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zoom RSS 箕輪初心:生方▲箕輪城174・井伊直政18『箕輪城→高崎城」復刻版

<<   作成日時 : 2015/10/09 12:49   >>

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戦国時代、西上州の城の中心は箕輪城であった。天正18年(1590)
8月上旬に箕輪城に入城した。慶長2年(1597)おそらくは4月か5月、
※徳川家康は、豊臣秀吉が死ぬを察知すると、軍事上、街道の整備
を井伊直政に命じ、北関東の守備を固めようとした。箕輪城には8年
いた。高崎城の築城を開始した。慶長3年(1598)10月高崎城が完
成した。「井伊直政」は本拠を箕輪城→高崎城に移した。
しかし、
井伊直政は慶長3年(1598)8月16日 豊臣秀吉が死直後〜慶長
5年(1600)2月までの1年6ヶ月は高崎にはいなかった。
川出主水
良則が高崎城留守居役を務めた。・慶長5年(1600)10月、佐和山
城に移るまで2年間で高崎の町の発展の基礎と造った。

画像

 (★龍譚寺の木造:遠藤全裕お嬢様より許可済み)


*****井伊直政シリーズ*******************************
◆◆ 箕輪初心●箕輪城「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201010/article_40.html

http://53922401.at.webry.info/201011/article_25.html

◆◆ 箕輪初心●井の国千年物語前編 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_3.html

◆◆ 箕輪初心●井の国後編:「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_4.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の箕輪城時代の家臣団 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_15.html

◆◆ 箕輪初心●静岡:井伊直政の井伊谷城 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_5.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の造った町:高崎&彦根 ◆◆
高崎高校 VS 近江高校
http://53922401.at.webry.info/201203/article_28.html

◆◆ 箕輪初心●中村達夫氏の「井伊軍志」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_14.html

◆◆ 箕輪初心●小和田哲夫氏の「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_13.html


箕輪初心●群馬の城「和田城→高崎城」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201012/article_16.html
  (★高崎城の畝堀:発掘調査)

箕輪初心★箕輪城140【秋本太郎先生の箕輪城→高崎城+城下町】
http://53922401.at.webry.info/201410/article_9.html

箕輪初心▲箕輪城153【長野氏の箕輪の寺社→井伊直政の
高崎移転の寺社】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_15.html

箕輪初心★箕輪城103川野辺寛「高崎誌」&井伊直政
http://53922401.at.webry.info/201310/article_8.html

箕輪初心★西田美英【高崎素奈子】&川野辺寛【高崎志】
http://53922401.at.webry.info/201410/article_14.html

箕輪初心:生方▲【長野堰を語り継ぐ会の絵図展】&【高崎城の桜】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_5.html

箕輪初心:生方「箕輪城159&【中嶋宏氏主催の長野堰を語りつぐ会
の絵図展】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_4.html

***************************************************
井伊直政シリーズは17回書いている。
18回目は井伊直政の【2015高崎】の流れでの復刻版の記載である。
11月からは井伊谷の歴史・井伊直政・井伊直虎・松下嘉平・松下
景清・徳川家康などは、住んだ城・戦った場所などを紹介しながら、
井伊直政シリーズ詳細編を10回程度紹介したいと思っている。


 
■井伊氏は先祖代々、井伊谷の国人領主。

・永禄3年(1560) 桶狭間の戦い  
    祖父:井伊直盛は今川義元側。戦死。

・永禄4年(1561)2月19日
   今川氏の家臣:井伊直親の長男:17代井伊虎松(直政)が
   生まれた。
  遠江国井伊谷説(静岡県浜松市北区引佐町井伊谷)。
   祝田説。

・永禄5年(1562)
  今川家家老:小野但馬守の「徳川方に内通した」と讒言
 井伊直親は申し開きに駿府に向かう途中、今川氏真の命で、
  掛川城主:朝比奈泰朝の軍に攻められ、19人が討死。抹殺。
  
 →井伊直政は2歳であったため、直親の従兄妹:祐圓尼が井伊直虎と
   名乗り、直政の代理として井伊氏の当主になった。

画像
 
 ★井伊直虎も11〜12月頃予定


   →直政の生母は今川氏の家臣:松下清景と再婚。
   ★箕輪城来ているので、もう一度書こう。
  

   →井伊氏の家督相続権が井伊直虎に移った。
  
 →井伊氏は井伊谷の所領を失い、井伊直政も今川氏に命を
  狙われた。
井伊氏重臣:新野左馬助親矩に保護され、養母:井伊直虎に
  育てられた。

・永禄7年(1564))曳馬城攻め
   井伊氏重臣:新野左馬助と中野越後守がで討死。
   井伊虎松は龍潭寺2世:南渓瑞聞(叔父?)により、
   鳳来寺に移住。


・永禄8年(1564) 次郎法師=井伊虎松は南渓和尚に徳政免除の黒印状
   を与える。

・永禄11年(1568) 11月 
   井伊谷3人衆(近藤康用・鈴木重時・菅沼忠久)は
    徳川家康の遠州侵攻の道案内を承諾。
    
   徳川家康を宇利(新城市中宇利)〜陣座峠(奥山の狩宿)に案内。
   井伊谷3人衆は井伊谷城を横領した小野但馬守を攻撃。
    →徳川の大軍は井伊谷を通過。

・永禄12年(1569) 徳川家康は「小野但馬守の讒言」を事実無根として、
     小野但馬守と息子2人を井伊谷蟹淵ではりつけ獄門に処した。

・元亀3年(1572)武田信玄の侵攻 
  三方が原の合戦
   武田家臣:山県昌景が山吉田城を攻撃。
  井伊谷3人衆は開城。→3人衆は浜松城へ移動。

・天正元年(1573 ) 武田軍が井伊谷に侵攻
   ・・神社・仏閣・民家の焼き払った。

・天正2年(1574年)高天神城の戦い@
    5月 武田勝頼は、25000人の大軍を率いて、
    遠州東部における徳川方の高天神城に攻攻撃。
    城将の小笠原長忠は徳川家康に救援を求めた。
    徳川家康軍の総兵力は10000程度に過ぎず、武田軍を
     相手にはできない。
    徳川家康は織田信長に救援を要請する。
    織田信長は救援要請に応じて30000の軍勢を率いて
     京都を出立。
    高天神城は、武田軍による猛攻
   小笠原長忠が降伏。高天神城は武田軍の支配下。

・天正3年(1575) 長篠の戦い
  武田軍は織田・徳川連合軍の前に大敗。
  二俣城・犬居城などにおいて徳川方の反攻開始。

・天正3年(1575)
  ●井伊直政(15歳)は浜松で徳川家康に出仕。
     井伊万千代の名で、旧知行地の井伊谷を賜った。
    
 
 ■徳川家康&井伊直政の怪しい関係
 ※伝説・・鷹狩りに出かけた徳川家康は少年のあまりの美しさに
  本気で惚れ込んでしまった。この少年こそが、虎松だった。
   徳川家康は「
   直政が自分と内通していた疑いで殺害された井伊直親の実子
   である。」
   ことを知り、直政を自分の小姓として取り立てた。
   衆道相手として深く寵愛した。
  ★衆道は武士の嗜みで一般的であったらしい。

徳川家康&井伊直政の怪しくない関係
@井伊直政の祖父の姉妹は今川義元の側室
  →義元義弟の関口親水の妻
 生まれた子は徳川家康の正室:築山殿である。
 長男:徳川信康と井伊直政は血縁関係。
A井伊直政の正室は、徳川家康の養女:花である。
B井伊直政の長女:政子は徳川家康の4男:忠吉の正室である。
(高崎市文化協会:西原巌氏)


・天正9年(1581) 高天神城の戦いA 
  徳川家康は5000人の軍勢を率いて、高天神城を攻撃。
  兵糧攻め。
          
  武田勝頼は甲斐から援軍を送ることができず、城将は今川旧臣:
  岡部元信の城兵全員が討って出て、玉砕したと言われている。
 
 ●井伊直政は、高天神城の攻略の戦功
  家康の寝所に忍び込んで来た武田軍の忍者の討ち取った。(伝)


・天正10年(1582) 22歳で元服。直政と名乗る。
  3月 新府城→天目山で武田勝頼が自害・・・武田氏が滅亡。
    
     
 ●井伊谷4万石に加増。
   
 ●徳川家康の養女で松平康親の娘である花(後の唐梅院)と結婚。
 
 ●旗本先手役に任ぜられて、本多忠勝や榊原康政の同僚となる。
→徳川四天王

6月2日 本能寺の変・・・家康の伊賀越えに従い、堺から帰還。
   本能寺の変後、甲州平定において、北条との交渉
  
※天正壬午の変
若神子城:北条氏直
 VS
新府城:徳川家康
  
●甲州:若神子城・獅子吼城の戦い
   北条氏の大導寺政繁と戦う。
   

井伊直政は北条氏との交渉で徳川方の使者として政治的手腕を
   発揮。
 →井伊直政が正使・木俣守勝がの副使になった。
  木俣守勝は井伊直政をよく補佐し、北条家との交渉をうまく
  進めた。
 この後、井伊直政付きになり、筆頭家老となった。


   徳川家康が武田氏の旧領:信濃国・甲斐国を支配。
    →武田家の旧臣達を多数与力に抜擢。            
 
 ●井伊直政は武田氏の旧臣達約120人と
  家康の旗本の一部が配属された。
  新編高崎市史では山県昌景の家臣75名が家臣になった。
  
   
 兜や鎧など使用する全ての装備品を赤色で統一。
  →「井伊の赤備え」と呼ばれる部隊の大将となった。
     理由・・・山県昌景の意志を尊重し、朱色の軍装を復活
   赤は目立ちやすく、自分の部下達がどこにいるか分かる。 
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 (★私のおもちゃの甲冑)

・天正12年(1584) 
  徳川家康は井伊谷3人衆(近藤康用・鈴木重時・菅沼忠久)
  に対し、井伊直政に仕えるよう命じた。

・天正13年(1585) 小牧・長久手の戦い・・・
井伊直政が初陣。
井伊直直政は短気で家臣に非常に厳しかったと言われている。
徳川・織田連合軍の約10倍近くの兵の羽柴軍の総大将である
 羽柴秀吉(=豊臣秀吉)や配下の武将達も「井伊の赤備え」には大変
 手こずったという。
井伊の赤備えは、「戦国屈指の精鋭部隊」「徳川家臣団最強の部隊」と
見なされ、本人は「井伊の赤鬼」と称され、諸大名に恐れられるよう
 になった。
自ら先陣に立って戦うことを好んだため、筆頭家老:木俣守勝がその役目を
  果たした。 
井伊直政は井伊谷6万石の大名になった。


・天正16年(1588) 井伊谷3人衆の近藤康用が井伊谷において没
 (72歳)

天正18年(1590) 豊臣秀吉の小田原城攻め
  7月5日 開城 




〜〜〜箕輪城時代〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 
※徳川家康が関東に入封。
★天正18年(1590)年の秋=旧暦の8月3日〜7日の間に
箕輪城に入封した。
(★井伊軍志:井伊達夫氏調べ)
画像

井伊直政は小田原城落城のきっかけを作った
  笹郭攻めでの功績。

徳川家康からは大量の与力(寄騎)が井伊直政に附
属された。


・酒井忠次・下総国臼井(碓井)城3万7000石。家次が入城。
・本多忠勝・・・下総国大多喜城10万石・館山城里見対策
・榊原康政・・・上野国館林城10万石・・・・
・井伊直政・・・上野国箕輪城12万石・・・上杉・真田対策
 

8月中旬〜井伊直政は上野国箕輪(群馬県)の12万石下準備を
 始めた。

@旧後北条氏の一揆対策
「井伊直政の箕輪城入封に際して、旧後北条軍の一揆
・反抗が起こった。弾圧のため、
石原主膳(旧武田家家臣山県昌景鉄砲衆→後北条家鉄砲奉行
 →井伊直政の旗奉行:後家老)
&宇津木蔵人(旧北条家家臣:上野国玉村金山城代→家老)を派遣
 した。
 井伊直政はこの二人なら、一揆の首謀者や領民とも馴染み
があるので、鎮撫しやすいと考えたのである。
 果たして、領民のほとんどが宇津木蔵人の呼びかけに帰順
し、呼応した。一揆に参集しなかったので、力が保てず、
まもなく平定された。」(★井伊家家譜=中村氏)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★箕輪城99【井伊直政家臣:石原主膳】
http://53922401.at.webry.info/201301/article_20.html
★甲斐:石原家について、3〜4ヶ月後、詳細を掲載予定。


A河田康親の探索
「徳川家康から河田康親を探せ」という命令が出た。
河田康親は上杉謙信のに属していて、河田伯耆守と称した。
途中で、後北条氏に従い、上野国利根郡で3000貫を知行
していた武功の者だ。(家康が)調査したところ、戦死者の
名前に「河田泰親」に名前がない。おそらく上州に潜伏し
ているであろう。・・・生きていれば、召し抱えよ。」
※徳川家康は、勇士豪傑のほか、関東の名門のなれの果て
を探させ、傘下に収めようとした。
 井伊直政の探索の結果、小田原の役の松井田城の戦い
(★当時の松井田城城主は大導寺政繁である)で瀕死の
床にあった。家康は「戸板で運べ」と命令した。
・・・河田泰親は江戸まで運ばれた。
河田は「武士冥利につきる。」と言って、大往生した。
徳川家康は子の河田政親を井伊直政に預けた。


B附属与力衆の問題解決
※井伊直政は、抗戦野戦、行政管理に長けていたが、
配下に対する細やかな配慮に欠けていた。
与力衆を自分の配下のように酷使した。反発すると
すぐに刀を抜いた。

 与力衆は、江戸に帰りたがった。
井伊直政は徳川家康に訴えた。
 「与力衆の中に、殿の元に帰りたがっている者が
  多くいます。帰ってしまうと、私は軍役をこなせま
  せん。どうか、お聞き届け下さいませぬように・・。」
(★年譜=中村達夫氏)
井伊直政は、一同を箕輪城に集め、
 「・・・我が器量に不服のあるのもは、江戸に帰って
  よろしい。・・。」と言った。
  
 与力衆は「・・・兵部様以外の許にて・・
   宜しくお願いたてまつります。・・・」

ところが、近藤秀用(ひでもち)だけは
 「帰りたい。」といった。井伊谷三人衆なので、
 井伊直政も焦った。「思い留まるべし。」
★近藤秀用の屋敷は、高崎市箕郷町富岡の車郷小学校
の南200mの場所にあったらしい。
(★高橋氏調べ=元長野直業の屋敷跡地)
しかし、すぐに、現青森の九戸への出陣となり、
  近藤問題はたちぎれた。
★箕輪初心私見「長野業政の子孫捜しも実行したであろう。」


9月 井伊直政次男:井伊直孝が駿河中里で生まれた。





【3】箕輪城の修築工事&城下町の整備
※木俣守勝は、箕輪城内の「木俣」に居住した。  
※松下源太郎(井伊直政養父)は松下=稲荷曲輪に居住。
 →墓は鬼門「龍門寺」にある。
 @東側を空堀→水堀。東を武家屋敷
A大手門の丸戸張りという郭に鉄砲狭間付きの塀
   ・大手門(後の高碕城槻木門)設置。『上州高碕城大意』
   ・大手道・・・大手ことう門・・・三の丸
B城下町の建築。
 連雀町・本町・紺屋町・田町・四ッ谷などは町作りの
名残である。」
  東・・・武家屋敷
  南・・・4つ通にの商人・工人の民家
  1)白銀町・紺屋町
  2)本町・鍛冶町
  3)連雀町・田町・四ッ谷 
    秋本先生「宿は北条時代・町は徳川の呼び方」
  4)寺の分散配置・・・戦略上の城の出丸。



【4】井伊直政の「新旧附属与力衆の階級的安定と親和」

箕輪初心★箕輪城90【井伊直政の箕輪城時代の家臣団一覧】
http://53922401.at.webry.info/201212/article_15.html

※近藤秀用は箕輪城の南300mの富岡(車郷小学校南)に居
 を構えた。
 2年後、井伊直政を離れ、井伊谷金指で、1000石を賜った。

  ※木俣守勝は、箕輪城内の「木俣」に居住した。

★箕輪初心私見「箕輪城の改修工事や城下町の建築。
 連雀町・本町・紺屋町・田町・四ッ谷などは町作りの名残である。
※松下源太郎(井伊直政の養父)は松下=稲荷曲輪に居住。
  →墓は井伊直政の鬼門「龍門寺」にある。

※龍門寺を建立・・・白庵和尚 
井伊直政の開基の寺は「龍」がつく。
  浜松龍譚寺→箕輪龍門寺→高崎龍広寺→彦根龍譚寺

●井伊直政8年・・箕輪城は直政の居城跡説が有力。       
   {箕輪城の歴史・・・箕郷町教育委員会の冊子より}
徳川筆頭家老の最高石高12万石で入城・・・北関東支配の拠点?  

   
★私見・・・「特に真田・上杉対策ではないだろうか?」 
「井伊氏の時代に城の拡張工事(堀の深さ10m
 ・3の丸と本丸への橋・二の丸と大堀切・2006年発掘の門
 ・郭馬出・木俣・水曲輪・法峰口・新曲輪・水堀などをしたの
 では。
 
 
●城と城下町の整備・改築
  @東側を空堀→水堀。東を武家屋敷
  A大手門の丸戸張りという郭に鉄砲狭間付きの塀
   ・大手門(後の高碕城槻木門)設置。『上州高碕城大意』
   ・大手道・・・大手ことう門・・・三の丸
  B城下町の整備
   東・・・武家屋敷
   南・・・4つ通に商人・工人の民家
    1)白銀町・紺屋町
    2)・本町・鍛冶町
    3)連雀町・田町・四ッ谷 
    4)寺の分散配置・・・戦略上の城の出丸。
      龍門寺は城の鬼門に創建。
      井伊家の菩提寺。
★箕輪初心私見「井伊直政が徳川家康に随行して、大坂、
 伏見に滞在している間は、木俣守勝のライバル:川出良則
 が箕輪城・箕輪城下町の整備を取り仕切った。」


・ 天正19年(1591) 井伊直政が九戸一揆の蒲生氏郷と鎮圧に向かう。   

・文禄元年(1592) 井伊直政が江戸留守居役。
  江戸城普請。

・文禄5年(1596) 井伊直政が箕輪12万石の検地を実施。
*榛名町神戸(高浜北の新幹線出口の上)に検地。
*4月18日 「扶20万貫都合、あらたむべきこと。」
  (★高井家文書)
※秋本説・・箕輪人口推定2万人以上〜最高4万人規模
 「関東最大では?」
 「全部5000・・・馬1250騎+歩兵3750人」
 1250×4=5000人の家族+歩兵3750×4
  =15000人〜20000人
  +武具関係家族200〜500人   
   /商人家族は200〜300人
  +長野の生き残り+武田の生き残り+北条の生き残り
   ・・・100人以上?

・慶長3年(1598) 箕輪城廃城
 井伊直政は箕輪城の堀を半分程度、埋める。
 ★箕輪初心私見
「箕輪城が前田・真田等の元外様大名に使われないように。」 
 ★箕輪初心私見
「箕輪城の廃城理由」
@検地で12万石の土地として、地形的に石高が成立しがたい。
 南と東だけの田が少ない。扇状地に近い地形なのだ。
・東〜・・畑地はほとんど。(水の少ない地形)
・北東・・現相馬が原と呼ばれる場所で、榛名の4〜6Cの火山灰の扇状地。
・南・・・水が少ないため、長野氏は榛名白川から水を引いた。
・西・・・標高150m〜350mの地形で、米が生産量が上がらない。
・北・・・松の沢地区から北や現芝桜公園から北は榛名山麓。
    善地地区は水の豊富な標高250〜400mの土地。
    田は少ない。馬の生産地>
A城下町が狭い。
    人口増加に耐えられない広さの可能性。(東〜南の方面のみ。)
B江戸との交通の要地として不適。江戸に近い方がいい。
 →発展性に乏しい地形。
(高崎は後の街道の要所:中山道・三国街道・例幣使街道・姫街道近く
 ・利根川水運等)
  
C信州と越後の江戸の守りの重要地点だから、応援できる場所。
  
D政治・経済・文化の中心地の必要性。
*法峰寺を移転(箕輪小北に)許可
 

・慶長元年(1598)〜高崎城の築城
 北条流畝堀が残存。
 
(★高崎城本丸の畝堀発掘調査平成21年1月6日)


・慶長3年(1598)
 ●井伊直政は箕輪城から高崎城に移り、城下町を造った。
画像


●高崎城・高崎城下町に移した物
 ○「松ヶ崎」は松が枯れるので縁起が悪いと龍門寺の白庵和尚
  に言われ、高崎に改称。

@箕輪城大手門・・・→高崎城の槻木(つきのき)門
A11の寺+3寺・・石上寺(現在はない)・正法寺(現在妙福寺)
 ・慈上寺(長野業政時代の修験道の寺=スパイ)
 ・大雲寺・法華寺・慧徳寺・安国寺・大信寺(徳川忠長の墓)
 ・金剛寺・龍広寺・延養寺
B5の神社・・津波岐那神社(←椿山)・布留明神(←石上寺)
     ・八幡宮(←真応寺)・上諏訪神社・下諏訪神社
C家臣団(約5000の武士団の家族/工業系の職人/商家/民家)
D町名・・・・・・連雀町・田町・紺屋町・鍛治町
*箕郷東明屋・西明屋の町名は「空き屋」が転化した呼び名?


・慶長4年(1598)  箕輪城から石田三成の旧領近江佐和山
 (滋賀県彦根市)に18万石で入封。・・・山城だった。


・慶長5年(1600) 
9月15日 関が原の戦い
   ●井伊直政の兵力3600で家康本軍に随行。
  ●家康の四男・松平忠吉(直政の娘婿)   
 

 山内一豊など諸大名を東軍工作を実行。
本戦で家康の四男・松平忠吉(直政の娘婿)を補佐。
         西軍に一番槍の戦功。

井伊直政は休憩中に隣にいた松倉重政に
「我が隊の前を通っていく黒武者の一団は誰か?」
と問うた。
「さて、分かり申さず。」
と答えた。隣にいた早川に
「いかがか?」
と聞いた。
「敵にござる。」
と答えた。
この返答で井伊直政は島津を追いかけた。
・・・しかし、井伊直政は負傷した。
後で早川は松倉に叱られた。

10月まで 
 関ヶ原の戦いの戦後処理と江戸幕府の基礎固めに奔走。

===井伊直政の箕輪城〜高崎城時代はここまで======
 

10月10日 井伊直政は関が原の合戦の功
  
 ●井伊直政は近江佐和山18万石の大名となった。
    近藤季用は井伊谷3050石を賜った。
   松下常慶安綱は引佐郡の代官になった。 

・慶長6年(1601)
  江戸幕府は代官頭伊奈備前守忠次に井伊谷筋の寺社領を安堵。
        
 *彦根城の築城開始。
 徳川家康は木俣守勝に「・・・がんばれ?」

・ 慶長7年(1602) ●2月1日
  井伊直政が過労と島津義弘軍の追撃で受けた鉄砲傷の破傷風が
     元で死去。(43歳)
 
木俣守勝が徳川家康と相談した。

   →井伊直政の次男:幼少の井伊直継(直勝)が
   家督を継いだ。
  
・慶長8年(1603)  徳川家康、征夷大将軍となる
 飯田助右衛門が井伊谷筋の代官として井伊谷陣屋に勤めた。

・慶長8年(1603) 彦根山(金亀山)に彦根城の築城を開始した。
● 彦根城築城の関係者以下であった。
@縄張り  : 早川幸豊(山県昌景→井伊直政)
        :石原主膳(山県昌景→北条氏政→井伊直政)
        :横地吉晴
        :孕石泰時・  
A普請奉行: 富上喜太夫
        :伴加右衛門
        :加藤金左衛門
B作事奉行: 宇津木新九郎(由良国繁→北条氏政→井伊直政
        :横内弥左衛門
C大工棟梁: 浜野喜兵衛

D公儀御奉行3名、尾張藩や越前藩など7か国12大名(15大名?)
が手伝いを命じられる天下普請であった。
江戸幕府が大名に普請させたのは、京・大坂に備える必要あった
  といわれている。

・慶長9年(1604) 井伊直勝が近江:彦根城を築城。

・元和元年(1615)
 江戸幕府の命で、弟:掃部頭直孝に彦根藩主の座を譲った。
  @井伊直孝の代には彦根35万石の譜代大名へ。
  A井伊直勝は亡父の兵部少輔を世襲、
    安中藩3万石の藩主へ。
 

・慶長11年(1606) 天守完成し、井伊直継が入城した。

・元和8年(1622) 彦根城が完成した。
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箕輪初心●滋賀の城「箕輪城&彦根城の類似性」
http://53922401.at.webry.info/201101/article_10.html
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・慶長11年(1606) 天守完成し、井伊直継が入城した。

・元和2年(1616) 彦根藩のみで御殿が建造された。

・元和8年(1622) 彦根城が完成した。
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箕輪初心●滋賀の城「箕輪城&彦根城の類似性」
http://53922401.at.webry.info/201101/article_10.html
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B彦根城の築城(一城別郭構造・・・箕輪城と同じ)
 ★築城術は早川弥惣左衞門幸豊が東日本bPであろう。
「早川氏は甲斐武田氏へ仕ふ。武田氏歿落したる後、神君へ仕ふ。
早川幸豊は彦根城築城の奉行なり、のち無嗣断絶す。」

◆◆◆井伊直政を巡る旅◆◆◆
1)静岡県浜松市井伊谷(いいのや)・・・
井伊共保の井戸
  井伊谷城
  三岳城
  龍潭寺
A群馬県高崎市箕郷町
   箕輪城
   ・龍門寺
B群馬県高崎市
  高崎城
  ・龍広寺
C滋賀県彦根市
  佐和山城  
  彦根城    
  彦根城博物館
  玄宮園
  楽々園
  龍潭寺
  埋木舎・・・井伊直弼の育った場所

D東京都世田谷区豪徳寺
  菩提寺:豪徳寺 井伊氏世田谷領代官屋敷
  井伊直孝から歴代の墓・井伊直弼の墓

E佐野市

※参考文献等・・
・井伊直政・高崎文化協会西原巌氏論文
・「箕輪城の歴史」関係の本・・・約30冊
・彦根城博物館の発刊の本
・井伊軍志:井伊達夫著

◆参考サイト
・井伊谷歴史の会HP
・ウキペディアH




箕輪初心★高崎藩2代酒井家次→3代松平戸田康長→4代松平信吉
http://53922401.at.webry.info/201310/article_10.html

箕輪初心★高崎藩5〜7代安藤3人&徳川忠長
http://53922401.at.webry.info/201310/article_13.html

箕輪初心★高崎藩8代・10代松平輝貞&「右京の泣き堀」
http://53922401.at.webry.info/201310/article_14.html

箕輪初心★高崎藩9代:間部詮房(あきふさ)=正徳の治
http://53922401.at.webry.info/201310/article_15.html

箕輪初心★高崎藩主11代〜18代:松平家
http://53922401.at.webry.info/201310/article_16.html

箕輪初心★高崎藩最後の藩主19代:松平大河内輝聲(てるな)
http://53922401.at.webry.info/201310/article_17.html

箕輪初心★「高崎の文化人19+α」江戸時代編
http://53922401.at.webry.info/201310/article_19.html

箕輪初心■東京&群馬:小栗上野介C「権田村での隠遁生活」
http://53922401.at.webry.info/201107/article_1.html

箕輪初心◆水戸天狗党3−1『水戸〜下仁田戦争直前』
http://53922401.at.webry.info/201303/article_25.html

箕輪初心◆水戸天狗党3の2『下仁田戦争の詳細編』
http://53922401.at.webry.info/201303/article_26.html

箕輪初心★「高崎の文化人19+α」江戸時代編
http://53922401.at.webry.info/201310/article_19.html

箕輪初心◆高崎藩の中山道&三国街道・倉賀野宿&高崎宿
http://53922401.at.webry.info/201310/article_18.html

箕輪初心◆三国街道1:高崎〜金古〜渋川〜金井〜北牧
〜横堀〜中山峠
http://53922401.at.webry.info/201311/article_16.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201311/article_16.html

箕輪初心★高崎偉人伝「高崎五万石騒動」
http://53922401.at.webry.info/201310/article_22.html

箕輪初心★榛名「元禄内野秣場騒動」&「中野秣場騒動&真下紋弥」
http://53922401.at.webry.info/201310/article_23.html




〜〜〜旧高崎地区のメジャーな城〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
★新編高崎市史資料編3には、旧高崎地区の城が154城紹
介されている。私は高崎の城154城のうち、80城近くは
行っている。有名な城は和田城→高崎城である。

箕輪初心●高崎の城一覧表「154分の71」
http://53922401.at.webry.info/201012/article_15.html

箕輪初心●高崎の城一覧「154城」復刻版
http://53922401.at.webry.info/201410/article_16.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201410/article_16.html2014/10/14 06:53


箕輪初心★群馬『乗附城=寺尾上城詳細』&高崎観音
http://53922401.at.webry.info/201302/article_26.html

◆◆ 箕輪初心●群馬高崎:寺尾中城1回目 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201012/article_20.html

箕輪初心●群馬『寺尾中城2回目』=新田義重の城か?
http://53922401.at.webry.info/201302/article_27.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201302/article_27.html

箕輪初心●群馬の城「高崎の茶臼山城=寺尾城?」
http://53922401.at.webry.info/201012/article_19.html

箕輪初心★高崎:新田義重&茶臼山城
http://53922401.at.webry.info/201309/article_27.html

箕輪初心●群馬:高崎「根小屋城」=水堀のある山城
http://53922401.at.webry.info/201102/article_28.html

箕輪初心●群馬高崎「山名城(寺尾下城)&山上の碑」
http://53922401.at.webry.info/201012/article_21.html

箕輪初心●群馬高崎【大類城】&『大類氏の歴史』
http://53922401.at.webry.info/201410/article_15.html

箕輪初心●群馬の城「高崎:倉賀野城関係」
http://53922401.at.webry.info/201012/article_23.html

箕輪初心★高崎学「上野国:山名義範〜応仁の乱:山名宗全」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_26.html

〜〜〜2015高崎シリーズ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心:生方▲2015高崎『万葉集東歌:エロい伊香保9首』
http://53922401.at.webry.info/201509/article_9.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『万葉集上野国エロ東歌』
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newsedit.do

箕輪初心:生方▲群馬『豊城入彦命の子孫:上毛野氏の歴史』
http://53922401.at.webry.info/201509/article_11.html

箕輪初心:生方▲『車持神社』&車持与志古娘の子:藤原不比等伝説
http://53922401.at.webry.info/201509/article_12.html

箕輪初心★高崎偉人伝【山口薫】モダンアート洋画家
http://53922401.at.webry.info/201310/article_25.html

箕輪初心:生方★2015高崎【山口薫の生涯:復刻版】
http://53922401.at.webry.info/201509/article_13.html
★榛名・箕輪を愛した画家・・・・

箕輪初心▲『榛名』:榛名山&榛名湖&榛名信仰&榛名文学
http://53922401.at.webry.info/201410/article_27.html

箕輪初心:生方◆2015高崎▲榛名山のでき方&榛名の話:復刻版
http://53922401.at.webry.info/201509/article_14.html

箕輪初心:生方▲箕輪城168【秋本太郎先生講演会】20150912
『そうだ!箕輪城をもっと知ろう』
http://53922401.at.webry.info/201509/article_15.html

箕輪初心:生方▲箕輪城169秋本太郎先生講演会20150919
「発掘調査&出土品」
http://53922401.at.webry.info/201509/article_21.html

箕輪初心:生方▲2015高崎【箕郷町の古墳:車持の君の古墳?】
http://53922401.at.webry.info/201509/article_16.html

箕輪初心:生方▲群馬【榛名神社&榛名湖】ちょっと歴史散策
http://53922401.at.webry.info/201505/article_23.html

箕輪初心:生方▲2015第3回榛名湖ミュージックフェスティバル
http://53922401.at.webry.info/201508/article_11.html

箕輪初心:生方▲2015高崎【箕郷町のぶらり散策:復刻版】
http://53922401.at.webry.info/201509/article_17.html


箕輪初心:生方◆2015高崎【旧群馬町の歴史散策】
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newnewseditdisplay.do

箕輪初心:生方▲2015高崎【旧榛名町の歴史散策】
http://53922401.at.webry.info/201509/article_22.html

箕輪初心:生方▲2015高崎【旧吉井町の歴史散策】
http://53922401.at.webry.info/201509/article_23.html

箕輪初心:生方▲2015高崎【旧新町の歴史散策】
http://53922401.at.webry.info/201509/article_24.html

箕輪初心:生方▲2015高崎【旧倉渕村の歴史散策】
http://53922401.at.webry.info/201509/article_25.html

箕輪初心:生方▲2015高崎【旧高崎の歴史散策@古代〜平安時代】
http://53922401.at.webry.info/201509/article_26.html

箕輪初心:生方▲2015高崎【旧高崎の歴史B中世前期:新田氏
&鎌倉街道】
http://53922401.at.webry.info/201509/article_28.html

箕輪初心:生方▲2015高崎【旧高崎の歴史C和田一族の歴史復刻版】
http://53922401.at.webry.info/201509/article_29.html

箕輪初心:生方★2015年高崎「山名の歴史&木部一族」
http://53922401.at.webry.info/201509/article_30.html

箕輪初心:生方▲2015高崎【倉賀野の歴史&倉賀野一族】
http://53922401.at.webry.info/201510/article_1.html

箕輪初心:生方▲箕輪城170【黒田基樹説を加味した長野氏の系譜】
http://53922401.at.webry.info/201510/article_2.html

箕輪初心:生方◆2015高崎:箕輪城171『第14回きつねの嫁入り』写真集
http://53922401.at.webry.info/201510/article_5.html

箕輪初心:生方▲2015高崎【早瀬川の歴史&箕郷町上芝の共同水車】
http://53922401.at.webry.info/201510/article_6.html

箕輪初心:生方▲箕輪城172峰岸純夫説を加味した『武田信玄の西上州
侵攻&箕輪城落城』
http://53922401.at.webry.info/201510/article_7.html

箕輪初心:生方▲箕輪城173【後北条氏の西上州支配VS真田昌幸】
http://53922401.at.webry.info/201510/article_8.html





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箕輪初心:生方▲箕輪城174・井伊直政18『箕輪城→高崎城」復刻版 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
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