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zoom RSS 箕輪初心:生方【ハリスと下田】:玉泉寺

<<   作成日時 : 2015/07/26 06:47   >>

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・安政3年(1856)7月21日(8月21日)サンジャシント号で下田
港に入港した。8月5日(9月3日)ハリスはサンジャシント号を
から玉泉寺に入った。我が国の最初の米国総領事館が開設された。
8月6日(9月4日)玉泉寺境内に米国領事旗(アメリカ国旗)
が掲揚された。ハリスが初代アメリカ総領事として下田に赴任し
て来たのだ。ペリーが結んだ日米和親条約によって外交代表駐在
が認められていた。長崎以外で最初に日本に住むことになった
外国人である。ハリスの最大の任務は日本は通商は拒否していた
日本と通商条約を結ぶことであつた。嘉永7年(1854)3月3日
(3月31日)日米和親条約第2条によって、下田は即時開港。
〜安政6年(1859)12月8日(12月31日)までの5年と
9ヶ月ほどの短い期間ではあったは下田は・・・。
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◆◆ 箕輪初心◆青木城=本覚寺の岩瀬とハリス ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201210/article_10.html


箕輪初心:生方▲【ペリー&下田開港】日本の開国への道
http://53922401.at.webry.info/201507/article_23.html

箕輪初心:生方【吉田松陰と下田】黒船と下田踏海事件
http://53922401.at.webry.info/201507/article_24.html

箕輪初心★吉田松陰=高杉晋作・桂小五郎・楫取素彦などを育てた男
http://53922401.at.webry.info/201402/article_1.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201402/article_1.html
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【1】玉泉寺
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▲山門
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▲ロシア船ディアナ号乗員3名の墓地
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●看板
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▲中門
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▲本堂
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▲旗の掲揚地

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▲黒船(ペリー艦隊)の乗員5名の墓地
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▲アスコルド号乗員1名の墓地  


・カーター大統領来寺
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【2】ハリスの領事館での日記
ハリスは「日本滞在記」を著した。
●8月6日(9月4日)のハリスの着任日記。
「・・・旗棹が立った。
水兵たちがそれを廻って輪形をつくる。
そしてこの日の午後2時半に、
この帝国におけるこれまでの『最初の領事旗』を私は掲揚する。
厳粛な反省−変化の前兆−疑いもなく新しい時代がはじまる。
敢て問う、真の日本の幸福になるだろうか?」
ハリスの苦労ははこの日から始まったのである。

●ハリスは日本や日本人に対して、非常に好意的だった(伝)。
「日本人は喜望峰以東のいかなる民族よりも、優秀であること
を繰り返していおう。」
「(下田は)家も清潔で日当たりがよいし、気持ちも良い。世界
のいかなる土地においても、労働者の社会の中で下田における
ものよりも良い生活を送っているところは他にあるまい。」
 ★日本人大好き・下田大好き・・

●牛乳が大好き日記
下田へ来てからも牛乳を買い求めた。
領事館が置かれた玉泉寺「牛乳の碑」
牛乳は毎日飲まないと・・・

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●肉は猪の肉日記
肉が食べたくて食べたくて・・
猪の肉でもOKさ。ごちそうさまでした。


●混浴は日本文化の謎日記
「私は、何事にも間違いのない国民が、どうしてこのように品の悪い
ことをするのか、判断に苦しんでいる。」
ハリスが唯一受け止められなかった日本文化が混浴
だった。


●ストーブ最悪日記
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【3】ハリス記念館 
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タウンゼント・ハリスが領事館当時愛用の遺品や関連資料、古文書
等が多数展示してある。
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@下田港で踏海の企を起こした吉田松陰の遺品
Aヒュースケンに仕えたおふくの遺品
Bロシア・ディアナ号将校モジャイスキー撮影の日本最古の銀板写真
C柿崎村名主 浜田与平冶の日記
Dその他多数の資料を展示する幕末開国の第一級資料がある。



 

【5】ハリスの日本での生活

●ペリー日本来航1回目
・嘉永5年(1852) ペリーはアメリカ大統領:フィルモアから東インド
 艦隊司令長官を命じられた。アメリカでは西海岸が開拓された。
 カリフォルニア金鉱などの鉱山開発や捕鯨業が盛んになっていた。
 太平洋の重要性が高まり、北太平洋の日本との国交が急務となった。
 11月24日。アメリカ東海岸ノーフォークを出航し、日本に向かった。
  ペリーは12隻の大艦隊で日本にプレッシャーをかけるつもりで
 あった。ところが、旗艦として考えていた最新鋭の蒸気船は完成
 が遅れ、出航に間に合わなくなってしまったた。ペリーは古い蒸
 気船ミシシッピー号に乗って日本に向かった。アメリカ東海岸から
 大西洋を南下→アフリカの喜望峰→インド沖→東南アジア→中国
 広東→4隻の艦隊を編成し、日本に向かった。
 琉球(沖縄)・小笠原父島→
・嘉永6年(1853) 7月8日 ペリーがやっと浦賀沖に来航した。

 ペリーは久里浜で日本に日本に開国を提唱するアメリカ大統領の
 親書を渡した。
 ペリーは翌年の再来航を約束して、中国上海に向かった。
●ペリー日本来航2回目&日米和親条約
・嘉永7年(1854)
1月 ペリー提督率いる黒船艦隊浦賀に再び来航した。
3月 アメリカの開国要求
江戸幕府はアメリカの『開国』を要求する外圧に対抗する
   ことができなかった。
3月3日(3月31日) 日米和親条約が横浜で締結された。
 
日本側全権は大学頭の林復斎(はやしふくさい)
 アメリカ側全権はマシュー・ペリー
@アメリカの遭難者・漂流民の救助・保護の義務
アメリカ人の安全の保障である。
 A下田・箱館(函館)の開港 (箱館は翌年の開港)
  ・・・アメリカ捕鯨船への物資・食糧の供与。
 B下田にアメリカ人居留地と外交官(領事)を置くこと
   アメリカ人が日本に滞在する場所所として了仙寺・玉泉寺
   が定められた。日本でアメリカ人が死去した場合には玉泉
   寺の米人墓所に葬られることになった。
 C最恵国待遇(諸外国に有利な条約はアメリカにも適用)

『日米和親条約』は不平等条約であった。
 日米和親条約締結で『下田・箱館』が開港された。
 江戸幕府の鎖国体制は崩壊したのだ。
その後、ロシア・イギリス・オランダとも和親条約が締結した。

初代駐日総領事のタウンゼント・ハリス
「ハリスはフランクリン・ピアス大統領から修好通商条約締結のため
の全権を委任された。ハリスは武力戦争を行うことなく日本を平和的
に開国させることを至上命題として、日本に対する諸外国の軍事的介
入も阻止する立場を取っていた。ハリスが政治目的は、アメリカのア
ジアにおける自由貿易の利権を確立することであり、そのために日米
修好通商条約を結ぶことであった。つまり、ハリスの最大の任務は日
本は通商は拒否していた日本と通商条約を締結することであつた。

・嘉永元年(1848) ハリスは貿易業を始めた。
 活動の拠点はニュージーランド、清国、フィリピン、インド、
  マニラなどであった。

・嘉永6年(1853) ハリスは上海にいた。
日本への第1次遠征を行っていたペリー率いるアメリカ東インド
 艦隊が清の広東に滞在していた。
 ペリーに日本への同乗を望むが、軍人でないために許可を得ら
 れなかった。

・嘉永7年(1854)
  ハリスはアメリカへ帰国した。
  駐在領事への就任を大統領に訴えた

4月 ハリスは寧波(にんぽー)の領事に任命された。
   東洋各地の事情の精通していたからであった。
  
・安政2年(1855) ハリスは大統領フランクリン・ピアースから
  初代駐日領事に任命された。大統領からハリスは
  日本との通商条約締結のための全権委任を与えられた・
  目的は「日本を平和的に開国させ、諸外国の専制的介入を
   防いでアメリカの東洋における貿易権益を確保をすること」
であった。
  また、シャムとの通商条約締結も命じられた。

   ハリスは通訳兼書記官としてオランダ語に通じたヘンリー・
   ヒュースケンを雇った。


・安政3年(1856)
●出発。
・ヨーロッパ→喜望峰→インド経由
4月 シャム(タイ)へ到着した。
  バンコクにおいて通商条約の締結した。
  シャム→香港→???・・・
7月21日(8月21日)サンジャシント号で下田港に入港した。
日本では通訳の不備などから、対応にあたった下田奉行:井上
  清直に入港を拒否された。

8月5日(9月3日)ハリスはサンジャシント号をから玉泉寺に
  入った。我が国の最初の米国総領事館が開設された。
8月6日(9月4日)ハリスは玉泉寺境内に米国領事旗(アメリ
 カ国旗)を掲揚した。
 ハリスが初代アメリカ総領事として下田に赴任して来たのだ。
 ペリーが結んだ日米和親条約によって外交代表駐在が認められ
 ていた。
 ★ハリスは長崎以外で最初に日本に住むことになった外国人である。
 


ハリスは大統領親書の提出のために江戸出府し、将軍と会うこ
 とを望むが、水戸藩の徳川斉昭ら尊王攘夷派の諸侯の反対
  江戸出府は留保された。先延ばしだった。

 ハリスは下田で薪水給与や回比率などの問題を巡り和親条約 
 改訂のための交渉が行った。



・安政4年(1857)
5月『下田条約』を締結
 ハリスは江戸幕府にアメリカ人居留権と領事裁判権)治外法権
 を認めさせた。
 ★日本国内でもアメリカ人に対してはアメリカの裁判権が有効となる
 という不平等な条約である。

 ハリスはたび重ねて江戸出府を要請し続けていた。

5月、日本の初代アメリカ総領事:タウンゼント・ハリスが玉泉寺の
 領事館で精力的に日米外交を行っていた。しかし、体調を崩し床に臥
 せった。ハリスの通訳ヘンリー・ヒュースケンはハリスの世話をする
 日本人看護婦の斡旋を地元の役人に依頼した。しかし、川路聖謨は妾
 の斡旋依頼だと誤解した。候補に挙がったのが芸者のお吉(斉藤吉)
 だった。下田開港にあたり、ハリスの侍女として仕えた。
 ●「唐人お吉」
 ハリスが体調の優れなかった世話役に、芸者の「お吉」が送り込まれ
 た。ハリスは役人のハニートラップにはまったく引っかかりませんで
 した。・・・という説明もあった。


7月 アメリカの砲艦が下田へ入港した。
  江戸幕府は江戸へ直接回航されることを恐れてハリスの江戸
  出府、江戸城への登城、将軍との謁見を許可した。

10月 下田を出発した。
   ハリス持病の胃病で吐血することもあったは
  日米修好通商修好条約のチャンスだと考えた。
 ヒュースケンらと共に・・・
天城街道を行った。

・安政4年(1857)
 

8月、米国領事:タウンゼント・ハリスは下田の領事館から「天城越
 え」を行った。通訳のヒュースケンや多くの幕吏
  など350人(・一説には500人)も同行した。
  江戸へ日米修好通商条約折衝するためであった。
  

〜〜〜唐人お吉の話〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 お吉は解雇され役目を終えた後、「唐人お吉」とさげすまれ、罵声と
 軽蔑のなか波乱万丈の生涯を送った。酒に溺れるようになり、アル
 コール中毒になった。元婚約者と同棲を解消し、芸者業に戻り三島
 芸者になった。再び「天城越え」をし、下田に戻った。小料理屋
 「安直楼」を開くが2年で終わった。お吉は晩年、「天城越え」し、
 約2年間、古奈温泉に逗留して疲れ果てた心と体を癒した。古奈温
 泉から再び「天城越え」下田に帰った。最後は乞食になって死んだ。
 下田宝福寺に眠る。
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・ハリスは江戸に入った。

江戸では蕃書調所に滞在して登城の日取りが決められた。


10月21日(12月7日) ハリスは13代将軍:徳川家定に
  謁見して親書を読み上げた。
  ピアス大統領の親書を手渡した。

  ハリスは老中:堀田正睦にも修好条約の重要性を説いた。

ハリスはようやく貿易交渉を開始した。
 しかし、江戸幕府は交渉の返答に困ってしまった。
 ハリスは下田で3年間過ごすことになった。


12月11日 (1858年1月25日)〜
  江戸幕府の老中首座:堀田正睦は下田:奉行井上清直と目付:岩
 瀬忠震を全権として、条約の交渉を開始させた。交渉は15回に及
 んだ。
 内容に合意を得た後、堀田正睦は孝明天皇の勅許を得て通商条約の
 締結を企図した。
 下田奉行:井上清直と・・ハリスと交渉開始。
  「下田閉港・・横浜開港。」  
  ※治外法権&関税自主権がない。

・安政5年(1858)
2月 老中:堀田正睦の上洛に伴い、
   副役に勘定奉行:川路聖謨も選出された。

5月2日 堀田正睦は勅許を得られなかった。
    井伊直弼は勅許を主張していた。
  
  植民地化されるよりかは、多少の不平等はしかたない
  という腹積もりだったのである。

6月19日 大老:井伊直弼が朝廷の勅許を得ることなく通商条約
  の締結を断行した。
   神奈川沖・小柴のポウハタン号の船上で、日本側全権の下田奉行
  :井上清直&目付・岩瀬忠震(ただなり)とアメリカ全権のタウン
   ゼント・ハリスとの間に『日米修好通商条約』が締結された。
   正確には、日米修好通商条約14か条と貿易章程7則について
   調印が行われた。

 日米修好通商条約の調印。井上清直と岩瀬忠震が共に署名。
    ★岩瀬忠震は開国に積極的な外交官であった。


 ハリスは、
  「井上、岩瀬の諸全権は綿密に逐条の是非を論究して
  余を閉口せしめることありき。・・・(中略)・・・
  懸かる全権を得たりしは日本の幸福なりき。彼の全権等
  は日本の為に偉功ある人々なりき」
  と、当時の交渉のことを書き残している。

6月23日 条約調印の4日後、堀田正睦と松平忠固は老中を罷免
  された。

7月8日 岩瀬岩瀬は目付から外国奉行に異動。
A日蘭修好通商条約の調印。
B日露修好通商条約の調印。
C日英修好通商条約の調印。
D日仏修好通商条約の調印。

★5ヶ国との条約のお陰で日本は世界の列強から植民地
  支配から護られたのである。
★岩瀬忠震は米蘭露英仏の五ヶ国全ての条約調印にただ一人
 で参加したのだ。

『安政5ヶ国条約』
 アメリカ・イギリス・フランス・ロシア・オランダとの間に
 修好通商条約=不平等条約は結ばれた。



※2日後、13代将軍徳川家定の将軍継嗣問題
  一橋派・・・徳川慶喜(一橋徳川家当主)を支持。
松平慶永(福井藩主)
 ・阿部正弘(福山藩主)
 ・堀田正睦(佐倉藩主)
        岩瀬忠震も属す。

  南紀派・・・徳川家茂を推薦。
      大老となった井伊直弼+家老:長野主膳
間部間部詮勝(鯖江藩主)
譜代大名など

※井伊直弼は安政の大獄を断行。
   反対派や一橋派の排斥を行った。
 
9月5日  外国奉行から作事奉行に異動。
12月20日 宗門改を加役。
  →岩瀬忠震が作事奉行に左遷された。
 大老井伊直弼の怒りを買ったのだった。


・安政6年(1859) 井伊直弼の安政の大獄
6月2日(7月1日)
日本とアメリカ合衆国の間に日米修交通商条約が締結された。
※条約は関税自主権がない不平等条約だった。
この条約によって下田、函館に加えて、兵庫(神戸)、新潟、
長崎、神奈川(横浜)の4港の開港が約束された。
江戸幕府は条約で決められた神奈川に代わり、対岸の横浜村
に開港場を設けることとした。
岩瀬忠震は条約の文言を重視して神奈川開港を主張した。
 ★日本が植民地化を免れたのは、土壇場で日米修好通
  商条約が成立したからとも言われている。

6月8日(7月7日) 江戸の元麻布善福寺に公使館を置いた。
● ハリス顕彰碑(善福寺境内)


7月 幕府は神奈川、長崎、箱館を開き、外国との自由貿易を許した。
 文明開化の幕開けである。
 しかし、日米修好通商条約に臨んだアメリカ総領事ハリスが希望
 した開港候補地の中に「横浜」は含まれていなかったという。
 江戸幕府は「条約締結ゆかりの地」、「江戸からの距離的な優位性」
 を理由に「神奈川」と呼ばれていた横浜の開港を強く提案した。

 ハリスは幕府の提案を受け入れたが、ハリスが想定していた「神奈
 川」とは当時から東海道の宿場町として開けていた神奈川宿(現東
 神奈川付近)であった。
 江戸幕府がいう「神奈川」即ち「横浜」とは位置的なずれがあった。
 それでも、江戸幕府は横浜の開港を強く主張し半ば強引に開港場を
 造ってしまった。
 幕府は外国人と日本人の頻繁かつ直接的な接触を避けたいという意
 図があった。
 まり、江戸幕府は神奈川宿での外国人と日本人とのトラブルを恐れ、
当時小さな漁村であった横浜を「横浜も神奈川の一部である。」
 として強引に推し通した。
 当時の横浜の沖合は水深が深いので港には適していた。

 江戸幕府&ハリスの思惑が交錯しながら横浜港の歴史の幕が開けら
 れた。

 アメリカ総領事:ハリスは神奈川宿(現京急神奈川駅・東神奈川駅付
 近)前の港の開港を想定して、神奈川宿の
 本覚寺にアメリカ領事館(青木城=本覚寺)を置いた。
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 (★神奈川のアメリカ領事館&岩瀬忠震)


 ハリスは日米修好通商条約が締結されたため、初代駐日公使となり、
 下田の領事館を閉鎖した。

 ※普門寺には、フランス領事館があった。

横浜開港に当たって運上所(=現神奈川県庁)先の海岸
にふたつの石組み突堤が造られた。
東側突堤の名残が大桟橋の「象の鼻」である。


・万延元年(1860)
日米修交通商条約の批准のため、万延元年遣米使節が派遣された。
正使:新見正興、副使:村垣範正、監察小栗忠順を代表とする。
ポーハタン号で米国に派遣された。護衛の名目で木村喜毅を副使
として咸臨丸も派遣された。咸臨丸には勝海舟が艦長格として乗
船し、木村の従者として福澤諭吉も渡米した。


・文久2年(1862)
ハリスは持病の悪化した
 ハリスは病気を理由に辞任の意向を示した。
  江戸幕府は留任を望んだ。
日本に好意的なハリスを何とかして引き留めようとした。
  ハリスはアメリカ政府の許可を得た。
 
4月  5年9ヶ月の滞在を終えて帰国した。
  帰国後は公職にはつかなかった。。


〜〜〜私の幕末関連のブログ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★幕末偉人【岩瀬忠震】=日米修好通商条約に調印
http://53922401.at.webry.info/201212/article_1.html

★★ 箕輪初心★佐久間象山@「長野:象山神社」 ★★
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箕輪初心★佐久間象山A「佐久間象山の生涯」
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箕輪初心★吉田松陰=高杉晋作・桂小五郎・楫取素彦などを育てた男
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箕輪初心★「江川太郎左衛門英龍」=国防に捧げた幕末偉人
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_23.html

箕輪初心▲伊豆:【韮山反射炉&飾り雛】
http://53922401.at.webry.info/201503/article_10.html

****************************************************
★ポーハタン号は後に、小栗上野介達が乗船した船である。
 
◆◆箕輪初心★小栗上野介@「先祖」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_28.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介A「遣米使節団」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_29.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介B「業績と提唱」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_30.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介C「権田での隠遁生活」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201107/article_1.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介D「ヴェルニー&東郷平八郎」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201107/article_2.html

◆◆ 箕輪初心★小栗上野介D「横須賀造船所」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201107/article_2.html

箕輪初心■神奈川:小栗上野介D「ヴェルニー&東郷平八郎」
http://53922401.at.webry.info/201107/article_2.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201107/article_2.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介E「東善寺&村上泰賢先生」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_10.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介F「道子夫人の会津への逃避行」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_11.html

◆◆箕輪初心★小栗G「道子夫人の逃避行と北越戦争&会津戦争」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_12.html

◆◆箕輪初心★小栗H「遣米使節VS咸臨丸」の歴史的意義 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_17.html
(★小笠原の父島のペリーの碑やアメリカ人の居住地を紹介)

◆◆箕輪初心★小栗上野介I「東善寺訪問」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201109/article_23.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介J「佐賀の8人&大隈重信」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201110/article_23.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介K「大隈重信&三野村」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201205/article_23.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介L「名残」=築地 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201210/article_11.html

箕輪初心★小栗上野介M童門氏VS村上泰賢先生TV討論
http://53922401.at.webry.info/201212/article_18.html

◆ 箕輪初心★『小栗上野介とボーハタン号』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_29.html

◆◆ 箕輪初心★『ボーハタン号&咸臨丸』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_17.html

◆◆ 箕輪初心★『小栗上野介の功績&提唱』 ◆◆
★大隈重信・大久保利通・東郷平八郎などは
「日本の近代化の父」と思っているようだ。
http://53922401.at.webry.info/201106/article_30.html


〜〜〜神奈川県横浜と横須賀〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

箕輪初心◆横浜散策&自衛艦『ひゅうが』&『くにさき』
http://53922401.at.webry.info/201210/article_9.html

箕輪初心◆神奈川『横浜開港物語』
http://53922401.at.webry.info/201210/article_8.html

◆◆ 箕輪初心★『中居屋重兵衞』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_14.html

◆◆ 箕輪初心◆青木城=本覚寺の岩瀬とハリス ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201210/article_10.html

箕輪初心▲神奈川「権現山城&青木城」:多米一族&神奈川宿
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201411/article_15.html
 (★青木城=本覚寺はハリスのいた場所である)


★★ 箕輪初心★「土方歳三の35年の生涯」 ★★
http://53922401.at.webry.info/201305/article_23.html

★★箕輪初心★幕末偉人【西郷頼母】=西郷隆盛と同じ先祖 ★★
http://53922401.at.webry.info/201301/article_7.html








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箕輪初心:生方【ハリスと下田】:玉泉寺 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
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