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zoom RSS 箕輪初心:生方▲2015高崎【旧新町の歴史散策】

<<   作成日時 : 2015/09/24 08:24   >>

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新町と言えば、@ガトー・フェスタ・ハラダのラスク、A天正12年(1582)
の神流川の戦い&武者行列、B中山道の新町宿しか思い浮かばない。
新町の方、済みません。烏川&神流川の氾濫原であるために原始〜
古代の史跡等は残っていないようである。新町は江戸時代に北部
:落合、南部:笛木が合併してできた町である。明治8年(1875) 緑
野郡落合新町・笛木新町が合併し、新町となった。東西2.8km・・・
面積3.74平方kmと関東で最も小さな町であった。隣接する藤岡市と
の合併交渉を行っていたが交渉が決裂し、平成18年(2006)1月23
日に群馬郡群馬町・箕郷町・倉渕村と共に高崎市に編入された。
画像





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箕輪初心▲埼玉上里【金窪城】&『神流川の戦い』詳細
 滝川一益 VS 北条軍
http://53922401.at.webry.info/201409/article_21.html

箕輪初心◆高崎【第16回新町神流川合戦:滝川一益】
http://53922401.at.webry.info/201211/article_3.html

箕輪初心●箕輪城シリーズR「第11代:滝川一益」
http://53922401.at.webry.info/201010/article_33.html

箕輪初心◆中仙道の復刻版「新町宿〜倉賀野宿〜高崎宿」
http://53922401.at.webry.info/201410/article_10.html

箕輪初心★高崎「新町紡績所」:官営工場
http://53922401.at.webry.info/201410/article_26.html

箕輪初心■群馬『ガトーフェスタ・ハラダ』の工場見学
http://53922401.at.webry.info/201111/article_3.html

箕輪初心★旧高崎の偉人伝:近代編
http://53922401.at.webry.info/201311/article_2.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201311/article_2.html

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●▲■高崎学■▲●・・・新町にあるのは、首塚である。
●▲■高崎学■▲●・・・新町屑糸紡績所は世界遺産ではない。




【1】旧石器時代


【2】石器時代


【3】縄文時代


【4】弥生時代


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【5】古墳時代
・和銅4年(701) 大宝律令により上野国緑野郡設置。
高足郷、升茂郷が比定されている。


【6】奈良時代



【7】平安時代


【8】鎌倉時代


【9】南北朝時代


【10】室町時代


【11】戦国時代
・天正10年(1582)6月19日  神流川合戦
 織田信長配下の厩橋城(現前橋市)の滝川一益と小田原城後北条氏
 が戦った。
 神流川原を舞台に繰り広げられた大合戦があった。
 両軍合せて4万余りが神流川の両岸一帯で激突し 3000人以上〜
 4000人が戦で亡くなったと言われている。

 ※新町に首塚、藤岡に胴塚が残っている。


【12】江戸時代
・正保年間(1644~1648) 加賀藩前田公により加賀街道が開かれる。
中山道は倉賀野・玉村・本庄というコーズであった。
  加賀前田のお殿様が倉賀野・新町・本庄と新町を経由すること
 にしたのだ。これが新町宿の原形となった。

・慶安 - 承応頃(1648〜 
  落合・笛木に宿場の町並みが形成された。
  落合新町、笛木新町と呼ばれるようになった。

・慶安4年(1651) 落合新町は伝馬役(てんまやく)を命じられた。
   本屋敷から移住を勧められた。

・承応2年(1653) 笛木村も伝馬役を命じられた。
  
・承応3年(1654) 加賀街道が中山道となった。
落合村・笛木村の両村は合併し、新町宿ができた。
だから、宿場として新しい町=新町宿と呼ばれたのだ。

・享保9年(1724) 新町宿が中山道の正式な宿場となった。
中山道の江戸から11番目の宿場町として栄えた。

・寛保2年(1742) 8月  大洪水発生。

・延享4年(1747) 1月9日 大火発生。



●百姓一揆 
@天明絹運上騒動(藤岡・新町のこわし→高崎城攻撃)
A武州世直し一揆→藤岡の打ちこわし→新町宿の打ちこわし
B西上州の世直し→新町宿の打ちこわし







●新町宿
・江戸時代前期に落合村と笛木村が合併し誕生→新町と改称。
   最初28戸 
・→天保14年407軒1437人
 ・本陣2・脇1・旅籠43・茶屋33軒
※女郎屋7軒で・・・新町宿の飯盛女 女郎250人位
 神流川を渡った上州最初の宿場町。

・常夜灯・・夜、神流川を渡る旅人の渡河の目印「見通し籠」
*無理やり造った常夜灯「新町宿」・・神流川から500m
   
・お菊稲荷・・・飯盛旅籠「大黒屋」の売春女性の守り神
・八坂神社の芭蕉の句碑「傘におし わけて見たる 柳かな」
・諏訪神社・・・・・・・元禄15年(1702)の鳥居
・専福寺・・・・山門脇に元文五年と寛政十二年の庚申塔、
        四国・秩父
・坂東供養搭と馬頭観音
・旅篭高瀬屋の跡・・・・(現第二公民館の隣)
  小林一茶の文学碑
  文化7年(1810)に一茶が宿泊した旅籠。
  前日からの雨で烏川が川留めになりここに泊まる。
  雨の疲れですやすや寝ていると、明け方に突然起こされ
  石灯籠の寄進をしつこくせがまれた。
  根負けして十二文寄付したという逸話が残る。
  寄進をせがんだ男を蛍に見立てて句を詠んだ。
 「手枕や 小言いふても 来る蛍」
  (★小林一茶の「七番日記」)

・宝勝寺
・小林家の本陣跡碑・・・・(今は小さな標識が有るのみ。)
・弁財天神社・公園・・・・天明3年に温井川の中ノ島建立。
●▲■高崎学「脇本陣」■▲●

・スリーデーマーチ発祥地碑・・弁天橋の手前
・温井川(弁天橋)〜〜〜〜〜〜
※弁天橋から温井川
  新町(安藤広重画)・弁天橋を上流から見る。左は赤城山
・伊勢島神社 

・→立石新田
・川端家住宅
・信迎庵・・
・(関越自動車道)・・
・(薬師堂)・・
・宝昌寺・・・
・伊勢嶋神社・・・常夜燈や道祖神・庚申搭など。

→中島集落
・御堂・・・・境内に寛政十年の二十二夜供養塔などの石仏
・中島神社・・・御岳山坐王大権現と保食神の2つの板状碑。
・道祖神
→柳瀬の渡しで烏川を渡る〜〜〜〜〜 柳瀬橋(烏川)〜〜〜
→岩鼻集落。
・北向子育観音堂 北 
  中山道は、「柳瀬の渡し」から前を通っていた。

・岩鼻陣屋(岩鼻代官所跡)
  ・官軍の攻撃にあった場所。北関東の守り。
・群馬の森 +県立博物館+県立美術館
・岩鼻陸軍・・・
・原子力・・・
・観音寺。
・天満天神社・・
・(高崎線・八高線)・・・
●宮・摂関家の姫君の通行、和宮下向
●茶壷の通行
●大名の往来
●神流川・・・藤ノ木河岸・神流川の渡船
●鳥川と柳瀬渡船
  高井伊能忠敬の 日光参詣道の記と烏川の渡し 260


●新町を訪れた有名人
・????
@農学者:貝原益軒「木曽路の記」

・享和2年(1802)
A狂歌:大田南畝(蜀山人)「壬戌紀行」
   大坂銅座の旅の日記『改元紀行』
B作家:十返舎一九・・道中膝栗毛「金草鞋と膝栗毛」
C俳人:栗庵似鳩・・・
  明和8年(1771) 俳諧行脚の途中、那波郡上蓮沼村(現伊勢崎
  上蓮町)で庵を結び、「喰つみは 秋もてなさん 軒の栗」と
  詠んだ。庵を栗庵と名づけた。以来、蕉風俳諧の普及に努め、
  詳細な日誌をつけた。弟子の数は500人を超えた?
D国学者:高井和泉・・「忍紀行」
E勤皇家:高山彦九郎・・上京の紀行文「旅中日記」。
  ★吉田松陰にも影響を与えた。
  
・享和2年(1802)〜文化6年(1809年)
F伊能忠敬・・・「測量日記」
  7年間に3度も新町に来た。    

・文化7年5月 
G俳人:小林一茶「七番日記」  
  中山道を下って来た。川留で新町に宿泊していた。
  神流川岸に建てる石灯籠の寄進を強要された。
  ふところが乏しい一茶は幾度と断ったが、とうとうを根負けし
  十二文を寄付した。
  『手枕や小言いうても来る蛍』
  と詠んだ。(★上記参照)
  ※現在・・旅籠屋高瀬屋跡に一茶文学碑がある。
  小林一茶の12文も加わった石灯籠は17号バイパスと旧道の
  分岐点にある。
(★新町町誌)


【13】江戸時代:幕末


【14】明治時代
・慶応4年(1868) 6月17日 岩鼻県に所属する。

・明治4年(1871) 10月28日 群馬県に所属する。

・明治6年(1873) 6月 熊谷県に所属する。

・明治8年(1875) 緑野郡落合新町・笛木新町が合併し、新町となる。

・明治9年(1876) 8月21日 群馬県に所属する。


・明治10年(1877) 10月20日
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木造煉瓦造で、設計・施工は佐々木長淳・グレーフェン・山添喜三郎
であった。
新町紡績所(内務省勧業寮屑糸紡績所)の開業式が行われる。
7月1日 操業を開始した。
 官営新町紡績所は、繭から生糸を取った後の屑糸や屑繭を原料
 とし、生糸とほぼ同じ製品を作る屑糸紡績工場としてスタートした。
 富岡製糸場などの製糸工場から出た屑糸を活用したのだ。
10月20日 大久保利通、伊藤博文、大隈重信など政府首脳がほ
 とんど出席して開所式が挙行された。

・明治11年(1878) 明治天皇が行幸した。
 ※国の期待を負った工場だったのだ。
 天皇は自ら紡績機械を運転して確かめたという記録もある。
 現在でも、旧製品倉庫が残っている。
※明治天皇の宿舎としてつくられた新町行在所も新町の工場近く
  に保存されている。

・明治16年(1883) 12月27日
日本鉄道(現JR東日本高崎線)新町駅が開業する。
群馬県内で最初に開業した駅となった。


・明治22年(1889) 4月1日 -
町村制施行に伴い、緑野郡新町が成立する。


・明治29年(1896)4月1日
緑野郡が多胡郡・南甘楽郡と統合して多野郡の所属となる。

●郷土に光をかかげた人々(明治維新の混乱期)
1、 小林穣洲・・・群馬の小学校教育の先駆者
小林信平=穣洲=漢学者・書家・教育者「懇信社」
・文政9年(1826)現高崎市新町生まれた。
書家で、隷書、草書に名品を残した。
・明治15年(1882)「日本全国書画家一覧」
  卷菱潭・市河万庵と共に名が記載されている。
   浄泉寺に新町小学校の前身となった「懇信社」を開設した。
  多くの子弟の教育に情熱を注いだ。
  新町小学校が開設されるまで、「懇信社」が続いた。
・明治19年(1906) 門弟知己が高徳を頌えた壽蔵碑
 「小林穣洲先生寿蔵之碑」を生前に建てた。

2、 三俣素平・・・自由民権の先駆者:衆議院議員

3、 大久保適斉・・・群馬医学界の祖:初代群馬県医学校長
・天保11年(1840)〜 新町で生まれた。
  ・明治12年(1879)〜群馬県医学校(現群馬大学医学部)の
    初代校長・病院長(群馬県前橋市)を務めた。
    東洋医学の鍼灸と西洋医学を駆使して医療を行った。
  ・明治19年(1886)高崎市新町に大久保医院を開院した。
   鍼灸刺激は交感神経を介して心臓に影響を与えると提唱した。
・明治25年『鍼治新書』治療編を発刊した。
大久保適斎の視覚障がい者へ頒布したという。
・明治27年 山崎栄造が群馬県最初の人体解剖に体を提供
    した。
   ※新町の山崎栄造の墓。
  ・明治27年『鍼治新書』手術編を発刊した。
  ・明治44年(1991) 2月17日 死亡。
◆水の旅人
http://samurai-kid.at.webry.info/201008/article_1.html


4、内田源六郎・・初代町長:高山社の移転に尽力
  ・弘化2年(1845) 新町宿の飛脚問屋の子として生まれた。
・慶応2年(1866) 会津藩主:松平容保の鶴ヶ城の挙兵に
     渋沢喜作・渋沢栄一らとともに参集しようとした。
・明治16年(1883) 高崎線の開通の際に新町駅開設に努力した。
         初代町長に就任した。
・明治17年(1884) 養蚕にも興味を示し、三俣愛策(後高山社
         幹部)&三俣素平(衆議院議員)とともに
         高山長五郎に高山社の移転を提言した。
         新町屑糸紡績所の民間委託後も養蚕の発展に
         貢献した。
  ・明治25年(1891) 死亡。墓に尾高惇忠の文字がある。      

5、 境野清衛・・・殖産振興:養蚕飼育改良と普及に尽力
  ・????年 新町に養蚕伝習所を設立して子弟を多数教育した。
・明治25年(1891)4月  『経済育養蚕論』を発刊した。
 ・明治25年(1891)11 月 『軽便養蚕手続』を発刊した。
※新町の境野清衛翁の養蚕功徳碑


6、 三俣愛策・・・高山社の蚕業教授・参謀役
  ・安政4年(1863) 旅館業を営んでいた三俣家長男として
    生まれた。
   高山長五郎家と親戚であった。
    また、三俣素平とは従兄弟同士であった。
・明治17年 高山長五郎の高山社設立の嘆願書のメンバー
   であった。
   高山社に入社後、新町屑糸紡績所の佐々木長惇に顕微鏡を
   貰い、町田秀次郎を支援した。
  ・明治34年 高山社養蚕学校の創設。・・・教授となった。
・明治35年 『養蚕便覧』『蚕桑提要』を著した。

7、 田口嘉六郎・・町長を2、4、5、7代。新町の町政功労者。
(★新町町誌)




【15】大正時代


【16】昭和時代〜平成時代
・昭和26年(1951) 陸上自衛隊新町駐屯地が警察予備隊として移駐して
以来、自衛隊の町となった。


・平成18年(2006) 1月23日
群馬郡群馬町・箕郷町・倉渕村とともに高崎市に編入された。
高崎の飛び地になった。

・平成18年 4月 上武大学高崎キャンパスに学生ホール完成した。

・平成26年(2014) 4月1日 アクアピア開設。



【17】現在
●高崎市指定文化財
1.諏訪神社鳥居
 諏訪神社は笛木村の鎮守として本屋敷に奉られていた。
 ・宝永5年(1708)に現在の地に移した遷した。  
 ・その後、鳥居が建てられた。
  石製鳥居が神社の裏に半分埋められた状態で保存されている。


2.於菊稲荷神社水屋
宝暦年間(1751〜63) 大黒屋に於菊という美人娼妓がいた。
 そかし、風邪をこじらせて重い病になった。於菊はあんどん部屋に
 追いやってしまった。町の人達は神社の裏に小屋を建て於菊を引き
 取り、看護した。
 3年が経ったある夜、於菊の枕もとに稲荷の霊が現れて、於菊の病
 は奇跡的に全快した。神に感謝した於菊は神社で神明奉仕に自分の
 身を捧げる決心をした。
 それ以来、この神社は於菊稲荷神社と呼ばれるようになった。
  (★新町の紹介:高崎市Hpより編集)
3.絵巻「勧農図」
4.八幡神社絵馬「勿来関・花草図・紅葉狩」
 ・文久3年(1863) 八幡神社に「勿来関」「花草図」「紅葉狩」の三面が
  宿房の遊女たちによって奉納された。

5.於菊稲荷神社絵馬「武者絵・遊女参詣」
6.仲町の山車
7.橋場町の屋台
8.東音頭
9.天神の獅子舞
10.諏訪神社の獅子舞
11.神流川合戦首塚
4月3日に神流川合戦の時、埋葬した首塚の霊を慰めるために
  毎年祭礼がある。
12.明治天皇新町行在所
明治11年9月2日 明治天皇が北陸・東海御巡幸の途中、新町で
  宿泊された。そののために新築されたのが行在所(あんざいしょ)
  である。

13.浄泉寺大銀杏
14.三十七番繋杭
15.三十三番繋杭
16.小林穣州先生寿蔵之碑
17.八幡宮神輿
18.諏訪神社神輿
(★高崎市Hpより)


●ガトー・フェスタ・ハラダ
画像

★新町ひなまつり 
★『新町七夕まつり』
★新町ふるさと祭り「花火大会・灯籠流し・ふれあい盆踊り大会




◆参考サイト
新町の紹介:高崎市
http://www.raigun.net/shinmachi/




★明日は旧倉渕村かな?

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