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zoom RSS 箕輪初心:生方▲深谷3偉人C『渋沢栄一の旧煉瓦製造施設@史料館・A変電所・Bホフマン6号窯』

<<   作成日時 : 2015/09/05 06:42   >>

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『群馬歴史散歩の会』で渋沢栄一・尾高惇忠・韮崎直次郎をめぐる
旅に参加した。鹿島神社→尾高惇忠生家→渋沢栄一記念館→渋沢
栄一生家:中の家+昼食、そして、『渋沢栄一の誠之堂』→『旧
煉瓦製造施設@史料館・A変電所・Bホフマン6号窯』→『深
谷駅』
であった。旧煉瓦製造施設渋沢栄一が明治20
年に申請し、21年に作った煉瓦会社である。東京駅の赤レン
ガや横浜の赤レンガが有名である。群馬でも碓氷峠の眼鏡橋
伊勢崎の火の見、桐生の織物工場に使われている。

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深谷市上敷免28-10





〜〜〜2015年の深谷シリーズ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心:生方▲『深谷の3偉人を訪ねて』@鹿島神社&尾高惇忠
http://53922401.at.webry.info/201509/article_2.html

箕輪初心:生方▲埼玉『渋沢栄一:記念館&中の家2回目』
http://53922401.at.webry.info/201509/article_3.html

箕輪初心:生方▲深谷3偉人B『渋沢栄一の住んだ誠之堂&
佐々木勇之助の青風亭』
http://53922401.at.webry.info/201509/article_4.html




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◆◆ 箕輪初心■富岡製糸場@「世界遺産登録への疑問点」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201209/article_24.html

箕輪初心★埼玉深谷【尾高惇忠】初代富岡製糸場長:
富岡製糸場6−F
http://53922401.at.webry.info/201409/article_15.html

箕輪初心★【渋沢栄一の生涯】:「日本資本主義の父」
http://53922401.at.webry.info/201409/article_14.html
★政府の役人として富岡製糸場を造ることを推進した。

◆◆ 箕輪初心★小栗上野介D「横須賀造船所」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201107/article_2.html
★設計技師バスチャンは横須賀造船所のヴェルニーの
 下で働いていた。

箕輪初心:生方▲世界遺産bP9「明治日本の産業革命遺産」の疑問
http://53922401.at.webry.info/201506/article_22.html
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◆平成27年(2015)8月29日(土)
●前橋〜深谷・・・
尾高惇忠生家に早く着きすぎてしまった。

【1】鹿島神社・・・2回目
※鹿島神社・・・深谷市下手計(しもてばか)1145
・鹿島神社の鳥居
・狛犬
・御神木の欅・・・屋根付き?
 洞の中に神水の湧く井戸があったそうだが、今は枯れている。
・案内板
・説明板

・拝殿
・渋沢栄一の揮毫になる「鹿島神社」の扁額

・神楽殿

・藍香尾高翁頌徳碑。

【2】尾高惇忠生家・・・2回目
尾高惇忠生家・・・深谷市下手計236
・母屋

・玄関
◆解説員の話
はじめに・・・自己紹介。ガイドを始めて2ヶ月・・
1)尾高惇忠はどんな人でしょうか?
『富岡製糸場の初代工場でした。渋沢栄一の10歳年上の従兄弟でした。』
2)生涯
@儒学・水戸学を教えていた。・・・尊皇攘夷
・弘化4年(1847)
尾高惇忠は、自宅で私塾:尾高塾を開いた。
   近郷の人々に学問を教えた。
   ※1847年〜1868年ごろまで
渋沢栄一の7歳の時〜
  従兄弟:従兄の尾高惇忠の許に通った。
   四書五経や『日本外史』を学んだ。
★水戸学が中心だったと家の説明に書いてあった。
 でも、ほかの資料では渋沢栄一が陽明学の「知行合一」
  の教えであった。と書いてあった。
  尾高惇忠は「知行合一」の文字を自ら書した軸を学舎に掲
 げ、尾高塾の基本方針とした。とあった。
「尾高惇忠は渋沢栄一のいとこであり、学問の師でもありました。」

A高崎城乗っ取り計画・横浜商工会議所焼き討ち計画
・文久3年(1863)
  渋沢栄一23歳・・・
 「尊王攘夷」思想の影響を受けた渋沢栄一郎や従兄弟
 渋沢喜作と共に倒幕を計画した。
 高崎城乗っ取りの計画を立てた
高崎城を乗っ取って武器を奪う計画を立てたのだ。
※写真を見せた。
 尾高惇忠&渋沢栄一・・・しかし、尾高惇忠の弟:長七郎に
 「そんな時代じゃない。・・・」
 と止められた。

※家の間取り図を見せてくださった。 
「この生家は、江戸時代後期に惇忠の曽祖父が建てたといわれ、惇忠や
栄一らが高崎城乗っ取り計画を謀議したと伝わる部屋が1階にあります。」


 渋沢栄一は家にいられなくなり、京都に行った。
新選組にも関わった。
その後、一橋慶喜の家臣になった。
 武士で算盤のできる渋沢栄一は一橋慶喜の弟:徳川昭武の会計係
 として、パリ万博に行くことになった。
 1年半で5ヶ国を見た。



B彰義隊→振武軍
・慶応4年(1868)
 渋沢成一郎や渋沢喜作・尾高惇忠は彰義隊を創設した。
★小栗上野介の説得にも渋沢栄一がかかわったらしい。
 しかし、小栗上野介は参加しなかった。

 彰義隊は頭取:渋沢成一郎と副頭取:天野八郎の意見衝突
 により2つに別れた。
 渋沢成一郎の「尽忠報国の実践(君家の辱を一洗)」
 天野八郎の「反逆薩賊の戮滅」
  目的の違いであった。
 渋沢成一郎は彰義隊を離れ、振武軍を結成した。
飯能戦争(戊辰戦争)
 西軍3500 VS 振武軍1,5〜1,600
結果・・・西軍の勝利。
 渋沢成一郎は被弾して負傷した。
 尾高惇忠に助けられ、伊香保(現群馬県渋川市)に逃れた。
 
 参謀:渋沢平九郎(尾高惇忠の実弟&渋沢栄一の養子)は
 敗走し、黒山村(現埼玉県入間郡越生町)で西軍に捕捉さ
 れ負傷した。渋沢平九郎は割腹して自害した。22歳。
※写真を見せた。


C「備前渠取入口事件」→民部省へ
・明治2年(1869)
  渋沢栄一29 歳はパリ万博・ヨーロッパから帰国し
  静岡で主人の一橋慶喜に会った。

・明治2年 「備前渠取入口事件」
 地元農民の先頭に立って民部省に提訴し、事件を解決へと
 導いた。これが縁で民部省に招かれ、官営富岡製糸場建設に
 計画当初から携わった。
「血洗島〜手計(てばか)村」は利根川が氾濫し、本庄の備前渠取
 入口が壊れた。・・・下流14ヶ村は取水口を深谷に持って来ようと
 画策した。しかし、取水口近くの本庄の村の代表達はそれでは、
 おら達の村が困ると対立した。そこで、調停に尾高惇忠が立つことに
 なった。・・・尾高は政府に文面を書き、備前堀の改修工事を依頼し、
 穏便に解決した。・・・これがきっかけで、民部省に招かれた。」

10月 渋沢栄一は大隈重信に大蔵省入りを説得された。
   大蔵省に入省する。
   明治政府に仕え、民部省租税正となった。
   民部省改正掛掛長を兼ねた。

・明治3年(1870 )
※渋沢栄一は官営富岡製糸場の設置主任となった。

 ※妻千代の兄:尾高惇忠は工事のまとめ役となった。
  民部省→大蔵省勧業掛の富岡製糸場掛となった。


D富岡製糸場の初代工場長
・苦労話
●韮塚直次郎
韮塚直次郎は久保田直次郎
「尾高惇忠の生家は築250年と言われてします。 
 藍玉の販売や油屋という屋号でランプの油を商っていました。
農業も少しやっていました。
※現物を見せてくださった。
 久保田家は住み込みで、尾高家で働いていた。従って、
 久保田直次郎は尾高惇忠の兄弟のように育った。・・・
 久保田直次郎は明戸村の韮塚家の養子になった。
明治4年(1871)富岡製糸場の建設にあたり、尾高惇忠の下で御用達
 となり、瓦、煉瓦の製造一切を請け負いました。
製糸場の建設には、当時まだ新しい建材であった煉瓦が大量に必要
 でしたが、瓦製造を行っていた福島(現甘楽町)に窯をつくり、地元
 の瓦職人に加えて、深谷から多くの瓦工を呼び寄せて製造にあたり
 ました。また、煉瓦を積むのに必要なセメントがなかったため、日
 本に従来からあった漆喰を用い、1年7ヶ月で製糸場を建設しまし
 た。

・「尾高惇中は創業開始しようとしたが、女工が集まらなかった。
 ・・・そこで、自分の娘を女工の訓練士の第一号にしました。
※写真を見せてくださった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「裏の立派なレンガ造りの蔵は、日本煉瓦製造のレンガを使用してい
 ています。明治21年以降のものです。」

・建物見物





【3】渋沢栄一記念館
◆解説員の話

●裏の巨大「渋沢栄一の像」
・コートの秘密 ・・・
・大きさの秘密・・・・
・でかい頭の秘密・・・
 
※解説員の話を聴きながら、興味が深まっていく。
★しかし、メモを取ったが文章をまとめるパワーがたりない。
第一国立銀行(→第一勧業銀行→現みずほ銀行)の頭取だった。
明治時代、資本主義経済を牽引した屈指のリーダーだった。
しかし、現在の「金儲け主義」とは違い、渋沢栄一は「論語」の
精神を重んじ、会社は1つしか持たなかった。慈善活動や国際交流
などにも多大な貢献をした。

展示室は小さいが、解説員が丁寧に教えてくださった。
1時間程ではあったが、充実した時間となった。

★今回、一番ビックリしたのは、6月に高崎市箕郷町のSBブロック
 社長、箕輪城奉讃会会長:柳沢さんから見せていただいた『富岡製
 糸場の煉瓦』がここに展示されていたのだ:柳沢佳男氏からの寄贈
 であるという。新聞記事も載っていた。


【4】旧渋沢邸『中の家』
◆解説員の話

◆昼食
「煮ぼうとう」で有名な深谷。
昼食は予約していただいた煮ぼうとうセットを堪能した。
★渋沢家が武田信玄の家臣の末裔の故だろうか?


【5】誠之堂(国重文)&清風亭(県史跡)
・誠之堂(国重文)
◆解説員の話 
「渋沢栄一の喜寿88歳を記念して、栄一が初代頭取をしていた第一
 銀行の行員たちの寄附により建築されたのがこの誠之堂です。
  東京都世田谷区にあったものを平成11年、深谷市の大寄公民館
 の敷地に移転したものでです。平成15年国の重要文化財に指定さ
れています。」



【6】旧煉瓦製造施設:国指定重要文化財
TEL.048-572-9581(深谷市生涯学習課)
開館日/煉瓦史料館 金曜、日曜 10:00〜15:00
※11月1日(土)から、毎週土曜日と日曜日の09:00〜16:00
(年末年始を除く)

1)日本煉瓦製造株式会社の史料室
 渋沢栄一が創設に関わった日本煉瓦製造株式会社の旧事務所
(現史料室として利用)を訪ねた。
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◆解説員の話
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・日本煉瓦製造の年表
 明治政府はドイツ人建築家のヴィルヘルム・ベックマンとヘルマン
・エンデをお雇い外国人として日本に招いた。
  都市整備のために良質な煉瓦を製造する工場が必要であること
  を明治政府に進言した。
  →渋沢栄一らによって日本煉瓦製造が設立され、工場が埼玉県
 榛沢郡上敷免村[(後大里郡大寄村上敷免→、現深谷市上敷免)に
  建設された。
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「明治21年に渋沢栄一が日本煉瓦製造鰍フ旧煉瓦製造施設設立しまし
た。ドイツから輸入した当時の最新式のホフマン輪窯を使って、日本
の発展を支えた煉瓦を製造していました。
現在の建物はピンクの下見板張りの外壁が印象的な建物は、ドイツ人
煉瓦製造技師チーゼが娘クララと暮らしたの住居兼事務所としてつく
られたものです。当時、娘さんと一緒に住んでいました。どの部屋に
いたかは分かりませんが・・・」
・ジオラマ
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・煉瓦
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・地図
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「・・・ここで製造されたレンガ使用の建造物は
東京駅や赤坂御所、碓氷線の橋梁やトンネルなどに使われました。

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東京駅(東京都千代田区)
中央本線万世橋高架橋(東京都千代田区)などの鉄道高架橋
司法省(現在の法務省旧本館、東京都千代田区)
日本銀行旧館(東京都中央区)
赤坂離宮(現在の赤坂迎賓館、東京都港区)
東京大学(東京都文京区)
※群馬県は
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旧金谷レース工業鋸屋根工場(桐生市)
伊勢崎の火の見(伊勢崎)
信越線碓氷峠の鉄道施設(安中市松井田)

・・・(略)・・・・・・・・・

明治21年創業後、平成18年まで約120年間レンガを焼き続け
ました。事務所は敷地内の旧変電室とともに平成9年に国の重要文
化財に指定されました。
現存はホフマン6号窯だけです。」
・6号窯の模型
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※ジオラマで説明された。
「かつて日本煉瓦から深谷駅までの約4.1qにレンガを運ぶ専用線
が敷設されました。工場用の引き込み線は日本で初めてでした。
途中3箇所に川を渡る鉄橋が架けられました。その一つ福川に架けら
れていたプレート・ガーダー橋(鋼板の橋桁)が橋の脇の公園に移設
され保存されています。線路跡は遊歩道として使われています。」


 2006年、日本煉瓦製造は株主総会で自主廃業を決定.
埼玉県深谷市にあった工場の諸施設は国重要文化財に指定されて
  いた「ホフマン輪窯」「旧事務所」「旧変電所」などを含めて所有権
 が深谷市に移転した。

2)変電所
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3)ホフマン6号窯
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◆解説員の話 
「現在、残っているのは1基だけです。」
・工場内
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・ホフマン6号輪窯内部
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【7】深谷駅・・・煉瓦
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★明日は岡部仲町古代遺跡かな

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