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zoom RSS 箕輪初心:生方『日本のいちばん長い日』のあらすじ前編

<<   作成日時 : 2015/08/13 13:48   >>

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昭和20年(1945)8月15日、終戦。玉音放送があり、降伏を宣言
した。戦争降伏が国民に知らされるまでに何があったのか?を史実
を『日本のいちばん長い日』大宅壮一著を元に作られた2回目の作
品である。4月7日、鈴木貫太郎内閣は、枢密院議長の鈴木貫太郎
が第42代内閣総理大臣に任命された。7月26日、連合国は日本
にポツダム宣言受諾を要求。降伏か、本土決戦か。連日連夜、閣議
が開かれるが、議論は紛糾。結論は出ないまま、8月6日広島、8
月9日に長崎には原爆が投下され、事態は一弾と悪化した。
一億玉砕論が沸騰する中、阿南惟幾陸軍大臣、天皇陛下、鈴木貫
太郎総理は決断を苦悩する。8月15日早朝、畑中健二少佐ら青年
将校たちは終戦に反対するクーデターを起こした。宮内省・放送局を
占拠した。・・歴史の舞台裏が分かる凄い作品である。
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箕輪初心:生方「群馬空襲&U子のいる中島飛行機小泉製作所」
http://53922401.at.webry.info/201508/article_12.html

箕輪初心▽太平洋戦争史@【日中戦争〜真珠湾攻撃〜東南アジア侵攻】
http://53922401.at.webry.info/201201/article_5.html

箕輪初心◆太平洋戦争史A【東南アジア・オセアニアへの破竹の侵攻】
http://53922401.at.webry.info/201201/article_6.html

箕輪初心◆太平洋戦争史B【日本の侵略最高潮→連合軍の反撃】
http://53922401.at.webry.info/201201/article_7.html

箕輪初心剔セ平洋戦争史C【マリアナ諸島→レイテ→硫黄島→沖縄→
本土→原爆】
http://53922401.at.webry.info/201201/article_8.html

★★ 箕輪初心◆広島の原爆投下 
http://53922401.at.webry.info/201105/article_23.html



◆出演者
・昭和天皇・・・・・・・・本木雅弘
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・鈴木貫太郎首相:内閣総理大臣)・・・山崎努
・慶応4年(1868) 生まれ。
・明治10年(1877) 父の群馬県庁への就職に伴い前橋市に転居。
・明治11年(1878)第一番小学校厩橋学校(現前橋市立桃井小学校)卒。
・明治16年(1883) 旧制前橋中学(現前橋高等学校)卒。
攻玉社で学ぶ。
・明治17年(1884) 海軍兵学校入校。
・明治20年(1887) 14期海軍兵学校卒
★鈴木総理は日本の終戦ために偉大な働きをした人物である。
★千葉県野田市に家がある。・・・関宿城近くの家に行ったけれど。

・阿南惟幾:陸軍大臣・・・役所広司
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・米内:海軍大臣
・木戸幸一:内務大臣
・東郷:外務大臣
・・・・など閣僚
・東條英機:陸軍大将
・畑中健二:陸軍少佐・・・・・松坂桃李
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・迫水久常書記官・・・・・堤真一
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・保木令子:ラジオ局放送員
・ニュース:戸田恵梨香
・佐々木武雄:陸軍横浜警備隊長・・・:松山ケンイチ



●大日本帝国の終焉・・・▲アメリカ側の原爆投下までの過程
本作品はノンフィクションなので歴史的な背景を知っておくと
作品に没頭できる。

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米軍日本を初空襲、第一目標は中島飛行機のエンジンだった
…地方記者の原稿録GH
http://srkanemaru.at.webry.info/200710/article_8.html
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●昭和19年(1944)
7月 アメリカ軍はマリアナ諸島(サイパン島、テニアン島、
  グアム島など)を占領した。
 
・11月〜 アメリカ軍は大型爆撃機 B-29「スーパー・フォートレス」を
 飛来させ、日本の重要軍需工場・都市爆撃を始めた。


●昭和20年(1945)
◆ アメリカ軍はマリアナ諸島(サイパン島、テニアン島、
  グアム島など)から飛来する大型爆撃機B29によって、日本本
  土空襲がを本格化した。   

・1月 〜終戦まで
中島飛行機のエンジン工場であった武蔵製作所の相次ぐ空襲、
  東京や日立方面の部品工場の爆撃により、生産計画はままなら
  ぬものになっていった。
つまり、部品工場の空襲により、生産工場の太田製作所や小泉
  製作所は次第に資材不足になっていった。

  小泉製作所は武蔵製作所の空襲、次第に資材不足になっていった。
  代替の材料での品質低下と納入遅延に繋がっていった。
  
  また、小泉製作所は熟練工は兵役に召集となり素人徴用工が主体
  になっていった。
  飛行機の航続距離も当然落ちて、戦闘能力不足になった。
  
武蔵製作所は十数回の爆撃を受け爆弾500発以上が命中し、
 200人以上の死亡し、500人以上の負傷者を出して、工場は全く
  の廃墟と化した。

太田製作所や小泉製作所の周りにも発動機などの関連工場は
あったが、生産力は急激に衰えていった。
福島氏の叔父も新田?の発動機工場の熟練工であった。

◆2月10日 
  昼、アメリカ軍は東京都大田区を空襲。
 中島飛行機小泉製作所を空襲。


◆2月25日 アメリカ海軍、小泉製作所・太田製作所も空襲。

03月10日 東京大空襲
03月12日 名古屋大空襲
03月13日〜14未明 大阪大空襲
03月16日 神戸空襲
03月17日 硫黄島の日本軍守備隊が玉砕。
03月25日 名古屋大空襲


◆◆ 「日本のいちばん長い日」が始まる。◆◆〜〜〜
【1】起の章・・・鈴木内閣組閣までの経過
●3月末
 「次の総理は阿南にしましょうか?」
 小磯内閣は、木戸幸一内府は陸軍中将:阿南惟幾を疑問視していた。
 近衛文麿は岡田啓介と会談し、岡田啓介は平沼騏一郎と会談した。
 小磯内閣の次には鈴木貫太郎枢相に出馬を願うことに意見が
 一致した。若槻礼次郎も同意した。
 東條英機は
 「阿南に賛成だ。陸軍から出すべきた。」
 と、そっぽを向いた。
 東條英機を除く政界有力者は鈴木貫太郎の擁立で一致した。
また、高松宮も鈴木擁立に賛意を示した。
  
■4月3日 高松宮邸を訪問した細川護貞に、宮(天皇様)は、
 「鈴木(貫太郎)大将を総理にすると云ふ案は、考へて見るとなか
 なか面白いと思ふ。第一、御上の御信任が厚いと云ふこと、第二に
 御上の御思召し通りに政治を運営しようと努力するだらうこと、
 第三に意志が強固だと云ふこと」。
 (細川が)鈴木大将が御引き受けしないと思ひますと申し上げたる
 所、
「夫れは政治はやらないかもしれないが、もうかうなれば政治でも
 ないし、まして御親政ということならば、思し召しを具体化する
 ことのみやればよいのだから、其の点から説いたらよいではないか」               
    (★細川日記:昭和二十年四月三日)


04月01日〜6月23日 沖縄戦
04月01日 アメリカ軍が沖縄に上陸。

▲4月03日 アメリカ軍は小泉製作所を空襲。
       
◆4月04日 アメリカ軍は東京都大田区
 →小泉製作所に隣接する小泉飛行場を空襲

04月05日 ソ連が「日ソ中立条約を延長しない。」と通達してきた。
 戦局もさりながら、国際状況は日本にとって急加速度的に悪く
 なりつつあった。。

●鈴木は車?帝国議会場?首相官邸?に向かった。
鈴木は
「本土決戦になれば、桜は咲かないな。」
と独り言を言った。

●首相官邸
 小磯国昭内閣総辞職した。
 小磯内閣後継者をを議する会議が開催された。
 出席者は、木戸幸一、近衛文麿、岡田啓介、平沼騏一郎、
 広田弘毅、東條英機、若槻礼次郎、枢密院議長:鈴木貫太郎が
 出席した。
 まず最初に、木戸内府が
 「参考までに・・・陸海軍統帥部、また陸海軍大臣から戦局の
 見通しが益々困難なるべきも、全然望み無しとのことに非らず」
 と語られた。
 後、議事に入った。
時局の関係上、陸海何れかの軍人との意見が多い。
 木戸は、鈴木に意見を求めた。
 鈴木は、
「近衛公を推します。」
 東條は
 「畑俊六元帥を推薦したい。陸軍軍人でなければ。
  陸軍は『そっぽ』を向くであろう。」
 と述べた。
  岡田啓介海軍大臣は怒って、
 「『そっぽ』を向くとは何事だ。」
 とつめよった。
 東條は、「そっぽ」を向くとの発言を取り消した。
 陸軍に理解なければ、都合悪しとの意味であると訂正した。
 平沼は
「鈴木前枢密院議長を推薦します。」
 鈴木は、
「従来、軍人が政治に関与することに反対し来りたる立場も
 あり、御受けすることは極めて困難だ。耳がよく聞こえないし・・」
と述べた。
 平沼は、
「現役を退かれてより既に10年・・。」
 
●4月04日
鈴木枢密院議長は宮内にあった。
天皇から
「総理を引き受けてまいか?」
鈴木は
「私は77歳にして、耳が遠く、務まりません。
 それに、明治天皇から軍人は政治に関与してはならない。」
と言われています。
天皇は
「鈴木がいて、阿南がいて、あの年月ば懐かしく思う。
 もう、人がいない。」
鈴木は引き受けざるを得なかった。
鈴木は天皇の心が「終戦」にあることを「以心伝心」
と感知したのだ。


●4月6日、 鈴木枢密院議長に総理の大命が降下された。

●鈴木は焼け野原の東京をの町中を越えて、自宅の戻った。
鈴木は
「困ったことになった。」
息子は
「秘書になります。」
と農水省?辞めることにした。
妻が
「着替えましょう。」
鈴木はステテコ姿になりながら、
「また、狙われるな。二二六の時のように・・・
 肩・胸に金玉に・・・。」
そして、組閣メモを書いた。
・・・・・
・・・・・
「陸軍大臣・・・阿南惟幾だけ、決まったな。

●東京空襲があった。

●一方、陸軍官舎
「陸軍部会を開きます。」
「陸軍としては、3つの条件を提示します。
・・・・・
・・・・・
阿南は
「必ず、実行します。」

●阿南家では
「娘の結婚式は帝国ホテルで・・・。」
娘は
「そんな豪華にしなくても・・。」
「次男が死んだので、お前は豪華にしたいのさ。」


04月07日 アメリカ海軍航空隊の空襲で
       戦艦:大和炎上→沈没。
    沖縄水上特攻部隊(第2艦隊)が崩壊。

●組閣参謀は鈴木内閣書記官長:迫水久常が帝国議会場に到着した。
  
●鈴木貫太郎内閣が成立。
総理大臣:鈴木貫太郎 (海軍大将→10年間枢密院議長)
内務大臣:安倍源基
外務大臣:鈴木貫太郎 昭和20.4.7〜4.9
    :東郷茂徳 昭和20.4.9〜20.8.15 貴族院
大蔵大臣:広瀬豊作
司法大臣:松阪広政
文部大臣:太田耕造
農商大臣・石黒忠篤
運輸通信大臣:豊田貞次郎 昭和20.4.7〜20.5.19 廃止
  運輸大臣:小日向直登 昭和20.5.19〜運輸省設置
軍需大臣:豊田貞次郎(海軍大将)
陸軍大臣:阿南惟幾(陸軍大将)
海軍大臣:米内光政 (海軍大将)
大東亜大臣:鈴木貫太郎 昭和20.4.7〜4.9 前枢密院議長
     :東郷茂徳 昭和20.4.9〜20.8.15 貴族院
厚生大臣:岡田忠彦
国務大臣:桜井兵五郎
国務大臣:左近司政三
国務大臣:情報局総裁:下村宏
国務大臣:安井藤治 昭和20.4.11〜20.8.15
内閣書記官長:迫水久常
法制局長官:村瀬直養
(★ウィキペデイアより転載&加筆)

 

【2】承の章・・・鈴木内閣組閣後の展開
★こうして、鈴木老首相77歳の終戦に向けた努力が始まった。

●4月12日 アメリカのルーズベルト大統領(63歳)が急逝。
  →後継に副大統領ハリー・S・トルーマン。
鈴木総理は
 「ルーズベルト大統領の死を痛み入ります。・・・
  お悔やみ申し上げます。しかし、・・・・・・
 アメリカの日本への努力がなくなるわけではありません。
 我々日本は・・・。」
と答えた。


●4月13日 宮内省宮城(天皇のいる旧江戸城内のこと)
  が空襲にあった。

04月22日、 ソ連軍がベルリン市街に突入した。
 
●4月24日〜25日 東京大空襲
  東京西部、北部、中部を焼き尽くした。
  徳川霊廟、三笠宮、秩父宮、大宮御所に続いて宮城=皇居ま
 で火に包まれた。
 鈴木は首相官邸の屋上に上り、
 「宮は大丈夫あろうか?」
と心配した。

●海軍の官舎も全焼した。

04月27日、 イタリアのムッソリーニが逮捕され、翌日銃殺。

04月30日 ドイツ総統ヒトラー自殺。
05月02日 ベルリン防衛軍司令官降伏(ベルリン陥落)。

●映画では
 空爆写真&ヒットラーの死などが写真&新聞写真が
 掲載された

 ★日本は世界の中で孤立してしまった。
  アメリカ軍の空襲攻撃も苛烈を極めた。

05月02日 アメリカ軍がミンダナオ島のダバオを攻略
     イギリスのインド軍がビルマのラングーンを占領。

05月07日 ドイツ大統領カール・デーニッツ無条件降伏
  →ナチスドイツが滅亡。
05月08日 ドイツ陸海空軍代表がベルリン郊外カールスホルストで
       降伏文書に調印。


05月14日日本政府がソ連を仲介とした終戦工作を決定。
      名古屋大空襲
05月16日 マレーシアのペナン沖海戦


●5月24日未明〜 東京大空襲
山の手大空襲・・
 山の手に470機ものB29が来襲した。
 死者3651名。焼失16万6千戸。

●5月25日〜26日 東京大空襲
 「250機、進入。・・」
 海軍省官舎では、
 「水をかけ続けましょう。」
 海軍省から宮殿に火が移っていった。
 映画はこの場面を写している。 
 死者3242人、被害家屋156,430戸。
 国会議事堂・東京駅・皇居・明治宮殿が焼失した。

●御文庫に避難されていた昭和天皇は無事だった。
 死傷者は合計7415人となった。

※昭和20年(11945) 106回もの空襲を受けた.
特に3月10日、4月13日、4月15日、5月24日未明、5月25日-26日
の5回は大規模だった。

05月29日 小沢冶三郎中将が連合艦隊司令官に就任。


05月29日 横浜大空襲。

       横浜市街地半分が消失。


●6月6日 内閣総合企画局は『国力の現状』と題する報告書をの最高
  戦争指導会議に提出した。
 産業の現状から継戦は困難という見解を示したが、徹底抗戦を求める
 軍部の圧力を受けて「敢闘精神を補えば本土決戦は可能」という結論
 となった。

●6月8日  御前会議
 「皇土保衛」「国体護持」を目的とした
「戦争指導大綱」が決定された。
 天皇は
「戦争の終結について考えていくことを希望する。」
 おっしゃった。そして、退席した。
 鈴木総理は
「天皇は和平に関するお言葉を述べられた。」

 
●陸軍省官舎
 東條が現れ、陸軍のあり方を問うた。
 畑中が褒められた。
 
  
●6月9日 帝国議会
  決戦体制作りに向けた(義勇兵役法など)審議が成された。
  鈴木が本会議でおこなった演説の言質を議員が問題として議事が
  紛糾した天罰発言事件も起きている。
  わずか4日の審議で法案は可決成立した。
 
●6月12日の皇居
 天皇の朝食は雑炊だった。
 「弁当の会食をしませんか。」
 と侍従が言った。

 この日、阿南の娘は古賀と結婚した。





06月08日 御前会議で本土決戦の方針の確認。

▲6月16日〜終戦まで、アメリカは通常兵器による空爆を再開。
      中小都市への焼夷弾爆撃。


06月18日 沖縄の第32軍組織的抵抗が終了。
06月19日 静岡大空襲(〜20日)

●6月22日 御文庫内地下室
 御前会議
「これは、あくまで6人と木戸・・・。」
 天皇が 
「6月8日・・・
 戦争の終結について考えて行くことを希望する。」
 と述べ、退席された。
 
天皇退席後、天皇に阿南が呼ばれた。
 「結婚式はどうななったのか? 5月に帝国ホテルは営業を
  やめたと聞く。」阿南は
 「九段の???・・・で、できました。」
 と答えた。
 「そうか、それは良かった。」
 とおっしゃった。
 ★阿南はそのことを8月15日までずうっとありがたく思っていた。
 
鈴木首相は
「天皇は和平に関するお言葉を述べられた。」
・・・
で、終戦工作促進の確認した。
 内務大臣:木戸幸一や海軍大臣の米内光政は講和に向けて働きかけ
 御前会議で「ソ連を仲介とした米英との講和交渉」が決定された。



●6月23日 義勇兵士法公布
      15〜60歳の男性&17〜40歳の女性

●6月23日 沖縄の戦闘が終結した。
  日本の敗色は濃厚となっていった。

●鈴木内閣東郷外相の下、終戦工作の一環として、再びソ連に
 和平を仲介してもらう案が出てきた。
 
●天皇は近衛文麿を呼んでソ連特使を依頼した。
 
●?月?日 近衛文麿はソ連にいた。
 スターリンとモロトフ外相は戦後処理の案件でドイツの
 ポツダムに向かったため、
 「回答は遅延するであろう」。
 と、打電した。

●6月27日、米英支によるポツダム宣言
日本政府は回答を保留し、なおも対ソ工作に望みを掛けた。
  ポツダム宣言には国体に関する条項がなく、政府としてはこれが
  心配だったのである。

06月26日 国際連合発足(加盟50カ国)。     


●7月上旬 近衛文麿の特使派遣がソ連に対して打診された。
  ヤルタ会談での密約で対日参戦を決めていたソ連は実質的な拒絶
  回答をおこなった。
  しかし、日本政府はソ連に対して仲介を求め続けていた。

07月05日 第1次横手空襲

07月10日 仙台空襲

▲7月10日 高崎・高崎市旧群馬町の菅谷飛行場(現高崎イオン周辺)
 もアメリカ軍艦載機グラマンの空襲を受けた。
07月12日 宇都宮空襲
※中島飛行機の宇都宮工場が標的の中心であった。
07月14日 函館空襲(〜15日)
07月14日 北海道空襲
07月14日 釜石艦砲射撃
07月15日 室蘭艦砲射撃
07月15日 小樽空襲

07月18日 ソ連が近衛特使の「終戦工作」受け入れを拒否




【3】転の章・・・ポツダム宣言と鈴木内閣&天皇の動向
●7月26日 ドイツのポツダムで英・米・ソ首脳会談〜〜〜〜
 ポツダム宣言発表
(★ポツダムの会議場所サンスーシの写真が見つからない。)

★内容・・・日本軍の壊滅や軍国主義の排除などを要求しており、
 戦争に降伏しない場合には速やかに壊滅させる
 という、恐ろしい内容であった。
それは決してハッタリでも脅しでもはなかった。
結果として&史実として、8月6日の広島、8月9日に長崎の
原爆投下があった。
お仲間であったドイツやイタリアなど・・降伏していた。

●陸軍省官邸の弓道場
 阿南は弓を射ていた。
 「楠木正成公・・・

 
●首相官邸
鈴木総理は
「聖断」の決定を考えていた。

●閣僚会議


●御前会議
天皇は、
「この際従来の観念にとらわれることなく、速かに具体的研究を遂げ、
 和平実現に努力せんことを希望する。」
と勅語を与えた。


●閣僚会議
 →日本は 降伏勧告ポツダム宣言に対して、
鈴木総理もは、
「天皇の意志を受けてついに終戦工作に乗り出すべきだ。」
木戸は、
「賛成だ。」
松村謙三も
「総理の真意は判った。しっかりやってくれ。」

????は
「総理はけしからぬ事を言った。」
と憤慨したた。
 
木戸は近衛に
「海軍大臣が和平を言い出すかと思っていたが一向やらぬ。」
と言った。

阿南は
「日本は陸軍600万人がいる。黙殺すべし。」



結果・・・和平派3 VS 黙殺派3のままだった。 
鈴木総理は結論がでないので、
「無視・黙殺」の方向性に決定した。

●首相官邸での月例会議
「松代への大本営の移転は・・・。」


●陸軍省官舎
畑中ら青年将校が
「阿南閣下、閣下は陸軍600万人の頂点にいます。」
阿南は
「私は天皇直属だ。」
と答えた。
そして、武器倉庫・・・
 古い武器ばかり・・・
窓の外では、竹槍訓練・・・



●7月28日 
 鈴木首相は
 「政府としては重大な価値あるものとは認めず黙殺し、断固
  戦争を完遂に邁進する。」
 とコメントした。
★鈴木首相は施政方針演説で意味深長な発言をした。

07月28日 アメリカ海軍が呉軍港爆撃空襲
 (呉軍港・・・戦艦:大和の寄港地)
   
◆7月28日 高崎→前橋→伊勢崎→中島飛行機小泉製作所
  太田市製作所も空襲。
 
07月30日 日本はソ連に条件付和平の斡旋を依頼。


▲8月2日、第20航空軍司令部が「野戦命令第13号」を発令した。

◆8月05日 高崎空襲。
  大泉町の中島飛行機小泉製作所を空襲。
 →群馬県太田市も空襲。

◆8月6日 高崎空襲

▲8月6日 原子爆弾による攻撃を行うことが決定した。
  第1目標は「広島市中心部と工業地域」(照準点は相生橋付近)、
  第2目標は「小倉造兵廠ならびに同市中心部」(予備)
  第3目標は「長崎市中心部」(予備)

●8月6日、B29が飛び立った。
   アメリカ軍が広島市にウラニウム型原子爆弾リトルボーイが投下
   された。

  広島に歴史上初の原子爆弾を投下されたのだ。
画像

画像

★★ 箕輪初心◆広島の原爆投下 
http://53922401.at.webry.info/201105/article_23.html

●08月08日 ソ連が日ソ中立条約を破棄→日本に宣戦布告した。
満州国と朝鮮半島に侵攻。(ソ連対日参戦)


▲8月9日 アメリカは2回目の原子爆弾による攻撃を行うことを
  決定した。
  第1目標は「小倉造兵廠および市街地」
  第2目標は「長崎市街地」(照準点は中島川下流域の常盤橋から
     賑橋付近)
    
●B29が飛び立った。
  第1目標の小倉市上空が八幡空襲は視界不良であったため、
  第2目標の長崎市にプルトニウム型原子爆弾ファットマンを投下
  した。長崎も原爆を投下されたのだ。

画像

(★写真が見つからなかった。無料写真)



●陸軍省館官舎
08:28
 阿南は
 「本土決戦をする。」
 と決めた。



08月09日 ソ連対日参戦
  ソ連も参戦した。ソ連軍が満州国に侵攻した。
  和平工作の失敗が明白となった。
   ★ちょっと虫が良すぎない?
   ・・結果、北方領土を渡さないし・・
   昨日、北方領土に墓参り団が到着した。


08月09日 大湊湾(大湊町)で海戦(大湊空襲)。
      事実上最後の海戦となる。

阿南惟幾陸軍大臣、天皇陛下、鈴木貫太郎総理は決断を苦悩する。
閣僚全員も苦悩する。 









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