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zoom RSS 箕輪初心:生方▲北条早雲と伊豆の城L南伊豆町:白水城:清水一族詳細

<<   作成日時 : 2015/08/31 07:19   >>

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白水城は、伊豆半島の南端の石廊崎の東に張り出した鷲ヶ岬付け根の
山上に築かれた城である。白水城のある半島と石廊崎のある半島の細
長い入江に石廊崎漁港がある。切り立った半島に挟まれ、水軍の基地
ろ隠す形となっている。自然の要塞と北条の水軍の良港として初期段
階は大いに機能していたことが理解できる。大砲を積んだ大型の安宅
船の時代には清水康秀の下田城を守る清水一族の水軍の基地として
機能したのであろう。
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〜〜〜最近の伊豆東街道シリーズ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心:生方▲伊豆東街道@神奈川県小田原・早川・石橋・米神
http://53922401.at.webry.info/201508/article_19.html

箕輪初心:生方▲伊豆東街道A神奈川県:根府川・江の浦・真鶴
http://53922401.at.webry.info/201508/article_20.html

箕輪初心:生方▲伊豆東街道B湯河原町:土肥実平&湯河原温泉
http://53922401.at.webry.info/201508/article_21.html

箕輪初心:生方▲伊豆東街道C伊豆山〜熱海の旅&熱海の歴史
http://53922401.at.webry.info/201508/article_22.html

箕輪初心▲伊豆東街道D静岡県:宇佐美〜伊東市街
http://53922401.at.webry.info/201508/article_23.html

箕輪初心:生方▲源頼朝41【鎌田俊長】北条早雲と
伊豆の城11【伊東鎌田城】
http://53922401.at.webry.info/201508/article_24.html

箕輪初心:生方▲城ヶ崎海岸:ピクニカルコース&自然研究路の復刻版
http://53922401.at.webry.info/201508/article_25.html

箕輪初心▲伊豆東街道G【河津三郎の血塚】&『東伊豆町の温泉』
http://53922401.at.webry.info/201508/article_26.html

箕輪初心:生方:伊豆東街道H河津町&曽我物語復刻版
http://53922401.at.webry.info/201508/article_27.html

箕輪初心:生方▲北条早雲と伊豆の城K河津城跡:蔭山氏の詰め城
http://53922401.at.webry.info/201508/article_28.html

箕輪初心:生方【開国の町:下田の観光名所勝手に20?】
http://53922401.at.webry.info/201508/article_29.html

箕輪初心:生方▲伊豆東街道J弓ヶ浜〜小稲〜神子元〜大瀬〜石廊崎
http://53922401.at.webry.info/201508/article_30.html


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◆訪問日・・平成24年(2013) 8月28日 
●《アクセス》
国道135号線(★伊豆東街道)〜下田市の伊豆急下田駅〜国道
136号線で南伊豆町に進む。道なりに10km程進む。下賀茂
との分岐を直進し、弓ヶ浜との分岐:日野の信号で国道は右折して
いく。この辺り、遊という民宿や神子ハンマーズがある。橋を渡
り直進して県道16号線に入る。小稲・大瀬を過ぎ、石廊崎を目指す。
10km程先の石室トンネル手前の信号で左折する。300m先に
石廊崎漁港前に遊覧船の有料駐車場がある。車はここに駐める。



●長津呂湾・・・・白水城のある半島と石廊崎のある半島の細
長い入江に石廊崎漁港がある。切り立った半島に挟まれ、水軍の基地
ろ隠す形となっている。自然の要塞と北条の水軍の良港として機能し
ていたことが十分推察できる。

●駐車場
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右に行けば、石廊崎である。
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●登城口・・・手前左手に赤い欄干の小さな橋がある。
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 登ると城跡である。

●急な階段を登る。
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●中腹まで登ると井戸がある。
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石組みの井戸跡は深さ3〜4m・・★凄い。
白水城の名の由来となった井戸が残っている。
 井戸の水が白く濁っていたことから「白水城」と名付け
 られたという。

●登城路
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●虎口
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●一番目の郭・・・3の郭 
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 ★ここは藪に隠れているが、20m×15m程ある。

●石積みのある道
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●3分程尾根手前まで登ると主要部への段差に至る。
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●虎口手前左の繁み奥には土塁がある。

●2番目の郭・・・2の郭
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北に土塁のある方形の郭である。
2の郭の土塁には石積みがあった。
幅7m〜8mの空堀があり、郭と尾根を分断している。
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●虎口・・石積みの痕跡がある。 

●3番の郭・・・・1の郭=主郭
・古びた城址碑が建っていた。


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 主郭は海抜60~70mの山頂にある。
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 L字状に土壇が10m+5m程残っている。
 ★L字土塁は結構、立派だった。
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 ※説明板
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●南西部
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●西の腰郭?
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●西から主郭を眺めるとL字型が分かる。
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●主郭南・・その先にも堀切と土橋が明瞭に残っている。
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●さらに南は南郭であろう。
 その先に堀切と土塁で防御された虎口が築かれている。

●更にその先は自然の崖・・・人の行かない場所だろう
  実質的な城域はここまでだろう。7
  南伊豆町長津呂字鍋浦山

▼戻った。
 石廊崎港を城跡の尾根と反対に登って石廊崎灯台に
 向かった。


●石廊崎灯台に行く途中、白水城の全容が見渡せる。

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◆◆ 長津呂白水城の歴史 ◆◆
・南北朝時代
  足利基氏からの海賊衆11人への書状
@土肥高谷城主:富永肥前守
 A田子小松城主:山本飛騨守
 B中立石坂城主:小沢隼人正
 C松崎沢谷城主:渡辺伊代守
 D雲見上山城主:高橋丹後守
E青野摩原城主:鈴木大和守
 F見作堤坂城主:進士美濃守
G三根金原城主:笹本豊後守
 H本郷氏島城主:志水長門守
 I月崎池原城主:御簾日向守
 J長津呂白水城:御簾三河守
 (★土肥神社『源基氏伝帖』=足利基氏)による城跡が記され
  ている。)
 ★足利基氏の3歳の時となるので、信憑性が疑わしいと
  のことであった。

※南北朝時代に土豪の御簾三河守が白水城は築いた城である。

・延徳3年(1491)
土豪:御簾氏の名前はある。

・延徳3年(1491) 足利政知の死→堀越御所の内紛
「堀越御館の乱」


  7月1日 茶々丸は義母円満院と潤童子を殺害し、家督を剥奪。
 腹違いの弟を殺したことに、伊豆の武士は猛反発。

 
・明応2年(1493) 北条早雲満37歳『明応の政変』
管領:細川政元が10代将軍義材(義稙)を追放した。
  茶々丸弟:清晃を室町殿(実質上の将軍)を擁立した。
  足利清晃は還俗して、義遐→義澄と名乗った。
  
  足利義遐=義澄は母と兄:茶々丸の敵討ちを命じた。
足利義澄は伊勢宗瑞(北条早雲)に茶々丸討伐を命じた。
  
  
  →伊勢新九郎(=北条早雲)は「不孝者・茶々丸の成敗」を
  大義名分に、伊豆の武士団を味方につけた。
  
伊勢宗瑞(北条早雲)の伊豆侵入を招いた。
 
@興国寺城説
 伊勢新九郎(北条早雲)は伊豆堀越御所足利政知の子:茶々丸を
急襲した。

A駿河の丸子城説
「伊豆討入りは、伊豆国の兵の多くが山内上杉家に動員され上野国
  の合戦に出て手薄になったのを好機とした。早雲の手勢200人と
  今川氏親に頼んで借りた300人の合わせて500人が、10艘の船
  に乗って清水浦を出港。駿河湾を渡って西伊豆の海岸に上陸した。」
    (★北条五代記)
伊勢新九郎家臣・・約200
今川氏親の家臣・・約300
  葛山氏は今川氏に命じられて援軍として参加している。
  その後、伊勢宗瑞=北条早雲の次男:氏時を養子にむかえた。

+触れを出した。西伊豆の水軍のメンバー以下の通りである。
@三津の松下三郎右衞門
A江梨の鈴木兵庫助
B土肥の富永政直
C田子の山本太郎左衛門
E雲見の高橋将監
E妻良の村田市之助
達の水軍が加わった。
大見の三人衆:梅原・佐藤・上村などが加わった。
 (★土肥の富永一族:土肥町教育委員会)
住民は海賊の襲来と恐れて家財道具を持って山へ逃げた。
  
夏か秋)
 伊豆堀越御所の茶々丸を攻撃した。
 鈴木繁宗、松下三郎右衛門尉らは北条早雲にいち早く参じた(伝)。


清水一族は、北条早雲に協力した。
  
北条早雲が伊豆へ入国した時から譜代の家柄であった。
  
手紙を出したメンバーに名前がないので、既に家臣に
  なっていた可能性もある。つまり、伊豆の清水ではない
  かもしれない。


 
 茶々丸側の宇佐美能登守貞与の必死の抵抗があった。
宇佐美は戦死した。
  
※説1・・・自殺説
  足利茶々丸は御所の裏山の守山城に籠城後、
    守山城の麓の願成就院で自害。
  →伊勢新九郎が伊豆を支配。堀越御所も廃止。


※説2・・・茶々丸逃亡説
 北条早雲の兵は一挙に堀越御所を急襲して火を放ち、茶々丸は山中
   に逃げ自害に追い込まれた。」
   (★北条五代記)

●茶々丸は堀越御所から逃亡して、武田氏、関戸氏、狩野氏、
   土肥氏らに守られて、中伊豆から南伊豆に逃亡した。

※説3・・深津城逃亡後自殺説
  下田の堀の内に「茶々丸の墓」があり、深津城の関戸氏が
   かばったという説もある。
  (★下田市教育委員会)

  後に、抵抗する関戸吉信の深根城=深根津城(下田市)を
  攻撃して皆殺しにした。3000人とも言われている
   (★下田市教育委員会)

※説4・・・三浦家逃亡説
    茶々丸はさらに、三浦氏隠れた説もある。
     後日、三浦義同(道寸)は北条早雲の援助を受け、
     三浦時高を茶々丸のいる新井城を攻撃し、奪取した。
(★漫画「北条早雲)

※説5・・・甲州武田逃亡説
   茶々丸はさらに、甲府に逃れて、今川氏親&北条早雲に
      討たれた説もある。
(★ウキペディア)

・明応3年(1494)
韮山城を本格的に築城し韮山城を居城とした。
北条早雲は伊豆:韮山城(現伊豆の国市)を新たな居城として
  伊豆侵略の拠点となった。

●富永政直は興国寺城代になった。
(★富永一族の歴史:土肥町教育委員会)



北条早雲は伊豆国の統治をし始めた。
  
@高札を立ててた。北条早雲は
  「味方に参じれば本領を安堵する。参じなければ作物を荒らして
  住居を破壊する。」
  と布告した。
  
 A分国法=早雲寺21ヶ条を制定した。
  兵の乱暴狼藉を厳重に禁止した。
  

 B病人を看護するなど善政を施した。
  風土病があったので、薬を配った。
  →暴君:茶々丸の悪政に苦しんでいた伊豆の武士や領民は
  たちまち北条早雲に従った。
   (★漫画:北条早雲)

 C伊豆国内で四公六民の税制などを行い、領民の支持を得た。
  ※「堀越公方家の重い税制を廃して四公六民の租税を定めたので、
  領民は歓喜し、伊豆一国は30日で平定された」と言われるが、
  江戸時代の軍記は違っていた。  

 北条早雲は伊豆の国人衆を味方につけながら、徐々に南下した。
  茶々丸方を追い込んでいった。


 伊勢新九郎(北条早雲)は大森氏の小田原城奪った。
 後北条の本拠地とした。


・明応7年(1498) 深根城に伊勢新九郎(宗瑞=早雲)の軍勢が迫った
   とされる。
 北条早雲が率いる2000の軍勢は西伊豆松崎に上陸し、松崎街道を
 東進し、深根城を襲った。
 北条早雲は付近の民家を壊して堀を埋め、城内に斬り込んだという。
 多勢に無勢、関戸吉信は自決した茶々丸の首を抱えて城を脱した。
 関戸吉信は梨本(河津町)で自刃したという。
 関戸吉信の妻:尉奈の前(じょうなのまえ)=上杉憲実の娘も自刃した。
 そして、城兵と城内にいた老若男女全てが北条早雲勢によって殺され、
 首は城の周囲に晒された。その数、1000人といわれる。
 悲惨を極めた。
★●北条早雲はさらに5年かかって、全伊豆を平定した。


・永正16年(1519) 北条早雲は88歳(64歳?)没するまで韮山で
 隠居した。

〜〜〜北条氏綱〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

・大永4年(1524) 北条氏綱が江戸城を攻略した。
伊豆西部には富永一族が水軍の棟梁として活動していたが、
   江戸城二の丸説(本丸説)の城代になった。
   以後、富永3代は60年、江戸城代を勤めた。
   富永氏は栗橋城代になってbRの位置を持っていた。

  
清水康英と北条氏の関係
@母?は北条氏康の乳母であった。
 A父:清水綱吉?は、北条家第3代当主である北条氏康の傅役で
 あった。
B清水康英の「康」は、北条家第3代当主:北条氏康からの一字
  を授与された。
 
 清水氏は小田原北条氏の伊豆衆21家の1人である。
  加納矢崎城(静岡県賀茂郡南伊豆町)を本拠としていた。
  三島神社奉行も兼ねていた。
※加納・宇土金・子浦等賀茂郡、三島・修善寺にも領地をあった。
  加納に最も多くの領地を有していることから、加納が本貫の地と
  考えられている。

(★『小田原衆所領役帳』)

清水氏と北条家は強い関係にあった。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

・天文21年(1552) 後北条氏3代目:北条氏康の命によって
  笠原能登守(松田康俊長男)が下田城を創建した(伝)。

※清水康英は伊豆衆の中でも随一の実力者であった。
 伊豆衆29人衆の筆頭とされ、伊豆衆の中でも知行は最も多い
 829貫700文余が与えられていた。
 (★『北条氏所領役帳』)
 河越城の北条綱成、玉縄城の北条綱高、栗橋城の富永右衛門尉、
 下田城の清水康英、平井城の多目周防守(★山中城の三島教育
  委員会では箕輪城)を五家老とし、指物の色がそれぞれ黄備・
  赤備・青備・白備・黒備の「五色備」の体制になっていた。
 (★『小田原旧記』)
訴訟の裁決や政策立案を携る評定衆も務めており、北条氏康の参謀
  であったと思われる。
  評定衆として、北条家裁許印判状(虎朱印状)も発給しており、
  その一部が現存している。
  (★清水文書)

・永禄2年(1559)  北条氏の勢力は10000になった。
 @下田宇土金・・・・清水康英
 A下賀茂:加納矢沢城・・・清水一族本城
 B白水城・・・・・・清水一族
 C子浦城・・・・・・清水淡路守(弟)
 D河津南禅寺分・・・清水小太郎(甥)
 等と支城としたらしい

 (★伊豆水軍物語)
○鵜城=下田城・・・→朝比奈知明
 ○下田本郷氏島城・・→朝比奈知明

 (★『小田原衆所領役帳)』

 玉縄衆の朝比奈孫太郎知明が入った。
  (★北条五代記)

  後北条氏の戦略に基づいて、下田という良港=水軍の出撃拠点とし
 て確保するために下田城が城郭として本格的に城が整えられた。
 伊豆国は北部を笠原氏(山中城代:松田康俊の長男)、南部を
 清水氏が支配した。
  伊豆衆(韮山城の隷下に編成された後北条家臣団)筆頭の大身で
  南伊豆の国人や水軍を束ねる要職であった。

 
・天正16年(1588) 後北条氏は豊臣秀吉との関係が悪化した。
  下田城を築城し始めた。豊臣秀吉に備えて大改修された。
  伊豆衆の一人:清水上野介康英を城主とした。
  
※土肥の富永一族は江戸城の2の丸にいて、武蔵に8万石のbR
であった。富永一族には北条氏邦の右腕:猪俣邦憲がいる。
★猪俣邦憲は養子前は、富永助成?という名前だったっけ・忘れた。
名胡桃事件で、豊臣秀吉の小田原城攻撃をさせてしまった人物
である。(★関東古戦録:久保田順一訳)
しかし、現在、豊臣秀吉の勝手に攻撃した説が有力になりつつある。

 後北条氏は関東の大半を領有し、東国第一の大大名になっていた。
 しかし、既に関東以西は豊臣秀吉が統一していた。
 豊臣秀吉にとって「最後の敵」と呼べるのが後北条氏であった。
 豊臣秀吉との対決が避けられない状況が確実となった。
 西からの攻勢に備えるべく、軍港である下田の城が重要視された。
 豊臣秀吉の水軍勢は熊野九鬼水軍・安宅水軍・村上水軍・河野水軍
 といった西国諸水軍も吸収していた。
 伊豆半島を本拠とする後北条氏の水軍も戦時即応体制が求められ
 たからだ。
 後北条氏5代目当主:北条氏直は、南伊豆の地と水軍を掌握する
 清水康英に対して後北条水軍の母港となる下田城の再整備と
 拡充を命じたのである。

※清水康英の時期の支配の城
 @鵜城=下田城・・・清水康英
 A下田本郷氏島城・・先祖:志水氏の城→朝比奈知明
 B下賀茂:加納矢沢城・・・清水一族本城
 C白水城・・・・・・・清水一族
 D子浦城・・・・・・清水淡路守(弟)
 E妻良城・・・・・・村田
 等と支城としたらしい。
 (★伊豆水軍物語)

・天正17年(1589) 朝比奈孫太郎知明が死亡した。
  しかし、朝比奈家は子がなく、
  清水康英が鵜島城主となった。
清水小太郎康英は下田城城主となり、伊豆水軍を率いた。

  清水康英が築城した。
 ※先祖かいた本郷氏島城にちなんで、鵜島城と名付けた。
  (★伊豆水軍物語)
下田城は、標高68.7mに位置する鵜島山頂に主郭を置いた。
  3方向に伸びる尾根伝いに細長い曲輪を配置している。
雲見(賀茂郡松崎町)の高橋氏や妻良(賀茂郡南伊豆町)の村田
 氏が戦闘準備のために入城した。
そして、多数の武器・兵糧なども運び込まれた。

北条氏直は
「豊臣秀吉軍は船働歴然ゆえ下田城を設けたのであり、康英は戦上手で
あるから一切任すのである。他人の差し出口は不要でる。」
といった意味の手紙を送った。
 (北条氏直の判物:清水文書)



・天正18年(1590) 豊臣秀吉の小田原攻撃
3月 沼津を進発した豊臣の水軍が下田城を来襲した。
豊臣水軍は長宗我部元親・脇坂安治:九鬼嘉隆(くきよしたか)ら
 海戦上手の「海賊大名」である。3人を大将とする1万余りの
  軍勢で下田城を囲んだ。
長宗我部元親勢2500、九鬼嘉隆勢1500、脇坂安治勢1300という
 大軍であった。

 北条方の清水康英を大将としてわずか600余名の兵力であった。
伊豆下田城には清水康英、次男:政勝らが籠もった。
下田城の攻防戦が始まった。
  清水康英は手兵600余で約50日にわたって籠城した。

 下田城で籠城することにより豊臣方水軍は足止めされた
 後北条氏の小田原城への攻勢は影響を受けた=遅くなった。
 ★下田城の籠城は小田原城を防衛するための戦略に叶うものだった
 と考えられる。
 籠城戦においては、武蔵国(東京都・埼玉県と神奈川県東部)から
 城の副将として派遣されて来た江戸朝忠らが戦死した。
 城兵の抵抗は根強く、遂に力攻めでは落城しなかった。
 
 「清水康英は黒糸縅の鎧を着、1丈4尺の大旗を背に指し、盤手鴾毛
  という奥州南部産の駿馬にまたがり、8尺もある樫の棒を振り回し
 て、長柄のほこ先をそろえた敵陣へ割り込み、雑兵らをなぎ倒した。」
  武勇が伝わっている。
(『関八州古戦録』:ウィキペディア)
(『関八州古戦録下巻P169~170』:久保田順一訳)

  4月23日、50日後 
 脇坂安治や安国寺恵瓊らと起請文を交わし、降伏、開城した。
 (★高橋文書)

★1万以上の敵軍に対し、600の少兵で戦い抜いたことは賞賛に値
 する。

★鵜島城に篭もった清水康英は鵜島城落城とともに本貫地を失った。
加納矢崎城も豊臣秀吉軍の鵜島城包囲の前後に廃されたと考えら
れる。

清水康英は河津の林際寺に謹慎した。
 配下一同に下田籠城の苦労を謝して後日の立証を約束し、
 一端離別する旨の書状を書き送った。
 そして、菩提寺:三養院(現賀茂郡河津町川津筏場)へ入って
 隠棲した。

 関東・伊豆は豊臣秀吉の意向により徳川家康の領土となった。
徳川家康の関東移封に伴い、戸田忠次が下田城主となった。
徳川家康の家臣:戸田忠次が下田5000石を治めた。

7月5日 小田原城開城
  
7月11日 北条氏の滅亡。・・・

・天正19年(1591) 清水康英は没した。
清水康英の子:清水太郎左衛門尉政勝は小田原開城後に
 北条氏直に同行した
 その後、結城秀康に仕えた。


◆参考図書
・『伊豆水軍物語』
・『土肥の富永一族』

〜〜〜戦国時代の伊豆・駿東〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心▲伊豆【堀越公方:足利政知館】→北条早雲&伊豆の城@
http://53922401.at.webry.info/201503/article_12.html

箕輪初心★北条早雲&伊豆の城A【北条早雲の生涯】復刻版
http://53922401.at.webry.info/201503/article_13.html

箕輪初心▲北条早雲&伊豆の城B【韮山城】:早雲25年?
49年間の城?
http://53922401.at.webry.info/201503/article_14.html

箕輪初心▲北条早雲&伊豆の城C【江川屋敷&江川郭遠望】
http://53922401.at.webry.info/201503/article_15.html

箕輪初心▲北条早雲&伊豆の城D【狩野城】:狩野茂光築城?
http://53922401.at.webry.info/201503/article_27.html

箕輪初心▲北条早雲&伊豆の城D【柏久保城】:狩野城攻略の城
http://53922401.at.webry.info/201503/article_28.html

箕輪初心★北条早雲の生涯=伊豆・相模国盗り物語
http://53922401.at.webry.info/201309/article_25.html

箕輪初心●静岡:韮山城&江川邸★江川太郎左衛門
http://53922401.at.webry.info/201106/article_17.html

箕輪初心▼相模&駿河【足柄城】:北条氏の武田氏対策の城
http://53922401.at.webry.info/201412/article_2.html

箕輪初心▼駿河:【深澤城】:今川義元→北条綱成→武田信玄
http://53922401.at.webry.info/201412/article_4.html

箕輪初心▲静岡裾野【葛山城】大森弟系葛山→北条綱成娘婿:
葛山広元→武田信玄6男
http://53922401.at.webry.info/201412/article_5.html

箕輪初心●静岡【興国寺城】:北条早雲築城→今川→
北条の塀和→武田信玄
http://53922401.at.webry.info/201412/article_6.html

箕輪初心●静岡:韮山城&江川邸★江川太郎左衛門
http://53922401.at.webry.info/201106/article_17.html

箕輪初心:生方▲北条早雲&伊豆の城E:深根城
http://53922401.at.webry.info/201507/article_17.html

箕輪初心:生方▲北条早雲と伊豆の城G【下田城】:水軍の城
http://53922401.at.webry.info/201507/article_22.html

箕輪初心:生方▲源頼朝41【鎌田俊長】北条早雲と
伊豆の城11【伊東鎌田城】
http://53922401.at.webry.info/201508/article_24.html




 

★明日は南伊豆町矢崎加納城だ。

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箕輪初心:生方▲北条早雲と伊豆の城L南伊豆町:白水城:清水一族詳細 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
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