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zoom RSS 箕輪初心:生方▲2015高崎【旧吉井町の歴史散策】

<<   作成日時 : 2015/09/23 07:28   >>

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旧吉井町で有名な物は@多胡碑、A間庭念流、B上信電鉄?
私の興味あるのは、@「多胡碑&羊太夫の伝説」・A「木曾
義賢&義仲の多胡庄」・「奥平一族」・「神保一族」・間庭念流
に興味を持っている。前回の【旧吉井町の偉人】&漫画「吉
井の歴史」を参考にしながら、高崎旧吉井町の歴史をまとめ
てみた。写真が消滅していたので、あまり掲載できない。
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箕輪初心■群馬「多胡碑シンポジウム」3月6日
http://53922401.at.webry.info/201103/article_8.html

箕輪初心■山上碑・多胡碑・金井沢碑+山上多重塔
http://53922401.at.webry.info/201310/article_4.html

◆◆ 箕輪初心☆群馬の韓国&韓国語@『古墳文化』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201209/article_8.html

箕輪初心☆群馬における韓国&韓国語2−A『多胡碑&上毛3山』
http://53922401.at.webry.info/201209/article_9.html

箕輪初心★多胡碑&「多胡碑研究の歴史」
http://53922401.at.webry.info/201403/article_19.html
 ★平成26年(2014)3月19日の紹介

箕輪初心★多胡碑岡地区遺跡現地説明会
http://53922401.at.webry.info/201403/article_20.html
 ★平成26年(2014)3月20日の紹介

箕輪初心:生方▲熊倉浩靖先生【世界記憶遺産を目指す
上毛3碑】&新解釈
http://53922401.at.webry.info/201507/article_27.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201507/article_27.html

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箕輪初心★木曾義仲:上野国多胡庄2ヶ月→信濃依田城で蜂起
http://53922401.at.webry.info/201310/article_3.html
★久保田順一先生の本・資料・県史を参考に・・・

箕輪初心●群馬の城:高崎旧吉井38城@「吉井陣屋他」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_11.html

箕輪初心●群馬の城:高崎吉井38城A「多胡館他」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201104/article_12.html

箕輪初心●群馬の城:高崎旧吉井38城B「一郷山城・奥平城他」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_13.html

箕輪初心●群馬の城:高崎吉井町C「一郷山城=武田信玄の攻撃で玉砕」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_19.html

箕輪初心●群馬吉井:池城=岡城
http://53922401.at.webry.info/201403/article_21.html

箕輪初心★高崎旧吉井町の偉人
http://53922401.at.webry.info/201311/article_3.html

箕輪初心◆上州姫街道=下仁田街道:藤岡〜富岡〜下仁田〜5峠
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201311/article_26.html


箕輪初心◆水戸天狗党3−1『水戸〜下仁田戦争直前』
http://53922401.at.webry.info/201303/article_25.html

箕輪初心◆水戸天狗党3の2『下仁田戦争の詳細編』
http://53922401.at.webry.info/201303/article_26.html


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【0】有史以前
・古生代〜
  吉井南部・・・秩父古生層の三波川結晶片岩=緑泥片岩

・新生代・・・・・牛伏砂岩:天引石

・約1500万年前・・海:クジラの化石・貝化石・鮫の歯

・2万年前〜・・・・関東ローム層

【1】旧石器時代
・約10000年前〜
・神保富士塚遺跡・・・黒曜石のやじり・尖頭器など

【2】石器時代


【3】縄文時代
・黒熊遺跡・・・・竪穴式住居
・岩崎遺跡・・・・香炉型土器

【4】弥生時代
・むら・・
・稲作・畑作



【5】古墳時代
・S10年・・417基
・片山古墳・・・家形埴輪
・下條古墳・・・馬・人物・家などの形象埴輪

●大宝律令 

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●多胡碑&「羊太夫の伝説」
・和銅4年(711) 多胡郡の建設
箕輪初心■山上碑・多胡碑・金井沢碑+山上多重塔
http://53922401.at.webry.info/201310/article_4.html

箕輪初心■群馬「多胡碑シンポジウム」3月6日
http://53922401.at.webry.info/201103/article_8.html

箕輪初心☆群馬における韓国&韓国語2−A『多胡碑&上毛3山』
http://53922401.at.webry.info/201209/article_9.html


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【碑文】
弁官符上野國片岡郡緑野郡甘
良郡并三郡内三百戸郡成給羊
成多胡郡和銅四年三月九日甲寅
宣左中弁正五位下多治比真人
太政官二品穂積親王左太臣正二
位石上尊右太臣正二位藤原尊

【読み方】
弁官符す。上野国の片岡郡・緑野郡・甘
良郡并せて三郡の内、三百戸を郡と成し、羊に給いて
多胡郡と成せ。
和銅四年三月九日甲寅に宣る。
左中弁・正五位下多治比真人。
太政官・二品穂積親王、左太臣正二位石上尊、右太臣正二
位藤原尊。

【現代語訳】
朝廷の弁官局(べんかんきょく)からの命令があった。
上野国の片岡郡・緑野郡(みどのぐん)・甘良郡(かむらぐん)
の三郡の中から三百戸を分けて新たに郡をつくり、羊(ひつじ)
という人に支配を任せる。
郡の名前は多胡郡としなさい。
和銅4年(711年)3月9日の甲寅(きのえとら)の日に宣(の)
べられた。
左中弁正五位下:多治比真人(たじひのまひと)の宣旨である。
また、多胡郡を作ることを決めたときの太政官は
二品(にほん)位:穂積親王(ほづみのみこ)、
左太臣正二位:石上(麻呂=いそのかみのまろ)様、
右太臣正二位:藤原(不比等=ふじわらのふひと)様。  
 (★多胡碑博物館の説明書き)

『羊太夫の伝説』・・・後世に作られた。
昔、多胡郡に羊太夫という者がいた。神通力を使う八束小脛(ヤツカ
コハギ)という従者に名馬権田栗毛を引かせて、南都に向かった。
八束小脛は、空を飛んでいった。ある日、八束小脛が昼寝をしてい
た。羊太夫が、八束小脛の両脇を見ると羽が生えているのに
気づいた。「羽根じゃないか。トビの羽根じゃ。・・それで、都まで
走れるのか・・ううむ。」・・羊太夫はいたずら心から羽根を抜いて
しまった。・・・八束小脛は「ない。羽根がない。」・・・
「羽根はお家の守護神・・何かよからぬことが・・・」
以後小脛は空を飛べなくなってしまい、羊太夫は参内できなくなった。
朝廷は羊太夫が姿を見せなくなったので、家臣に理由を尋ねた。
「羊はもともと渡来人、謀反を企てているのでは・・・。」
朝廷は「もしそうだとしたら、危険である。」と考えた。
安芸の住人:広島宿弥(すくね)に宣旨を下した。総勢10万騎の
軍勢を派遣した。討伐軍の塩野小太郎に「謀反の心はない。」と
説得したが、朝敵として羊太夫を討伐することになった。
羊太夫軍は臼井川(碓氷川)の人見原に陣取った。しかし、圧倒的な
数の朝廷軍におされ、鏑川まで退却した。
残したいった食料や酒に毒をまぜ、大軍を策略で混乱させた。
しかし、養老5年(721)、羊太夫軍は八束城に籠城し、善戦したが、
落城間近となった羊太夫は、中尾源太夫に命じて、妻や子どもを
脱出させた。羊太夫軍の生き残りは羊太夫と八束小脛だけになって
しまった。羊太夫は金の蝶に化して、雨曳山の方へ飛び去った。
やがて、トビに変じて池村で・・・自殺した。
広島宿弥は自刃じた2人を池村で発見した。・・・ 
(★漫画「吉井の歴史」)
※『神道集』(文和・延文年間・1352年〜1361年)では、羊太夫は、
履中天皇の時代(400年〜405年)の人として登場する。
羊太夫自身が神通力を持ち、都と上野国を日帰りしたという話が残
されているそうである。
 (★ウキペディア)
※「羊太夫栄枯記」(旧吉井町上奥平の茂原一郎氏蔵)もある。



●新羅人の移住
天平神護2年(766) 子午足など193人が吉井連の姓を賜った・


●万葉集3403
我が恋は まさかも愛し 草枕 多胡の入野の 奥も愛しも

★意味・・・私の恋は今でも切ない。草の枕で彼女と2人、多胡の入野
 の奥のように果てしなく、奧=行く末も?これから先もずうっと愛
 し続けたい。
・・・あんたも好きねえ。加藤茶流の解釈。
まさか=現在の意味である。
★意味・・・私の恋は今も草を枕にして愛し合っている。多胡の入野の
  奥のように、ここからもずっとすっと愛したい。
  ・・・やっぱり、これしかない。

●万葉集3411
多胡の嶺に 寄せ綱延へて 寄すれども あにくやしづしその顔よきに

★意味・・・多胡の嶺に寄せ綱を延ばして引っかけて引き寄せるように
 あの娘を私になびかせようとしてもそっぽを向いてている。その美し
 い顔で、知らんぷりかよ。・・・厳しいね?彼女。

★意味・・・多胡の嶺(牛伏山か八束山)に馬を繋ぐ手綱のように綱を
 延ばして引っかけて引き寄せるようにあの娘を私になびかせて物にし
 てようとしている。でも、彼女はそっぽを向いて素知らん顔をしてい
 る。その美しい顔で、知らんぷりかよ。とっても悔しい。いつか俺の
 女にしてやるぞ。・・・今にみておれ。
・・・激しいね。上州人は?




【6】奈良時代
・天平勝宝4年(752) 東大寺
 国分寺の瓦・・・八田(矢田)
羊子三の文字瓦
たひら・神保・長根に陶村があった。

【7】平安時代
●紡錘車・・・養蚕が盛んで、出土数は日本1.

●神保・・・・神の保=荘園


◆中世・・・
・治承4年(1180)多胡庄:吉井で木曾義仲が家臣集め

箕輪初心★木曾義仲:上野国多胡庄2ヶ月→信濃依田城で蜂起
http://53922401.at.webry.info/201310/article_3.html
箕輪初心●木曽義仲(1154〜1184)=征夷大将軍になった人物。
http://53922401.at.webry.info/201107/article_29.html

●多胡館・・・木曽義仲?多胡家包?

●矢田館・・・新田義重遊子?足利義兼から・・・


●神保館=辛級神社 △吉井町神保 
 ■訪問記・・・辛科神社は外郭せある。実際は、この裏が
  館=本郭である。辛科=韓級?・・・律令時代の渡来人が
  多かったことを示す。
 神社の脇から、一段高くなっているのが、分かる。

・久寿2年(1155) 源義賢が死亡。
吉井→秩父系畠山氏の妻を貰って、菅谷(埼玉嵐山)へ
大蔵館で悪源太義平に殺された。
●間庭念流の樋口家は源義賢の家臣で、木曽義仲を木曽で育てた
 中原兼遠である。
 

●奥平一族
★出自には、3説がある。
@.村上源氏の後裔11代赤松則景と称した説
  (★『姓氏』樋口清之・丹羽基二著)。
A.有道姓児玉党片山氏流の末裔説。
  (★『姓氏家系大辞典』太田亮 )
◎上州が発祥地と言われている。その後、上州の所領を
  放棄して、三河に新天地を求め転住した(伝)説。
 (★「家伝」・『中津藩史』・『寛政重修諸家譜』)。
B村上源氏赤松則景の2男:氏行が、秩父氏一族児玉
 庄左衛門の婿となり、奥平氏を称したことに始まる説。
 (★新城市長篠城祉史跡保存館の資料より)
★家紋は「軍配団扇」だから、この見方が正しいのか?
・治承4年(1180)源頼朝の挙兵。
  安芸国(広島)の赤松則景は、鎌倉に駆けつけた。
 北条義時(北条政子の弟)の娘と結婚した。
・1200年頃,赤松氏が甘楽郡司となり 奥平氏を名乗った。
赤松則景は畠山小幡右衞門の娘と再婚した。
初代:奥平氏行が生まれた。

・治承4年(1180) 源頼朝の挙兵
 新田義重の甥:足利義兼&子:山名義範&孫:里見義成らが
 早期にその麾下に帰参した。
 新田義重は一時日和見的態度を取った。
 理由@北関東での主導的地位にあった。
 理由A八幡太郎義家の孫だ。・・源頼朝を格下に見ていた。
 理由B新田荘が平家方の荘園であったこと
 理由C木曾義仲が多胡郡で味方集めをしてた。
・・・多胡郡は源義賢のかつての所領であった。
    親子2代に渡る隣合わせの所領を持っていて宿敵関係
   であった。
   従って、木曽義仲を牽制する必要があった。

12月 新田義重は源頼朝の威勢興隆を目の当たりにし慌てて鎌倉
  に駆けつけた。
  容易には源頼朝の不信感をぬぐうことはできなかった。
  安達盛長の取り成しでようやく帰参が叶ったという。
(★やがて、安達盛長は八幡荘で上野奉公人になった。)
  さらに、新田義重は娘:祥寿姫を源頼朝の兄:義平の未亡人:
  源頼朝の側室にと乞われるもこれを拒否した。
  ・・・という。より一層、源頼朝の不興を買った(伝)。
  新田義重の猶子:娘婿:矢田義清が木曾義仲に走った。
  このことが源頼朝の反感をさらに買った要因のひとつとされて
  いる。
(★久保田順一先生)



【8】鎌倉時代

・承久3年(1221) 承久の乱
●神保与三:「宇治川の合戦」で活躍
●多胡宗内:


【9】南北朝時代
初代は奥平氏行ー持貞=吉行−継定−高定−満定−定政−定家
−貞俊と続く。
・元弘3年(1333)新田義貞の挙兵
●6代:奥平定政が武蔵7党を率いてやってきた。
分倍ヶ原の戦い・・に勝利した。
北条高時を自刃に追い込んだ
・延元元年(1336) 京都の戦い
・延文4年(1359)九州の筑後川の遠征で戦死。
7代:奥平定家が看取った。


【10】室町時代


【11】戦国時代
●奥平7代:長篠戦いで活躍した奥平貞光の先祖  
・8代の代に 奥平から三河国設楽郡作手郷へ移住した。
 分家は馬場城を築城して、奥平に残った。
 奥平貞俊駿河の今川氏に仕えた。
今川氏滅亡後、武田信玄に臣従したが、武田信玄の没後には徳川
家康に仕えた。 長篠の戦いの功績により重用されて 長篠城主とな
った。徳川家康の娘・亀姫を妻に迎えた。徳川家康の関東入府に
伴って 奥平も再び甘楽郡に戻り、富岡城主となった。

上信電鉄の西吉井駅から北に2.5km。下奥平の岩平小学校付近から
北の上奥平方面に進みむと、奥平城がある。奥平氏は 戦国時代に
三河の長篠城主として活躍した奥平氏のルーツは上野国甘楽郡奥
平郷(高崎旧吉井町)である。奥平家発祥の地とされる。
城跡の入口には「奥平城跡」吉井町教育委員会が建てた標識が建
っている。
城跡は竹林になっていて、うっそうとしている。
竹林に分け入ってみたが、蛇が出てきそうなので逃げてきた。

○子孫の方にあった。・・・


●吉井の城
◆旧吉井の城:40年間の草刈り場=戦場
箕輪初心○吉井の城:38城3回シリーズ 
http://53922401.at.webry.info/201104/article_11.html
http://53922401.at.webry.info/201104/article_12.html
http://53922401.at.webry.info/201104/article_13.html

●武田信玄の侵攻
・永禄6年(1563) 一郷山城・新堀城を攻撃した。
 安部之友ら300人が討ち死にした。
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 ★この時代、天守閣はない。しかも、本当の一郷
  山城は200m西にある。


・天正12年(1582) 滝川一益
北条氏邦

・天正18年(1590) 北条氏滅亡→徳川家康関東に入封。
●菅沼定利:吉井城下町の形成
・徳川家康の関東移封で、吉井にきた。
http://53922401.at.webry.info/201104/article_11.html
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【12】江戸時代
●樋口定次:馬庭念流始祖
@遠祖・・・木曾義仲の育ての親:中原兼遠である。
駒王丸=木曾義仲は今井兼光や巴とともに木曾で
成長した。
樋口家は木曾から吾妻応桑(群馬県嬬恋村応桑=北軽井沢)
→現高崎市旧吉井の馬庭に転居した。
今井兼光から11代:馬庭兼重は念流の創始者:相馬四郎
=念和尚から剣法の奥義を伝授された。
・天正18年(1590) 子の 樋口定次は念流:友松氏宗に念流
を学び、馬庭念流を認可された。
・寛永の御前試合で、名を轟かせた。
(★漫画:吉井町の歴史)


●吉井の4分割



●旗本:倉橋内匠頭:悪政→継ぎ立て絹紛争
●寛文7年 三木市右衛門が一揆を継ぐ。

●高崎藩:松平輝高&絹運上騒動
箕輪初心★高崎藩主11代〜18代:松平家
http://53922401.at.webry.info/201310/article_16.html

●堀越宥貞(ゆうてい):吉井の俳人「多胡碑集」


●堀越文右衞門:水戸天狗党の野宿を許可した町役人
・安政4年(1857)安中生まれ。
・水戸天狗党の野宿を許可した町役人
・→「まるぶん」の養子→旦那:江戸日本橋の呉服店経営。
・多胡亭・吉井小講堂・道路建設に私財を投げ打った。


●松平信発(のぶおき)→吉井信発:尊皇攘夷論者
・吉井藩最後のお殿様。
・弘化4年(1847) 上野吉井藩第8代藩主:松平信任が死去。
  松平信任の養子として家督を継いだ。
  将軍徳川家慶に拝謁する。従四位下侍従・左兵衛督に叙任。
・嘉永6年(1853) 黒船来航
  江戸幕府に対して攘夷と国論統一を図るように進言した。
・安政4年(1857) 日米修好通商条約が不平等条約であると反対した。
・安政6年(1859) 安政の大獄・・交遊のあった徳川斉昭が蟄居
  される際に上使を務めた。
・万延元年(1860) 幕府から米2000俵を支給された。
・文久元年(1861) 和宮が降嫁の際、「信和から信発と改名。
   農民兵を採用した軍制改革を行っている。
・元治元年(1864) 陣屋を矢田から吉井に移した。吉井藩。
  吉井信発に改姓。
・元治2年(1865) 養子の吉井信謹に家督を譲って隠居。


●関ノ戸澤右エ門・・・力士
  阿藤初五郎で旧多胡郡馬庭村出身。最高位は小結、

※吉井のひうち・葉たばこ

※絹運上事件・・・多発
 打ちこわし・一揆へと

※元治元年(1864) 水戸天狗党が通過。
 堀越文右衛門が・・・軒下で寝ることを許可した。  



【13】明治時代
【14】大正時代


【15】昭和時代〜




【16】現在


〜〜〜明治以降の旧吉井町の偉人〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

【13】野中弥八:自由民権運動


【14】新関八洲太郎:三井物産初代会長
・明治30年(1897) 埼玉県庁職員の子として浦和で生まれた。
  埼玉県師範学校附属小学校→津久戸小学校→
父は吉井専売局出張所所長・・
  吉井小学校卒業→富岡中学校→錦城中学校卒業。
・大正7年(1918) 東京高等商業学校(現一橋大学)卒業。
・大正8年(1919) 三井物産入社。マルセイユ支店に赴任。
ハンブルク→平壌→メルボルン。
   バンコク支店長→バタビア支店長→奉天支店長。
・昭和22年(1947) 常務取締役に就任。第一物産社長に就任。
・昭和34年(1959) 三井物産社長に就任。
・昭和36年(1961) 三井物産会長に就任。
・昭和53年(1978) 死去。 81歳。
(★ウキベディアも参考に編集)


【15】羽切広吉:吉井町初代町長


【16】新井紀一:プロレタリア作家で小林多喜二に影響。
・明治23年(1890) 吉井町池出身→小石川砲兵工廠見習い
・ →早稲田文学に投稿。・・・小川未明に認められた。
・昭和41年(1696) 死亡。76歳。


【17】新井巴:教育者・植物学者
・明治元年(1868) 小幡生まれ。→吉井→前橋高校→師範学校
・前高時代に「植物標本画帳4冊」を作成。
・「維新前後の吉井町」を著作。


【18】柴崎安一(やじかず):二酸化マンガンの製造
・大正2年(1913) 旧吉井町吉井生まれ。
・東京物理学校=現東京理科大学→東京工業大学電気学科
・昭和19年、・・横浜国大の教授。・・名誉教授。
・電化シリサイドの研究



【19】角田てる:教育者=学校給食&臨海学校の建設に尽力
・明治30年(1975) 日野村の生まれ。→吉井で育つ。
・大正6年() 女子師範卒・・群馬県内初の女性校長。
・校長→学校給食&臨海学校の建設に尽力
・吉井町議。
・昭和50年、死亡。



【20】等松農夫蔵(のぶぞう):戦艦大和の建造に尽力
・明治29年(1874)東京生まれ→岩平小学校→旧富岡中学校
・海軍経理学校→教官。世界一周。英国付武官。
・山本五十六と戦艦大和の建造準備に尽力。・・・



【21】町田貞(ただし):地理学者「河岸段丘の研究」
・大正7年(1918) 旧吉井町吉井出身。→富岡中学校→群馬師範
 →小学校教員→東京高等師範(=東京教育大学・筑波大学)
 →群大教授→筑波大教授。ルイジアナ州立大学・ボン大学
 客員教授。


【22】向井重郷:東海道新幹線の生みの親:鉄建公団理事
・大正5年(1916) 旧吉井町塩生まれ。→冨岡中学校→
 東京一高→東京大学。・・・在学中に高等文官試験に合格。
・鉄道省・・・エリートコース・・・
・東海道新幹線の立案。・・・



【23】武藤賢一郎:世界的なSAX奏者
・昭和27年(1952) 吉井町岩崎生まれ。→吉井中学校→
 高崎高校→東京芸大→パリ音楽院を主席で卒業。
 クラッシック系のサキソフォーンでは、今でもbP?
 カラヤンのアジア公演に参加した。・・・
★1回だけ、高崎音楽センターで聞いたことがある。 



【24】山崎種二:実業家「山崎グループ会長」
・明治26年(1893) 吉井町坂口で生まれ。→岩平小学校→
 深川の回米問屋に奉公。・・米相場の読みが凄かった。
・回米問屋を自営。→山崎証券を設立。
〜〜〜〜〜
・昭和41年(1966) 山種美術財団が創設
  山種証券と創業者:山崎種二が蒐集した作品を保存・管理する
  のを目的に設立された財団・・・
  日本橋兜町に開館した。
・平成10年(1998) 千代田区三番町への仮移転。
・平成21年(2009) 渋谷区広尾に開館。
※主な所蔵作品
竹内栖鳳 『班猫』(重要文化財)
速水御舟 『炎舞』(重要文化財)&『名樹散椿』(重要文化財)
奥村土牛 『鳴門』・『醍醐』
川端龍子 『鳴門』
佐藤太清 『清韻』・『白鷺』
ほかにも院展、日展、創画展、無所属作家など多数ある。
★2回、いったげどさ。通り過がりのおじさんになった。
(★ウキペディアも参考に編集)


【25】吉井義次:「八甲田山の植物群研究」の世界的植物学者
・明治21年(1888) 吉井で生まれた。
・大正5年(1915) 東京帝大卒。
→東大理学部講師。
・大正12年(1923)〜27年間、,東北帝大で植物生態学講座を担当。
・昭和3年(1928) 東北大学教授。
・昭和4年(1929) 八甲田山植物実験所初代所長。
 機関誌「生態学研究」を創刊。
 日本生態学会初代会長。
・岐阜大学長。「植物生理学」「植物学大要」
・昭和52年(1977) 栃木県今市で死去。88歳。
(★ウキペディアも参考に編集)


【26】吉井泰次:安田銀行取締役&豊年石油社長
・明治41年(1908) 旧吉井町吉井出身。
・ 吉井小→富岡中学校→東京商科大学(現一橋大学)




★明日は、静岡の伊豆〜?

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箕輪初心:生方▲2015高崎【旧吉井町の歴史散策】 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
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