)
 ・監(監察官)が治める郡県制を敢行した。
 
●6)度量衡の統一
   国家単位での貨幣や計量単位の統一した。
   税収入の一元化・・・
 
・BC220頃〜
●7)万里の長城の建設を実行。
塞外の「匈奴」に備えるために、万里の長城を築き、
   壮大な阿房宮を造営した。
多くの人民の犠牲の上に成り立った大プロジェクト
    であった。

●8)秦始皇帝陵の建設&兵馬俑の製造・設置。
  2代皇帝:胡亥が兵馬俑人形を作り埋葬したという説もある。
多くの人民の犠牲の上に成り立った大プロジェクト
  であった。


・BC213年
●9)封建制→法による統治・裁判
   法整備を行い、法による統治をした。
 
●10)思想統制・・・焚書坑儒を実行した。
博士:淳于越は郡県制に反対し、封建制を主張した。
   家臣の李斯が儒者達が秦政府を批判していると弾圧に
   ついての建議した。
  始皇帝は挟書律を出して、医学・占い・農業以外の書物の所有を
  禁じた法律を制定した。
  人民の持っていた書経・詩経・諸子百家の書物は郡の守尉に
  提出させ、焼き払うことが命じた。(焚書)。
李斯は、秦の歴史家以外の歴史書は全て燃やすべきであると
  主張し、各諸派によって書かれた書物は官僚に処分をするよう
  命令が出された。
  ※四書・・・「論語」「大学」「中庸」「孟子」
  ※五経・・・「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」
  ※諸子・・・孔子・老子・荘子・墨子・孟子・荀子
 ※百家・・・陰陽家・儒家・墨家・法家・名家・道家・縦横家
       ・雑家・農家・小説家・兵家(孫子など)
   儒教の経典である六経のうちの『楽経』は失われた。

・BC212年 始皇帝が独裁者で刑罰を濫発していると儒者達が
  非難して逃亡した。
  始皇帝は咸陽の方士や儒者460人余りを生き埋めにし虐殺した。
  (坑儒)
悪名高い「焚書坑儒」も、始皇帝にすれば、乱世の再来を防ぐた
 めの措置だったのだ。秦時代の「儒」は、後世の御用儒学と違っ
 て、批判、抗議の精神を強烈に持っていたのである。

 
・BC210年 始皇帝が死去した。49歳 
      2世皇帝:胡亥が後を継いだ。
通貨の鋳造・改鋳が行われた。

・BC209年 陳勝・呉広の乱
 2世皇帝:胡亥が儒者:叔孫通に諮問した。

・BC207年 秦王朝が滅亡した。


●『三国志』のきっかけ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
秦王朝は万里の長城や陵墓造営にあたって、全国から人夫を徴用
した。
「某月某日までに必ず到着せよ、遅れになら死刑である。」とい
う厳罰主義の法律があった。
 始皇帝の死後、異常気象で雨が多く、道路が水に流されて、徴
用人夫集団は、期日通りに指定地に到着できないことになった。
遅刻して殺されるなら、反乱をおこしたほうがましであると考え
て、至るところで造反軍が蜂起した。数ある造反軍団の中から、
項羽と劉邦が頭角をあらわし、まず項羽が秦を倒した。
 その後、項羽と劉邦の争いは、劉邦の勝利に帰した。
項羽は楚の将軍という名門出身で、他人を容れる度量がなかった。
戦勝はすべて自分の力によると考えたのである。
劉邦は卑賎の出身で、将軍の韓信、参謀の張良、補給の蕭何といっ
た優れた人材を使い、勝利は彼らのおかげであるという考えを示し
た。
 そのため、次々と劉邦の陣営に投じる者が増え、やがて、項羽の
部下である楚の人たちも帰順した。
 (★中国陝西省文物展: 悠久の遺産より編集)
 



HBC206年〜AD8年 →漢王朝(前漢)
・BC206年 楚漢戦争
楚の項羽は「四面楚歌」の状態で、敗北を喫した。
 漢の劉邦は楚の項羽との楚漢戦争に勝ったのだった。
  劉邦:高祖が漢を建国を開始した。

・BC202年  垓下の戦い
 劉邦が項籍を破り、漢(前漢)を建国した。
・BC 154年 呉楚七国の乱
・BC141年 武帝が即位した。
・BC80年 霍光が専制開始を開始した。


IAD 8年〜23年 新
    外戚の王莽が皇帝から帝位を簒奪後、新を建国した。
・AD18年 赤眉の乱(27年まで)
・AD23年 昆陽の戦い。
王莽が敗死し新が滅亡した。

KAD25年〜AD220年 後漢(東漢)
   前漢の景帝の子孫の劉秀:光武帝が新の後、
   動乱を勝ち抜き、漢を再興した。
・AD25年 劉秀(光武帝)が即位した。後漢の成立した。
・AD36年 光武帝が天下を統一した。
・AD78年 『白虎通義』が編纂された。(白虎観会議)
・AD91年 班超が西域都護に任じられた。
・AD105年 蔡倫が紙を和帝に献上した。・・・★大発明であった。
・AD141年 梁冀、大将軍に就任した。
・AD166年 第一次党錮の禁
・AD169年 第二次党錮の禁

三国時代の始まりとする説
・AD184年 黄巾の乱。
   漢は皇族や官吏が政治を顧みなかったために統治能力が
  低下していた。
 漢への不満を爆発させた国民は宗教「太平道」の主導のもと、
 張角が「黄巾の乱」を起こした。
漢王朝は黄巾の乱はなんとか鎮圧した。
 しかし、漢王朝の権威は失墜→
  地方豪族による群雄割拠が始まる。
その後、紆余曲折あって魏・呉・蜀という3つの国が建国され、
 覇権を賭けて三つ巴の戦いを繰り広げた。

・AD189年 十常侍・董卓が相次いで乱を起こした。
・AD200年  官渡の戦い。
       曹操が袁紹を破る。
・AD208年  赤壁の戦い。劉備・孫権が曹操を破る。
・AD220年 曹操死去。
★「三国時代」の始まり
 実は曹操が死んで曹丕が禅譲を受けてからが正式な三国時代
 の始まりである、
曹丕が献帝から禅譲され魏を建てた。首都は洛陽。
  魏は存在していたが、漢帝国内の一王国である。

LAD220年〜AD280年三国時代:魏・呉・蜀(蜀漢・漢)
  魏の曹操の子:曹丕:文帝が献帝から禅譲を受け即位した
・AD221年 劉備玄徳が漢の皇帝:昭烈帝を名乗り、蜀(蜀漢)
      を建てた。
      夷陵の戦い
・AD222年 孫権が呉を建てた。
        孫権:大帝も即位した。

実質的な三国時代に入った。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・AD263年 蜀が魏により滅亡された。

諸葛亮孔明(しょかつ りょうこうめい)
 忠武侯は蜀漢の建国者である劉備を助け、劉備の子:劉禅の
 丞相(首相)として活躍した。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心☆中国G成都『諸葛亮孔明の武侯祠』&『川劇鑑賞』
http://53922401.at.webry.info/201209/article_20.html

★中国を統一したのは魏・呉・蜀のいずれでもなく、「晋」
  だった。・・諸行無常の響き有り〜〜〜〜。

MAD265年〜AD420年 晋
▲西晋(AD265年 〜AD316年)晋王:司馬炎:武帝が魏の元帝より
   禅譲を受け即位し建国した。
・AD316年 異民族五胡の侵入により衰退。異民族の漢に滅ぼされた。
▲東晋(AD317年 〜AD420年)
・AD316年 晋の皇族で一人生き残った琅邪王:司馬睿は江南に
  逃れ、建康で即位し、元帝となった。

NAD304年〜439年 五胡十六国時代

OAD439年〜AD589年 南北朝時代
北魏、東魏、西魏、北斉、北周、宋、斉、梁、陳

PAD581年〜AD618年 隋

QAD618年〜 AD907年 唐
  武周

RAD907年〜 五代十国時代
 ( 唐王朝が滅亡〜宋の第2代:太宗によって中国統一まで)
 ※「五代」華北(中原を中心とする国)に興亡した5王朝
後梁、後唐、後晋、後漢、後周 
 ※十国(中華東西南北に拠る勢力)
  節度使らが独立し10の国を建国した。
 呉、南唐・閩・呉越・荊南・楚・南漢・前蜀・後蜀・北漢
  が興亡した
 

SAD960年〜AD1127年 宋 (北宋)


21:AD1127年〜1279年 宋(南宋)+遼・西夏・金

22 :AD1271年〜AD1368年 元

23:AD1368年〜AD 1644年 明 南明

24:AD1616年〜 AD1912年 清
  AD1616年AD1636年・・・後金
   +大平天国、満州国

25:AD1912年〜AD 1949年 中華民国

26:AD1949年〜 現在 中華人民共和国


★明日は「プラド美術館展」かな?

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
箕輪初心:生方▲2015東京『始皇帝と大兵馬俑』&中国の歴史 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる