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zoom RSS 箕輪初心:生方▲源頼朝42【鎌田俊長】北条早雲と伊豆の城11【伊東鎌田城】

<<   作成日時 : 2015/08/24 06:16   >>

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鎌田城は、伊東市鎌田にある318.4mの山城で、比高は約200m
程ある。伊東大川の中流にある松川ダムの北西の最奥部に位置
している。相模湾がちょっとだけ見える。伊東から冷川峠を越
えて、大見・修善寺方面に抜ける街道の監視所として機能して
いた。伊豆の中でも、山中城・韮山城、下田城、足柄山城、
土肥の高谷城・丸山城に次ぐ、重要かつ巨大な城である。
15C末〜16C初頭発掘調査の遺物が確認されている。伊東
氏が北条早雲の伊豆侵攻に備えて整備したものと伊東市教
育委員会は推測している。 (★現地説明文)・・・となると、
明応4年(1495)2月、 伊勢宗瑞(北条早雲)の狩野城攻撃に
際し、伊勢宗瑞から伊東伊賀入道祐遠が狩野道一の進退に
関し、忠節をつくしたとして伊東7郷のうち本郷村を与えられ
たので、伊東氏の築城はそれ以前となる。


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箕輪初心:生方▲伊豆東街道@神奈川県小田原・早川・石橋・米神
http://53922401.at.webry.info/201508/article_19.html

箕輪初心:生方▲伊豆東街道A神奈川県:根府川・江の浦・真鶴
http://53922401.at.webry.info/201508/article_20.html

箕輪初心:生方▲伊豆東街道B湯河原町:土肥実平&湯河原温泉
http://53922401.at.webry.info/201508/article_21.html

箕輪初心:生方▲伊豆東街道C伊豆山〜熱海の旅&熱海の歴史
http://53922401.at.webry.info/201508/article_22.html

箕輪初心▲伊豆東街道D静岡県:宇佐美〜伊東市街
http://53922401.at.webry.info/201508/article_23.html

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2014年9月の伊豆旅行
【2】9月14日・・・ 
06:00 家発・・前橋IC〜・・関越・・圏央道
八王子・・海老名JC・・東名・・伊豆縦貫道
10:00 大瀬崎着・・・潜水堂:高橋先生&吉井氏に挨拶
10:30 大瀬館は、「インストラクター単独潜水を容認していた。」
 1)1本目 黄銅色のカエルアンコウ・ツバメウオ・・
12:30 昼食「シラス丼]・・・約800円
2)2本目「ミジンベニハゼ」は見つけられなかった。
※鈴木繁伴館・・・4回目
3)3本目
18:00 土肥温泉民宿『【山仙】』・・0558-98-0115
18:20 夕食・・・★★★★料理が旨い。
【3】 9月15日
@大見城・・・30分コース
A伊東:鎌田城・・・1時間コース標高差100m
ハイキング案内40分・・実際25分
B伊東:仏光寺・・・
B伊東:伊東祐親の墓
C伊東:伊東祐親の館=伊東市役所隣の物見塚公園
D伊東:伊東祐親の祈願所:葛見神社
E葛城城・・・セット2890円
Fセット料金で1600円分・・2000円分は食えて満足した。
13:35 函南塚本〜・・渋滞・・・
14:00 沼津IC・・・東海道・・・厚木
17:15 家★今回も4時間程で着いた。





◆訪問日・・・平成26年(2014)9月15日
06:30 土肥温泉の民宿「山仙」を出た。修善寺市街より
  県道12号線を東に進み・・・・そういえば、
 「大見城」って城があったっけ。・・・
 GSで軽油を入れて,場所確認をした。
大見GSの主人の話「大見城は烽火の城です。」から想
像すると、鎌田城〜大見城〜大仁城〜韮山城へと連絡が行く仕
みになっていたのであろう。

07:30伊豆の国市「大見城」で30分コース・・・

●ナビをセットした。
 冷川大橋を右折して・・・松川湖(奥野ダム)を目指した。
 奥野トンネルを越え100m程で松川ダム入り口・・・
 ダム湖の駐車場が利用できるが、・・・・
 さらに100m程行くと、何かの資材置き場があった。
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●案内板
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「平成14・15年度の伊東市教育委員会による発掘調査で、
城内の各所から掘建柱建物跡が検出され、中国製青磁碗・常
滑焼の甕(かめ)・瀬戸焼の擂鉢や皿・カワラケ・鉄製小刀な
どが散乱した状態で出土しました。これらの陶磁器類は、い
ずれも15世紀後半の室町時代のもので、城内に茶の湯をた
しなむ位の高い武士がいたことを示しています。
 この城は、複雑な郭を配置していますが、外側を高さ2m
程の土塁と深い空堀で防御して、内側には雨水排水用の小溝で
区切る平坦面を造成している構造が判明しました。排水溝を埋
めていた土には火災に遭った痕跡があり、土塁の上には投石用
に準備された石も残っていました。
 遺物の出土状態や火災の痕跡から戦乱によって落城した城と
みられ、15世紀後半という年代観からは、在地の有力武士で
ある伊東氏が北条早雲の伊豆侵攻に際して抵抗した場所と推定
されています。」

●登城口は2コース
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@伊豆修善寺方面から・・・
  修善寺駅に行く橋を渡り県道12号に入り
  伊豆スカイライン冷川ICを過ぎる。
  ホンダの研修センター前の三叉路を左に松川湖ダムを目指す。
  新山道コース・・・松川湖ダム管理棟駐車場でもよい。
  バイパストンネル手前から案内標識に沿って登る。
  約40〜45分。

A伊東市から・・・・・中伊豆バイバス入口交差点からカインズ
  ホームの先:八代田地区のハイキングコースから入る。
  大手道コースで30〜35分。   
 (伊東市HP他より)

●鎌田城ハイキングコース入り口
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 ハイキング案内には40分とあった。
 伊東:鎌田城・・・1時間コースかあ。
 標高差100m
ハイキング案内40分・・実際25分

●案内板奥から登城路が完備されているらしい。
 長袖・長ズボン・長靴・篠・・・カメラ・お茶・・

●車が捨ててある。
 沢に沿って歩く、時には石がゴロゴロしている川の
 中をいく。
 所々、猪のペリットがある。

●8分で、沢に別れた。

●トラバース気味に歩く。

●炭焼き窯跡が2ヶ所あった。
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●13分程で尾根にでた。
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●カメラに納めた縄張り図の写真を見る。

●尾根を行く。

●北の第1の空堀
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●北の第2の空堀
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●土塁
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●北西の主郭下の堀
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3重の空堀になっていた。凄い。
★北西の尾根には三条の連続堀切が確認できた。
城内側の堀は横堀である。
 外側に土塁がある。
 南端はL字になって竪堀へと変化する。


●北西と北東下に一段下がった腰曲輪がある。
  北西側は外側に土塁がついている。
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●虎口付近
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●東の空堀・・・★でかかった。
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深さ10m・・・反対も5〜6mある。
30m程続いているようである。
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東に土塁がある。
 東尾根は二重の横堀状の空堀がある。
 土橋が架かっている。


●二の郭
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 ★山頂付近はは広く段差の少ない地形が広がっている。

●2の郭:龍爪神社
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●堀は横堀である。
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 両側に土塁がある。
 南端はそのままL字になって竪堀へ繋がっている。

●主郭は龍爪神社の南西にある。1の郭である。
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20分程で主郭に着いた。
★とにかく、城域が大きい。
山頂は広く段差の少ない地形が広がっている。
●主郭の案内板
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●土塁
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●西の郭=展望台
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 ★松川ダムがきれいだった。
  ここなら、街道を見張れるなあ。


▼戻って、北の帯郭?を見た。

●北西下に一段下がった腰曲輪がある。
 北西は外側に土塁が付いている。


▼戻って、南の空堀を見た。
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●更に先にも空堀があった。
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▼下山した。

●13分で戻った。

●車で移動・・・伊東祐親関係を見物することにした。

●途中、カインズホーム付近から鎌田城が見えた。
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この辺りが鎌田俊長が造った鎌田城ではないだろうか?


●伊東市役所・・・
 海から約6km程・・・円錐形の「鎌田城」が見えた。

★鎌田城は伊東市街地から松川(伊東大川)沿いにさかのぼった
 所にある。松川湖=奥野ダムの東の山である。
 標高318mの城山山頂に築かれている。
 鎌田城は山頂部分の三角形の形をした地形に曲輪を設けて、
 北西、西、北東、東へ伸びる尾根を堀切で遮断している。
 連続堀切や横堀など見所の多い城であった。





◆◆ 鎌田城の歴史 ◆◆

・平治元年(1160) 平治の乱
源義朝は平清盛に敗れた。
12月9日 源義朝は家臣:鎌田政清とともに尾張国
   熱田神宮に逃れた・・・
   旧臣の長田忠致によって討たれた。
鎌田俊長は平家の来襲に備える為に鎌田城を築いた(伝)。
 ※鎌田の地名は、鎌田がこの付近一帯を支配したことから
  起ったと考えられている。

・治承4年(1180) 源頼朝の挙兵
源氏方である鎌田俊長に対して、平氏方の伊東祐親は留守中に
  鎌田城を攻め落とした(伝)。
※鎌田俊長築城説@・・・平地の部分にあった。
※伊東一族築城説・・・・当時は別の場所だった。
★発掘調査から、鎌田城は今の場所ではなかったことになる。

・文治5年(1189)鎌田新藤次俊長によって築かれた(伝)。
  鎌田政清の子:鎌田俊長である。
  鎌田俊長は平家の来襲に備えるために鎌田城を築いた(伝)。
※鎌倉御家人の鎌田新藤次俊長が築城(伝)説A  
 

・南北朝時代

・室町時代

・15C後半・・・発掘調査から1400年代後半の出土。
  ★北条早雲の来る以前に城があった可能性がある。

明応2年(1493)に伊勢新九郎盛時(北条早雲)が、韮山の
  堀越御所を襲い足利茶々丸を攻撃した後、数年間伊豆半島を
  制圧していた戦乱の時期と一致するので、北条早雲の反対勢力
  がこの時期には築城されたとも考えられる。
★おそらくは伊東氏が北条早雲の伊豆侵攻に備えて整備した
  ものであろう。(伊東市教育委員会の見解)



・明応2年(1493) 伊勢盛時(伊勢宗瑞・北条早雲)は 
   堀越公方:足利茶々丸を攻撃した。
   伊豆侵攻・・伊豆の内乱は続いた。
   ★伊東氏は、伊豆守護山内上杉氏の被官で、
   当初茶々丸派として伊勢盛時と敵対した。

・明応4年(1495) 伊勢宗瑞の狩野城攻撃
2月 伊勢宗瑞から伊東伊賀入道祐遠が狩野道一の進退に
    関し忠節をつくしたとして
    伊東7郷のうち本郷村を与えられた。
伊東氏は北条方になっていた。

・明応6年(1497) 伊勢宗瑞の柏久保奪取
狩野道一の反撃
  大見3人衆が背後から狩野道一の動きを封じた。

 12月 大見3人衆が大見城に籠城。
  修善寺から伊東にかけて激しい戦いがあった。


・明応7年(1498) 茶々丸が甲斐で滅亡。  
  伊勢宗瑞の伊豆平定
  
  伊東氏は御馬廻衆として約227貫となった。
(★『北条氏所領役帳』)


・永禄2年(1559) ・・・現伊東市の所領
@朝倉右京進・・・・・鎌田44貫815文
  ・永禄年間(1558〜1569)  
  鎌田城主:朝倉右京進は44貫815文を領していた。
  北条氏の「伊豆衆21家」:朝倉平次郎:三島梅縄城主の
  所領であった。
  ★鎌田城が朝倉氏の本城になった可能性がある。
A山角四郎左衞門・・・赤沢10貫文
B大導寺・・・・・・・吉田・八幡野80貫文
  大導寺政繁は河越城主(1582年〜後松井田城主も兼任)
C伊東九郎三郎・・・・伊東内岡70貫文
○北条氏政は伊東九郎三郎に「政」の字を与えた。
  伊東政世となった。
  北条氏政の家臣でも上位だった。
伊東氏所領中70貫が鎌田城東2kmほどの
  「伊東の内岡」にある。
 D勝部小三郎・・・・・湯川・松原80貫文
E狩野藤八・・・・・・宇佐美屋敷分10貫文

 (★『小田原衆所領役帳』)

 
※天正元年(1573)に織田信長によって越前一条谷の『朝倉氏』
   が滅ぼされ、生き残った朝倉一族は北条氏政に仕えた。
  北条役帳には「朝倉右馬助、120貫、三浦浦ノ郷」とあ
   る。朝倉能登守は、浦郷村(現追浜南町)の良心寺の東に
  居館を構えていた。おそらくは朝倉右馬助→朝倉能登守信景
  であろう。


・天正18年(1590) 豊臣秀吉の小田原攻撃
   鎌田城を北条氏の改修説
   大規模な主郭・2の郭・堀切・枡形虎口・・・
とにかく大きいのだ。こう考えると、
  @下田城と小田原城の海上ルートの中間地点
  @韮山城と小田原城の街道ルートの監視所
  として後北条氏により大改修されたと考えるのが
  妥当であろう。

・平成16年(2004) 伊東市教委発掘調査・・・
  出土品から城の使用された時期が15世紀後半と18世紀以降
  だけと判明。
    (現地案内板・伊東市HPより)    
・・・つまり、1400年代後半。
  北条早雲の来る以前・または、混乱期に
  鎌田城があったことになる。

◆参考図書・文献
・「静岡の山城ベスト50を歩く」:加藤理文・中井均編 
・「北条5代」:相川司著・・・・等多数。
・現地案内板 
・伊豆水軍物語

◆参考サイト
・伊東市Hp

〜〜〜戦国時代の伊豆・駿東〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心▲伊豆【堀越公方:足利政知館】→北条早雲&伊豆の城@
http://53922401.at.webry.info/201503/article_12.html

箕輪初心★北条早雲&伊豆の城A【北条早雲の生涯】復刻版
http://53922401.at.webry.info/201503/article_13.html

箕輪初心▲北条早雲&伊豆の城B【韮山城】:早雲25年?
49年間の城?
http://53922401.at.webry.info/201503/article_14.html

箕輪初心▲北条早雲&伊豆の城C【江川屋敷&江川郭遠望】
http://53922401.at.webry.info/201503/article_15.html

箕輪初心▲北条早雲&伊豆の城D【狩野城】:狩野茂光築城?
http://53922401.at.webry.info/201503/article_27.html

箕輪初心▲北条早雲&伊豆の城D【柏久保城】:狩野城攻略の城
http://53922401.at.webry.info/201503/article_28.html

箕輪初心★北条早雲の生涯=伊豆・相模国盗り物語
http://53922401.at.webry.info/201309/article_25.html

箕輪初心●静岡:韮山城&江川邸★江川太郎左衛門
http://53922401.at.webry.info/201106/article_17.html

箕輪初心▼相模&駿河【足柄城】:北条氏の武田氏対策の城
http://53922401.at.webry.info/201412/article_2.html

箕輪初心▼駿河:【深澤城】:今川義元→北条綱成→武田信玄
http://53922401.at.webry.info/201412/article_4.html

箕輪初心▲静岡裾野【葛山城】大森弟系葛山→北条綱成娘婿:
葛山広元→武田信玄6男
http://53922401.at.webry.info/201412/article_5.html

箕輪初心●静岡【興国寺城】:北条早雲築城→今川→
北条の塀和→武田信玄
http://53922401.at.webry.info/201412/article_6.html

箕輪初心●静岡:韮山城&江川邸★江川太郎左衛門
http://53922401.at.webry.info/201106/article_17.html

箕輪初心:生方▲北条早雲&伊豆の城E:深根城
http://53922401.at.webry.info/201507/article_17.html

箕輪初心●静岡:山中城=堀障子の残る百名城
http://53922401.at.webry.info/201106/article_16.html
 ★山中城1回目・2回目を掲載

箕輪初心:生方▲北条早雲と伊豆の城G【下田城】:水軍の城
http://53922401.at.webry.info/201507/article_22.html

〜〜〜〜おまけ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心▲神奈川【河村城】:河村氏→上杉氏→北条氏
http://53922401.at.webry.info/201412/article_1.html

箕輪初心▲神奈川【小田原城の歴史詳細】:大森氏→北条氏5代
http://53922401.at.webry.info/201411/article_26.html

箕輪初心▲神奈川箱根【早雲寺】:後北条5代の墓
&連歌師:宗祇の碑
http://53922401.at.webry.info/201411/article_27.html

箕輪初心●神奈川【石垣山一夜城】=秀吉の天下統一の城 
http://53922401.at.webry.info/201106/article_18.html

箕輪初心▲神奈川【石垣山一夜城A】豊臣秀吉の天下統一への陣城
http://53922401.at.webry.info/201411/article_29.html



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